[ささやかな疑惑]of [金の砂銀の砂]


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ささやかな疑惑

 雨は南に向かっているのか、ノーフォークへ近づくにつれ、雨足が戻ってきたように追いかけてきた。
 渋滞しはじめたのを機に休憩を挟んで、遠慮するロイと運転を代わり、バージニアビーチの端にあるロイの家の敷地に車を乗り入れたときには、もう夕方近かった。
 ビーチハウスの駐車場に、見覚えのある黒いピックアップが止まっているのを見て、ジムが来ているのだと分かった。
 雨のけぶる家のベランダに、うっすらと大きな人影が見える。
「ジムのヤツ、休みにデートする相手もいないらしいな」
 カーターは笑いながら、雨の中を首をすくめてベランダへ急いだ。太い雨が、あっという間に身体の中に染みこむようだ。
「今日はもう、戻らないかと思ってましたよ」
 ジムが両手をジーンズのポケットにつっこんだまま、待っていた。
「とんだドライブだった」
 ロイが助手席から下りてきたのを見て、ジムは微かに眉を顰めた。
「一緒だったんですか? ロイはバーク准将のお供だったんじゃ……」
「途中で偶然会ったんだ。それで一緒に帰りかけて、土砂降りになって結局ホテルにお泊りってわけだ」
「ホテルに泊まったんですかぁ?」
 呆れたようにジムが呟く。
「ああ、狭いベッドで一緒に寝たせいで首がおかしくなった」
「ひとつベッドで? そりゃまた、なんで……」
 シングルひとつしかなかったからだよと、おざなりに答えながらロイに渡された鍵でドアを開け、ジムを促す。ジムは足下に置いていた食材の入っているらしい紙袋を掴んで後に続いた。
 すぐにロイも入ってきた。
「寒いな、ジム、空調をかけていてくれ。着替えてくる」
 自分の家のようにジムに指示してリビングを突っ切る。
 たった十メートルあるかないかの駐車場からの距離で、またびっしょりと濡れてしまったのだ。
 カーターは二階への階段を上がりかけた。
「いったいどういうわけなんだ?」
 ジムの抑えたような声が聞こえた。
 ロイがなにか返事をしているらしいが、言葉は分からない。
 大して気に留めたわけでもなくそのまま階段を上がり、バスルームに入る。
 濡れた服を脱ぎ、タオルで髪を拭いてから厚手のセーターを着込んで下へ戻った。
「なんの買い物をしてきたんだ? ジム」
 空気は冷たく、空調が入った気配がないことに眉を顰めた。キッチンを覗いたが、ジムの紙袋がテーブルにのっているだけで、本人はいない。
「ジム? おおい、ロイ!」
 返事はなく、リビングはしんとしており、そこに二人の姿はなかった。

 帰宅したベランダの中に、ジムの大きな影を見つけた時、ロイはなぜだかどきりとした。
 自分が帰るのをではなく、カーターを訪ねてきたのに違いない。そして家で待てば、ロイが戻ってきたときに、すぐに分かるからだろう。
 鍵を持っているのに入らなかったのは、カーターにそれを知られないようにという、心配りなんだろうとロイは思いつつ、一緒に戻ったことでジムがどう思ったかが気になり、気分が重くなった。
 遅れてリビングへ入ったとき「ロイと一緒にホテルに泊まったんだ」と、慌ただしく説明しているカーターの声が聞こえた。
「狭いベッドで一緒に寝たんで首がおかしくなった」
 カーターの言葉は真実だったが、ジムの表情は硬く凍り付いているように見えた。
 案の定、ジムはカーターが着替えのためにさっさと二階へ上がったとき、「どういうことだ?」と、ロイに不審気な顔を向けた。
「……ヘイズと帰る途中、彼に会ったんだ」
「あんたを迎えに行ったのか? デインは」
「まさか、違う。偶然なんだ。それで車を乗り換えた」
「なんで、昨日電話でそういわなかったんだ?」
 それは……とロイは口ごもった。おまえがそうやって機嫌を悪くするんじゃないかと思ったからだ、と文章は浮かぶものの言葉が出てこない。
 そういういい訳じみた台詞をいうのが、ロイはなぜだか不得意なのだ。
 ジムは「わかった、もういい」と踵を返し、ベランダに続くドアから出て行った。
 ロイは思わず追いかけた。誤解だ、と説明しないとジムの機嫌は直らないだろう。約束を破ったのは自分だ。たとえそこにどんな事情があったとしても、結果的にジムに不愉快な思いをさせたのは事実だ。
 雨の降りしきる中、ピックアップトラックに乗り込んだジムは、追いかけてきたぐしょ濡れのロイを見て、ウインドウを下げた。
「ジム、話を聞いてくれ」
 ジムはにこりともせず、目を逸らした。
「待ってる。俺と会ってくれるつもりがあるなら、家にいるから」
 ジムはエンジンをかけ、ロイに目を向けることなく駐車場から出て行った。

 ロイは着替えだろうし、ジムはトイレにでも行ったのだろうか、とカーターは憮然としてその場に立っていた。
 仕方なくソファに座りかけたときに、ベランダのドアが開いてロイが入ってきた。まだ、濡れた制服のまま、というより新たに濡れているようにも見える。
 髪から滴が落ちていた。
「どうした? ジムは?」
「帰りました」
「帰った? 遊びに来たんじゃないのか?」
「そのつもりだったようですが、急用ができたらしくて」
「急用……」
 なんとなく腑に落ちないのは、ロイの顔がきつく強ばっているように見えたせいかもしれない。いや、唇の色が青ざめてさえ見える。寒いのだろう。
 ロイは「珈琲でも淹れましょう」と、キッチンへ歩いていく。
「そんなのはあとでいいから、君も着替えた方がいい。私がやるから」
「じゃあ、お願いします」
 ロイが大儀そうにキッチンを出て行く。
「そうだ、空調のスイッチは?」
「キッチンはそこの壁に。リビングは効きが悪いので暖炉を使ってください」
 暖炉か、とカーターはそれに目をやった。まさか薪でもあるまいと思ったが、人工練炭と点火剤を使って薪も使うらしい。
 あとでロイにやってもらうことにして、キッチンの方へ行く。 
 豆を挽きながら、香ばしい香りの中でなんとなく今の状況を思い返す。
 雨の中を、ジムがベランダでどれくらい待っていたのか知らないが、案外来たばかりだったのだろう。キッチンのテーブルに置かれた紙袋からは、やはり食材の箱がはみ出ており、一緒に食事をするつもりだったはずだ。
『いったいどういうわけなんだ?』
 ジムがロイにいっていた言葉が、気になった。口調が、いつものジムらしくなく、責めているかのようなニュアンスだったせいかもしれない。准将とワシントンへ行ったはずなのに、カーターと一緒に戻ったことを訝っているのだろうが、それなら責めることなどないはずだ。
 なにか他に、問題でもあったのだろうか?
 カーターに聞かれたくない内容だったから、ふたりは外で話をしたのだろうか? ベランダは広く張り出しており、屋根がついているのに、わざわざベランダから出て雨に濡れてか? と、カーターはロイが濡れていた理由がどうにも理解しかねた。
 ジムが帰っていくのを、ロイが雨に打たれながらも駐車場まで見送った――
 わざわざジムを?
 それこそなぜだ? とカーターはひとり、窓の外の銀色に光る雨を見つめた。

 ロイは寝室へ行き、濡れた制服を脱いで、これはもうクリーニングに出すしかないと、それを椅子にかけたままクローゼットを開けた。
 つきん、と刺すような痛みにこめかみを押さえる。
 背筋にぞくぞくと悪寒が這い上がってくるのが自覚されて、ロイはとうとう風邪のウイルスにやられたらしい、と引き出しから錠剤を出して口に含んだ。それでも行くべきだろう、と諦め、深くため息をついた。

 外出着のジャケットを羽織り、ロイはリビングに戻った。
「出かけるのか?」
「ええ、ちょっと約束が……」
 やっと彼女はロイに会えるわけだろうが、慌ただしいことこの上ない、などと思いながら、カーターは自分が譲歩すればいいのだと思い付いた。
「疲れているだろう? デートなら私は二階に引き上げてパソコンでも叩いているから、ここへ呼んだらどうだ? でなけりゃこれから図書館にでも……」
 いえかまいません、とロイはカーターの差し出した珈琲のカップを受け取って、湯気を吹いた。
 飲みながら、ロイは片手で何度か額を押さえた。
 おそらく風邪の引きはじめに違いない、とカーターはちらりと見たが見ないふりをした。寝不足が続いて、冷たい雨に打たれれば当然だ。
「夕食は?」
「外で食べてきますから」
 行ってきます、と鍵を掴んでロイはベランダのドアを開けた。
「ロイ、傘を使え。わずかでももう濡れないほうがいい」
 風向きが変わって、ベランダの内側にまで雨が入り込んでいる。さすがに傘はリビングにはない。
「そうですね」
 ロイはリビングから廊下へ続くドアを開けた。
「大変だな、君も」
 カーターの声がした。
 まったくその通りだ、とロイは思いながらも駐車場へ出た。
 冷たく太い、刺すような足の速い雨だ。昨日の午後からすれば、冬並みに温度が下がっている。
 人とのつながりを保つためには、時には自分を犠牲にするということが、今ほどつらいと思ったことはない。
 傘をさして、それほどの距離でもない車のところまで歩いていく。冷たい滴が吹きすさぶ風に流されて、襟元に降りかかると、ますます悪寒が激しくなった。
 いくらも行かないうちに、ロイは道路端に車を止め、息をついた。
 信号が遠くに見え、それが本当はすぐそこにあるのだと経験上知っているからだ。どうやら熱が出てきたらしい、と額に手を当て、ハンドルにうなだれるように頭を乗せた。
 ジムの家に行ってから薬を飲んで眠らせてもらうしかない、とまた走り出したものの、不意に飛び出してきたバイクに急ブレーキを踏んだ。
 心臓がばくばくと音を立て、目眩すら感じた。
 駄目だ、とロイは携帯を出してジムの番号を押した。
「ジム、すまない。気分が悪くて、行けそうにないんだ。すまないが……」
「そうだろうと思っていたよ」
 ジムは、それだけいうと続きを遮るように携帯を切った。
 仮病だと思ったのかもしれないなと、ロイはしばらくその小さな電話を見つめていたが、なんだかひどくうんざりした気分にもなった。
 怒っているなら、怒っていてもかまわない、という投げやりな気分に襲われ、そのままUターンして自宅の方へハンドルを切った。

 
 カーターは軽くため息をつき、珍しくテーブルに置かれたままのロイのカップと自分のものを洗うと、ラップトップを取り出し、ソファのいつもの場所を陣取って、膝に乗せた。
 打ち続けていると、だんだんパソコンが熱を持ち始め、膝に乗せていられなくなってくる。リビングの隅にあるデスクを使わせてもらえばいいのだが、ソファでだらだらと打つのが嫌いではない。そもそもラップトップというのはそういう意味合いがあるのだ。
 だが、さすがにカーターも雨のドライブに疲れているのか、そこまで機械が過熱する前に、パソコンをソファに放って足を伸ばした。
 まだほんの三十分たったかどうかという時間だ。集中できないなら少し居眠りでもするかと、クッションに手を伸ばしたとき、物音に振り向いた。ドアが閉まった音がする。ロイは鍵を掛けて出なかったわけではあるまいが、まさか泥棒でも入ったかと、カーターは立ち上がった。
 足音を忍ばせて玄関に続く廊下を伺うと、ロイの寝室のドアがパタンと閉じられたのが見えた。
 デートにしては早すぎるな、と思ったが放っておくことにした。いくら一緒に暮らしているからといって、行動のいちいちを詮索されてはたまらないだろう。
 まさか、泥棒がロイの寝室を荒らしてはいるまいとベランダを伺い、ジープがそこにあるのを確認した。
 カーターはソファからパソコンを拾って二階の自室へ戻ると、ベッドに横になった。

 夕食を作る前に駐車場を覗くと、やはりロイのジープはけぶる雨の中に佇んでいる。
 食事をするだろう、と判断してロイの分も作ることにした。紙袋から食材を出しながら、ふとこの材料はジムが買ったものだと思い出し、携帯を開いた。
「ジムです」
「ああ、私だ。忙しいのか? ジム。これから食事を作るんだが」
 時間があるなら戻らないかといいかけるカーターに、ジムは「いや、今夜は行けないんで。買い物したぶんは食べてください」と、さえぎった。
 わざわざ電話をくれたことに礼をいって、ジムは電話を切った。
 家の中は、誰もいないように静まりかえり、外の雨音だけが波の音に混じる。
 夕飯ができあがっても、ロイは出てこなかった。
 考えてみると、「夕飯は外で食べる」といっていたのだから、また出かけるのかとも思ったが、戻ってきてからまるで物音がしないことが気になった。
「ロイ」
 ドアをノックしても、返事がない。少しためらったが、ノブを回して少しだけドアを開けてみた。部屋の真ん中に置いてあるベッドの上で、丸まった塊が見えた。
「入るぞ。気分でも悪いのか?」
 明らかに具合の悪そうな顔色をしたロイが、うっすらと目を開けた。
「どうした?」
「ああ、デイン……」
 ぼうっとしたような顔に手を当てると、明らかに発熱している。寝不足で昨日雨に打たれたのに、今日も冷え込んでいるのだから当然かもしれない。
「風邪だな。昨日からずっとくしゃみをしていたろう?」
「さっき解熱剤を飲んだし、しばらく寝てれば治ります」
 そういわれて放っておけるほど、カーターは薄情ではない。
「食事を持ってきてやる。シチューだし、なにか食べないとよくないだろう?」
「……デイン」
 ロイが、かすれた声で引き留めた。「かまわないで。自分でやれますから、ご心配をおかけしてすみません」
 半身を起こしたその顔は、ひどくきまじめで、カーターはなぜ病人であるにもかかわらず彼がこんな顔をしているのか戸惑った。
「たいしたことはない。大丈夫ですから」
 カーターは仕方なく頷いた。確かに、なんらかの予定を断って早々に引き上げてくる判断をしているのだし、そもそも自分がいなければロイは――それは私だって同じだが――どれほど重病であろうと、日頃は自分で処理しなければならないひとり暮らしが染みついた身だ。
「……わかった。でも、もう作ってしまったからあとで気分がいいときに温めて。私はリビングにいるから、どうしてもの時は声をかけてくれ」
 ロイはほっとしたように毛布にくるまった。
 ありがとう、というくぐもった声が聞こえたが、カーターは黙ってドアを閉めた。











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後日憚―哀しみの追憶―

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おもちゃ屋探検

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Pは××のP

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僕が彼を憎んだわけ

ロイとジムの映画評