[海辺にて]of [金の砂銀の砂]

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海辺にて

 翌日、一緒に遅いブランチをとり、ジムは自分のアパートへ帰る前に基地まで乗せていってくれ、カーターはロイの車を持ちだした。
 もちろん、その前に念入りにリビング中に掃除機をかけ、カーターを笑わせた。

 基地であらかじめ聞いていたディクソン大尉の実家へ出かけたが、家は留守だった。
 隣の住人から彼ら一家がメイン州の別荘に出かけたことを教えられた。
 連絡先は知らないといわれ、ディクソンの静養を兼ねての旅行なのかもしれないとカーターは諦めた。
 ディクソンが負傷し、ふたりの兵士の葬儀が行われたとき、カーターは訓練学校の責任者であるグリーン大佐からその旨を聞き、ひとり葬儀に参加した。そのときに病院への見舞いにも行った。
 ディクソンは、ひどく気落ちしているふうで、見舞いの礼を述べただけでなにもそのときは語らなかった。
 あるいはディクソンは、もうチームを辞めた人間に――自分たちを捨てたカーターに対して失望していたのかもしれない。
 こつこつと士官への階段を上がってきたディクソンは、隊長となることはできないまま、カーターがいた当時と同じく副隊長の地位に甘んじている。このまま彼が戻っては来ないのではないかと、少し気になった。
 だが、連絡もできないのではどうしようもないし、また連絡が取れたからといって、今のカーターにディクソンにしてやれることなどなにもない。
 他の隊員たちと会って、話を聞こうかとも思ったが、バークの意見も聞かないうちに余計な行動をとることは控えた方がいいのかもしれないと、思い直した。
 目についた不動産屋で二、三の物件を見せてもらったり、車のディーラーのところへも行ってみたりしたものの、気が入らないせいかこれといった気に入ったものは見つからなかった。
 予定通り図書館へ進路をとりかけたものの、文字を見る気分にもなれなかった。
 古い、軍には関係のない友人たちの顔を思い浮かべもしたが、自分が不調なときに会いたいと思える顔も浮かんでこない。大抵は結婚しており、休日の家族団らんを、急遽変更させるのも気が引けた。
 そのまま、海岸線を北に上った。
 行くあてがあったわけでもなく、ただなんとなく考えごとをしながらハンドルを握り続けていただけだ。両岸に海を見ながら長い長い中道を通り過ぎる。やがて小さな街に出て、ふたたび海沿いの道路になっていく。
 ずっと同じような光景の、切り立った崖沿いの道を当てもなく走った。
 そのうち、崖から下り始めて海岸に変わっていく。不意に見たことのある光景が目に入ってきた。

 ここは、来たことがある。
 思わずハンドルを右に切って車を端に寄せ、ブレーキを踏んだ。
 片側に海の続く、その道は明らかにカーターの記憶に刻まれた場所だった。  
 潮の香りが鼻についた。
 三年ぶりくらいになるだろうか。四年近いか……?
 ずいぶん昔のことに思える。
 海岸沿いの路肩に車を止め、カーターは目の前に広がる砂浜に降りた。まだ明るい日の中に、遠く岩肌が浮かんでいるのが見える。
『人魚の足』という小島だ。
 本当は島などとはいえないほど小さな、岩ばかりのそこは、ロイがかつて自らを沈めてしまおうとした場所であり、あるいは少年の頃、父親にそこへ連れて行かれて、泳いで戻るように命じられた……あの場所だった。

 懐かしさに浜に降りて、カーターは海を眺めた。
 あの時は夜で、もうすっかり凍えるほどの冬の初めだった。今も寒さはもうすぐそこに来ていたが、あの時の氷のような冷たさはまだない。特に今日は暖かな日がさしており、まるで違う景色に見えた。
 砂浜に腰を下ろし、鉛色の海を眺めていると、当時の様子をまざまざと思い出した。
 海に沈んだロイを泳がせて、この岸に戻った。
 バークがでかいたき火をし、ジムと三人身体を寄せ合って身体を温めたあと連れて帰り、そして次の日、ロイはすっかりすべてを忘れて幼児の時代まで逆行してしまっていた――
 きりりとした端正な顔が、幼く変化した。
 足も動かず、床に転がり、ロイは本当の子供に見えるほど無防備な姿を見せた。
 頼り切った、表情の豊かな、つまり普段の彼とはまるで違う顔で、ロイは私に負ぶわれた。あるいは抱き上げられ、あるいは手を握って一緒に眠った。
 トイレにつれていってやり、バスで身体を洗ってやり、そして砂浜でカーターは歩けないと泣くロイを立たせ、歩かせた。
 妹アンナのように――愛しかった。
 七つも年の離れた妹は、まだほんの幼児の頃に両親を失ったせいで、ひどく寂しがりやだった。
 彼女は常にカーターのあとをついて回った。
 祖母と妹と三人だけの暮らしの中で、アンナが向ける眼差しだけがカーターの生き甲斐だった。
 もう、すでに彼女だけを見つめてくれる夫もおり、ふたりの娘に恵まれて暮らしているというのに、遠い土地に住む彼女を思い出すとき、アンナはいつも幼児の姿のままだ。
 ロイは、あの頃の妹と同じ目をしていた。

 暖かな昼下がりの海岸は、小春日和といってもいいほど気持ちよかった。
 海は凪いでいる。
 寄せる波の音だけが、静かにカーターを様々な過去に誘った。
「……デイン?」
 思いがけなく名前を呼ばれて、ぎょっとした。
 浜と道路を隔てたコンクリートの壁の上から男が覗いているのが見え、引っ込んだ。すぐに砂浜へ続く階段に姿が再び現れた。
 ドレスブルーの海軍の制服が、こんな浜には浮いて見えた。
 長身の男は革靴が砂に滑り、歩きにくそうにこちらへ向かってくる。
「ロイ?」
「あなたが――というか、俺の車が見えたので。こんなところでなにをしているんです?」
 金色の前髪が飾りのようにふわりと舞い上がる。
 その顔が妙に眩しくて、カーターは目を細めた。

ロイは、カーターのそばまで来ると、靴を片方ずつ脱いで、ひっくり返して砂を落とした。
 カーターはすぐ隣の男を仰ぐように見た。
 靴をはき直した彼は、カーターを見ずに遙か彼方の小島に目をやっている。
 後方を仰ぐと、ロイの赤いラングラーの後ろに、黒いセダンが止まっていた。
「バーク准将?」
 いえ、とロイは答えた。「准将はまだワシントンに残られています。俺は先に帰るためにノーフォークへ行くところだったヘイズ大尉の車に便乗していたところでした」
「じゃあ、もう用は済んだのか? 君の車なんだし、よかったら一緒に帰るか?」
 では、彼にそう告げてきますとロイは車まで戻っていった。
 黒いセダンが走り去って、ロイが戻ってきてもカーターはまだ、砂浜に座っていた。
「で、ここでなにを?」
 ロイがふたたび聞いた。
「いや、別になにも。走っていたら目にとまっただけなんだ。単なる気晴らしのドライブさ」
「ここは俺の――」
 ロイは言いかけて口をつぐんだ。ざざんと波の音が響く。
「君と准将はてっきり、墓参りでもしてのんびりしているのかと思っていたよ。その……お母さん、亡くなったんだってな。私はなにも知らなくて……」
「なんだか、話が長引いているようで。あとは、上層部だけの内輪の話をしたかったんでしょう。先に戻れといわれて、墓参りは中止しました。もともと准将がそうおっしゃっていただけで、俺はわりとこまめに行ってますから」
 ロイの目は相変わらず沖に注がれ、立ったままのその顔を、カーターは下から見上げた。
「……あの小さな岩礁は満潮になっても沈まないんです。だから、このあたりの人は皆、島と呼んでいます。人魚の足という名前です」
 カーターは頷いた。忘れることのできない名前だ。
「人魚がひなたぼっこをするにはぴったりの場所ってわけだ」
 ロイはカーターの隣に腰を下ろした。
 あの島に父親に連れて行かれ、置き去りにされたこと、泳いで戻ってきなさいといわれたこと。プールでは泳げるのに、海が怖くて入れないロイを、父親が鍛えようとしてそうしたこと――
 ロイは、ジムには語った話をカーターには聞かせるつもりはないらしい。すでに知っている話ではあるが、カーターが知っていることを彼は知らないはずなのに、そして目の前にその島が見えているにかかわらず、ロイはただ黙っている。
 それが少ししゃくにさわって、カーターも黙って波の動きを追いかける。
 膝を立て、両腕を膝に乗せてさらに顎をもたせかけ、子供のように丸まった姿勢でロイは海を眺めているように見えた。
 それから十年以上もあとに、ここで沈んでしまおうとしたことは記憶にはないはずだ。カーターやジムが凍るような海に入って、助けたことも――
「ここで、俺は死のうとした……」
 カーターの思考に呼応するように、ロイが呟いた。
「覚えていたのか?」
 唇をちょっと引き締め、ロイはカーターを見ずに息を吐いた。
「いえ。そのあたりはひどく曖昧で……。でも、そう聞かされておぼろげには思い出した部分もあって」
 ロイはやっとカーターに顔を向けた。
「あなたやジムが、助けてくれたんですね? 大きなたき火にあたっている光景は、鮮明です」
「ああ。あの火は命の火だったな」

 海鳥が滑降して魚を捕るのが、小さく見えた。
 ひたすら明るい、蒼い世界が陽炎のように歪んだ。
 炎が揺れている、真っ暗な海岸のイメージが浮かんだ。
 氷のような海の冷たさ。
 そこに、がたがたと震えながら濡れた身体を寄せ合ったあの時の自分たちの姿。
 火がなかったら、全員凍えていただろう。それほどに寒かった。 
 あの時とは違い、十月とは思えない日の光が、季節の寒さを忘れさせた。
 沈黙する男の横で、所在ない時間が過ぎていく。

おぼろげな記憶の中――
 砂浜に、カーターが立っているのが見える。
「ロイ、ここまで来なさい。立って歩いてくるんだ」
 立てない、とロイは泣き出した。怖い、歩けない、と信じられない言葉だが、かつて口にしたこともないような弱気な泣き声と共に、それが自分の声だと今はロイは分かっている。
 そうして、彼は「ジムがずっとそばにいてくれる。私と三人で暮らすんだ」といった。
 記憶を失っていた頃のことは、未だに曖昧な部分が多い。
 けれども、ロイはその言葉を聞いて、自分はずっと彼らと暮らせるんだ、と大きな船に乗せられたような安堵感に包まれた。
 そのことを思い出したのは、わりと早い時期だった。
 どういう意味だったのだろうと考え、それがやっと自分を引き取ってくれるつもりだったのではないか、と気がついたとき、ロイは狼狽えた。
 カーターは尊敬する上官として、ロイが一目置いていた人物だが、私的な交流がさほどあったわけではない。
 それこそ、弱気になりかけたロイを強引なまでに支えようとしてくれたというのが意外なほどで、それはあくまでも職場での関わりの中だと思っていたのだ。
 それなのに、これから先、正気に戻るかどうかも分からなかった自分を引き取ろうとしてくれた。
 リュウタロウとの会話の中で、彼が僅かに口を滑らせた言葉の中から、ロイはジムが仕事を辞めてロイの世話をし、カーターがそれを養うつもりだったのではないかと結論づけた。
 そして、ロイはその時、幼い頃からかわいがってくれたバーク夫妻よりもジムとカーターのそばにいることえを望んでいたことも分かっていた。
 絶えず優しく接してくれたジムが好きで、離れたくないと単純に思い、その傍らでデインもまたそのときのロイには離れがたいと思わせた人物だったのだ。
 なぜなんだろう、とロイは考え続けていた。
 カーターの、その生涯を棒に振りかねない決意と自分が抱いていた感情の意味を、いつか知りたいとすら思い続けていた。
 それを今、この近しく生活する中で探ることができはしないかとロイはどこかで考えていたのかもしれない。

 ワシントンDCからの帰り、父との思い出の浜でカーターを偶然見かけたときは、目を疑った。来たときと同じように飛行機で戻るつもりだったが、たまたま車で帰るというヘイズ大尉に呼び止められ、よかったらご一緒にと誘われた。
「一度あなたとゆっくりお話がしてみたかったんです。……僕は海軍に入ったときからあなたに憧れていたんで」
 子供っぽい笑みを湛えたまだ若いヘイズの真摯な瞳にほだされ、実は特殊部隊の学校へ入学しようと申請を出したと聞いて、ロイは頷いた。
 前日の会議のあと、お偉方の酒宴の末席に身を置き、彼らの青春の頃の話などを遅くまで聞かされていたせいで、朝から頭痛がしてもいたが、車に乗っている長い時間、ヘイズの話を聞いてやった。
 その会話もあらかた終わって、途中で飲んだ頭痛薬のせいか眠くなりかけたときに懐かしい浜で自分の車が停車しているのを見た。
 カーターは単純に偶然を歓び、「一緒に帰らないか」といわれて断ることはできなかった。
 この浜に彼の姿を見た途端、冷たい水に入って彼らに命を救われたことが、夢ではなかったのだ、とその瞬間にロイは確信したのだ。
 その記憶の波が、打ち寄せる海岸の音に混じってロイを圧倒した。ものもいえず、ロイは砂浜に座り込んだまま考え込んでいた。カーターはそんなロイにあまり語りかけもしない。
 暇を持てあましたような、長閑な姿でカーターがうとうとし始めた。
 居眠りをしているカーターを置いて、ロイはぶらぶらと波打ち際を歩いた。
 眠っていては寒かろうと上着をカーターにかけてやったために、薄いシャツに直接当たる風が染みいるほど身体を冷やしそうだったからだ。
 ひとり歩くロイの頭の中にはあの日の記憶が、数珠のようにつながってたぐり寄せられることに圧倒されてもいた。
 早く帰らないと、ジムが首を長くして待ってくれているだろう、と思いながらもカーターを起こして急がせることなどできなかった。

 波のリズムに誘われたのか、カーターはうとうととまどろんだらしい、と気づいて目を開けた。 
 さっきのロイと同じように自分の膝に顔を埋めていたらしい。不自然に曲げた首筋が痛かった。風がさっきよりもうんと冷たくなっていた。
 隣にロイはいなかった。
 なんだ、あいつが来たのは夢だったのかとあたりを見回す。
「そろそろ、起こさないと風邪をひくと思っていたところです。だいぶ冷えてきた」
 ロイが波打ち際から歩いてきた。白いワイシャツ姿なのを見て、やっと自分の肩にかけられていた制服の上着に気づいた。
「すまん。どれくらい眠っていた?」
「三十分程度……です」
「そうか。そんなものか。こんなところで眠るなんてな」
 お疲れなんでしょう、というロイに制服を差し出すと、触れた手がひどく冷たくなっているのに驚かされた。
「私に上着を貸したから、寒かったんだろう? 起こしてくれたらよかったのに」
「波打ち際を散歩していたので、寒くはありません」
 道路脇に止めた車に戻ると、運転席側にふたりともが立ち、カーターとロイは顔を見合わせて笑った。どちらも自分が運転する気だと、妙にそれがおかしかった。
「運転は俺が」
「ああ、頼む」
 助手席に回って車に乗り込む。
「雲行きが怪しくなってきました。急ぎましょう」










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後日憚―哀しみの追憶―

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おもちゃ屋探検

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僕が彼を憎んだわけ

ロイとジムの映画評