[不穏な空気]of [金の砂銀の砂]

kingin2_title.jpg

不穏な空気

 その日は、カーターは日帰りでワシントンのCIA本部まで出向き、いつもよりも帰りが遅くなってしまった。夕食は、DCのショップで出来合いを買ってきたので、まっすぐに家路を急ぐ。
 駐車場には、見慣れない車が駐まっていた。濃紺の、ありふれたセダンだ。
 誰だろう、と思いながら玄関に向かう。
 ベランダ側のドアから入ると、強い風に煽られて、激しい音をして閉じられることが多くなっていたからだ。
 チャイムを鳴らさず、鍵を開けて入っていくと、リビングの付近まで来たときに話し声が聞こえてきた。
 ロイが、「そんなことをいいに来たのか?」と、抑揚のない声で話している。
「そうです。あなたのせいで、彼らは間違った見解を持つようになってしまっている」
 バリトンの、通りのいい声は聞いたことがある。
 ドナルド・コネリー大尉ではないか、と記憶と照らし合わせながら、会話の内容に足が止まった。
「あなたは、ヒーローのつもりだったかもしれないが、チームを放って救出に乗り込んだ。助けられる見込みは、かなり低かったと聞いていますが、コムスキーまで道連れにして」
「別に、スタンドプレイをしたかったわけじゃない。それに、俺なりに救出する目処は立てていたつもりだ」
「おひとりで、なにができるというんだ。結果的にコムスキーが行かなければ、捕虜になったホイットモア共々死んでいたはずだ。我々は訓練を受け、軍に成果を持って帰る義務がある。一端、帰還してから再度救出に向かうべきだったと思いますが」
 少し間があった。やがて、ロイの冷えたような声が聞こえた。
「俺が間違っていたというなら、そうかもしれない。だが、俺は次も同じようなことが起きれば、同じことをする」
 嘲笑うような、コネリーのわざとらしい声が耳に触る。
「いずれにしても、あなたのせいで、俺に対しての隊員たちの態度はひどいものだ。俺のやり方は違う、といっただけで大騒ぎだ。俺を殴りつけたコムスキーとゲーリーは、しばらく謹慎になるはずだ」
 そんな騒ぎが起こったことは、まだカーターの耳には届いていない。おそらくバークも知らないことなのだろう。
「コネリー大尉……そのことを上に報告するつもりか?」
「当然でしょう? 査問会にかけ、是非を問うつもりだ。上官への暴力は重罪だ。とにかく、今後我がチームに手出しはしないでくれ。あなたにはあなたのチームがあるんだ。今回は仕方がなかったとはいえ……」
 カーターがリビングに顔を出すと、コネリーはいいかけた言葉を止めた。
「怪我人を相手に、わざわざ出向いて代理の礼をいいに来たのか? 大尉」
「見舞いに伺っただけです。――あなたはここにお住まいなのですか?」
「家はちゃんとある。今だけ面倒を見ているだけだ」
 へえ、とコネリーは思わず殴りつけたくなるような、下卑た笑いを浮かべた。

 ではこれで、と踵を返し、コネリーはカーターの横をすり抜けるように廊下へ向かった。
 ロイは黙って自分の腕が吊られたギプスを眺めている。
 隊員たちが、さんざん落書きしてまだらに見えるそこには、たくさんのメッセージが記されている。
「同棲とは、問題だな」
 聞こえないほどの声で、捨て台詞を吐かれ、カーターは思わず振り向いた。
「デイン」
 ロイが穏やかな顔で抑えた。
 ばたん、とドアの閉まる音がして、間もなく車のエンジンがかかって遠ざかっていった。
「……ロイ」
「なにをいっても無駄です。彼は、ますます意固地になっているようだ」
 確かにな、とカーターは呟いて手に持っていた袋をリビングのテーブルに置いた。
「大丈夫か? 少し聞こえてしまったが」
「サンドイッチ?」
 答える代わりに、ロイが袋に手を伸ばして中を改めている。
「DCで人気のサンドイッチだからな。おみやげに、というより遅くなったから手早く食べられる方がいいかと思って」
「珈琲を淹れています」
「そんなことまでしてくれたのか。ああ、コネリーのために?」
 まさか、とロイは笑い声をたてた。
「俺はそこまでお人好しじゃありませんよ」
 カーターはキッチンまで行き、たっぷりと淹れられた珈琲のポットとカップを持ってリビングに引き返した。
「……俺の判断は間違っていたと思いますか?」
 さあな、と袋から出したサンドイッチの包みを開け、ロイに手渡しながらカーターは首を振った。
「極限状態に置かれたとき、自分がどう判断するかは平時には分からない。けど、君のおかげでホイットモアは肋骨の骨折だけですんだのは確かだ。数日たっていたら、間違いなくあちこちが欠けた、悲惨な状態の遺体になっていたはずだ」
 ロイは深いため息をついた。
「……あの時も……あなたが来てくれなかったら、俺もジムも死んでいた」
 カーターは黙った。
 そう。
 ひとりででも居残って救出する、というカーターの願いを上層部は最初許してはくれなかった。
 だが、許可が出なければ辞めることを覚悟で――辞める前に罪に問われるのは間違いないが――救出するとあの時は思い詰めていた。そうできなければ、ロイは男たちの暴力と、屈辱的な行いによって、死んでいただろう。
 病院到着が、あと5分遅れていただけで危なかったと当時リュウタロウはいったのだ。

 何が正しくて、何が間違いだなどと誰にいえるだろう。
 今回、ホイットモアの救出を許可したバークは、危うく処罰の対象になりかけたらしい。大っぴらな騒ぎにはならなかったのは確かだが、結果的に吉と出ても、あの時点でバーク自身が上層部と一悶着あったのだろう。
「あのチームは、まだまだ揉めそうだな」
 ため息をつきながらいうと、ロイも手に持ったサンドイッチを見つめたまま頷いた。
「考え込むなよ。君は正しいと判断したことを実行したんだ」
 分かっています、とロイは答え、気にしてはいないということを証明するかのように、サンドイッチを食べ始めた。
 カーターはむしろ、コネリーが帰りしなに「同棲とは問題だな」と、呟いたことの方が気になっていた。
 まだ住んではいないとはいえ、家をとりあえずでも借りたことは正解だった。軍への書類の書き換えも、すでにすませてある。
 友人が、怪我をした友人を労るために泊まり込んでいたからといって、問題はない。
 そうか――と、カーターはジムの顔を思い浮かべた。
 だからあいつは、一歩も二歩も引いたスタンスをとっているのだ。
 大切に想っている人が、誰からもそしられたり後ろ指を指されたりしないよう――
 

 ロイにはああいっていたが、結局コネリーは査問会に部下たちを訴えるのをやめたようだった。なにも問題は持ち上がってこなかったし、バークも何かを知っているようには見えなかった。
 彼は彼なりに、自分がかつての任務でとった行動が絶対に間違っていない、という確信を持っているわけではないのかもしれない。
 ホイットモアや、ゲーリー、コムスキーを始め、コネリーチームのロイへの心酔の仕方を垣間見るたび、コネリーが歯がみしたくなる気持ちも分からないではない。
 だが、自分の信念――かどうかは知らないが、考えを変えようとしないコネリーがカーターは忌々しくもあった。
 
 すでに冬に入ったというのに、そんな気配を吹き飛ばすような晴れた日が続いていた。
 退院してから数日たち、日曜の午前中、窓から海を眺めていたロイは外へ出たがった。
 家の周りには、離れた距離を保って人家が建ち、夏しか使わない別荘も多い。
 あまり人がいない敷地はどこからが公共地なのかも不明なほど広々としている。すぐ下に見える砂浜は、冬なお美しい佇まいを見せている。
 外は滑らかな家の床とは違う。
 あちこちに草が生えているし、砂地がそのまま出ているところもある。
 ロイは、カーターが車いすを押すことに文句は言わなかった。
 それくらい許して欲しい、とカーターはロイに防寒用の毛布を掛けてやり、いっぱしの介護士気分でのんびりと、けれども多少わくわくしながら、外を散策した。

 日曜だけは介護士も休みを取るので、カーターはやっとロイの背中を拭いてやったり――残りは自分ですると言い張る――ディエゴが普段するはずのことをしてやれることに、満足感すら得ていた。
 近所の退役軍人夫妻と顔を合わせると、ロイは行儀良く挨拶を交わしている。怪我をしたらしいと聞いて、わざわざ見舞いにくるところだったらしい。
 ご婦人のほうがガーベラの花束を渡してくれ、ロイは微笑んで礼をいった。
 この界隈は軍関係者が多く、老婦人が立ち去ると、入れ替わるように三十代くらいの女性が現れた。
「まあ、普段のハンサムさんが台無しね」
 彼女は、見るなり胸に手を当てて大袈裟に眉を顰めた。ロイは、ご覧の通りです、と首から吊っているギプスをあげて見せた。
 そういう人たちと話をするロイは決して寡黙だったり、刃のような眼差しを向けたりすることなく、ごく普通の独身男性に見える。
 近所づきあいなどしないタイプかと思っていたが、案外愛されてもいるらしい。
 そういう光景は、新たに発見した部分として、カーターは彼らのやりとりを車いすの後ろからおもしろがって眺めていた。女性に対しては、ことさらに紳士なのだ。
「最近、このあたりに不審な男が彷徨いているって、噂があるの」
 夫が長い航海に出ていることで、ひとり暮らしを余儀なくされているジーナという女性が、焼きたてのパイを渡しながらいった。
「それは物騒ですね」
「そうなのよ。でも、あなたがこうして家にいるなら、なにかあったときは駆け込むわ」
「今はこんなふうなので。お役にたてるかどうかは不明ですが、そのときは遠慮なくどうぞ」
 カーターが泊まり込んでいるとまでは思っていないのだろう。
 夫人はそうね、と心細そうな顔をしながらも微笑んだ。

 基地に連絡をしてきたのは、そのご近所の夫人だった。
 午後からの、無意味とも思える長いミーティングがちょうど終わりかけたとき、急用だと取り次がれたカーターは進行役に合図して事務室へ向かった。
「あの、カーター少佐。ジーナです。フォード少佐のお隣の」
「ああ、オルソン中佐の……。どうしたんです?」
 気のせいかもしれないんですが、と躊躇いながらも彼女は続けた。
「ちょうど昼間お散歩をしていたとき、ロイの家の近くを歩いていたんです。そしたら中から、大きなものが壊れる音がして……そのあとロイが青い顔で窓から顔を出して……あの、様子を見てあげてください。おねがい…いますぐ……」
 本人の方が怯えているように、震える声でいうジーナのようすに、カーターは不安になった。時間は三時過ぎで、ディエゴ介護士はすでに帰ったあとになる。
「なにか見たんですか?」
「い、いえ。なにも。なにも見てはいません。それじゃ私、出かけますので」
「ありがとう。確かめてみます」
 ミーティングは終了して、すでに解散になったようで、カーターは同僚に早退する旨を告げて、基地を出た。
 ここから走って二、三十分程度とはいえ、気が焦る。あのご婦人の気のせいならいいのだが、と思いつつ不安ばかりが沸き上がるのをカーターは止められなかった。
 誰か来ていた、というのが引っかかっていた。
 ビーチハウスの駐車場には、何も車は駐まっておらず、誰かが来たとしてもすでにいないようだ。
 カーターはそろりとガラス窓の並ぶベランダ側から中を覗いてみた。
 ロイは、ソファに横になって眠っているようだった。
 なんだ、と拍子抜けしつつ、珍しく昼間から鍵がかかっているガラスのドアを、玄関と同じ鍵で開けた。そのとき、じゃり、と何かを踏んだ。
 靴を裏返してみると、ガラスの破片らしく、拭われ損ねたらしい水が、微かに隅の方に丸い輪を描いていた。それどころか、堅いはずの素材の床板がへこんでもいる。
 はっと身を起こして、ロイがきつい眼差しを向ける。
「私だ」
「……デイン?」
「なにかあったんじゃないのか? すごい物音がしたと、ご近所から電話があった。そこのドアのところでガラスを踏んだぞ」
 ああ、とロイは表情のない顔でグラスを落としたんです、といった。
 そんな程度で、ご近所の夫人が驚いて電話をかけてくるものだろうか、となんとなく辺りを見回し、テーブルの隅に今朝、カーター自身が飾った、もらい物の花がないことに気づいた。もちろん、細めの切り子細工の花瓶も一緒に。
「ロイ、花瓶は?」
「すみません、割ってしまって」
「割ったのはグラスじゃなくて、花瓶か? あんなところでなんで……」
 いいかけて改めてロイを見直す。
 さっき気配に飛び起きた割には、ぼうっとしたものいいであり、どことなく違和感のある顔をしている気がした。

 なんとなく腑に落ちないものの、とりあえず何もないようすに、カーターはほっとして椅子に座った。
 ロイは、またクッションに頭を埋め、うつらうつらし始めている。昼間はいつもこうなのか、それとも何か薬の影響なのか、とカーターは訝しんだ。
 キッチンへ行って飲み物を出しかけ、ゴミ箱に花と割れた花瓶が突っ込んであるのが見えた。
 割れ物と生ゴミをいっしょくたに捨てているとは、日頃の彼からは想像できない。ずいぶん荒っぽいな、と思ったが、割った床を掃除するだけでもひと仕事だったに違いないことを思えば、ここで力尽きたのかもしれない。
 また、何かを踏んだためにひしゃげたような音がした。まだガラスがあるのか、と足を上げると白い錠剤が粉になって落ちていた。
 そのまま、目を上げたテーブルの上に、見慣れない薬の小瓶が置いてあるのが目についた。
 どうやら、リュウタロウ医師が処方した、精神安定剤の一種らしい。
 日付は、ほんの最近のもので、おそらく病院生活に眠れない症状のために与えられたものだろう。ただ、ほとんど中身は減ってはおらず、使っていなかったように思える。
 それを今日、飲んだのだ。

 ――なぜ?
 夜まで眠り続けたロイは、目覚めてから「いつ戻られたんですか」と微笑んで見せた。夕方に飛んで戻ったときは半分寝ていて、記憶にないのだろう。
 もう一度、花瓶のことを聞いてみたものの、案の定ロイは「間違って落としたんです」というばかりで、なぜあんなベランダのドア付近までそれを持って行ったかはいわないし、誰かが訪れたことも認めようとしない。
 具合が悪くなって、薬を飲んで寝ていただけだとロイはいった。
 なぜ、隠すのだろうとカーターは取り澄ましたような顔をして、ソファに横たわっている姿を眺めた。
 なにもないふりは、ロイの十八番だったと思い出す。
 この男は嘘をついている――気がする、とカーターは眉を顰めた。

 本人がいいたくないものを探るのはどうかと思いはしたが、カーターは電話をかけてきたジーナ・オルソンを訪ねた。もう一度詳細を聞こうと思ったのだが、彼女の家は留守だった。
「ジーナは実家に帰りましたよ」
 いつもの老夫婦がのんびりと通りかかり、カーターに声をかけてきた。
「なんだか急用ができたとか。今夜は一緒に夕食でもといっていたんですが」
 結局、どう判断もできない。
 またコネリーが難癖でもつけにきたか、とちらっと疑ったが、そこまでロイにかまうとも思えなかった。
 結局、ロイがなにもいわないのだからどうしようもない。
 ロイは、夕飯づくりを手伝うといって、機嫌良くキッチンでボールに入れたポテトを潰したり、ソースのレシピをカーターに教えたりした。
 食事を終えてのんびり過ごしているとき、今朝来られなかったらしいリュウタロウがやってきた。
 彼はゆったりと会話をしているが、傷の具合だけでなく、ロイの精神状態までも把握するかのように、どことなくカウンセリングを思わせる口ぶりだ。
 なんとなくそばで見てはいたものの、手持ち無沙汰ではある。
 割って入って会話に加わるという雰囲気ではない。携帯が鳴ったので、ベランダへと出た。
「久しぶりだな」という、バークの苦み走った声がした。

「それで、男の影はほんとうに見間違いだったんですか?」
 リュウタロウがいった。
 ロイは頷き、確かですと答えた。
「病院では確かに見たと思ったんですが、今日その硝子の前にいたと思ったのは、本当に勘違いみたいでした。すぐ外に出てみたけど、オルソン夫人がいて、誰もいなかったといいました。だから病院で見たものも確信がありません。そんな幻を相手に、俺は花瓶まで投げてしまった……」
 真っ昼間だというのに、影が射した気がして硝子窓を見ると、にやにやと薄笑いを浮かべた蛇のような目が見えた。
 思わず手元にあった花瓶を掴んで、「あっちへ行け!」と叫んでそれを投げつけた。花瓶が激しい音をさせて割れ、いたはずの男の姿はもうどこにもなかった。
 急いで車椅子を移動させてドアを開け、硝子のドアを開けるとびっくりしたようなオルソン夫人が駐車場の付近に立ってるのが見えた。
「今、誰か見ませんでしたか?」と問いかけたが、彼女は血相の変わっているロイを見て、怯えたように首を振った。
 彼女を怖がらせるような態度をとってしまったらしい、と謝ってから、ロイは窓を閉めた。自分の見間違い、いや幻覚だと思うと頭痛がしはじめ、激しい落ち込みに襲われた。

 今、こうしていても、見間違いだとはとうてい思えないほど、その姿は脳裏に残っている。
「ロイ。いつかショッピングセンターでペイジを見たというのは、どうです?」
 その名前に、ロイはぎくりとしたように身を固くした。
「似ていました。でも確証はありません。遠目だったので。そのときは間違いないと思ったけど、あいつがこんなところにいるとも思えない」
「彼は今どうしているんでしょうね」
「なにか、質の良くない仕事に手を染めているらしいという噂は聞きましたが……一度ベガスで豪勢に遊んでいるところを見た者がいるとか、どうとかいう話でしたが」
「その影のような男とは、ペイジのことなのでしょう?」
 ロイは俯いて肩を弾ませた。
「ドク。俺はまた、おかしくなりかけているんでしょうか?」
「誰だって、身体を痛めれば気弱にはなります。あまり気にしない方が……」
「……すっかり忘れかけてすらいたのに。ショッピングセンターで見かけたときは、まだ負傷前でした。それなのに……」
 リュウタロウは気にしないでいなさい、と優しい声でいった。
「もしまた、そういう幻を見たらすぐに電話をなさい。今のところ悪夢があるわけでもなく、以前のように発作があるわけでもないんです。考えすぎてはだめです」
 分かりました、とロイは頷いた。
 だが、今日のことはショックだった。
 自分の精神は、いったいどうなってしまったんだろうと思うと、たまらなかった。
 すべてが幻覚ならば、自分はもうまともではない。
 それが恐ろしくもあり、情けなくもあった。
「ドク、このことはハルトマン医師には……」
「いわないよ、大丈夫だ。そのかわり私にはちゃんとなんでも話してください」
 そう約束させるリュウタロウ医師の顔もまた、ロイは見ることができなかった。

 バークは今、ひどく忙しいらしい。
 とにかく出張が続いているらしく、ロイの見舞いさえ、家に戻ってからは一度、それも五分程度しか顔を出していない。
 今戻ったところだと家に呼ばれたのを幸いに、カーターはふたりに断って車に乗り込んだ。
 バークの家は、瀟洒な作りの大きなものだ。
 基地からほど近い、静かな高級住宅街にある。すでに引退した提督の住まいだったものを買い取ったという。
 夫人のサマンサはどこかへ出かけているらしく、綺麗に調度品が並べられた居間に通され、バーク自らが紅茶を淹れてくれた。
「インスタントだ。すまんな」
「いいえ。お疲れみたいですね」
 やっぱりインスタントはまずいな、と顔をしかめながら、バークが顔を向けた。
「ところで、ロイの具合はどうだ? 顔を見に行きたいが、慌ただしくてな」
「順調なんですが……」
 カーターはついさっきの、近所の夫人から連絡を受けてからの話をした。
 バークはロイの親代わりでもあり、直属の上官でもあるのだ。
「まあ、疲れただけなんだろう。一日家に閉じこもっていれば、かんしゃくのひとつも起こしたくはなるだろう。あれは自分を抑えすぎるところがあるから」
「出て行け!」と叫んだらしいことをいうべきかどうか、カーターは逡巡した。
 だが、リュウタロウもいることを思えば、仕事で頭がいっぱいらしいバークを煩わせることもあるまい、と思い直した。
「すまんが、ロイを頼む。私は今、本当に忙しくて、また夜には出かけねばならん。サマンサの顔を見にちょっと戻ったんだが、出かけてるようでな。今度婦人会でバザーをやるとかいって、なんだかばたばたしている」
 彼の夫人であるサマンサは、昼間ちょくちょくロイの見舞いをしてくれているらしいが、おみやげの菓子やキッシュなどを見ることはあっても、まだカーターは顔を合わせてはいないままだ。
 そんな合間に自分を呼んだ理由は? と顔に書いてでもあったのか、バークは少し唇を舐めてため息をついた。
「君はペンタゴンへ異動になるかもしれん。前回の出張での仕事ぶりが認められた」
 そうですか、とカーターは紅茶をすすった。
 砂糖を入れないままのそれは、まだ薄い色だというのにひどく苦かった。
「チームはどうなんです?」
 ううむ、と文字にできるようなバークのうなり声がした。

「なんとかコネリー隊長のまま現状維持でと思っていたが、どうも落ち着かないようだな。だが、それは近いうちに上層部が結論を出すだろう。いれにしてもこの問題は君とは離れる。あいつらに煩わされる必要はないといいたかったんだ」
 そうですね、とカーターは紅茶を飲み干し、わざわざ呼んでくれたことへの礼を述べた。
「デイン」
 珍しく、ファーストネームを呼ばれて、玄関のドアを開けかけて振り返った。
「君の喪中は、まだ続いているのか?」
 いいえ、とカーターは答えた。
「なんだかいろいろと慌ただしくて。哀しみに浸る暇もないというのが正直なところです。早く戻りすぎたのかもしれませんが、これでよかったような気もします」
 うん、とバークは頷き、もし休暇を改めて取りたかったらとってもいいぞといった。
「本当に異動になったら、しばらくは休めん。まあ、今、それをとっても結局ロイの相手をすることになるだけかもしれないが。なんだったら、その介護士という男に泊まり込んでもらって、君は君の休暇を愉しむのもいいかもしれない」
 ほんの今さっきロイを頼むといったくせに、カーターが喪中だということを思い出しての言葉らしいと、素直に礼をいった。
 だが、コネリーのチームがまだ揉めているらしいのに、異動を前提に休暇をとってもいいというのはちょっとつらい気がした。
 本当に、もう自分はチームに必要だと考えられてはいない証拠だと、肩から力が抜けた気がした。

 バークの家を辞去して、ついでに明日の分の買い物をするためにスーパーに寄り、カーターはしばらく海岸線を走り回った。
 おそらくしけた顔をしているだろう自分を、ロイに見せたくはなかったのだ。
 あるいは、これからチャンスを与えられればもう一度、あのチームを受け持ちたい、そして彼らはそれを喜んでくれるに違いないと、なんとなく信じ込んでいた自分が恥ずかしくて、たまらなかった。
 ワシントンDCへ異動になるなら、早くそうしたいという気持ちにすらなっていた。ロイの面倒を見るという大義名分を得た気分でいたが、それも思ったほどの手はとらない。ここに居座っている理由すら、もうないような気がした。
 フロントグラスの窓に、該当に照らされた低い建物と緑の光景が続く。

 月に光る、見はるかす海――
 私の街だと愛していたときもあった。眩いばかりのフロリダの海とは違い、鉛色の空を映す、こんな冬の気配を漂わせた海も嫌いではない。
 けれども、もうここは私を受け入れてはくれないのかもしれない――カーターは道路際に車を止めた。
 身体の向きを変え。正面から大西洋に目を走らせる。
 遠くに見える、駆逐艦の影ですら、見慣れたものだ。
 暗い空を帰りそびれたカラスが一羽、飛んでいく。
 カーターはひどく、寂しかった。






硝子の破片

哀しみの追憶

後日憚―哀しみの追憶―

観客

おもちゃ屋探検

おもちゃ談議

キャンディーバー

Pは××のP

金の砂銀の砂第一部

金の砂銀の砂第二部

金の砂銀の砂第三部

僕が彼を憎んだわけ

ロイとジムの映画評