[AUDIENCE三章] of [観客]


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AUDIENCE 3章 

 愛の交換をはじめようとするたび、蒼白になって眉間に皺をよせ、項垂れてシーツに倒れ込むロイの姿に、シンシアは何がどうなっているのか、説明をしてほしいと何度もたのんだ。
 だが、謝るばかりで肝心なことを何も話そうとしないばかりか、しつこく詰め寄ると、ロイはリビングへと行ってしまった。
 戻ってこない夫の様子を覗きに行くと、毛布をかけ、ソファに寝ている姿が目に入った。シンシアは思わずこみ上げる涙を堪えることもせず、寝室で泣いた。
 以来、ロイは彼女とベッドを共にしようとしなくなった。最初からソファに毛布を持って行く姿は、彼女を絶望させるのに十分だった。
 
 彼はセックスができないのでは? と、シンシアが考えたのは当然だった。ただ単にできないのか、それとも自分が相手だからできないのか? 
 それは大きな問題だった。
 それまで普通に会話をし、一緒に食事をしてビデオを愉しんで、ベッドに二人ではいろうという時になると、だんだん表情が沈んでくるのがシンシアにもはっきりと分かった。
「私になにか、いけないところがあるの?」
 あまりのことに、シンシアは涙声で詰問した。
「……仕事で…、ちょっとつらいことがあったんだ。少し…、待っててくれないか? すまない、シンシア。君を愛している。君のせいじゃないんだ」
 
 ロイはそう言って、ソファに毛布を持って行って眠った。
 ノーフォークにいても、帰ってこない日が何日もあった。
 基地に泊まり込んでいる、というロイに逆にこちらから電話をかけて確認することまでした。どこまでが仕事で、どこまでが自分を避けての逃避なのか、とシンシアは疑っていたのだ。あるいは、どこか別の女性の家に行っているのかと。
 その行為はシンシアを惨めにした。
 これまで味わったことのない屈辱に、電話をかけたあとは激しい自己嫌悪に襲われた。
 こんな馬鹿なことがあるだろうか? セックスさえなければ、優しく穏やかなロイでいてくれることが、余計にシンシアの不信感を募らせた。
 
 事務所で上の空になっているシンシアに、ボスのパトリシアが不審気な声をかけた。
 レストランで食事をしながら、シンシアは夫とのことを正直に打ち明けた。
「…結婚してもっと時間がたっているならともかく…、それはおかしいわね」
 パトリシアが言った。
「いろいろ可能性はあるわね。彼の躰が本当に不調なのか、他に女性がいるのか、…彼が例えばゲイだとか。セックスができないって事が問題なら、それがもっとも理解しやすいわね」
「…ゲイ…ですって?」シンシアは青ざめた。「そんな…、だったら結婚なんてする必要ないじゃない!」
「馬鹿ね、世間体をごまかすためってことだってあるでしょう? あれだけ綺麗な男だもの。可能性としては一番かも」
 パトリシアの指摘に、シンシアの脳裏にジム・ホーナーの姿が浮かんだ。
 毎朝、夫を迎えに来る男。寄り添うように彼のそばにいつもついている男…。あの躰なら、ロイを押さえ込むくらい容易だろう。だったら、大切な王子様のような夫は彼に抱かれているのか、と思うと想像しただけで粟が立った。
「まさか…」
 シンシアは首を振った。

 その後も、度重なる口げんかに、シンシアは自分が嫌になっていった。
 たまにしか戻ってこないのに、待ちかまえたようにシンシアは、自分を抱けないのはどういうことだとロイに詰め寄った。
 もっとも、怒りに震えて怒鳴っているのはシンシアだけで、ロイは黙って話を聞き、謝るばかりだ。
ベッドを抜け出し、今日もリビングで寝るのかと思うと、体中の血が逆流した。
「このままでいいと思ってるの?」
 シンシアはソファの上で眠る体勢に入っているロイの毛布を剥ぎ、その前に立ち、きつい表情で詰め寄った。
 明日も早い時間に出掛けるのを承知で、譲る気はなかった。いる時に話さなければ、いつ会話ができるのか分からない。
「私を抱くのが嫌なら、そう言って!」
「…シンシア。君のせいじゃなく、俺の体調が悪いのは…」
 だが、ロイはそのまま口を閉ざし、俯いた。
「ねえ、私たち夫婦になったの。話せないことがあるならそれでいい。でもセックスのときだけなのよ、あなたがおかしくなるの。そんなの、どう考えたって、仕事のストレスとは思えない。他に理由があるんでしょう?」
 シンシアがロイの肩に抱きつくと、ロイはじっとしていたが、やがてそっと口づけをした。
 シンシアはそれに応えながら、ロイの背中に手を回した。ロイの手がシンシアの豊かな胸に触れた。だが、そのままその手が止まり、やんわりとではあるが、引き剥がすように躰を離した。
 ロイの躰に冷や汗が流れているのが分かる。このまま続ければ、またトイレに駆け込むのは目に見えていた。
「…私が嫌いなのね? 触られるのが嫌なのね?」
 シンシアの声が震えだした。
「そうじゃない」ロイが言ったが、シンシアは彼の頬を打ち、家を飛び出した。
 
 あとを追ってロイが出てきた。
 シンシアは砂浜へ続く階段を下り、砂に足をとられそうになりながら、海へ走った。
「シンシア!」
 殺したいと、一瞬思った自分が怖かった。
 これほどまでに拒否される理由が分からない。ロイが何を考えているのかが分からないのが許せない。
 波間に入り、シンシアは沖へ向かって進んだ。荒い波が足下を危うくする。
 ロイが走り込んでくるのが目の端に映った。
 死にたいわけではない。ロイがあとを追ってくるのが見えたからの行動だった。
 少し懲らしめて、自分が妻をいかに困らせているかを思い知ればいいと、投げやりな気分になっていた。死にたいほどに、屈辱を感じさせているのだと。
 いくらも進んでいないのに、いきなり、足下から砂の感触がなくなった。
 ボートから落ちたときと同じように、ロイがシンシアを抱き上げて海を歩いているのに気がついたが、もうあの時のような感慨はなかった。
 抱かれた躰に触れる肩や胸の厚みが愛しかった。
 自分のものだと信じていたのに。なのに、この躰は自分を嫌っている。そう思うと涙が溢れた。
「嫌いならほっといてくれればいいじゃない」とシンシアは言ったが、ロイは黙ったまま家まで歩いた。
 不機嫌そうな険しい表情に、馬鹿なことをしでかした妻への怒りが微かに見え、シンシアはその肩に顔を埋めて泣き続けた。

 暖炉の前に、シンシアはじっと座っていた。ロイが暖炉に火を入れている。
「…ロイ」というと、振り向いてシンシアをじっと見詰めた。
「シンシア。…君が嫌いなんじゃない。明日、医師に診てもらう。多分病気なんだ、君のいうとおり。だから二度とこんなことはしないでほしい」
 シンシアはじっとロイを見ていた。
「だったらなぜ今、抱きしめてキスしてくれないの? なぜ私たちの間にこんなに距離があるの? 私が嫌いじゃないなら、今から二人でベッドに行きましょう」
 そう言うと、ロイは目を反らした。
 シンシアはうっすらと微笑んでさえいた。頭が冴えて、眠れない。海水に濡れたままだというのに、シャワーに行く気もしない。
  睨み合いで一歩も動けない動物のように、シンシアもロイも暖炉の前に座ったまま、動かなかった。
「仕事を辞める気はないの?」
 穏やかな声で、シンシアがさりげなく言った言葉に、ロイは暖炉から目を離さずに言った。
「…シンシア」
「夫婦生活もできなくなるほど、ストレスのある仕事なんて、おかしいでしょう? あなたは仕事のために生きてるわけじゃないのよ」
「…もう、やめてくれないか。俺が悪いのは承知しているし、ドクターに相談もするから。君を愛している。でも、俺も今、自分がどうしようもないんだ」
「あなたなら、他にいい仕事があるはずよ。今より楽に生きていける仕事が。私は子どもだって欲しい。子どものためにも、あなたはもっと夫であることを自覚しなきゃいけないわ。なんのために結婚したの?」
 ロイは黙ってしまった。口でけんかして、シンシアに適うはずがない。口で勝負の仕事であるし、ロイはもともとが寡黙な方だ。そんな所が好きだったはずなのに、こういうときに押し黙られると、殴ってしまいたくなる衝動すら覚えた。
「あなただって、子どもは欲しいでしょう?」
 その言葉にため息をつくと、ロイは自分の膝に顔を埋めた。


 夜更かしが過ぎて、夕べ眠っていないというロイの顔色は酷かった。
 最近たまにこんな顔で現れることが、ジムを不安にさせていた。
 だが、口を出すのは控えていた。彼には妻がおり、ジムが余計な口出しをするわけにはいかなかった。
 結婚式のその日の夜に出動し、帰ったあと、翌日顔を見たときは、ジムはひとり赤面したほど、ロイは疲れ果てていた。
 いくら新婚だからといってもやりすぎじゃないか、と軽口を叩いたことを覚えているが、それから何度もこういう顔を見ているうちに、疑問を感じるようになっていた。
「大丈夫なのか?」
 と、それとなく聞いても、ロイは頷くばかりで、何ごとかが起きているような振る舞いは見せなかった。
 ただ、疲れている。
 それもげっそりとやつれていることすらある。
 それは以前のロイの姿を思い出させたが、ジムはそれを聞くことができずにいた。気力のみで、ロイはチームの連中にはいつもと変わらない顔を見せているが、無理をしているのは明白だった。
 そんなロイに気付いたのはジムばかりではなく、ビリー中尉がへらへらと笑いながら囁いた。
「毎日やりまくってんじゃないか? 精気全部奪い取られてんじゃん。よっぽどタフな女房なんだな」
 ビリーはなぜか、ロイに異常にかまうところのある男だ。事情で数ヶ月遅れてチームに入ってきた当初から、ターゲットを絞るようにロイにちょっかいを出しては喜んでいる。聞けば訓練校でも同期だったというが、好いているのか嫌っているのかよく分からない。
 おちゃらけてはいるが、仕事はできる男だ。その観察眼はさすがだった。
「…ならいいんだけどな」
 ジムは我知らず呟いていた。
 ……そんな他愛もないことならば。


「あまり、彼を追いつめちゃだめよ」
 パトリシアの忠告に、シンシアは俯いた。
「いい? 今は男女の差なんてない時代だけど、彼のような仕事をしていれば、ストレスは相当なものなのは予想はつくわ。任務で誰かを死なせたとか、敵を殺しちゃったとか、そういう可能性だってあるわけだし」
「そんな…。いったいどこでそんなことをしてるっていうの?」
「なに言ってるの? 何のために彼らが人知れず海底を忍んでいくと思ってるのよ? どこかにこっそり乗り込んでるに決まってるでしょ。でも、いくら仕事でも人を殺せばショックなはずよ」
 シンシアは身震いした。
 あんなに繊細そうなロイが、なぜそんな仕事をしているのか、分からない。知識として彼らの仕事を知ってはいても、実態がどんなふうに過酷なものかはシンシアには理解できないものだった。
 ビーチハウスに住み、豊かな社会に住んでいるのに、映画を見たり贅沢な食事をしている一般の人とは全く次元が違う世界に身を置いている夫が、まるで知らない人間のように思えた。
「でも、一緒にベッドに寝ることもないのよ。まるで私を抱くのが怖いみたい。それが任務のせいだっていうの?」
「可能性を潰してくしかないわ。女か、男の存在がないと分かれば、あなただって安心でしょ?なぜかは分からないけど、ストレスからセックスができないこともあるのかもしれないし。それならいずれ治るはずだし、我慢して治まるのを待っててあげるのも女の度量よ」
 パトリシアのウインクに、シンシアは素直に頷いた。






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