[AUDIENCE四章] of [観客]


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AUDIENCE 4章 

 ジムを夕食に招き、三人でワインを楽しみながら、ジムとロイの様子をシンシアは伺った。
 シンシアに気を使っていろいろな話をしては、自分の話に豪快に笑うジムは、シンシアから見れば粗野な男だが、好感が持てる。
 ロイも楽しそうに話を聞いていた。
 シンシアが久々に優しく、穏やかにしているのにほっとしているのかもしれなかった。
 この二人がゲイであるなどという雰囲気は微塵も感じなかった。
 仲のよい、普通の友人同士にしか見えない。シンシアがロイに軽くキスをしても、ジムは動じている様子は見せなかった。それどころか、安心しているような、この男独特の包み込むような笑顔さえ浮かべている。あてがはずれ、シンシアの頭の中は、今夜ロイがどうするだろうかという不安でいっぱいになってきた。
 
 もう帰るというジムを、シンシアが引き留めた。
 まだ帰って欲しくはなかった。
 もう少し様子が見たい。ロイに腹をたてたり、彼を責めたりする時間を少しでも伸ばしたくもあった。そんなつもりで毎日いるわけではないが、その時間になれば神経が苛立ってくる。空っぽのベッドを見るたびに、怒りがシンシアを急き立てるのだ。
 明日は彼らも休みだというし、夜は長い。
 ジムが10時から始まるテレビ映画を見たいというので、三人は映画を見ることにした。
 古い映画のようだが、戦争物で、兵士たちが悲惨な戦いを繰り広げている。
 シンシアはこういう映画はあまり好きではない。
 珈琲でもいれようかと席をたち、そのままキッチンの椅子に座り込んだ。
 ソファに座るロイと、躰二つほどを開けて床に座ってソファに背を預けているジム。
 キッチンから見える二人の気配は穏やかだ。
 やはりゲイの線は間違っている。見つめ合うでなく、密着するでなく、あれはただの友情の関係に見える。もっといかがわしくくっつきあっている男どもが、今の事務所にはいる。だとすれば、他に恋人がいるのかもしれない。仕事と偽って、そこへ行っていない確証はなかった。
 だが、女の存在は疑わしかった。
 相手が女なら、シンシアのことを、たとえ偽りでも抱くだろうと考えれば、やはりパトリシアの指摘は当たっている気がする。相手がジムでなくとも、シンシアの知らない男は山ほどいるのだ。
 だが、たとえゲイだとしても、それと発作の繋がりが見えてこない。
 シンシアは考えすぎて頭痛がしはじめた。
 こめかみに指をあてて揉み始めたとき、リビングでジムの大きな声が聞こえた。
 シンシアが驚いてリビングに行くと、ソファの座面にロイが蒼白になって蹲っていた。

「どうしたの?」
「急に、苦しそうになったんだ…」ジムもうろたえている。「映画を見ていて急にな」
 ロイは躰を起こし、唇に手をあてて項垂れた。
「…すまない、大丈夫だ。急にめまいがしただけだ。ちょっと失礼する…」
 バスルームに消えたロイを、ジムとシンシアは呆然と見ていた。
「…彼、病気なんじゃないの? このところ、しょっちゅうなのよ。でも大丈夫っていうばかりで…。ドクターに診て貰ってるとは言ってたけど…」
 シンシアの言葉に、ジムが唸った。
「…しょっちゅうだって?」
 テレビの中から悲痛な声が漏れた。柱に縛り付けられ、鞭打たれる囚われた兵士の悲惨な姿がアップになった。ジムはリモコンも持たずに、テレビを叩くように消すと、「様子を見てくる」と言って、バスルームに入っていった。


 映画の場面は、何と言うこともなかった。
 実際の拷問はもっと激しいものであることを、ロイは知っていた。
 あらゆる辱めを受けることもあれば、ひたすら躰を切り刻まれて、死んでしまうまで責められることだってある。特に海外に駐在している基地には、時折そういう被害を受けた兵士の遺体が戻ってくることがあった。
 戦争やテロのまっただ中にいる人間には、すでに常識や人の痛みなどは存在しない。
 彼らは、情報を聞き出すことが目的なのか、単に嬲り殺しにするのが目的なのか、それすらも分からないほど残忍だ。目的なく惨殺されていることだってある。
 逆に、同胞でさえ、戦地に赴くと、捕らえた敵の兵士達を動物以下に扱って問題になったことだって山ほどあった。
 さっきの映画は少し古いものであるから、描写事態が抑えてあった。こんなものを見ても、最近は特別に動揺もなく、平気でいられたのだ。
 しかし、……空気を切る音。皮膚を弾けさせる音……。
 主人公の苦しげな声を聞くうちに、ロイはまた自分の躰が腐臭を放ち始めることに気がついた。みるみる腐っていく腕や手の甲。震え出す躰。胃の中の暴れ狂う勢いに、蒼白になるのが分かる。
 隣に座っているジムの声がする。
「ロイ、どうした?」
 ロイはのたうち回りたい気分を押さえ込み、ソファから立ち上がろうとして蹲った。
 苦しい、助けてくれ、そう叫びたくなるのを堪え、ジムの腕を掴んだ。家の中にシンシアがいる、と自覚していなければ、そう叫んでいたかもしれない。その分、ジムを掴む腕に力が籠もり、ジムがそれを深刻に受け止めている気配が感じられた。
 心配そうなシンシアの声がする。
 起きあがれ、無様な姿をさらしてはいけない。
 ロイはそう思い、雲の上を踏むような気分で立ち上がり、バスルームに飛び込んだ。
 いっそのこと、本当に体の中のものをすべて吐きだして死ねたらいいのに、と思うほどの激痛が襲う。
 やがてジムがバスルームに入ってきた。


 ジムはあまりのすさまじいロイの苦しみ方に、一瞬言葉が詰まった。
 以前と同じような症状に、ジムは愕然とした。ここ一年ほどはほとんど発作も起きず、やつれ果てて基地に現れることもなくなっていたのに。
 背中をさすりながらジムが言った。
「どうした? 悪い物でも食べたか?」
 ジムの声は、そんなことを思ってはいないことを正直に表していた。わざと背中をさすっているのだ。
「ロイ、さっきの映画のせいか?」
「…ちがう…。ちょっと具合が悪いだけ…」
 また吐き気が込みあげたが、もはや出てくるものは何もない。激しいえずきだけが躰を苛み、ロイは便器にしがみついた。
 いったい何が起きているのか、ジムには理解できなかった。結婚するまでは落ち着きを見せていたのだ。これではシンシアが死ぬほど心配して当然だ。
「…さわ…るな。触れないで…くれ」
 ロイが苦しそうに言った。
 やはり例のやつだ、とジムは思った。
 ロイはこの状態の時、躰に触れられるのを酷く嫌がった。
「違わないだろう? 以前と同じ状態じゃないか」
「違う!」ロイは大声を出した。「いうな、ジム。彼女に聞こえる…」
 いいながら、片手がジムの二の腕を掴んだ。俯いた顔は前髪で見えなかったが、ジムを憎んででもいるかのように、その手に力が籠もる。
 やはりそうかと、ジムは納得した。だが、きっかけはなんだろう? 
 今日のは明らかにあの拷問シーンだとジムは思っていた。あの程度でここまで酷い状態に戻るとは思えなかったが、タイミング的には間違いない。
 だが、最近ちょくちょく起こるという、そのキーワードがジムにはわからなかった。
 掴まれている腕がぎりぎりと締め付けられる。
 何度も経験した事だった。
 痣が1週間も跡が消えないほど、その力はすさまじい苦痛を堪えているのが分かる。
 ジムはじっと見ているしかなかった。


 取り残されたシンシアは、自分もバスルームに入るべきじゃないかと思いながら、足が動かなかった。それでも中で何が起こっているのか、夫と彼の友人が何を話しているのかを知りたかった。
 ドアの前に立つと、中から口論しているような声が聞こえる。
 珍しいロイの怒鳴り声に、シンシアははっとなった。
「ロイ…。大丈夫なの?」
 シンシアがバスルームに入ると、ロイが便器の横でジムの腕にしがみつくように蹲っていた。また吐いたのだ、とシンシアは思った。やはり体調が悪いのだ。それも異常に。
「医者はなんと言ってるの?」
 シンシアがいうと、
「…病気じゃない」
 ロイがかすれた声で言った。
 まぶたを閉じ、シンシアのほうを見ようともしなかった。
 さっきの荒々しい声といい、いつも妻に気を使って穏やかに話をする夫とは思えないほど険しい顔をしていた。
「シンシア、…少しまかせてくれるか?」
 ジムの言葉に、シンシアは頷いた。
 初めて、自分の愛した人を怖いと感じた。荒々しい雰囲気だけでなく、何かに怯えてでもいるような姿。そして、ロイを見るというジムでさえ、シンシアの介入を拒絶しようとしているかのようだ。
 寝室に入り、ベッドに突っ伏してシンシアは泣き出しそうな自分を抑えた。
 いったい、ロイに何が起こったというのだろう。物腰も言葉も柔らかな、結婚前の姿が思い出された。ボートに引き上げてくれた力強い腕が。
 あの、カウンセラーだという東洋人に聞きに行くのはどうだろう?
 たとえ妻にでも教えてはくれないかもしれないが。何かよほどの事情があるのか、ジムの態度が腑に落ちない。こういうとき、夫の介護をするのは妻の役目のはずだ。
 少なくともシンシアより、ジムは何かを知っている。
 ふたりで映画を見ていた。
 何の映画だったっけ? 
 そうだ、彼らと同じ軍人が登場する戦争物。関係はないだろう。見慣れた、もっとリアルな現実を知っている彼らに映画が何らかの影響を与えるとは思えない。なのにいつものような発作が起きた…。
 シンシアはひとつだけほっとしてもいた。
 自分とセックスをすることが嫌で、起こる発作だと思っていたからだ。あれは偶然だったのだ。今日はジムもいて、セックスの気配などまだ何もなかったのだから。
 そう思っても、心が安らぐことはなかった。
 考えても考えても堂々巡りで答えはでなかった。
 考えることに疲れ果て、シンシアはいつの間にか眠ってしまっていた。








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