[AUDIENCE二章] of [観客]


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AUDIENCE 2章 

 ロイが女性とデートしているという噂は、あっという間にチームに広がった。
 派手な美しいカップルはあまりにも目立ちすぎるらしかった。
 ジムはその話をロイ本人から聞いていたし、それは彼の独り立ちの兆候だった。嬉しくて、けれども少し寂しくもあり、ジムは自分の役目がそろそろ終わりに近づき、本当に普通の友人としてロイのそばにいることになるのだと、何度も自分を納得させた。
 ジムには時折ガールフレンドがいたが、そのどれもが長続きしなかったのは、ひとつには心の孔の存在が大きかったからだ。面倒を見たい相手は二人もいらないし、気も回らなかった。
 大して付き合いもしないうちに、ロイは結婚する意思をジムに伝えてきた。普段慎重すぎるくらいの男の行動とは思えなかった。
 多感な時期に父親を亡くした環境が、家庭に憧れを持たせるのかもしれないと、ジムは思った。
 そろそろジム自身も、それを考えなければいけない時になりつつあるのを感じていた。


 あっという間の結婚式に、ジムが呆気にとられているのがロイには分かった。
 だが心から喜んでくれていたようだった。結婚式の介添え役を頼むと、快く引き受け、自分のことのように祝福した。自分よりも年上の曹長であり、友人であるジムがまだ独身である理由は分からないが、子ども好きで世話好きな曹長は、今のところ自分の結婚よりもチームの面倒を見るのが忙しいようだった。
 そして、その忙しさは、ロイのことを絶えず気遣っているからではないのかとも、ロイ自身、気がついていた。ジムは、二人一緒に捕らえられ、拷問を受けたとき、一切合切をそばで見ていたことを、苦にしているふうがある。
 ロイが苦しみに耐えていた長い療養生活の間も、復帰してからも、ジムはロイをそれとなく気遣い、組み合わされたパーツがずれていたように、体と心がままならない頃のロイは、ずいぶんと救われた。時にそれをありがたく思い、しかしまた煩わしくもあった。
 もうすっかり大丈夫になったのに、いつまでも病人扱いされているようで、居心地が悪いときすらあった。でも、結婚すれば、ジムだって分かってくれるだろう。
 ロイが立ち直り、すっかり落ち着いて生活に馴染んでいることを。
 それは、何よりロイ自身が望んでいることだった。


「おはよう」と声をかけて、ロイの家のリビングを入ってくる声がする。
 キッチンで新しく珈琲をたてていたシンシアは、すっかり彼の声を覚えてしまった。覚えていなくても、こんな早朝から夫を迎えに来るのは、一人しかいない。
 大きな影がリビングに現れて、ジム・ホーナーが姿を現した。
「ジム、朝食は?」とキッチンから顔を覗かせて声をかけると、「食べてきた」という言葉が返ってきた。
 ジムは前もって呼ばれない限り、この家で突然の招待を受けることはしなかった。
 制服を着てベッドルームから出てきたロイの姿が見えた。
 シンシアは、その顔をうっとりと見詰めた。金色の髪が、朝日に透けて見える。シンシア自身がブロンドだが、色が薄すぎるのが自分では気に入らない。ロイの髪の色は本当に綺麗な金色だ。シンシアのブロンドに金粉をまけば、こんな色に見えるかもしれない。職業がもっとソフトなものなら、絶対に伸ばしてみたいのに、と思うほどだった。上品で整った顔をして、ちょっと怖いくらいの美しい青緑の瞳をしている。
「珈琲、もらえるかな?シンシア」
 ロイの横に立ったまま、ジムが遠慮がちに声をかけてきた。
「今淹れたところよ」
 お洒落なカップに香ばしい香りを漂わせ、シンシアはロイとジムの前に差し出した。
「ありがとう。シンシア」
 ロイが微笑んで言った。
「どういたしまして」
 軽くキスをする。
 まるで、映画の一場面のように、幸福そうな光景に見えるに違いない。まだ独身のジムが照れたように目をそらすのを、シンシアは目の端で捕らえた。
「ジム、リンジーとはうまくいってるの?」
 シンシアの言葉に、ジムは軽く微笑み返す。
「いや、もう多分、だめだろう」
 ジムが明るい声で答え、シンシアは「ごめんなさい」とあわてて言った。
「仕事を理解してくれる女性ってのは、なかなかいなくてな」
 沈黙が気まずくならないよう、大きな男はにこにこと微笑んで、シンシアの珈琲をほめたりして、場を繕った。気持ちの大らかな、優しい男なのだろう。ロイは、口をはさむでもなく、黙って香りを愉しむようにカップに口をつけている。
 ジムの大きな体に隠れるようにして、シンシアに紹介されたリンジーは、シンシアとロイがつきあい始めた頃から同じように交際が始まったらしい。大人しく、控えめな彼女はシンシアからすれば気が合うとは言いがたかったが、ジムがひとりで訪ねてくるよりも、女同士の話題を交わすことができてそれはそれで良かったのだ。第一、夫の親友のカップルとダブルデートなどというのは、ちょっとした憧れでもある。
 学生時代、ほとんど勉強に浸かって、ボーイフレンドはたくさんいても、ステディな存在など作らなかったシンシアにとって、そんな他愛もないことでさえ、新鮮だったのだ。
 あの物静かな、清楚な女性がジムの好みだというのも何だか意外だった。
 でも、大きな体で大らかな性格に見えるジムになぜかピッタリの相手に思えたのに、駄目になってしまったということが酷く残念な気もした。

「じゃあ、行ってくる。君も気をつけて」
 ロイが帽子を被り、片手をあげて挨拶をするジムを従えて出て行くと、シンシアはキッチンの椅子に座った。
 まだ勤めている弁護士事務所に出掛けるには早かった。
 珈琲を淹れながら、肘をついて頬に手をあてると、もう結婚式から2か月も過ぎたのかと愕然となった。わざと幸せそうにふるまってはいたが、シンシアは今、不幸のただ中にいたのだ。
 その2か月の間に、ロイが家にいた日がいったい何日あっただろう。
 少なくとも半分以上、ロイは仕事で留守だった。
 それはいい。
 そのことは承知で結婚したのだ。自分にも仕事があり、夫にすがるようにして生きるのは性に合わない。
 けれども、その少ない夜を、結局夫婦として共にすることが、まだ一度もないことに、シンシアは苛立っていた。
 婚前の交渉ももちろんなく、礼儀正しい紳士的な振る舞いの延長のように思えて、シンシアには新鮮に感じられたものだ。キスを交わし、手を握っても、ロイはそれ以上は求めてこなかった。楽しみにしていたハニームーンですら、基地の呼び出しで中止になったとはいえ、一週間後、ロイは家に帰ってきた。
 
 その日がいわゆる初夜だということで、シンシアはロイと豪華なレストランでハニームーンの代わりに贅沢な食事をし、微笑みあって家に戻った。
「旅行が中止になってすまない」
 ベッドに腰掛けたロイが言った。
 シャワーを浴びたばかりのシャボンの香りが、お互いの躰から匂い立ち、心を甘く溶かしそうだ。
 シンシアはすでにベッドに入っており、薄い上掛けを腰までかけ、バスローブのまま、夫がベッドに入ってくるのを待っていた。
「いいのよ。仕方ないわ。そういうお仕事なんだもの」
 本当は残念でたまらなかったが、旅行はまたいつか行けばいい。そんなことでぐずる事はしない分別はある。
「ロイ、でも私、寂しかったわ」
シンシアが言うと、ロイがベッドに乗ったせいでスプリングが揺れた。
「…ごめん」
 キスをし、お互いのバスローブをずらし、ロイの滑らかな肌が、シンシアを包み込んだ。
 唇が首筋に這い、シンシアはうっとりと瞼を閉じた。手を彼の背中に這わせ、次の予感に震えそうだったのに、急に何の感触もなくなって、不思議な気分で目を開けた。
 彼女の夫は、真っ青な顔をして、硬直したようにシンシアの顔を見ていた。
「…どうしたの?」
 肩に手を滑らせると、微かに眉間に皺をよせ、「何でもない」と言って、ふたたびシンシアにキスをした。だが、そのキスは苦しそうだった。
 肩に触れられた手が、たった今シャワーを浴びたばかりだというのに、異様に冷たく感じられ、シンシアはそっと夫の顔を盗み見た。躰から手が離れされた。シンシアの躰を覆うように、ベッドに両腕をついたロイは、冷や汗を浮かべ、瞼をきつく閉じていた。胸がつまったような顔でじっと何かを堪えているように見える。
「ロイ?」
 その腕に手をかけると、ロイはびくりと躰を震わせ、ベッドルームから出て行った。何が起きたのか分からないまま、廊下に出てみると、ひどく苦しそうな声が聞こえた。トイレで吐いているらしい、と気がつき、ドアをノックすると、「…すまない…」という声がした。
 何か悪いものでも食べたのだろう、と思いながら、バスルームに入ると、ひどく苦しそうに蹲っていた。
 肩が激しく上下して、何度もロイは便器に顔をつっこんだ。
「救急車を呼ばなきゃ」
 あまりに酷い様子にシンシアが言うと、ロイは大丈夫だと言ってシンシアを止めた。
 しばらくしてベッドに戻ると、ロイは丸くなって背を向け、時折ベッドのシーツを手が白くなるほどの力で握りしめた。よほど苦しいのか、青い顔のままで憔悴しきったロイの背中を撫でながら、シンシアは一睡もできなかった。 その背中の筋肉すら緊張したように強ばっているような気がする。明日病院へ行った方がいいかもしれないわね、と声をかけると頭が枕の中で頷くのがわかった。

 
 ロイは蹲って体中を襲う痛みに堪えながら、背中を撫でる手が気持ち悪くて仕方なかった。
 誰にも触れられたくない。
 頼むから離してくれと言いたかったが、僅かに残る理性がそれを留めていた。心配してくれている何も知らない女性に、そんな酷い言葉は吐けなかった。
 立ち直っていたはずだ、とロイは心の中で叫んだ。
 あの忌まわしい出来事から。すっかり。完全に。仕事にも復帰し、眠れぬ夜がたまにはあっても、睡眠を妨げられる程度で、問題はないように思われていた。ロイが亡くした部分を埋めてくれる存在としてシンシアを愛した。  忘れられる、そう思いこんでいたのだ。
 だが、彼女の美しい躰を前にしたとき、ロイの心の中でどろどろとしたものが沸き上がり、シンシアの躰が血塗られた死体ででもあるかのように、悪臭すら伴って見えたのだ。その目の前に横たわって自分を見ているのは、彼女ではなく、血と男達の体液にまみれた、穢された自分の躰だった。虚ろに目を見開き、腐臭を放ちながら死んでいる自分の姿。でも目だけはまだ生きており、じっと見つめてくる。
 胃がよじれるように暴れ出し、ロイは全てを吐きだした。
 胃の中に収まっているものを吐き出すのではなく、胃やその他の内臓一切を吐きだしているかのような激しい嘔吐の感覚に、死んでしまいそうなほどの激痛が襲った。
 何も解決していない…。
 自分の心の中に、未だ巣くう魔物の正体に、ロイは愕然とし、激しいショックを受けた。
 弱い自分の心を責め、いつまでたっても癒えていなかった深い傷跡が開き、ロイの腐った遺体が起きあがって、彼にまとわりついて来るのが分かった。ロイの目には、心配してバスルームに入ってきたシンシアの姿が、腐り果てた自分の姿に見えて、あっちへ行けと叫びそうになるのを、残量が切れかかった理性を絞り出して、ひたすら押さえ込んだ。

 それは長くロイを苛め続けてきたものだった。
 何よりも、ロイが生まれ変わるように、ロイに変化を与えてきたものだった。
 それは、長く苦しい戦いだった。
 だが、ただでさえ激しい訓練を行う毎日の中、げっそりとやつれ果てたロイが、いくら支障なく訓練をこなしても、ジムは敏感に察知した。基地のトイレに籠もってしまったときには、泣きながらジムはそばに居続けた。躰に触るなと言われ、どうしようもなく見つめているジムに、逆に助けてくれと、腕にしがみついたこともある。声を出すわけにはいかない時には、何かにすがらずにはいられなかった。その腕が変色するくらいに力を込め、苦痛を堪えることが幾度もあった。こんなことがあったら、いつでも自分を呼んでくれと、ジムはロイに言った。腕くらい貸してやる。一人で戦ってはいけないと。
 それはうんざりするほどの、長い戦いに思えた。
 だが、それもだんだん間遠になっていたのだ。
 二年の月日がそれをロイに与えてくれた。
 ロイはシンシアという女性に出会い、パートナーを持つ意味を考えた。
 幸せにできるか、という自問自答を続け、仕事を理解してくれているふうの彼女に、きっとそうできるに違いないと自分を納得させた。
 いつまでもジムを頼っていてはいけない。
 眠るときに必要としたジムの手の代わりを、彼女が与えてくれるだろう。
 かつて、どう頑張っても光明の見えなかった時、不眠と悪夢に悩まされたロイの手をジムがじっと握っていたことがあった。
 薬を打たれ、無理に眠らされていてなお、襲い来る悪夢にロイは本当に生きていくことができなくなりかけていた。そんな時、唯一何も考えず安心して眠りをもたらしてくれたのが、ジムの温かな手の温もりだったのだ。
 だが、ロイはもう病人ではない。
 今度はそうやって受けた温もりを誰かに与えたくもあった。
 それが、ロイの立ち直りを誰よりも望んでいるジムへの恩返しにもなる。
 そしてその何倍もの愛を彼女に返してあげられるだろうと、ロイは本気で思ったのだ。
 だが、ロイにはその手が触れる感触が、ただただ忌まわしく感じられた。
 激しい発作はその日だけではなかった。





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