[AUDIENCE一章] of [観客]


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AUDIENCE 1章 

 シンシア・コーンウェルは、なりたての弁護士である。
 彼女のボスも女性で、女性が巻き込まれる、ドメスティックバイオレンスやレイプ、離婚問題などを主に扱う事務所に所属していた。
 シンシアは、聡明で意志が強く、たくましくもあったが、自分の両親のように仲良く老後を送れるような、結婚生活に憧れてもいた。
 学生の頃から言い寄ってくる男性も数多く、ボーイフレンドはいつも学園のトップをとるようなスポーツマンや、才能溢れる男たちだったが、それに溺れることなく、シンシアは夢に向かって邁進し、いつの間にか理想どおりの自分になっていることに満足すら覚えていた。


 合衆国海軍特殊部隊。
 通称『NAVY SEALS』の副隊長であるロイ・フォードは、相変わらず激しい訓練と、デスクワークに追われていた。
 世の中、もっと気楽に生きられるはずなのにな、という隊長のカーター少佐の声に、ふっと微笑む。
 まったく給料に見合わない仕事というものは、世の中に多くあるが、普通はそう言う仕事は誰にでもできるものが多い。これほど手に入れるのが困難で、それでいて見合わない仕事はそうないだろう。
 やりがいという、実態のないものだけをご褒美に働いているのが自分たちだ。
 特にロイには、つらい過去があった。この仕事に就かなければ経験するはずもなかったその過去は、ようやく最近落ち着きを見せ始めていた。カーター少佐などは、すっかりその様子に安心し、ロイは近々新しく編成されるチームの隊長になる予定だった。本来ならもっと早く作られるはずだった新チームは、隊長となるロイが、本当に心の傷を克服できたかどうかを見るために、延期されている状態だったのだ。
 やっとそれが認められ、間もなく新しいチームが誕生する。
 だが、一人だけ、ロイの様子を今でも黙って見守っている男がいた。経験の浅い隊長をカバーするためにおそらく新しいチームでも一緒になるはずの、ジム・ホーナー曹長だ。
 現在の同じチームの中で、今ではすっかり親友としてロイの信頼を得ている男は、ロイの精神的な動きを敏感に察知し、お節介をやきにくる。
 迷惑をかけ続けていたこの親友に、もう大丈夫だよ、と何度も伝え、そんなに気を使ってくれなくてもいいんだと、分からせなければならないと、ロイは思っていた。

 ジム・ホーナーにとって、ロイは心に開いた真っ暗な一点の孔だった。ジムの心臓の真ん中に、黒々と穿たれた孔は、いつまでもジムの生活に暗い影を落とし続けた。
 ロイ・フォード大尉とジムは、共に任務で敵に捕らえられ、拷問を受けた。
 それはもっぱらロイに矛先が向けられ、ジムは大切な上官が目の前で痛めつけられるのを見るしかない、というそれはそれで酷いトラウマを負った。もちろん、当人に比ぶべくもないことであるが、見せつけられただけでもジムは十二分に傷ついた。
 ロイ・フォードへ行われた拷問は、所謂“性的拷問”とでも呼ぶべきもので、それは生命を脅かすほどのダメージを非拷問者に与え、心身共に一時は潰されかけたのだ。
 最初から一部始終を見、基地に戻ってからの復帰への血の滲むようなロイ・フォードの悲惨な姿を目にし、少しでも力になってやりたいとそればかりを思い続けて二年間を過ごした。
 その孔は、またジムにとっては光の発生場所でもある。一生を共に過ごして行きたい相手というのはそう見つかるものではない。この仕事を続けている限り、ジムはどこまでもロイについて行きたいと望んでいた。いやもし、彼がこの仕事を断念したら、一緒に別の職場を探してもいいとさえ、思っている。そんな自分の気持ちが、ジムには何なのか分からなかったが、そんなものを探る気はなかった。ただ、そうしたい、それで十分だとジムは思っていた。


 シンシアがいくつか抱えていた事件のひとつに、クライアントの夫が海軍に勤務しているものがあった。
 酒を飲んでの暴力に悩まされた妻が、相談にきたものだ。とにかく別れられればそれでいい、という程に、妻は憔悴していた。
 シンシアは、厳重なチェックを受けながら大きな海軍基地の一角に通され、その夫である男性の直属の上司に話を聞こうと待ち構えていた。
 職業軍人など、シンシアから見れば野蛮人と同義語だ。銃を持って警備のために門に立っている無表情な兵士の顔さえ、シンシアは怖いものでも見るように避けて通ってきた。
 特に特殊部隊、という被害者の夫の仕事がどんなものか、シンシアは事前に頭に叩き込んできていた。恐れ知らずの人殺し部隊。こんなハイテクの時代に密かな接近戦を主にする、謎めいたチーム。
 
 だが、シンシアの目の前に現れた彼の上司は、上品な紳士だった。カーターと名乗るチームの隊長は、学者のように穏やかな微笑をたたえた男だった。
 そのあとに入ってきた若い男を見て、シンシアは思わず言葉を呑み込んだ。
 長身で無駄のない筋肉をつけた、金色の髪の将校姿に、こんな男が特殊部隊にいるなどとは夢にも思わなかったのだ。
「ロイ・フォード大尉です」
 差し出された手が、ひんやりと冷たく、そんなことすらもシンシアの心臓を揺さぶった。
 落ち着いて話をしてくれた二人に挨拶をして辞退する頃には、シンシアの軍人に対するイメージは完全に覆されていた。
 野卑な男達は、通りすがりにシンシアの躰をじろじろと見る。
 自分が住んでいる世界の男達は、隙あらばデートに誘おうと、伺っているのが分かる。あるいは女だと内心軽く見ている。けれども、目の前の将校は、制服に心まで包んでいるかのように、シンシアを上等な人間として、丁寧に対応してくれた。
 表情は落ち着いているが、それでいてまったく無愛想なわけでもない。
 ひどく居心地の良い、さわやかな眼差しだった。

 シンシアは偶然というものの不思議さを、軽視しない主義だった。
 やりきれない男女のトラブルにストレスを感じて、たったひとりでふらりと訪れたバーのカウンターに、先日会ったばかりの金色の頭を見つけたとき、シンシアは躊躇いなく隣の席に座った。
「…あなたは…」
 驚いたようにも見えない顔で、ロイがシンシアを見た。バーの薄暗い照明の中に、青緑色の目が宝石のようにきらきらと揺れていた。
「ミス・コーンウェル」と丁寧に呼ぶロイに「シンシアよ」と微笑み、彼の顔を覗き込んだ。
「私、すごい偶然にびっくりしたんだけど、あなたは驚いたりはしないのね?」
「驚いてます。これでも。そう見えないとよく言われますが」
 その言葉に、シンシアは弾けるように笑った。
 聞かれたことにははっきりと答えてくれていた、先日の様子とは違い、ロイは口数の少ない男だった。
 おしゃべりが好きなシンシアの話に、辛抱強く付き合って耳を傾け、頷いて、時には微笑んでさえくれた。その育ちの良さを思わせる、まっすぐな瞳に、シンシアは酔い痴れるようにおしゃべりを続けた。
 ひとつだけ不満だったのは、「フォード大尉」と呼びかけても「ロイ」でかまわない、と彼が言わなかったことだった。

 次に会ったのは、ワシントンDCの雑踏の中だった。
 上司のパトリシアと、同僚の男性2人と共に、仕事を終えてレストランにでも行こうかと話していたとき、制服姿の長身の男と、更に大きな雲をつくような男が、並んで歩いて来るのが見えた。
「フォード大尉…」
「ああ、ミス…、シンシア。また偶然だ。驚いてますよ。もちろん」
 ロイはそう言って微笑んだ。
 連れの男は部下であり、友人であると紹介された。
 シンシアも同僚とボスを紹介すると、ロイは丁寧に挨拶をし、立ち去っていった。背筋の伸びた、美しい濃紺の背中がひときわ雑踏の中に目立ち、通りすがる女性達が振り返るのが見えた。
「…なんか、迫力だなあ」同僚のスペンサーが思わず唸るように言った。「棒でも飲んでるんじゃないか?あの背中」
「ハンガーを仕込んでるんだよ」
 もう一人のグレンが敬礼の真似をしながら笑った。
「あんたたちも、見習ったらいいわ。彼の生き方が分かるような姿ね」パトリシアが、目を立ち去る二人に向けたまま言った。
「もったいないわね。軍人だなんて。あれなら躰ひとつですごい財産だって作れるのに。…この間の件のチームの人?」
 シンシアは頷き、パトリシアの隣に立って、長身の男達から目が離せずにいた。一緒に食事でもいかが?と言わなかった自分を後悔した。

「ちぇ、いつまで見てるんだよ」
 スペンサーが怒ったように、シンシアの手を引っ張った。
 彼はシンシアに気があると、彼女は気がついていたが、興味はなかった。
「スペンサー、よしよし。冷たい彼女のかわりに俺が慰めてやるよ」
 グレンがスペンサーの肩を抱きしめた。頬を寄せ、抱き合っているような二人を、パトリシアが呆れて追い立てた。
 もはや偶然で済ませるわけにはいかなかった。
 三度目は期待できない。そんな偶然を待つほど、シンシアは気長な性格ではなかった。
 基地の電話につないでもらい、ロイにコンタクトを取って、デートの約束を取り付けた。
 
 いつも憂えているような顔で現れる、激務に身を浸している男は魅力的に見えた。
 海軍の話を聞いても、あまり話せることはないんだ、と口を閉ざしてしまう。
 その顔が僅かでも笑顔を浮かべると、シンシアは頬を撫でたくなるほど嬉しかった。思わず手で触れたとき、ロイは面食らったような顔をした。
「笑うともっと素敵。もっと笑って」
「…そんなこと言われても…。やっぱり仏頂面なのかな?よく言われる…」
 結局笑い転げるのはシンシアだが、それにつられるようにロイも笑った。
 黒い薄手のセーターを着こなして、制服の時よりうんと若く見え、シンシアは背の高い彼の腕に手を回すと、はにかんだような表情を見せるロイを、みんなに見せびらかすように歩いた。
 この日、シンシアは「ロイ」と呼びかけたが、ロイは気付かないような顔で自然に相手をしてくれていた。
 一度東洋人のドクターという人と偶然出会ったときには、ロイはまるで子供のように素直な顔で、ドクターと話をしていた。
「良かった。素敵な方との出会いがあって」
 ドクターは、彼をよろしく、と言って握手をして立ち去っていった。
 彼のカウンセリングをしているのだと聞いたが、それほど軍に身を置くロイにはいろいろな負担があるのだな、とシンシアは思っただけだった。彼女自身がいろいろな悩みに疲れるたびに、カウンセラーに時間とお金をつぎ込んだ経験があり、とりたてて問題にする事には思えなかった。
 医師に信頼を置いている、少年のような表情が逆に愛らしく見え、違う一面に喜んでさえいた。


 ドクターの顔を見て、ロイは自分が女性とデートしている姿を見せられたことに安心した。
 一時期、かなり面倒をかけたドクター中西は、今でも二週に一度はカウンセリングに訪れるよう、ロイを指導していた。だがロイは半年も前からそれを1か月に一度、もしくはもっと間隔を開けるようになっていた。
 もう悪夢をみることもそれほどなくなっていたのだ。
 たまに訪れたそれは、悪夢だと分かる範囲でロイを眠りからたたき起こすことはあっても、以前のようにそれに伴っての体調の異変などはなかった。
 シンシアは美しく快活な女性だった。一人でも生きていけるほどの生命力に溢れている。それは一時期ロイにはないものだった。彼女のそばにいることは、ロイにとって心地よいものに思われた。
 彼女もそう思っているのだろう。
 女性との出会いが少ない軍事関係の仕事をしているロイにとって、シンシアはいきなり現れた、女神のような存在に思えた。母一人子ひとりで生きてきたロイには、暖かい家庭を作るということは、憧れの存在でもあったのだ。軍の女性から誘われることはこれまでもあったが、そのほとんどをロイは丁寧に断ってきた。
 シンシアが電話をかけてきたとき、それを受けたのはタイミングもあったし、何より彼女の目映いばかりに生き生きと楽しそうな姿に惹かれていたのだろう。
 だが、積極的にそれを進めていく自信がいまひとつないことが、ロイの行動を制御していた。
 

 ボートに乗りたい、というシンシアの希望で入り江に小さなボートで波間を漂っていたとき、夜の海を一台のモーターボートが突進してきた。
 ぎりぎりでかわしたものの、ボートは激しく揺れ、シンシアは海に落ちた。
 シンシアは海が苦手だった。プールならば泳げるが、濃い塩の味が口の中に入ったとたん、シンシアはパニックに陥った。
 暗い水の中で、力強い手に抱きしめられ、ボートに乗せられたとき、シンシアはロイにしがみついていた。
「大丈夫だ、もう大丈夫」
 ほっとしたようなずぶ濡れの躰はたくましく、シンシアはキスをし、ロイもそのキスに応えてくれた。見た目よりもずっと頼もしく、力強い躰に、シンシアはこのままここで抱いて欲しいとさえ思ったが、ロイは慎ましく躰を離すと落としたオールを取りに再び水に入り、拾ってボートを桟橋に向けた。
「私、あなたが好きだわ。愛してると思う。結婚したいくらい。あなたはどうか分からないけど」
 ずぶ濡れのシンシアがそう言うと、ロイは戸惑ったような顔をしていたが、微笑み、シンシアを抱きしめた。
「…そう見えないかもしれないけど」
「…あなたも私を愛してくれてるってこと?本当に不器用な性格なのね」
「愛してる…」
ロイの青緑の瞳がシンシアを捕らえるのを、シンシアは夢のような気分で見詰めた。
「結婚してほしい…」
ロイの言葉にシンシアは素直に頷いた。
二人が出会って、まだ二ヶ月しかたっていなかったが、そんなことは問題だとは思えなかった。




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