[鍵6] of [鍵]

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鍵 その6

 ジムはロイの頭を撫でるふりをしながらも、絶対に上げられないよう片手で肩を押さえつけ、シンシアへ早く立って出て行くよう顎を振りながら応えた。
「ああ、猫だった。猫が紛れ込んでたんだな」
「……女性の……声、だった……?」
「いや、猫だ。ニャアっていったろ」
「おまえ、耳がどうかして……猫があんな音をたてるわけが……」
「慌てて飛び出て、スタンドにぶつかったんだ」
「だったら、出してやらないと……」
「ああ、だがドアの隙間から出て行きかけてるよ。あとで玄関を開けて追い出すさ」
 もちろん、ドアは閉まっているが、ロイは黙った。
 猫ならすぐにもジムが立っていって出すはずで、そもそもさっきの騒ぎが猫のせいだと騙されるほど、この人はお人好しではない。
 身動きをしないところを見ると、今の音と声を反芻して、正体を吟味しているのだろう、とジムは推理した。
 そんなことを考えながらも、シンシアに合図を繰り返す。
 どうしたっていうんだ、まったく。なんだってすぐに出て行かないんだ?
 ふたりの問答を聞きながら、シンシアはやっとよろよろと立ち上がると、壁に手をついた。
 その途端、室内灯のスイッチに当たって、部屋中が一気に明るくなった。
 点いてみると、部屋がすでに薄暗かったことに気がつき、ジムもシンシアも同時に眩しそうに目を顰めた。
 ジムは思わず目を閉じて、顔を片手で覆った。
 最悪だ。一息で胃潰瘍にでもなりそうな気がした。
 ロイも同様に目を細め、
「猫が灯りをつけるのか……?」と低い唸るような声を出した。
 とうとう堪えきれなくて、肩を押さえ込むジムに抵抗しながらも、ロイは身体を捻って目をドアの付近に走らせた。

 プラチナブロンドの、バービーのような派手な美人と噂された女性が、そこに壁を背にして立っていた。
 ロイは、凍りついたようにそのまま動きを止めた。
 シンシアは、思わず目が合ってしまったロイに片手を上げ、咄嗟に微笑みすら浮かべて、挨拶をした。
「ハ、ハイ、お元気そうね、ロイ」
 黙って凝視しているロイに、シンシアはなぜだか早口で言葉を続けた。
「か、鍵を返しそびれてて、留守だったからつい懐かしくて、ほんとよ、黙って入るつもりなんてなかったし、ベッドルームに入ったのは別に意味なんてないんだけどただよくここで泣いたなあなんて思ったら、出て行くタイミングがなくなっちゃって、だってほら誰もいないと思ってたから、いえいないからって入る権利などないのは重々承知なのよ、つまりほんの出来心ってやつで鍵がなきゃもちろん入らなかったんだけど、いえ鍵があったって入っちゃいけないんだけど、う、訴えたりしないでね、ほんとに出来心でそれが証拠に私ったらすっかり慌てちゃって、おかしいわね、一緒に笑ってもいいわよ、ほんと、おかしいったら、ありゃしない」
 シンシアはドアに後じさりながらも、ふたりから目を離さず、ははは、と気の抜けたような笑い声を立てた。
 見る影もないほど口元は引きつり、笑っているのか泣いているのか分からないような顔を振り乱れてしまった髪が取り囲んで、思わずジムは同情したが、ロイには幽鬼のように見えたに違いない。
「か、隠れるつもりなんてなかったんだけど、でもあなたが急に入ってきたから、でもリビングかキッチンにすぐ行くかなあってつい隠れたんだけど、そしたら見られずに玄関に行けるじゃない、だってすぐ夕食時になることだし、ロイは料理を始めるんじゃないかと期待してたのに、思いもかけないことになっちゃって、もうほんとびっくり、あ、びっくりしてるのはそっちのほうね、でも私だってびっくりで、だったら一緒ってことよね、いえ、あなたたちの方が驚いて当然か、だって私がここにいる理由なんてほんとはないんですものね、でも驚き具合はお互い様」
 はは、とシンシアは嗤いながら、ドアのノブを後ろ手でまさぐっている。
「あのも、もうか、か、帰るわね、か、帰るしかないんだけど、もちろん、すっかりお、おじゃましちゃって、あのど、どうぞごゆっくり、ほんと邪魔するつもりなかったんだけど、申し訳ないと思ってるのよ、ごゆっくり、ごゆっくり続けてキスでもなんでも」
 ジムとロイは、じりじりと後じさりながらもなかなかノブを掴むことができないまま、取り憑かれたようにしゃべり続けるシンシアを呆然とした顔で見ていた。
「あ、あのそれからジム、ついでにひとつだけお願いなんだけど、ロイお腹空いてるみたいだから、そろそろ食事させてあげてね、さっきから食事食事っていってるのに、あなたったらさんざんやりたい放題で、見てて気の毒、いえほら、ロイってあまり食事に執着しない方なのに、すごくつらそうにあなたに頼んでるのに、まるで無視して、我が物顔でロイを支配してるみたいって、それこそ私びっくりものでちょっとひどいんじゃない、でもいいなりになってるロイもロイだとは思うけど、でも加減ってものはあるでしょなんにでも」
 また、シンシアは、ははと嗤った。
「えと、よ、よけいなお世話ね、あ、あのロイ、おめでとうセックスできるようになってよかった、いえその、つ、妻とはできなくても男性ならできるとは知らなかった、いえ、そうじゃなくて、い、今のは嫌みじゃなくて本音、いえ本音というか、だからそのび、びっくりしたっていうか当然よね、まさか元夫のこんな場面を見せられたらそりゃ誰だって驚くに違いないじゃない、でもほんと嫌みじゃなくておめでとうというのは、悪気はなくて、あのまま誰ともセックスできないんじゃあまりにもあなたが気の毒、いえそんなことは私が心配することじゃないんだけど、あなたハンサムだし優しいし、なのにもったいないとか思っちゃってむらむらきたりする夜はないのかしらとかって、ええとつまり……」
 仕方なくシンシアははは、と嗤った。
 嗤うしかないのだろう。
 手に余るほどの墓穴を掘り続けて、どの穴に入ることもできなくなってしまっている。
「ど、どうでもいいことよね、ごめんなさい、私ったら、じゃ、じゃあまたね、いえ、またはないわね、なに言ってんのかしら私ったら、ほんとになんだかおかしなことになってしまって、いえもちろん私が悪いんだけど、だからといって、夜になる前からこんなことが繰り広げられるなんて思いもしなかった、いえ、ここはもうあなただけの家で、そこでなにをしようとあなたたちの自由だけど、でもほら、ロイはいつも任務から戻ったら疲れ果てていたみたいだったから、帰るなりそんなことをするなんてまさかと思うのは当然、いえ、あのまさかというのは、まさかこの私が覗きみたいな真似を、いえでもわざとじゃなくてそれはほんとに偶然で、め、名誉のためにいうけど、私決してそんな趣味は……」
 その間も、手は後ろに回してノブを探っているが、見当違いなところばかりを這い回る。
 よほど、自制心をなくしているのだろう。
 しかもものすごい早口でまくしたてるのが、止まらないらしい。
「そ、それにジム、ジムあの、食事の件ばかりじゃなく、少し、もう少し優しくしてあげてね、ジム、あなたすごい立派な体格だし、タフみたいだし、さっきちらっと見たところものすごい…いえ、その私ったらなんて下品な、た、ただ、ほらか、彼、繊細なんだからこわれちゃったらロイ可愛そうだし、その、もともとそういう風にはできてないはずだし、いえその、で、できるってことはよおく分かったんだけど、いえそんなまじまじとなにがどうって見たわけじゃないのよ、でも厭でも見えてたし、きっとあれがあれにああなってとか簡単に想像はつく、じゃなくて想像なんかしてないけどもちろん、けどほら、途中で力尽きるほどじゃ身が持たない、っていうか、だってロイは細く見えてもほんとはけっこう体力もあるはずなのに、女性でもまさかそこまで追い詰められることはそうそうなくて、いえ、すべての女性がそうかどうかは知らないけど、もちろん濃い交流を堪能しているカップルだっているはず…あでも、それって消耗するとかいう以前にもしかしたら感じすぎて気が遠くなるとかそういうことなのかしら、私には残念ながらそれほどの経験はまだ、いえ、私のことはどうでも、えと、そうじゃなくて、そうなんだけど、私がいいたいのはつまり、えと要するに……」

「シンシア」
 たまりかねて、やっと呪縛が解けたジムが口を挟んだ。
「あんた、ドアを見てノブを探した方がいい。そこはドアじゃない」
「あ、そ、そうね、そうよね。なんでドアに壁紙があるんだろうって、おかしいと思ったのよね、ああ、ドアね、ドアがあったわ、ここがノブね、ほらここのノブは、鍵のところがアヒルの顔みたいに見えるのよ、知ってた? ここが目でこれが口で、か、かわいいでしょ、気に入ってたのよ、このドア」
 はは、となおも嗤いながら、シンシアの手はノブの辺りを指さすばかりで、なにをするためにドアの前にいるのかすら、忘れてしまったんじゃないかとジムは焦った。
 手伝うしかないんだろうか、とジムが動きかけたとき、がちゃり、とノブが回された。
 シンシアは、やっとほっとしたような表情を浮かべ、なぜだかしみじみとそのアヒルのような顔をしたノブの下にある鍵を見つめ、やっとドアの隙間に身体を滑り込ませた。
「じ、じゃあね、じゃあね、おふたり、私ほんとに行くから、ほんとよ、じゃあね、お元気で、シンシア退散よ、だから思い切り続けてちょうだいもう邪魔はしないから、でもやり過ぎは駄目よジム、いえ私は関係ないわね、お、思い切り好きなだけやったってロイがいいというならそれでいいのよね、じゃ、じゃあ思い切りどうぞ、そ、それじゃ、それじゃね」
 姿が見えなくなって、ドアが閉まりかけたと思ったのに、シンシアは何を思ったのか、もう一度顔だけを覗かせた。
「す、すぐに出てくつもりだったのよ、ジムが現れなければ、ほんとよ、覗くつもりじゃ、決して……」
「分かってるよ、シンシア。分かってるから、もう行ってくれ」
 何もいわないロイの代わりに、ジムが頷いた。ジムはすっかり落ち着いて、笑顔でシンシアに手すら振った。
 また入ってきたら、それこそひっつまんで、玄関の外まで運ぼうかと心の中で思ってはいたが。
 息を吸い込み、シンシアは目線を逸らして、空気に押されるように完全に身体を外へ出した。
 ゴージャスなプラチナブロンドの端っこが、ドアの隙間に挟まって、「いたい!」と声が上がると、またドアが開いた。
 ジムはとうとう本気で立ち上がるしかない、と身を起こしかけたが、そのまま髪が廊下へ吸い込まれ、パタンとドアが閉じる音だけが残った。
 ヒールを履いた足音が遠ざかる。やがて、玄関が閉まる、微かな音が聞こえた気がした。
 片手を上げて見送ったジムの下で、半身を捩って固まったままのロイの姿が、目の端に映った。
















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