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鍵 その11

キッチンに入ると、まだバタンバタンと音をさせて、ロイは食料を探し続けている。
 排水管と掃除用洗剤しか入っていない場所まで開けて確認をしているところを見ると、すでに理性はどこかへいってしまった後らしい。
 完全にたがが外れている。
 どうせ覗くなら、この場面を見て欲しかったぜ、とジムはその様子を眺めた。
 ジムは大げさにため息をついて、十字をきった。
 どうやら、からかうのはお終いにしたほうがいいようだ。
 疳の虫が総出で騒いでいるかのように、険悪な顔をしたロイに、今夜はよほど気を使ってやらないと、本当にゲストルームで眠ることになるかもしれない。
 下手すれば、アパートへの帰宅命令が出されかねない。いい出したら聞かない頑固者だ。
 まあ、無理もない。
 今夜の出来事を考えれば、居ても立ってもいられないほどの気分になったって、責めることはできないだろう。
 ただの覗き魔でも充分なのに、それが“あの女性”だったのだ。
 海に疾走して、集団自殺をするレミングみたいな心理状態であっても不思議ではない。
 走る代わりに怒鳴り続けているに違いない。むしろ、心から同情している。
「ジムッ、外へ行くぞ! ドレイクの親父の店に行って、チリをボール一杯食ってやる!」
「ドレイクのとこは今夜は定休日だ、確か。ステーキにしようぜ。分厚いニューヨークカットが食いたくなった」
「チリだッ! 俺はチリが死ぬほど食べたいんだッ!」
 ジムは分かった分かった、と頷いた。
 ガウンのまま飛び出しそうなロイの腕を掴んで、引き寄せる。
「味に文句をいわないなら、ファストフードだが、タコスの店からテイクアウトしてきてやる。それを食ったら、機嫌を直してくれるか? それとも、今夜はずっと鬼のように怒ったままか?」
 ロイは、やっとあげていた眉を下ろして、息を吐いた。
「三ヶ月ぶりの夜なんだ。あんたが怒ったままだと、俺は寂しいよ。俺はこのまま、アパートに戻るべきだというならそうしても……」
 心にもない言葉を吐くジムを、ロイは黙って見つめた。
「鬼……みたいに怒ってるか? 俺は」
「まあな。さっきはからかって悪かった。でも、本気で怒ったおかげで、ストレスも発散したろ? ちょっとは気が紛れたか?」
 唇を噛み、拗ねた少年のような顔をして、ロイはジムの胸元に拳を当てた。
「……すまない。ジム。謝ったばかりなのに……」
「あんたほんとになにか腹に入れなきゃ、今にも死ぬって顔してるな」
 ジムが顎を持ち上げてしげしげと顔を覗き込むと、ロイは素直に頷いた。
「うん。ほんとにもう、倒れそうだよ、ジム。目眩がしそうだ」
 実際、心持ち顔が青ざめている。
 任務の時なら、これで三日食べなくたってすましていられるというのが、信じられない。
「低血糖症を起こしかけてるんじゃないか? 一回の量が少ないからもたないんだ。栄養バーでも食うか? 俺の荷物の中に、残ってたぞ、確か」
 まさか、とロイは肩をすくめて笑顔を見せた。
「家でまであれを食うくらいなら、このまま寝たほうがましだ」
 任務に携帯していく栄養バーなど、社会へ戻ってきてからまで見たくはないのは、お互い様だ。
 ひとかけくらい口に押し込んでやろうかとすら思ったが、ロイはすっかり落ち着きを取り戻していた。
 押したり引いたり、ジムはほんとうにロイの手綱をとるのが上手い。馬丁のイメージは、あながち間違ってはいないのかもしれない。
 誰よりロイを怒らせることができ、誰より宥めることができるのもまた、自分だな、とジムは微笑んだ。
「やっぱりステーキの店に行こうか、ジム。今夜はそれで我慢する」
「肉より、チリがいいんだろ? 肉だと半分は残してしまうくせに。まるで菜食主義者みたいな好みになっちまってるもんな」
「でも、おまえは肉が食べたいんだろう? 俺は別に肉が嫌いなわけじゃ……」
「俺には気を使わなくていいんだ、ロイ。あんたはどうなんだ? ほんとはどっちが食べたいんだ?」
「……チリ……」
 ロイは恥じ入るような小声で呟いた。
「でも、あのタコスの店のは……美味くない」
 ジムはにやりとした。
「少し遠いけど美味い店を見つけたんだ。遠征前に、ポールと食いに行った。あんたがいないときにな。そこなら、マスター自慢のチリもある。小さい店だが、味は抜群だ。まあ、遠いったって大した距離じゃない。ほんの二十分も走れば着くが、豆のスープのために腹ぺこのあんたが我慢できるかどうかだな。到着前に死なれても困る」
 それくらい我慢できる、とロイは俯いた。
「すまない。ほんとに我が儘ばかりいってるな、俺は」
「よし、決まりだ。だったら、着替えよう。大丈夫だ。そこならステーキも焼いてくれる」
 ジムがウインクをすると、ロイはほっとしたように微笑んだ。

 着替えのために先に歩き出しながらも、ロイが振り返った。
「ドレイクのとこと比べると、どっちが美味い?」
 本当に今は、チリで頭がいっぱいらしいなと、ジムは声をたてて笑った。
「ドレイクは本場メキシカンだからな。好みの問題だが。そうだな、もっと家庭的で……バーク大佐夫人のチリに近い感じだ。そういや、店の名前もサムズキッチンだ」
 ロイの顔が輝いた。
「だったら、ドレイクよりもうんといい。三段論法で、それは母の味だぞ」
 つまり、サムズキッチンは、サマンサ・バークの味で、サマンサはロイの母と同じ味のチリを作るってことだな、とジムは頷いた。
 どうやら、ロイはすっかり機嫌を直してしまったらしい。
 寝室へ向かいかけた足をキッチンに戻し、ジムは乱暴に閉められたために、かえって開いてしまっている棚のドアをいくつか閉め直した。
 帰りにワインと明日の朝食を買い込んで、いや、明日のランチの分までだ、とジムは胸の中で算段した。
 なんならサムズでお袋の味のチリを山ほど食べた後、テイクアウトしたっていい。
 ロイがご機嫌なままでいてくれるものなら、なんでも買ってやる。
 できればずっと、ベッドに入ったまま食べられるものがいいのは、いうまでもない。
 明日の昼まで、金輪際ベッドから出るつもりはないぞ、とジムは決意した。

 ジムは太ももをつついた物に気づき、ガウンのポケットに手を入れた。
 銀色の無骨な鍵を手の平に乗せ、それをぎゅっと握りしめる。もう、邪魔は入らない。
 滑稽なまでの偶然の出来事に、ジムは少しだけ、かつてロイの愛情を受けた女性のことを考えた。
 さよなら、シンシアと、ロイは電話に囁いていた。彼女もさよならと、いったのだろう。さよなら、ロイと――。
 見慣れた鍵が、鈍く光った。
 ジムはすでに、ロイからこの家の鍵を、これと同じ形のものをもらっている。ロイは予備の鍵を他にもいくつか作っているはずだ。
 長い間どこかにしまわれていたらしく、シンシアの鍵は他の物より銀色が鮮やかで、一目で違いが分かる。
 この鍵を、ロイは見るたび今夜の恥辱を思い出すことだろう。 
 これは海に沈めたほうがいいのかもしれないなと、ジムは思った。
 彼女の想いと共に――。 レストランへ向かう途中ででもロイに提案してみよう。
「ジムッ、さっさと着替えないと、俺ひとりで行くぞッ」
 腹ぺこ姫が呼んでいる。
 空腹が限界まで来ているのか、ロイは謝ったのを忘れたかのように語尾を跳ね上げ、我が儘を炸裂させそうな勢いでキッチンのドアから覗いている。
 すでにきちんと私服を身にまとって準備が整ったというのに、ジムがいつまでもぐずぐずしているのに、しびれを切らしたに違いない。
 あのクールビューティーな男が、こんなふうにくるくると、顔の表情を変えることなど、そうは見られるものではない。
 そんなロイが何だか無性にかわいくて、ジムは思わず笑い出した。
 鍵を処分するのは、たらふく食べさせてからがいいだろう。
 お姫様付き馬丁の、それが知恵というものだと、ジムは急いで着替えるためにキッチンを出て行った。














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