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第三十一章 遠方訓練

 クリスマスが終わると、すぐに遠方訓練が始まった。
 普段よりも厳しい訓練にロイが参加することに対し、ジムはまた要らぬ心配をして、カーターを笑わせた。
「これ以上よけいな口出しをしたら、あいつは本気で怒り出すぞ。もし、悪夢に魘されたって大丈夫だ。ロイと私は寝るときは二人いっしょだから。その時はしっかり手を握って、眠ってやる」
 そればかりではなく、去年、アラスカの氷の中で生活をしたときは、元気な者でも体調を崩しかけた。厳しい場所でなければいいが、とジムはつい、考え込んでいた。
 だが、有難いことに、今年はハワイの近くの島に飛ばされ、温かい陽光の、森林の中で訓練が行われた。ジムの心配をよそに、気候のよさも手伝って大した問題もなく、訓練は進行した。
 島に着いた日から、ビリーやポールなどがさりげなく、細かく気を配ってくれたことに感謝した。自殺するんではないかと探し回ったあと、一ヶ月以上も休んでいた副隊長が、歯を食いしばって訓練に取り組むのを、みんなが見守っていた。

 ビリーは、基礎体力訓練だけでも根をあげてしまいそうなほど体力のなくなっていたロイが、決められた回数をこなすまで、夕食後の休憩を返上して腕立て伏せや腹筋運動をしているそばで、自分も黙ってつきあっていた。
「……つきあわなくていい」という、ロイの言葉に鼻で嗤い、「俺はあんたの二倍やるんだ」と強気の発言をしていたが、すぐに二倍もこなせなってきた。
「ほら。ミルクだ。まかないから失敬して、蜂蜜入れてきた」
 汗びっしょりになって、地面に伸びているロイの鼻先に、冷たいグラスがつきつけられた。自分の分をごくごくと飲みながら、差しだしたグラスを振っている。
「蜂蜜?」
「好きだろ? ちがったか?」
 ロイは起き上がり、ありがとうと言うと顔をしかめて一息で飲み干した。
「……なんで、俺が蜂蜜入りミルクを飲むと思ったんだ?」
「なんでって。好きじゃなかったか? チョコはここには……」
「俺は、蜂蜜もミルクもほんとはそれほど好きじゃない。もちろん、チョコもだ」
 はあん、とビリーは小首を傾げた。
「アンチョビのピザは?」
「アンチョビ……? 嫌いじゃないが、ピザはそれほどでも」
「あ、そうか。これは俺の友人のマイキーの好みだった。あんたはマイキーじゃなかったな。レオとドニーとラフィの四人がもう、馬鹿みたいにピザが好きでさ。それもアンチョビの乗ったやつ。けど、なんでアンチョビなんだろうな。渋い好みだと思わないか?」
「……なにを言っているのか、分からない」
「すまん。ちょっと昔を思い出して感慨にふけっちまった」
 ロイは苦笑して立ち上がると、つきあってくれてありがとう、と言ってビリーのグラスとふたつ手にして、食堂のほうへ歩き出した。そして、振り返った。
「その四人って、なにかのチームじゃないのか?」
「ああ。強い四人組さ」
「俺も、どこかで聞いた名前だ」
「有名だからな。やつら。海軍じゃないけど」
「海兵か?」
「いや、軍人じゃねえ。言ったろう? 俺の友だちだって」
 ロイは、なにごとか考えるような目をしていたが、すぐに諦めたように歩き去った。
「レオ隊長、やっぱりあんたはマイキーにはなれないぜ」
 ビリーは呟きながら、その後ろ姿を指で撃った。
 間もなく居残っての基礎訓練は、終わりになった。


 ちょうど島に来て一ヶ月後に、ヘリコプターを使った訓練で事故があり、重症を負った者をチーム全員で救助し、医療ヘリで運ばれるのを見届けた後、ロイが突然いなくなった。夢中で救助に携わり、ロイの作業着が血だらけになっていたのに、ジムは気がついていた。
 ジムがカーターを見ると、合図をよこした。ジムはこっそりとロイを探し、野外のひっそりした場所の木陰に座っているロイのそばにしゃがみこんだ。
「……大丈夫だよ、ジム。血が気持ち悪かっただけで、どうかしたわけじゃない」
「そうか。……俺がいない方がいいなら……」
「いや。いてくれ、ジム。考えていただけだ」
「……眠れているのか?」
 言ってしまってから、まずかったかなと思ったが、ロイは素直に頷いた。
「ほんとうに、眠れてるよ、ジム。やっぱりここへ来てよかったと思う。ドクの意見どおりヴァージニアに残っていたら、また焦ってかえって無理したかもしれない。今はほどほどに疲れて、充実感がある」
 ジムは黙って頷いた。
「血を見ると……思い出すんだ。あのときのことを」
 うん、とジムはまた顎を落とした。
「忘れられる日は来るのかな? 血を見るたびに動揺してるような兵士じゃ、どうしようもないな」
 ジムは、ロイの方に向き直り、両手首を掴んでそのまま後ろに倒した。
「……ジム?」
 上から押さえ込んで、ジムはロイの顔を覗き込み、強ばった顔で「どうだ?」と聞いた。ロイがまっすぐにジムを見返している。押さえ込まれると発作が起きるほど怖がっていたはずなのに、その様子は見られない。そのかわり、もっと違う雰囲気を感じて、ジムは自分の方が戸惑った。
「恐いか?」
「……恐いことを……する?」
「恐いことかどうか知らないけど、キスってのはどうかな?」
「なんで、俺とおまえがキスをするんだ?」
 ジムは答えることができずに、体重をかけたまま、じっとしていた。
 ロイは瞼を閉じた。受け入れる覚悟があるのか、とジムは一瞬息を飲んだ。
「……恐くは……ないよ、ジム。でも、キスされたら血を見るより動揺して、俺は泣くかもしれない」
 ジムが笑いだした。「泣くのか? あんたがか?」
「清楚で初心な、おまえの未来の恋人に申し訳ないだろ? いい加減下りてくれないと、重い」
 ジムが身体をどけると、ロイは起き上がって座ったままため息をついた。
「ジム。……すぐに戻るから、先に行っててくれるか?」
「怒ったのか?」
 ロイは笑って見せた。
「まさか。押さえ込まれても恐くないって、証明された。――それを確認したかったんだろう?」
 ああ、とジムは立ち上がって歩き出した。
「ジム、……マイキーって誰だか知ってるか?」
「マイキー?」
「強い四人組で、ピザが好きな……」
「ああ。タートルズか」
「タートルズ?」
「亀の忍者だよ。あんたそれ気に入って……」
 かめのにんだのむーたんと、という無邪気な声がジムの脳裏に甦った。
「俺は……知らない」
 ジムは口をつぐんだ。
「いやすまん。好きなのはうちの弟だった。ちょっと勘違いした。アニメだよ。子供用の」
 そうか、とロイは自分のブーツに手を伸ばして両足首を掴んだ。
 俯いたうなじが、匂い立つような色香を発しているように見えた。
 もし、黙ってジムがキスをしても、ロイは怒らなかったんじゃないだろうかと、ふと思った。
 ――まさか。それこそ有り得ない。
 キスされたら血を見るより動揺する……。なぜだ? と縋るようにそのことばの意味を考える。そして押し倒したらどうなるか確かめたくて押さえ込んだのに、「キス」などということばを発した自分が、ほんとうはどうしたかったのかもわかっていた。
 もし、いいと言われればジムは躊躇わずあの薄い紅色の唇に、貪るように触れてしまったはずだ。そして、いつかの夜のように、シャツの裾からなめらかな皮膚に手を滑らせただろう。そうなったら、もう子供ではない今、ストップはきかない。
 ロイがもっともいやなことを――ひとつになるための手段を、ジムは強硬に行ってしまうかもしれない。
 間違いないな、とジムは思った。
 今やはっきりと、ジムは自覚していた。
 ロイを愛している……。たとえそれが叶わない恋だとわかっていても。
 手出しはできない、相手だとわかってはいても――。


 野外キャンプを行っていたある日、ジムはカーターのテントに呼ばれた。
「新隊長候補者が決まったそうだ」
 カーターが悲壮な顔で言った。
「そうですか……」
 ジムは頷いた。仕方がないと思っているのを前面に見せているジムを、カーターが睨んだ。
「悔しくないのか?」
「……悔しいですけどね。大尉はそう思ってはいないでしょう」
「君は知ってるだろう? 本当のフォード大尉の姿を。もうほとんど元に戻っている」
「……安心は、まだ早いんじゃ…」
「いや、あいつはもう大丈夫だ。いつか私が言ったな。もうだめだと呪文をかけるなと。彼は一時期、自分でそう呪文をかけていた。だからこそ、私や君が大丈夫だと信じていないといけない」
 ジムはうっすらと微笑んだ。
「少佐の哲学はおもしろいですね」
「潜在意識だよ。私は平凡な男だが、これで自分を奮い立たせ続けてこれた。潜在意識は根っこでつながってるんだそうだ。人間全ての意識とね。だから、こちらのプラス思考がロイに伝わるようにしないといけない。意外とこれは効くんだ。奇跡ってのはそうやって起こるものなんだぞ。ロイの隊長になった姿を、私は思い描いているよ」
 ジムは頷いた。そして口に出して呟いた。
「ロイが隊長になる……」
「ああ。あいつ意外に俺は考えていない」
 カーターの強い意志に、ジムは感動したように涙さえ浮かべた。
 一緒に暮らしていた時の、おゲラなデインは子供のロイと共に、どこかへ消えてしまっていた。
 今、目の前にいるのは、凛としたカーター少佐で、この男はジムと一緒に、一生ロイの面倒を本気で見るつもりだったことなど、片鱗さえも伺わせなかった。
 だが、そう唱えながらも、決まってしまった以上、もうロイが隊長に任命されないことは、動かない事実でもあった。


 長かった遠方訓練がまもなく終わろうとしていた。
 無事乗り切った、と安心したジムが甘かったと思い知らされるように、想定外の出来事が起こった。それは嬉しい裏切りだった。
 この訓練の間に、ロイが各訓練課目でトップになったのだ。
 ロイの本当の復活は、ジムが考えていたよりもうんと早かった。

 チームは基地に戻ってきた。
 長い留守を埋め合わせるように、家族のある者は遊園地に子供を連れて行くのだとか、彼女にサービスしなくてはと、輸送機に揺られながら、隊員たちは浮かれていた。
 基地に着くなり、カーターはバークの元に、呼び出された。
「悪い知らせがある……」
 バークがつらそうに、口を開いた。
 ロイを特殊部隊から除隊させ、調査室へ異動させたいという話が出ているというものだった。
「なんでです? ロイはすっかり調子を取り戻したというのに……」
「ロイは……GI501でテストを受けさせられていた」
「GI501? いつです?」
「自殺する数日前だよ。我々がいないときだな。空白の五日間は、それだ。自殺の件もばれている。その後一ヶ月以上の病欠の原因が、精神不安定だったことも、なぜだか漏れていた。今たとえ調子が良くてもまた任務に出ればどうなるか……隊員として不安が多すぎると言われた。彼の才能を考えたら、このままチームに残すより、それを活かせる場所を与えた方がいいと考えたらしい」
「そんな……」
「正式な辞令はまだ降りていないが、……私はとてもロイには言えんよ」
 カーターは呆然としていた。

 久しぶりにロイがアパートの部屋に戻ったとき、ドアを開けた途端何かを踏んだ。足元に封筒が落ちており、ロイは思わず身を竦めた。
 宛名も住所もない封筒を、ロイは立ったまま、しばらくじっと見つめた。
 深呼吸をし、それを拾うと、テーブルの上に置いて椅子に座った。
 以前、封筒を見て、嫌な気分になったことを思い出した。
 だが、なんだったかはっきりと分らない。なんにしても、不吉なものの予感がした。
 封筒を指で撫でてみると、堅い紙が入っているような感触がする。
 それから、はっと思い出したように、ソファの下を覗いた。何もなかった。
 自分があの時取り乱した原因になった、禍々しいコピーのことが、いきなり頭に蘇った。
 あのコピーはどこへ行ったのか、部屋のどこにもなかった。
 ロイは頭を抱えた。
 思い出したと思ったが、最初からそんなものはなかったのかもしれない。すっかり調子がよくなったと思っていたが、本当は違うのかもしれないと、自分に自信がなくなりかけた。
 とにかくこれの中身を見てみるしかない、とロイは思い、躊躇った。
 たった今ジムと別れたばかりだった。ジムは同じ建物の中の部屋にいる。なにかあったら、ジムに電話をすればいい。一分もしないうちに駆け込んでくれるだろう。念のために、ロイは子機を持ってきてそばに置いた。
 短縮1番は、未だに残っている。親機には【ホーナー】のシールも貼ったままだ。
 ロイは封筒を開き、ひっくり返した。
 中から数十枚の写真が出てきた。
 ジムに、女の子のように横抱きにされた自分の写真が、目に飛び込んできた。
 抱かれているというよりも、自分がしがみ付いているように、しっかりと首に手が回されている。
 ロイは思わず、全てを広げてみた。
 カーターに浜辺で負ぶわれているもの。ベランダでジムに、やはり抱かれているもの。砂に敷いた敷物の上で、べったりとロイが寄りかかっているもの――。
 信じられないくらいやつれた自分の顔が、他人のような気がした。
 一枚、庭で撮られたかに見えるアップの表情など、どう見てもまともではなかった。半べそをかいた、小動物のような目をした自分の顔――。
 いったい、これはなんなんだ? とロイは写真を一枚一枚手にとって見つめた。
 まったく覚えのない写真に、ロイは混乱した。
 日付をみて、自分が寝ていたと聞かされていたときのものだと気がついた。

 写真のロイは怯えた、正気には見えない目をしている。
 やはり、おかしくなって、みんなに厄介をかけていたのだ……。
 誰がなんの目的で送ってきたかというよりも、写真の中身自体のショックに、ロイはしばらくその場を動けなかった。
 頭が混乱したかのように、考えがまとまらず、しばらく両手で頭を抱え込んでいた。
 落ち着け、と自分に言い聞かせた。
 じっと思い出すようにして振り返っているうちに、自分がコピーの写真を見て、酷い発作を起こした日のことが、徐々に浮上してきた。
 何日も掃除もせず、ひたすら苦しみに耐えていたことが、だんだん甦ってきた。
 別荘から戻ったときに、いつものように部屋が片付いており、何の疑問も持たなかったが、あの小島へ出かけた時、この部屋は酷い状態だったのではないかと思いついた。
 あの時間、ロイは何もできなかったのだ。とすると、この部屋を片付けてくれたのはジムに違いないと、ロイは思った。
 カーター達と別れてからも、ジムがずっと一緒にいたために、何も考えないまま、遠い場所で訓練に身をゆだねてきたが、こうして部屋で一人になってみると、あの時の滑稽なくらいの怯えた気分が戻ってきた。
 そう考えてクローゼットを開けると、棚の上に畳まれたシャツやセーターや下着がひっそりと置いてあった。普段自分で置かない場所なので、まったく気付かなかったのだ。
「ジム……」
 ロイはそれを取って呟いた。「俺は今、おかしくなってるわけじゃないな?」
 そのまま棚に衣類を戻すと、浴室へ行って風呂の栓を捻った。
 ゆっくりと湯に浸かって、気持ちを落ち着けよう。
 洗面所で歯ブラシを取り、使いかけの三ヶ月前の歯磨き粉をゴミ箱に捨てた。
 買ってきたばかりの歯磨き粉のチューブを伸ばしたとき、ロイはひどく嫌な気分に襲われた。
 くん、と歯磨き粉の匂いを嗅ぐ。
 ミントがたっぷり入ったそれは、毎日ロイが使っているものと同じもので、なんらおかしいところはないが、ロイはそれを置いて、また写真が並ぶテーブルに戻った。
 いきなり、ペイジの顔が目の前に浮かび上がった。
 キスをせんばかりに、ロイに接近したペイジの顔が、はっきりと思い出された。
 あのコピーも、この写真も、送ってきたのはあいつだと、ロイは確信していた。
 ――だが、いったい、なんのために……?



第二章 歓迎の儀式


硝子の破片

哀しみの追憶

後日憚―哀しみの追憶―

観客

おもちゃ屋探検

おもちゃ談議

キャンディーバー

Pは××のP

金の砂銀の砂第一部

金の砂銀の砂第二部

金の砂銀の砂第三部

僕が彼を憎んだわけ

ロイとジムの映画評