[傷ついた戦士] of [硝子の破片]


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第五章 傷ついた戦士

 中西龍太郎は、ヴァージニア州にある海軍病院の外科担当医だ。
 ただ、精神科医としての実績もすでに積んでおり、間もなく外科医を辞めて、精神科のクリニックを開業する準備の最中だった。

 その日、ひとりの兵士が運び込まれた。
 冬の訪れと共に、小雪が散らついていた寒い日の早朝だった。
 クリスマスが終わったばかりのざわついた空気が、病院内にも溢れかえった暢気な一日になるはずだった。
 海軍のマークのあるヘリコプターで担ぎこまれた急患は、まだ若く、真っ白というよりは、半透明の薄紙のような顔色をしていた。
 意識はなく、すでに死んでいるようにも見える。
 外科のチーフドクターと、龍太郎、そして看護師長と男性看護師の四人だけが、患者と共に特別処置室に入った。その後、ひとり軍に在籍するハルトマンという医師が現れた。
 これだけで、この四人は、この患者が『訓練中に』負傷したのではないことが分かる。今後、この患者の負傷に関しての一切を、口外してはいけないということも、彼らは心得ていた。

「ドクター!」
 驚くほど大きな男が、働くスタッフの邪魔にならないようにしながら、龍太郎のすぐ側に寄ってきた。
 汚れの酷い戦闘服には、どろどろに血が付いている。顔もあちこち腫れ上がり、おそらく身体にも酷い傷を負っているのが、その動きで察せられた。
「君、君も手当てを受けなさい。その身体の血は……」
「これは俺のじゃない。そこの…、大尉のだ」
 傷だらけの顔を歪ませ、大男は早口に、しかも聞き取れないほどの小声で言った。
「捕虜になって拷問された。大尉は……」
 今にも泣き出しそうに間をおくと、男は衣服を裂かれ、診療を受けている自分の上官に目を走らせた。「……犯されたんだ。四人、多分…もしかしたらそれ以上来たのかもしれん。やつら何度も何度も……。生身だけでやったんじゃない。外傷はもちろんだが、失血の原因は……」
「――我々に任せなさい」
 龍太郎は、その男の肩にそっと触れると、チーフドクターに耳打ちした。
 それから、インターンの若者を呼び出して、男の治療を命じ、二人を部屋から出した。

「酷いな。表面の傷は鞭打たれたものによるようだ。皮膚が裂けている。これだけでも相当なショックだったはずだ。打撲による内蔵の損傷がひどい。写真をとる準備を。それから……。ああ、内部からかなり出血しているようだ。これは……」息を飲みながら、次々と症状を口にするチーフドクターの言葉に、龍太郎は先ほどの男のズボンに、染み入るように付着していた血痕を思い出した。
 犯された、というようなものではない。
 それは、明らかな悪意、確かにこれは拷問という名の下に行われたものであることは、疑いようがない。
 意識はないくせに、兵士は時おり、苦しそうに呻いた。この若者の顔も傷や打撲痕がひどい。捕虜、などといいう状況はピンと来なかった。遠い国に出向いてでも行ったのか、いったいどこで、どんな仕事をしてきたというのだろう。
 全裸にされた、胸から下腹部にかけて付けられた酷い傷を目にしながら、龍太郎は、暗澹たる気分になった。

 処置を終え、廊下に出ると、窓際に背の高い男が佇んでいた。恰幅の良い高級仕官が壁際のソファで、目を真っ赤にして座っている。
「ドク……」
 先ほどの兵士と同じような戦闘服に身を包んだ、落ち着いた人物だ。やはり患者の血液が付着している。
 椅子から四本の金のラインをつけた年配の男も寄って来た。
「カーター少佐です。こちらは、バーク大佐。今処置を受けたのは、我々の部下で、チームの副隊長、ロイ・フォード大尉。……彼の容態はどうです?」
「……命は助かるでしょう。酷い状態でしたがね。出血が酷かったので、僅かでも到着が遅れていたら、間違いなく死んでいた状況です。間に合ってよかった」
「会えますか?」という、カーターの言葉に、龍太郎は首を振った。
「彼にとっては、初任務で……。すばらしい才能を持った、有能な男なのに……」
バークが涙を零した。すでに目が真っ赤になるほど、泣き続けていたらしい。
 龍太郎は、戦闘服を着けたままの男をじっと見つめた。
 彼ら軍人というのは、団体でいると無個性で、妙に威圧的な感じを受けるものだ。だが、先ほどの大男といい、負傷した兵士といい、個人レベルで見ると、若く傷つきやすい一人の人間なのが良く分かる。
 このカーター少佐と名乗る人物も、大学で国文学でも教えている、と言われたほうが、余程似合っている雰囲気を持っている。乱れてはいるが、後ろに流した薄いブロンドの髪や秀でた額が理知的な人物であることを、証明するかのようだ。
 この戦闘服を脱げば、軍人の影など、どこにも見あたらないことだろう。
「……つらいものです。命が助かったことを手放しで喜べない。彼のこれからの苦悩を思うと……」
「少佐、あなたも家に戻られた方がいい。熱い風呂にでも浸かって、ゆっくりと休んでください」
龍太郎が言うと、バークが頷いた。
「そうだ、君も疲れている。どっちにしても、ロイには会えないんだ。行こう」
「ええ、ドク。……彼を頼みます」
 病院の白く、長い廊下を立ち去って行く二人の後姿を、龍太郎はじっと見つめ続けた。

 傷ついた兵士は、意識を回復しないまま、眠り続けた。
 まだ、学生のような、若い初級仕官の寝顔は、不安気で、儚さすら感じられる。
こんな綺麗な顔だちをした育ちのよさそうな若者が、軍というきわめてハードな世界になぜ自ら身をおいているのか、龍太郎には理解できないほどだ。
 それも、その中でもエリートと呼ばれているさらに過酷なチームの中に。
 時おり、様子を見に行くと、例の大男が常にベッドの側に蹲るようにして座っていた。
この男もとりあえず入院中だったから、部屋を抜け出してきているのだ。
 いかにもたたき上げの兵士らしい雰囲気を持ったこの男は、ジム・ホーナーだと自己紹介をした。
 海軍特殊部隊の隊員で、衛生兵の資格を持っているらしい。
 だからこそ、上官のただならぬ症状に、余計に恐怖感が募ったのだろう。
「……途中何度か、俺も意識がなかったんだ。ぶん殴られたり、蹴られたりしたもんで……。どのくらいの空白があるかは分からん。でも、何度目かに覚醒したときから、大尉は人形みたいになっちまってた。……俺はもう、あの人が死んじまって、それなのにやつらが嬲ってやがるかと思ったくらいだ」 
 この二人が海軍特殊部隊なら、おそらく今のような話ですら、本来ならしゃべるべきではないのではないか、と龍太郎は思った。
 国家機密だ何だと、いろいろ規律があって、ほとんど出動の事実さえ、一般には明かされないのが普通のはずだ。
 だから、『やつら』が誰なのかは、あえて聞かなかった。実際、彼らのチームの隊長、カーター少佐は、『捕虜』などという言葉は一言も口にしない。
 カーターもまた、チームの副隊長である新米の将校のことを気にかけ、毎日様子を見に来ていた。
 黙って話を聞いているだけの龍太郎を相手に、ジムはぼそぼそと話し続けた。
「それでも大尉は一度覚醒した。……信じられないだろ? 目を覚ましたんだ。だが、それきり……」
 苦しそうに目を閉じて、ジムは続けた。
「……救出されるまでの間、大尉は酷く出血が続いてた。俺は彼を抱きかかえていたが、その血の暖かさが怖かった……」
 この男は傷を負っている、と龍太郎は感じた。
 目の前の男は、自分の上官の受けた痛みと屈辱を、自分の傷として心に背負い込んでいるように見える。
 だから、しゃべらずにはいられないのだ。

 眠り続ける兵士――。

 動物以下の扱いをされ、今は死人のように青ざめた肌を、病院の白い抱布にくるまれている。
 しかし、彼ら兵士の身体力は驚異的だ。ジムだって、この将校だって、刻々と傷は治癒していくのだろう。
 だが、心は? と、龍太郎は思考を止めた。
 ジムは、見ていただけでもこんなに痛手を負っている。当事者はこんなものではないだろう。
 ましてや、それによって命までも脅かされたのだ。
 彼の心がどれほどの傷を受けたのか、龍太郎には計りようもなかった。

 点滴の状態をチェックしようとして枕元に立ったとき、ふと、金色の髪が動いたような気がして、龍太郎は視線を落とした。
 患者は目を開け、龍太郎をじっと見ていた。
 ブルー。――いや、グリーン?
 その瞳は、冬の海のさざ波のように揺れる光をたたえ、部屋の光の動くたびに、微妙に色の具合を変化させた。
「大尉、気がついたんですか? 俺が分かりますか?」
 ジムが嬉しそうに、ベッドを覗き込む。
 龍太郎は、我にかえった。
 思わず見とれていたらしい、と自覚して、心の中で嗤いながら、医師の声で話しかけた。
「ここがどこか分かりますか?」
 龍太郎の呼びかけに、ロイはかすかに頷いた。
「私はリュウタロウ・ナカニシ。ここのドクターです。よろしく、大尉」
 眠っているときには分からなかった、威厳さえ感じさせるような表情に、龍太郎は思わず丁寧な言葉で語りかけていた。眠っているときより十も年を取ったかのように、落ち着いて見えるのは、この冷たい瞳の色のせいなのだろうか?
「よろしく……。ドクター」
 掠れた声で、ロイが言った。
 それから部下に目を移すと、微笑みさえ浮かべた。
「馬鹿だな、泣くなんて……。俺は大丈夫だよ、ホーナー」
 でかい図身体を縮めるようにして、ぼろぼろと嬉し泣きをしているジムは、うんうんと頷きながらロイの手を握っていた。
 心配することはなかったようだ……。
 龍太郎は息をついた。
 気丈な男だと思った。
 あまりに頼りなげな寝顔に惑わされて、余計な取り越し苦労をしたらしい。
 龍太郎は、しばらくしたら部屋へ帰るよう、ジムに注意して、病室を出た。
 このぶんなら、回復は早い。
 だが、その横顔があまりにも穏やかすぎることに、この時龍太郎は思いが至っていなかった。



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