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第三十五章 男たちの温かき手

 秋までに、チームのメンバーは確実に、ふたつぶんの人数になりつつあった。
 シールズの広くはないロビーで、販売機の紙コップの珈琲を片手に、ビリーはカーターとロイを相手に、くだらない話をくっちゃべっていた。
 セーラー服の新入りが、荷物を抱えて入り口から、おそるおそるこちらを覗いている。
「ガーランド! こっちだ」
 ロイが片手を上げて合図をすると、新入りはぱっと顔を輝かせた。
「フォード大尉!」
「デビッド・ガーランド! おまえが来るのを待っていたよ」
 珍しい満開の笑顔で、ロイはドアの近くまで駆けていき、デビッドと握手をした。デビッドは握手のあとロイにハグをし、それから周りに気づいたように気をつけの姿勢をとった。
「転勤願いを出していたんです。ずっと。大尉がリトルクリークに行かれたと聞いたときから、一緒に仕事をしたくて」
「うん。……でもいい時期に来たかもしれない」
 やや自嘲めいたロイの顔に、デビッドはもの問いたげな顔をしたが、なにも聞かなかった。
「たくましくなったな、デビッド」
「大尉の……おかげです。訓練学校を落ちたら、今でも空母でパソコンを叩いていたはずですから」
 じっとその男を見ていたビリーは、目を丸くして指さした。
「……あっ、ああっ、あいつは……」
「知ってるやつか?」
 カーターも興味深げにふたりを見つめていた。
「チキン・デビ!」
 デビッド・ガーランド二等兵士はロイに連れられて、カーターとビリーに紹介され、きちんと敬礼をし、新入の挨拶をした。
「ビリー中尉は存じてます。同期ですから」
「ああ、久しぶりだ。よく来たな」
 空気が抜けたような調子で、ビリーは頷き、握手をした。
 ロイはデビッドに建物を案内するからと、並んで歩き出した。

「チキン・デビって、いつか君が言っていた訓練学校の落ちこぼれか? そうは見えん」
 カーターがそのふたりの後ろ姿を見ながら囁いた。
 デビッドは、小柄でもなく、体格的にはそれほど他人に劣っているようでもない。表情にも自信のような輝きがあった。
「すっかり変わっちまった。筋肉と一緒に余裕まで身につけたらしい。ぱっと見気づかなかったくらいだから。人間ってわからねえ」
「君の話では、てっきり訓練学校を卒業できなかったと思っていたが」
「1班は全員残ったんですよ。恐ろしいことにね」
 ビリーは口を尖らせた。
「なるほどね」
 カーターは、感心したような目をして、ロイとデビッドを見つめた。彼がロイの班でなかったら、今のデビッド・ガーランドはいないのだろうな、と思うとそれは大した偉業に思えた。実際、カーター自身が訓練生の時、落ちこぼれていく仲間を拾ってやることまではできなかったのだ。
「おまえの班はどうだったんだ? 何人残った?」
 ビリーは顔を背け、「言いたくもないね」と呟いて、カーターの笑いを誘った。
「あれが最後の新入りかな。そろそろ、本格的にもうひとり隊長が必要になってきた」
 だが、新任の隊長になるべき人物はその噂すらなく、誰が来るのかも誰にも知らされないままだった。

 バークの部屋に呼ばれて、デスクの前に立ったロイは、「今日から君は隊長代理だ」という辞令を受けた。
「それは……」
 戸惑うようなロイに、バークは笑いかけた。
「補佐はジム・ホーナー曹長だ。ウイリアムズ中尉もメンバーに入る。副隊長だな。古株のポールもジャックもリックも君のほうのチームだ。頼れるメンバーだろう?」
「ですが、それはお断りしました」
「確かに隊長任命は断られたと、長官が言っておられたがね。隊長代理についてはなにも聞いてはいないと」
 いたずらそうな表情でロイにウインクをするバークを、ロイは笑っていいのかどうか困ったという顔で見た。
「他に適任者がいないんだ。引き受けてくれないと、チームがまるまるひとつ、リーダーなしに浮いてしまう」
「大佐……」
 バークは穏やかに微笑み、両手を広げてロイを抱擁した。
「頑張りすぎるな。君は今のままで、立派にやりこなすことができる」
「……分かりました」
 バークが笑った。
「まだ、自分に自信がないのか?」
「すみません。実際のところ、戸惑っています。お引き受けした以上、代理でもなんでも責任は同じですから」
 ロイは居住まいを正し、きちんとした口調で言った。
「通常の任命に、代理などというのは有り得ないのは分かっているだろう? これは長官の、君への愛情だ。君を信じなかったお詫びでもあると言っておられた。これは、力を抜ける猶予だ、ロイ。そう思って、気楽にやれ」
 気楽に……と、ロイは苦笑した。
「ですが、大佐、俺はほんとにそれは……」
「手を抜けと言っているわけではない。けれど、神経を張り詰めすぎる必要もないということだ。とりあえず、君の上にカーター少佐を置く。カーターは当分、隊長と二チームの総責任者を兼任することになる。彼を頼れ。それに隊員はそれぞれがみな優秀なんだ。彼らを信じろ」
 そうですね、とロイは素直に頷いた。
「少佐はもちろんですが、ビリーやジムやポールを……彼らを頼ることにします」
 バークは思わずその頭を撫でかけ、「ゴミがついていたぞ」と、ありもしないものをつまんだ振りをした。
「チームを守る狙撃手なんだが……。カイルはカーターが離さなかった。あれは優秀で腕がいいからな。カーターを慕ってもいるから、そのほうがいいだろう。で、ジャックならと思ったんだが、あいつはどうだ?」
「能力はあります。技術的には。ただ、彼の場合は少し優しすぎる部分があるので」
 うん、とバークは頷いた。
「君が指導すれば、ジャックはものになるから、とカーター少佐も言っていた。自分ではどうしても駄目だと。ジャックのためにも頼めるかな?」
 もちろんです、とロイは答えた。
「みんなの命を守る役目に、ジャックはぴったりです。必ず、いい狙撃手になりますよ。ゴッドというコードネームにふさわしい」
「それから、隊員たちには代理だなどと言う必要はない。対外的にもそうだ。皆が隊長と呼んでくるから、よけいな説明はするな」
 アイ・サーと答えて部屋を出ながら、ロイはドアの前で振り向いた。
「今週末、ゆっくり夕ご飯をご馳走になりに行くと、サムに伝えてくれませんか? サムのキッシュとチリを食べたいとロイが言っていたと。できればジムも一緒に」
「ああ、サムが喜ぶ。ジムも連れてきなさい」
「お願いします。ロブおじさん」
 バークは目を丸くして、閉まったドアを見つめた。


 ロイはバークの部屋を辞去したあと、カーターのオフィスに向かった。
 カーターはデスクに腰かけて、ロイが報告をする前から握手を求めてきた。
「やったな。これからはライバルだ」
「有り難うございます」
「長くても一年だぞ、一年以上私は面倒見ない。来年になったら、楽をさせてくれ」
「申し訳ありません。かえって面倒なことになってしまって」
 カーターは笑った。
「なに。なんだかんだと言っても、片方のチームは君が面倒見るんだ。実際にはなんということはない。君を私に相談してくれる立場に置いておくのは、ちょっと気分がいいしな」
 ロイは苦笑して、目の端に映ったものに顔を向ける。
 デスクの横の棚の上に、空母の大きな模型があった。
「いいだろう? かなり高価なものだから、精巧にできてる。作るのは大変だったけどな」
 ロイは、珍しそうに近づいて眺めた。
 その様子を、カーターがじっと身じろぎもせず見つめている。
 小さな小さな搭載ジェット機までが、きちんと甲板に並べてある。
 カーターも立ってきて、その搭載機をつまんだ。
「こいつを組み立てたやつは、几帳面でね。ボンドの汚れもないだろう? こんなに小さいのに」
「昔、一度だけ、父が乗ってた船の模型を作ったことがあります。もっとずっとちゃちなものでしたが。……こんな小さなジェット機はとても作れそうにない」
「君は、こういうものを作ろうって気がないだけだろ?」
 カーターは笑いながら、「――離艦準備、完了!」と、子供のように、すいっと腕を動かして、ジェット機が飛ぶような仕草をした。
 プラスチックの色といい、艶や縮尺の具合と言い、ロイのポケットに入っていたヘリコプターはこれの一部なのではないかと、ロイはそれとなくヘリコプターを目で探した。
 同じ形のヘリが、端の方に乗っていた。ロイのとは違って、ちゃんとプロペラがまともについている。
 ロイがそれをつまむと、カーターが笑った。
「やっぱり君はヘリの方が好きなんだな。ヘリよりジェット機のほうが早いんだぞ。断然、かっこいいだろう?」
 ロイは黙ってカーターを見つめた。
 はっとしたように、カーターは手を止め、ジェット機を模型の空母に戻した。
「俺は……どこであなたにヘリが好きだと言ったんですか?」
「どこだったかな? 空母に乗ってた時じゃなかったか?」
 そうじゃない。
 仕事中に、そんな話をするわけがない。そんな子供じみた話をした覚えもない。
「……俺のポケットに……、ヘリが一機入っていました。これのヘリなのではないかと思われるんですが」
「いや、違うだろう。ここのヘリはちゃんとある」
 もともと二機あったんではないですかとは聞かず、そうですか、とそれ以上の追求をすることなく、ロイはドアを開けた。カーターはまだ模型を眺めたまま、じっと立っている。
「少佐。いつもオムレツに、ケチャップで名前を書くんですか?」
 ドアを閉めかけたロイに、カーターは眉を上げて顔を向けた。
 カーターの返事を聞かないままに、ロイはドアを閉めた。

 記憶が巡りはじめた。
 SEALの建物の廊下を歩きながら、ロイは断片的に浮かび上がってくる光景にくらくらしていた。
 蜂蜜入りのミルクに、ジムもビリーもこだわった。
 なんとかいうアニメの話や、今のカーターのヘリの話。それに伴って、見覚えのないはずのものが、頭の中をフラッシュする。
 受付を出ようとしたとき、カウンターにいた水兵が、敬礼した。
 敬礼を返して立ち去ろうとすると、「大尉」と呼び止められた。
「なんだ?」
「髪を染めたんですが、いかがです?」
 のっぽで下半身が大きめの不格好な水兵は、自分の栗色の髪を指さした。もともと黄色に近い、鳥の毛のような髪の生えた頭だ。
「ああ。――似合っている」
「これでみんな、ビッグバードって呼ばなくなりますよね?」
「そう呼ばれてたのか? 似てはいなかったと思うが」
 さすがに、『セサミストリート』くらいはロイだって知っている。
 水兵は、は、と返事をして「お呼び止めしてすみません」と姿勢を正した。
 ロイは立ち去りかけて、振り返った。また、子供じみたキャラクターの名前が出たことに引っかかったからだ。
「なぜ、それを俺に聞いた?」
「いえ、なんでもありません」
 ロイはじっとその顔を見つめたが、緊張したように目線を壁に向けている兵士が気の毒になって、踵を返した。

 ナカニシの診療室へ顔を出すと、医師は嬉しそうに手招きをした。
 中には他にも女性士官がおり、小さな男の子の手を引いていた。まだ、歩き始めたばかりのような小さな子供はロイを見上げて怯えたような顔をした。
 ロイは思わずしゃがんで、男の子に手を差しだしたが、子供は顔を背けて母親の足にしがみついた。
「すいません。大尉。この子、人見知りが激しくて」
 ナカニシの患者でもあったのか、女性士官は息子を抱き上げた。
「じゃあ、私はこれで失礼します」
 女性士官がロイにも挨拶をすると、子供はじっとロイを見つめて、おずおずと手を差しだした。小さな指のついた、丸まるとした手を指先で握り、ロイは「またね」と微笑んだ。
「かわいいもんですね。子供というのは」
 龍太郎は自分も目を細め、ロイに座るよううながした。
 ロイは副隊長の辞令を受けたことを話し、おめでとうと握手を受け、そのあと言いよどむように俯いた。
「大尉? なにか?」
「いえ、あなたにも、とても迷惑をかけて……感謝しています」
 ほんとうは、もっと知りたかったことを明らかにして欲しいと思って訪ねたのだが、ロイはそれを言い出すことができないでいた。どう切り出していいのか、ことばが出てこない。疑惑の渦に、戸惑っていたのだ。
 何気なく窓の外を見ると、さっきの女性士官と手を繋いで、よたよたと歩く子供の姿が目に映った。
 龍太郎も、ロイの目線を辿ってまた目を細めた。
「知ってますか? 大尉。幼児が愛らしいのは、十分に愛されて、それを覚え込ませる必要があるからだそうです」
「覚え込ませる?」
「そう。無条件にたくさんの愛情を受ける時期はそう長くはない。成長していけば、親ともいろいろと揉めてくることもあるから。でも、あの愛らしい時期に、人間は愛を知ってそれを宝物として豊かな人間に育つんでしょう。あるいは、それをまた他の人間に分け与えるために」
 ロイは黙って窓の外を見つめ続けた。
 女性士官は子供を抱き上げ、頬ずりをして、小さな鼻にキスをした。
 見ているだけで、確かに幸福を分け与えられているような温かな気分に浸される。泣いて、我が儘を言って、それでも抱きしめられたはずの短い時間が、確かにロイの中にもあったはずだ。それも遠い昔のことではなく、もっと新しい感覚として身内に感じられる気がした。
「ドク。これで失礼します」
「大尉、本当はなにか他に話があったのでは?」
 ロイは首を振り、明るい笑顔を見せた。
「なにもありません。またお茶を飲みに来ます。ドク。カウンセリングも……必要なときはお願いします」
 ドクは微笑んで頷いた。
「いつでも。待っていますよ、大尉」

 アパートに帰ると、ロイは棚に乗せた小さなヘリをつまんだ。なぜだか、プロペラも車輪すらもない、胴体だけの不格好なヘリ。
 それから思い出したように、テレビをつけ、映したことのない子供用チャンネルに合わせた。猫がばたばたと走り回っているアニメが映っているのをそのままに、キッチンに立った。
 夕食だったが、タマネギとベーコンとブロッコリーを混ぜ、ロイはオムレツを作った。
 冷蔵庫から、ケチャップを取り出してじっと黄色い菱形と睨めっこをした。
「D、A、N、E」
 無意識に、口に出た言葉に、ぎょっとする。
 オムレツに名前を書きたいな、といったカーターの穏やかな顔を思い浮かべ、自分がそれを書いたことを確信した。それから自分が握っているのがチューブではなく、瓶のケチャップだったことに気づいて、苦笑して瓶を置いた。
「マイキー!」
 誰かの声に、はっとテレビの画面に目をやると、緑色の亀たちが大騒ぎでピザを食べているところだった。
「アンチョビ、アンチョビ」と浮かれている。
 ロイは、オムレツの乗った皿を持ったまま、ソファに座って画面を眺めた。
 芸術家の名前を持った亀たちは、忍者らしく、各々キャラクターがはっきりとしていて面白かった。幼児のころはともかく、物心ついてからのロイは、アニメやコミックを目にすることはほとんどなかったのだ。
「でも、全部、同じ顔なんだな」
 いや、とロイは思った。「はちまきの色が違うんだ――」
 ――これ見てると、ピザ食べたくならないか?
 どこかからか、ジムの声がした。
 つよいんだよ、というたどたどしい言葉も。
「青いのがレオ、赤いのがラフィ、黄色がマイキー。ドナは……」
 ロイはひとり呟きながら画面を見た。
 ――紫だな、と返事が聞こえた気がした。
「むらさ、さきののはちまき」
 ロイの手から、フォークが落ちた。

 抱き上げられる感触。くすぐる指。
 大きな文字の絵本の図柄。蟹やバッタ、かまきり。キャラメルの香り――。
 クリスマスツリーの華やかな赤や金、白の飾り。
 泡まみれになって、風呂でふざけて遊んだこと。髪を、身体を、洗ってくれる男の手。 握られる手の平の温もり。そして――。
 ――ロイは綺麗だ。自分の身体を嫌いになっちゃいけない。これは、汚いものの跡じゃない。ロイの勲章だ――。  
 自分の胸をぎゅっと押さえる。
 温かい唇の、その柔らかさまでが思い出された。
 身体中に与えられた、穏やかで情熱を秘めたような……。
「ジムとデインが好き……」
 紛れもない、幼いしゃべり方の、自分の声――。
 ロイは皿をテーブルに置き、目元を押さえた。
 小さなヘリに、プロペラがないのはなぜなのか。
 公園での、流れる雲の景色も甦った。
 溢れるほどの愛情を、惜しげもなく注いでくれた男たちの瞳が思い出された。
「ジム……俺は……」
 そばにいた大きな身体の存在が、懐かしく愛しかった。
 あれは……自分を子供のように扱って、愛してくれたあの光景は……。
 身体中に刺さっていた、鋭い硝子のかけらを、溶かすがごとく愛し、包んでくれた幸せな日々――。
 ――ミルク嫌い。ジムもデインもロブおじさんも、おとうさんも、おかあさんも嫌い。ロイは、ロイが嫌い……。
 ――ロイは綺麗だ。自分の身体を嫌いになっちゃいけない。
 ――俺はロイが一番好きだ。
 目元に熱い塊が湧いてきた。
 両手で顔を覆ったまま、ロイはいつまでも項垂れていた。

 俺はロイが一番好きだ――。 


 二つのチームが合同で、久しぶりに野外実戦訓練が、行われようとしていた。
 ジムにとって、この日の訓練は印象深いものとなった。
 ペンキ弾の入った銃をそれぞれが背負って、二つのチームが分かれると、ロイは隊を率いて、てきぱきと支持を出した。移動して待ち伏せする場所をロイが地図で指示すると、ビリーが異論を唱えた。
「そっちより、この地点のほうが攻撃がやりやすい」
 ビリーが指差した地図を見て、ロイは首を振った。
「そこには間違いなく伏兵がいる。今行けば鉢合わせだぞ。カーター少佐ならそこをはずすことはしない。少佐の裏をかかないと、絶対に勝てない」
 ロイは意見を却下し、最初に決めた場所へ隊員を率いていった。
 ロイが指定した場所は、低い場所でありながら周りの状況が掴みやすいという、不思議なところだった。
 それぞれを持ち場につかせ、一人を木に登らせて見張りをたて、動きがあったら知らせるように指示し、息を潜めた。
「今、カーター班、南○地点を通過」
「何人だ?」
「十名……。四人足りません」
「ビリー、お前が言った地点に伏兵が潜んでるぞ。おそらく四名はいない。コンビのはずだ。ジョンと行け。ジャック、お前はリックとこの地点に回れ。残りの二名がいるはずだ」ロイの指が地図の上を走った。「この方角から撃て」
「了解! 隊長! ジョン、着いてこい!」ビリーたちが駆け出し、ジャックとリックが反対側に走って消えた。
 ロイのチームは密かに移動し、カーターが気付いたときには、周囲を取り囲み、一斉掃射を見舞った。
 ビリーたちの方角からも、歓声があがった。
 反対側からはジャックが手を上げて、死んだふりをしている二名を引きずって戻ってきた。
 結局、カーター少佐の一群の、全員が仕留められた。少佐自身が背中に真っ赤なペンキをつけられており、「死亡者」のラベルを貼られる不名誉を負わされた。
「君達はどこにいた?」
 カーターは意外そうにそう言い、ロイはちょっとだけ笑みを浮かべ、「秘密です」と言うと、隊を呼集して整列させた。
「……仕方ないな」
 カーターは悔しそうに自分のチームを集めた。
「全員、罰を受けるぞ」 
 今日ペンキの血を浴びた者全員で、撃った連中に酒を奢ることを提案した。

 飲みに行く前に、いったん帰宅しようとジムと一緒にアパートに戻る途中、ジムが石鹸を切らしていた、というのでロイは通りかかったコンビニにジープを止めた。
 小さな店で、厳つい顔の親父がカウンターにひとり立っているだけだ。
「おや、いらっしゃい」
 ジムが石鹸をとって、小銭で支払いをしているそばに、ロイはなんとなく立っていた。
「ほい」
 目の前に、オレンジ色の小さな棒付きキャンディが差し出され、ロイは眉を上げて親父を見た。
「お、気前いいな、親父」
 ジムが代わりにキャンディを受け取り、自分のポケットに入れた。
「お兄さん、今夜はパンの缶詰は買わないのかい?」
 歩きかけて、ロイはその言葉に振り返った。
「パンの缶詰?」
 ジムがはっとしたように、親父に目をやった。
「そら、そこの、うさぎが焼いてるパンだよ。ふあっと膨らむやつ」
 ロイがじっと見つめると、親父はちょっと戸惑ったように頭をかいた。
「ええと……。ちがう兄さんだったかな」と、呟きながら、ポケットから煙草を出して咥えた。そのくせ、ちらちらとロイを窺っている。
 この反応と同じものを見たことがある。警察へ、誘拐未遂事件の顛末を聞きに行ったときだ。記憶を無くされていたんでしたよね、と言いながら刑事は要点を説明してくれたものの、何度も何度も訝しげな目をロイに向けたのだ。
 ロイは、どぎまぎしているジムのそばを離れ、缶詰の棚の前に立った。
「……ジム、これも買ってくれないか?」
 ジムはおずおずと近づき、「どっちを買う?」と聞いた。
「白いのと、黒いの」
 ジムは、ロイをまじまじと見つめながら、大きな手で両方の缶を掴んだ。 

 全員が大喜びで酒場に行き、大騒ぎになった。
「ロイ、今日は見事だった」
 カーターが、肩を叩いてビールの瓶をかざした。それに打ち付けて、ロイは微笑んだ。ジムがその様子を隣で見ていた。
「どこにいたのか、教えてくれないか?」と、囁くカーターに、ロイは場所の地図上の記号を口にした。
「あんなところに? 丸見えだろう?」
「でも、少佐たちには見つかりませんでした」
 カーターは唸り、ビールを一気に飲み干した。
 ビリーが来て、カーターを押しのけるようにロイの横に並んで、肩に手をかけた。
「あんたには適わねえよ。俺が言った場所にはディクソンと、カイルがいたんぜ」
 腕利きの銃の使い手がふたり、潜んでいたということは、おそらく半分、もしくは全員が殺られていたかもしれない、とジムは思った。
「あの場所に行ったことがあるのか?」
 ジムが聞くと、ロイは首を振り、「地図で見れば分かる」と答え、ジムとカーターは思わず目を見合わせた。
「おい、どうなってんだ? あいつの頭の中」
 ビリーはロイから離れ、ジムの隣に来て囁いた。
「地図であそこまで完璧に分かるもんか。かわいくねえなあ。ハッタリつけやがって」
「もともとがそんなタイプだったろう? かわいげがないんだ、あの人は」
 ジムが眉を上げて言った。それから満足そうに頷いた。「戻ってきた。フォード大尉が」
「あん?」
 ビリーはすでに顔を赤くし、酔いが回り始めたようだった。「確かにな。俺ぁ、あんなふうなとこが嫌いなんだよ、ホーナー。超然としやがって。昔から嫌いだった」
 それからふと黙りこみ、ビリーは背伸びをして、あたりを伺い、ジムの耳元に囁いた。
「内緒だけどよ、通り歩いたときは、お手々つないでだぜ? 歯磨きまで手伝ってさ。ちんちんつまんで身体の隅々まで洗ってやったっての。サイテーな経験だったぜ」
「サイテーだったか?」
 ジムが、げらげらと笑った。
「俺ぁ、子守は嫌いなんだ。特に、あんなかわいいあいつなんか、二度と見たくもないね」
「ああ、そうだろうな。水と油みたいだもんな、あんたら。そのわりにはしっかり面倒見てくれたんだな」
 ジムが言うと、ビリーはジムの胸倉を掴み、今度は正面から顔を寄せた。
「そうさ、弱っちいあいつは嫌いだったぜ。勘違いすんなよな。俺がガキみたいなあいつの裸見たくらいで満足してるかよ? あん時はな、仕方なかったのよ。べえべえ泣きやがって、ほっときゃ死んじまいそうな顔して。こわいのいたいの言いやがって。にんだとか、しろいののとか、幼稚なしゃべり方しかできなくてよ。移っちまってまいったんだからな」
 ジムは、ロイの方を伺って、周りを気にしながら、誰にも聞かれていないことを確認した。酔った勢いのわりには、ビリーはちゃんと声を潜めている。
「……けど、プールに入って泳ぐあいつはさ……。まるで人魚だった。俺は思わずあいつがプールから海の彼方に行っちまうんじゃないかって、焦ったくらいだ」
 ジムはじっとビリーを見つめた。ジムやカーターやバークができなかったことを、この男はやってのけた。ロイが一番肌になじんだ水の感触を与えた。そこで泳げたことがきっかけで、あの子犬を助けられると、ロイは思ったのではないか。あの時は肝が冷えたが、その海で泳いだことが復活につながったのではないか――。
 思えば、その翌日のことだったのだ。ロイが復活したのは……。
 ロイはずっと、泳いで戻ってくることができなかったせいで、現実に拒否され続けていたのかもしれない。

 ビリーは好みでもない男の熱い視線に、頬を赤らめながら怪訝な顔をしていたが、その真正面のジムの顔につばを飛ばさんばかりの勢いで続けた。
「とにかく、一生あのまんまなら、俺ぁ、西海岸に帰るとこだったぜ。俺ぁな、あいつの今みたいな、あの取り澄ました顔を見てると、俄然ファイトが湧くんだ。押さえつけてやっちまいたくなるんだ。俺の腕の中で、今度は色っぽく泣かせてやるぜ、いつかきっと」
 ジムは呆れて、真っ赤なビリーの顔を見つめた。
「お前、大尉が好きなのか、嫌いなのかどっちだ?」
「嫌いだって言ってるだろ? 大尉」
 ビリーは大声で、少し離れていたロイに呼びかけた。
「俺ぁ、あんたが大嫌いなんだ!」
「うん、知っている。今さらそんなに怒鳴らなくても」
 ロイはビールを飲みながら、表情を変えずに言った。「でも、好いてくれたこともあったな、ビリー。また蟹を食べに行くか?」
 ビリーは、ぼうっとしたようにロイを眺めていたが、ジムに向き直り、「そう、そうだよ、こいつ、ママみたいに蟹の身を出してくれるんだ。信じられるか? 身をほじって皿に並べるんだぜ? 俺のママはそんなこと、してくれたこともないってのに。おかしいだろ? なんでも完璧すぎんだよ! あいつは消毒薬の風呂に浸かってるんだぜ、多分」
 しつこく絡むビリーの腕をはずし、ジムは閉口してロイの隣に逃げてきた。
「俺ぁ、ぜったい、やってやるからな、大尉!」

 入れ代わり立ち代り、隊員たちがロイに乾杯をしにきた。
 ふたつのチームが分かれるまえに、九名が新しく入ってきたており、今日ここにいる二つのチームを合わせて二十八名が顔を揃えていた。
 だが、以前からかかわった者たちには、格別の想いが感じられた。
 彼らは何も聞いてはこなかったが、その手助けは心強かった、とジムは思った。彼らの愛する大尉が、重い石を背負うようにして訓練をしていたことを、黙って見守り続けてくれた。
 あのヘッドライトの眩しい光に照らされて、死にかけた大尉を心配して、半べそをかきながら集まってきた姿を、ジムは一生忘れることはないだろう。
 そして今、彼らも気付いているのだろう。
 ようやく本当の彼が戻ってきたことに……。
 新しい隊員たちには、半年前までのロイなど想像もつかないはずだ。
「俺も蟹を食べるのは得意じゃないんだ。不器用だからな」
 ジムが笑いながら言うと、ロイが微笑んだ。
「じゃあ、お前の蟹の身も皿に並べてやる」
「そいつはいい。今度ぜひ食べに行こう!」
 カーターが会話を聞きつけて、そばにやって来た。
「蟹ってなんの話だ?」
 ジムが話をすると、カーターはひとしきり笑っていたが、「実は私もあれをほじるのは苦手だ」と言った。
「今度お供してもいいかな? ロイ」
「あ、俺も大尉に蟹ほじって欲しい」
 ポールが大声で参加してきた。
「蟹? 大尉、あれ剥くのうまいんですって?」
 ジャックが顔を覗き込む。 
 わらわらと集まって、てんでに「大尉に蟹を」という話を伝え、みんながそれを今から食べに行こうという話で盛り上がった。
 ロイは呆気にとられたような顔をして、後じさった。
「……そんなにたくさん、俺はいやだ」
 ブーイングの嵐の中、ロイは引きずられるようにして、みんなに連れ出された。
 カーターもジムも大笑いをし、後からついて外に出た。
 いつの間にか、訓練学校で担がれるボートのように、ロイは何人もの手で担ぎ上げられ、外の道路を行進していく。
 近場の蟹の店まで、みんな本気で行くつもりのようだった。背中を持ち上げられたロイは、楽しそうに笑って、身を任せていた。ジムは安心したように、その姿を見ながら後について歩いた。
「こりゃ、明日までかかるな。蟹が回ってくるの」
 カーターが言いかけ、ジムを見た。ジムは感慨にふけっているような表情を浮かべて、前を歩く塊を見ていた。
「どうした?」
「ああして担がれても大丈夫になったんですね、少佐」
 カーターはジムの肩を叩いて、笑った。
「心配性だな、ジム。まるでそれじゃ恋人だよ」
 ジムは頭をかき、「そうなりたいくらいですよ」と、聞こえないように呟いた。
 大勢の人間の喧噪の中で、ジムはロイが自分の名を呼んだ気がした。
ふと、抱え上げられたロイが、首を捻ってこちらを見ている視線に気づいた。
 視線が絡まり合い、荷物のように揺らされながらも、ロイは黙ってこちらを見ている。その、青緑色の瞳の色さえ見える気がした。
 やがて、瞼がふっさりと下ろされた。
 途中で、ロイはやっと地面に下ろされた。人垣ですでに姿は見えなくなった。

「あいつは、あの時の記憶を取り戻したんじゃないかな?」
 カーターの言葉に、ジムが隣の男を見つめた。
「まさか」と言いながらも、ジムはポケットの棒付きキャンディに手をやった。ロイのアパートには、ロイの嫌いなはずの甘いパンの缶詰が置かれている。
「全部ではないにしろ、なにがどうだったかくらいは、気づいていると私は思うな」
 そうか、とジムはさっきの視線を思い出していた。
 どこまで、どんなふうに思い出したか知らないが、おそらくジムがしたことも記憶に上ってきたに違いない。
 だが、それを確認する勇気はなかった。
 今後も、ロイとつきあっていこうと思うならば、ジムは今のスタンスを変えることはできない。ジムからなにかを仕掛けることなど、とうていできることではない。
 だがもし、ロイがジムに歩み寄ってくれることがあるならば――。
 いつの日か、そんな日が来ないとも限らない。
 カーターの言うように、希望を持っていればいつの日かきっと。
 ジムは、ひとり笑った。
 カーター哲学に従って、希望を持つくらい罪ではないだろう。
 そう。いつの日か――。
 いやそんな日が来なくても、ジムはかまわないと思った。
 ずっと、そばにいられればそれでいい。
 剥ぎ取られた、鎧の代わりにジムがいる。そうロイが思ってくれるならば。
 ――ジムがすき。
 心のどこかに、その想いを残してくれているならば。 
 大騒ぎの団体に取り残され、道端でへたって眠りそうなビリーに気がつくと、ジムはビリーを抱えあげ、ひょいと肩に担いで歩き出した。
「セーター、弁償しろよ、あの野郎……」
 背中で、ビリーが呟くのが聞こえた。 









硝子の破片

哀しみの追憶

後日憚―哀しみの追憶―

観客

おもちゃ屋探検

おもちゃ談議

キャンディーバー

Pは××のP

金の砂銀の砂第一部

金の砂銀の砂第二部

金の砂銀の砂第三部

僕が彼を憎んだわけ

ロイとジムの映画評