[さようなら、小さなロイ] of [硝子の破片]


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第三十四章 さようなら、小さなロイ

 バークからカーターの元に、電話がかかったのは日曜の夕方のことだった。今から別荘に来られるか? というバークの言葉に、カーターは行きます、と返事をした。ジムもつれて来い、というので連絡をし、カーターはジムのアパートの前に車を止めて、ジムを待った。
 バークの別荘につくと、勝手知ったる家に入っていった。
「おかえりなさい、デイン」という、行儀のいいロイの言葉が聞こえてきたような気がした。
 別荘はあの時のままで、バークの買ってきたおもちゃや子供向けの本は今も棚に並べられており、ここに三人が集うと、小さな子供のロイがベッドルームで眠っているだけなんじゃないかと、時間が戻ったような錯覚を覚えた。
 ジムが同じことを考えているのか、ベッドルームのドアを開け、ちょっとだけ覗いて戻ってきた。
 バークは、冷たいビールを抱えてキッチンから出てきた。キッチンのテーブルにチーズやハムが乗っており、ビールを渡してバークが座るよう促した。
「まあ、飲みながら話をしよう……懐かしいな、ここは」と、バークが言った。
 全員があの時のことをやはり考えていたのだなと、カーターは苦笑した。
「昨日、ロイが提督たちと話をした」
 バークが言うと、ジムが飲みかけていたビールから口を離した。
「あいつめ。君たちの潔白を晴らすことしか、考えてなかったみたいだな」
「……それで?」
 カーターがいうと、バークは頷いた。
「チームを辞めて、軍も去ると言ったそうだ」
「馬鹿な……」
 カーターはビールを、ごくっと音をさせて飲みこんだ。
「まあ、話を聞け」
 バークはゆっくりと話を始めた。ジムとカーターに、あらぬ嫌疑がかけられていたこと、ロイがハミルトンを証人として、ペイジを告発したこと。
 提督はハミルトンに、送りつけたというコピーと一緒に、拷問時の調書の原書を渡された。
「酷い内容だったそうだ。これを被害者の口で語らせたのかと、提督はご立腹でな」バークが言った。「私も今日、目を通したが、読むに耐えなかった」
「そんなに……」
 そりゃ、そうでしょと、ジムが低く呟いた。
「簡略化してしゃべったって、ひどい内容なんだから」
 調書を取られたとき、ロイは酷く具合を悪くしたようだったと、ハミルトンが証言し、ペイジが最初からなぜかロイに絡んでいたことも付け加えた。 
「ことにあの、救出時の病院での写真流出の件は、ペイジの最大のミスだな。それに、うちの坊やが押さえた、ペイジの行状は身を破滅させた。ブキャナンが、個人で調べ上げたロイを、やっぱり調査室に迎えたいとまで言い出したそうだ」
 カーターは憮然とした顔で、ビールを飲み干した。
 ジムはテーブルに肘をついて、ぼんやり考えているようだった。
「その上ペイジは……」
 バークは言いかけて、顔を歪めた。「いや、私も良く聞いてはおらん」
「その上、なんです?」
 ジムがはっとしたように、光るような目を向けた。
「……あの時、あの基地の応接室でのロイとペイジはおかしかった。そういう虐めじみたことだけでなく、他になにかあったんでしょうが?」
「聞いてはおらんのだ。GI501でペイジがロイを、テストした、その内容までは聞かされておらん」
 苦々しく眉をひそめたバークの額に、青筋が浮いたのを見て、カーターはジムの肩を揉むように手を動かした。聞かされてないわけではないことが、その顔から伺えた。
「ジム、よすんだ。なにごとかがあったのは、君だって察してるんだろう? ロイは拷問の精神的外傷を制御しかけていた。そうできなかったのは、それ以後上乗せするようななにかがあったからだ。ロイをあそこまで追い詰めた直接の原因がペイジによって行われたとしても、ロイが自分で片をつけたんだ」
「そうだ。結論を言えば、とにかくペイジは解雇になる」
 バークのはっきりした言葉に、二人は同時に顔を上げ、それから手を打ち鳴らした。「けど、なんだってそこまでロイにこだわったんだろう? 何も関係ないはずなのに」 ジムの言葉に、カーターが少し考えるようにして言った。
「あの、元恋人の顔が……、なんとなくロイに似ていたことに気付いたか?」
 ジムが頷いた。バークもそういえば……、と呟いた。
「でも、過去に潰されて自殺してしまった……。なんでそこまでして正気にかえしたかったんだ? ペイジは」
 カーターの疑問に答えるように、ジムが言った。
「自分を忘れられたくなかったんじゃないかな。覚えていてもらえないのは、つらいもんです」
 カーターは、思わずジムの顔をじっと見た。それから、怒ったような声を出した。
「あいつはやっぱりロイが欲しかったんだよ。恋人とだぶったかどうかは分らないが、欲しかったのは間違いない。できれば個人的に」
「まあ、そう解釈するのが一番わかりやすい。そういう性癖の男であったんだろう。最初にうちを訪ねてきたときから、嫌らしい雰囲気はあった」
 バークは、警察を訪ねたロイが、あまりにもあの時の印象と違うので刑事が戸惑ったそうだと苦笑しながら、続けた。
「私たちが隔離されてた時、家から連れ出したのもペイジだ。誘拐未遂の容疑もかけられている。それを考えれば、あの男がロイにどんな関心を抱いていたかが察せられる。だが、こうなるともう、ただの嫌がらせではない、明らかな犯罪行為だ。足跡の照合もされているし、彼の車についているはずのロイの指紋も検出されるはずだ。マーキュリーが違う持ち主のものなら、ロイの指紋などつくはずもないからな。いずれウイリアムズ中尉が証人として呼ばれるだろうし、裁判になれば、ドクターナカニシが当時のロイの様子を話すことになる。ロイに知られるような事態にならねばいいが」
「俺たちにはもう、なにも知る権利はない。ロイは庇護される立場じゃなくなったんだ」
 カーターが言った。
「そう、よけいなことはロイのためにも聞かない方がいい。君たちのためにもな」  バークが汚いものでも吐くように言った。
 ジムが頷いた。
「……くそっ。本当に心を病んでいたのは、誰だったんだ」

 話題を打ち切るように、バークが表情を変えた。
「新任の隊長の話が、白紙に戻ったぞ。辞令を受けた少佐が、車の事故で長期入院したらしい」
「ですが、すでに隊員はぞくぞくと集まってきてるんですよ」
「ロイと話をして、彼ならば大丈夫だと、長官が言っておられた。調査室行きの話はとりやめになった。ロイは辞職しなくてすむ」
「……やった!」
 カーターが思わず立ち上がると、ジムがつられるように椅子を蹴り、ふたりはがっしりと抱きあった。
「喜ぶな。隊長になるのを、ロイは断ったそうだ。残ってもいいのなら一隊員からやり直したいと、頑なにな。――長官が困っておられた」
「なんで……」
 カーターが不満げに言った。
「その方がいいのかもしれませんよ。隊長になれば、また頑張りすぎるのは、目に見えている。今は黙って自分を作り直していく時期かもしれない」
 ジムが呟いた。
「……けどなあ」
 カーターが諦めきれないように、ビールの瓶を額に当てた。
「仕方ないな」
 バークはビールを一口に飲み、ここにいた頃の、人のいいおじいさんのような微笑みを浮かべた。「ジムの言うとおりだ。本当なら調査室へ異動になっていたことを思えば、まだましだと思うしかない。それどころか、本当ならロイはもうこの世にもいなかったかもしれん。あるいは、子供のまま、今頃はサムと遊んでいるか。とにかく、今があるのは君たちのおかげだ」
「チームの……みんなのおかげです」
 ジムが言った。「あの自殺の時、隊員たちが集まってくれてたのが、救いでした。あれが大きな曲がり角になったと、俺は思います。あの日、あのまま病院へ行くのだと、少佐も俺も思っていたんですからね。そうしていたら今頃どうなっていたか……」
「そうだな。私もお手上げの気分だった。彼に触ってはいけないと言われたときは、ショックだったよ」
 バークが肩を落とした真似をした。「君は最初から、一人でよくやってくれた……」
 バークの言葉に、ジムが首を振った。
「俺にとっても……、あれはトラウマなんです。あの現場を、ずっと見ているしかなかったということが。ロイがあの場で死んでいたら、俺は今頃生きていないか、おかしくなってたのは俺の方だったかもしれない」
「おい、俺はおまえを抱えて歩くのはごめんだぞ」
 カーターがちゃちゃを入れた。ジムは微かに笑って続けた。
「ロイの手助けをすることで、俺自身が立ち直っていたんです。最初はそれも拒まれて、ずいぶん気を揉みましたけどね」
「不思議なもんだな、人間というのは」
 大佐が、ため息をつくように言った。「私はロイが子供のようになったとき、本当にあのままでもいいと思った。たとえ正気に戻っても、二度と軍に戻したくはないとすら思っていた。今でも時々思い出すよ。実に愛らしかった……。サマンサに申し訳なくてな。あのロイともっとたくさん遊ばせてやっていたらよかったと、今でも後悔している」
「私は、彼には海軍しかないと思っていました」
 カーターがきっぱり言うと、バークは頷いた。ジムがうっすらと笑い、カーターが牽制するように、横目で睨んだ。
「そうだったみたいだな。君の働きには本当に感謝している。ロイが悲惨な状態で戻ってきてから一年半近く……。思えば長い道のりだった。よく踏ん張ってくれた。通常より多い隊員を抱え、おまけに病人まで抱えて」
 バークは感慨深げだった。
「彼だったからこそです。……これは私のトラウマです。瀕死の状態を知っていながら、その後長いこと、彼のつらさが見えていなかった。その上、救おうとしたことが裏目に出て、結局死の淵まで追いやったんです。追い詰めたのはペイジだけではない。自分に足りないものが、嫌というほど分かりましたよ。何としても守らなければ、私が潰れそうだったんです」
 ジムがまた、ベッドルームのドアを開けて中を覗いた。
 二人の視線に気がつくと、「つい、手を握ってやる頃じゃないか、って錯覚しちまって」と、照れたような笑いを浮かべて戻ってきた。 
 カーターとバークはわかる、というように頷いた。
 三人の間には、そういう共犯者めいた絆が生まれてもいた。
「ひとりで戦うな」という言葉は、カーターもバークもジムもロイに一度は口にした。
 だが、ロイに限らず、そう簡単に人に頼ることなどできるはずもないし、無理やりに他人がかまうことなど、できるはずもない。
 幼い子供のようなロイが「怖くてひとりであるけない」と言った言葉は、ああいう状態にならなければ、決して口に出すことができないほど無防備だ。
 あの時、差し伸べられた、みんなの手を受け入れることができなければ、おそらくロイは今、ここにはいなかっただろう。
 間違いなく死の方向へ突っ走っていたはずだ。
 自分を守るために、ロイは、子供に戻らなければならなかったのかもしれない、と誰もが思った。
 人間の身体が自然治癒力を発揮するように。あるいは、体内の菌が悪いウイルスを退治するように。素直に怖い、いたい、つらいと訴える場所を、ロイのどこかが探していたのかもしれなかった。
 結果的に、あの夢のような共同生活が、ロイを今の時点まで引き戻したと、カーターは信じていた。

 バークは立ち上がって、棚からおもちゃや図鑑などの本を持って戻ってくると、それらを暖炉用の薪の上に乗せた。カーターとジムもその前に来て、座り込んだ。
 火をつける前に、バークはカーターを見て微笑んだ。
「君はこの機関車を、気に入っていたんじゃなかったか?」
 カーターは首をすくめて見せた。カーターの基地のオフィスには、みんなで作った空母が飾られていることを、ジムは知っていた。子供用の機関車ではおかしいが、空母の高価なプラモならば飾っていても不自然ではない。
 バークは暖炉の点火ボタンを押した。
「もう、これを必要とする子供はいないからな。残さないほうがいい」
「出発進行」という、車掌の声が一声響き、暖炉の火に車体が溶けていくのが淋しさを誘った。
 お母さんのような、かいがいしいジムや、甘い甘いおじいさんの微笑を浮かべたバーク。そして、ちょっとだけマイク・フォードを意識したお父さんを演じたカーター。
 綺麗な青緑色の瞳をさらに純粋に輝かせた、泣き虫で甘えきったロイ……。
 二ヶ月近くも、車いすを使うことなど思いつきもせず、軽々と抱き上げ、背負って回った男たちだけの暮らしが懐かしくすらあった。
 一生このままでもいいかと、誰もが考え、それを望んででもいるかのように、穏やかで、幸せな毎日だった。
 煙は暖炉の排気口に吸い込まれ、そんな日々はもうどこにもないのだと教えるように、全てを消滅させていった。
 そう――。
 今では誰も、そんなことがあったようなそぶりすら見せず、淡々と男の仕事をこなしている。
「ロイがみんなに改めてお詫びとお礼を言いたいと、この間私に言ってきた。少し何か思い出したんだろう」
 バークが煙を見ながら、呟くように言った。「必要ないと言っておいた。仲間の誰かが困ったときに、君がそれを返してやれと。それでよかったかな?」
「もちろんです」
 カーターが頷いた。「あの男に、君は泣き虫の甘えん坊だったなんていったら、それこそ辞表を叩きつけられかねない」
 ジムが飲んでいたビールを噴き出して、笑い出した。
「だって、彼からすれば、サイテーだぞ。私にキスまでしてくれたんだ」
「こだわりますね。よほど、それが嬉しかったんですね、少佐」
 ジムが笑いながら脇腹をつついた。
 カーターはバークを見ながら「あれほど幸せだった瞬間はないな」と頷いた。「恋人でもない、純粋の固まりみたいな人間に愛されていると思ったら、震えるほどの嬉しさを覚えましたよ。子供を持っている人間が、みなあんな気分になるんだとしたら、給料を自分以外のために使っている家族持ちの男たちの気持ちが少し分かる気がします」
「どうせ私はほっぺただ」
 バークが、不愉快そうに呟いた。「で……君たちは、どっちが花嫁になるつもりだったのかね?」
 バークの言葉に、今度はカーターがビールにむせて咳き込んだ。ジムはうろたえて持っていた瓶を落しかけて、お手玉をした。
「私たちから、ロイを奪おうとしていたことくらい、お見通しだ」
「た、大佐!」
 バークは笑い出した。
「ヘリコプターのおもちゃがな。見ると寂しいが、あれだけはどうしてもあのまま持っておきたくてな。処分できないでいる。何度も何度も、樅の木の下であれを開けたときのロイを想像した。現実ではないのに、その顔が忘れられん」
 ジムが何と答えていいのか分からないような顔で、顔をつるりと撫でた。
 一瞬、沈黙が流れ、暖炉の火が燃えて、解けて固まった機関車の残骸が薪から落ちる、ことんという音が響いた。
「デインとジムがすき……」
 そのたよりない、愛らしい言葉の余韻さえ、煙と共に暖炉の煙突に吸い込まれていくような気がして、カーターはじっとそれを見つめ続けていた。
 バークの携帯が鳴ったために席を外したとき、ジムは暖炉の火を見つめたまま、カーターに聞いた。
「少佐はロイが好き……なんじゃないんですか? その、結婚もしないでロイと暮らそうとしたというのが、今でも信じられないんで。俺はあやうく辞表を出す寸前でした」
 カーターは久しぶりに、げらげらと声を立てて笑った。
「好きだよ。愛しかった。あの小さなロイと一生暮らしたかったほど。あの時は確かに本気だった。でも、今のロイの方がもっと好きだな。ただ、それは君が考えているような気持ちじゃない。今の彼は、俺の尊敬する相手だ。フォード大尉とは共に暮らしたいとは思わないな。毎日、あんな癇性なほどきちんとした部屋に帰るのは嫌だ。だって、ちょっとでも散らかしたら、あの冷たい目で睨まれそうだろう?」
 確かに、俺がロイの部屋に居座って散らかすと、睨みますね、とジムは笑いながらもカーターの顔を見つめた。
「あなたがロイを尊敬……ですか?」
「なんだろうな。よく分からない。……惹かれてはいるが、恋じゃない。やっぱりリスペクトだろうな。俺にとって、あいつは怖いくらいの存在なんだ」
「ふうん」
「おまえこそ、どうなんだ? あのままなら、おまえは今、専業主婦だぞ」
 ジムもへらっと笑った。
「今頃は――俺は家で料理や洗濯をしていたはずですね。給料を持って帰る少佐を待ちながら、ロイと庭で毎日遊び呆けて。風呂に入れて、一緒に眠って……あなたと三人で馬鹿みたいに笑い転げて……」
 ジムは、立てた膝に顔を埋めた。
「恋……かもしれませんね。男なんて好きになったことはないし、俺にもわからないけど。どっちに未来が転んでも、俺はかまわなかったような気がします」
 ぽん、とカーターが肩を叩いた。
「おい、おまえに合うウエディングドレスはないぞ。諦めるんだな」
 ジムは軽口にお愛想程度の笑みを返しながらも、自分の拳を見ていた。
 カーターがそれになんとなく目を向けると、指の付け根が傷つき、変色しているのが見えた。その視線に、ジムが苦い顔をして笑った。
「一発だけ、殴ったんです、あの男を。歯が何本か欠けるほどの勢いでね。もっとやってやりたいと思っていたが、周りに人が来てあきらめた。……いつか本格的な仕返しがしたいと、……俺はほんとはずっと思い続けていたんです」
 うん、とカーターは頷いた。
「けど、それを実行したら、君は軍刑務所行きだ。人が来てよかったよ」
 実際、カーターはジムが用事を思い出したと消えた後、すぐに後を追いかけたのだ。やりすぎない程度でとめなければと、思ってのことだった。
「殴られてもああいう男は、堪えない。そういう意味では、社会的に葬ったロイは、冷静だよ。今現在のペイジの心境を思うと、同情すら覚えるよ」
 確かにね、とジムは拳を唇につけた。
「冷静だ。あの人はいつの時でも。短絡的なことはしない。……これでやっとカタがついたんですね、少佐」
 終わったな、とカーターも頷いた。







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