[鎧をなくした子猫] of [硝子の破片]


HOME > ガラスの破片 > 第二十三章 鎧をなくした子猫

garasunohahen_title.png

第二十三章 鎧をなくした子猫

 ロイは暇さえあれば、転がったまま、窓から海を眺めていた。
 掃きだしの大きな窓から、冷たい波を立てている凍えた海が見えた。
 水平線に海軍の船が浮かぶと、父親を思い出すのか、涙ぐんでいる時もあった。
 庭へ連れ出すと、ロイは足りなかった子供の時代をやり直すかのように、鳥や虫に興味を持った。採集して標本にしようか? というと、「かわいそう、いや」と言って、バークを微笑ませた。
 抱き寄せていると、なんのてらいもなく、ジムやバークやカーターに甘えた。押し付けられる柔らかい金色の髪が散らばり、ジムは思わずそれを指で漉いた。
 いくつくらいの設定なのか、ジムは赤ん坊に毛が生えた程度だと断言し、父親の記憶があるなら十二、三歳は越えているのでは? と、他のふたりもさまざまに推理して見た。
 だが、おおむねみんなに与える印象は、せいぜい小学校へあがる前くらいではないかというものだった。いや、幼稚園より前かもしれないと龍太郎も言った。
 完全にそこに戻っているわけではないのは、父親が死んでいるのも分かっているし、母親が調子を悪くして時々入院しているのも理解していた。なくてもいい、悲惨な記憶はもっとも心を占めているようで、夜の闇や、知らない人物、特に男性を異様に怖がった。

 庭に出ているとき、芝の上に腹ばって蟷螂をみていたロイとの昼食に、サンドイッチとジュースをトレーに乗せて運んできたジムは、ふたりの男たちが戸惑ったようにロイのそばに立っているのが目に入った。
 駆け寄っていくと、男の一人が「具合が悪そうです」と言った。
 私有地と知らずに浜から上がってきたというハイカーたちは、ロイを見下ろすように立っており、ロイは、地面にしがみ付くように蹲っていた。
 ひとりが小さなカメラを手に持っているのを、ジムは見とがめた。
「俺たち、何もしてませんよ。道を聞いただけで」
「ここは私有地だ。まっすぐ抜けたら門にでる」というと、男たちは詫びながら立ち去りかけ、ふとひとりが振り向いた。
「その方は……ご病気ですか?」
「なぜだ?」
「いえ……。ちょっと…ひどく怖がられたので、そんなに驚かせたかと。すいません、よけいなことでしたね」
 ジムが何も答えないので、ハイカーたちは草を踏む音をさせながら遠ざかっていった。
「ジム、こわい」と言って抱きついてくる身体を抱え上げたとき、草を踏む音に混じってシャッターの音がしたような気がした。
 はっと招かれざる客の方を見たが、カメラをもったひとりが、木々の梢を映しながら歩いている後ろ姿が見えただけだった。
 ロイは怖がって、家に戻りたがった。
「なにもされなかったか?」
「おうち、はいる」 
 その日は一日家から出たがらず、ジムがトイレに行くのも嫌がるほど、怯えて離れようとしなかった。

『ジムがお母さんで、カーターがお父さんで、バークが甘いおじいさん』と言ったのは、ドクだった。
 そんな彼らの無意識の役割をおもしがりながら、これがいい結果をもたらすかもしれないと言った。男ばかりのおかしな家族の構図が、それでも家族に恵まれなかったロイの心に平安をもたらしているのが、誰の目にも感じられた。
 ドクは家族には入らなかった。あくまでも自分は医師でいいと、一歩離れてロイを観察し、みんながいないときには一緒に遊んでやった。
「でもどうもね……。どうしても私は、医者の口調で話しているようで、ロイはあなた方が戻るのを心待ちにしています」
 龍太郎は自嘲気味にカーターにこぼした。
 ほんとうは、龍太郎だって、ロイの家族になりたいのかもしれない、とカーターは感じ、それでも誰かひとりくらいは冷静に観察する人間が必要なのだから、と医師をなぐさめた。
 ジムは毎日一緒にバスに入り、泡立つ入浴剤を、ジャグジーを使って山盛りにした。ロイは喜んで、泡に埋もれて遊んだ。
 身体中にくっついた泡を吹いてやると、ロイは大声で笑い、ジムの顔にも泡を吹きつけた。
「……あんたもそんな声で笑えるんだな」
 ジムはほのぼのとした顔で、ロイの頬を撫でた。
「ジム、もっとあわぶくぶくして」
「よし、山盛りにするぞ」
 風呂場はぎゃーぎゃー大騒ぎになってしまった。浴槽から溢れた泡で、バスマットまでびしょ濡れになっている。
「泡で窒息するなよ」
 騒ぎを聞いて、覗きに来たカーターが、呆れたように声をかけた。
「デイン、いっしょはいる?」
 あどけない笑顔を向けられて、カーターはとまどったような顔をしたが、すぐに頷いてシャツに手をかけた。
 広い浴槽でぎゃあぎゃあと騒ぐ男たちを、さっきのカーターと同じように、バークがのぞきに来て「ずるいぞ、おまえたち」と拗ねたように言った。

 シャボンで全身を洗って、服を着せ、ドライヤーをかけて、ジムはせっせと世話をした。
 ジムは兄弟が多く、小さい子供の扱いは慣れているんだ、と自分で言っているとおり、細かいところによく気がつくようだった。
 ジムが一番大きな身体をしているくせに、徹底してお母さんぶりを発揮するのに、カーターはいつも笑ったが、濡れた耳に綿棒まで入れて、大きな指をこまめに動かしているのを見たときは、テーブルを叩いて爆笑した。
「おまえのその姿を、隊員たちに見せてやりたい」と、カーターはロイの世話をするジムについて回っては、足をじたばたさせて笑い転げた。
「少佐だって、隊員たちに見せられないほど、イメージ違いますよ」と、ジムが笑いっぱなしのカーターを睨むようにして言うと、ロイが「しょうさ?」と、首を傾げた。
「デインだよ。とんでもないおゲラだ。あかんべしてやれ」
 だが、ロイはそんな行儀の悪い子供ではないらしく、「しょうさ」と、呟いただけだった。
 バークはお菓子やおもちゃなどを、毎日のように買って来ては、他の二人の顰蹙をかった。
「おもちゃの与えすぎは、子供をつぶす」という、ジムの渋い声に肩をすくめ、ありがとう、と抱きついてくるロイの頭をなでては、とろけるような顔をしている。
「まあまあ、ジム。成長過程の本物の子供じゃないんだ。与えすぎてどうなるもんでもないだろ。大佐はおじいちゃんなんだから、孫の気を引くためには金を惜しまないのさ」
 カーターが小声でささやいて、ウインクをした。
 そのくせ、「出発進行」という、車掌の声を出し、植物油による煙を吐いてガッシュガッシュと走る機関車には、カーターが一番夢中になり、ロイとふたりで床に座り込んでは「出発進行」と、声をそろえて車掌の声を唱和した。
 ロイが飽きてごろごろしているのに、カーターがひとりでいつまでも機関車を走らせていることもあり、ジムがげらげら笑ってカーターを小突いた。
「お菓子はあまり、食べんのか?」
 バークはキッチンの棚を開けて、山積みになっている菓子の中からクッキーの箱を出してつまんだ。
「虫歯になるって、言い含められているみたいで」
 ジムが言うと、バークは「ああ、そういやジュリアは手製のおやつしか与えていなかったな。美味しいが、甘みの少ないケーキやパイだった」と呟いた。
「俺なんか、甘党の母親のせいで、たっぷりと菓子を食いまくったから、信じられないですけどね。キャンディは絶対に口にしないけど、でもやっぱり子供だ。キャラメルがお気に入りですよ。俺がいいと言ったんで、キャンディとは別物だと思ってるらしい」
「菓子でもなんでもいいから、食わせて太らせろ」
 バークは、代わりのようにむしゃむしゃとクッキーを囓った。
 ロイがバークのお土産の中でもことに喜んだのは、幼児向けの、大きな文字の動物と魚介の図鑑だった。やはりそのくらいの年齢になっているのだと、みんな納得した。
 ためしに龍太郎がテーブルにあった軍発行の新聞を見せてみると、見出しの大きな文字だけを拾ってアルファベットで発音した。
「S、A、E、L、S」
「シールズだよ」
 ジムが言うと、ロイは図鑑の「アザラシ(seal)」のページを開いて見せた。
 カーターがげらげら笑い、「確かにな」とロイの頭をぽんと叩いた。
「この文字を見て、アザラシしか発想しないか……」
「まちがい?」
 ロイが不安そうにジムを見上げた。ジムは微笑んで、アザラシの写真を指さした。
「間違いじゃない。こいつらは、水の中をすいすい泳ぐんだ」
「すいすい、およぐ……」
 ロイは写真のアザラシではなく、新聞の「SEALS」の文字をじっと見つめていた。

 ある日カーターが何を思ったのか、空母のプラモデルを買ってきたときは、バークはいつもの仕返しに、思い切り罵って、笑い転げた。
「頭は幼児だぞ。プラモなんか、作れるもんか」
「こりゃ、相当高かったでしょ?」
 ジムは少年のように顔を輝かせ、さっそくサンドペーパーを引き寄せて、部品を切り出した。
「どうせ作るなら豪華版の方がいいだろう?」
「そんなもん、作ったが最後、子供はすぐに壊してしまうぞ」
 バークはロイの肩を抱いて並んで座って眺めながら、「おばかなデインと言ってやれ」とか「ロイの遊べるものじゃなきゃいやっって言うんだ」とか、いろいろ嫌みなことを教え込んでいたが、ロイは黙って眺めていた。
 ジムとカーターがそれを組み立てて、空母の形が見えてくると、ロイは小さな部品をつまんだ。
「カットしてペーパーをかけてやるから、ボンドで組み立ててごらん。ほら、同じ番号が書いてある。これとこれをくっつけるんだ」
 カーターがロイの持っていた部品を綺麗にして渡すと、ロイは小指の半分ほどの小さなものがなんであるのか、わかったらしかった。
「そんな小さいものより、本体の空母のほうを組み立てるか?」
 ジムが自分の担当していたパーツを差し出すと、ロイは首を振って、小さな部品をくっつけて、ひこうきだ、と呟いた。
 ロイは空母に乗せるための小さな搭載ジェット機を、普段の性格どおり、一寸のすきもなく、ボンドをはみ出さすこともなく、几帳面に組み立てた。
「うまいぞ、次はヘリを作るか? ジェット機より難しいぞ」
「ヘリ、つくる」
 シコルスキー型のヘリコプターの写真を見せられ、ロイは目を輝かせて、それを特に念入りに作った。
 任務の送迎に、チームが一番世話になるタイプのヘリを、空母の本体に何度も載せたり飛び立たせたりしていた。
 その離着艦のヘリ専用の位置が正確なのが、みんなを驚かせた。ふわりと機体を持ち上げ、空母の上空を旋回するようなそぶりまで見せる。
 カーターも、ロイのヘリに合わせて、小さな搭載機を空母の甲板に載せると、「離艦準備、完了」などと言いながらジェット機を発射させ、ヘリを追い抜いて、動けないロイを怒らせた。
「君もヘリじゃなくて、ジェット機を飛ばせばいいじゃないか。ジェット機のほうが早いんだ」
 カーターがムキになったように言った。「それに、断然かっこいいだろう? 君もジェット機にしなさい」
「いや」と、ロイはヘリを離さなかった。
「そういや、ロイはウチの隊へ来る前にヘリ操縦の資格まで取ったはずだ。ヘリが好きなんだな」
 バークが、ソファに座ったまま、なんとも複雑な顔で呟いた。「……まあ、これまで取った資格など、もう役には立たんのかもしれんが」
「……私も息子がいたら、こんなふうにおもちゃで遊んでやったのかな?」という独身のカーターの言葉に、ロイのヘリと動きをあわせて、ジェット機を飛ばしてやっているジムがすかさず突っ込んだ。
「少佐は遊んでやってるというより、対等に遊んでるように見える」
「まだ、君らはこれからいくらでもチャンスがあるじゃないか」
 淋しそうに言うバークには、子供がいなかったことを、ジムもカーターも思い出した。
 だからこそ、息子代わりに思っているロイの現状を、よしとできるのかもしれなかった。
「俺にも子供はいなけど、姉が言っていたことがあります。子供ができると目線が下がるんだそうです。子供の位置に。子守歌を歌って、絵本を読んで、子供と同じ番組を見て。――自分も一緒に成長し直してる気がすると」
「じゃあ、子供がいない私は、二度目の成長はないのかな?」
「まあ、おとなにとってそれが絶対に必要ってことでもないでしょ。でも、もう一度子供目線でものを見るという機会は、悪くはないかもしれません」
「確かに悪くはないな」
 バークが頷くと、カーターは腕を頭の後ろに組んで仰け反った。
「そうだな。おもちゃで遊んだり、ビッグバードと一緒に歌ったりすることは、ひとりでは有り得ない。ロイのおかげで、私も今やオタク並みにアニメを見てるぞ」
 龍太郎は、何度か催眠療法で原因を探ったり、年代をあげてみることをしたいと申し出たが、みんなに反対された。
 たとえそれが有効でも、今それをしたくはなかった。
 これ以上薬も、心をいじくることもしたくない、というのが全員の意見だった。
 焦る気持ちもないではなかったが、いたいけにさえ見える、子供のような無邪気な笑顔を歪ませたくはなかったのだ。

 床にごろごろ寝転んでしまうのは相変わらずだったが、ジムが、ストレッチを終えた後、思いついた遊びはロイの気に入った。
 押さえ込まれて動けない、という身体をくすぐってみたのだ。ロイは笑い転げ、身を捩って逃げようとしたが、ジムは容赦なくくすぐり続けた。
 息を切らして涙まで零しながら、ロイは子供独特のけたけたした笑い方を続け、反転してジムに仕返しをしようと膝を立てた。
 ジムは、わざとくすぐられてぎゃーぎゃー騒ぎながら、身体を転がしてロイに追いかけさせた。夢中になったロイは立ち上がって追いかけようとして、自分でびっくりしてしゃがみこんだ。
 呆然と座り込んでいるロイに、ジムは立ち上がったことなど気付かないような顔をして、遊びを終わらせた。
 二人でジュースを飲み、ちょいとわき腹をつつくと、ロイはジュースを噴き出して笑った。
 その話を聞いた他の二人は、ひどく感心したらしく、食事中にカーターが澄まして、わき腹目掛けて指をつきつけると、触れもしないうちから、ロイは椅子から転げ落ちて笑った。そして、そのあと助け起こされもせず、なんの気なしに椅子に戻った。
 この作戦が有効だというので、バークまでがげらげら笑いながら、くすぐったりくすぐられたりを繰り広げ、見ている他の連中までが腹を抱えて笑った。

 龍太郎がいつものように遠慮なく玄関を入ると、リビングはまるで戦場のような騒ぎだった。
 どうやらくすぐりっこをしているらしいと気づいたものの、ロイはともかく、ジムもカーターもバークも自分たちが必死になっている。
 龍太郎はしばらく、この軍の職についている男たちの、馬鹿げた子供じみた騒動を、口をあけて眺めていた。
「あなたも参加したらいい」
 涙を零しながら、大騒ぎでくすぐりっこをしているカーターの言葉に、ドクは苦笑しながら椅子に座って見ていた。
 バークが、よれよれになりながらお茶でもどうかな? と向かい側に座り、三人の騒動を楽しげに見やった。
「あなたがたの適応力には、驚かされます」
 龍太郎が言うと、バークは頷いた。
「まあ、どうしようもないことに逆らったって仕方がない。私は今の状況をむしろ愉しんでいる」
 暢気だ、と思わず龍太郎は心の中で呟いていた。
 立って歩く練習は、誰もしようとはしなくなったらしい。だが、精神的な拘束を受けているロイが、それを振りほどきさえすれば、簡単に歩けるはずなのは間違いがないだろうと、龍太郎は黙って観察を続けた。
 それにしても、どたばたと騒々しいことこの上ない。
 転げ回って笑っているロイの、無邪気な笑顔を見て、ドクは少しほっとしてもいた。
 ほっとしながらも、切ない気分が込み上げてきた。
 ――身体中を覆っている鎧があるでしょう? それを失ったものは……。
 ロイの、悲痛な疑問が甦った。
 鎧を失って、新たにそれを見つける間もなく攻撃を受けたなら、飛んできたやりは容易に柔らかな皮膚に刺さるだろう。
 それは皮膚を抜け、心臓に刺さり……。
 ――そして、自らを維持できないほどのダメージを負ったのだ。
 動物の子供が愛らしいのは、敵から身を守るためにあるという。
 捨てられた子猫や子犬を見捨てられずに、人間が拾ってしまうのも、そのせいだろう。時には異種間の動物でも、拾った子供を育てることがあるほどだ。昔、龍太郎が買っていた大型犬は、迷い込んだ野生の子猫を背中に乗せて、人に触れさせることなく大人に育て上げた。
 悪夢に追われ、眠れず食べることもできず、食べたものすら吐いて――。
 眠れず食べられなければ、人には死しかない。
 ダメージを負った上に、最終的に頭を強打した。自分が施した治療のせいもあるかもしれない。
 そして今、ロイは誰からも愛されるほど、無垢な小さな子供になってしまった。大型の犬たちの背に乗せられて、邪悪ななにものにも触れられることなく、子猫は安心して転げ回っている。
 それでなければ、身を守れない。
 鎧も牙も失ったなら、その代わりに愛らしさをまとって庇護されるしかない。
 鎧を無くしたロイの、これがあの時の答えなのではないかと、龍太郎は漠然と考えていた。




硝子の破片

哀しみの追憶

後日憚―哀しみの追憶―

観客

おもちゃ屋探検

おもちゃ談議

キャンディーバー

Pは××のP

金の砂銀の砂第一部

金の砂銀の砂第二部

金の砂銀の砂第三部

僕が彼を憎んだわけ

ロイとジムの映画評