[氷の上] of [硝子の破片]


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第十七章 氷の上

「ロイ、男は泣くもんじゃない。転んで痛かったか?」
 膝から血を流して、子供のロイはべそをかいていた。まだ十歳にもならない頃だ。血がだらだらと流れ、地面で膝を抱えたまま、ロイは俯いて泣き声を出した。
 倒れた自転車を起こして、父はロイの傍らにしゃがみ、ハンカチで傷を拭った。
「痛くても我慢しないといけない。自分で立って、自転車を押して帰るんだ。できるね?」
 ロイは頷いた。
 涙を袖で拭い、ハンカチが縛られた膝をひょこひょこ引きずりながら、自転車を押して歩き出した。
「いい子だ」
 父はロイの頭を撫でて、並んで歩き出した。
「おとうさんはあまりそばに居られない。だから、ロイは強くならないといけない。おかあさんは、寂しがり屋の弱い人だからね」
「うん、僕できる」
 ロイはもう泣いてはいなかった。
 もっとうんと小さな頃から、ロイが泣き続けると、父はため息をつく。怒鳴ったりはしないが、呆れたような蔑んだような目で見られているようで、ロイは嫌われるのではないかと気が気じゃなくなる。
 泣いてはいけない。
 弱音を吐いてはいけない。
 父はそんなロイが好きだ。そんなロイでいる限り、父はロイを見捨てたりはしない。
 だから、頑張るんだ、とロイは思っていた――。
 幼い頃から、毎日、毎日、ロイは自分の能力以上のことを自分に課し続けていた。


 ロイは目覚めたとき、そんな夢を見たことを思い出した。
 懐かしい頃に戻ったのは、ドクターから少し過去へ戻って話をしたよ、と言われたせいだろうかと思い当たる。
 それは、少し切ない夢だった。
 七、八歳頃から、どことなく、ロイは父が本当の父ではないと感じていた。
 父の髪は真っ黒で、はしばみ色の綺麗な目をしていた。ロイにはどこにも父と似た部分はなかった。
 それはロイを不安にさせる、十分な事柄だった。
 ただでさえ、弱虫で泣き虫なロイを、父はがっかりしたように見ている気がしていた。それなのに、本当の息子でないとしたら、父に嫌われてしまう……。
 その発想から、ロイは自分を変える決意をしたのだった。
「……人の根本というのは、そうは変わらないのかもしれないな」
 ロイは、ベッドに座ったままひとり呟いた。 

 その夜、カーターは、ロイの家を訪れた。
 ロイの部屋は、モデルルームというのとも違う、よけいなものがいっさいない、簡素な部屋だった。
 ものがないだけでなく、埃ひとつたまってはいないだろうと思われるほど片付いている。
 ドアを入ったすぐのリビングには、一応ソファがあるが、シンプルそのもののデザインであり、部屋の隅にある本棚はきちんと閉じられていて、中身が見えず、キッチンカウンターの上にもなにも乗せられていない。
 カーターの部屋だって、それほどちらかしてはいないが、それでも大きな地球儀型のワインセラーや、額に入った写真、読みかけの本や脱いだ上着などが部屋を賑やかにしている。
 絵や写真一枚すら貼られていない白い壁。
 こんな部屋でこの男は寛いでいるのだろうか、とカーターはなんとなく思った。
 片付いたロイの部屋を、感心したように改めて眺め、無駄口をたたいていたが、珈琲が出されると、カーターはまじめな顔に戻った。
「ペンタゴンから連絡があった。新しい隊長候補を誰にするか、いま検討中らしい」
 ロイは頷いた。
「当然です」
「君はそれでいいのか?」
「……ご存知の通り、やっと落ち着いてきたところです。いつそれが復活するかも分からない。隊長どころか、仕事すらできるかどうかまだ自信がない状態です」
「君の健康診断の結果がよくないんだ。ここ一ヶ月の身体機能が落ちてしまっている。急激に痩せたのも問題だ。連中の理由は今のところそれだけなんだぞ?」
「それだけで十分でしょう。いずれ精神的なチェックを要求されるかもしれない。そうなれば、間違いなく弾かれます」
「大尉……。まだ眠れないとか、発作があるのか?」
 いいえ、とロイは答えた。
 カーターは、焦ったように言った。
「あんな不眠は一時的なものだったってことだ。隊長になるために君はここへ赴任させられた。数年、うちのチームで実績を作ってという話だった。まだ一年もたってない。実際のところ療養期間が半分以上ある。その後すぐに復調しろというのが無理なのは誰にでも分かる。もともと任務で得た傷だ。そうだろう? 私はもうしばらく様子を見てくれるよう、かけあうつもりだ」
 ロイの目が見開かれ、カーターを見据えた。
「少佐、お気持ちは有難いのですが、怪我や病気ではありません。すっかり戻るかどうかも……。いや、数年後には、俺は完全におかしくなっているかもしれない。どうか、このまま上の意見を受け入れてください」
「駄目だ。それは私が断じて許さない。君の資質を私は知っている。このことは私に任せて、君は治すことだけを考えればいい。ゆっくりでいいんだ」
「少佐……」
 ロイは、心底困ったような顔をした。
「ドクターの意見も聞いている。今は順調だと太鼓判を押してくれた。大尉。いいか? 君が今必要なのは自信だ。らしくもなく弱気になっているだけだ。わかったか?」
 ロイは、しぶしぶのような顔をして頷いた。
 カーターは厳しい顔をして、ロイのそばに立った。
 俯いたままのロイの肩にそっと手をかけ、カーターがいつもの穏やかな口調で言った。
「抱きしめてもかまわないか? 大尉」
 ロイが顔を上げた。
 カーターは、温かい胸で包み込むように、抱擁した。
「君は副隊長の器ではない。ましてや平の隊員などで収まるわけがない。私が将来はそういう心積もりでいることだけ、知っていてほしかった。俺たちのそばから離れるな、大尉。完全に安心できる日がきっと来る。自分を信じるんだ。俺やジムや大佐を使え。一人で戦うな、大尉。少しぐらい不調だからって絶対に諦めるな。分かったな?」
 ロイは、抱かれたまま、「はい」と答えた。
「帰るよ」
 ロイを離すと、カーターはドアの前に立った。
 ロイは俯き加減で見送るように立っている。
 ドアを開け、「ロイ」と、カーターが付け足しのように言った。
「すまん。重荷に感じる必要はない。どうしても無理なときは、私も諦めるから」 
 ドアが閉まると、ロイはソファに座り込んで、ため息をついた。
 なぜ、カーターがあそこまでこだわるのかが分からない。
 今、ロイは生きていくことだけで精一杯なのだ。もっといえば、このまま毎日穏やかに眠れればいい、という儚くも情けない目標しかない。
 それ以上のことは、すべて考えの外にある。
 けれども、カーターはロイに仕事を与え、さらにその上の欲求を強いてくる。
 不意に、ロイは父親を思い出していた。
 小島にひとり、ロイを置いてボートで浜に戻った父は、厳しかった。ロイが絶対にできないと泣いても、許してはくれなかった。
 泣くことそれ自体も、窘められた。
 優しいときはとても優しくはあったが、穏やかに諭すように、父はいつもロイを導いた。
 泣くのをこらえ、恐怖を克服して、ロイは父親に嫌われまいと努力した。
 カーターは、マイク・フォードに少しだけ気質が似ている気がする。
 押しつけとは少し違うが、無言の威圧感を感じさせる時があるのだ。彼らの言っていることは男として、極めてまっとうなことなのだということも理解できる。
 父が好きだった。
 愛されたいと、常に想い続けていた。
尊敬すらしていた父に似たカーターもまた、温かく、素晴らしい人物には違いない。実際、好きかどうかの選択をするなら好きな人物だ。
 そして、カーターがひとかたならぬ期待を持って、ロイを見守ってくれているのもわかる。それが自分を励ますためのものであることも、理解してはいる。
 けれども、今、ロイはその重圧に耐えられないほど弱くなっている自分を自覚していた。
 ロイが、父の言う「男として」行動できるようになりたいと思う以前、それはまだほんの幼児の頃で、父よりも母の胸が好きだった頃――。
 常に母がそばにいるという、安心感に育まれていた頑是ないその頃の自分に、ロイは戻ってしまったような気がしていた。
 なんの意地も目標もない、気力すらなく母に甘えて泣いていたあの頃に――。
 戻るのではなく、戻りたいと思う。
 そして、やり直したい。
 無理せず背伸びをせず、ジムの言うように違う道を歩いてしまっていたらよかったのかもしれない。
 ロイはひとり、ため息をついた。
 今の気持ちは? と聞かれたら、ロイは迷いなく「こわい」と答えるかもしれない。
 自信がないとか、不安だとかいう以前に、ロイは恐かった。
 薄い氷の上を歩いたことがある。
 父の友人の家のある、その地区では冬に湖に氷が張るのだ。そこの子供と、肝試しだとそそのかされて、まだ踏み込むなと大人に釘を刺されていたにもかかわらず、氷の上に乗ったのだ。
 みしみしと、音すらさせて氷は危険を知らせていた。
それでもロイは歩いた。
 歩きながらも、心臓はどきどきし、足下に神経を集中して、恐る恐る歩を進めた。
 その時のように、毎日薄い氷の上を歩いているような気がして仕方がなかった。いつ割れて冷たい水に引き込まれるのかわからない。
 あるいは、山間にかけられた、細い一本丸太を歩くような……。
 そんなことを考えるとき、大抵内臓の奥がきゅうっと冷えたような痛みを覚えた。


 穏やかな街に、そろそろ秋が訪れようとしていた。
 街路樹が染まりだし、早くも枯葉を落とし始めているものもある。
 冬まではまだ間があるものの、乾燥した空気が寒さをつれてくるようになっていた。
 穏やかな日々が続いていたと思っていたのに、ロイは絶えず誰かの視線をふと感じることに気がついた。
 誰なのか分からない。
 さりげなく振り向いたり、立ち止まって隠れて様子を窺っても、分からなかった。
 第一、誰が何の理由で、そんなことをする必要があるというのだろうか。
 これは精神的な病の一つなのではないかと思いついたとき、ロイは全身から力が抜けるような気分に陥った。
 母親が精神的に不安定な状態を見せるようになったのは、ロイが十五か十六になったかならずの時だった。
すでにその少し前に母は未亡人になっていた。
 伯父や伯母や医者までもが、それが原因だと考えていたようだが、ロイにはそれが間違っていることが分かっていた。
 母に会いに、ロイにそっくりな金色の髪と目の色をした男が訪ねてきて、その後、その男の死亡記事が新聞に載った。母は狂ったように泣き、取り乱した。
 あれ以来、時々普通の生活をし、時々夢の世界に入り込み、あるいはまた、鬱々と暗く鳴りを潜めるようになっていった。
 母の過去にどんないきさつがあったかまでは分かりようもないが、今の自分の精神的な弱さが、この母親に譲られたものではないかという考えは、少なくともまったく的を得ていないということではないと思えた。
 不眠や嘔吐の発作などが起こらなくなった代わりに、精神が何者かの影を見せ始めたような気がして、ロイは無意識に街の中でたたずんでいた。

「視線?」
 ドクターナカニシは、微かに眉をひそめて縁なしの眼鏡を押し上げた。
 診療所は相変わらずこざっぱりとしており、趣味のいいファブリックが安らぎをもたらしてくれる。
 ロイはいつもと同じ、くつろげる椅子に腰かけ、ドクはそのそばに立ったり、自分用の椅子に座ったりして話を聞いている。
「そんな気がする、というだけなんですが。――ドク、俺はもうやはり駄目なのかもしれません」
「家でも? 職場でもそれを感じますか?」
 ロイは少し考えてから、いいえと答えた。
「だったら、本当に誰かに見られているだけかもしれない。案外、道行く女性があなたを見初めているだけかもしれませんよ」
 冗談めかした言葉に、ロイは笑って見せた。
「これは医学的な見地の話ではないのですがね」
 ドクターは前置きをして続けた。「あなたが出られた特殊部隊の学校は、ずいぶんハードな場所だと聞いています。卒業できるのは、全体の三割程度とか?」
「ええ、そうです」
「その地獄のような訓練を受けているとき、どうでしたか? もう駄目だと思われましたか?」
「何度も思いました。校庭の鐘を叩いて、終わりにしようと。海軍で与えられている本来の仕事があるのに、わざわざこんな目に遭うことはないじゃないかと、自分を罵ったりもしました。なんで、自分はわざわざ茨の道を選んでいるのかと――。おそらく、そこにいた全員が、そう考えていたはずです」
「でも、あなたは卒業された」
 ロイは、頷いた。
「自分で駄目だと決断するまでは、たいがいのことはできることだと、わかっていましたので」
 ロイの子供の頃を知り始めたドクターは頷いた。
「人というのはそういうものです。駄目になるのは、自分がそれを認めたときですよ、大尉。今回も同じではないのかな? あなたは自分の自信を喪失して、駄目だと自分で決断しようとしているように思いますが」
「……そう……ですね。ただ、今の自分が自分に決断できるほど安定してない気がするからなのかもしれません。どうしたらいいのか、自分でわからなくなっているのです」
「実際にはそれには時が必要かもしれない。痛みも哀しみも、人に襲いかかったときは津波のように高いものですが、時が親切にもそれを低くしてくれる。来年には、再来年には、十年たったら今と同じ高さの波でないことは確かです。自分にその猶予を与えて、今はよけいなことを考ず、自分を追い込まないようにしないといけないと思います」
 その時の過ぎる間、どうしたらいいのかがわからないのだ。
 波は、ロイを飲み込もうとしているように思える。
 それがただのさざ波に変わるまでに、ロイは溺れてしまいそうな気がした。波などなくても。
 たとえば、マイアミ後の平穏な暮らしが薙いだ海とするならば、不意に深みにはまりそうな……。
  辞めることができない以上、平常と同じように勤めを果たさなければいけないのに、それができない気がする。
 たった今、呼び出しを受けて出動がかかったら……。その任務を自分はこなすことができるのかどうか――。
 そのことが、ロイを落ち込ませているのだ。
「こうして私のカウンセリングも受けてくれている。発作も起きなくなっている。なにも問題はありません。このまま、自分を信じるんです、大尉」
 龍太郎は、優しく微笑んだ。
 骨張った手で、龍太郎がロイの肩に手をあてかけ、思い直したように引っ込めたのに、ロイは気づいた。
 発作が起きてなくても、不意に触れられるとひくりと身体が強ばってしまうことなど、知らないはずなのに。
いや、案外催眠時にいろいろと話しているのかもしれない。自分よりももっと詳しく、この医師はロイのことを知っているのかもしれないなと、思いながらも、気遣いを有り難いとすら思った。
 ジムだって同じだ。
 周りにこれだけの、温かい人々がいるのだということをロイは噛みしめるように想った。
「……そう……ですね。少し神経質になりすぎているのかもしれない」
 ロイは素直に頷き、立ち上がってドクにハグをした。
 龍太郎は驚いたような顔で、身体を離したロイを見た。
「あなたの親身なカウンセリングに感謝しています」
 ロイのはにかんだような微笑に、つられるように医師は目を細め、それからほっと肩の力を抜いたように見えた。

 頬を叩かれて目覚めると、ロイの身体は仰向けに寝かされていた。
 しけった空気が鼻をつく。
 だが、男たちの高い位置から落とされる、射るような、あるいは蔑んだような視線が見えたとき、ロイはもう泣きも喚きもしなかった。両側から押さえつけられて、身動きひとつできない。
 部屋の隅に目を走らせたが、ジムの骨がないことにロイは安心した。 
 ――これは夢だ、とロイは思った。
 ただの夢だ。俺はもう、救出されて故郷に戻った。
 フロリダに行って、ジムと遊んだ。
 ジムは骨にはなっていない。
 毎夜手を握ってくれた。今だってノーフォークの自分の部屋で寝ているはずだ。
 電話さえすれば一分もしないうちに来てくれる。
 電話なんかしなくても、二階の端にジムが眠っている……。


 ロイはドアを叩いていた。
 すぐにドアが開けられ、崩れるように入り込むと、がっしりとした手が受け止めてくれるのが分かった。
「ジム、ジム……!」
 しがみ付くと、その手が優しく身体に回されるのが感じられた。
「大丈夫か?」
 ロイはしがみついた手を離し、ちょっと照れたような笑顔を浮かべた。
「すまない。夢を見かけて……。それでどうしてもおまえにそばにいてほしくて……」
「ああ、俺も今あなたのことを考えていた。珈琲でも淹れましょうか?」
 ロイは首をふった。
「顔を見たら、安心した。戻るよ」
 ジムはその手首を掴んだ。
「ここにいろよ、大尉」
「……深夜なのに、起こしてすまない。もう、大丈夫だから」
「眠れないんですよ。それで今まで起きていたんだ」
 ジムのことばは嘘だろう、とロイは眩しそうに目を細めている顔を見た。起こしたのは自分のはずだ。
「あなたがそばにいてくれたら、俺は暇がつぶせて嬉しいけど」
 ロイは、四階の端から二階の端まで、歩いてきたのをまったく覚えていなかった。
 古いエレベーターもないアパートの、階段を下りた覚えもなかった。
 正気に戻ると、馬鹿な恥ずかしいことをしたという、羞恥に囚われ、身の置き所がなかったのだ。
「……いいでしょ? 超狭いけど、よければ俺のベッドで、くっついて話でもしませんか?」
「すまない……。すまない…ジム……」
 ジムに掴まれた手をほどくこともせず、逆にその胸に頭をつけて、ロイは何度も謝った。ジムを夢の中で性の対象にしてしまったこと。迷惑をかけまいと思っているにもかかわらず、こうして縋ってしまったことが、申し訳なくて――それなのに帰りたくはないことも。
「やっぱり、俺はおかしいな。良くなることなどないのかもしれない……」
「ロイ」
 ジムが顔を覗き込んだ。「一緒に戦うって言ったじゃないか」
「……ん」
 ロイが頷いた。
「だったら遠慮なんかしなくていい。嫌な夢を見たら、いつだって来て欲しいし、電話で呼んだっていいんだ。俺は毎日でもあなたと一緒にいたいんです」
 ロイは微笑み、そのままジムの狭いベッドにうながされて横になった。ジムのベッドは本当のひとり用で、ロイのベッドよりもさらに狭いものだった。
「一緒に寝てくれ…るか? ……ジム」
「あんたを潰してしまいそうだ」
「潰れてもいい。でも頼むからベッドから落ちないでくれ」
 ジムは笑い出し、大きな身体を横にして壁のようにロイのほうを向いた。
「ジム……」
 ロイの顔が寂しそうに歪んだ。「俺は……降参したんだ。だからいつまでもこんななのかもしれん」
「降参て……前に言ってたけど、どういう意味です?」
 ロイは首を振った。
「いや……。夢の話だ。変なことを言ってすまん」
 ロイは微かに微笑んだ。「お前が。――お前やみんながこれほど気にかけてくれているのに。弱気はいけないな」
 ジムは黙って頷き、小さな子供にするように、触れない程度で髪にキスをした。
「あなたが、自分でここへ来てくれた。それがなにより、成長した証ですよ」
「そうかな? 以前ならこんな馬鹿なことはしなかった」
「俺とあなたの友情が深まったってことでしょ? 俺も夜中にあなたを訪ねていくかもしれない。そんな時、まさか俺を追い出したりしないと思うが……どうです?」
 ロイはくすくす笑った。
 自分の弱い部分を晒してしまえる相手が、ロイにはいない。
 友だちは大勢いたが、これまで、そこまでできるほどの親友はいなかった。
 父や母の前でさえ、ロイは虚勢を張って過ごしていた気がする。
「ぼくは大丈夫だよ」と、常に平静なふりをするのが常だった。
 我が儘や弱さを見せることは罪だと思っていたが、ジムを前にすると、そんなことは大したことではないのだと教えられる思いがした。
 ――それでいいのかもしれない。
 つらいときに受け止めてくれたことを、いつか自分もまた返せる時があって、それが友情や絆というものなのかもしれない。
 頑なに自尊心を維持していた部分が、なぜだか今夜のロイの中にはなくなってしまったような、素直な気分になっていた。
 ――俺を抱いてみてくれないか? とすら、頼めそうなほど、ロイは日頃の自分と違った感情すら湧いていた。
 それで、ジムがなんというか知りたいような――。
 断られて蔑んだ目で見られるのか、それとも受け入れてくれるのか、そうなったとき、本当にロイがそんなことに耐えられるのか――。
 あるいは、本気で自分がそれを望んでいるのかどうか――。
「……ジム……」
「なんです?」
 さすがに、ロイは言いよどんだ。
 目の前に、手を伸ばさなくても届くような位置にいる男に、「抱いてみてくれ」と頼めば、ことはどちらかに、すぐにも動くだろう。
「どうしたんです? 途中で黙り込むなんて、気持ち悪いなあ」
「ジム……」
 馬鹿な、と思いつつロイは今の心情だけでも理解してもらいたくて、本音を話しかけたとき、いきなり、深夜の闇を破るように、ジムの携帯電話が鳴り出した。
 おそらく、ロイの部屋の携帯も鳴り響いているはずだ。
 緊急出動の呼集がかかっているのは、連絡暗号をチェックするまでもなかった。

 今現在、在籍している隊員全員が、基地のはずれにある倉庫のような場所に集められた。
 ここに隔離され、出動命令が確定するまで外出ではできなくなる。
 その後本当に任務実行となれば、メンバーの中から必要人数だけを選んで出て行くことになるはずだ。
 時々、彼らはこうして呼び集められた。
 そして実際に出動することもあれば、三日後か四日後には解除されることもあった。防災訓練と同じように、呼び出しのあと訓練をさせられ、シミュレーションで終わることもよくある。本当の時も、そうでないときも、ぎりぎりまでそれを知らされることはない。
 だが、いつの場合も誰もが真剣に集合し、言われるままに武器弾薬の点検をして、次の指示を待つのだ。
「フォード大尉」
 バーク大佐が呼んだ。ロイが隊員たちの輪からはずれ、そばへ近寄って姿勢を正すと、なぜだかバークは情けない、申し訳ながってでもいるような顔をした。
「君ははずれてくれ」
「……どういうことです?」
 バークは苦い顔をして、目を逸らした。
「まだ、実戦には……でなくていいとの指示があった」
 ロイは口を閉じた。
「すまん。大尉。命令なんだ。大丈夫だと言ったんだが……。申し訳ない」
 了解、とロイは微笑んで見せ、敬礼をしてから倉庫を出た。
 ジムが、なんだ? という目をして睨んでいる。
 すでに事態を承知しているらしいカーターも渋い顔を見せていたが、ロイは彼らに格別の表情を見せることなくドアを閉じた。
 ――やはり、上層部はロイに対して逡巡している。夕べ無意識にジムの部屋を訪ねたことを考えても、それは妥当なことなのかもしれない。
 もう、SEALSにロイ・フォードは必要ない。
 そう宣言された気がした。
 そのことが、ひどく心に突き刺さった。




硝子の破片

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