[ぬくもり] of [硝子の破片]


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第十五章 ぬくもり

 その夜、ロイは久しぶりに、ホテルのベッドで穏やかに眠りについた。
 隣のベッドからジムの軽い寝息が聞こえてくるのが、心地よい子守唄のリズムのように、ロイを安心させた。
 バークやサマンサやカーターの顔が脳裏に過ぎり、仲間の顔が次々に浮かんだ。
 みんなが温かく、ロイを見守ってくれているということが、有難かった。
「一人で戦ってはいけない」と、いう言葉はいつもジムが言っていた言葉だ。そしてそれはチームのモットーでもあった。
 困った状況をカバーしあう、家族のような存在を、ロイは今まで拒否し続けていたのかもしれなかった。

 だが、再び目を開けたときには、それがすべて偽りの夢だったことを思い知らされた。
 長い鞭の柄を口元に突きつけられ、ロイは身体中を震わせた。
「お前は降参して、我々の奴隷になったことを忘れるな……」
 男の言葉に、ロイはわななきながらも頷いた。
「忘れて…ない。忘れてないから……それをどけて。どけてくださ……」
「いや、忘れていただろう? お前は自分がどんな姿をしているのか、分かっていない。見てみろ、浅ましい、犬以下の格好を」
 ロイの身体は男たちの体液と、自らの血で吐き気がするような悪臭を放っていた。四つん這いにさせられ、絶えず恥ずかしい苦痛を下腹部に与えられ、それなのにそれによって身体が快感すら覚えている。
 痺れるような刺激を通され、それが意思に関係なくロイを達せさせる。
 押し寄せる快楽の苦痛に、ロイは身を捩った。
「いやだ、いやだ、こんな……」
 気持ちよいはずはない。そう否定しても、身体が勝手に恐怖ではない震えを連れてくる。
「はあ、はあ、はあ…」
 ロイの息が上がりだす。
 ちがう、ちがう、そう叫びながら、ロイは気が遠くなるような頂点に辿りついた――。
「ちがう、ちがう……」
 自分の手が優しく握られた感触に、ロイはうっすらと目を開けた。
 汚れて、腐臭を放つ腐りかけたロイのそばで、誰かがじっと手を握ってくれているのが、こんな檻の中なのに、ロイを安心させた。
 目の隅に、いつも転がっていたはずのジムの骨がなくなっていることに、ロイは気付いた。
 片付けられたのか、骨が砕けて消滅したのか……。
 ロイはそう思いながら、ひたすら握られる手の温もりに縋っていた。
 少し眠らせてくれるつもりなのか、絶えず責め続ける男たちがどこかへ行って、側にいる気配がない。
 子守歌のようなリズムで、優しく背中を叩く感触がする。
 ここが檻の中でもかまわない。
 誰の手でもいい――。
 お願いだから、このまま手を離さないでくれと祈りながら、ロイは瞼を閉じた。

 オーランドの暑いくらいの光の中、旅行者や家族連れが街中に溢れていた。
 ジムはホテルの前に停車するバスに、さっさと乗り込み、ロイを促した。
 あちこちのテーマパークへ運んでくれるバスらしいとはわかったが、本気でそんなところへいくつもりか? とロイは上機嫌で隣に座るジムの顔を横目で見た。
 抜けるような日差しの中で、シーワールドの門の前に立ったロイは、呆気に取られた顔をした。
 所在なげに、窓口でチケットを買っているジムの背中を見る。
 賑やかな子供の声や、カップルの女性の嬌声がジャングルの鳥の声のように耳に心地よく響いてくる。
 どの声も楽しげで、浮かれた余韻を残しているせいかもしれない。
「一度来てみたかったんです。観光もいいが、暢気に遊ぶにはもってこいですよ。ミニーマウスのスカートをめくる前に、どうしても一番にここに来たかったんです」
 ジムが巨体を弾ませ、少年のように目を輝かせて、広い園内を物珍しげに見て回るのを、ロイは思わず微笑みながらついて行った。
 世界中から集められた海洋生物が、広々としたスペースに区切られて展示されており、海の中に息づく命の美しさに、ロイは何度も足を止めた。
 先を歩きかけたジムは、それに気付くと戻ってきて肩を並べて覗き込んだ。
 ガラス越しの、泳ぎ回る魚を見ながら、ジムはこの魚はあの時の任務で潜った海で見ただの、この亀は甲羅をはずしてスープにしただのと、親子連れには聞かせられない話を次々にしゃべり、ロイを閉口させた。
 深海を思わせるプールの中を、ジュゴンが二頭泳ぎまわる姿は、幻想の世界を見るようで、長い時間、ロイとジムはガラスに手をついたままその前に佇んでいた。
 深い水の中を、仲間たちが泳いでいく――。
 重い荷物を背負って、フィンを動かし、魚たちは恐れもせず、自分たちの周りを舞うかのように泳ぐ。イルカがついてきたこともあった。鮫の集団が現れたこともあった。
 全員のフィンが、水を蹴るようにして、彼方へ泳ぎ去っていく。
 ――その中に自分はいるのか……。
 ロイは微かに首を振って、幻想を消し去った。
「こいつらに餌をやる仕事ってどうです?」
 ジムのことばにロイは笑った。
「うちの実家にも牛や山羊がいるが、餌だけじゃなくて小屋の掃除が大変なんだ。水槽の水をきれいにするだけでも大変でしょうね」
「……俺には無理かな」
「大尉なら、さぞ綺麗に磨くことでしょうよ」
 ジムは手の跡がいくつもついた硝子を肘で拭い、ひとりで受けて大声で笑った。

 ショップを覗いて、ジムが蛸のぬいぐるみ型の帽子を被ってロイを爆笑させ、ロイにも亀のものを被せて店員に写真を撮られた。
「これ、壁に貼ってもいいですか?」
 デジカメ印刷機から出てきた写真の一枚をジムに渡し、店員はたくさんの写真の貼られた壁を指さした。
「ああ。チームの誰かが来て見つけたら、大笑いするだろうな。――これ、お土産に少佐と大佐に買っていきますか?」
 ジムは機嫌良く、自らそれを一番目立つ上のほうに貼り付けながら笑った。
 想像しただけでおかしく、ロイは声を立てて笑い、本当にそうするか? と帽子を物色する振りをした。
「本気でお土産、これにしましょうよ!」
 ジムが言うと、ロイは呆れたような顔をした。

 園内のカフェテリアに入り、のんびりと冷たい飲み物を飲みながら、三段重ねの大きなハンバーガーを頬ばるジムは、心から楽しそうだった。
 ロイはサラダがたっぷり入ったサンドイッチにし、健啖家のジムが二つめにチャレンジするのを見て、笑った。
 ロイは、ジムにつられるようにリラックスしていた。
「一時からシャムーのショーがある」
「シャムー? シャチか」
 海の中で出会いたくない、大きな生き物がこんなプールで芸を見せるというのが、本当はあまり好きではなかった。
 イルカも同様だ。ロイは海が好きでSEALに入った。サメだって、決して好きとは言いがたいが、のびのびと海中を泳ぐ彼らの姿は美しい。
 一羽の鷹が空中を飛翔する。
 大きなプールの上を、鷹は空高く待って、やがてそれはプールの側面――観客席とは反対側に設置された大画面の中に、雄大な山の光景へと移っていった。
 本物はどこへ消えたのか、鷹はいつのまにか画面の中で羽ばたいており、そのまま映像は目の前の広いプールを映しはじめた。
 シャチの登場だ。
 満杯の観客が見守る中で、広いプールの中を、シャチは悠々と泳ぎ回り、トレーナーと共に、芸を披露した。
 大画面の映写板が、様々な情報を流してくれる。
 シャチのショーは、観客を巻き込みながら、進行していった。
 賑やかな観客達の声が、広い場内に溢れかえっている。
 不意にロイは、ガラス越しに見えるシャチと、ガラスの上面に広がるプールに意識が走り、自分たちがこよなく愛している海の香りに思いを馳せた。その海を今、自分は捨てようとしている……。
 ロイはシャチの姿に、海を進んでいく自分の姿を重ねていた。
 隣を見ると、ジムが上気したような顔で、シャチを追っている。まるで子どもみたいな興奮が伝わって来て、微笑ましかった。
「ジム、ガラスのそばに行こう」
 ロイがいきなり腕を引っ張るようにして、観客席の前に聳え立つプールのガラスの側面の前まで連れて行った。
「飛沫が来るからって、警告が出ましたよ」
「だから、立つんだ」
「シャムーがくる! くる!」
 若いカップルや、休日のせいか、大勢の子供たちがわいわいと騒いで同じように、透明な水面を見せるガラスの前に集まってくる。突然、猛烈な勢いで、ガラスの向こう側を前進してくるシャチが現れた。
 ロイはつい、魅入ってしまった。
 シャチはぶつかる直前で向きを変え、尾ひれを上下にはねさせる。猛烈な勢いで水が立ち上がった。
「きゃー!」
 悲鳴があちこちからあがる。
 プールから溢れる水が、大波となってガラスのそばに立つ観客に降り注いだ。そのしぶきは観客席に座る人々までも襲い、観客たちは大喜びだった。水が来ます、という注意が何度もあったものの、それはここの呼び物でもあり、溢れかえった水を全身に浴びたい観客はガラスの前面に立つのだ。
 大きなバケツをひっくり返したような大波が、プールの縁から溢れ出て、そこに立っていた全員は一瞬で、自分たちがプールから出てきたような有様だ。
「ずぶ濡れだ……」 
 頭からずぶ濡れになったジムは、呆気に取られた顔で、同じように水を被ったロイを見た。
「濡れるって、何度も警告が出たって、自分で言ってたじゃないか」
「でも、飛沫が飛ぶくらいかと思ったのに、これじゃプールに入ったのと同じですよ」
 子供たちはびしょびしょのまま、キャーキャー騒いで親の座る座席に戻っていく。
 ロイは楽しそうに笑い、ジムもげらげら笑い出した。

 びしょ濡れのまま、ショーの会場をあとにした。照り付ける陽射しに、濡れた服はすぐに乾きそうだった。
 ただ、靴の中が、がぼがぼ水音をさせているのには閉口した。
「靴を脱いでおくんだった」
 ロイが言うと、ジムはベンチに座って裸足になった。
「あなたも靴を脱いだらいい」
 ジムの声に、ロイは躊躇った。
「こんなところで靴を脱ぐなんて」と言うと、ジムが噴き出した。
「お上品だなあ。裸足で歩いてるやつだっているくらいですよ。誰も気にするヤツなんかいない。ここは社交界じゃないんだから」
 ロイは靴と靴下をとり、傍らに乾かすために置いて、ベンチに膝を抱えるようにして座った。ジムが裸足のまま露天で冷たい飲み物を買ってきた。考えられないほどに、のんびりした時間がすぎて行く。
 どこかから視線を感じ、思わず振り向いた。
 いきなり、顔にちっちゃな水しぶきがかかって面食らった。幌を張った露店の中から、ブラジャーみたいなタンクトップとホットパンツ姿の女性がウインクした。片手に水鉄砲を持っている。ジムが飲み物を買ってきた店だ。
 ロイが微笑んで、ハンカチを出しかけると、ジムが自分のシャツの裾でロイの顔を拭った。
「なんで俺にはかけてくれないかなあ」
 ジムが口を尖らせて露天を見ると、びしゃっとさっきよりも大きな飛沫が直撃した。
 女性は、さっきとは比べものにならない、タンクの着いた大型の水鉄砲を勇ましくも抱えて、またウインクした。
「でかい水鉄砲だな」
 ジムが笑いかけると、女性は「的に合わせたのよ」と手を振った。
 ロイは声をあげて笑い出した。
 ジムは自分の濡れた顔を、シャツの裾で拭いた。
「便利なシャツだな」
 ロイが言うと、ジムは「お里が知れますね」と笑って、ロイを見つめた。
「いちいちタオルで拭く暇もないほど、弟や妹がうじゃうじゃいたんで」
「そうか。俺は一人っ子だったから、羨ましいな」
「けど、おかげでこんな豪華な遊び場所に、連れてってもらったことはない。貧乏な子だくさん一家でね。今日は楽しいですよ。俺は気分はすっかりガキだ」
「子供の頃を思い出す。ここは昔来たよ」
「その時もシャチの水をかぶった?」
「いや……、まだ小さかったし。父からガラスのそばに立っててごらんと言われたのに、怖くて行けなかった。俺はわりと何でも怖がる子供だったから」
 ジムはそれを聞くと、目を丸くした。
「意外だなあ、すまして立っていそうなのに。ははあ。一人っ子で甘えっ子だったんでしょ?」
 ジムの言葉にロイが苦笑する。
「特に小学校へ上がる前までくらいは、ひどかったようだ。父の肩車さえ恐がっていたらしくて、母から女の子ならよかったのに、と本気で同情されていたらしい」
 ジムは、げらげら笑った。
「そりゃ親父さん、がっかりしたでしょうね。じゃあ、小学校へ入ったあたりから変わったわけですか?」
 ロイは頷いて、ちょっと懐かしそうな顔をした。
「十二、三歳の頃だったかな。俺が子供の頃住んでいた近くに、『人魚の足』っていう小さい島……いや、大きい岩かな。そういうのがあって、そのあたりはすごく深いんだ。そこへボートで連れて行かれて、一度ほっとかれたことがあって、ずいぶん泣いたな」
「……厳しかったんだな、親爺さん」
「ある部分はね。俺が足の着くプールなら何マイルでも泳げるのに、たった一マイルもない海を泳げないのが情けなかったんだろう」
「で、どうしたんだ?」
「父が待ってるんだ。浜辺で。それが遠めに見える。ボートは浜に引き上げてしまっている。泳いで来い! 戻って来い! という声だけが届くんだ。ちゃんと満潮時を見ていたらしい。死ぬ覚悟で海に入ったのに、そんなに苦労せずに俺は泳いで戻ったんだ。あれから海が怖くなくなった」
「へえ」
 ジムが感心したように言う。「もし、それを克服してなかったら、SEALにはなっていなかったかもしれないな。海が怖いんじゃ選びもしないだろうから」
 ロイは遠い目をして、頷いた。
「それだけじゃなく……あれはターニングポイントになっていたのかもしれない。俺の生き方の……。大袈裟かな」
 自嘲するようにロイが笑った。
「父が亡くなったとき、俺は一人で泳いで人魚の足まで行って、一日中泣いた……。懐かしいな」
 こういう場所に来ると、人はどうして昔を思い出すのだろうか? 
 浮かれたような気分で子供に返ってしまうからだろうか? 日常の全てを忘れて、ただ楽しむためだけに入場券にお金を払う。
 童心に返りたくて、払うのかもしれない。
 ここしばらくの地獄のような毎日が、嘘のように心が軽く感じられる気さえする。だが、それもジムがそばにいればこそだろう。一人きりの旅行なら、まずこんな場所には入らない。
 そう思うと、ロイはカーターの心遣いに、素直に感謝したい気持ちになっていた。

 シーワールドの帰りには、ショッピングアウトレットに寄り、ジムがジーンズを買うのにつきあった。
 カルバン・クラインの傷物放出品を格安で手に入れ、ジムは大喜びだった。ロイも、リーボックのスタンダードなシューズを買い、二足なら安くなると店員にそそのかされてジムがもう一足、おそろいで購入した。
 レストランで食事をし、お勧め料理を楽しみながら、ロイはジムに勧められて、軽くワインを飲んだ。
 久しぶりのアルコールが、身体中に広がり、ほのかに夢心地にさせる。
 訓練とは違う、ただ歩き回った軽い疲れが気持ちよかった。
 その酔いにまかせるように、ホテルのベッドに横になると、誘われるように眠りが訪れたのが分かった。

 薄暗い、汚いレンガの壁が見えるが、今ロイは静かに横たわっていた。
 誰もいない部屋の気配に天井を見つめながら、身体を起こそうとしたが、起きあがることができない。
 ぐったりと疲れ果て、指一本すら動かせなかった。
 これは夢だ……。
 また夢を見ている…。そう思いながらも、身体が疼くように熱くなっているのが分かる。
 ジムがシャツの裾で顔を拭いてくれた場面がふっと過ぎった。
 太陽の眩しい光の下で、立ち上がる青い水しぶきの映像が続く。
 フラッシュで作られた画面のように、いつもの恐ろしい悪夢にすっかり這入り込もうとするのを阻止するかのように、昼間のリラックスした場面が何度も瞬いては消える。
 ここはフロリダだ、とロイは息を吐いた。
 いや、フロリダの夢を見ている――? 
 ぎくり、と心臓が跳ね上がる。
 どっちが夢なんだろう、とロイは閉じた瞼を開けることができないでいた。
 ロイはいつもここに横たわっている。
 身体の芯が熱くてつらい――ということは、やはり陵辱の現場にいるのだ。
 だが、悪魔のような男たちはどこにもいなかった。まだ、今日はなにもされてはいない。それなのに、なにかを期待するように、身体だけが熱くなっている――。 
 そんなわけはない、と思いながらも身体の火照りを持てあまし、ロイは眉を顰めた。
 身体がおかしくなってしまっているのかもしれない。
 夢を見るたび穢されて――。
 陵辱によって身体を熱くすることなど、有り得ない。
 不意に、優しく暖かな感触が下腹部を這うのが分かった。
「いや……、触るな…」
「じっとして」
 穏やかな声が聞こえた。
「駄目だ……こんなに穢れているのに…。身体の中から腐っているんだ……」
「綺麗だ、どこも穢れてなどいない……」
 横たわったままの身体の下に、大きな影が見えた。
 これまで嬲られる感覚しかなかった暴力的な臭いなど何もなく、ただひたすら熱い身体を癒すようにその手が動き続けている。
「あ…、だ、だめ……」
 唇から淫らな吐息が漏れる。
 どうしてこんな声を出しているのか、自分でも分からない。
 いやだ……と口にしながら、本当は止めて欲しくない。
 痛みを伴わない、穏やかな波に追い詰められ、ロイは喘いだ。
「あ……、あ…ああ」
 身体がうねるように持ち上がり、かつてない陶酔感に蕩けそうになる。
 身体中を静かに這い回る手が、これまでどろどろに汚れていた身体を綺麗に拭き上げていくように、手のあとの皮膚が白く戻っていくのが感じられた。
 やがて、そっと後ろに触れられるのが分かった。
 陵辱の限りをつくされ、ずきずきと始終痛み続けているはずのそこが、柔らかい何かに優しく触れられると、すっかり痛みがなくなった。それどころか、身体の中に、何かが湧き上がり、思わず身体を震えさせる。
 もっとも穢されているはずの場所。
 激しい苦痛の吹き溜まりのような場所――。
 探るような優しい動きに、ロイは喘いだ。
 突かれ、裂かれ、ぼろぼろのはずの身体の中から微かに快楽が湧き起こる。撫でて、軽く触れているだけのはずなのに、猥らにすら感じられる手の動き――。
 ロイは熱い吐息を漏らし、初めての感覚に涙すら溢れそうになっていた。
 この行為が、甘やかな快感すら運んでくるものだということに、ロイは気づいたのだ。苦痛しか知らなかったロイにとって、それは例えようもない安寧をもたらした。
「…ジム……」
 思わず零れ出たその名前に、ロイはうろたえた。
 ジムのはずがない。
 ジムは骨になって……、いや、骨はもうない。あれはすべて夢だ。ジムは生きている。いつも知らないうちに、手を握って眠られてくれていた――。
「綺麗だ……」
 ジムの声が囁いた。「どこも穢れてなどいない。シャワーを浴びた、石けんの薔薇の匂いがするぞ」と言われ、ロイは目を開けた。
 目の前にジムの顔があり、狭いベッドから落ちそうに端っこで眠っている。手がしっかりと握られ、ジムからも同じ薔薇の香りがした。
 すやすやと寝息をたてているジムの顔が、ひどく愛しかった。
「……おまえだったのか…」
 ロイはそう呟いて、ジムの顔をそっと撫でた。
 優しい男……。
 いつもロイを見守ってくれようとしていた男。入院中に手を握って、安らかに眠りを与えてくれた男……。
 ジムが自分のベッドから、わざわざ移動してきたということは、魘されていたのかもしれない。もちろん、現実にジムが触れたはずはない。ジムもロイも、下着姿であるが、それが乱れている様子もなかった。
 落ちそうになりながら、手を握っているのをみると、恥ずかしくなった。
 これだけ穢されていながら、なおジムに抱かれている夢を見たことに、ロイは戸惑っていた。
 顔を眺めながら、次第に頬が熱くなって来る。
 優しい手の動き……。
 穢れを拭い去るように身体を撫で、そして……。
 どうかしている、とロイは思った。
 あんな行為をしたいはずがない。夢が錯綜し、男たちに責められるくらいならと逃避したのかもしれなかった。
 ジムがそんなことを、望んでいるはずがない。こんな夢をみたことを話したら軽蔑されるかもしれないと思うと、自分が嫌になってきた。
 卑猥すぎる。――けれどもあまりにも幸せな余韻に、まだ身体が浸っている。
 ロイはそっと、ジムの頬に唇を押し付けてみた。
 薔薇の香りが漂った。
 その行為に恥じ入りながらも、ロイはジムの胸に顔を埋めるようにして、再び目を閉じた。
 ジムの心音が聞こえる。とくんとくん、と軽快なリズムを刻むその音は、常に狂うことのない時計のように、ロイを安らぎに導く。
 それは、日常とはそういうことだ、なんということはないのだと教えてくれてでもいるようだった。




硝子の破片

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後日憚―哀しみの追憶―

観客

おもちゃ屋探検

おもちゃ談議

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Pは××のP

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金の砂銀の砂第二部

金の砂銀の砂第三部

僕が彼を憎んだわけ

ロイとジムの映画評