[甦る屈辱] of [硝子の破片]


HOME > ガラスの破片 > 第十章 甦る屈辱

garasunohahen_title.png

第十章 甦る屈辱

 三十マイルもの遠泳、海底深く潜っていくダイビング。
 地上でのランニングや泥を這い回り、仲間を担いで森林を駆けて行く擬似戦闘訓練。実弾を使っての射撃練習――。

 毎日毎日の繰り返しに、ロイは慣れていった。 
 薄かった身体に、徐々に筋肉が蓄積されていくのが目に見え始めた。
 疲れてぐっすり眠り、きちんとバランスの取れた食事を心がけ、すっかり元に戻ってきたロイを見て、一番喜んだのは、ジムだった。
 元気が戻ってくると、ジムの心配顔が減り、ロイも通常どおりに接することができるようになった。
 二人で食事をし、遅くまで語り合うことも増えて、ふたりは友情を深めていったが、過去の話題には、お互いに一切触れなかった。

 ロイは徐々にタイムの順位を上げ、病み上がりの男に破れた隊員たちが、地団太を踏んで悔しがる中、やっと退院祝いが開かれた。
「また、儀式をされるのは嫌だぞ」と言うと、みんなが笑い転げた。
 酒を飲めるようになるまで遠慮していた、というみんなの気遣いに感謝し、ロイは久々にアルコールを身体にいれ、遅くまで騒ぐ隊員たちに囲まれて過ごした。
 カーターは、ジムのそばでそんなロイの様子を微笑んで見ていた。
「あいつはやっぱり、ただの男じゃなかったな」
 カーターの言葉に、ジムが頷いた。
「こんなふうにすっかり元に戻っていくような日々が、また訪れるようになるとは、夢にも思っていなかった……と言うと、怒られそうですけどね。でも、ほんとに良かった」

 訓練に戻って一ヶ月半ほどたったとき、ロイはワシントンDCに出向くよう電話を受けた。
 それは直属の上司であるカーターでもなく、その上のバークからでもなく、顔も見たことのない、海軍の最高幹部のひとりだった。
 久しぶりに袖に二本の金ラインのある、濃紺の制服に腕を通すと、気持ちまでが引き締まるのが分かった。
 基地の中では正装することはあまりない。
 夏物も冬物も、ロイは海軍の制服が気に入っていた。
 指定された場所は、ペンタゴンの海軍ウイングの一角の、ロイの知らない部屋だったが、表には『特別調査室』というプレートが貼ってあった。
 制服がいるのかと思ったが、意に反してデスクに座った男たちは、仕立ての良い普通のスーツ姿であった。
「ようこそ、フォード大尉」
 ペイジが嬉しそうな微笑で出迎えた。「またお会いできて嬉しいですよ」
 相変わらずガムを含んででもいるような、先日と同じ、ミントの香りが鼻をついた。
 この男は接近するのがクセなのか、すでに、通常のパーソナルスペースとロイが感じている部分に侵入していた。
 長身のロイよりもさらに上背のある、意外にたくましい身体をすぐ目の前にして、下目使いに見られているようで、息苦しさを感じた。他に暗い色の背広を着た、二人の男たちがそれぞれ自己紹介をし、ペイジがテーブルにつくと、その前に座らされたロイを囲むように、後方の椅子に座った。
「先日もお話しましたように、我々は軍の直属の機関です。普段表に出ることはありませんが、さまざまな調査をしています」とペイジは言った。
「復帰も順調なようで、おめでとうございます」
 身体に対して頬がこけ、神経質そうな表情を浮かべたペイジの、威圧的な態度がロイを不快にした。
 年のころは四十代後半から五十代というところか……、とロイは改めてペイジの顔を観察した。
「ありがとうございます」と答えると、ペイジは分厚い書類のファイルを開きながら、探るようにロイに視線を向けた。
「……二、三、不愉快な質問をさせていただきます」
 ペイジはファイルをめくりながら言った。
「病院の報告によると、あなたは入院してずいぶん長いこと不眠を訴えられていたようですね」
「ええ、その通りです」
 ロイは表情を変えずに言った。
「激しい嘔吐、不眠による身体の機能低下……。これらは克服されたと報告があがっています」
「はい」
 ロイは、この男は何がいいたいのかと思いながらも、感情を抑えた。
「レイプの被害を受けると、精神的にかなり障害を負うことがあります。これは女性はもちろんのこと、男性も……」
「何がおっしゃりたいのですか?」
 ロイがさえぎると、ペイジは薄く笑った。                             
「もう一度、あの国に行けますか? 大尉」
 ロイは一瞬、目の前にうらぶれた建物が乱立する、彼の地の景色を思い浮かべた。
「……行けると…いえ、行きます。命令があれば」
「また、隊長から斥候を命令されるかもしれません」
「かまいません」
「いい答えです。では、何があったか詳細にお答えいただけますね?」
 ロイの目の前に、ペイジが痩せた顔を突き出した。
「制服を着た者同士では、非常にやりにくいという、貴方の立場を慮っての、依頼です。本当はもっと早くすべきところを、完全に回復をしてからと医師に止められてましたのでね。調書を取らねばならないのです。そんなことはご承知でしょう?」
 ロイは、呼吸が浅くなってくるのを感じていた。
「まず、最初に進入した場所から、事実のみを話してください」

 それは、苦痛の時間だった。
 地下の各部屋のチェック、脱出しようとして囲まれたときの様子を、ロイは思い出しながら話をした。その廃墟のような工場の湿った空気や、腐ったような、草いきれのような臭いまでがまざまざと脳裏に蘇った。
 ペイジはいちいち話に口を挟み、細部にわたって確認をしたがった。
「よろしい。捕らえられてからのことを」
 ペイジの表情のない窪んだ頬に、薄い笑いが漂ったような気がして、ロイは口をつぐんだ。
「お話するのが嫌なのは分かります。しかし、事実のみを語っていただければよろしい。そのために、我々は今日までお会いするのを延期したのですから。どう感じたなど、余計なことはいりません。過去のことです」
 どう感じた、などどうして言えるだろう? と、ロイは思った。
 つらく、恐怖に満ち、ただただ耐え難く、ひどい痛みに苛まれたあの時間を……。
 目の前の男だけでなく、後ろに控えている男達も話を聞くのだと思うと、なかなか言葉が出なかったが、ロイは覚悟を決めた。
「さんざん殴ったり蹴られたりしたあと……裸に…されました……」
 ロイはようやく話し出した。
 ペイジは、出だしの自分の言葉に竦んでしまったように、唇を閉じたロイをじっと見た。
「ふむ。裸にされた……それで?」
 ボールペンの持ち手のあたりを唇につけ、ペイジは身を乗り出した。
「身体に何か入れられ……、微弱な電流が全身を流れ、酷いショックを受けました」
「身体のどこに入れられたのです?」
 ペイジがさえぎった。
 ロイは言いよどみ、唇を噛んだ。
「正確に」
ペイジはメモをとるためのペンを、ロイの目の前で左右に振った。「ではこの図の、要はここですね?」
 ペイジは別の紙を開いて、男性図の一部をとんとんと指さした。
ロイは無言で頷く。
「男性の一番、大事な部分ですね。分かりました。そして?」
「そして……それを…嬲られました。辱めを与えるのが……彼らの狙いです」
「掴まれて、射精をするように、と解釈してよろしいんですね?」
「……はい」
「達したわけですか? そういう状況で?  射精なさった」
 ペイジの世間話のような口調に、ロイはかっとなった。
「まあ、ある種の電流の刺激がそうさせた……。うまいこと調節したんでしょうな。でなければとても無理でしょうからね。私の想像を言っても仕方がないが。もっとてきぱきと答えていただかないと……」
「申し訳……ありません」
 とてもすべてを話せそうもない……と、ロイは思わず目を閉じた。身体中に冷たい汗が流れ始めたのが分かった。
 しかし、身体の傷との照らし合わせ、おそらくジムにも同じことが聞かれたことを思うと、適当なことは言えなかった。
「で、何度くらい快楽の極みを得られましたか?」
「……快楽のきわ……み?」
「状況はどうであれ、達するときはそれなりに感じておられたのでは?」
 ロイは鋭い目で、ペイジを睨んだ。
「そんな感覚はありませんでした。身体がどう反応したかはともかく、感じるなどと……。苦痛だったと言うしかありません」
 そんなもんですか、とペイジは気のない言葉を吐いた。
「でも、体液を搾り取られたのは確実ですね? なにも出なくなっても達かされた」
 ロイは返事をしなかった。そのかわりに話を進めた。

「全身を鞭で打たれ、気を失うと無理やり覚醒させられ……男たちがかわるがわる、私を……犯しました。――それを、何度も繰り返されたと思います」
「どこへどうやって、とは聞かなくても分かります。女と違ってひとつしかない」
 独り言のようなペイジのことばに、かっと身体が熱くなった。
 冷静な物腰の中に、ロイを愚弄するつもりでもあるかのような、棘が感じられた。
「ああ、もうひとつありますな。口も? 大勢なら待ちきれなかったでしょうからな」
 微かな含み笑いに、握り締めた拳が震えだした。
「どうなんです? 口も使われましたか?」
「……はい」
「喉まで? 喉にも体液を受け入れましたか?」
 ロイは唇を噛んだ。
 急に胸の奥がむかむかしたが、唾液を飲み込んで堪えた。

 根掘り葉掘り、とはこういうことを言うのだろう、とロイは思った。
 ペイジは、最初押さえ込まれたときのポーズを確認し、次はどんな格好にされたかまで、いちいちロイに話すよううながした。
 すでに、言葉が他人のもののように口から容易に出てこない。
 調書は詳しく書くものであるとはわかってはいるものの、ペイジの挟む言葉のひとつひとつが刃のようにロイの心を抉るようだった。
「鞭に関しては、身体の傷で分かっています。ずいぶんつらい責めを受けられたようだ。ショック死しそうな場所までとはね。お気の毒です……それで? 何人いました?」
「……四人…でした」
「最初から最後まで? 同じ顔ぶれでしたか?」
「分かりません。最初はその数でした」
「それで、どのくらいの時間そうされていましたか?」
「……よく…覚えていません。途中からほとんど意識がありませんでした」
 ペイジが片方だけ眉を上げ、しばらく黙り込んだ。
「捕らえられてからすぐに暴力を受け、間もなくレイプが始まった……。あなたの呻き声がチームに届いています。壊れたインカムを通して、雑音の中に微かにね。その時間までことが行われたとしても、ずいぶん長い。一人当たり、何度あなたの身体に挿入したかも覚えていませんか? それとも最初の人間だけでなく、他にも途中で加わった人間がいたとか。あなたの体内から検出された、体液の種類と量を考えれば……」
 ロイは、拳を更に強く握り締めた。
 肩が上下し始めていた。
「……いえ。覚えていません」
「あなたの致命的な傷は、内臓を傷つけるほどに深く抉られたものです。それについては? なにを使われたのか、わかっているでしょう?」
 ロイは蒼白になった。
「いかがです? 最終的にあなたに手ひどい損傷を負わせたものは、なんだったのです?   これは、医師にもはっきりとはわかっていないし、あなたも語られなかったようだ。ここのところを、ぜひはっきりと伺いたいのですが」
 ロイは唇に拳を当て、眉間に皺を寄せた。
 不快な動悸が、喉元まで押し寄せはじめていた。
「大尉? 大丈夫ですか?」
「……覚えていないんです。本当に……。時々無理に意識を戻され……、でも一向に終わらない……、どのくらい時間がたったのか、何をされたのか、本当に覚えていないんだ!」
 ロイは思わず立ち上がって、激しく息をついていた。

 ペイジは見上げるように、その顔を見ていたが、穏やかに手を振り、座るように促した。
 ロイが立ったままでいると、後ろにいた男の一人が肩に手を置いた。
「触れるな!」
 ロイは思わずその手を払いのけ、ぎょっとしたように手を止めた男を睨んでから、思い直したように椅子に座った。
「真っ青ですよ。まだ、精神的外傷が癒えてはおられないのでしょうな。お気の毒です」
「いえ、そうではありません。こうして話をするのが、苦痛なだけです。楽しい記憶ではありませんので」
 ペイジは揶揄するような笑みを浮かべた。
「それが、癒えていないという証拠なのでは?」
 ロイは姿勢をただして、ぴしゃりと言った。
「医師が、完治したと退院を認めているのです。その判断が間違いであるとおっしゃる資格を、あなたはお持ちなのですか?」
 ペイジは眉を上げた。
「とんでもない。ご同情申し上げただけで。もちろん私は医師の資格などありませんからな。それでは、続きを……」
「これ以上のことは分かりません。部下に……一緒にいた男に聞いてください」
「それはもうすんでいます」
 もうなにも話したくなかった。
 これ以上思い出すことも。
 たとえ、協力的でない態度をとったと非難されようとも、もう十分だろうとロイは唇を引き結んだ。
 ペイジは眉を寄せ、見たかった映画が途中で終わってしまったかのような不満そうな表情を浮かべていたが、もう一度書類をめくった。
「これまでにも、この手の拷問は報告されています。嬲るつもりがなくても、自白強要のために電流を通されるなどはよく知られる方法です。ここに事例がありますが……」
 ペイジはファイルを見ながら、男性に与えられる有効な手段としての方法をいくつか挙げた。
 それは、聞くに堪えないほど残虐で、常識では考えられないようなものだった。
 ご丁寧に、ペイジは実際に行われた事例の中から、写真や図解などまでを広げて見せている。 
 その方法を聞いて、ロイは胸がむかむかするのを感じた。
「今言ったようなことは、されなかったんですね?」
 言ってもいないことまで羅列する神経を、ロイは疑った。
「……なぜ、そんな話を……? 私への質問のみではなかったのですか?」
 ペイジはうっすらと笑みを浮かべ、「お忘れの箇所を思い出す手立てになるかもしれないと思いましたのでね」と言った。
「連中が、あらゆることをあなたに試したのではないかと、思ったので」
 ロイはきつい光を浮かべ、露骨に眉間に皺を寄せた。
「とにかく、以上です。これ以上はなにも話すことはありません」
「悪夢はもう、見ていないのですか?」
「見ていません。できれば、もう忘れようと思っています」
「最初の質問と同様ですが、仕事に復帰すればまた、捕らえられ、今後も同じことがあるかもしれない。それに恐怖を感じたりは……」
「……分かりません。感じるかもしれない。でも、それに怯むことなどしません」
「つらいことを不躾に質問したことをお許しください、大尉」
 ペイジは立ち上がった。
 差し伸べられた手を払いのけたい衝動に駆られたが、ロイは気力を振り絞って握手を返した。
「報告書がもれることはありません。上のごく一部の人間だけしか見ることもないはずです。ご安心ください。ただ、詳細を思い出した場合はお知らせ願いたいですな。なるべく完璧に報告書は作成されるべきものです。……あなたは強い方のようだ。お約束いただけますね?」
 ペイジに促されるように、ロイは廊下に出た。ひどい頭痛がしていた。
「大尉」
 ペイジの気軽な声に、ロイは振り向いた。ペイジはそばに近寄ってきて、囁くように言った。
「あなたはこれまで男性に、セクハラなどを受けたことがありますか?」
「……質問は終わったのでは?」
 ロイが冷たく言うと、ペイジは首を傾げるようにしてロイを見据えた。
「重要なことですが、他の男の目があっては答えにくいだろうと、今聞いているんです。私の好意でね。いかがです? あなたのような男性が軍などにいると、いろいろ苦労がおありかと……。これまでそういう目で見られたことは?」
「ありません」
「男同士のセックスをご存知でしたか? そういう経験がおありですか? たとえば、すでに恋人がおられるとか。もちろん、男性の、ですが」
 ロイは黙ってペイジの顔を見つめた。
 青緑色の瞳が深い海の底のように沈んだ色に変化し、光だけを異様に強くしたような目を見て、ペイジがわずかに後じさった。
「調査部なら、徹底して調べればいいだろう」
「過去に……、何年にもわたって捕らえられ、飼育されて嬲られ続けた将校が発見されました。美貌の将校でね……。もし、救出が適わなかったら、あなたも同じ目に遭ったのかもしれませんな。犬小屋のような檻に入れられて、毎夜毎夜、男たちの慰み者になるのです。来る日も来る日も」
「俺への質問は終わったんだろう?」
「その将校は、救出にきた仲間の兵士のズボンを開けそうになったらしいですよ。跪いてね。檻から出された時には、なにをしなければいけないのか、身に染みていたらしい。まあ、数年間も毎日、大人数相手ではね。そうなっても当然です」
 ロイが踵を返して立ち去ろうとすると、後ろからペイジは言葉を続けた。
「ご存じでしたか? あなた方の救出は、本来出直して行われる予定だった。三日後か、一週間後か、もっと時間がかかったのかはわかりませんがね。あなたのチームの隊長が、ごり押しで居残っての捜索を主張したのです。もしそうなっていたら、場所を移されて発見は不可能だったかもしれない。そうだったとしたら、相棒は処刑され、あなたは今頃は本当にペットでしたな。軍などというのは無情なものだ」
 これが悪意でなくて、なんだろうとロイは思ったが、何も言わず、ドアに向かって歩き出した。
「連中はあなたを飼い続けたかったでしょうな! もちろん」
 ペイジはドア口に立ったまま、まだ愚弄するかのような言葉を投げつけた。

 建物の外に出ると、陽射しがロイに押し寄せた。
 足がよろめき、目の前がすうっと暗くなるのが分かり、ロイはその場にしゃがんで手で身体を支えた。
 ぱさり、と頭から帽子が落ちたが、ロイは気づかなかった。
 心臓に手を入れられて、掻き回されたような気がした。
 ふと、湿気った地下室の匂いがした気がして、ロイは顔を上げた。
 明るいはずの陽が皮膚に感じられるのに、目の前が薄暗く、ついている手の下の感触が牢獄の石だと気づいた。
 汚く、不潔なじめじめとした空気がまとわりつく。
 こつ、こつと跫音がする。
 汚れた軍靴の男の足が、目の前に立ち止まった。
 ロイの背骨に、冷たい汗が伝って落ちるのが分かった。

「大丈夫ですか?」
 出口から出てきた明るい色の空軍の制服を着た男が、声をかけた。
 はっと顔を上げる。
 あたりは、やはり陽射しが差しており、地面はきれいな敷石だった。
 ロイが「大丈夫です」と、返事をすると、落ちていた帽子を拾って、ロイに渡して立ち去って行った。
「ありがとう」
 海軍の独特のデザインが豪華に飾りつけられた制帽を被り、ロイは込み上げる涙を飲み込んだ。
 ――今見たものは、なんだったのだ?
 まさしく、あの牢獄そのものの。
 匂いさえ、間違いなく。
 ロイは頭を振り、汚れた軍靴などどこにもなかったことを思い出した。
 綺麗に磨かれた短靴は空軍の男性のもので、彼はロイに帽子を拾って立ち去った――。
 ペイジの無遠慮な言動は、こちらに感情などないと思っていた、あの敵国の男たちと共通するものを感じさせた。
 根掘り葉掘り、細かいことを思い出さされて、頭がぼうっとしてしまったに違いない。
 そう――。
 ロイは、後ろに控えている男たちの気配が怖かった。
 今にも押さえ込まれるのではないかと、怯えそうになったことを思うと、ペイジが言ったように再び同じ場所へ出向くことなど不可能に思えた。
 よろよろと立ち上がり、ロイは息を吸って呼吸を整えた。
 とにかく、関門は突破したのだ、と思考を切り替えた。
 今後この話題を誰かと交わすことはもうないだろう。思い出したら連絡をくれなどというのは、嫌みに違いない。
 思い出したって、二度と来るものか。
 潰されてたまるか、とロイは思い直し、深呼吸をすると、ようやく歩き出した。

 目を覚ますと、そこはあの牢の中だった。
 ロイは手足を拘束され、裸で転がされたまま、男たちを見上げていた。
「目が覚めたようだぞ」
 一人が嗤い声をあげ、顔を覗き込む。
 ずっとここに捕らえられ、毎日のように嬲られていたことを思い出した。
 ――故郷に戻れたと思ったのは夢だったのだ。
 部屋の隅から微かな腐臭が漂い、ジムの身体が不自然な格好で横たえられていた。
 何度も激しく殴られ、蹴られて顔が変わってしまっていた。この腐臭はジムのものなのか?
 死んだのか……と、ロイは唇を噛んだ。
 唯一救ってくれると信じていた屈強な男は、すでに死骸となり、ロイは永遠に、死ぬまでここでいたぶられ続けるのだ。その運命を思うと、涙が溢れ出した。
 トレーニングをし、チームに戻れたと思っていたのは幻だった……、ジムは死んでいた。
 ロイは絶望感に襲われた。
 入院していたことも、精神科でチェックを受けたことも、屈辱的な質問をペイジにされたことも、全てが夢だったのだ。
「ちがう」
 ロイは、呻くように言った。「これが夢なんだ。俺は救出された。こんなことは、もう終わったんだ」
 男たちが下卑た嗤いを漏らした。
「じゃあ、思い出させてやろうか? 終わったのかどうか、身をもって思い知るといい」
「いやだ……!
 髪を強引に掴まれ、その勢いで上半身を起こされた。
 頭皮に痛みが走る。
 リアルな、激しい痛みに身体が竦んだ。
 ぴしり、と鞭の鋭い音が床に響いた。
 その音だけで、ロイの四肢が硬直した。
「助けてくれ、ジム!」
 だが、ジムは死んでいる。
 ロイは、ひとりで耐えなければならないのだ。
 ――これから、ずっと……?
「有り得ない、これは夢だ」
 ロイは、呻くように、その言葉を確かめるために吐いた。
 男がチャックを下ろし、ロイの顎を掴んで無理やり自分のものを押し入れてきた。
 喉に薄気味の悪い圧迫感が押し寄せた……。
 髪を掴まれたまま、容赦なく奥深くまで突き入れられ、強烈な吐き気が襲う。
 幾度も幾度もロイの意志などおかまいなしに、それは頭を揺さぶり、激しく喉を責め立てる。
 呼吸ができない。
 息が詰まって、目の前が真っ白になってくる。
 そのまま、下腹部が掴まれ、気を失いそうになっていた意識を呼び覚ますような痛みに捕らえられた。
 脳内がスパークしたように、火花が散る。
 苦痛と気持ちの悪さ、他人にいいように扱われる屈辱感……。
 味わったことのない、口の中に溢れる、反吐が出そうな不気味な感触……。


 ベッドに跳ね起き、肩で息をきらせて、シーツに顔を埋めた。
 真っ青な顔で、ロイはそのまま嘔吐した。胃がせりあがり、何度吐いても治まらない苦痛にうめき声を上げる。
 涙がこみ上げ、悔しさに拳を握り締めた。
 やがてそれは嗚咽に変わり、ロイは顔を覆った。
 帰りたい、戻りたいという思いに急き立てられ、泣いているうちに、汚物が手に触れた。その気持ち悪さにロイは現実感を取り戻した。
 あたりを見回すと、馴染んだ自分の部屋だった。
 立ち上がってシーツとパッドを剥ぎ、バスルームに放ると、顔と手を洗って口をすすいだ。
 チェストの引き出しから、新しいシーツを出すと、そのまま膝をつき、自分のベッドを撫でてみた。
 傍らのスタンドを引っ張って灯りをつけ、床のラグに手を這わせた。
 頬を当てると、ラグの柔らかい毛の感触がした。
 本当は救出などされてなく、今もあの薄汚れた檻の中にいるのではないかと、ロイは何度も周辺のものを触ってみた。本当はさっきの夢が本物で、捕らえられてからずっと、嬲られ続けているのではないかと。
 それほどさっきの夢はリアルな質感を伴っていた。
 目を覚ました場所が、あの檻の中だったと思ったときには、心臓が止まりそうだった。
 腐ったゾンビの自分も怖いが、終わった、と思ったことが終わっていなかったショックは、比べ物にならないほどの恐怖をロイに与えた。
 特に、ジムが死んでいたことを知ったときには、深い暗い穴に落ち込んだような消失感を味わった。
 病院で目覚めた当初、ロイはしょっちゅう嘔吐の発作に見舞われた。
 嬲られていたときに、何度も吐いたのだ。口腔を犯され、体内を圧迫されて起こった感覚が残っているかのようで、吐いても吐いても足りない気分でトイレに蹲り、そのまま気を失って、看護師に発見されたことすらあった。
 けれどもそれはほんの初期のことで、身体の回復と共に、あとからはほとんどなくなっていたのだ。
「……ただの夢だ…」
 ロイは歯を食いしばるようにして、自分に言い聞かせた。「ただの夢など怖くはない」
 だが、すっかり冴えてしまった脳が睡眠に入っていこうとしない。
 目を閉じると、さっきの夢の中に出てきた地下の牢の部屋が、まざまざと思い出された。
「部下の前でいい顔を見せてやれ」
 下腹部に這わされる手が、ロイの体内に与えられた電流の刺激と共に、激しい快楽の元を形成していくのが分かる。いやだ、と拒否してもまったく言うことを聞かない身体に、ロイは焦りと屈辱を感じたまま射精した。
 記憶が奔流のように、溢れ出てくる。
 何度も何度も、無理やり、何も出てこなくなって苦痛のみになってさえ、それを強要された。
 眠ろうとしている下腹部が、あの時のように熱くなってきたような気がして、ロイは飛び起きた。
 バスルームに飛び込み、水を出して下着姿のまま頭から被った。
 あんな忌まわしい記憶に反応するかのような身体など、水で凍らせてしまいたかった。初夏とはいえ、湿気の少ない夜間の水は冷たく、すぐに身体が震えだすのが分かった。
 バスタオルで身体を拭い、ロイはタオルを巻いたまま床に蹲った。
 立ち上がる気力すらも、なくなってしまっていたのだ。

 朝の光が部屋中に溢れ、目を覚ますと、タオルを巻いた裸のままでバスルームの床に転がっていた。
 自分が昨夜、ひどく落ち込んでいたことを思い出し、気力を奮い立たせて起き上がると、洗面所の鏡を覗き込んで頭を振った。
 偏頭痛のような痛みが走る。おそらく、馬鹿な寝方をしたせいで、風邪を引きかけているのだろう。
 鏡を開いて常備薬を取り出し、風邪薬を口に放り込む。
 腰にタオルを巻いたまま、チェストから下着を出して、クローゼットのドアを開けた。制服を取ろうと手を伸ばした姿が、ドアの内側の鏡に写った。
 大きなクローゼットのドアには、一枚だけ全身を写す鏡がついている。
 ロイは、思わず自分の身体を見つめた。
 自覚してはいたが、全身に走る鞭のあとが、まだはっきりと皮膚に残っている。
 これまで、目に入ってはいても、なるべく直視を避けていたものだ。
 そっとタオルを取り、腰から下を映すと、それはなおいっそう悲惨に思えた。後ろ向きになって、背後を映して首を捻ると、さらに無惨なものが現れた。
 ロイはドアを閉めた。
 夕べの夢に流されて、改めて傷を確認するなんてどうかしている。
 傷跡が痛むわけでもない。
 こんなものは、だたの跡であり、今、ロイを苦しめるわけではない。
 ロイはさっさと服を着け、朝食もとらずに外に出た。




硝子の破片

哀しみの追憶

後日憚―哀しみの追憶―

観客

おもちゃ屋探検

おもちゃ談議

キャンディーバー

Pは××のP

金の砂銀の砂第一部

金の砂銀の砂第二部

金の砂銀の砂第三部

僕が彼を憎んだわけ

ロイとジムの映画評