[クリスティーン] of [僕が彼を憎んだわけ]

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クリスティーン

 殴らなくてもいい相手を殴り、追い出したあと、ロイはなんだが疲れたように、本棚に背を預けた。
「あの男、しつこくて。まさかここまで追いかけて来てるなんて思わなかった。ほんのちょっとつきあってあげただけなのに、恋人扱いなんだもの」
 ロイは、ソファに座ったクリスティーンをじろりと見た。
「それにお酒を飲むと、サイアク。すごく暴力的になるの」
 クリスティーンは掴まれた手首をさすりながら、肩をすくめた。
 いい加減に男をあしらっているらしい様子と、さっきロイを巻き込むまいと、毅然な様子を見せていた彼女はまるで別人のようだ。
 悪い人間ではないのだろうが、あまりにも無防備だと、少し心配にもなってしまう。あのまま、あの酔っぱらいに連れて行かれていたら、今頃は――
 ロイは黙って電話帳を渡した。
「なに?」
「ホテルを予約して。そこまで送りますから」
「まだ……服が乾いていないし」
「ドレスはないけど、俺のシャツとジーンズで間に合いませんか? 悪いが俺は出掛けないといけないし、さっきのやつのことを考えたら一人で放り出していくわけにもいかない」
「そんな頭で?」
 クリスティーンは手を伸ばし、ロイの絡まった髪に触れた。
「ドライヤーが壊れていて。……俺の髪なんかどうでもいい」
 彼女はくくっと喉を震わせた。その笑い声を聞いて、ロイはふっと彼女を凝視した。
「どうしたの?」
 胸元をかき合わせ、腕を組んだクリスティーンに、ロイはいいえ、と首を振った。シャワーを浴びたばかりで、バスローブ姿なのに、きちんと化粧をしているのに違和感がある。ここが他人の家で、ロイの目を気にしているのかもしれない。そういう女性がいるという話は、どこかで耳にしていた。
 やはりドレスが乾かないと、ホテルになど行くことはできないタイプなのかもしれない。
 そんなことを考えていたせいで、ロイはやっとあることに気づいた。
「……なんで髪が乾いているんです?」
 ごめん、と彼女は謝った。「ドライヤー壊したの、私」
 だって、髪が絡まってパニックになってうっかり落としたんだもん、とクリスティーンは優雅に笑った。
 ロイはどさっと音を立てて、ソファに腰を落とした。
「分かりました。ドレスを持ってきて。俺がアイロンをかけてみます」
「そんなに追い出したい? 私が男にだらしない、いい加減な人間だから、一緒にいたくない? あなた、多分そういうタイプだものね、ロイ」
「パーティーで待っている仲間がいるんで……」ロイは言葉を止めた。「俺はあなたに名乗った覚えはない」
「あなた、女性に免疫がないでしょう? 化粧した女の顔は、どれも同じに見えるんでしょ?」
 ロイは立ち上がり、目の前の女性を凝視した。記憶を探ってみるが、心当たりはない。いつ、どこで出会った人なのか、それともずっと子供の頃に同じ学校にでも通っていたか?
 この巻き毛はパーマを当てていて、もしかしたら染めている可能性だってないとはいえない――
「今、どれくらい?」
「なんです?」
「引き出し開けてる。脳みその引き出し。幼稚園から順繰りに。小学校はクリアした? 私、どのあたりであなたの記憶に甦るのかな?」
 言われるままのことを脳内で行いかけていたロイは、黙って彼女を見返した。
「ねえ、なにかお酒でも飲みましょう。持ってきてよ、ロイ」

 コルクが固くてなかなか抜けずに、ロイはワインの瓶から力任せにコルク抜きを引っ張った。
 古くなったコルクは半分瓶の口に残り、もう一度コルク抜きを丁寧に入れてそっと抜かねばならず、その動作にロイは苛ついた。朝からずっと、ものに馬鹿にされている気がする。
「ねえ、お腹が空いた。オートミール、ある?」
「そこの棚に……。ワインにオートミール……? 冷蔵庫にチーズもハムもあるからそれを……」
「オートミールでいい。塩はどこ?」
「塩で? ミルクもちゃんと冷蔵庫に……」
 あっ、とロイは不意に抜けたコルクのせいで傾いたワインを、思わず支えた。
 オートミールに塩。ミルクをかけないんですか? これが意外にいけるから。食べてみる?
 頭の中で会話が甦った。

 大学の寮の中。
 広い学内の食堂の厨房で交わした会話だ。
 クリスティーンは、小鍋にオートミールを入れ、片手に塩の瓶を持って振って見せた。
「これが意外にいけるから。食べてみる?」
「まさか……」
「あは。やっと大学にたどり着いたって、顔してる」
 ロイは支えていた瓶を手に取り、グラスに注いだ。その動作を行う僅かの間に、呼吸を整えた。ひとつをクリスティーンに差し出すと、彼女は小鍋を火にかけてからそれを受け取った。
「久しぶり。ほんとにそこまで気づかないなんて、驚き」
「驚いたのはこっちのほうです。いったい、いつから……?」
「砂浜を歩いてくる姿が見えた時からかな? 見たことのある、くせのある歩き方する人が来たって、ずっと横目で伺ってたから」
「で、黙って気づかない俺を見て、愉しんでいたわけですね?」
「気づかないほうが悪いでしょ」
 だって、あなたは変わった、とロイは呟いた。
「そうね」クリスティーンは、グラスを傾けながら頷いた。
「あなたは変わってない。でも、以前よりうんと素敵になったけど」
 用があるのよね? と彼女はロイを見つめた。「でも、少しは邂逅を愉しむ時間はある?」
 少しなら、と答えた自分の声が掠れているのが妙だった。
 気になっていた人物だったのは事実だ。
 けれどもまさか、まるで関係のないこの地で出会うとは、思ってもいなかった。
「なにがあったのか、……聞いても?」
 そうね、とクリスティーンは歌うように言った。
「あなたにだったら、聞いて欲しい気はする。だから引き留めて無茶を言ったのかもね」
 はらり、とローブが床に落ち、白い身体が目の前に現れた。
























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