[壊れたツバメ号] of [僕が彼を憎んだわけ]

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壊れたツバメ号

「ロージャ、久しぶりに映画にでも行かないか?」
 リビングのソファに寝そべってテレビを見ていたロジャに、ライアンが珍しく誘いをかけた。
「なにがある?」
「キアヌの新しいの、やってる」
「あ、それ先週見た」
 ふうん、とがっかりした様子のライアンに、ロジャはちょっと気の毒になった。久しぶりに誘ってくれたのに、そっけなさすぎたようで言葉をつづけた。
「他になにかやってなかったっけ?」
 おまえが好きそうなのは……と、ライアンが映画雑誌をめくりかけた時、
「メキシコに行かないか?」
 シャワーを浴びたばかりのサンディが現れ、息子ふたりを交互に見ながら言った。
「メキシコ?」
「今回は純粋に単なる観光旅行だ。俺の悪友がむこうで商売を初めて、けっこう繁盛しているらしい。遊びに来いとさっき連絡があった。明日くらいから、どうだ?」
 父親はライアンの方を向いた。
「ベイビィ、たまには俺たちと一緒に羽根を伸ばしに行こう」
「明日はピアノのレッスンがあるから」
 ライアンは身も蓋もない調子で断り、自分の部屋に行ってしまった。
 そうか、とサンディは階段を上る音を聞いていたが、振り返ってロジャにウインクした。
「ま、なら単なる観光旅行にしなくてもいいってことだな」
「最初から、来ないって踏んでたくせに」
 ロジャが笑うと、サンディは肩をすくめた。
「本気で誘ったさ。けど、いったいどこへ誘えばあいつの好みに合うんだろうな」
 親父もやっぱり父親なんだな、とロジャはおかしくなった。いつも好き放題していて、今さらだろうに。
「博物館とか……あ、ママみたいに、ショッピングにでも連れてったら? ライアン、いつも荷物持ちでつきあってやってるみたいだから」
「あいつは俺の荷物なんか、持ってやくれないだろ」
 サンディは早速、旅行の手配を始めた。

 翌朝、ロジャとサンディは車に乗り込んだ。
 メキシコにはもちろん、車で行く。朝早かったために、朝食は車の中でとることにして、イリーナがサンドイッチを作ってくれた。
 車の助手席から、いってらっしゃいと手を振る母親に軽く片手を上げ、ロジャはふと二階に目を向けた。
 窓の隅にたたずんだ、ライアンの影が映っていた。
 手を振るでなく、身体半分を窓枠に隠したかのようにしているくせに、こちらをじっと見ているのが分かる。
 そういえば、いつかもそうやって見送っていたことがあったな、とロジャは思い出した。
 その時はあまり気にはならなかったために、忘れていた。

 父と弟が出かけていくのを、ライアンはいつもあんなふうに見送っていたのだろうか?
 まるで本当は行きたかったのに、置いてきぼりをくらった子供のようだ。
 行かないと言ったのは自分の方で、パパは毎回誘っているのに。
 それはなんだか、とても兄らしくはない、辛気くさい態度に思えた。

 その後も、ロジャとふたりでほんのたまに映画やコンサートに出掛けることはあったが、ライアンが父とふたりで出掛けることはなかったし、ロジャと父のコンビに割り込んでくることもなかった。
 その頃にはロジャはすっかり大人びてきて、ラブゲームもいっそう盛んになっていった。相手は同年代やティーンエージャーなどではなく、自覚を持った大人の女性達が相手のことが多かった。
 まだそのことに慣れていないような相手は避けた。本気で好きになった女の子がいないせいもあったが、遊びと割きってくれる年上の女性達とのゲームは楽しかった。
 小遣いをくれたり、プレゼントをくれたりもする。けれども、そろそろ飽きてきてもいた。
 父親はまたどこかへひとりで出掛けており、しばらく家を留守にしていた。学校が休みでないときはついても行けず、ロジャは退屈していた。
 学校の男生徒に声をかけられたとき、だから黙ってつきあうことにした。最上級生で、髪を長めに伸ばした、たくましい男だった。
 ロジャはどちらかというと、それほど筋骨たくましいわけではなく、顔の作りもごつくはない。だから当然のように押し倒された。
「もしかして、俺、やられんの?」
「……いやか? それともはじめて?」
「まあね。だったらうんと愉しませてくれないと、すぐに帰るぜ」

 意外にも、好奇心だけだったロジャは、その彼との時間が嫌ではなかった。
 男は見た目よりもうんと優しくて、ロジャの申し出を守ろうと、必死で尽くそうとでもするかのようだった。
 柔らかな女性の皮膚が、ロジャは大好きだったが、引き締まった筋肉の感触も悪くはなかった。
 ふうん、女とやるときとは違って、別の快楽があるわけだなとロジャは思った。

 そういったことの上達は早い。
 才能がどこにあるのかと問われれば、ロジャは間違いなく世間で言うところの、下世話な分野に頭角を現したとも言えるだろう。
 ロジャは自分に与えられる快感のみでは満足できなくなり、すぐに自分が抱く側に回ることにした。最初の相手とも続いていて、相手によって立場が変わるのがおもしろかった。しかも、同じ相手でも立場を入れ替えることすらできるのだから、おもしろさは半端じゃない。
 ボーイフレンドたちとの関係にはいくつかの利点があり、狭い車の中や野原や海岸などといった場所ではなく、家に呼べることだった。アパート住まいの大人の女性と違って、まだ未成年の彼らが睦む場所はそう多くはないから、おおいに助かった。

 ある時――
 母は仕事でライアンはピアノのレッスンで、家には誰もいなかった。さんざん愉しんだ挙げ句、ボーイフレンドは帰る間際、玄関のドアを開ける前にロジャにキスをねだった。ロジャはそれに応えてやり、「さ、終わりだ」とドアを開けて外へ押し出した。
 そして振り向いたとき、ダイニングのドア口に立っているライアンの姿を見て、ぎょっとした。手に水のボトルを持っており、ぼうっとしたような顔つきをしていた。
「……ライアン。戻ってたのかよ?」
「今日は熱があったんで、ずっと家にいた」
 げっ、と思わず口を押さえたが、ライアンはふらついた足取りで二階への階段を上がっていく。
 ライアンの部屋はロジャの隣で、ずっとそこにいたとしたら、さんざん騒いだ声が当然聞こえていたはずだ――いや、今のキスシーンだって見られたはずだ。

 だが、ライアンが今日のことについてなにかを言うことはなく、案外熱に浮かされていてなにも気づいていないらしい、とロジャはほっと息をついた。

 やがてライアンは大学へ進学し、家を出た。

 子供の頃から目指していたはずの有名な音楽大学ではなく、家とはまるで正反対に位置するフロリダ州にある大学で心理学を専攻するという。
 ロジャはハイスクールに入った。
 サンディがいない家には慣れているが、ライアンのいない家は、なんだかぽっかりと空間ができた気がした。座っているべきピアノの前が空だからか、絶えず流れていた旋律が途絶えたからか、家にいるのがつまらなくなった。 
 だからよけいにかもしれないが、ロジャはひんぱんに相手を変え、女性男性問わず愉しんだ。
 学校へ通いながら、母に不信感を与えない時間に家に帰り着きながら、ロジャは本能的ともいえる器用さで時間を作り、アバンチュールにいそしんだ。
 ロジャは父親譲りのちゃらんぽらんな部分を隠しはしなかったが、父と同じように、母に無駄な心配や気遣いをさせることはしなかった。
 授業中居眠りをしたり、先生にたてついたからと呼び出されても、母はそんなことにはもう慣れっこだ。
 けれども不登校や遅刻、ましてや不純の上に不純すぎる異性同性交友などで、問題になるようなことは几帳面なほど避けた。
 年頃の少年にありがちな驚異的な体力の上に、その年齢では有り得ない経験値によって、ロジャは常にもてた。狙った獲物は逃さなかった。
 相手が女であろうと、その道に興味のなかった男であろうと、ロジャは的確につけいって落とすことに熱中した。

 夏になっても父親は戻らず、たまにいくらかの小切手と手紙だけが母に届いた。
 元気でやっている、今は太平洋のど真ん中にいると書いてはあったが、具体的になにをしているのかまでは分からなかった。
 ライアンは大学から戻らなかった。冬にはクリスマスカードとロジャへのプレゼントだけを郵送してきて、学校の音楽部に所属しているため、演奏旅行に参加するからと連絡があった。
 夏の休暇はスイスにあるクラスメイトの別荘へ行くと言い、息子に再会する楽しみを失って母はがっかりした。
「ちょっと顔を出してから、旅行に行くわけにはいかないのかしら?」
「大学生にもなれば、そうもいかないんだろ」
 あれほどそばにいるのが当然のようだった兄は、いつしか遠い存在にすら感じられた。もっとも、先に兄のそばを離れたのはロジャだ。
 同じ家にいても、もう子供の頃のように兄にまとわりつくこともなく、父親と人には言えない秘密を共有することに夢中になっていたせいで、兄はいつも置いてきぼりだったのだから。
 それでも似たような顔立ちの相手を抱いているときなど、ふと兄のことを思い出すことがあった。

 まさか誰かに「抱かれ」たりなどしないだろうが、あの生真面目な兄が、ベッドではどんなふうなんだろうかと想像するだけで、異様に気分が高揚した。
 そうして、有り得ないと分かっていつつも、想像の中の兄は、まさに抱かれている姿でロジャの中に浮かび上がり、ロジャを苦笑させた。
 そんな姿を見せてくれたら、ロジャはもう決して兄を嫌ったりはしないだろうに。
 なんつー馬鹿な想像だ、とロジャは自分で自分を嗤った。

 大学へ入って二回目の夏、ライアンは戻ってきた。
 母が胃を壊して、大したことはないながらも、しばらく入院することになったからだ。
 この夏、ロジャは社会人のボーイフレンドに誘われて、サンフランシスコの彼の叔父の家へ行く予定になっていたが、今朝彼が足を骨折したために中止になって腐っていた。

 明日には入院というその朝、嬉々とした母に連れられるように入ってきた兄を見て、ロジャはソファから腰を浮かした。
 くりくりの巻き毛を肩まで伸ばし、ライアンは痩せたように見えた。
「ちゃんと食べてるの?」
 お気に入りの息子の帰省に喜びながらも、イリーナは心配げな声をかけた。
「食べてるよ。ベジタリアンになったんだ。だから、少し痩せたけど元気だよ。ぼくよりママの胃のほうが心配だよ」
「良性のポリープだから。本の初期だし、手術も必要ないってお医者様が言ってたから、大丈夫よ」
 嬉しそうに、イリーナは息子を見つめた。
「ベジタリアンなら、食事は大丈夫かしら。卵やハムは食べるの? ロジャも出掛けるのをやめたみたいだから、食材を買い足しておかなきゃ。あなたたち、ちゃんと料理して食べるのよ」
 食生活をチェックする母に受け答えをしているライアンを、ロジャは窓際のカウチに寝そべって眺めていた。
 細い手足。細い首。
 洒落た服装のせいか垢抜け、持ち前の美貌はいっそう磨かれてはいたものの、兄はこんなに華奢な男だっただろうか? 
 いつも弟を庇い、弟の代わりに叱られながらも優しかった兄の面影は変わってはいないが、明らかに兄は自分よりも小さく見えた。ロジャ自身が成長して大人に近づいたせいもあるのだろうが、なんだか張り合っていた気持ちが霧散するような、がっかりした気分にすらなった。
「元気か? ロージャ。成績はどう?」
「最初の質問が成績かよ、アニキ」
「最初の質問は元気か? だったろう?」
 元気だよ、とロジャはハグをしようとしたが、ライアンはそのまま肩をぽんと叩き、タイミングを逃して並んでソファに腰掛けた。

「なんだか、大人になったな、ロージャ」
「アニキこそ」
「年だけとったけど、ぼくはどうかな」
 シスコへ行ったんじゃなかったのか? と兄は聞いた。母と事前に電話で話をしたのだろう。
「相棒が怪我してさ。出がけに階段で転んだって言ってた。それでおじゃん。出資者だし、やつの叔父の家に宿泊だから、俺一人じゃどうしようもない。ママも入院するし、ちょうどいいと思ってたのに」
 出資者か、と兄は唇の端を上げたが、笑っているのかどうなのか分からなかった。

「で、アニキ食事作れる?」
「おまえが期待するようなものは無理かも」
「じゃあ、毎日三食ピザだな。ベジタリアンでも大丈夫だろ、トッピングさえ選べば」
 うへえ、帰るんじゃなかったと兄は舌を出して、今度こそ本当に笑った。
 久々に見た、屈託のない笑顔はまるで天使のように、窓からの日差しに光って見えた。
 その横顔から、なぜだかロジャは目を離せなかった。

 ライアンの、ピアノの腕は相当に上達しているようで、滑らかな音律が絶えず家に流れているのは悪くはなかった。
 音大受験をしなかったことからでも察してはいたが、ピアニストや音楽の教師を目指すことをやめたらしく、今はもう誰かに師事するわけでもなく、単にピアノを愉しむだけになったとライアンは言った。
 そのせいか、クラシック一点張りだった曲目が軽快なジャズになったりもした。
「バイトで弾いてるんだ。生演奏が売りのバーだよ」
 へえ、とロジャは目を瞠った。自分が思ったよりも青春しているのかもしれない。
 ライアンが選ぶバイトとは思えなかったが、考えたらピアノでバイトをするというのはいかにも彼らしく、バーとはいえ、ロジャが知っているようなところとはまるで違う、洒落た上流階級の連中が来そうな場所なのだろう。
 悪い色に染まっている雰囲気は微塵もなく、そこだけはこれまでのライアンと同じに思えた。
 こうしていると、ずっと一緒に暮らしてきた頃に戻ったような気さえするから、肉親というのは不思議なものだ。
 ロジャは見舞いに来てくれと、電話をかけてきたシスコ行きの相手の頼みも無視して、久々にライアンと――母も混じって過ごし、夜には他愛のないカードゲームに興じた。
 
 そのライアンが帰省した翌日に、突然サンディが帰宅した。
 今回は家に戻る金だけしか残らなかった、とサンディは悪びれずに母に報告した。途中お金を送ったあたりまでは、景気が良かったらしいが、探していた遺跡が学術的に価値があると判断されたあたりから、あっという間に運に見放されたらしい。
 イリーナは「無事に帰ってくれて嬉しい」と抱きついた。
 消息不明に近い状態で、こちらから連絡もできなかったのに、ちゃんと母の入院に間に合うように戻るあたり、父親の強運は変わっていないらしい。
 続いて「小僧、元気だったか?」とロジャの額をつついてハグをした。それからおもむろにピアノの方を見た。
 ライアンは弾きかけていたピアノの前にたたずみ、黙って父親と握手を交わした。
「帰る道を忘れたわけではなかったんだな、ベイビィ」
「一応、パパの子供だから」
 自分が小僧で、ライアンはベイビィ――父は決まって使い分けた。別にそれに不満はないが、母によく似たライアンは、父にとっては自分似の末息子のようには扱えないのかもしれない。そういえば、昔はよく「王子様」と呼んでいたものだ。

 その夜、ライアンが友人と夕食をとると出掛けたので、久しぶりに親父に連れられて、ロジャは真っ当とは言えない店に行った。真っ当な店は当然未成年は出入り禁止だからだ。
 そこで最近のロジャのデートの様子を聞いて、サンディはふかしていたタバコに咽せた。「呆れたやつだ。なんと、そこまで極めたか」
「案外、そっちのほうが好きかもしれない」
 ふう、とサンディは丸い輪っかの煙を吐いた。
「ライアンはどうなんだ? あいつはちゃんと大人になったのか?」
 さあね、とロジャは唇の端を上げた。「お堅いままみたいだし。久しぶりに会ったせいか、調子出ねえ。ほんとに俺たち兄弟だったんだっけ? って感じだ」
「あいつは俺を避けてるんだろう」
 なぜ? と聞いたものの、何となく肌で理解もした。祖父が父やロジャと合わないように、ライアンとサンディは合わない。ひょっとしたら、自分のことも嫌っているのかもしれない……と、ロジャは再会時にハグをかわされたことを思い出した。
 自分が嫌っている相手は、相手も自分を嫌う――というのは、かつてライアンが祖父にぶつけた言葉だった。
 ロジャは子供の頃からライアンを嫌いだった。嫌いだけどそばにいてほしかったのも事実で、彼は弟を庇い、弟を慈しみ、そしてロジャはそれを疎ましく思いつつも一緒にいるのが当然だった。
「俺が帰るとは思っていなかったんだろう。だから、戻ってきたんだろうな。見ていろ、あいつは数日のうちには大学へ帰ると言うぞ」
 父親は苦い笑顔で、またタバコの煙を吐いた。






















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