[ダディ] of [僕が彼を憎んだわけ]

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ダディ

 結局、父親――サンディ・ウイリアムズは幾ばくかの金を宝探しから得た、幸運な人物のひとりとなったらしい。フック船長というあだ名は、案外的をはずした表現でもなさそうだ、とロジャは父親を尊敬すらした。
 とりあえず、家は買えると宣言したとおり、サンディはその日のうちに物件を探しに出掛けてしまった。すぐには引っ越せなくても、今夜からホテルに住まうから出て行く支度をしていろと言い置いて。
 祖父は子供部屋で、出て行く準備をしているライアンの元に現れた。
 戸惑っているのは、自らのやり過ぎた仕打ちと、結局は無実だったことを思ってのことらしい。
「悪いのは嘘をついたぼくだから」
 ライアンは、持ち前の礼儀正しさを遺憾なく発揮し、これまでに世話になったお礼を言った。
 だからロジャは言わなかった。祖父もまた、ロジャに声はかけなかった。
 お気に入りのライアン・クリストファーが出て行くのがショックなのか、誤って彼を罰したことを後悔しているのか、いつになくがっくりと肩を落として部屋を出て行こうとする祖父の背中に、声が飛んだ。
「ドリンコートじじい――」
 ロジャは目をぱちくりとさせ、振り返って睨みつけた祖父に首を振った。ぼくじゃない。今のはほんとうに――
「……小公子のドリンコート伯爵は、ほんとうはいい人だった。頑固だったけど。だからそのあだ名はあなたにはもったいない」
 ライアンが、段ボール箱にきちんと畳んだ衣類を詰めながらつづけた。
「ぼくによくしてくれたのは感謝しています。おじいさん。でも、弟を最初から無視してひどい対応をしたのはあなただ。ロジャがパパに似ているからって、パパとは違う小さな子供だったのに」
「……だが、結局はこいつはわしから泥棒を――」
「それは分かっています。悪いことをしたのはロジャだ。だけど、ママが言っていた。嫌っている相手は必ず相手も自分を嫌うって。あなたに愛されていたら、ロジャだって愛する人のものを盗むなんて、考えなかったと思います」
 悔しいことに、ロジャは口がきけなくなっていた。
 胸元からこみあげるものが目からこぼれないようにと、必死で唇を噛みしめていた。
 それ以上言わないで、ライアン。ツバメ号のジョンみたいに、長男であることを証明しようとなんかしないで。そうやって、すべてを見通してしまわないで。
 祖父はしばらくライアンとロジャを交互に見ていたが、やがて黙って部屋を出て行った。

「ずるいよ」
 ロジャは、ライアンの胸ぐらを掴んだ。「ずるいよ、ライアン。ひとりだけ格好つけやがって」
 掴んだ胸ぐらに頭をくっつけ、やがてその胸を涙で濡らした。ライアンはロジャの頭を抱き、ごめんと謝った。
「ごめん、ロージャ。ぼくもっと早くおじいさんに意見をするべきだった」
 優しいライアン。
 きちんと勇気を持って、強い相手にも立ち向かうライアン。
 美しくも凛々しさを漂わせた兄に、自分は一生叶わない――
 挫折感と安心感、爽快感と悲壮感。
 正反対の感情がまぜこぜに、ロジャの頭の中を渦巻いた。
「ずるいよ――ライアン」

 父親が、なんの仕事をしている人間だかさっぱり分からなかったロジャも、成長するにつれ、まるで山師のように――この場合、ちゃんとした仕事としての意味ではなく――適当に人生を渡っているらしいことを察し始めた。
 ちゃらんぽらん、というのが父に冠せられたもっとも言い得ている言葉だというのも、じきに分かった。
 ライアンに似て、生真面目で優しい母イリーナが、なぜサンディなどという男を好きになったのかなど、とうてい――誰にも推し量れなかった。母が生まれ育った町には、多くの母の友人が住んでおり、母とおしゃべりするたびに、その彼女の人生の選択を彼女のかわりに嘆いてやったほどだ。

 その年の夏までサンディは、出掛けると言えば酒場やギャンブル場で、時にリノやラスベガスまで足を伸ばし、働いている様子はなかった。
 母はもしもの時のために、と店を手放さなかった。
 最初、遠くの大きな街まで足を伸ばして家を探すと言っていた父親は、母に説得されて今の町の中で物件を見つけた。
「もう二度と、何があってもパパの家には戻れないわ。だから、最低限の生活の確保は必要なのよ」
「もっと大金持ちになるから」と、サンディは言ったが、「いつかの大金よりも今のお金は必要でしょ?」と譲らず、サンディを当てにはしないの、とイリーナはころころと笑った。
 それでもふたりは愛し合っているらしく、家にいるときは目を覆いたくなるほど仲が良かった。
 父親は家のリビングにビリヤード台を仕入れ、子どもたちにゲームを仕込んだ。
 兄に勝てるものは何もない、と思っていたロジャは意外にも才能を発揮し、みるみる上達したが、そもそも興味をさほど示さなかったライアンは、ゲームそのものに参加することが少なかった。
「おまえ、小遣いをかけろ」
 サンディはゲームとは真剣勝負なのだ、と説き、ロジャから容赦なく小遣いをむしり取った。その金はすぐに酒場への支払いと化けたが、それはまさに勝負事への集中度を高め、時にはその倍の金額を、父親から奪うこともできるようになっていった。

 ロジャが十歳のとき、夏の休暇が始まる前に、林間学校へ参加するつもりだったロジャは、「そんなもん」と父親に一蹴された。
「だって友だちも、みんな行っちゃうんだ。ぼくつまらないよ」
 ライアンはロスにあるピアノの夏季講習合宿で、夏の半分を過ごすことが決まっていたから、なおさらだ。
「なあ、俺と一緒に鉱山でルビーでも掘らないか?」
「ルビー?」
「いいところがあるんだ」
 絶対に駄目、と言い張ったイリーナを説得し、決して危険なことはしないと約束して、サンディはロジャを鉱山へ連れ出した。
 車が入れない場所から荷物を背負って歩き、鉱山の一角に入り込んでロジャはあるかどうかも分からない宝石の原石を探して、汗と泥にまみれた。父には幾人かの仲間がおり、小さいからと言って子供扱いもされなかったが、特別な待遇もしてはもらえず、一人前の男として扱われた。
 初めの頃は涼しい湖畔の林間学校へ行っていたら、と何度も思ったが、狭いテントの中の生活も慣れると悪くはなかった。大して価値はなくともルビーらしき石を見つけたときは、達成感に小躍りした。お仲間の男達はロジャをかわいがり、西部の男ってのは――とことあるごとにロジャにナイフの使い方や縄の扱い方など、様々なことを教えた。
 荒くれ馬に乗ってロデオをしたときは落馬し、したたかに背中を打ったが、ロジャは再度チャレンジした。その勇気をサンディは讃えた。
 夏も終わろうとする頃、父親は酒場のカウンターで食事をとっているロジャの耳元で囁いた。
「おまえ、そろそろいいんじゃないか?」
「なにが?」
「男の愉しみってもんを知る年だろ?」
「男の愉しみって?」
 父親は指を鳴らし、少し離れたところに座っていた綺麗なドレスを着た女性に合図した。
 ロジャの横に座った女性は、甘い香水の匂いを漂わせて豊かな胸元を押しつけるようにして「かわいいわ」と囁いた。
「じゃあ、あとは頼む。明日の朝、俺のホテルに送ってくれ」

「おいおい、本当にいかれた親父だな。おまえ半分は誇張してんじゃないのか?」
 ジムが思わず遮った。
「曹長、これからがいいところだろ?」
 リックが不満そうに肩を小突く。
「けどおまえ……その年頃はまだスーパーマンを信じててもおかしくはないだろ? 息子を商売女に預けるなんて、世間に知れたら大騒ぎだぞ」
「スーパーマンなんか信じてるわけねえだろ、今時幼稚園児だって。それに俺は誇張なんかしてないし、世間にばれる心配もなかったんだよ。ああいうとこではな」
 呆れたように、ビリーが口を尖らせた。
「いいから黙って聞けよ」
 おまえの親父、どうかしてるよと、ジムはぐいぐいとビールを飲み下した。

 まあそうはいってもその体験については――と、ビリーは笑った。
「大したことは覚えてねえよ。言われるまま、導かれるままってやつで、俺にしてみれば屈辱的な一夜だったくらいだな」
 ごくり、とレクスターが息を飲んだ音が響いた。
「屈辱的……なの?」
「しかも好みでもない年増だ。けど、それで俺はまあ大人にはなった。倫理観に鍵かけられねえやつは、この先は聞くな」
 十歳で……と、レクがまた小さな声で呟いた。
「俺なんか、まだなのに」
 その小さな呟きを聞いたのはルネだけで、彼は恋人の頭を子供にするように撫でた。
「経験、してみたい? レク」
 レクスターは真っ赤になり、微かに首を振った。
「そこ、いちゃついてんじゃねえ」
 ビリーは目の前のふたりを指さし、「そいつには永遠に無理だって」と断言して、レクスターをへこませた。
「いばれることかよ、ビリー」
 ジムが指した指をつまんで引っ込めた。「やっと納得したぞ。おまえのそのわけの分からない性格は、親父譲りってことだな? ぜひとも顔を拝んでみたいもんだ」
「俺、なんかライアンってアニキが気の毒になってきた。いかれた家族の中でさぞ、苦労したんだろうな」
 ポールが真顔で言った。ビリー以外の者のため息が、なんだかやたらとあちこちで交差した。

 激しい音楽が続いていた店に、急に静かなピアノの旋律が流れ出した。
 今流行の曲を誰かがジュークボックスでリクエストしたらしく、あちこちで身体をくっつけあった男女が踊り出した。

「とにかく、俺は得意だった」
 ライアンはまだ知らないだろうと思うと、少し偉くなったような気にすらなったと、ビリーはつづけた。

 ロジャは、よくよくサンディという父親と、波長が合ったのだろう。
 その翌年も、そのまた翌年も、彼が誘えばどこへでも出掛けた。
 父親と母や兄には言えない冒険をするのが楽しくて仕方がなかった。宝石探しで宝石を得ることはできなくても、収穫は大きかった。
 ライアンは、そのほとんどの冒険に参加しなかった。
 サンディは毎回誘いをかけていたが、実際に彼が来るとなると遊びは半減するかもしれないからな、とも言った。
「けど、あいつにも、少しそっち方面の教育は必要だと思わないか?」
 それはぞくぞくするような想像だったが、有り得ないなとロジャは首を振った。
 あの兄が泥まみれの肉体労働に参加するはずもなく、ましてやそれ以外の親父の教育など、聞いただけで目を剥いて母に告げ口しかねない。
「もてる男になるだろうにな、あの王子さまなら」
「なんでいつも、ライアンのこと王子さまって言うんだよ」
「俺やおまえとは、違うだろ? あいつは扱いが難しいよ、さすがの俺でも」
 父親の珍しい弱気の発言がおもしろくて、ロジャはけらけらと笑った。
「女は好きか?」とサンディは尋ねた。
「好きだけど……もっと若いのがいいな。商売でやってるんじゃなく」
「だったら、それは自分で探さないとな」サンディは高らかに笑った。そうしてまだジュニアハイスクールの生徒であるロジャに、コンドームを与えた。
「いいか? 素人のガールフレンドが相手だったら、決して泣かしてはいかん。女の子は大切にしないといけないってのが、西部の男の掟だ。お互い同意でない場合は手を出すな。それは男としてサイテーな行為だ。けじめってやつはちゃんと守れ」
「分かった」
 実際、家ではべたべたに母をかまっているサンディは、息子以上に女遊びが活発なのをロジャも知っていた。
 俺はイリーナを泣かせたりしないからいいんだというのが、彼の言い分だった。
 サンディが上手な嘘つきなのは、ロジャも知っている。
 決して悟られたりするような言動はしないし、友だちのどこの父親よりも、妻を大切に扱っている。
 だから、父が長く留守をしている間さえ、イリーナは幸せそうだ。もっとも、父に自由を与えることをよしとする、母の生き方あってのことかもしれないが。
「だがもし、同意の上で盛り上がったら、それをちゃんと使うんだぞ。間違っても忘れたりするな。忘れた時は、あきらめろ。いい加減な男であってもかまわないが、無責任な人間にはなるな」
 忘れないよ、とロジャは誓った。

「おまえ、タバコを吸ってる?」
 ある晩、少し帰りが遅くなったとき、冷蔵庫から水を出していたロジャの後ろにライアンが立っていた。
「そんなもん、吸うか」
「でもタバコの匂いがする」
 昼間の相手のメンソールだな、とロジャは心の中で思ったが、答えなかった。ついでに興味半分で一服したことなど、当然言えるわけもない。
「ママは、パパと一緒なんだから大丈夫って言ってたけど。タバコの匂いがつくようなところに行ってるのか?」
「たぶんレストランだよ。バーがあるとこで、禁煙席が満杯だったから喫煙席に座ったんだ」
 ロージャ……とライアンが肩に手を置いた。
「あんまりパパとつるまないほうがいい。ぼくは喫煙席やバーがあるようなレストランなんて、行ったこともないよ」
「ひでえな。俺たちの父親だぜ?」
「おまえはほんとにパパに似てきたよ、顔だけじゃなく雰囲気まで」
 もともと似てるんだよ、じいさんが言ってたろう? とロジャは鼻で笑った。
「ところでアニキ、もう経験したのか?」
 ライアンはきょとんとして、なにが? と聞き返した。
 これ、と小指を立てて見せたロジャに、兄は赤面した。みっつ違いなんだからもう十七のはずなのに、ライアンにはいっこうにその気配がない。

「バカなことを……まさかおまえ、もう……」
 言いかけた言葉を最後まで言わずに、すいっと体をかわして、兄はロジャのそばをすり抜けて廊下へ出て行った。
 風呂に入ったばかりの、石鹸の清潔な匂いが鼻をくすぐった。それはまるで、ライアンの人格さえも表しているように感じられた。
 まだ未経験ってわけか、とロジャはにんまりと笑った。
 キスの仕方すら知らないかもしれない。
 案外、言い寄ってくる女の子はいるのだろうに、奥手なのか清廉な性格のせいか、ロジャは問答無用で兄を追い越したことを悟った。
 父親はともかく母ですら、ライアンとロジャを見比べることなどしなかった。
 ライアンの成績が優秀でも、夏休みの研究で賞をもらっても、ピアノのコンテストで上位に入賞しようとも、そしてロジャが幾度学校から呼び出しを喰らおうとも――ライアンはライアンで、ロジャはロジャだと愛してくれていた。

 けれどもロジャにとってライアンは、いつしかライバルとなって立ちはだかる存在となっていた。
 挑んでも挑んでも、綿にくるまれるように戦意を吸い取られるようなライアンの対応が、ますますそれに拍車をかけた。
 勝てるものならなんでもよかった。
 ビリヤードであろうと、セックスであろうと。
 それがライアンの眉をひそめさせるものならば、なおのこと都合がよかった。





















硝子の破片

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後日憚―哀しみの追憶―

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