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ヴァージニアビーチにて

 彼女が出てくるまで、ロイは塩水に濡れた体のまま、ベランダの手すりにもたれて海を見ていた。
 記憶通りにバスローブは新品があったし、タオルや客用のスリッパも用意してバスルームに準備しておいた。
 携帯をなくしてしまったのは痛かった。緊急時のために、すぐにも手に入れないとまずい。一応軍に連絡を入れ、代わりを用意してもらうよう要請すると、他にすることはなくなった。おまけに、もうひとつ一緒に無くしたらしいことに気づき、ため息をついた。
 長い風呂だと少し苛ついた。二階のバスルームが調子が悪く、お湯が出ない状態で、その修理は仕事となかなか時間が合わず、やっと明日の午前中に来てもらうことになっているため、彼女が出なければシャワーすら浴びられない。
 緩やかに流れゆく風に衣類はすっかり乾き、顔や髪の一部が塩でぱりぱりしているのが不快だった。
 しびれを切らした頃、やっとバスルームのドアが開く気配がし、リビングに白いバスローブ姿で現れたクリスティーンの姿を見て、ロイはまたため息をついた。どうでもいいことだが、人を待たせているのに、化粧まできちんとつけ直しているのに脱力したのだ。
 そそくさとバスルームに行こうとするロイに、クリスティーンが声をかけた。
「ドレスを洗っていたの。干すところ、ある?」
 どおりで長いはずだと思いながら「乾燥機に入れては?」と促したが、彼女は首を振った。「生地が傷むもの。ベランダに干してもいい?」
 分かった、と寝室へもどり、クローゼットから使っていないハンガーを掴んできて彼女に渡した。ぞんざいな手つきになろうとする自分の手を、極力押さえ込みながら。
「ごめんなさいね」とクリスティーンは微笑んだ。「あなた、とても親切」
「光栄だ」
「あ、なにか飲み物もらってもいい?」
「奥のキッチンの冷蔵庫に。好きなものを飲んでくれていい」
 慌ただしくシャワーを浴び、濡れた髪を乾かそうとドライヤーをセットすると、まるで反応がない。さっき出掛ける前には確かにこれで髪をセットしたのに、どうやら壊れたらしく、うんともすんとも言わなかった。ドライヤーまで今日はロイに逆らうらしい。
 くそっと舌打ちしてタオルを手に取り、髪を念入りに拭いながらリビングルームへ戻ると、女性はソファに寝そべって目を閉じていた。
「……失礼ですが」ロイは、彼女のそばに立って見下ろしながら、声をかけた。すぐにもホテルなりどこなり、送っていこうと思っていたのに、クリスティーンは本格的に眠っているものだけが立てる寝息を漏らしていた。
「……起きて…くれませんか?」
 ううん、と寝返りまで打って、彼女はすうすうと寝息を立てている。
 金色の乱れた巻き毛は長く、かつて一緒に暮らした女性を思い出させた。だが、シンシアの声はもっと高かった。小鳥がさえずるような甘みを含んだ、愛らしい声だった。
 なんとなく家まで誘ってしまったのは、クリスティーンの声のせいかもしれない。穏やかな声音が母の音質に近いような、懐かしい気分を揺り動かした。もちろん、母とも違うのだが、不思議な、それでいて魅力的な声――
 時計を見上げ、ロイは諦めたように肩をすくめ、クローゼットから毛布をとってきた。こんなところでバスローブ姿で眠るには温かさが足りないとの親切心だったが、不意にその手が止まった。
 胸元が少しはだけられ、白く痩せた肌があらわになりかけていたのだ。
 ロイは慌てて毛布をその上に被せた。
 その無防備な姿に掃き出し窓の鍵をかけ、バスルームに戻って、タオルを籠の中に放り込む。彼女がきちんと畳んで洗面台に乗せていたものも一緒に放った。金色の長い抜け毛もまとめてくずかごに捨ててあった。
 躾の悪い家庭で育ったわけではないらしい。まあ、少々奔放な性格ではあるらしいが、立ち居振る舞いにすさんだ部分が見られないのが救いだ。
 鏡の中の自分に気づいて動きを止めた。金色の髪は、タオルでかきまわしたせいでもつれていた。ドライヤーがないのなら、この髪をいつものように整えるのは難しいだろう。彼女のような巻き毛ではないぶん、細い金毛には毎日苦労している。とはいえ、デートに出掛けるわけでもないのだから、どうしてもみっともない状態ならば帽子でも被っていけばいい。
 そう。パーティーの連中は待っているだろう。せめて、この髪が乾くまでに目覚めてほしい。
 ロイはそっと、リビングのほうをうかがった。

 がしゃん、と音がして、男の怒鳴り声がした。ロイはバスルームからリビングに飛び込んだ。
 クリスティーンが立ち上がっており、その正面に見知らぬ大男が立っていた。宵の口だというのに、すでに酔っているらしく、手に三分の一ほど残ったバーボンの瓶を握っていた。
「新しい男か? クリスティ」
「彼は関係ない。知らない人。濡れたからシャワーを借りただけ」
「君は誰だ? ……窓を割ったな?」
 掃き出し窓のガラスが一枚割られており、そこから手を突っ込んで鍵を開けたらしいと、ロイは横目で伺いながら、男に鋭い視線を向けた。
 ガラスか、と男はポケットから皺だらけのドル札を数枚放った。
「修理代だ。――人のもんに手を出すな」
「手など出してはいない」
「だったら、俺たちにかまうな」
 男は唸るような声を出し、クリスティーンの腕を掴んで出て行こうとした。彼女はいや、と叫んで身を捩った。
「待て。嫌がっているだろう?」
「話があるんだ。関係ないんなら、かまうなって言ってるだろう」
「分かった。だったらつきあうから、乱暴しないで」
 クリスティーンは、落ち着いた声を出した。
 縋るような瞳がロイに向けられたが、意外にも彼女は助けを求めなかった。
「最初からそうすればいいんだよ、かわいこちゃん」
「クリスティーン」
 手助けをすべきかどうか、一瞬ロイは迷った。案外痴話げんかなのかもしれず、他人が口を挟むべきではないのかもしれない。
「いいの。手出ししないで。彼、ほんとに怖いのよ」
 気丈な声ではあったが、少し震えを帯びて顔は青ざめ緊張していた。
「俺から逃げたこと、後悔させてやるぜ、クリスティーン。今夜は一晩中、覚悟しておくんだな」
 掴まれた細い手首が赤くなり、クリスティーンは痛みに眉を顰めたが、覚悟を決めたように大人しく男について歩き出した。
 ――ああ、ほんとに厄日に違いない。
 ロイは追いかけ、彼女のもう片方の腕を掴み、男を突き飛ばした。
 ガタイがロイより一回りも大きなその男は、もちろんすぐに体制を立て直し、持っていた瓶を割った。それをつきだして戦う体制を見せ、低い獣のような唸り声を上げた。
 雄牛のように突進してきた男を交わして、ロイは手刀で瓶をたたき落とし、顎に拳をめり込ませた。
 急所に入ったのか、男ががくりと膝をついて、そのまま失神しかけそうになるのを抱きとめ、ロイはベランダに押し出した。よろめいて頭を振り、振り返った男は黙って見下ろすロイに怯えたように、ふらふらとした足取りでベランダから外へ出て行った。
 クリスティーンは、目を見開いてその様子を見守っていた。
「すごい。強いのね、ロイ」
 砕けた瓶の破片を拾いながら、ロイはクリスティーンを見上げた。
「なぜ、助けを求めなかったんです? 手助けはよけいかと、一瞬迷ってしまった」
「あらだって、あなた絶対負けると思ったんだもん」
 クリスティーンは、邪気のない笑顔を浮かべた。

「……前置き長げえな」
 リックが呟いた。リック、ポール、アンディは椅子の背中や壁に寄りかかったまま、ビールを飲みつつ話に加わることにしたらしい。
 レクスター、ルネ、ポールとジムはテーブル席に座って適当に飲み食いをしながらビリーの話を大人しく聞いていた。それ以外の連中は、すでにビリヤードに興じたり、フロアで女の子達を引っかけてダンスを踊っている。
「そう言うな。ものには順番があるし、別に聞いてくれなんて俺は頼んでねえ」
 ビリーはふんぞり返ったまま、ちびちびとビールを舐めている。
調子に乗って飲み過ぎると、すぐに酔っぱらってしまうのを分かっていて、今夜はセーブしているらしい。
「なんか興に乗っちまった。しゃべりたい気分なんだ。おまえは聞いてくれるよな? レク」
 シリル・レクスターは、びくついた様子でこくんと頷いた。軍服を着ているときは優秀な兵士だが、普段の彼は大人しく、信じられないほど気が弱い。
「俺たちだってちゃんと聞いてるぞ、ビリー」ジムが割って入った。「そもそも、おまえのロストバージンの話だったはずだぞ」
 それでも彼が自分の過去を話すのはそうはないことで、興味は引かれているらしい。それに今夜の主役はこいつだとわきまえてもいる。
「やっと親父が戻ってきて、おまえは……ええといくつだ、八つってくらいでアニキの存在を疎ましく思ったわけだな? 思った通り、ガキの頃からひねくれた性分だったわけだ」
「まじめで理性的な、君とは正反対の誰かさんとキャラが被るんだけど」
 今度はマティーニを飲みながら、ルネが軽い調子で言った。
「そうそう。俺もそう思った。おまえのアニキははっきり言って人格者だぜ。その年で、できたアニキだ」
 ジムが頷いた。
「アニキ――ライアンの髪は、そりゃ綺麗なプラチナブロンドだった。ピアノを弾いている横顔は、じじいでなくとも見とれるくらいだったよ」
 でも、そう、俺は嫌いだった、とビリーはつづけた。
「ライアンが俺の弟だったら、話は別だったはずだ。誰かと被ってるとしたら、そこだな。俺はアニキが嫌いだった。
 きっとあいつが赤ん坊の俺の前で、いないいないばあをしていた頃からな」






















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