[それは静かな朝] of [僕が彼を憎んだわけ]

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それは静かな朝

「プレゼントだよ」
 ライアンが差しだした箱を受け取り、ビリーはへえ? と中身を振った。
「兵士になったって、相変わらずもててるんだろう? ドレスアップすることだってあるだろうから」
 開けてみると、黒い天然石のカフスボタンがふたつ、柔らかなビロードの内張に並んでいた。
「気に入ったよ、ライアン」
「ゆうべ、あれからサンディと買いに出かけたんだ。黒曜石はおまえの瞳によく似合うと、その石を見るたびに思ってた」
「実は俺もひとつ、持ってる」
 そうか、とライアンは笑った。「じゃ、交互につけて」
 携帯が鳴り出し、サンディはちょっとすまん、と席を立って砂浜に下りていった。
「ライアン、これを買ったあと、どうしたんだ?」
「ふたりでゆっくり食事をした。チェサピークの蟹って、上品でおいしかった」
「それから?」
「バーでお酒を飲んだ」
 じれったいな、とビリーは舌打ちをした。
「キス以上のこと、したんじゃないだろうな? ライアン。サンディは俺たちの父親だぞ」
 くくっと、ライアンは喉元を震わすような笑い声を漏らし、小首を傾げた。
「兄弟なら、よくっても?」
 う……と、ビリーは声を詰まらせた。「ライアン……」
「なにがあったかなんて、おまえに言うつもりはないよ。長い間、パパを独り占めにしてきたおまえに比べたら、夕べのことなんか語るほどのことじゃないしね」
 こいつ、とビリーは正面の美しい顔を睨みつけた。どうやら、ロジャの嫌いなライアンが、再びロジャの前に復活したらしい、と不愉快になってきた。しかも、ただいい子だった兄には得体の知れないしたたかさが加わってすらいる。女の姿までして、いったいどんんな人生を送ってきたのか、聞くのが怖い。
「ベッドは当然ふたつあったんだろうな?」
「まさか。あのサンディが、ダブル意外に取るはずないだろ?」
 ビリーは真っ青になった。「じゃやっぱりおまえら――」
「おおい、ママが戻って顔を見せろってうるさいんだ。今日一緒に帰るか? ベイビィ」
 携帯を握ったまま、サンディが呼びかけた。
「……この姿で? ママ、なんて言うかな」
「どんな姿でもイリーナは待ってる。分かってるだろ?」
 OKと指でマルを作って、ライアンが合図を返すと、おまえは? とサンディはビリーにも視線を向けた。もう有給がねえよ、とビリーはバツを作って見せた。
 サンディは頷き、なおもイリーナと何ごとかを話しつづけている。きっと、今のライアンを見て驚かないように、説明しているのだろう。
「……ママと会えるのかよ? 格好のことじゃなくて。ゆんべ、ダブルベッドで何をしたか知らねえけどさ」
 言いつつも、どうしても止まらぬ想像に、自分の胸がこくんと鳴るのをビリーは手で押さえた。

 ライアンは、ちょっと口を窄め、それから小悪魔のような笑顔を浮かべた。
「実はバーを出たところで、ばったりまずいヤツに見つかっちゃって。ロイの家に行ったとき、侵入してきて彼にのされて追い出されたのに、まだ諦めてなかったみたい。ロイも強かったけど、サンディもなかなかだったよ。結局あいつ、刃物を持ち出して、警察に連れてかれたけど」
「相手は選べよ、ライアン」
 ビリーは大袈裟にため息をついて見せた。
「で、サンディがさ、夕べぼくに教えてくれた。いい加減でもいいから、無責任な人間にはなるなって。無責任って意味は、自分に対してもそうなんだって。――これ、ロイにも同じこと言われた」
「加減ってものが分かってねえんだろ。アニキはずっといい子でいたから、たがの外し加減が読めないんだ。男ってのは怖いんだぞ」
「うん。だからロジャに教えたようなことを、これからじっくり教えてくれるってさ。ほんとは今、ロスの市内に住んでるんだ。いつでも家には帰れる距離に。だからいつでも会える」
 それを聞いて、ビリーはほんの少し肩から力を抜いて、新たに淹れてもらった珈琲のカップに口をつけた。
 もったいぶってはいても、結局親子以上の関係にはなっていないのだろうと、ほっとしたのだ。それに、どうやら、クリスティーンのCDが売れているのは事実らしい。
 ライアンが告げた住所は、ビリーの月給ぶんの家賃はあるだろう富裕層地区だ。
「でもさ、サンディ、こうも言ってたな」
 テーブルに肘をついた手の甲を重ね、その上に顎を乗せてライアンはつづけた。
「一番まずいのは、嘘をばらすようなそぶりを見せることだって。俺はイリーナを泣かせたりしないから、外ではなにをやったっていい、だからおまえもそうしろってさ」
 飲みかけていた珈琲を吹きだし、ビリーは目を見開いて艶やかに笑うライアンを見た。
「外で会うな。親父と会うときは、家にしろよ、ライアン」
「ぼくもママのことは愛しているからね。家に戻ってる間は、ちゃんとパパと呼ぶことにするから、心配は無用だよ、ロージャ」
 どういう意味だよ、とビリーは頭を抱えた。
 いったいどこまで壊れたんだ、このアニキは。からかっているにしても、本気だとしても明らかにロジャは負けている。

「おい、息子たち。少し波打ち際を歩かないか? この長い水平線はなかなかいい感じだ」
 ライアンはおもむろに立ち上がり、ビリーの手を引っ張った。
「三人で歩くなんて、初めてじゃないかな? でもおまえの手を引いて歩いたのは幾度もある。あの頃みたいに、手をつなごう、ロージャ」
 大きかったと覚えている兄の手は、ちょっと力を入れただけで砕けてしまいそうだった。細い、しなやかなピアニストの指を、ビリーは壊さないようにそっと握った。
 携帯をしまったサンディは、両手をポケットに入れたまま、ふたりの息子に並んだ。
 ライアンは、もう片方の手をサンディの腕に回した。
 傍目に見れば、カップルとその父親に見えるだろうな、とビリーは思いながらも手は離さなかった。ほんとは三人とも男で、しかも家族だぜ、と思うとこっけいですらある。ま、どういうふうに見えてもかまわないか、と唇に笑いが浮かんだ。
 どうせ、俺たちいかれた家族なんだし――。
 いかれた親父と、いかれたアニキと、いかれた弟だ。
 前方で、波打ち際にしゃがんでいる人物が見えた。ロジャが気づくまでもなく、ライアンが「ロイ!」と叫んだ。

 ゆったりとしたシャツを風にあおられながら、ロイは立ち上がって片手を上げた。
 普段あまり見られない、くつろいだ格好をしている。
「ロイ、散歩?」
 そちらこそ、とロイは三人に挨拶をするように顎をひいた。
「うん。親子でね」
「どこから見ても、いい親子に見えます」と、ロイは答えた。
「サンディだ」と、差し出された手に「フォードです」と握手を返し、ロイは踵を返した。「じゃあ、俺は失礼します」
 オレンジの屋根のビーチハウスが、その向こう側に見えている。
 ロイが完全に向きを変える前に放られたものを、ビリーはキャッチした。ぐっしょり濡れている、ぐずぐずに崩れた小さな包みだ。
「なんだ?」
「昨日海で落とした。さっき、引き潮で打ち上げられているのを見つけたんだ」
「海? なんだって海に――これ、プレゼントかよ?」
 すでに数歩離れたところから、振り向かないままロイが言った。
「曹長と俺からだ」
「へえ? 仲良くお二人で?」
「出張中だったから、金だけ渡されたんだ。勘ぐるな」
 ライアンがロイの後ろ姿に手を振りながら、簡単に昨日帽子を落とした話をした。
 ビリーが包みを開けてみると、さっきライアンがくれたものによく似た黒曜石のカフスボタンが入っていた。
「三個目だね、ロージャ」
 ライアンが笑った。
 ――まいったな、とビリーはくすっと笑った。
「やっぱりロイとライアンは好みまで似ているらしいな」
 ロイの家の崖下あたりに作られた、粗末な階段から下りてくる人物が、こちらを見て足を止めたのがライアンの目に止まった。
 大柄の影はすぐにもと来た階段を上ったようで、誰なのかは分からなかった。
 夕べ、彼の家で一緒に過ごしたロイの恋人かも、とライアンは想像した。恋人をベッドに残したまま、ロイは早朝の散歩を愉しんでいたのかもしれない。
 どんな男性か、見てみたかった。
 恋人がいないとは思わなかったが、あんなふうに信じ合っている恋を、ロイがしているとは思ってもいなかったのだ。
 けれど、落ち着いた生き方をしている様子の彼が、正直羨ましくも思えた。
 同じ日を過ごし、別れたあとで、自分たちが過ごしてきた道のりはあまりにも違う。そう思うと自分が愚かにすら思えた。
 姿形を変えることから始めた変身だったが、ロイが昨日言ったように、変えられないものもある。そのひずみが、昨日の男に刃物まで持たせてしまったのかもしれない。
 今後、身体を変化させる薬を使うのはもうやめよう、とライアンは思った。
 ドレスを捨て、髪を切り、クリスティーンというアーティストは幻のまま、ライアンに戻るのだ。
 今ならきっと、そうすることができる――

「おい、小僧。あれもおまえの仲間か?」
「ロイは、ぼくの大学の後輩でもあるんだよ、サンディ」
「少佐だよ。俺たちの隊長だ、あれでも」
 こわもて集団の隊長だってか? と、サンディは口笛を吹いた。
「もったいないな。ふるいつきたくなるようなべっぴんだ。おまえ、手は出してないのか?」
 出してねえよ、上官だぞとビリーは横目で父親を睨んだ。
 もちろん、数々のちょっかいの履歴をここで披露して、さらにバカにされるつもりはない。
 サンディは口笛を吹き、「そりゃおまえにしては、ずいぶん控えめだな」とうそぶいた。
「ロージャはロイに手を出したりはできないよ、きっと」
 ライアンが波の行方を目で追いながら、口を挟んだ。
「なんでだ?」
「自分で言ってるほど、ワルじゃないもの」
「そりゃおまえ、俺の息子だからな」
 勝手なこといいやがって、とビリーは繋いでいた手を離し、怪訝な顔で振り向いたライアンを見つめた。
「俺とキスしろよ、クリスティーン。親父とあれだけ熱烈にやったんだ、問題ないだろ?」「見てのとおり、今日はライアンだよ。おまえのアニキだ」
 だな、とサンディが肩を抱き寄せた。
 立ち止まったビリーにかまわず、ふたりはどんどん先へ歩いていく。
「俺はやっぱり、あいつが嫌いだ」
 小さな子供のように、ビリーはその背中を指の銃で撃つと、その指を引っ込めないうちにライアンが振り返った。
「ついでにママに会う前に、美容室へ行くつもりだ」
「なんだよ。女装は終わりか? もったいねえな、似合ってるのに」
「だから、服を買うのつきあってよ、午後から」
 仕方ねえな、とビリーは頷いた。なんだか知らないが、少しずつ兄が戻ってくる気配を感じ、内心は嬉しくもあった。
 いつの間にか長い砂浜が終わろうとしている。
 オーシャンビューのホテル群が途絶え、崖が高くなって、その上に民家だか別荘だかの屋根が並んでいる。
「あのオレンジの屋根が、彼の家だよ。さっきのロイの。ぼく、帽子忘れてしまった」
 指を指すライアンに、サンディが頷いた。
「じゃあ、寄って取りに行くか?」
「もういいんだ。女物の帽子だもの、いらない」
「ぜひとも、返してもらえ、ライアン。捨てるならそれからでもいい」
 サンディは、高台のオレンジの屋根を見上げながら、呟いた。
「ロスに帰るの、少し伸ばさないか? ライアン」
「……パパ、ロイに興味持ったって無駄だよ。それに下手に手を出したら……」
「そう、あいつは見た目よりも強いんだ、分かったか、バカ親父!」
 ビリーが二人に追いついて、回れ右をさせた。この先はもう、岬に遮られて浜はない。
「それに、今行ったら、もっと獰猛なやつがいるはずだ、多分」
 その言葉に、ライアンが目を輝かせた。
「やっぱり、帽子返してもらわなきゃ。だってそのせいでロイは海に入ってくれたんだし。サンディ、その階段を上がるんだ」
「……てめえ、なに考えていやがる」
 だが、すでにサンディは階段に足をかけ、身軽に上っていくところだった。
「親父、頼むから俺のテリトリーを荒らすな。少しは俺の立場ってもんを――」
「行くよ、ロージャ」ライアンも、階段を上り始めた。
「だから――聞いてねえのか、こいつらは」
 ビリーは笑い出した。
 ビリーの上官は、恋人とベランダで朝食でもとってるかもしれない。困惑したふたりはさぞ慌てるだろう。
「待て待て。行くなら、そっとだぞ。どうせやるなら急襲だ。頭引っ込めろって、親父!」
 背後で海がざざん、と鳴った。
 青く晴れた、日曜の朝――ロイ・フォードのついてない1日はまだ続くことを、彼はまだ知らなかった。

















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