[告白] of [僕が彼を憎んだわけ]

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告白

 ライアンはワインをひと息で飲み干し、弟にレイプされたんだ、と早口で呟いた。
 言いよどむこともなく、まさに直球できた言葉に、ロイは呼吸を止めた。
「石でできた置物みたいに固まらないで、ロイ」
 そう言われても、ロイには他にできることはない。いろいろ経験を積まされてきたとはいえ、そんな言葉に返す気の利いた台詞は出てこなかった。
「弟はいないと――」
「そう言ったっけ? 長いこと自分でもそう思い込むようにしてたしね」ライアンは長い髪を指で梳いた。
「好きだったよ。弟を愛していた。でも、彼はいつの頃からかぼくだけの弟じゃなくなった。……ちがうな。うんと小さい頃からぼくのことを嫌っていると思ってた。かわいがっても、大事にしても、ロージャはぼくを疎ましがっていた気がする」
「ロージャ……と言うんですか? 弟さんは」
 ろくな名前じゃないな、とちらりと思ったが、今は邪念に心を奪われるべきではないだろう。
「どんどん離れていった。ぼくがまだ、自分で自分の処理をすることすら戸惑っていた頃から、あいつはもうすべてを知っていた気がする」
 セックスだよ、とライアンは補足するように笑いかけた。補足してもらわねば、ロイには理解できない話だと分かっているように。確かに、遠回しの表現ではどう解釈していいのか分からないほど、ロイの少年時代とはかけ離れた弟だ。
「そして、彼が暴走してあなたをレイプした? ……その、ロージャという弟が?」

 ライアンはロイを見つめ、しばらく返事をしなかったが、やがて瞼を伏せた。
「ほんとはぼくも、そう望んでいたのかも。今思えばそれとなく誘ったんだ、自覚はなかったけど。でも、現実になると耐えられなかった。また抱いてほしいと身体はむずかるのに、心が耐えられなかった。抱かれてみて、そんな意味で愛しているわけじゃないって気もして。天使と悪魔がぼくの中に同居して、ずっと戦っている気がした。だからぼくはあの大学の夏、ほんとに自分を殺してしまいたいと思っていた――でもね、できないんだ。母がかわいそうだし、それを知らされたら弟が苦しむだろうとか、そんな状態なのに思ったりして」ライアンは息をついた。
「死ななかったけど、アイデンティティが崩壊した…」

「君と会ったあの夏、あれからいろんな町に行って、目的もなくふらふら彷徨った。場末のバーでピアノを弾いても、大した稼ぎにはならなくて、そのうち男に誘われて、お金をもらった……死なないとなると、食べないといけないんだものね」
 そのうちのひとりがドラッグクィーンで、着飾らされて愉しんだのだとライアンは苦笑した。
「でも、それって案外悪いことじゃなかった。ぼくは彼と別れてからも、女性の衣服を身につけるようになった。彼――彼女は本物の女性ではなくて、でも徹底して身体を作り込んでいた。教えられた通り、コルセットでウエストを絞るのはきつかったけど、それだけでもライアンという身体から遠のいた。それがきつければきついほど。この姿になって、やっと落ち着いて来たって気がした」
「あの時のメモ……あれはなんだったんです?」
 ロイはすでに忘れていた文面を、今やすっかり思い出していた。
「『ぼくが彼にしてきたことが、分かった気がした。君はぼくがどんな人間かを教えてくれた』――あれはどういう意味です?」
 ライアンは目を丸くして、ついでにルージュを塗った唇をすぼめた。
「すごい記憶力だ。そんなふうに書いたっけ。そういえば」
「忘れていました。理解できないことだったし、あなたとそれほど深く関わったわけでもない。でも、今思い出してしまったんだ」
 ソファに隣り通しで座っていたライアンは、ロイに縋るようにして笑った。ごめん、ごめんと笑いつづけるのを、ロイは苦い顔で見ていた。
「だって、たったあれだけの関わりなのに、君はぼくによく似ているって分かった。極めてまともに、さりげない思いやりを示して、でも押しつけがましくなくて。ぼくの嫌いなぼくの部分を――」
 笑いつづけていたライアンは、やっと呼吸を整えると、しみじみとロイを見た。
「ぼくはぼくを捨てようと躍起になったけど、君はそのままでやっぱり魅力的だ。今はそう思えるけど、それは自分じゃないからだよね」
「褒められてる気はしません」
「でも、以前よりずっと硬派に見える。ほっそりして見えるけど、鍛えてるんだろう? 仕事はなんなのか聞いてもいい?」
「海軍に」
「SEALSだったら、笑っちゃう」
「なぜ、笑うんです?」
 え? とクリスティーンの美しい顔で、ライアンが真顔になった。

「だってつい最近、母に電話をかけたんだ。大学を中退して以来、一度も連絡をしなかったのを詫びるために。そうしたら弟は海軍で、特殊部隊に入ったって聞いた」
「……ライアン、名字はなんです? まさか、ウィリアムズ?」
 いきなり立ち上がったロイを、ライアンは見上げて目を見開いた。
「君も、SEALなの?」
「そして俺は、ろくでもない、あなたの弟の直属の上官です!」
 ロイはライアンの名字を知らなかった。
 あの夏の一週間、ふたりは名前で呼び合っただけだった。

 世の中って狭いねえと、人ごとのようにライアンはうっすらと笑った。
 ロイは強ばった表情のまま再び座り、俯いた。
 暴かれた現実にどう対処したらいいのか、見当もつかない。
 今や、ロジャ・ウイリアムズの悪い部分ばかりが脳裏をよぎる。
 パーティー? 誕生日だって? ろくでなしめ!
 信じられない、と頭を抱え込んだロイの横で、ライアンは時計を見上げた。すでにすっかり夜は深まりつつある。
「ね、モテルならこの姿のまま入れるよね。君がフロントで鍵をもらってくれれば」
 立ち上がって、ベランダから干していたドレスとコルセットを取り込み、ライアンは行こうか、と先に歩き出した。
「服、けっこう乾いてきたし、君をいつまでも引き留めたら申し訳ない」
「……俺はもう、行きません」
 どんな顔で、サイアクの部下の顔を見て祝いの言葉を言えばいいのか、とロイは巻き毛の男の顔を思い浮かべた。
「でも、送ってくれるんだろ?」

 幌のないジープが動き出すと、しばらくして助手席でライアンはローブの紐をほどいて前をはだけた。
「車の中じゃ、コルセットがうまく締まらない」
 一心に運転しかけていたロイは、隣で素っ裸になって着替えを始めたライアンに、思わずハンドル操作を誤りそうになった。
「なにをしてるんです? 対向車が驚いている」
「だって、コルセットで締めないと、このドレス、入らない」
「だったら今、着なくてもいいでしょう?」
「ローブ着て、表には出られないもの」
「モテルなら、ローブで入れると言ったのはあなただ」
「その前に、ぼくは君の行くとこについていく」
「俺は、あなたの弟のロジャのとこに行くんだ!」
 つい強い口調で言ってしまって、ロイははっと助手席を見た。
 ライアンはうっすらと微笑んだ。
「今日はロージャの誕生日だから、パーティーの主役は弟――そうだろう?」
 もしかして……と、ロイは言いよどんだ。
「……会いに来たんですか? あなたをレイプした弟に」

「あれからもうずいぶんたつ。ぼくは自分の生き方を見つけた。今の生活はけっこう気に入ってる。あれはもう、過去のことだと思えるようになった――と思ったんだ。母と電話で話してるうちに、遠くからだけでも、弟の姿を見てみたい、そう思って飛行機に乗ってしまった」
「だったらすぐです。この踏切を渡ったら少し道を海岸線に戻して、間もなく到着だ」
「服、着る間がないな」
「着替えるなら、どこかで駐めますから落ち着いてどうぞ」
 ロイは車をバックさせ、道路脇の倉庫の駐車場へ滑り込ませた。人気のない倉庫の附近は灯りも少なく、薄暗いからちょうどいいと思ったのだ。
「俺は下りてますから、着替えてください」
 ライアンはだらしなく脱ぎかけたローブ姿のまま、下りようとするロイの肩にもたれかかった。
「でも、君の言うとおり、やっぱりやめておいた方がいいのかも。なんか、怖くなっちゃった」
「じゃ、ホテルに行きますか?」
「ひとりになりたくない。このまま君の家に戻って、泊まってもいい?」
「本気でそうしたければ」
 やれやれ、振り出しに戻ったようだとロイは思ったが、顔には出さなかった。
「ねえ、君は今も恋人はいないの?」
 ライアンの細い指が、ロイの胸元のボタンを弄っている。金色の巻き毛がロイの頬を擦る。ロイが使っているはずのシャンプーの薫りが、一際強く感じられるのは髪が長いせいなのだろうか。
「あの夏、君はぼくの誘いに本気で怒ってた。でも、もうお互い大人になったし。今のぼくじゃだめ?」
「……ライアン」
 鼻先がくっつくほどの距離で、ライアンはロイの瞳を見つめた。そのまま滑るようにロイの唇に、ルージュの乗った柔らかな皮膚が触れた。
「君が抱いてかまわないよ。して欲しいこと、なんでもしたげる。ぼく、これでもかなり――」
 いきなり手首を掴まれて、ライアンは口を閉じた。
「いい加減にしないか」
 穏やかで優しげな男の、思った以上の瞳の強さにライアンは怯えた目をした。
「あなたにとって、自分を変えることは、だらしなく人を振り回すことなんですか?」
 もうぼくは以前のライアンじゃない、とライアンはむっとしたように言った。「クリスティーンなんだ。恋もしたかったし、自由に生きてみようと思っただけで、別に振り回しているつもりは――」
「あの夏も、今も、あなたはなぜ俺とそうしたいなんて思うんです?」
「君が素敵だからに決まってるじゃないか」
 冷たい横顔のまま、ロイが呟いた。
「生き方は自由です。でも、こんな馬鹿な生き方をあなたがほんとに望んでいるとは……思えない」
「やっぱり君は、ぼくが嫌いなんだ?」
「嫌いだというほど、あなたを知ってるわけじゃない」
 ロイはうんざりしたように、首を振った。
「それに――俺には、恋人がいます。俺は“カレ”を裏切らない」

 ロイのきっぱりした言い方に、ライアンは驚いたようにその顔を見つめた。
「君…が? まさか。君にオトコの恋人がいるって?」
 ロイは返事をするかわりに、黙ってライアンを見返した。
「浮気はなし? もっとお互い気軽に愉しんだりしないわけ? ぼくの知っている連中はみんな自由な恋愛を謳歌しているよ」
 好きでもない人間と? とロイは息を吐いた。
「誰彼かまわずこんなことをしていたら、いつか殺される。今頃、さっきの男にどんな目に遭わされているか、本当は考えられるはずだ」
 ライアンは、気まずそうに俯いた。ハンドルを持つロイの右拳にそっと触れてきた。赤く腫れていた骨の突き出た部分を指先でなぞった。さっき男を殴った時に自分も傷ついたのだ。そうさせたのはライアンで、負うべき傷をロイが代わりに受けたのだ。
「ほんとはね――なんどもあったんだ。死にかけるような目に遭うこと。女だと思ってたって殴られたこともあるし、地下室に監禁されかけたこともある。怖いけど、仕方ないとも思ってた……冒険にリスクはつきものだし、クリスティーンは、そんなこと気にしないって、そう思って……」
 ロイは少し声を和らげた。
「奔放で、好き勝手に自由を謳歌して? それがあたなのクリスティーン像?」
「……ロージャだって、パパだってやりたい放題だった。何度かふたりをつけて、愉しんでるのを見て――だからあんなふうになりたいって、思ってた。あんなふうに、自由に――」
「でも、抜け毛を処理して、バスタオルをきちんと畳む――俺が危険な目に遭わないように、手出しをしないようにしようともした。あの大学の夏も、置き手紙で俺に心配をかけまいとした。あなたは魅力的だ、昔も今も」
「魅力的? そんなことが?」
「大事なことです、とても」
 ロイの言葉に、クリスティーンは唇を噛みしめた。

「あなたはなぜ、弟に会いに行こうと思ったんです?」
 なぜかな、とライアンは呟いた。
「ビリー……ロジャを許せるんですか?」
「どうしても母に電話をかけたくなったように、いい加減大人になりたくなったのかも。あれはロジャだけのせいじゃないし――」
 ロイは穏やかな微笑みを湛えて、頷いた。すぐそばの巻き毛にそっと触れて顔を覗き込む。
「そう。もう俺たちは立派な大人なんだから、これからはもう一つ、学んでください」
「なにを?」
「自分を大切にすることを」
 星明かりが映ったような瞳を、ライアンは見つめた。澄んだ青い光を湛えた、それでいて緑がかった不思議な瞳――鋭いとばかり思っていたのに、穏やかな優しい色にすら思えた。
 そうだね、とライアンは素直に頷いた。
「会いに行きますか? あのやんちゃ坊主に。怖かったら、窓の外から見るだけで帰ってもいい」
 ライアンは俯き、それから深く頷いた。
「行くよ。君と一緒なら、本当に会える気がする」
 ライアンが衣類を身につけるのを待ってから、ロイはエンジンをかけた。低い呻りがあたりの静寂を破る。暗い駐車スペースから広い国道に出ると、すぐに信号に引っかかった。
 脅すようで申し訳ないが、とロイは前を向いたまま言った。
「ライアン、覚悟していた方がいい。あいつは、ちっとも大人になってやしませんよ」
「いい男に成長したかと思ってたんだけど」
 信号が青になり、ジープはふたたび動き出した。
「いい男ですよ。――時々はね」


























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