1977年、榊山清志氏(以下榊山氏)が、浜松で開拓伝道を始めて以来、多くの人々がハレルヤコミュニティーチャーチ(以下HCC)にて受洗に導かれました。その多数が大学生などの若者でした。彼らはその熱心さのゆえ、生涯を神様に捧げようと、献身者の道(HCC内では榊山氏が独自に開いた聖書塾があり、塾生と呼ばれています。午前中に生活のためのアルバイトをし、午後からの時間は聖書の学びや伝道奉仕活動を榊山氏の下に行うことを指します。)をとるものが多くいました。彼らに対する指導は榊山氏が行っていましたが、当初からスパルタ的であることは、福音派のキリスト教会の中では周知の事実となっていました。しかし内部では外部の人では知りえない体罰が存在していました。そのような中、HCCを去る信徒や塾生も後を絶ちませんでした。しかし、HCCでは組織を去った人たちと交流を持つことは禁止であるため、HCCに残る人たちにとって、彼らがどうしてHCCを去ることになったのか本人から直接事情を聞くことができませんでした。そればかりか、榊山氏から一方的に誤った情報を教えられ、HCCを去った人に嫌悪感さえ持つこともある状況がほとんどでありました。HCCを去った人たちの中にはかなりの身体的精神的被害を受けた方がおり、その顕著であった出来事が94年頃発生しました。その被害者の方は浜松周辺教会の牧師にその被害を訴えましたが、榊山氏に忠告どころか、中には被害そのものが信じてもらえなかっり、逆に悔い改めて榊山氏の下に戻るよう説得する牧師もいたようで、被害は受理されることはありませんでした。また当時所属教団であったイエス福音教団にも被害を訴えて、監督である穐近祈氏(以下穐近氏)も榊山氏に忠告等の何らかの対処をしたそうですが、事態は一向に変わらず、その被害者の方は実際には泣き寝入り状態となりました。その後もHCCを去る信者、塾生は絶えることがなく、その被害を個々に訴えてきましたが、状態は改善されることもなく、時が過ぎていきました。イエス福音教団の元には94年以降、榊山氏から受けた被害を訴える内容の手紙や電話が多数届くようになり、何度か被害実態の調査があり、20004月頃にイエス福音教団監督の穐近氏が十数名の被害者と直接対面して事情を聞くことになったそうです。『同年4月、6月と2回に渡り、榊山氏のもとを穐近氏らが訪れ、暴力やセクハラが行われている事実があるかどうかの確認をしたいこと、暴力やセクハラであると誤解を招くような指導は止めてほしいことなどを繰り返し話し、榊山氏に説明を求めましたが、終始あいまいな返容は録音され、』(『』部分は裁判所提出書類からの情報。)その録音テープと反訳文が裁判所に提出されています。このような教団とのやり取りがあったことは塾生はじめ、信徒たちもまったく知らされないまま、HCC20006月にイエス福音教団を離脱することになりました。(裁判所提出書類によると、イエス福音教団としては2000620日に長老会議において、暴力とセクハラの存在および、反省の色が見られないことから、長老の地位を解任し、教団との包括関係を解くことが承認され、同月25日付でイエス福音教団浜松教会の代表役員を解任したそうです。それと同時期にHCCは教団を離れることになりました。)しばらくはHCCがイエス福音教団から離れたことも信徒や塾生には知らされませんでした。今までの教えは「律法、のろい、裁き」だと言い始め、これからは「愛、恵み、赦し」で教会運営をするとし、礼拝堂の一番前に掲げてあった「聖潔」「謙遜」の額は取り下げられ、イエス福音教団の表示がなくなっていくことから、なにやら教団を離れたらしいと塾生や信者が察するという程度でありました。

 その後、2002年に、カルト化していくHCC内部にありながら、異端伝道の働きをしていた塾生がHCCのカルト性に気付き、同年5月に今回の裁判の当事者となる元塾生と共に脱会しました。同年12月には前述の元塾生2名と共にカルト脱会専門家のウィリアムウッド氏と知識富夫氏(以下知識氏)がHCCを訪れ、話し合いのときを持ちました。その話し合いの中で、榊山氏は夫人である仁子氏の前でセクハラの事実を認めました。しかし謝罪はなく、翌年である2003年早々には「そのような事実はない。」と両名とも否認に転じました。同年2月に被害者との話し合いを知識氏が再度申し込みましたが「自分たちが(榊山両氏が)傷つけられた。」として話し合いに応じることはありませんでした。それ以来、前述の元塾生2名が榊山氏の暴力、セクハラについてHCCを取り巻く牧師たちに事情を説明し、助けを求めていく活動を始めました。しかし、被害を具体的に聞いて、榊山氏に忠告をしてくれた牧師はわずか数人でした。

 20039月にHCC最初の献身者であった大木彰氏(以下大木氏)の浜北教会をはじめ、実弟が牧会していた沼津教会、春日井教会、三島教会が相次いで脱退しました。いずれも古参の献身者ばかりであり、元塾生や元信者にとってもかなりの驚きでありました。その後、米子教会、200412月にはこの裁判の当事者にもなる札幌教会、黒松内教会も脱退となりました。その他、献身者の離脱等で枝教会はHCCのホームページ上からも次々と姿を消していきました。

 200312月には地元教会の任意の集まりである遠州牧師会が、榊山氏に対して暴力セクハラの件について釈明を求めましたが本人が牧師会に姿を現すことはなく、代理に出席した伝道師が「暴力ではなく愛の鞭だ。」と弁明するのみにとどまりました。そのため、遠州牧師会はHCCに対して出席自粛勧告をし、事実上HCCは牧師会を脱退することとなりました。

 20054月、京都の聖神中央教会主管牧師であった永田保こと金保が強姦の罪で逮捕されたニュースが流れました。それを見たこの裁判の当事者、関係者である元塾生の二人が、自分たちが受けた被害も警察に訴えることができるのではないかと思い、浜松中央警察署に相談に行きました。しかし、そのときは女性の警察官が話を聞くだけにとどまり、結局警察署に行ったことは今回の事件に関してほとんど意味がない状態となりました。当時、20039月に脱会した浜北教会の大木氏のもとに、彼らの脱会に驚いた元塾生や元信者がかわるがわる訪ねるようになり、今までHCCを去った人たちの事情などの詳しい情報が集まるようになってきました。大木氏はHCC内部にいたときにはわからなかったような暴力、セクハラの具体的な状況を直接本人から聞くに至り、HCC責任役員としてこの事態を放っておくことはできないと考え、同じような使命感をもって集った元塾生の提案もあり、被害者の会を立ち上げ、被害を訴えていくことなりました。それがゆうきの会の始まりです。集まった数人の中から推薦され、大木氏が会長を担当することになりました。とき同じくして同年5月に知識氏から、今回の訴訟の代理人となってくれた森下文雄弁護士を紹介され、刑事告訴を勧められました。唯一暴力の証拠が今も残っているのがお灸による熱傷の瘢痕、ということでお灸を受けた塾生にゆうきの会が呼びかけをし、刑事告訴に元塾生2名、陳述書の提出に他3名が協力してくれることになりました。結果は、時効3週間前ということもあり証拠不十分のため不起訴処分となりました。その後弁護士の勧めもあり、この会の趣旨としても民事訴訟をしていく決意を固めました。そこで今回の刑事訴訟の際に陳述書の協力をしてくれた2名をあわせ、4名の元塾生が民事訴訟を起こすことになりました。それが平成17年(ワ)第477号損害賠償請求事件です。(2008519日静岡地方裁判所浜松支部で午後110分判決言い渡し予定)しかし翌年20061月にHCCは元所属教団であるイエス福音教団監督の穐近氏、大木氏、前述訴訟の原告4名を相手に逆提訴に出ました。こちらが平成18年(ワ)第7号損害賠償請求事件です。訴状の内容は大まかにいいますと、穐近氏と大木氏が先の訴訟の原告4名を教唆して、あるいは直接にHCCに対する名誉毀損行為を行ったというものでありました。その訴えは証拠も何もなく、まったくの事実無根の内容であり、穐近氏、他大木氏含む5名がそれぞれに反訴に応じますが、2008218日の判決においては双方の請求を棄却するという判決となりました。しかし、暴力やセクハラについての被害実態についてはゆうきの会側の主張、穐近氏側の主張がほぼ認められた結果となっています。以上が大まかな裁判についての経緯となります。