市 便                      市島町有機農業研究会発行        

2012/5  市有研便り2012創刊号
 
 市有研だよりしばし休刊にかえて
 

循環型の社会をめざし

 

                       市島町有機農業研究会

                           橋本 慎司

 311日以降福島の事を考えない日はない。毎日、新聞の記事が気になり、一体今後どうなっていくのか不安な日々である。先週も福島産のお米から高濃度の放射能が検出された。福島での原発事故が起こった時は日本有機農業研究会の大会で福井にいた。原発の多いためか会場の越前駅前で「炉心漏溶」という見出しの号外がでた。チェルノブイリの事を思い出し、すぐ家族に電話してヨード製剤を準備するように伝えたのを覚えている。ところが不安でいらいらしているのは自分だけで、多くの人は平然としていた。自分が何故、こんなに原発事故のことが気になるのか。それは多分、自分が被爆2世であるからだと思う。

 私の父は194586日、広島に原爆が投下された日、爆心地に近い、広島駅にいた。当時は若い学生が動員されており、15歳だった父は食糧生産にかり出されていた。作業前に朝礼が行われている時、原爆が投下された。爆風とともに、父は大きな閃光を見て、あたりの建物は吹き飛ばされた。父とともにいた学生、先生は駅の建物があったため無事であったが、前列の学生は真黒に焼け、父も腕に火傷をおった。近くの川に友達と逃げたが友達は痛い、痛いと泣いて、その場を離れる様子がないので、とにかく逃げようと思い、郊外にある実家(矢野町)に向かって歩き始めた。しばらく歩いていると知り合いのお兄さんに出会い、自転車の乗せてもらって無事家についたそうだ。それから数日後から原爆症と思われる下痢が続いた。腕には紫斑もでた。うわさでは紫斑がでると1週間で死ぬと言われていたが、生き残った。紫斑を見た時、若い父はどんなに不安だっただろうか。

 現在、父は80歳を超えた。当時、共に広島駅にいた同級生の多くはガンになった。父も前立前ガンを患っているが、免疫性を作る漢方薬を飲みながら生きている。家族にしたら心配が絶えない。原爆を受けて以降、ちょっとしたことですぐ風邪もひくようになったそうだ。放射性物質を人体に取り込むと免疫性がなくなり、外からのウイルスの侵入に弱くなるそうだ。風邪をひきやすい、倦怠感など多くの人が被爆後、症状を訴えた。原爆の後遺症に苦しむ被爆者は仕事もしないでぶらぶらするので「原爆ぶらぶら病」と呼ばれた。原爆が投下された後、医師として原爆症患者に対応してこられた肥田舜太郎医師は放射能の影響は低線量であっても10年、20年後に出てくると言われている。一般的には放射能の影響はガンや白血病という形で表れると言われているが、それ以外にも心臓病、脳溢血、倦怠感、免疫低下なども症状としてあらわれるとおしゃっていた。

母方の祖父は原爆が投下された2日後に広島に入った。いわゆる入市被爆者である。祖父は当時、31歳、原爆で破壊された市内の実家の様子を見るため、原爆投下の翌日、避難していた五日市から市内に入っただけだ。帰宅後からしばらく、歯茎から血が出て止まらなかったそうで、これも下痢と同じで典型的な被爆症である。チェルノブイリでは脳梗塞、心筋梗塞の死亡率が増加したどうだが、祖父は47歳ころから心臓が悪くなり、50歳の時に心筋梗塞で亡くなった。当時、私は3歳だった。初孫で大変大切にされていて、鮮明に祖父の記憶がある。祖父の葬式の日は偶然にも私の誕生日であった。祖父は当時めずらしかったレコーダーを孫の私の誕生日に与えようと楽しみにしながらその夜、亡くなった。葬式の日、誕生日会に準備されたケーキを従妹と食べた、以来、誕生日が来るたびに祖父のことを思い出す。あたかも広島の惨状を私に伝えるかのごとく。死んだあとに10数冊のアルバムが見つかった。「慎司へ」と書かれたアルバムには家具会社の社長として短い人生を送った祖父のメッセージが残っており、私の今の生き方に大きな影響をあたえている。

祖母も原爆投下後、私の母と叔母を連れて、被曝地に入っていて、祖母、母、叔母ともに原爆手帳をもっている。祖母は祖父の死後、しばらくして倦怠感と呼吸困難に襲われ入院した。病気の原因は不明で、祖父の死後、精神的な要因で病に伏したと思われたが、さまざまな被爆者の原因不明の後遺症を知るにつれ、もしかしたら、祖母にも放射能の影響があったのではと考えることもある。叔母は去年、肝臓がんで亡くなった。母は慢性肝炎である。広島市内で被爆した叔父も私の従妹が中学生の時、若くして肺がんで亡くなっている。放射能の影響は見えないのでどこまでどうかと言えないが、私の周辺で原爆手帳を持っている人々は皆、放射能の影響からくる病に冒されてきているような気がする。果たしてこれは偶然なのだろうか。

 今回の福島の事故では広島型原爆の168個分が拡散したそうだ。原爆Ⅰ個分の重みを知る私からすると想像を絶する数値である。ところが世間では「安全」

「大丈夫」という言葉が流れ、あたかも放射能の影響は何もないかの如く言われている。「風評被害」は本当に「風評被害」なのか被爆2世の私には信じられない。広島の168倍の被害が起き、福島の人々は私の168倍不安や悲しみを感じるのか。綺麗事を言っている場合ではない。多分、福島の事故は日本の歴史史上最悪の環境破壊事故である。これから福島に残る人々の身を思えば、我々は皆そのことを認識する必要がある。

 放射能は見えない火事だ。火事になったら皆、逃げるだろう。家を捨ててでも逃げるだろう。村を捨てて逃げるだろう。放射能は見えない火事だ、それは見えないうちに人間の体内に入り、見えないうちに人間を焼き尽くしボロボロにするのだ。特に農家は野外での作業が中心なので通常よりも多く被爆する可能性があり、非常に危険だ。年間Ⅰミリシーベルトを超える地域では農作業はすべきではない。原発事故の答えは一つだけ、逃げることだ。政府が避難に協力できないのなら、民間が協力するしかない。少なくとも国際基準の年間Ⅰミリシーベルトを越える地域の住民は避難せねばならない。Ⅰミリシーベルト以下でも不安なら移住しなければならない。除染の仕事はそこに残っている住民がする仕事ではない。大変、危険だ。ましては福島県外から汚染地域に除染で入ってくるボランティアは注意が必要だ。特に将来子供を産む女性は汚染地帯に近づいてはならない。広島では被爆していない大勢のボランティアが被爆者を救済するため、郊外から広島市内に入り、食糧を提供し、看病し、自らも被爆者になった、これは高齢者も同様である。放射能は善意の人々を一生苦しめる、悪魔の火だ。除染の仕事は東京電力と政府の責任でやるべきだ。ゴミは出したものがかたづけるべきだ。

 震災の後、URGENCIを通じ、フランスから申し出あった。フランス財団が汚染地域の農家の移住の費用を負担してくれるそうだ。窓口はフランスで日本の提携運動を紹介し、自らもブルターニュ地域で生産者と消費者の組織作りを行ったレンヌ大学の雨宮先生がしてくださっている。先生は現在、仕事の都合でフランス人の夫とともに京都に住んでおられ、先日、兵有研の本野理事長とともに話を聞きに行った。長野県に、福島の有機農業生産者、丹野さん一家が財団の援助で震災以降すばやく移住し、すでに畑も始め出荷が始まっている。有名な農家なので、技術を学ぼうと大勢の長野県の若者が丹野さんのもとに集まっているらしく、あとに続く福島からの移住農家希望者もいるらしい。

 米国の経済統計学者のジェイ・マーケティング・グルード氏は国内の乳児死亡率、低体重児出生率、乳がん患者率が水爆実験開始後から上昇していることを発見した。現在でも米国の乳がんの発生の70%は原発や原子炉を持つ研究施設、核物質の保有する施設周辺160キロ圏内に集中している。原子力施設の影響で事故が無くても、年間4000人が施設から微量に放出される放射性物質の影響により、乳がんによって死亡しているという計算をうちだしている。 

不自然に生み出される放射性物質、アスベスト、住宅構造に含まれる発がん性物質、工場から排出される化学物質、農業現場で使用される農薬、化学肥料、除草剤、食品の添加物、我々の周りには危険物質があふれている。医療の発達で人間の寿命は延びたが、医療費は上がる一方、現代人はなぜこんなに不健康なのか。自分や家族さえ健康であればと思い、健康食品や有機農産物を食する消費者はいるが、これほど破壊された環境の中で、安全な食品を食べるだけで本当に健康を維持やすることができるのだろうか。我々は自らの健康を守るために健康で持続可能な循環社会を協力し合って再建する必要がある。

 日本人は世界で一番初めに原爆による放射能の影響を受け、被爆者を出しながら、また福島で原発事故を起こしてしまった。漁師がビキニ沖の水爆実験により被曝した事件を数えれば3回目である。原発事故は米国でのスリーマイル島原発事故、旧ソ連邦でのチェルノブイリ原発事故、日本でも数々の放射能漏れ事故はあった。にもかかわらず、また懲りずに今回の事故。人間の技術が起こした環境破壊を思えば、熊本の水俣病、足尾銅山の鉱毒事件、新潟でのイタイイタイ病・・・何回ひどい目に遭っても懲りない民族である。

 広島での体験が何故福島に生かせなかったのか。繰り返し、繰り返し、私の中で問われている。最近、農作業中でもそのことばかりを考えてしまう。これは日本人の民族的特性なのか。広島では原爆の体験は形骸化している。子供の頃は毎日、夕方になるとあの暗い、「原爆の歌」が流れ、被曝の体験を残そうとしていたが、いつのまにか悲惨な被爆者の体験は忘れ去られ、明るい「平和コンサート」や「平和のお祭り」に代わってしまっていた。

有機農業の世界も農薬の害にあった農民と農薬のかかった農産物に不安をいだき、それに警鐘をならす研究者が協力する社会運動から「おしゃれなオーガニック」、「グルメなオーガニック」活動に変貌しつつある。これはまさにヒロシマがたどった道とまったく同じだ。「おしゃれも」も「グルメ」も有機農産物を広げるためには必要ではあるが、我々は何故、有機農業は始まったのか、その原点を忘れてはならない。

 

  2011年 10月発行
 

野菜出荷状況(10月-11月上旬)

10月に入って日中は暑い日もありますが、朝夕は肌寒く、ようやく秋らしくなってきたようです。心配された台風ですが、大きく西に逸れたので丹波市での被害は少なくてすみました。一部水に浸かった地域もあったようで、ピーマン、万願寺とうがらし、茄子などが枯れたところもあるようです。

和歌山県で大きな被害があった那智勝浦町口色川地区は昔から日本有機農業研究会の幹事をされてきた村山勝茂氏ら「耕人舎」メンバーを中心に、30年以上も有機農業を推進してきたIターン先進地です。現在、この地区には22世帯51人のIターン農家が住んでおり、人口の4割を占めています。

今回の台風ではこの若い世代が旧住民と協力し、命がけで住民を助けたことが大きく朝日新聞に載り、Iターン者が徐々に地域の力になりつつあることが報道されました。

市島でもIターン者は増加していますが彼らの力を地域の農業復興にいかに生かせるかが今後の課題になっています。

作付けは台風に伴う長雨で大幅に遅れており、端境期が長く続くのではないかと予想されます。9月の長雨で野菜の初期に虫の害が出て葉のそろいも悪いように思います。池野さんの畑では虫の害が多く、青梗菜、水菜、大根を再度、101日にまきなおしました。中井さんの畑でも作物にダイコンサルハ虫が大発生しているそうです。

ピーマンは順調に出ています。茄子は寒さで生りが悪くなってきていますが引き続いて出荷されます。万願寺とうがらしも引き続いて出ます。大根菜、ニンジン菜などの間引き菜もそろそろ出てきます。インゲンも出荷が続きます。  

甘藷、新生姜も出荷されます。大谷さんの畑では猪が出て、甘藷が全滅したそうです。橋本の畑でも甘藷に小動物(野ネズミ?)の害がありました。

 

10月の農作業

 小松菜、ほうれん草、ビタミン菜、小カブ、大根、水菜、ソラマメの種蒔き。夏野菜、茄子、ピ-マン、オクラのあとかたづけ。春キャベツ苗植え付、玉葱苗の除草などがあります。キャベツ、ブロッコリー、カリフラワーの除草。大根、人参の間引き作業もあり、間引き菜も出荷されます。

稲刈りは市島ではほとんど終了し、各部落では収穫を祝う秋祭りが開催されています。一番大きな祭りが竹田祭りで各部落から御神輿が終結します。

無事収穫を祝えないケースもあります。3年前、うちで研修し、現在春日町で営農している谷水君が大きな事故に遭いました。谷水君以前、漬物をつくっていて、市有研の消費者の皆さんにも購入していただいていました。

谷水君は先週の3日、コンバインを使ってお米の収穫中、機械に藁が詰まり、取り除こうと手を入れたところカッターに指をもっていかれ、人差し指を失ってしまいました。親指も切れましたが一皮でつながっていて、そのまま救急車で病院に搬送され、親指はどうにかつながって回復するそうです。

お米の収穫途中でしたが、市島から助っ人が駆け付け無事終了したそうです。現在、入院中で奥さんが子供を抱えながら、農作業をされています。近辺の若手の有機農家、新規就農の仲間も少しずつお手伝いにいっているようです。

農業は3Kとよく言われますが、危険と隣り合わせだと改めて思い知らされました。

一日も早い復帰を願っております。

 

10月配分当番

火曜ル-ト

木曜ル-ト

金曜ル-ト

求める会  池野 

求める会 一色

求める会 大谷

つどいの会 中井

 

 

  

10月行事予定

10/ 3    市有研定例会

10/ 4    丹有研定例会

10/ 6    市有研臨時会議

10/ 8・9 「うたとピクニック」&丹波有機農業祭り

10/15    G90援農

10/26    ひょうご講座2011 「日本の農業の再構築を考える」

        第8回講座「頑張る若者達」(市島Iターン者の事例から)

        (発表者=橋本慎司)

        場所:兵庫県民会館

        時間:18:30-20:00

        問合せ先」078-262-5122

11/5  第6回 農こそエナジー in 京都

    「循環可能なエネルギーを生み出す有機農業シンポジウム」 

     第一部「有機農業は原発とどう向き合うか」

     報告(3人目)=橋本慎司

     場所:キャンパスプラザ京都 第一講義室

     時間:13:00-15:00

     問合せ先:使いすて時代を考える会 075-361-0222     

11/9 環境創造型農業推進フォーラム

     「消費者が支える有機農業」

    基調講演=橋本慎司

    場所:兵庫県中央労働センター大ホール

    時間:13:30-16:30

    問い合わせ先: 078-341-2271

11/13「有機農業を科学する:美味しい野菜は土づくりから」

    講師:小祝政明氏(ジャパンバイオファーム)

    場所:神戸市勤労会館

    問い合わせ:組合員サービスセンター0120-408-300

10月定例会議事内容

G90援農1015日土曜日10:00~ お昼はお弁当で交流会

・添乗当番10月池野 11月大谷 12月中井 1月橋本 2月一色

(蓮根販売のため、大谷さんが12月に交代することもあります)

 

“つづくくらしの勉強会”に参加して

104日、綾部の里山ねっとで菊池洋一さんの講演会が開催された。

菊池さんは30代のころ米国の原子力関連企業GEの原子力事業部極東東京支社企画行程管理スペシャリストとして東海原発2号機、福島第一原発6号機の建設に関わり、その後、古い原子炉内改造工事に関わってこられた。その仕事に携わる中で原発の具体的細部にわたる危険性を知り、スクーターに乗って全国を原発反対行脚してこられた。

内部構造を熟知する菊池氏によると、メルトダウンしている福島原発は一見、解決に向かっているかのように報道されているが、実際はまだまだ非常に危険な状況にあり安心はできないそうだ。

4号機には使用済み核燃料が沢山あり、震災で建物の土台が崩れかかっているので、もう一度大きな地震があるとひとたまりもなく大惨事に発展するそうである。

若狭の原発は福島原発以上に大きな危険性をはらんでいる。型が古いので、耐震策が十分とられてなく、しかも老朽化しているため、亀裂を生みやすく大きな事故に発展する可能性も高いそうだ。電力会社は津波の心配はないとしているが、過去に津波の記録もあるし、原発は活断層の上に建設されているので

危険要素は福島以上だということだった。

引き続き当地での反対運動は不可欠だと盛り上がった。

 2011年 9月発行
 

野菜出荷状況(9月-10月上旬)

 大型の台風12号は関東方面に向かっていると思って安心していたら、突如コースを変え関西方面に向かって来ました。近年、台風は運よく丹波を直撃することがなかったので、いよいよやって来るのかと思っていたら、天気予報では丹波方面に直撃の情報。今度こそと皆、覚悟を決めていたら、四国あたりから方向が変わり、今回もどうにか途中から中国方面に抜け、大きな被害もなく過ぎていきました。

丹波ではそれほど強い雨風はありませんでしたが、局地的に強風があり、一色さんのトマトハウスのビニルは破れたそうです。一方、紀伊半島では台風の目から離れていたにも関わらず、激しい雨が降り甚大な被害がでました。改めて天災の恐ろしさを感じます。

 野菜は引き続いて、ピーマン、万願寺とうがらし、茄子は続きます。青シソ、オクラ、ゴーヤ、南瓜もしばらく続きます。モロヘイヤは花が咲き始め、固くなってきたら出荷は止まります。

8月下旬から雨降りが続き、畑が乾かず多少、秋冬野菜の作付けが遅れ始めています。しばらくすると端境期に突入しますが、今年は多少長くなる可能性もあります。

  台風が来る前日の9月3日に雛が80羽入る予定でしたが、5日の月曜日に延期されました。実は雛を育てていただいている業者は奈良県五條市で大雨の被害がひどかった地域、導入日を変更して正解でした。

ところが。。。ところが。。。雛は無事月曜日に到着しましたが、火曜日の朝、鶏舎に行ってびっくり。入ったばかりの鶏が半数近く横たわって死んでいるではないですか。台風のストレスなのか何か悪い病気になったのか業者に問い合わせたり、畜産試験場に相談したり大騒動しましたが、回りをよくよく見回したら、鶏舎の網に大きな穴。ここから狸か狐が侵入したと断定されました。

業者や畜産試験場も病気やウィルスじゃなくて露骨に安心されました。でもうちはせっかく導入した鶏の半数を一夜にして一個の卵も見ることのなく無残に失ってしまいました。請求書もまだ来ていないうちにです。

しかし弱い雛鶏が入る日を見計らったようなタイミングで侵入、どこか森の中から鶏舎の様子をうかがっているのでしょうか? そう言えばうちの研修生たちも「橋本さんがいない時に限って獣がやってくる」とよく言っていました。 

自然界で起こることは不思議です。

 

9月の農作業

9月は5月に並んで1年のうちで最も忙しい時期でもあります。稲も黄金色に変わり稲刈りが始まります。

 野菜の収穫、秋作の準備で畝立て、堆肥まき、種まき(春キャベツ、ハクサイ、ネギ、小松菜、菊菜、ほうれん草、大根、かぶ、水菜、中国菜、玉葱)、苗の移植など仕事に追われる毎日です。

 今年は雨が多いせいでしょうか。畑では頻繁にマムシが出ているようです。うちは茄子の収穫中に妻が遭遇、恐ろしくて足がすくみしばらく動けなかったそうです。一色さんの近所の人はなんと家の前で車に乗ろうと外に出たところで噛まれ、救急車で運ばれたそうです。今年は特に咬まれて救急車で運ばれる人がおおいそうです。 

池野さんも去年、咬まれ長靴で踏みつぶして病院へ、車の中で毒素を吸い出していたら口の中が痺れてきたそうです。池野さんの近所の人もその6日前にやはりマムシに咬まれ、重傷、毒の回りが悪かったのか未だ半身不随だそうです。

 マムシは国内で最も危険な蛇、年間平均3000人が被害を受け、死者が毎年、5人から10人いるそうです。もし咬まれたら、落ち着いて噛まれたところの少し離れた所を縛る。身体を激しく動かすと毒が体内に循環するので安静にしてすみやかに病院行くこと。一般的に応急処置として毒素を口で吸い出すと言われているが素人による吸引はしないほうがいいようです。虫歯がある場合は逆に危険です。

血清は6時間以内に投与されることが推奨されていますが、最近では血清を使わず点滴をしながら自然に毒を抜くのが一般的だそうです。とにかく早めに病院に行くことが大切で、動揺して現場でウロウロして無駄な時間を費やさないことが大切です。血清を投与された後も少なくとも24時間は副作用を見る必要があるので、少なくとも1日程度の入院は覚悟する必要があります。

マムシ自体は基本的に憶病な動物なのでよほど接近しすぎない限りマムシの方から人に咬みついてくることはないそうです。農村ではマムシを見た、殺傷するのが基本です。

 マムシには滋養強壮剤の力があると言われており、捕まえて皮をはぎ干して焼いて食べたり、焼酎につけて飲む人もいます。一色さんの近所の人は心臓を飲んでいたそうです。漢方でも反鼻(ハンピ)と呼ばれ、薬品として利用されていますが、科学的根拠はないそうです。

 

9月配分当番

火曜ル-ト

木曜ル-ト

金曜ル-ト

求める会  橋本

求める会 大谷

求める会 池野

つどいの会 一色

G90  中井

 

 

9月行事予定

/5    市有研定例会

/6    丹有研定例会

/11   さよなら原発 9.11神戸アクション集会 

      *3・11の6カ月目、神戸で大々的な脱原発の企画が始まっています。

       市島は農繁期で参加は難しいのですが、関心ある方は是非、参加してみて 

       下さい

(場所)   メリケンパーク(JR・阪神元町駅東口より南へ10分)

(内容)

11:0012:00 アピールタイム
・さよなら原発のために政治に求められること
粟原富夫さん(神戸市会議員・新社会党・中央)
丸尾まきさん(兵庫県会議員・みどりの未来・尼崎)
ねりき恵子さん(兵庫県議会議員・日本共産党・宝塚)
林英夫さん(神戸市会議員・住民投票市民力・東灘)
河野太郎さん(衆議院議員・自由民主党・神奈川県)

・自然エネルギー主体の社会をつくるための経済界からの提言
津田久雄さん(新星電気)
粟田隆央さん(慧通信技術工業)
鈴木清美さん(ノヴァエネルギー)
12:00
13:00 音楽タイム
13:00
14:00 アピールタイム
・原発現地の取り組みから
宇野朗子(さえこ)さん(ハイロアクション福島原発40年実行委員会)
松下照幸さん(森と暮らすどんぐり倶楽部)
・放射能から子どもを守る取り組みから
高橋昭憲さん(学校給食の放射能検査を求める取り組みなど)
小野洋さん(福島の子どもたちを支援するたこ焼きキャンプ)
1000万人署名と919全国集会のアピール
菊池憲之さん(自治労兵庫県本部)

14:00
16:00 音楽タイム
16:00
17:30 パレード(メリケンパーク~元町~三宮~元町~メリケンパーク)
18:00
21:00 キャンドルナイト (司会・佐々木俊光さん)

 

(よびかけ) さよなら原発神戸アクション
協賛: さようなら原発1000万人アクション兵庫県実行委員会
賛同金:(一口3000円)募集中
郵便振替番号 009008110030 口座名 神戸ネットワーク
(振替用紙 通信欄に「911」賛同金とお書きください)
問合先 高橋 09036528652(携帯)0784411236FAX
dfadl300@kcc.zaq.ne.jp
Email

9月定例会議事内容

G90の責任制8月で終了

 G90は今年度12月いっぱいで解散することになっています。それに伴い、市有研ではG90消費者会員に野菜を配送するため新たなシステム作りが始まっています。今までG90と取り組んできた「責任制」(各生産者が担当グループを決め、野菜セットを作る)を8月いっぱいで終了し、9月から12月までは市有研全員で野菜セットを作り各グループに送ることになります。市有研から請求書を出して精算と配送料はこれまで通りです。来年1月からは会がなくなるので個人あてに野菜代金の精算をして配送費込の請求書を発行して引き落としを生産者がすることになります。

市島の有機野菜が福島の子供たちに届く

 求める会有志のご尽力で市有研の有機野菜が福島の子供たちに届いています。求める会有志のカンパにより「NPO法人市民活動センター神戸」の紹介で、福島の郡山市にある「NPO法人うつくしまNPOネットワーク」を通じて、「ふくしま子育てネットワーク」に属する「のびのび園」(幼稚園)に市島の野菜をお届けしました。

市島の野菜は「のびのび園」の給食に使われています。端境期が近づき野菜も少なくなってきていますが、市有研としても今後もできるだけ協力していきたいと思っています。 

 福島県の農業のことを考えると本当にやりきれない気持ちになります。避難区域以外の農家は通常通り生産したいのは当然のこと。しかし場所によっては放射線量が高いので、果たして農産物を食べていいものか子供を持つ親にとっては心配です。国が設定した農産物の暫定基準は他国と比較してもゆるく、きっちと管理されていると安心していた肉牛からも検出され、給食で出された後、発覚しました。検査の方法にも不安の声があり、学校給食の「地産地消」を止めるように要望を出しているグループもあるそうです。農家は一体どうしたらいいのか?放射線の高い地帯で働く農家の日常的な被爆の問題もあります。農家の将来の健康被害も含めてどう支援するか検討しなければなりません。


震災以降、福島から2万2000人が他府県に移住していますが、農家は土地と繋がっているのでそう簡単に移住できないのもまた現状です。

 2011年 8月発行
 

野菜出荷状況(8月-9月上旬)

玉葱、馬齢薯はまだ続きます。胡瓜、ナス、まんがんじとうがらし、オクラ、モロヘイヤ、トマト、青シソ、ゴーヤ、ピーマンも続いて出荷されます。

野菜が出来過ぎて余りかえっています。余った野菜は各生産者が独自に売り先を見つけていますが、なかなか思うように出荷できない生産会員の圃場では野菜が廃棄されています。オクラ、胡瓜は毎日朝夕に大きくなるので、出荷量が少ないと収穫されず放置することになり、大オクラ、大胡瓜になって廃棄されていきます。玉葱、馬齢薯も出荷量が減ると、保存している間に高温の影響で劣化が進み、廃棄量が増えてきます。農薬も化学肥料も使わず、重い有機肥料をやり、土を肥やし、汗水たらして作った作物も行き場がなければ、畑で腐り、廃棄されていくしかありません。本当にもったいないことです。

東日本では放射能の影響を心配する母親が沢山いて、安全な農産物を日々探しておられるそうです。スーパーで販売される生野菜が心配で冷凍食品がよく売れているそうです。ここでは余って廃棄され、別の場所では求めている人々が沢山いる。本当に矛盾した世の中です。

8月の農作業

8月になると秋作に向けての耕起、堆肥まき、キャベツ、白菜、レタスの苗づくりが始まります。また中下旬から秋じゃが、人参、大根、サラダゴボウ、葉物の種まき、茄子、ピーマンなど果菜類の収穫、追肥、除草もします。稲刈りも始まります。白菜、キャベツは農薬なしで栽培するのが非常に困難です。早く定植すると害虫によって生育が阻害され育ちません。少し温度が下がると虫の害は減りますが、今度は低温で初期の生育が遅れ、大きくなりません。

 8月配分当番

火曜ル-ト

木曜ル-ト

金曜ル-ト

求める会   一色

求める会   池野

求める会   橋本

つどいの会  中井

 

 

8月行事予定

/1    市有研定例会

/2    丹有研定例会

/19   有機農業技術講座    講師:小祝政明氏

8月定例会議事内容

*東北の被災者のみなさんへ

求める会有志の方から、東北の被災者にお野菜を送って欲しいとのお申し出を頂き、8月1週目の週末に岩手県遠野市に2万円分、2週目週末に福島に3万円分を送ることになりました。送料(クール便)は市有研が負担します。

*求める会からの要望

キャベツの苦情について

 キャベツがおいしくないので値引きして欲しいという苦情があった。夏季のキャベツの栽培は虫の害も多く、有機栽培で作るのには困難な品目であり、生産者の労力は大変なものである。劣化しているとか、腐っているのであれば苦情の対象にはなるが、「美味しい」とか「美味しくない」とか主観に左右された苦情の場合、これを苦情として受け入れるは難しい。

玉葱の出荷について

 ミニコンテナの玉葱の出荷については月に1回にすることと消費者側から申し入れたはずなのに、前年と同様に2週間に1回のペースで来ていると指摘があった。月一回にしてほしいとの要望は聞いていたが決定はしていなかったので今年はこのままでお願いします。

 玉葱は各生産者が、収穫後保存し出荷しているが、長期に保存すればするほど劣化が進み、ロスがでる。生産者側としてはできるだけ早く出荷をしたいが現状では少しづつしか出荷できない。これを月に一回のペースにするのは困難

ミツバチの羽音と地球の回転上映会

 

於 和知道の駅「和」

原発事故以降、丹波でも脱原発を訴える人が増えてきて「原発なしで暮らしたい丹波の会」が結成され私も入会しました。会はできましたが実は結成会もなく、入会金もありません。ボランティアで関わっている人がインターネットと通信紙で関西で開催される勉強会、集会、原発パレード等の情報を知らせてくれるだけ。しかし会合がないのはいいとしても通信費はどうするんだろうと少し心配していたら、731日には綾部市の向こうの和知町の道の駅で「ミツバチの羽音と地球の回転」という脱原発を訴える映画が上映されるというお知らせがきました。せっかくの夏休みなのにゴロゴロしている息子達を連れ参加してきました。

映画は山口県の祝島の漁師さんたちが原発の建設に反対するのが前半と脱原発を決めたスウェーデンの自然エネルギー導入の現状を描いた作品で日本が今後、自然再生エネルギー社会を作る上で大変、参考になる映画でした。

 上映後の意見交換会で、うちの長男(高2)が突然手を挙げて「日本も自然エネルギーに変えていくべきです。ぼくは地熱がいいと思います」と発言し 、びっくりしました。

86日原爆の日にピースパレード

平成エエイジャナイカ?

 皆さん、ピースパレードって知っていますか? ピースパレードは福島第一原発の事故以降、原発に疑問を持つ人々が集まり、行進をすることです。最初に東京の高円寺で始まりました。611日には北海道、東京、福島、静岡、京都、滋賀、神戸など6万8000人が集まり全国あちこちで開催されました。 

原発に抗議してみんなで集まって町の中を行進する。それってデモって言うのではと思われる方も大勢おられると思います。でもパレードを開催する若者達はあえてパレードと表現しています。デモは集団でシュプレールコールがあり、全員で「○○反対!」と声を合わせて叫びます。原発パレードにはスローガンはなく、各自がバラバラと自分のやり方で抗議の気持ちを表します。スローガンの代わりに歌を歌いながら行進する。多くの参加者が鳴り物(鍋とすりこぎの方もいます)とか楽器を持ち寄り音を鳴らしながら歩く。もちろん「原発やめよう!」とか「子供の未来を考えよう」と書かれた大段幕、立て看板なんかもあります。でも大段幕にはかわいい絵が描いてあったりして全体的にスローな感じで歩きながら抗議をするわけです。

「原発なしで暮らしたい丹波の会」から86日原爆の日に舞鶴市で原発パレードがあるが、場所がローカルな舞鶴で何人集まるか不安だし、できるだけ参加協力してほしいと呼びかけのFAXが入って来ました。土曜日で出荷もないし、少しでも動員の助けになればと家族でこの原発パレードなるものに参加することになりました。

これを読まれる消費者の中には、また「市有研だより」は原発の話かと思われる方もおられるかもしれませんが、とにかく3月以降の最大の環境問題と食品問題は来る月も来る月も放射能汚染の問題です。今月は汚染牛の問題。来月に入ると次はお米の汚染問題でしょうか? 放射能汚染された牛肉は、福島のみならず、稲わらを通じて宮城、岩手にも広がっていましたし、お茶は静岡、神奈川に広がっているので、お米はどこまで汚染されているのでしょうか?被曝しながら農作業をしている農家がいることを日々考えたらもう原発事故に対する怒りは止まりません。

特に自分自身が被爆2世であること、荒廃する農村を維持しようと有機農業を続けてきたのに、一回の原発事故で全国を汚染してしまったこと、3度も原子力の被害にあって、まだ原発推進派が存在すること。いたたまれません。

本当に舞鶴に参加者が集まるのか? 参加者が10人ぐらいだったらどうしようと不安な気持ちで舞鶴の駅前に到着しました。妻と私は知り合いが作ってくれた「脱原発」Tシャツと麦わら帽子。ブツブツ言いながら付いて来た次男は脱原発ステッカーの原版コピー拡大したものを背中から吊るして参加。

駅で立っていると参加者は続々集合。インド服を着たロハス系の若者、沖縄三味線を片手にもった正体不明の女性。デモ活動には似合いそうもない茶髪、ハイヒール、ヒラヒラスカート、日笠のお姉さん。サラリーマン風の家族、ヒッピー風でギター片手のおじいさん、共産党の集団、茶色いロン毛カツラをかぶったチンドン屋風のおじさん。真黒い顔のスポーツマン風の男性。小学生、総勢200名くらいで、先頭のインド風の若者が「トトロ」の歌を「原発やめて明るい未来」という替え歌に代えて歌いだし、だらだらと行進は始まった。音楽に合わせて楽器を鳴らす人、「原発やめて!」というプラカードを持つ人、この変な集団はリズムに乗りながら、舞鶴の街中を約2時行進。交通整理の警察官も暑い中ご苦労なことに3名出動して、汗だくになりながら誘導してくれました。誰もトラブルもおこさないし、若い舞鶴の有機農家は「万願寺とうがらし」を沿道の人々に配り、原発問題について書かれたチラシを配っていましたが、沿道の人々も拒否もせず、ただただ圧倒されて見ていました。中には賛同してくれているのか、わざわざ出てきて手を振る人、沿道のおばあちゃんにも「ご苦労さま」と言わました。若狭が近いので関心が高いのでしょうか。

一行は関西電力舞鶴営業所に到着、営業所は土曜日で休みでしたが、玄関前で音楽を響かせアピール、要望書をポストに入れて出発点に戻って終了です。

今回の原発の放射線量は広島型原爆の20倍だそうです。広島では原爆投下以降、多くの人が原爆症に悩まされて、私たち被爆2世は親世代から放射能の影響についてさまざまなことを聞かされてきました。うちの父のようにガンを持ちながら元気な老後を送っている人ももちろんいますが、原因不明のまま亡くなった方もおられます。広島の経験からするともう福島の原発の問題は日本全土を含む戦後最大級の環境問題、食品汚染問題に発展するのではないでしょうか。最初楽観的だった広島の人々も数年で原爆症に直面しました。現在、福島周辺に住む人々の未来を考えると怒りと恐れで震えが止まりません。

 

*兵有研で作ったステッカーの見本です。1枚200円で半分は福島農家の支援金になります。自家用車に貼って皆で抗議しよう!ご要望の方は金山さん又は私に連絡ください。                 


  

   2011年 7月発行

野菜出荷状況(7月-8月上旬)

 玉葱、馬鈴薯はしばらく続きます。ズッキーニのピークはそろそろ落ち着きそうです。胡瓜はしばらくたっぷり行きます。ニンジンもまだまだあります。トマトも出ますが出荷量は少ないかもしれません。青シソ、インゲンも始まりました。しばらくするとミニトマト、ナス、ピーマン、万願寺とうがらし、モロヘイヤも出荷されます。

 梅雨明けしてほんかくてきな夏到来です。

 ズッキーニは一色さんは強風で折れ、大谷さんは葉っぱが病気でチリチリになったそうです。

 

7月の農作業

水田中干し、除草、追肥。畑の除草、収穫、追肥。干し葱作り。大豆、黒豆、

小豆播き。キャベツ、ブロッコリ-、カリフラワ-苗作り。冬用の葱植え。秋に収穫するインゲンの種まき。

7月配分当番

火曜ル-ト

木曜ル-ト

金曜ル-ト

求める会   大谷

求める会   橋本

求める会   一色

つどいの会  中井

 

 

7月行事予定

/4    市有研定例会

/5    丹有研定例会

/7    丹波市有機の里づくり協議会総会

/16   作付け会議

 

    「今、私たちにできること ~東日本大震災と原発事故~」

振津かつみ先生講演会

 まったく終息しない原発問題。放射能の拡散していくなかで、ついに静岡のお茶まで汚染されていることがわかった。しかも基準値を超えるお茶は有機栽培のものであった。考えてみると、チェルノブイリの時もかなり広範囲に汚染が広がっている。風向きによっては関西にも影響があるのか心配だ。今のところ、兵庫県の農産物調査でも関西での空気中の放射線にも問題はないようだ。和歌山、奈良でもお茶の放射能検査があり、放射能物質検出は微量にでている。   

そんな中、こちら丹波でもピース丹波という市民団体が中心になって原発問題の学習会が6月13日開催され出席してきた。会場には市島からの教育関係者(保育園園長)など大勢の参加者がいた。

 講師の振津かつみ先生は西宮在住の臨床医で、若い頃から広島、長崎の被爆者の健康管理にかかわってこられた。チェルノブイリ原発事故被災者支援など、ボランティア活動にも従事し、チェルノブイリ20周年のツアーにも参加、現地に滞在し、原発事故の実態を調査された。

 彼女のグループ(「チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西」)が支援してきたベラルーシのチェルノブイリ被災地、クラスポーリエ地区は原発から250キロも離れているが、事故以降、地区の3分の1が高濃度に汚染され、人口が半減してしまった。25年過ぎた、現在でも牛乳の0.5%、森の木の実の92%、きのこの58%、野生動物の25%から汚染物質が検出されており、今も問題は収束していない。同地区の小児科医によると「事故前はベラルーシで小児甲状腺癌はたった9例であったが2005年には800例以上、発病率は80倍以上に達している。」しかも「クラスポーリエでは近年、子供たちの一般疾病の発病率はやや増加。貧血、慢性疾患、泌尿器疾患、先天的発育障害が増加。」「同様の傾向は成人にもみられ、死亡率は増加、寿命は低下。」しているそうだ。一部、日本の研究者には放射能の明確な影響はチェルノブイリでも見られないとマスコミ当で発言されているが、振津先生からすると「非常に憤り」を感じられるそうである。

 現地では14歳以下の甲状腺癌の発生は1995年、1996年、1997年をピークに減少傾向にあるが、逆に15歳から20歳では2000年から増加傾向にある。放射能の影響はかなり長期にわたることがわかってきている。7月5日の東京新聞によると福島県のいわき市、川俣市、飯館村で0歳児から15歳児、1810人を対象に放射線被爆調査を実施、45%の子供から甲状腺被爆の可能性が高いことがわかった。市民団体の調査でも福島市の子供の尿10検体からセシウムが検出されている。また、現地を訪れた医者から福島の避難所で鼻血、下痢、倦怠感など長崎・広島の被爆者に類似した症状が増加しているという報告もある。一体、これからどうなっていくのであろうか。

 振津先生はチェルノブイリに1週間滞在し家庭にホームステイされた。帰国直前に体内の被ばく量を測ったらセシウムの蓄積が高まったことがわかった。しかし、帰国後3ヶ月すぎるとセシウムも対外に排出され半分になったことがわかった。現在、福島にいる子供たちも汚染地域から離れると、蓄積量を減らすことができる。それよりも何よりも、屋内で遊ばざるおえない子供たちの姿は不憫でできれば関西で一時的でもいいから福島の子供たちを受け入れ、夏休キャンプなどを企画し屋外で思いっきり遊ばせてあげたいので協力して欲しいと訴えておられた。

 先生は福島の被災地にも行かれ、現地の実態調査をされている。福島の農家にもお邪魔し、ハウスでも放射線測量を実施された。農家の家の中でも2.7マイクロシーベルト(0.114マイクロシーベルト/時以上あると年間で国際基準のⅠミリシーベルトを超えてしまう。)計測され、放射能の影響がないと思われるハウス内の土壌近くで2マイクロシーベルト、腰の高さで5マイクロシーベルト、頭の高さで7マイクロシーベルトを計測した。ハウスでは放射性物質が雨で落ちてきても土に染み込むことはないが、ハウスの屋根の部分に放射性物質がたまっているのでハウスの上空で高い放射線が計測されるわけだ。農作物の放射能の濃度が低くともそこで働く農家は上空から高濃度の放射線を浴びることになってしまう。

 福島では避難地域外にまだ多くの農家がいて、日々、農業に勤しんでいる。特に福島県は有機農業にも力を入れてきており、平成18年には農業総合センターに有機農業推進室が新設、「ふくしま型有機栽培産地づくり推進事業」を実施、県自らが有機JASの登録認定機関となり、有機農業生産者を育成してきた。平成15年では有機JAS認定農業者がわずか24名で全国24位であったものが平成20年には83名で全国5位の有機農業認定者がいる全国有数の有機農業の産地である。作付面積も平成16年度から1,7倍の234ヘクタールにも拡大してきた。ここに原発事故が起こったわけだ。

 6月18日、全国有機農業推進協議会主催で「福島県の有機農業者の現状を聞く」と題して、東京で集会が開催された。その時の様子はインターネットの動画でも見ることができる。現状の報告は全有協の理事であり、福島有機農業ネットワークの事務局の長谷川氏、南相馬市の生産者、安川氏と根本氏、二本松の生産者、菅野氏、福島市の生産者、岩井氏から現状報告があり、大地を守る会、生協パルシステム、IFOAMジャパンから支援状況についての報告があった。

 有機農業生産者の姿勢はどの地域でも同じだ。長い間、農薬・化学肥料を使わず、堆肥を入れ続け、土作りを実施してきた。原発事故によって、せっかく準備していた作業は中止させられた。南相馬市の生産者は稲作の準備が進んでいた。二本松の生産者は馬齢薯を植えようとしていたができなくなった。福島第一原発の事故が起きた時、福島市の生産者のもみの温とう処理を仲間としていた。事故後、行政から作付けを差し控えるように指導がきた。原発近くの生協に出荷している養鶏家は事故が起こった時、理由も知らされないままバスで避難させられた。何も持たず着の身着のままで理由もわからず移送された。

後で、原発事故の事を知ったが、もう2度と鶏舎に帰ることはできなかった。鶏はすぐに水不足で全部死んだ。

 4月12日、国は土壌基準を5000ベクレム以内とし、それ以上が計測された水田1万ヘクタール、7000戸の稲作農家の作付けは禁止された。南相馬市、二本松、福島市では5000ベクレムを下回り、作付けは開始することができることになった。二本松の菅野氏周辺の圃場ではⅠ000-4000ベクレムの放射能が土から検出されている。菅野氏の圃場は4511ベクレムを計測したところもあったが国の基準を下回ったので耕作可能になった。予測では圃場で4511ベクレムあるとその10%である451ベクレムが農産物に蓄積することになる。二本松では現在でも年間にして1,8-9.9ミリシーベルトが計測されている。本人も周辺を計測したら畑で0.1ミリシーベルト、ハウスで0.8ミリシーベルト、苗を洗う河川に近づくと6ミリシーベルトに上昇するそうだ。福島市の岩井氏の圃場は2650ベクレム計測された。これも国の基準を下回り耕作可能となった。福島の有機農家は、国の基準を下回っているので安全であり、福島の農産物は風評被害を受けているだけだと主張する。復興には消費者の協力が必要であり、理解してほしいというものだった。

 国の放射能基準は今年の3月17日に改定されている。基準は国際基準や各国の基準と比較してかなり高いものになっている。3月17日まで日本の放射能摂取許容量はヨウ素131、セシウム134は10ベクレム/キロであったが17日以降、ヨウ素で300ベクレム、セシウム137で200ベクレムにあがった。現在、日本国の基準は牛乳が300ベクレム、葉物で2000ベクレム、その他野菜、500ベクレム、穀類500ベクレム、肉・卵・魚貝類500ベクレムになっている。WHOの食品一般基準は10ベクレム、原発被災国ベラルーシでも野菜の基準は100ベクレム、米国の基準は170ベクレムである。飲料水のWHO基準はⅠベクレム、米国0.1ベクレム、ウクライナで2ベクレムなのに、日本の飲料水基準は300ベクレム(ヨウ素)、なんと世界の300倍の基準なのだ。チェルノブイリ周辺には土壌基準もあり、473ベクレムを越えると耕作不能地となり農作物の生産が禁止される。日本の基準は5000ベクレムなのだ。ちなみに福島県内の土壌調査では南相馬市で780~1042ベクレム、いわき市の一部で488ベクレム、福島市で1896ベクレム~2245ベクレム、二本松で1952ベクレム計測されている。ここはチェルノブイリでは耕作不能地域に指定される。

 福島には長谷川氏を含め、日有研の仲間が大勢、有機農業に従事している。震災や原発事故から立ち直ろうと必死にがんばっている。東北の漁師さんも復興に向かう姿がテレビでも出てきて応援したいと思うが、原発から流れた放射能の影響はどうなのか?考えれば考えるほど、どうにもならないこの現実。原発は恐ろしい、農業者、漁民、第一次産業に従事する人間にとって本当に脅威である。

 

  2011年 6月発行
 

野菜出荷状況(6月-7月上旬)

低温で、ピーマン、万願寺とうがらし等の夏の果菜類の生育が遅れています。オランダえんどう、スナックえんどう、ソラマメは5月下旬から出荷が始まり終了しました。実エンドウはあと少しです。青菜はビタミン菜、青梗菜は少し続きます。

玉葱は葉っぱが倒伏し収穫期に入ってきています。夏大根も出荷が始まりました。リーフレタス、玉レタスも続きます。レタスは梅雨に入るとずるけてくるので生産者も注意して収穫しますが、途中で痛むこともあります。

ニンニクも出荷が始まりました。6月中旬から7月上旬にかけて馬齢薯の出荷も始まります。人参、インゲンなどもコンテナに入ってくる予定です。青シソ、ニラ、キャベツ、ブロッコリー、胡瓜が入るコンテナもあります。

 

今年は、馬齢薯が近年になく良くできていて喜んでいたら、先週の木曜日に一夜で3分の1ほど猪にやられてしまい、がっくり。

前山地区は特に獣害のひどいところで、どんな小さな畑でも全て網で囲われています。それでも毎年、何かの獣害にあいます。去年はサツマイモを植えたら鹿に全部食べられてしまいました。南瓜も鹿に食べられて全滅。直しても直してもぶち破って入ってきます。別の畑に植え替えたサツマイモはこれもヌートリアに襲われ全滅。冬にはハクサイをノネズミにやられ、同じ畑のオランダエンドウとスナックエンドウのノネズミのため壊滅。本当に腹が立つやら、悲しいやら。

今回もこのまま全滅か、と諦めかけたら、慶子さん(妻)が「諦めたらアカン!」とめずらしく乗り出してきました。これまで電気柵も網も何をやっても

一度入って味をしめた猪にはかなわない。

慶子さんによると、唐子が仕込まれている網があると何かで見たらしく、イノシシが噛んだら飛び上がって逃げるらしい。「そんなもん聞いたことないわ。」と反論する私を制しホームセンターへ。結局、唐子付きの網はなかったが、畝の馬鈴薯に直接網をべた掛けしたら、という彼女のアイデアを採用。猪が絡んで嫌がるように網で馬齢薯の畑の全面を覆うことにした。さらに私が外網にさらに網を2重に貼り、入ってこられないように棒で重しをし、慶子さんが思いつきで買ってしまった点滅ライトも設置。ここまでで総額1万5千円也。

ホームセンターには猪の嫌がる、「狼の尿」というのもあったがこれは注文制なので諦めた。こんなことして効果あるんかいな?気休めやとブツブツ言いながらも暗くなるまで慶子さんと対イノシシ防御網を完成させた。

翌日、畑に行ったら昨日時間切れで覆いがない馬齢薯以外は無事であったがその代り近所の人の畑の馬鈴薯が全滅していた。

そういえば、この前、慶子さんホームセンターで見つけてきたノネズミ・モグラ対策の超音波の機械、これも気休めだと思っていたら、設置して以来ノネズミの被害も減ったようだ。しかしこの超音波の機械、ブーブーと畑に鳴り響いて、作業中も超うるさい。人間まで近づきたくない程の効き目だ。

百姓と獣の戦いはこうして延々と続く。

 

6月の農作業

6月はサツマイモの植え付け、田圃の除草、中干し、除草、収穫、トマト、キュウリ、茄子、ピーマンなど果菜類の支柱立て、追肥などがあります。

今年も6月の第1週目にトライヤルウイークの中学生が5日間農作業に従事しました。今年は男の子が2名の参加でした。説明は熱心に聞き、毎年、有機農業に関心を持ってくれる中学生が地元にいてうれしいです。

 

月配分当番

 

木曜ル-ト

金曜ル-ト

求める会  池野

(2週目から橋本に交代)

求める会 一色

求める会 大谷

つどいの会 中井

 

 

月配分当番

火曜ル-ト

木曜ル-ト

金曜ル-ト

求める会  大谷

求める会 橋本

求める会 一色

つどいの会 中井

 

 

ローテーション組み換えの可能性があります

6月行事予定

/6    市有研定例会

/7    丹有研定例会

/12  「福島で何が起こったか? まずは真実を知ることから始めよう。」

      講師:振津かつみ氏 兵庫医科大学

      場所:柏原住民センター2階(13:30-15:00)

 

    続く放射能汚染と食品への不安

 最近、関東方面からの野菜の問い合わせがある。話を聞いてみると、多くは関東で安全な農産物を購入されてきた方で、今回の福島の原発事故以来、食品への放射能汚染の不安から、西日本の安全な農産物を求められておられるようだ。特に若い母親世代は切実で子供を放射能の内部被爆から遠ざけたいという強い思いがある様子で人ごとは思えない不安が伝わってくる。

 放射能汚染の問題は連日のようにあちらこちらで発表され、問題の収拾がつく様子がまったくないようだ。昨日は東京の江東区の汚泥処理施設周辺から高濃度の放射能(2300ベクレム)が検出された。元々、放射能汚染に不安のある江東区の主婦が中心になってガイガーカウンターで自主的に調べ始めたところ政府の発表の10数倍の放射線量(0.2マイクロシーベルト)を検出、神戸大学放射線計測学の山内教授に調査を依頼し事実がわかった。江東区以外でも神奈川、福島等の汚泥処理施設からのすでに高濃度の放射性物質が検出されており、知らずに汚泥を焼却処理しているところから空気中に放射性物質が拡散していたようだ。汚泥処理場では福島第一原発から放出され、各地に拡散した放射性物質が雨などの時に排水講当を通じて集まり濃縮したようだ。

 江東区以外でも住民が自主的に空気中の放射線量の計測を始めており、秋葉原ではガイガーカウンターが飛ぶように売れているらしい。政府発表の数値は新宿では上空18メートルに計測値が設置されていたりして現実から遊離しており、住民が調査した生活圏での数値とは食い違いがある。場所によっては空気中の放射線量が国際的な基準である年間被ばく量1ミリシーベルトを上回る地域があることがわかってきている。

しかし研究者によっては年間被ばく量100ミリシーベルト以下であればなんら健康被害をもたらす心配もないと主張しマスコミ、講演会などで発表していることもある。逆に100ミリシーベルト以下の放射線は逆に健康によく、発がん率を抑制するので心配ないとの意見もある。

最近の研究では低線量被爆であっても発がん性の可能性はあり、安心すべきではないという研究結果もあり、混乱する。

 スリーマイル島原発事故の発表でも、何も健康被害が起こらなかったとする説がある一方、放射性物質が拡散した風向きに多くの白血病患者がいたという発表があり、広島・長崎の被爆者の健康追跡調査でも放射能の影響をわずかであるとする研究者と影響は大きいとする研究者に分かれ、結局、何が正しい情報であるのかさっぱり分からない。

100ミリシーベルト以上であれば急性の健康被害がでることがわかっているが、それ以下である晩発性の健康被害は早くて2-3年、遅い場合で10数年後に出てくるようなので、追跡調査も難しいそうだ。

 また同じ放射能の影響でも内部被爆と外部被爆では異なるはずなのに、一律、数値で安全であるかどうかを判断することも難しい。また今回の福島原発事故の場合は放射性物質が長期に渡り放出されており、原爆など一回で爆発し放射性物質が拡散した場合とは大きく異なるはずである。今回の福島原発の放射性物質の放出量はチェルノブイリ原発のものよりは低いとされているが、それでも今回の事故では37京ベクレムの放射能が放出されており、広島の原爆から放出された放射能をはるかに上回る数値になっている。しかも「文部科学省及び米国DOE(米国エネルギー省)による航空機モニタリング」の結果では福島周辺ではチェルノブイリ原発事故当時を上回る放射能が拡散していたことがわかっている。これは4月29日に日米合同で実施したヘリコプターと航空機から計測したものでこの結果では20キロから30キロ圏外の飯館村などの高濃度汚染地域で300-3000万ベクレムあった。チェルノブイリでさえも最も高濃度な地域が148万ベクレムなのでどれだけ汚染濃度が高いかわかる。

周辺の伊達市、福島市では原発から60キロも離れているにも関わらず、60万―300万ベクレム汚染されている地域がある。それから二本松市、郡山市などでも50キロ離れているが30万―60万ベクレム汚染されていて、チェルノブイリではこのレベルはすべて「強制避難」地域に指定されていた。そこに子供も含め、住民が今も生活しているのである。

 チェルノブイリ原発事故の時、汚染は日本にも達し、三重県の渡会茶は放射性物質が検出されたため、その年のお茶を全て廃棄した。福島原発の事故後も遠い地域でも放射能は検出されている、神奈川県では足柄茶から、最近では静岡茶の一部から検出され出荷が自粛されている。兵庫県(兵庫県立健康生活科学研究所)でも大阪府でも一応行政が雨水、水道水、空気中の放射能測定を実施しており、今のところ検出はされていないらしい。しかし、どのような条件のもとで計測されているのだろうか。兵庫県では農産物の放射能物質の検査を実施していて、4月には県内のハクサイ、キャベツ、レタス、5月にキャベツ、6月にニンジンの分析を行い、放射性物質は一切、検出されていない。

丹波市有機農業研究会で放射能の計測機を購入する方向で話が進みつつある。

 しかし、近場の農産物が大丈夫であっても、それ以外から入ってくる農産物や海産物はどうなのでろうか。5月3日から5日までのグリーンピース(環境NGO)調査では福島原発の沖合50キロで採取した海藻から1キログラムあたり13000ベクレム以上の放射性物質が検出された。また昆布、フクロノリなどからも23000ベクレム以上検出された。こうなると近辺もしくは同じ海域での魚貝類ももっと詳しく調査をする必要がある。大量に放出されて汚染された大地、海、「風評被害」と言われるが本当に「風評」なのか心配である。 

汚染地区の復興を進めるより、周辺の農家、漁業関係者を他の地域に移住してもらって、継続して仕事ができるように支援する形を作るべきではないか。

 

  2011年 5月発行
 

野菜出荷状況(5月-6月上旬)

低温のため野菜の生育は遅れに遅れています。4~5品のコンテナが続き心苦しく思っています。畑の野菜のみならず、夏野菜苗の生育もゆっくりで今後の作付けにも大きく影響するのでは、と心配しています。畑の乾きは十分で準備万端、いつでも植えられるようにはなっているのですが・・・。

筍は不作でありませんでした。青菜では法連草、小松菜。リーフレタス玉レタス、キャベツ、ブロッコリーなど出荷されます。ニンジン葉、大根菜などの間引き菜も今後順次出荷される予定です。

例年のことですが春は虫が発生しやすので青菜も冬のものに比べ虫喰いが多いですがご了承下さい。

タマネギは早生品種のものが出てきます。キヌサヤ、実えんどう、スナックえんどう、ソラマメなどの豆類も5月末から出始め6月にピークを迎えます。

 中井さんは馬鈴薯を小動物に荒らされ困っているそうです。

5月の農作業

 5月は農繁期です。トマト、ピーマン、胡瓜、南瓜、インゲン、トウモロコシ、茄子など果菜類の植え付けの他、青菜類の収穫、人参や夏大根などの間引き作業。今年は5月に入っても寒い日があり、霜や霰に苗がやられないように気を付けねばなりません。雨が多くなると、温度も同時に上昇するので畑は草だらけになって除草もせねばなりません。また、順調に成長し始めると植えつけたトマト、ピーマン、茄子、胡瓜、インゲンが一気に伸びてしまって、網はりや棒たて(ていたて)もしなければなりません。そのうち豆類(豌豆)が大きくなって収穫作業、6月上旬にはサツマイモを植え付けしますのでその準備、同時に田植えもあり、鴨を放す頃には鴨の育成もせねばなりません。鴨は初期が大切で、田んぼに放した後もカラスに襲われないように注意したり、雨が続くと寒さで死んでしまいます。

5月は1年の間でも9月に並ぶ忙しさ。5月にどれだけ作業が進むかで、夏野菜、さらには秋野菜の状況にも影響します。ここが踏ん張りどころと、くたくたになりながら連日、がんばっています。

5月配分当番

火曜ル-ト

木曜ル-ト

金曜ル-ト

求める会  橋本

求める会 大谷

求める会 池野

つどいの会 中井

 

 

6月配分当番

火曜ル-ト

木曜ル-ト

金曜ル-ト

求める会  池野

求める会 一色

求める会 大谷

つどいの会 中井

 

 

 

5月添乗当番

農繁期につきありません  

 

5月行事予定

 /23 求める会総会:大勢の会員さんや遠方からの来賓の出席があり、

      例年通り大変盛況でした。毎年、求める会の総会に出席させて頂く度、提携

      もまだ大丈夫と希望がわいてきます。今年は脱原発アピールもされました。

/26 つどいの会総会:代表の中村さんから、生産者が前向きに頑張ろうとする姿を見るとまたファイトが出てくる。会員は少しずつ減少しているが、役目が終わったと思わず、次世代に引き継ぐまで頑張りましょう、とご挨拶があり、大変勇気づけられました。

 

/2  市有研定例会

/9  市島有機出荷組合定例会

/21 兵有研理事会 

 

5月定例会議事内容

予想以上の生育遅れのため端境期の延長を検討したが、そろそろ出てくるのではとの希望的観測に基づいて予定通り5/10(火曜ルート)から毎週配送。

 

原発事故

 3月11日震災の日、日本有機農業研究会の大会があった福井の武生駅前でもらった号外には「福島第一原発、炉心溶融!」と書かれていた。25年前のチェルノブイリの原発事故当時の記憶が蘇り、もう、この世の終わりだと思った。とにかくヨード製剤を準備して、子供を救わねばと思った(が、これは少し早急すぎた)。 

チェルノブイリの原発事故以降の数年、日本では反原発の運動が盛り上がっていた。もともと広島出身で父の被爆体験を聞いていたので大変関心があり、大阪でデモ行進にも参加したし、勉強会にも熱心に参加し、本も沢山読んだ。

当時はたった1つの原発事故で世界中がパニックになっていた。チェルノブイリから8000キロ離れた、日本にも放射能の影響があり、三重の無農薬栽培のお茶農家が放射能検出されて、その年収穫したお茶を全て焼却したことが原発の影響の大きさを指し示すものであった。

また欧州の人たちは放射能の影響を気にしながら食品を食べるはめになった。イタリアでは原発を恐れ、国民投票で国内では原発を推進しないことになった。ドイツでは有機栽培農家が放射能を浴びた農産物が売れなくなったことも聞いた。安全・安心であればこその有機農産物であり、放射能で汚染されれば一番被害を被る。

今回の福島第一原発の事故でも、長年堆肥を入れ、土作りをしていたキャベツ農家が自殺された。大変、残念なことである。

このキャベツ農家のみならず、第一次産業に携わる者は、今回のような事故があると、非常にきびしい状況に立たされる。農業も漁業も自然界の営みとは切っては切れない関係にある、自然の土が汚されるとわが身も汚される、まさに身土不二の関係にある。思えば、市島町有機農業研究会がゴルフ場問題に直面した時も、我々有機農家や消費者は単に安全なものが届けばそれでいいのかということが議論になった。

 現在、世界には211か所に原発が存在するそうだ。そしてその半径30キロ圏内にいる人口を合計すると9000万人ぐらいいるらしい。そのうち1600万人は米国人で、中国、ドイツ、パキスタンにそれぞれ900万人、台湾、インド、フランスにはそれぞれ500万人から600万人近くの人々が暮らしている。これを75キロ圏内に拡大すると、米国には11000万人、中国に7300万人、インドで5700万人、ドイツに3900万人、日本に3300万人の人々が暮らしている計算になる。つまり、かなりの確率で人類は原発事故に将来、遭遇する可能性を秘めているわけだ。

チェルノブイリの原発事故が起こった当時、日本では原発事故は100%起こり得ないと電力会社の人たちは説明していた。しかし、世の中に100%ということがあるのか?当時から胡散臭く思っていたがまさに悪い予感が的中した。1979年に米国のスリーマイル原発事故、1986年にはチェルノブイリ原発事故、そして今回は深刻な福島原発事故だ。どの事故でも被害は甚大でとてももと通りに戻すことなどはできそうにない。このまま続けると、次はどこで起こるのかということになってくる。

 管総理の英断(?)により、一番、心配であった浜岡原発は運転停止が決定した。

しかし、地震の心配は日本どこでも同じである。特に四国の伊方原発、九州の川内原発も地震の震源地になる可能性が高い。また浜岡原発の運転は中止しても放射性物質を放出する燃料棒はそこにあるわけであるから、心配が回避されたことにはならないのではないか。福島でも使用済みの核燃料施設で水素爆発があったのは事実だ。

また、浜岡原発停止に伴って、また電力不足の問題が浮上してきている。原発を停止すると電力が不足し、産業や景気に影響を及ぼすという。

しかし2009年の駿河湾地震のおり、浜岡原発は811日から914日まで地震後の検査で停止しており、特に節電の呼びかけなしで夏の電力ピークを乗り切った実績がある。本当に、原発を止めると電力が不足するのか。京都大学・原子炉実験室の小出氏によれば、日本の発電所の平均稼働率は50%ぐらいで、発電量の多くを占める火力発電の設備利用率は70%くらいなので、原発を止めても計算上は夏のピーク時であっても電力供給不足は起こらないそうだ。原発に反対するなら、電気を使うなと言われるが、全ての発電所の実質的な稼働率からすると原発はわずか18%で、よく言われる電気の30%は原発であるというのは稼働利用率のことであるようだ。もちろん節電することはどの時代であれ大切なことである。

 原発問題については調べれば、調べるほど複雑でさまざまな利権も絡んでおり、解決の道は難しい。

私の父は原爆が広島に投下された時、広島駅にいて被爆した、父の同級生の多くが被爆後、ガンなどで亡くなったそうだが広島に住んでいた我々でさえ、「被爆」とか「放射能」の危険性について教わっていない。よく考えれば日本は世界で唯一の被爆国なのに誰も放射能の影響について教育を受けていないのはどうしてなのだろう。

今回の福島の原発事故で放出された放射線量は広島の原爆の48倍だという説もあるそうで、もしそれが事実なら大変なことだ。本当に、東北、関東に住んでいる友人、親戚は安全に暮らしているのか?テレビの専門家の説明では外部被ばくと内部被ばくのことがごっちゃになっており、とにかく大丈夫であると強調するのみで余計に不安だ。魚介類も検査には頭と内臓を省いて検査しているとか、飯館村では土を深く掘り下げて採取したので高い数値がでなかったとか、安全といいながら、最近、いわき市の下水汚泥から334000ベクレムの放射能が検出されたとか、福島原発近辺の海水から非常に危険なストロンチウムが検出されたとか。何が真実かなかなか見えてこないのが現状であり、だからこそ原発は恐ろしいのであろう。我々はもっと事実を知ろうとする必要があるのではないか。

 広島でも原爆投下後、放射能の影響によってさまざまな被害がでた。白血病、ガン、目に見えない放射能に怯え、広島の人々は「被爆者」との結婚を躊躇した。また原爆症に苦しむ人には鯉を食べるのがいいらしいなどあまり科学的でない噂も広がり、鯉の養殖をする人も増えたそうだ。

しかし、今回の福島の現状を見ていると、福島ナンバーの車がガソリンスタンドで給油を拒否されたとか、福島から避難してきた子供が学校で差別にあったとか、広島で66年前に起こったことがまた繰り返されているわけだ。

広島では原爆以降、ノーモアヒロシマを合言葉に平和公園ができ、広島では毎年平和コンサートや平和式典、平和の名のつくイベントが数々開催されてきた。ところが今回の福島原発で66年前の経験や体験は少しも活かされず、それどころか被爆国である日本人自身が放射能のことをなにも知らずにいたことが解ったのではないか。綺麗ごとの平和運動で実質が伴わないのであれば意味がないではないか。自分自身も被爆2世として恥ずかしいことであると思う。

 原発から一基から毎年ドラム缶1000本分の「低レベル放射性物質」がでるそうだ。これが安全なレベルに達するまで300年かかるそうだ。どこにこれを300年間も保管するのか?気の長い話であるし、非現実的な技術であると思う。非現実的なエネルギーに我々人類の行く末を左右されるのはまっぴらだ。

                                     


                   
 2011年 4月発行

 

新年度にあたり代表挨拶

東北の大震災から早1ヶ月経ちますが、あまりの惨状に心がふさがる思いです。この場をお借りしてお見舞いとお悔やみを申し上げます。今回は地震に加えて阪神淡路大震災の時には無かった津波と原発事故が加わって、なかなか先が見えないように思います。

地震と津波は天災ですが、原発事故は人災です。福島のキャベツ農家さんが出荷停止決定の翌日に自殺をした、というニュースを聞いてからは他所事ではなくなりました。減農薬で栽培方法にこだわっていた方だということですから、これまでの土作りの苦労が土壌汚染で一瞬にして水の泡になることに絶望されたんだろうと推察します。人間は避難できますが、畑は動かせません。

また今回の事で、原子力発電所に絶対安全は無いということが判明しましたので、危険の可能性のある原発の停止を求めて行動に移したいと思います。環境問題と食の安全を追求する、運動体としての研究会の本質に戻って、志を同じくする各団体と協力しながらしっかりと取り組みたいと思います。

今年の事業目標は、

本年度限りで残念ながらG90の会としての存続かなわないということが正式に決定し、寂しいかぎりです。しかし、ありがたいことに市有研の野菜を食べ続けたいと言ってくださっているので、できる限りのことをやっていく所存です。9月から合同コンテナに戻して送料込の野菜コンテナの配送から精算方法を簡略化、毎週の野菜伝票から、請求書、自動引き落としまで、市有研の責任で行いたいと思います。

今現在行っている、G90の宅配便も合同コンテナ化できないものかと、模索していますが、定額制と宅配業者の集荷時間の問題で、9月までにこれも何とかクリアしたいと思います。

定額制にすると、新しい方にも入ってもらいやすいでしょうし、前払いしてもらうことも可能で、今後の会員拡大に向けて一石二鳥のように思います。

宅配業者の方も交渉しますが、現行の出荷時間をずらさないといけないかもしれません。しかし、うまくいくと求める会に入って頂いた地域外会員さんにも、合同コンテナを宅配でお送りできるようになるし、ある程度の譲歩は仕方ありません。

1月からご迷惑をかけていますが、店舗会員さんの注文方法も、きちんと整備しないといけません。月始めに出荷予定野菜リストをお渡しし、注文書をFAXで送り返してもらうというやり方で当面やっていこうと思います。

22年度のお約束の基準の順守と品質チェック、顔の見える関係の再構え築は今年度も引き続き取り組みます。昨年12月に市島で開催した有機農業祭は当初、消費者の皆さんに泊まりがけで来てもらって、ゆっくり交流しようと思っていたのですが、企画の途中から違う方向へ進んでしまい残念ながら、思い描いていたものとはかけ離れたものとなってしまいました。また機会がありましたら、大勢の消費者の皆さんとお出会いできる企画を提案したいと思います。

丹有研で昨年度末、野菜ボックス販売を目的にしたリーフレット作成致しました。市有研の分も作ってもらいましたので今後の会員募集などにおおいに活用したいとおもいます。野菜コンテナの中に随時入れさせていただきますので、ご近所、お友達にお勧めください。

ここ数年、市島町は“有機の里”として方々で名前が売れてきているのだそうです。市有研も是非この機会に元祖や本家を付けてもっともっとアピールしていきたいと思います。

 

野菜出荷状況(4月-5月上旬)

 寒暖の差が激しく、野菜のトウ立ちが始まっています。ちょっと油断していると花芽が付いてしまうので、危なそうなものは出来るだけ早く出させてもらおうと、ブロッコリーを2袋づつ入れさせていただいてます。

葱、ブロッコリー、水菜、キャベツが出荷されていますが、気温の変化によっていつまで続くかはわかりません。ハウスの菊菜、ほうれん草、サラダ水菜も量が減ってきています。

 

4月の農作業

 4月は農繁期。ピ-マン、トマト、茄子、胡瓜、南瓜など夏野菜の育苗が始まります。豌豆類の除草、春野菜の畝立てに施肥作業。小松菜、ラディシュ、ほうれん草、ビタミン菜、サラダミズナ、青梗菜など青菜の種まきと収穫。田圃の代掻きや苗作りなど忙しい毎日です。

 

月配分当番

火曜ル-ト

木曜ル-ト

金曜ル-ト

求める会  一色

求める会 池野

求める会 橋本

つどいの会 中井

 

 

 

月配分当番

火曜ル-ト

木曜ル-ト

金曜ル-ト

求める会  橋本

求める会 大谷

求める会 池野

つどいの会 中井

 

 

 

4月行事予定

/4    市有研定例会

/5    丹有研定例会

/9    市有研総会

/23   求める会総会

/26   つどいの会総会

日本有機農業研究会大会

3月12日、日本有機農業研究会の福井大会が越前市で開催された。

大会開催前日、3月11日には日本有機農業研究会の幹事会が開催されていた。幹事会は各地からの幹事が集まり、大会前日に開催されるのが慣例だ。午前中に鶏舎の仕事を終え、特急に乗って、福井の会場に昼ごろ到着した。会場の越前市は古い街並みが残る美しい町だ。幹事会は2時から始まった。会議が始まってしばらくした頃、代表の佐藤喜作氏から、何かとてつもなく大きな地震が東北であったらしいとの報告が入った。関東の幹事会メンバーは即座に家族と連絡を取り合い、ほぼ皆無事であるようだった。ただ、鹿児島から来られた東北出身の方が親戚と連絡がつかず心配されていた。

 しばらくすると福島原発での事故のニュースが報じられ、会議はたびたび中断し、参加者も気がそぞろになった。普段、東北からも大勢幹事の方がお見えになるが今回参加者は少なかったため東北の状況は不明であった。被害が明らかにになるに従って、関東でも一部被害が出ていることがわかり、茨城の空港が津波にのまれる様子を映していいた。茨城から来られていた生産者の魚住さんは翌日帰られることになった。

夜懇親会のあと、震災のことが気になったので早々に部屋へ帰り、テレビをつけたら気仙沼市が火の海になっていた。思わず阪神大震災を思い出した。阪神大震災では神戸は近いので避難所の小学校の炊き出しに市島からボランティアで参加したが、東北は遠い。 

翌日の夕方、JR武生駅前で、福井新聞の号外が配られた。見出しには「福島原発、炉心溶融。」と出ていた。日本もチェルノブイリの二の舞になったのかと頭が真っ白になりながら家に電話し、子供のためにヨード製剤を準備する必要があることを伝えたが、妻の反応はあきれるほどのんびりしていた。

 

日本有機農業研究会では東北の有機農家を対象に支援プロジェクトを検討しているがこの混乱の中、まだ具体化していない。我が家には農家の被災者の受け入れの打診の連絡があった。被災対策の窓口を設置し義援金、ボランティア、協力者も募集している。

 連絡先は: 〒113-033 東京都文京区本郷3-17-12-501

       特定非営利活動法人 日本有機農業研究会事務局

       電話:03-3818-3078

       ファックス:03-3818-3417

       メール: info@joaa.net

義援金は: ゆうちょ銀行

     口座番号:00180-0-165363

     口座名: 日本有機農業研究会



 2011年 3月発行
 

新年度にあたり代表挨拶

東北の大震災から早1ヶ月経ちますが、あまりの惨状に心がふさがる思いです。この場をお借りしてお見舞いとお悔やみを申し上げます。今回は地震に加えて阪神淡路大震災の時には無かった津波と原発事故が加わって、なかなか先が見えないように思います。

地震と津波は天災ですが、原発事故は人災です。福島のキャベツ農家さんが出荷停止決定の翌日に自殺をした、というニュースを聞いてからは他所事ではなくなりました。減農薬で栽培方法にこだわっていた方だということですから、これまでの土作りの苦労が土壌汚染で一瞬にして水の泡になることに絶望されたんだろうと推察します。人間は避難できますが、畑は動かせません。

また今回の事で、原子力発電所に絶対安全は無いということが判明しましたので、危険の可能性のある原発の停止を求めて行動に移したいと思います。環境問題と食の安全を追求する、運動体としての研究会の本質に戻って、志を同じくする各団体と協力しながらしっかりと取り組みたいと思います。

今年の事業目標は、

本年度限りで残念ながらG90の会としての存続かなわないということが正式に決定し、寂しいかぎりです。しかし、ありがたいことに市有研の野菜を食べ続けたいと言ってくださっているので、できる限りのことをやっていく所存です。9月から合同コンテナに戻して送料込の野菜コンテナの配送から精算方法を簡略化、毎週の野菜伝票から、請求書、自動引き落としまで、市有研の責任で行いたいと思います。

今現在行っている、G90の宅配便も合同コンテナ化できないものかと、模索していますが、定額制と宅配業者の集荷時間の問題で、9月までにこれも何とかクリアしたいと思います。

定額制にすると、新しい方にも入ってもらいやすいでしょうし、前払いしてもらうことも可能で、今後の会員拡大に向けて一石二鳥のように思います。

宅配業者の方も交渉しますが、現行の出荷時間をずらさないといけないかもしれません。しかし、うまくいくと求める会に入って頂いた地域外会員さんにも、合同コンテナを宅配でお送りできるようになるし、ある程度の譲歩は仕方ありません。

1月からご迷惑をかけていますが、店舗会員さんの注文方法も、きちんと整備しないといけません。月始めに出荷予定野菜リストをお渡しし、注文書をFAXで送り返してもらうというやり方で当面やっていこうと思います。

22年度のお約束の基準の順守と品質チェック、顔の見える関係の再構え築は今年度も引き続き取り組みます。昨年12月に市島で開催した有機農業祭は当初、消費者の皆さんに泊まりがけで来てもらって、ゆっくり交流しようと思っていたのですが、企画の途中から違う方向へ進んでしまい残念ながら、思い描いていたものとはかけ離れたものとなってしまいました。また機会がありましたら、大勢の消費者の皆さんとお出会いできる企画を提案したいと思います。

丹有研で昨年度末、野菜ボックス販売を目的にしたリーフレット作成致しました。市有研の分も作ってもらいましたので今後の会員募集などにおおいに活用したいとおもいます。野菜コンテナの中に随時入れさせていただきますので、ご近所、お友達にお勧めください。

ここ数年、市島町は“有機の里”として方々で名前が売れてきているのだそうです。市有研も是非この機会に元祖や本家を付けてもっともっとアピールしていきたいと思います。

 

野菜出荷状況(4月-5月上旬)

 寒暖の差が激しく、野菜のトウ立ちが始まっています。ちょっと油断していると花芽が付いてしまうので、危なそうなものは出来るだけ早く出させてもらおうと、ブロッコリーを2袋づつ入れさせていただいてます。

葱、ブロッコリー、水菜、キャベツが出荷されていますが、気温の変化によっていつまで続くかはわかりません。ハウスの菊菜、ほうれん草、サラダ水菜も量が減ってきています。

 

4月の農作業

 4月は農繁期。ピ-マン、トマト、茄子、胡瓜、南瓜など夏野菜の育苗が始まります。豌豆類の除草、春野菜の畝立てに施肥作業。小松菜、ラディシュ、ほうれん草、ビタミン菜、サラダミズナ、青梗菜など青菜の種まきと収穫。田圃の代掻きや苗作りなど忙しい毎日です。

 

 

4月行事予定

/4    市有研定例会

/5    丹有研定例会

/9    市有研総会

/23   求める会総会

/26   つどいの会総会

日本有機農業研究会大会

3月12日、日本有機農業研究会の福井大会が越前市で開催された。

大会開催前日、3月11日には日本有機農業研究会の幹事会が開催されていた。幹事会は各地からの幹事が集まり、大会前日に開催されるのが慣例だ。午前中に鶏舎の仕事を終え、特急に乗って、福井の会場に昼ごろ到着した。会場の越前市は古い街並みが残る美しい町だ。幹事会は2時から始まった。会議が始まってしばらくした頃、代表の佐藤喜作氏から、何かとてつもなく大きな地震が東北であったらしいとの報告が入った。関東の幹事会メンバーは即座に家族と連絡を取り合い、ほぼ皆無事であるようだった。ただ、鹿児島から来られた東北出身の方が親戚と連絡がつかず心配されていた。

 しばらくすると福島原発での事故のニュースが報じられ、会議はたびたび中断し、参加者も気がそぞろになった。普段、東北からも大勢幹事の方がお見えになるが今回参加者は少なかったため東北の状況は不明であった。被害が明らかにになるに従って、関東でも一部被害が出ていることがわかり、茨城の空港が津波にのまれる様子を映していいた。茨城から来られていた生産者の魚住さんは翌日帰られることになった。

夜懇親会のあと、震災のことが気になったので早々に部屋へ帰り、テレビをつけたら気仙沼市が火の海になっていた。思わず阪神大震災を思い出した。阪神大震災では神戸は近いので避難所の小学校の炊き出しに市島からボランティアで参加したが、東北は遠い。 

翌日の夕方、JR武生駅前で、福井新聞の号外が配られた。見出しには「福島原発、炉心溶融。」と出ていた。日本もチェルノブイリの二の舞になったのかと頭が真っ白になりながら家に電話し、子供のためにヨード製剤を準備する必要があることを伝えたが、妻の反応はあきれるほどのんびりしていた。

 

日本有機農業研究会では東北の有機農家を対象に支援プロジェクトを検討しているがこの混乱の中、まだ具体化していない。我が家には農家の被災者の受け入れの打診の連絡があった。被災対策の窓口を設置し義援金、ボランティア、協力者も募集している。

 連絡先は: 〒113-033 東京都文京区本郷3-17-12-501

       特定非営利活動法人 日本有機農業研究会事務局

       電話:03-3818-3078

       ファックス:03-3818-3417

       メール: info@joaa.net

義援金は: ゆうちょ銀行

     口座番号:00180-0-165363

     口座名: 日本有機農業研究会



                                    

 

2011年 2月発行

野菜出荷状況(2月-3月上旬)

今年の冬はよく雪が降りました。ここ数年、市島では暖冬が多かったので、雪が降ってもその日のうちに溶けて乾いてしまいあまり雪害も見られませんでしたが今年は大変でした。市有研生産者にはひどい被害はありませんでしたが、近所では何棟かのハウスが雪の重みでぐしゃぐしゃになっていました。私は心配なので雪降る中、凍えながらハウスの屋根の雪降ろしをしました。

12月31日の大みそか、家族で買い物に行ったら、大雪で路面はツルツル、頼りの4輪駆動の自家用車も役に立たず、恐ろしくなって引き返す始末。1月16日も大雪の中、家族で福知山まで出て帰る途中、峠で滑って路肩に突っ込んだトラックに接触事故を起こした数台が道路を塞ぎ大渋滞。警察車両到着後警官の誘導で片側通行で峠を降りた後も5~6台は雪で何らかのトラブルに巻き込まれていました。

畑の雪もなかなか溶けず作物も雪焼けしているものも見受けられます。一色さんの畑の葉物、橋本の畑のキャベツも凍傷しています。雪が降ると収穫作業も大変です。ニンジンも大根も、水菜も、チンゲン菜も全部、雪の下ですから、どのあたりにあるか、雪の山になっている所を感で掘り、雪の下の野菜を探すわけです。寒いので軍手をして、さらにゴム手袋をして手で雪の中から野菜を探します。ズボンもスキー用のものを使います。吹雪いている時の収穫は大変ですが、雪が止んだら空は真っ青、雪が太陽に反射して、収穫していると汗もでてきて妙に心地よいものです。まるでスキー場にいるみたいです。

ところが、2月に入って、2~3日前から今度は突如として3月上旬並みの陽気です。このままの 暖かさが続くと一気にトウ立ちするのではと心配です。最近の天候はさっぱり読めません。

野菜は 葱、大根、人参、チンゲン菜は続きます。法連草、小松菜、里芋(池野)、ビタミン菜、菊菜、水菜、ハクサイB,キャベツ、ブロッコリーの入るコンテナもあります。菜の花類(菜の花、紅菜苔、オータムポエム)はまだまだこれからです。大谷さんの畑では鹿に大根の半分を食われたそうです。鹿の害はうちでも何回かありました。春キャベツは半分くらい食われました。畑に侵入する鹿も多く、1月だけでうちの畑でオス鹿が2回も網に引っ掛かって身動きがとれなくなっていました。そういう時は役場に連絡すれば、猟友会の人たちが来られ、あっという間に始末してくれます。今回は研修生の浦田君が猟友会の人についていき、シカ肉をどっさりもらっていました。私も何回か鹿肉をいただきましたが、それほどおいしいものではないようです。

その数日後、今度は研修生の浦田くんの畑でも1頭引っ掛かり、角に網が絡んだまま、鹿は逃げ回りそれがさらに反対側の電柱に絡み、道路が通行止めになり、警察が朝から出動していました。最近、鹿が群れをなして出没します。山には食べ物が少なくなっているのでしょうか? 

鹿以外にもノネズミの被害もありました。いつも順調に生育するハクサイですが、今年は秋になってもいつまでも暖かく、害虫が大発生し、あっという間に虫食いだらけになってしまいました。少し遅れて植えたハクサイは、結球するかどうか心配ではあったのですが、こちらは順調に生育し綺麗にできました。ところが畑にいったら、その結球途中のハクサイが何個かゴロゴロと転がっているのです。見たらハクサイの芯が食いちぎられていて、植わっていたところに大きな穴が。どうも今度は土の中に住んでいるノネズミがハクサイを土中から食い荒らしていようです。

少し暖かくなったら、ヒヨドリの被害もふえてきています。池野さん、橋本、中井さんの畑ではヒヨドリの食害が見られます。ブロッコリー、キャベツの葉っぱをバリバリに食いちぎります。ヒヨドリは日本では昔から馴染みのある野鳥で、大きさは28cmぐらいで、ムクドリに似ていますが、より灰色が強く、尾は長めです。波形を描いて飛び、はばたいて一か所に止まる技も持っています。大きな声で鋭く「ピーヨ、ピーヨ」とけたたましく鳴きます。食われないように上から網を被せたりしますが、網の間を潜ってやってきます。かなりしつこい奴で、まさに畑のギャングです。一般的には主に柑橘類に被害があるそうです、野菜ではアブラナ科のキャベツ、ブロッコリー、小松菜、ハクサイを食し、時折、ほうれん草も食い荒らしています。農作物の有害鳥類ではカラスの被害が一番多いそうですが、ヒヨドリはそれに次ぐそうで、特に果物農家泣かせの野鳥です。いつも被害が1月から3月頃なので、それ以外の時期にはどこに行っているのか調べたら集団で移動しているようで、冬になると北の方から、西南暖地に移動してくるようです。畑の外からは猪鹿、土中からはノネズミ、空からはヒヨドリ、野菜の敵は方々からやってきます。

 

2月の農作業

 2月に入ると、本格的に種まきが始まります。レタス、トマト、ミニトマト、ナス、ピーマン、万願寺唐辛子などの種をまき、発芽させポットに移植して苗作りを行います。 

うちの部落では2月3日に節分祭が催されます。特に豆撒きをしたり、鬼が出たりというような派手なものではないのですが。立春に季節の始まりと農業の開始をお祝いして行事が行われます。今年はうちが祭り当番に当たっているので、同じ当番のご近所さん3軒で準備をすすめました。うちの横にある、小さな神社に大きな枯れ木を集め、山型に組みます。2時間くらいは燃やし続けないといけないので大量に山から伐採した薪を積んでおく必要がありまです。

お社には大根、魚、餅、塩、お酒を供えます。大根はうちの畑のもの、魚は腐ったらもったいないので冷凍塩サバを買ってきました。塩はうちの自然塩を、餅は鏡餅を頼んだら後で分けるのが大変なので当番長のアイデアで今年うちで使ったプラスチック鏡餅に小餅を買って詰め、セロハンテープで貼り、再生したものを利用させてもらいました。ばちが当らないかちょっと心配です。

お酒はお供えした後、訪れる人に振舞います。山型に積まれた木に夕方6時ごろに点火し、8時ごろまでお参りの人を迎えます。真っ暗でさみしい山の中で煌々とたき火が燃え上がります。参拝は近所の人たち、2~3人づつ連れだってで来られます。参拝し、火にあたりながらお酒を頂き、世間話をして帰られます。老夫婦、子供たち、仕事帰りのお父さん、お母さん、部落の人たちが皆やってきて暖かいたき火の炎の周りで談笑しています。空には冷たい冬の星が広がっていてなんとも素朴な行事です。

/7     丹波有機農業出荷組合の話し合い

/12-14 日本有機農業研究会福井大会・総会

 

2月定例会議事内容

作付け野菜の面積調整

 2月19日の作付け会議に向け、お互いに提出して作付け表を見ながら、作付面積を調節した。                           

 

     英国土壌協会生産者の日本訪問

2月24日から3月3日、英国土壌協会の生産者と関係者が5名、日本に来られ、お世話をすることになっています。10月下旬に日本から、私、本野氏、赤城氏を含む6名で英国を訪れ、市有研だよりでも報告してきました。このプログラムは交流目的なので、今度は英国側が日本を訪れることになります。

来日されるのはフィルさん、英国土壌協会の理事をされており、次期、協会の代表候補にもなっています。農場を運営し、自然食品店「ベターフードカンパニー」も運営されています。それからジェイドさん、女性です。ストラウドCSA農場をやっている生産者です。英国土壌協会のCSA普及員もしていて、CSAの英国での拡販活動もされています。グルーメさん、有機畜産の生産者で、豚や牛を飼っておられます。新規就農者で、古い農場を買い取って、豚や牛をハムやソーセージに加工して販売されています。土壌協会の生産者理事もされています。マットさんはロッキシーバレーCSA農場を運営されています。やはり土壌協会のCSA普及員をされています。他のメンバーより1週間前に日本に到着されるそうです。メリサさん、サステインというNGOの職員です、主に食品生協(フードコープ)の仕事をされています。一行は24日に学生青年センターに集合し、神戸の渋谷さんの所やコープ自然派を見学、25日には市島にも訪れます。27日に兵有研の総会に参加してもらい、英国土壌協会、英国の有機農業、CSAや農場の様子をスライドを見ながら、説明してもらいます。その後、関東に移って、八郷町や並木農園にも行かれます。3日には関西に帰ってきて京都で観光し帰国します。27日の総会の後、懇親会にも参加されます。関心のある方は是非、参加してください。


                 
2011年 1月発行

 野菜出荷状況(1月-2月上旬)

根菜類は大根、人参、カブ、里芋、葉物は葱、ミズナ、小松菜、ビタミン菜、チンゲン菜、タアサイが順調に出荷されています。菜の花、紅菜苔、オータムポエムなども出始めます。キャベツ、ハクサイが引き続き交互に入ります。その他、ブロッコリー、カリフラワー、菊菜、ほうれん草、などが入るコンテナもあるでしょう。

1月の農作業

野菜の収穫作業、堆肥播き、育苗ハウスの清掃、 野菜の収穫作業、堆肥播き、育苗ハウスの清掃。

有機農業の歴史

市島町と消費者の提携を結んだ、近藤正氏

 消費者の皆さんは近藤正氏を知っておられるだろうか。元全国愛農会会長で市島に初めて有機農業を導入された方である。市島町有機農業研究会も彼の呼びかけで生産者が集まり、30名を超える当時では大きな有機農業出荷団体の創設に大きな役割を果たされた。

わたしは最近、近藤氏の孫である近藤篤氏を通じて、「愛農の道」(近藤正著)という本に出会い、今まで語られることのなかった人物像が判明した。

 近藤正氏は明治42年、市島町で農家の父市蔵、母ちえの間に生まれた。一家は貧しく、学力には自信があった正氏であるが進学ができず、小学校卒業後、高等科に2年通い、西宮酒造の蔵人として働くことになった。造り酒屋の仕事は毎日午前2時に起床、5時まで労働、7時まで仮眠という過酷な労働であったが、休み時間を利用して独学し中学卒業資格をとり、18歳のときに農業専門正教員の試験に受かり農業学校の教員となる。淡路島の津名郡生穂第一小学校の高等科で農業を教え、のちに兵庫県実業学校教員養成所に入学、卒業後の昭和6年に氷上郡吉見村農業公民学校の教員に赴任する。その後、国領村外三か町町立東南青年学校教員、氷上郡兵東高等学校学長、篠山農学校主事を務める。

昭和24年に愛農会との出会いがあり、兵庫県愛農会会長に就任、昭和35年に全国愛農会会長になり農民の生活改善に帆走する。愛農会との関わりの中、日本有機農業研究会を設立した一楽照雄氏や農薬のかかった農産物の危険性に警鐘をならしていた奈良の医師、梁瀬義範氏に出会い、今まで歩んだ農業の道に根本的な誤りがあるのではないかと感じ、昭和47年に有機農業を開始する。当時、家では3000羽の養鶏をやっており、鶏糞堆肥を利用して無農薬、無化学肥料で有機農業を実践した。

 昭和48年に神戸学生青年センターで行われた有機農業研究会に出席し、始めて消費者が無農薬の安全な農産物を探していることを知る。昭和50年2月5日に、柏原町で保田先生の講演会を聞き、2月15日に町議員、産業課課長を連れて、兵庫県有機農業研究会の会合に出席、消費者との話し合いの末、米・根菜類を中心に農産物の取引きに踏み切ることを約束する。2月18日に愛農会本部で福岡正信氏の講演会があり、愛農会に自然農法研究会を設立することを決定、2月27日に愛農高校で出向いた際、偶然、土壌微生物の研究をしている、内城本美氏に出会い、連日の偶然とは思えない数々の出会いの中で市島町に有機農業研究会を設立することを決意。3月18日、有志農家30名が集まり、市島町有機農業研究会が設立することになる。残念ながら同年7月9日に亡くなられたので、8月に市島から始めての有機農産物、南瓜が届けられるのを見届けることはできなかった。

 私は昨年末、保田先生に近藤氏がどんな人物であったか尋ねてみた。保田先生もあまり深い付き合いが始まる前に亡くなられたのではっきりしないが、「豪快な人で、あれだけたくさんの農家(30名)も集めたのだから人望のある人であったに違いない。」と言っておられた。近藤氏の本には市島町有機農業研究会の設立を祝してこうも書かれていた、「もう日本の農業も資本主義的なやり方から、小農的家族労力による複合経営へ転換しなければならない時期となっている。農政学者よ目覚めよ! 政治家よ目覚めよ! とわたし(正)は警鐘を乱打しつづける決意である。有機農業をこれからもっと広く、もっと深く、日本農村の各地に浸透させなければならない。」これこそが、創設者近藤氏が市島町有機農業研究会の会員に託した言葉であろう。

 私は大学を卒業後、生協職員として勤務していたある年末、消費者宅に「無添加数の子」を配達した時、商品の見てくれがあまりよくないので返品したいと言ってこられた。私は一所懸命、通常の「数の子」は美しく黄色い光沢感をだすためにどんなに添加物を使っているか、生協として、「無添加数の子」を開発したのは消費者に安全な食品を提供するためで理解してほしいと力説した。あまりにも熱心な説得にその消費者はその場では納得されたようであったが、その後、事務所に連絡があり、返品をしたいと言ったのに職員に拒否されたことを訴えた。私は上司に呼ばれ、「組合員の要望には従うように」と説教された。理不尽さを感じながら残っていた「無添加数の子」の中からましな色合いのものを探し、その日のうちに消費者宅に届け、納得していただいた。自分の説得の仕方に多少強引さがあり、消費者に理解してもらえなかったことに否があるかもしれないが、これに類似した体験を生協ではたびたび経験した。生協といえども厳しい流通業界の競争にさらされている。見てくれの悪い商品は売れないし、無添加であっても添加物の入った商品と同質の品質を保てないと商品は動かない。添加物を加えないことや安全な農産物を原料に使用すれば売値が上がる。スーパーに陳列している一般の農産物が品質の基準になっている限り、見てくれの悪い農産物は売れないし、売るためには有機農産物であっても、綺麗に包装し、農薬・化学肥料を使った農産物に限りなく近づけるために余分に資材を投入せざるを得なくなる。「食べ物」は人に食べて喜んでもらうために作るわけだが、「商品」の目的は純粋に利潤を求めることである。なのに我々はいつのまにか麻痺し、「食べ物」と「商品」の違いが解らなくなってきているのではないか。明治生まれの近藤氏が提携の関係を作るのにご尽力されたのは有機農産物という「商品」を作るためではなく、失われていく本来の「食べ物」を生産者と消費者の関係作りをすることで回復されようと思われたのではないだろうか。

 農林水産省が行った全国世論調査によると食品を購入する際に国産品と輸入品が並んでいる場合,どちらを選択するかと聞いたところ「国産品」とする者の割合が89%(「国産品を選ぶ」が66.4%+「どちらかというと国産品」が22.6%)で「輸入品」を選択するひとはわずか0.5%であった。ところが現実的には日本の農業は疲弊し、高齢化、離農は進む一方である。「国産品」を選択する大多数に「国産品」を選択する基準を聞いたところ「安全性」を挙げた者の割合が89.1%と最も高く、その次が「品質」(56.7%)、「新鮮」さが56.6%、「おいしさ」が28%となっている。しかし現実の食品業界は添加物だらけ、「新鮮」さが求められながら地域の農業は崩壊し、食品の移動する距離はどんどん伸びている。食品自給率は「低い」と意識している人は79.2%、食品輸入に「不安がある」と答えた人は93.4%。食料輸入に「不安がある」と答えた人に、将来の食品輸入について不安があると考えるのは、どのような理由からか聞いたところ、「国際情勢の変化により、食料や石油等の生産資材の輸入が大きく減ったり、止まったりする可能性があるため」と答えた者が55.8%、以下「異常気象や災害による海外の不作の可能性がある。」(49.6%)、「長期的に見て、地球環境問題の深刻化や砂漠化の進行により、食料の増産には限界があるため」(49.6%)になった。その他「外食や総菜の購入を控え、家で調理して食事をした方がいい。」と考える人48.8%、「外国産より高くても、食料は、生産コストを引き下げながらできる限り国内で作る方がいい。」と答えた人が51.5%、「食料自給率を高めるべきである」と考える人が93.2%、そして「高めるべき」と考えた人の36%が「生産面ではなく、むしろ“食育”の推進や国産農産物の消費促進など消費面からの取り組みの拡大を図るべき。」と答えている。しかし一方で消費者運動が下火になっている現実はどうなのだろうか。

 世論調査に見る限り、日本人の多くは自給率低下に不安があるし、日本の農業は守られるべきで農村の守る必要があると感じている。食品は安全性を重視するべきであると考えているし、家で調理することも必要だと思っている。ところが自給率は下がる一方であるし、農業問題はちっとも解決する兆しはみえないのが現状である。多分、大勢の人々は「思っている」だけで行動に結びつかないのではないだろうか。現実的に安全なものを手に入れようとすれば、コストがかかったり、共同購入をしたりして手間がかかる。安全な食品は不安定で時折品質に問題が起こったりする。農業を守る運動や、生産者との交流もわずらわしい。我々の活動はちっちゃな、ちっちゃな行動で35年を経た中で一体、何が変わったのかと考えることがあるかもしれない。しかし、一般の流通にも有機農産物が現れるようになったのも35年前からある小さな行動が結びついていると考えられないだろうか。
2010年 12月発行

野菜出荷状況(12月-1月上旬)

朝夕少し寒くなりますが、日中は例年に比べ暖かい日が続いていて、虫の害も比較的多く発生しており、大根、青菜類に虫食いが多いようです。

青菜類では水菜、小松菜、法連草、ビタミン菜、チンゲン菜、タアサイ、菊菜、オータムポエムなどが出ます。サニーレタス、カリフラワー、ブロッコリー、キャベツ、ハクサイ、里芋も続きます。大根、人参、小カブ、カブ、葱もでます。

気象の変化なのか害獣も頻繁に見られ、大杉地区(ダムのほうです)に熊が出て、うちの小学校では登下校用に鈴を配布する事になりました。一色さんの畑では頻繁に猪が出没し作物を荒らしているそうです。橋本の畑では網にオス鹿が引っ掛かり、役場に頼んで処分していただきました。一晩中暴れまわったと見え、ターサイが一部踏み荒らされてしまいました。

 

12月の農作業

玉葱苗、豌豆の種まきも12月上旬頃までなら間に合います。法連草、小松菜など青菜類もまだ撒けます。夕方は5時ごろになると日が暮れるので作業時間も少なくなります。

    英国/カナルサイドCSA農場のオープンファームデイ

 英国訪問の折訪ねたカナルサイド農場のケースについて報告します。

110軒の消費者会員を持つ農場で新たな消費者に農場の理解を求めるために定期的にオープンファームデイというのを開催しています。

訪ねた時はお昼過ぎで、農場のスタッフ、消費者ボランティアが昼食を用意して訪問者にふるまっていました。ピエロに扮したボランティアが子供たちの前で手品を披露していて、その後ろでは若い子連れの消費者がたき火を囲んで和気あいあいと談笑をしていました。午前中は農場で農作業もあったそうです。しばらくすると農場のスタッフが参加者を連れて農場の案内もしてくれました。日本の提携の農場と同じで多品目の野菜が作付されていて果物もあり、南瓜や玉葱がわらの中で保存されていました。農場内には毎週、消費者が野菜を定期的に取りに来る小屋が設置され、農場外にも同じようなステーションがあるそうです。

 英国で訪ねた多くのCSA農場は農場の消費者会員を拡大するのにこのオープンファームデイを実施していました。プログラムは有機農業の理解を進めるための講演会、セミナー、援農、消費者交流会が一日で同時進行しているようです。農場で有機野菜の生育を見学しながらの有機農業の説明、体を使って農業体験、食事に農場の野菜を提供し、おいしい有機野菜を食べること、頭で理解し、体を動かし、生産者と畑で交流し、有機野菜のおいしさを知ることで有機農業の理解をより一層深めることができ、会員の拡大につながっています。

日本でも同様のプログラムを実施できるのではないかと感じました。

 

      英国土壌協会の活動

 今回の英国訪問を実現させてくれた英国土壌協会は世界で最も古い有機農業団体で1946年に設立された。本部はイギリスのブリストルにあり、約27000人の会員がいる。協会の収入は会費の他、助成金、財団からの基金、寄付、認証事業からの収益からなりなっている。認証事業の歳入は全体の39%を占めており、本部は2階建だが、一階部分は全て認証事業の事務所として利用されていた。世界で初めて1967年から認証事業を始め、今では国内外を含め、4500の農場や事業所の認証をしており、国内に流通する農産物の80%は英国土壌協会のラベルを貼付している。

 主な事業として、学校での食農教育の推進、有機農業学校、生産者への技術指導、マーケット情報の提供・調査、生産者同士の勉強会、新規参入のための研修生制度、産地交流、有機農業雑誌の出版、有機栽培基準作り、本の出版、スクールファーマーズマーケット、CSA農場の促進事業、遺伝子組み換え反対運動などがある。学校での食農教育の推進事業は「フードフォライフパートナーシップ」と呼ばれるもので事業支出の33%が使われており、協会がいかに子供たちの教育に力を入れているかうかがい知ることができる。この事業に参加している学校では積極的に学校での給食の改善、地域の有機農場への訪問、校内で親も参加する料理教室、校内での有機農園が進められており、有機農業や調理、食への関心を進める教育プログラムが推進されている。しかも、プログラムは学校の生徒だけでなく、教師、親、給食を提供している調理師、地域の人々や有機農家の参加の中で進めており、有機農産物の学校給食への導入が推進されている。大変おもしろいプログラムなのでこれについてはもっと詳しい内容を次回の市有研だよりで紹介しようと思う。

 土壌協会が提供している有機農業学校は生産者ではなく、一般の人対象のプログラムで、有機野菜の栽培教室、パンの焼き方、養蜂、養鶏、加工技術など30以上のセミナーが開催されている。また消費者対象の農場見学プログラムもあり、ここには100か所の有機農場が協力し、一般の人から学校の生徒まで農場で有機農業の勉強ができる。本格的に生産者と目指す若者対象の研修生制度もあり、土壌協会に加盟している生産者の農場で実地研修を受けることができる。これは2年間のプログラムで今まで8人の研修生が卒業したそうだ。プロの生産者対象の勉強会もあるし、土壌協会には技術サポートチームがあり、有機農業技術を知る専門家が除草技術、害虫対策、土壌バランスなど、電話で生産者の相談にのり、技術的なアドバイスができるようにしている。また生産者会員のためにホームページの中でも有機農業技術のデーターが閲覧できるそうだ。協会として、独自に有機農産物の市場調査も行い、生産会員に情報も提供するし、新たな流通ルートも紹介してくれるようだ。協会には生産者が集まった生産者代表委員会があり、生産者の声が栽培基準、有機農業推進制度、協会の運営に反映されている。年に3回、有機農業雑誌も刊行し、これも生産者をサポートしている。提携(CSA)を始めたい農家対象のセミナーもあり、これから生産者と提携したい消費者団体、生産者、NGOにどうしたら提携を始められるか、消費者会員をどうやって集めるか、会の運営をどうするか、組織をどう形成していくかセミナーを通じてアドバイスをし、国内での推進を進めている。

 さらに英国土壌協会では協会独自の有機栽培基準を持っており、これはEUの定める有機農業基準より高いそうだ。有機農業基準は畑での作物だけではなく、広範囲で、森林基準、オーガニック化粧品基準、有機加工品基準もある。オーガニックレストラン、有機ホテル、有機居酒屋さん(オーガニックパブ)の基準もあり、基準を満たした飲食店、ホテル、パブが広がっている。

2010年 11月発行

野菜出荷状況(11月-12月上旬)

 青菜類では、小松菜、法連草、ビタミン菜、チンゲン菜、タアサイ、菊菜、など出揃います。大根間引き菜、万願寺とうがらしもまだ続きます。サニーレタス、レタス、甘藷、人参、大根、小カブ、里芋も出てきます。霜がふれば白菜、葱も出始めます。例年に比べて暖かいせいか、ダイコンサルハムシの害が大根、ハクサイ、青菜類に続いておりボロボロになって出荷できない状況になっているところもあります。獣害もあり、大谷さんと畑ではイノシシが侵入しサツマイモに被害が出ました。橋本の畑でもイノシシの害でサツマイモは全滅しました。

11月の農作業

 11月に入ると玉葱苗の植え付け、豌豆類の種蒔きが始まります。玉葱苗は、何千本も植えるので根気のいる仕事です。9月中旬に種を撒き、11月に入って苗に育ったものを畑に移植します。苗のできが悪い場合は苗屋さんで購入します。豌豆類はオランダ豌豆、スナック豌豆、実豌豆などです。5月から6月頃に収穫します。

11月定例会議事内容

野菜の出荷についての取り決め

・一部、葉物の出荷に使用されているビニールテープは、再利用もできないしダイオキシン問題の観点からも使用は控えてほしいとの要望があり、今後は使用しないことになりました。

・万願寺唐辛子は11月いっぱい出荷。

・葱は基本的に12月から出荷。ただし、霜が降りたら早くても出荷OK

・島南瓜は今後作付の意思なし。

・間引き菜は本体が出荷されるまで出荷可能。

イギリス訪問記

10月24日から11月2日まで、CSAの実態調査と英国土壌協会との交流のためイギリスを訪ねた。

今年2月の神戸大会に召喚したイギリスのクリスティン・グレンジングさんは英国土壌協会のCSA部門で働きながら、イングランド北部で農場に関わっている生産者だ。彼女は神戸大会の折、日本の提携団体に大変関心を抱き、帰国後、有機農産物を通じた生産者と消費者の提携のあり方の情報交換をしながら交流を深めたいと、英国土壌協会を通じて現地で基金を集め、互いの国を行き来し、両国の生産者と消費者が学び合うプログラムを立案し、今回、これが実現することになった。

日本からは、日本有機農業研究会の埼玉の生産者、並木さん、神戸大会事務局の三好さん、兵庫県有機農業研究会の私と代表の本野さん、事務局長の赤城さん、熊本有機農業研究気会の吉川さんと生産者の緒方くん、計7名で参加することになった。

到着、翌日から連日、さまざまな農場を訪ね、英国のCSAの実態について学んだ。訪ねた農場のほとんどがコミュニティ農場といわれるもので、都市住民が中心となって消費者会員を募集し、農場を確保し、そこに農家を雇うという消費者側から始まったCSA農場が多かった。その他、地産地消型地域生協など、地域主体の活動を中心に見学してきた。

見学はクリスティンさんが自ら大きなバンを運転して車での移動。最初から最後まで運転してくれた。彼女は20代後半の美しい英国女性で、土壌協会の職員でありながら自らも農場で羊を飼い、今回のプログラムも滞りなく遂行し、7日間疲れをものともせずに各地を運転して回るというスーパーウーマンで、参加者も驚かされた。通訳は、現在英国土壌協会で研修中の留学生の愛菜さん、一日だけ沖縄に留学していたプロの織物職人ティムさん、後半の2日は大学の日本語学科で学び、日本にも滞在経験のあるアリスさんが手伝ってくれた。

予算には制限があったので宿泊はユースホテルかホームステイで、全部で3家族の家を転々とした。最初のホストファミリーは旦那さんが弁護士、奥さんは土壌協会に勤務。日本に大きな関心があり、旦那さんのトムさんは若い頃は空手をやっていたそうだ。家には木刀もあり、何故か宮本武蔵の「五輪の書」の英訳本も持っていて、武士道に大変関心があるようだった。寿司を始めとして日本食もイギリスではブームで玄米や味噌を食べる人もいたりして、日本の文化が浸透している様子がわかった。

2軒目のホストファミリーの夫婦はストラウド・コミュニティー農場の消費者会員宅。旦那さんは学校の先生で、子供を将来ストラウド市内にあるシュタイナー学校に入学させるためわざわざ引っ越してこられたそうだ。完全ベジタリアンでお酒も飲まない。イギリスではベジタリアンでも、魚は食べる人、牛乳、チーズは食べる人、まったくの菜食主義者とさまざまだ。住んでいる住宅もユニークで会員を募って土地を物色し、全員の合意の中で建築計画を立てた80軒くらいのコミュニティー住宅である。夕食は皆で食べる場所があり、各家庭が持ち回りで夕食当番が回ってくるそうだ。もちろん、全員で食べることは強制ではなく当番はするが夕食をいっしょに食べない人もいるそうだ。

最後のホストファミリーもカナルサイド農場の消費者会員。旦那さんはコンピューターの仕事に就き奥さんは主婦。子供が3人。ここもベジタリアン。どうも有機農産物を食べる人はベジタリアンが多いようだ。旦那さんの趣味はフェンシング。家についてすぐにパブに直行、ビール片手に語り合った。イギリスではこのパブ(居酒屋)が地域の人々の憩いの場になっているようだ。仲間、友人、夫婦が日本の喫茶店の雰囲気で静かにビールを飲んで語り合っている。しかも日本の居酒屋のようにワイワイうるさい雰囲気ではなく、まさに喫茶店のよう。基本的にご飯は家で食べてくるようで、つまみもなしでチビチビとビールを飲みながら語り合う感じで、このイギリスのホップの利いたビールがうまい!(残念ながら料理はさほどおいしいものもなかった。強いて言えば、初日にパブで飲んだスープか?)

パブの後に行ったのがソーシャルクラブというもの。これは何と、公民館で市民が運営している市民パブ。日本の公民館は通常、お堅い場所で、勉強会か研修、会議に使われているのみだが・・・。このイギリス人の考えたソーシャルクラブはイギリス人の憩いの場であるパブを公共の施設である公民館に持ってきて地域の人々が集う空間を作っているようだ。ソーシャルクラブは地域住民が会員となり、理事会を作り、人を雇ってパブを運営し、安いローカルビールを提供している。ここでは様々な行事が企画されていて、ビリアード大会、クイズ大会、地元スポーツチームの応援、カラオケ大会などが行われているそうだ。地域住民が気軽に立ち寄れる場では近所の人々と顔なじみになり、仲間意識も生まれ、自治の精神も育つ。大変、おもしろい取りくみだと感心させられた。

また、イギリスでの有機農産物の消費者購買層の厚さにも驚かされた。とにかくどこに行ってもオーガニックのものが見られる。一般の食品スーパーにもオーガニック、テスコなど大型スーパーでもオーガニック、農村部の「道の駅」にもオーガニック。都市部のファーマーズ・マーケットでもオーガニック。チャールズ皇太子は有機菜園を持っているそうだ。最近、経済不況で有機農産物市場が伸び悩んでいるとは聞いていたがなんのその。日本と比較したら、有機農産物の多さは雲泥の差である。マーケットの他に一般市民に有機農業の理解を深めるために作られた、オーガニック公園というのもあった。有機菜園をするための有機農業ホームセンターにも立ち寄った。ここには日本でもまだ少ししか存在しない、有機栽培種子が何百種類と販売されていた。英国土壌協会で聞いた話では、他にも有機農産物を食材としたオーガニックレストラン。さらにオーガニックビール、オーガニックコットンを使用し、オーガニック食材の料理を出すオーガニックホテルも存在する。オーガニック小売店、オーガニックパブ、オーガニックホテルには一定の基準があり、日本の有機農産物のように認証を受け、認定されている。日本にもオーガニックレストランはあるが基準も検査もないので一体、食材のどのくらいの割合が有機農産物であるのか不明である。

旬の有機野菜ボックスを売る会社、食品生協なども多数存在し有機農産物があちらこちらで手に入る恵まれた状況がありながら、めんどうな運営委員会があったり、さまざまな活動があるCSA(日本の提携運動)が広がりつつあるのも不思議である。どのCSA農場にも若い20代、30代の夫婦が会員になっていて、非常に羨ましい状況だった。

2010年 10月発行

野菜出荷状況(10月-11月上旬)

 10月に入って、日中は暑い日もありますが、朝夕は肌寒くようやく、秋らしくなってきたようです。台風の被害もなく、野菜の生育は順調です。高温で調子の悪かったピーマンや茄子は回復してきて、市島では鈴なり。出荷できず、過剰に余っています。万願寺とうがらしも引き続いて出ます。冬瓜は夏の高温のせいか、例年よりも水分が少なく、軽いような気がします。大根菜、ニンジン菜などの間引き菜もそろそろ出てきます。青菜類で小松菜、青梗菜、タアサイ、ビタミン菜、ほうれん草も少しずつ出てくるので、端境期も終了しま。

今年はダイコンサルハ虫が大発生で大根、ハクサイに甚大な被害が出ているようです。

池野さんの田圃は草のせいでお米の3分の1がだめになったそうです。

10月の農作業

小松菜、ほうれん草、ビタミン菜、小カブ、大根、水菜、ソラマメの種蒔き。夏野菜、茄子、ピ-マン、オクラのあとかたづけ。春キャベツ苗植え付、玉葱苗の除草などがあります。キャベツ、ブロッコリー、カリフラワーの除草。大根、人参の間引き作業。

丹波有機農業祭について

 124日、5日市島町で丹波有機農業祭を開催します。丹波市有機の里づくり推進協議会の活動として、生産者と消費者の交流を進める目的で丹波市有機農業研究会の新規就農者、有機農業生産者が中心となって、都市部より有機農業に関心のある人たちを招き、楽しんでもうらおうと話し合いを進めています。

場所は「森のひとときキャンプパーク丹波」(旧エルムいちじま)。

プログラムは、生産者・新規就農者によるパネルディスカッション、バンド演奏、原木 しいたけの菌打ち体験、餅つき、有機野菜を使った食べ物ブース、有機野菜の販売ブース、夜には懇親会、分科会など。翌日は現地見学会(有機農場、山名酒造、丹波太郎)などを予定しています。

篠山口から送迎バスが出る予定ですので、是非皆さんお揃いでお出かけください。

  イギリス訪問10月末から) 英国土壌協会から招待

 今年の2月に開催された神戸大会に召喚したクリスティン・グレジングさんが所属する英国土壌協会からの招待で、日本有機農業研究会、兵庫県有機農業研究会、熊本県有機農業研究会のメンバー数名が、10月末から10日間、イギリスを訪問することになった。環境と食の安全性について意識が高まる中、有機農業も世界的な広がりをみせ、各国で有機農業推進の取り組みが始まっている。しかし、一方で有機農産物の市場が拡大することで量販店を中心とした大量仕入れが可能になり、ますます産地と消費地の距離が広がり、輸送、包装、加工にかかるコストが上昇していること、激しい価格競争で、山間部の非効率な地域に住む、家族経営型の有機農場の経営が困難に陥っていることなどから、欧米先進国では地域の有機農家を支える運動(Community  Supported Agriculture)が始まっている。今回、訪問することになった英国土壌協会は古くから有機農業の普及に取り組んできた団体で、クリスティンさんは団体の職員としてイギリスでのCSAの普及活動をしている。神戸大会ではパネルディスカッションのパネリストとして参加し、イギリスでの活動を紹介していただいた。イギリス側も日本の提携などの生産者と消費者の活動に大変興味があり、是非、お互いの国で交流をしようというイギリス側の呼びかけに応じて日本からも私を含む数名がイギリスへ行くことになった。

イギリスの有機農業の歴史:有機農業発祥の地

 イギリスは有機農業発祥の地でもある。最初に有機農業を提唱したのが英国人のアルバート・ハワード卿である。ハワード卿はイギリスの良質の牛を生産する篤農家の家に生まれた。大学で農業の勉強をし卒業後農業研究者として西インド諸島に派遣され、細菌学者として植物の病害について研究を始めた。そして、1905年に植物学者としてインドのプサというところに赴任した。赴任後まもなく、彼はプサ周辺地帯の農作物が病虫害に全く侵されてないことに気付く。現地の人々は農薬を知らないどころか、化学肥料さえも使用したことがないにもかかわらず、作物が健全に育っていた。人々はただ、農場やその付近からとれた植物質や動物質を集め、ただの一片も残さず土に返していただけだった。ハワード卿は植物や動物は自然の状態に近づけることによって、人工的な物質に頼らずとも自然本来の力を発揮し、病気や昆虫の襲来に対して抵抗することができるのではないかと思い始め、研究を進めた。それから5年間、実験農場を開設し、プサの伝統的な農業の調査を反映させながら、1910年までに化学肥料や農薬を使用せずにほとんど病気にかからない栽培方法を確立し、「虫や病原菌の真の役割は検閲官のようなもので、不完全に育てられた生き物を摘発することにある。病気や害虫は自然の大学教授である。」という結論に達した。

 彼は実験農場で同様の原則を牛にも適応し、化学肥料を使用しないで育てた飼料を牛に与えることで病気への抵抗性が高まることを証明した。その後もインドのプサ、クエタ、インドールで経験を生かし、独特の堆肥作りを考案(インドール式処理法)、1940年に有機農業のバイブル書である「農業聖典」を書き記す。彼の提案する農法はその後、南アフリカ、ケニア、イギリス本土、マレーシア、シンガポール、コスタリカでも実践され、成功をおさめ、有機農業が世界に広がるきっかけを作った。

1939年にはこのハワード卿に影響を受けた、英国のエバ・ボルファーという女性が農場で有機農業を実践し、その体験を「生きる土」に書き記す。そして彼女を中心として当時の英国の農業の土壌の悪化や農産物の品質の低下に疑念を持つ仲間が集まり、1946年に英国土壌協会が設立された。日本では最初の有機農業の団体が設立したのが1971年の日本有機農業研究会が始まりであるが、イギリスではその25年前から有機農業の取り組みが始まっているわけだ。

 英国土壌協会

 英国土壌協会は国内外での有機農業の普及に大きな役割を果たしてきた。あのチャールズ皇太子も協会の会員として知られており、イギリスでは、農業や環境に関心のある多くの著名人、研究者が会員として協力している。

http://www.nealsyard.co.jp/aboutus/images/soilassociate.gifSmall Is Beautiful」(小さいことは美しい)を

提唱した経済学者、シュマッハー氏も嘗て、土壌協会

の代表であった。土壌協会は、早くから農地での

DDT(農薬)の使用の反対、家畜への抗生物質の使用

禁止、家畜に動物質の飼料を与えることへの反対

(これが原因で狂牛病が広がったと言われている。)、

遺伝子組み換え食品の反対運動などを展開し、有機農産物の普及以上に英国での食品の安全性維持に努めてきた。また協会として1967年に世界で最初に有機農産物の基準を発表し、基準と認証のシステムをリードしてきた。現在では英国の7割近くの有機農産物が協会での認証を受けている。これらの歴史ある実績が認められ、国連組織、FAOや国際有機農業運動連盟にも大きな発言力を持ち、世界的にも有機農業を普及する大きな役割を果たしている。

 協会の努力により英国国内の有機農業も発展し、協会の2003年度の報告によれば、国内の有機農産物の市場規模は10億ポンドに達しており、米国の59億ポンド、ドイツの16億ポンドに次ぎ、世界3位の有機食品の市場規模があるそうだ。特に幼児食品(ベビーフード)の発展はめざましく、統計によるとイギリスの4人に3人の幼児が規則的に有機食品を使用しており、国内のベビーフードの41%が有機農産物を使用したベビーフードになっている。現在では国内の有機認証農場は3991農場、有機加工企業が1565企業登録され、有機農業の圃場面積は72万6400ヘクタールに拡大、国内の農地の4%(日本の有機圃場は前農地面積のわずか0.16%)が有機圃場に転換している。

 ただ近年の経済不況のあおりを受け、有機食品の市場の伸び率は鈍化しており、10年間続いていた30%成長率は10%に留まっている。売上の低迷により、有機農産物の生産者への市場買い取り価格が下落傾向にあり、認証を受け、有機栽培された飼料のみを利用し、家畜を健全で広い牧場で育てている有機牛乳の生産量の3分の1は、化学農法によって育てられた添加物だらけの飼料で牛を牛舎の中に押し込み、工場のように生産されている普通の牛乳と同様の価格で販売されているのが現状でこれでは生産者もコストがあわず、悲鳴をあげている。そんな中で国内の有機農家を守ろうとする動きが高まってきたわけだ。

 英国では地産地消の関心が広がり、輸入の有機農産物が市場の70%を占めていたのが、56%に減少しており、国産の有機農産物のシェアーが上昇している。英国土壌協会でも地場産の有機農産物を増やす努力をしており、国内の農家の品質と供給の安定、生産者協同組合による需要に合わせた供給サイドの改善、政府の国内の有機農家への援助の強化、量販店の国産有機農産物への販売努力と投資により、国内の有機農産物は少しずつではあるが増大傾向にある。

 英国土壌協会の国産有機農産物の拡大の取り組み

 英国土壌協会では国内の有機農業を育てるためにさまざまな取り組みをしており、クリスティンさんが取り組む英国土壌協会のCSA部門はそのプロジェクトの一貫にある。協会の協力によりCSAを始めたい農家にはさまざまな研修やデーターの提供がされ、10年前に最初のCSA農場ができてから、今では英国国内に100以上のCSA農場が存在するそうだ。

 CSA農場以外にも単純に農場から消費者に直接野菜セットを直販するボックススキームと呼ばれる方法をとる農場もあり、約500以上の有機農場がこれに取り組んでいる。また英国には有機農産物を含む、地域の農家が集まるファーマーズマーケットが多く存在し、全国で550のファーマーズマーケットがあり、協会としても地場産の有機農産物を広げるためにファーマーズマーケットの拡大に協力している。

 また有機農業の理解を深めるために学校を対象に有機農産物の学校給食での使用、子供たちに有機農業を理解してもらうためのキャンペーン、より多くの理解者を増やすために有機農業学校の開催、新たに有機農業を目指す若者のために有機農場研修生制度の確立、国内の農地を守りために土地のトラスト運動を展開し、確保した農地で有機農業を推進している。

 

2010年 9月発行

野菜出荷状況(9月- 10月上旬)

 9月に入っても暑さは一向におさまらず、35度を超す日が続き雨は3週間連続で降らず、生産者もバテバテです。記録的な暑さの中で熱中症のため、病院に搬送された人は全国で4万人を超え、死亡者が145名に達したそうです。外で作業をする生産者も他人事ではありません。

夏野菜も雨不足と高温で弱り気味。トマトは終了、ナスは日焼けと虫の大発生で例年より少なめ、モロヘイヤは水不足で硬くなってきました。ピーマン、万願寺とうがらしも元気ありません。元気なのは、エジプト原産のオクラと沖縄から来たゴーヤぐらいでしょうか。日本も亜熱帯化しているので、これからは南国の野菜の栽培を考えねばならないのかもしれませんね。

早々と端境期に入り、93週目から隔週配送ですが、このままの状況だと10月いっぱいまで続くかもしれません。

秋野菜も雨が降らないので各生産者とも種まきを控えている状況。ニンジンの種まきはしましたが芽が出るかどうかが不安です。

 

9月の農作業

9月は5月に並んで1年のうちで最も忙しい時期でもあります。稲も黄金色に変わり稲刈りが始まります。

 野菜の収穫、秋作の準備で畝立て、堆肥まき、種まき(春キャベツ、ハクサイ、ネギ、小松菜、菊菜、ほうれん草、大根、かぶ、水菜、中国菜、玉葱)、苗の移植など仕事に追われる毎日です。

 一楽照雄氏と提携の関係/ 

日本有機農業研究会40周年記念シンポ

 皆さんは一楽照雄氏を御存じであろうか? 古くからの消費者の皆さん、市有研の生産者メンバーは当然ながら知っていると思うし、一楽氏が元気なころに講演を聞いた方もおられるかもしれない。また、日本有機農業研究会の大会に参加したことのある方もご存じだと思う。

一方、長い間市島の有機野菜は食べ続けて「提携」という言葉はよく知っているが、一楽氏はあまり知らない方もおられるかもしれない。私自身は、有機農業に関わった時に日有研からいただいた月刊誌「土と健康」に一楽氏の書かれたものがよく載っており、書いたものを読んだことはあるが本人に直接出会ったことはない。市島に入植したばかりの頃は、日々の農作業、鶏舎の建設などで忙しく、日本有機農業研究会の存在そのものが日常的な生活からほど遠く、市有研のメンバーが全国大会の参加することになっても自分自身が大会に行くことになろうとは夢にも思わなかった。

 「有機農業も究極には耕運機も否定し、牛耕をすべきである。」と一楽氏が言っておられるというのを故一色作郎氏から聞いたときは、耕運機でも農業は労力的に大変でそろそろトラクターに乗り換えようと思っているのに昔ながらの牛を使って畑を耕せなどなんと変わった人物だろうと思っていた。また有機農業に対して強い信念を持ち、一切の商業主義的な考え方を否定し、その強固なあり方で有機農業界では「天皇」と呼ばれていることも聞いていたので、近づきがたい人物とも思っていた。しかし、海外で盛んになり始めていた「オーガニックファーミング」を最初に日本語で「有機農業」と命名し日本の有機農業の始まりを作った重要な人物であることは知っていた。

 日本有機農業研究会の初代代表であった一楽氏は1994年(平成6年)2月に亡くなられた。享年87歳であった。その一昨年前にアジアの有機農業関係者が日本に来て、第1回目のIFOAMアジア大会が開催されており、私はその時は通訳ボランティアで参加した程度だった。

氏が亡くなられて1年後に第2回目のIFOAMアジア大会が韓国で開催され、私自身が日本有機農業研究会から召喚され、本格的に日本有機農業研究会に関わりを持つことになった頃は、一楽氏はもう会にはおられなかった。

 日本有機農業研究会は今年で来年度の総会で40周年を迎える。それに加え、神戸大会は各地の提携団体に大きな影響を残しているようだ。世界にTEIKEIという言葉が広がっている現状、海外でCSAが盛り上がっていることなどが大きな反響を呼んでいる。「提携の復興」が最近、また聞かれるようになってきている。最初に「提携運動」を提唱した、一楽氏の思想を見直そうという動きもそんな中で出てきているようで、18日の幹事会の翌日、東京・代々木の「国立オリンピックセンター」にて「一楽思想~提携40年の実績と現代的意義、その発展へ」と題して、シンポジウムが開催され、報告者の一人として出席してきた。

 有機農産物も一楽氏が有機農業を広め始めた1970年代から比べると、一般の消費者への関心は高まってきている。以前に比べると、有機JASマークのついている農産物もたまに一般市場でも見受けられるし、「オーガニック」という言葉がおしゃれなイメージで売り出されている。一方で有機農業の世界では「提携」とか「一楽思想」は古臭いイメージで語られ、「もはや、提携の時代は終わった」という声も聞かれるようになっている。前日の幹事会でも幹事から「いまさら、一楽思想を検証するようなシンポジウムに何の意味があるのか。」という声も聞かれた。

 私自身も面識のない一楽氏の思想について語ることはできないので、翌日の報告会では市島の現状(会員数が減少していることなど)や海外でのCSAの広がりについて説明し、これまでの「提携」の成果について語るにとどめた。

 報告者は一楽氏の生前から関係が深かった生産者、高畠町の星氏、八郷町の魚住氏、柿木村の福原氏、和光市の並木氏、小川町の金子氏、野木町の舘野氏、若手新規就農者の間塚くん、消費者の若島氏、生協の大石氏、埼玉大学の本条氏。

一楽照雄氏は1906年(明治39年)に徳島県那賀郡羽ノ浦町で生まれた。学校が生地から遠かったため、小学校5年生の時、伯父の家にあずけられ、一楽家の養子になる。伯父の家の家業を手伝いながら勉強し、東京帝国大学に入学、1930年(昭和5年)に同大学の農学部農業経済学科を卒業。同級生が官僚を目指す中、協同組合運動に関心が高かった氏は、産業組合中央金庫に入社、以降、農林中央金庫に勤務し、1958年(昭和33年)には全国農業協同組合中央会常務理事に就任。長い間農協に関わり、1965年に常務理事を辞任し、協同組合経営研究所理事に就任、協同組合の研究を進めた。しかし、協同組合の当時の在り方や農業の現状に疑問をいだき、1971年には近代農業に疑問をいだく研究者、ジャーナリスト、生産者を集め、「日本有機農業研究会」を発足し、日本で最初の有機農業団体が設立した。

 

1974年に米国のロデール氏著の「有機農法=自然循環よよみがえる生命」を翻訳・刊行。また、1978年の日本有機農業研究会の大会で「生産者と消費者の提携の方法・10カ条」を発表しこれが各地域の提携団体の運営上の原則の大きな参考となった。

また国際有機農業運動連盟(IFOAM)には初の総会から参加しており、海外の有機農業の動きに大きな関心があったため、日本有機農業研究会と海外の繋がりが生まれ、毎回IFOAMの大会に日本有機農業研究会のメンバーを出してきた背景もあり、私がIFOAMに関わる大きな要因になった。

農協、農林中金、協同組合研究所と一楽氏と協同組合の関係は深いものがある。協同組合とは一体なんなのか。農協は農業協同組合、組合員は農家で構成されている。コープとか生協は生活協同組合とか消費生活協同組合、消費者の協同組合だ。協同組合の発生の地は英国で、生活弱者がわずかながらの出資金を出し合い自分たちの生活の安定を目指して事業を行う目的で設立した。協同組合は農協であれ、生協であれ、組合員の福祉を目的としており、非営利団体である。株式会社とは異なり、出資金の額に差があっても組合員には平等の発言権があり、民主的な運営、相互扶助の関係を理解するための学習を進めることが原則になっている。

この協同組合の考え方に共鳴し、一生の大半を協同組合の推進、特に農業協同組合の発展に力を注いだ一楽氏であったが、日本の農業を健全な方向に導くべき農協は巨大化する一方で、日本の自給率は低下、農村の高齢化、後継者不足、農薬・化学肥料の使用による環境汚染、農家自身の健康障害、しかも農協が率先して農薬を販売している実情に大きな矛盾を感じた。農協は農業者の利益さえ守ればよく消費者の安全性は二の次になっている、生協は消費者の利益を守ればよく、農業者の生活とは関係なく、安く仕入れることに焦点が向けられている。これでは協同組合が目的とする社会の公正や相互扶助の精神(協同組合精神:「万人は一人のために、一人は万人のために」)が守れないのではないか。一楽氏が有機農業を提唱するなかで、生産者と消費者の提携の関係を重視したのは彼の協同組合思想の理想と信念があり、日本の有機農業が「提携」の運動を中心に広がった諸外国にない独特の発展を遂げたのは、こういった背景があるからである。

有機農業の推進は、単に農業の技術上の問題に止めてはならないというのが一楽氏の考えだ。農薬、化学肥料の使用によって、食の安全性や本来の食味が損なわれ、川や海が汚染されることになった。だからと言って、単に農薬や化学肥料の使用をやめ、有機農業を推進するだけでは根本的な問題の解決にはならなのではないだろうか?何故、市場で規格に従ったまっすぐな胡瓜が求められ、食品が工業製品のように扱われ、化学物質漬けの食べ物が出回るようになったのか?農業の問題は農家だけの問題に止めては、根本的な食の問題は解決しないのではないか?一楽氏はこれらの問題に疑問を感じ、あえて有機農業の推進に生産者と消費者の提携の関係を強調したように思う。

 

2010年 8月発行

>自然農法と有機農業、何が違うのか?

>有機農業に関わっていると、様々な言葉が乱立していることがわかる。「有機農産物」、「有機栽培」、「自然農法」、「オーガニック」。一体、我々が食べている有機農産物と何が違うのか?疑問に思われる方も多いかと思う。特に日本でよく聞かれるのが「自然農法」。では「自然農法」と市島で取り組まれている「有機農法」とは何がどう違うのか?そもそも「有機農業」という言葉はずっと昔</SPAN><SPAN style='font-size:12.0pt;font-family:"MS 明朝"'>から日本にあって、農薬・化学肥料が日本に導入される以前は有機農業であったと思われている方が多く、有機農業とは昔の伝統的な農法にもどすことであると思っている方が多い。実は歴史的には「有機農業」以前に日本には「自然農法」というものが存在し、日本の有機農業の発展の中で自然農法が大きな役割を担っていたことも知られていない。

 有機農業という言葉が生まれたのは1970年代、日本有機農業研究会を設立した初代の代表、一楽照雄氏が海外で始まっていた「オーガニックファーミング」を「有機農業」と訳したところから始まった。1970年度、当時、日本は高度成長期にあり、生産性を重視した近代農法により土は化学肥料と農薬の影響で疲弊し農村の動植物は減少の一途をたどっていた。各地でこのことに疑問を抱いた生産者、消費者、ジャーナリスト、研究者、医師らが一楽氏を中心として1971年に設立したのが日本有機農業研究会で、ここを中心として日本の有機農業は広がってきた。1974年には農薬や添加物の問題を丹念に調べ、その実態を書いた、有吉佐和子氏の「複合汚染」の中で、安全な農産物の生産を進める未来の農法として有機農業が紹介され、これが世間に有機農業を広める、大きなきっかけになった。市島の有機農業研究会はその過程の中で1975年に設立しているので、日本の有機農業の始まりの初期の頃から早い段階で有機農業が始まっていると言える。

 有機農産物が広がるに従って、海外からも有機農産物が輸入されるようになる。特に国が<span

lang=EN-US>JAS</span>法の中で有機農産物の表示の法律を確立して以降、有機農産物と並行して「オーガニック」という言葉も入ってきた。実は、有機農業の発生の地は英国で、当時、英国の植民地であるインドへ赴任した、植物学者のアルバートアワード氏が、インドの伝統的な有畜循環型の農業を研究し、インドール式処理法という「堆肥作り」の本を1924年に発表してから、有機農業

オーガニックファーミングが世界に広がり始めている。このハワード卿の考え方に同調する人々が集まってできたのが英国土壌協会で、実は10月下旬に日本の有機農業研究会のメンバー数人で英国を訪れ、交流する予定になっている。

 英国から広がった有機農業は、日本、中国、韓国の伝統的な農業を研究し発表していた農学者キング氏の影響でアメリカにも普及し、1941年にはアメリカ有機農業の父であるロデール氏が「オーガニックファーミング」という本を書き、これを日本の一楽氏が「有機農業」と訳したところから有機農業という言葉が生まれたわけだ。今ではこの「有機農業」という言葉は漢字圏である韓国、中国、台湾でも「有機農業」とか「有機農産物」という名称が使用されている。

では有機農業というものは海外から導入されたもので、元々、日本に存在したものではないのかということになるが、実はそうとも言えないところがある。有機農業とは農薬、化学肥料を使用せず、自然界にある有機物を利用して安全で環境にやさしい食糧生産方法であるが、これに似た考え方は、海外から「有機農業」という考え方が来る以前から日本に存在しており、それが「自然農法」だ。そもそも有機農業の歴史を見てみると、英国のアルバート卿はインドから、米国の有機農業は日本や韓国、中国などのアジアの伝統的な循環農法から学んでおり、昔から、アジアには仏教や儒教、道教など自然の循環を大切にする考え方が根付いていた。

 最初に「自然農法」というものの考えを発表したのが、宗教団体・世界救世教の創始者である岡田茂吉氏である。岡田氏は1935年に「作物に肥料を使うのは人の健康に対する医薬や栄養の考え方と共通した誤りがある」と考え、「無農薬、」無肥料」を原則として自然農法を自らの畑で実践し、教団の教えとして広めた。氏、亡き後、教団はいくつかに分裂するが氏の教えである「自然農法」は継続して教団の教えとして実践されている。よく「自然農法」の農産物を販売する店に>MOA>と書かれているがこれは、茂吉の>M<n岡田の>O<アソシエーションの>Aの略でMOA>とは岡田茂吉協会と訳すことができるかもしれない。岡田氏の「自然農法」は「自然農法文化事業団」、「自然農法国際開発センター」、「神慈秀明会」、「黎明協会」に分かれて継承されている。ただ、団体によって微妙に「自然農法」についての見解は異なっており、多少は耕したり、堆肥や有機肥料を利用することが認められている団体があったり、微生物資材であるEM<>菌を技術の中心に据えていたり、反対に一切の微生物資材の使用を認めなかったりさまざまだ。

 この世界救世教とはまったく別個に「自然農法」を提唱されたのが、愛媛の福岡正信氏である。氏は高知県の農業試験場の勤務を通じて科学的知識の限界を感じ、1947年から「耕さない、肥料もやらない、農薬もかけない、除草もしない。」ことを原則として自然農法を始める。独特の発想で、自然農法の技術を考える。日本有機農業研究会の設立にも協力し、日本だけでなく世界的にも有機農業の世界で影響を及ぼした。彼の著書、「自然農法、わら一本の革命」はベストセラーになり、20カ国以上の国に翻訳され、今でも有機農業の国際会議に出席すると福岡氏の自然農法の質問を受けることがある。

 福岡氏の自然農法に影響を受け、1978年から模索し新たに「自然農」を確立したのが、奈良の桜井市の川口由一氏である。氏は専業農家の長男として生まれる。化学肥料と農薬を使う農業で体を壊すことがきかっけで独自の自然農法を生み出し、「自然農」と命名する。「耕さないこと、肥料を施さない、除草剤を使用しない、草や虫を敵としない。」ことを原則に三重県の名張市に「赤目自然塾」を設立、「自然農」を指導にあたっている。

>自然農法」とかさまざまな呼び方がされているが全般的には「耕さない、肥料をやらない、草もあまり除草しない」ことを原則としている。有機農業はもちろん、土に空気を入れるために耕すし、肥料も堆肥や有機肥料を施肥するのが一般的だ。ただ有機農業をやっている人にも多くが自然農法の技術を取り入れ、耕さなかったり、肥料をやらなかったり、両者は微妙に混ざり合っている。市島町でもこれまで、自然農法に取り組む生産者もいたが続けるのが難しいのが現状だ。


2010年 7 月発行

「丹波市有機の里づくり協議会」有機農業講座

丹波市有機の里づくり協議会では昨年に引き続き今年もジャパンバイオファームの小祝政明氏を講師に招き、有機農業講座を開催し勉強会を行った。今回は7月9日、10日の2日間、9日には 稲作農家を中心に稲作を、10日には畑作の勉強会を開催した。

丹波市有機の里づくり協議会は有機農業推進法制定に伴い、丹波市が有機農のモデル地域に指定され、市行政・農協・丹波市有機農業研究会(丹波市内の有機農業生産者が集まり結成)市有研も協議会のメンバーとして最初から加わっている。2日目の講座に橋本が参加した。今回は新規就農者を中心に地元の有機農家15名の参加があった。15名の参加者の中には今年市島に入植した 2名の新規就農者(丹波太郎の研修生)も加わった。

今回は新規就農者4人で構成されている共同農場(あいたんくらぶ)と昨年1年間橋本農園で研修した兵有研2年目の研修生、山田君の畑を見学した。

最初に見学した「あいたん・くらぶ」は就農8年目の宮崎君と昨年入植した3人のIターン4人で結成されたグループで、一人で農業に取り組むより皆で共同畑にした方が作業効率も良いのではとの思いから結成したそうだ。共同圃場は前山地区にあり、各々に耕作している圃場と同時並行で共同畑の管理をしているようだ。地元の学校給食にも野菜を供給している。この日、畑には馬鈴薯 胡瓜、ズッキーニ、万願寺とうがらし、オクラが作付されていて、馬鈴薯、ズッキーニ、胡瓜は 収穫期を向かえていた。鹿が時々侵入しているようで、ズッキーニが食害されていた。 胡瓜は順調に収穫しているようだが、葉っぱの色が少し薄くなっていて、病気が出ているようだった。小祝氏によれば、鉄分とマンガンが不足しているそうで、ミネラル肥料を追肥する必要があるそうだ。

次に行った山田君の圃場は堆肥が投入され、団粒構造ができていて土がほこほこになっていた。 胡瓜も茎はしっかりしているが、山田君曰く、思う程量が採れてないそうだ。小祝氏は葉っぱに水をかけ、どれだけ水を弾くか観察し、ここの圃場も十分堆肥が投入され植物は肥料を吸収する準備ができているにも関わらず、微量ミネラル、特にマンガンや鉄が不足していることを指摘した。
 

 野菜でも胡瓜、トマト、ピーマンなどの果菜類は一本の木から沢山の実を成らすので非常に多くの エネルギーやミネラルを必要としている。堆肥や鶏糞に含まれるミネラル分の量ではそれを補充するのは不十分で、成功している有機農家はミネラル肥料を補充して土のバランスを保持しているそうだ。植物は太陽の光を浴びて、光合成を行う。植物に吸収された二酸化炭素と水は光合成によって炭水化物を生成する。この炭水化物が植物のエネルギーの源になっており、そこにマンガンが介在するそうで、マンガンが不足するとスムーズに炭水化物を生産することができないそうだ。
 さらにビタミンCの生成にもマンガンが介在しているので、少量であるが重要な働きがあるようだ。光合成によって生成された炭水化物は、植物が酸素を吸収することによってデンプンや糖を生み出す。

根の周りの肥料分を分解する有機酸も炭水化物から作られる。タンパク質の合成や細胞分裂にも 炭水化物が分解するエネルギーが利用される。これら植物の重要な酸素を体内に送る働き、炭水化物からエネルギーを取り出すのに鉄分が必要になる。トマトの色がうすい赤のままで完熟するのは鉄分不足の兆候で、やみくもに有機肥料を投入するだけでは健康な植物は育たないそうだ。鉄分、マンガンの他にも、マグネシウム、カルシウム、カリ、リン、硫黄、モルデブン、亜鉛、銅、ホウ素なども植物の働きに関わっており、これらの不足が植物の健全な生育を阻害し、病虫害を呼び込む原因になるそうだ。  

特に有機農業は無農薬で栽培するので植物の体の健康維持にいかに努めるかが重要で、生物学・化学な知識が大切だと小祝氏は力説されていた。

今まで聞いてきた有機農業の講師の話は化学肥料、農薬を否定し、「自然にもどろう」という説明が多かった。自然は完全でバランスがとれており、自然の法則に則っていれば全ては解決する。 有機農業は自然にある有機肥料を利用するのでバランスをとれば良好な農産物ができる。しかし、 有機農業の自然崇拝的な考え方は返って有機農業者を科学の世界から遠ざけてきたような気がする。 我々、生産者も有機農業の現状に甘んずるのではなく、生物科学の仕組みをもっと学習し、さらなる 有機農業の発展を目指すべきかと感じた。



 

生産者リレーエッセー:橋本慶子

今年のピースケはとても元気

家の前の田圃で合鴨農法の自家用米を作っています。以前は、家から車で5分くらい離れた田圃だったので、毎朝餌をやりに行って皆いるか数を確認したり、冷たい雨の降る夜は心配したりと 大変だったのですが、5年前からは家の前の圃場なので台所の窓から合鴨の様子が見えて、 とっても安心です。

だいたい合鴨というのは臆病なもので、人が近づいたら蜘蛛の子を散らすように逃げてのですが年の合鴨はどういうわけかとても人懐っこく、近所の小さい子供たちや、農作業帰りのおばあちゃんたちが通ってもピーピーピーと寄ってきます。

あんまりかわいいのでついつい餌をやりすぎたのか、例年に比べて早く大きくなり苗の生が追いつきません。大きな体でピーピー泳ぎ回るので、苗を踏み荒らして3割ぐらい消滅してしましま した。困ったなーと見ていたら、次は苗の先をかじり始めました。これは大変と慌てて田圃から引き上げしばらく様子を見ていたのですが、苗もやっと大きくなってきたので先週また田圃に 戻しました。

結婚した年から取り組み始めたので合鴨農法のコメ作りも早18回目になりました。1年目、何も分からず、とりあえず田植えをした田んぼに電気柵を張って、あとは鴨に任せて安心していたのに,新婚旅行から帰ったらヒエだらけで、何も分からない私の最初の農作業は1カ月の田の草取りでした。これは水管理の失敗で、合鴨が泳げるくらい深くしないといけなかったのだそうです。以来毎年合鴨農法を続けていて、入雛早々寒さで全滅したり、カラスに取られたりと失敗を積み重ねながら徐々にタイミングをつかみ、最近ではあまり大きな失敗がなくなってきました。穂が出るまでもうしばらく、かわいい光景が楽しめます

2010年  6月発行

農村の暮らし PTA会長になってしまった!~

 市島に引っ越してきた人が最初に驚くのが子供たちの挨拶だ。畑で農作業しているとまったく見知らぬ子供が朝は「おはようございます。」、夕方は「帰りました。」と大きな声で挨拶をしてくれる。最初は見知らぬ子供に挨拶されて、とまどいを感じてしまう。都会に住んでいたら、まず、知らない人に声をかける子供はいないだろう。今では、挨拶されることが当たり前になってきて、時々、挨拶をしない(多分、恥ずかしいのだろう)子供を見ると、あれっ?と思うようになった。

農村では長年培われた濃い人間関係があり、当然、教育環境も都市部とは大きく異なっている。うちの子たちも保育園からどっぷり丹波にはまり、当然家でも丹波弁を話す丹波人だ。子供の親たちもほとんどが丹波で育ち、丹波で学び、そして丹波で働き、丹波で老いていくわけで、互いの付き合いは何十年も続いている。老人でさえ、お互いに「~ちゃん」と呼び合っているので、多分、子供の時からの同じ関係が続いているのだなと思う。PTAの集まりでも親のほとんどが同窓生であったりするので、非常に団結力が高い。運動会では足の速い子を見ながら、「やっぱり、○○ちゃんの子は早いなー、○○ちゃんも子供の時早かったし、おじいちゃんも早かった」。3代にも渡って、小学校の運動会で一等賞。こんな会話は都会ではなかなか聞かれない。当然、親同士の派閥や人間関係も子供時代から引きずっているようだ

 こんな濃い人間関係なので今までは子供のPTA活動は妻に任せ、授業参観にさえ行ったことがなかったのに、なんと、このたび次男の小学校の役員選挙でPTA会長に選出されてしまった。よそから来た(と言っても、20数年経過していますが)自分にこんな大役がまわってくるとは思ってもみなかったので、青天の霹靂、妻共々ひっくり返りそうになった。しかし、公正に選出されたのであればいたしかたないので、腹をくくって役を受けることにした。

我が前山小学校は児童数95人の小さな小学校だ。農村の人口減少と高齢化により、児童数は減少する一方で、1学年1クラス。6年生の次男のクラスが18名、5年生が15名、4年生は18名、2年生と1年生は13名、保育園の状況を聞くとさらに子供の数は減ってくるそうで、将来は小学校が統合される可能性も出てきている。保育園の統合はすでに地域の議題になっていて、数年後には前山保育園も竹田に統合されることが決まった。

 小さな学校、濃い地域のコミュニティーが深く関わっているので、PTA活動も熱心で行事も多く、PTA会長になると年間約70回出かけることになるらしい。前任者のガソリンスタンドのO氏によると「PTA会長になると自治会の会合や学校行事の参加が増え1年間は仕事にならん」らしい。実際、この2ヶ月で入学式に始まり、廃品回収(PTA活動の大きな収入になっている)、田植え(今年は雨で中止になったが)、交通安全教室など行事が続く。

田舎では都会のように新聞回収業者が各戸に回ってくることが無いので、各家庭は大量の新聞紙や古着を家に貯めこみ、廃品回収の日に一気に吐き出す。廃品回収は小学校の他、保育園PTA,中学校PTAの3回。新聞、雑誌を回収してもらえる機会は年にたったの3回しかないのだ。だから当日はどの地区も家の前に古新聞、古雑誌、トラクターの爪などの金属、アルミ缶、古着などを山積みし、父兄が自前の軽トラを使って、廃品を回収していくわけだ。村の家はどこも大きいので4か月分の保管もなんのその。山のように集まった廃品を役員で分別する。アルミ缶はビールの発酵臭でうちの妻などはいつも気分が悪くなっていたそうだ。

 田植えは毎年天気が好ければ子供たちがもち米を手植えし、秋に手刈り、1月にもちつきをする。これも地域のお年寄りに協力してもらいながらのPTA活動だ。副会長の近藤さんが田んぼの管理をしてくれていて、除草剤を使わず、米ぬか除草を実施している。その他に春には五台山祭り、夏は地域の夏祭り、夏の奉仕作業では親が集まり校庭の草むしり、窓拭き、グランドの整備。草むしりには各家庭が除草機を持ち寄るし、グランド整備には土建屋さんが重機やダンプを持ってきて土を運びかなり大掛かりだ。夏休みには小学校のプールが開放されていて、親が交代で監視員にあたらなければならない。秋には運動会、発表会。発表会ではPTAの出演枠もあり練習が1月前から始まる。慣れぬ楽器の練習が大変だ。冬にも餅つき大会にマラソン大会と行事は目白押しだ。それぞれの行事に準備の会議があり、終わると反省会があったりして、年間70回の会合があるわけだ。

 こんなに地域と学校と親の関係が深いければ、農村の自然と豊かな人間関係に囲まれさぞかし理想的が教育環境にあるのではないかと思われるかもしれないが、実は農村でも都市部同様の問題が起こっている。農村にも野山を駆け回る子供たちの姿はすでになく今や子供たちの関心はゲームだ。学校側から川で遊ぶ時は親同伴でなければならないので平日は川で遊ぶことが無理になる。山は鉄砲を持った猟師がいたりするので危ないそうだ。たまにルールをやぶって川で遊んでいる子供を見るが、うちの子も含め友達同士で遊ぶ場合はやはりゲームが中心で、新しいゲームソフトを持ってないと友達同士の会話に入れないそうだ。

小さな学校ではあるが、学年によっては学級崩壊がおこり教室内で子供たちがウロウロ、教師がノイローゼになる話、中学校での不登校の問題。これは全国共通だ。小学校から塾へ通う子供は少なく中学受験する小学生は稀だが、逆に都市部との教育格差も問題になっている。

生産者リレーエッセー:中井よね子

最近の畑の状況

自宅の裏の上の方の畑に、万願寺、ピーマン、ズッキーニ、南瓜と馬鈴薯を栽培している。

一生懸命しているのに、何者かピーマン、万願寺の所の土を掘りくさりがしている。時にはピーマンも起こされている。

以前、開拓で野菜を作っている時、他の方からヌートリアが野菜を食べに来ていたので、ジャキをかけて捕った事があると思い、ジャキを2ヶ所仕掛けたが、どうして分るのかジャキの所は行かず、次の南瓜の方を荒らしている。  たぶん、ミミズを食べていると思う。

野菜が大きくなり根が張ってくれば良くなると思い半ば諦めているが、キショクイ!

また天候が片寄り雨が降る時には警報まで出て畑の畝の谷は雨水が溢れんばかりと、いっぱいになっている。雨がやむと水はきれいに引いている。ホッとする。

雨が降るたびに草がグッと伸びる。ついでにとう立ちした葉物野菜も伸びる。

スナックえんどうの後片付け、トマトの芽かき、くくり次から次へと仕事はある、といった感じです。

2010年 5月発行

出荷状況(5月-6月上旬)

4月も3月に引き続き低温と日照不足で野菜の生育が遅れに遅れました。4月末には畑が3日と乾かず畝立てもままならない状況が長らく続き、このままでは夏野菜の作付にも大きく影響するのでは、と本当に心配しました。ゴールデンウィーク後半から夏日のような陽気で、仕事もサクサクと進んでいます。

筍は終了。5月中旬あたりから春に撒いた法連草、小松菜、サラダ水菜、青梗菜、リーフレタスが出荷されます。ただ、急激な気温の上昇で青梗菜が一気にトウ立ちしてしまいました。ニンジン葉、大根菜などの間引き菜も順次出荷されます。春キャベツが入るコンテナもあります。

例年のことですが春は虫が発生しやすので青菜も冬のものに比べ虫喰いが多いですがご了承下さい。

タマネギは早生品種のものが出てきます。実えんどう、スナックえんどう、ソラマメなどの豆類も出始め6月にピークを迎えます。                

4月28日(水) (於 近畿農政局)=出席 橋本慶子     

20年春すったもんだの末応募し、当選にこぎつけたモデルタウン事業(正式名称=有機農業総合支援対策のうち地域有機農業推進事業)は当初3年間の予定が残念ながらあと1年を残し21年度で終了してしまいました(事業仕分けにあったようです)。その代り、22年度に新たに産地収益向上支援事業のうち有機農業推進事業として募集されます。 

新しい事業は有機農業の推進に向け、産地が収益力向上プログラムを作り・販売企画力強化・生産技術力強化・人材育成力強化などの取り組みに対して支援されるそうです。応募締切が5月14日とすぐに迫っていることやモデルタウン事業と提出書類や手続きが違っていることもあって大変なのですが、同行した役場の担当者の女性がしっかりした方だったので安心しました。 

前回のモデルタウン事業との一番の違いは「成果主義」になったということです。有機農業により生産される農産物の産出額の増加額を設定して所得向上を目指すということ。目標額達成に程遠い結果が出た場合打ち切られこともあるそうです。事業完了は前回と同様3年間です。

兵有研幹事会

5月1日(於 兵庫県私学会館)出席=橋本慶子

議題は

・生産出荷組合の事業(はたんぼ、CSA事業など)

アンテナショップ「はたんぼ」の副店長として頑張っておられた今井絢子氏が

3月いっぱいで結婚退職(お相手は丹波の新規就農者井上陽平君)されたことに

伴い光岡大介氏が着任されました。光岡さんはこれまでオーガニックレストラ

「愛農人」(求める会会員)におられたので市有研でもおなじみ。今後「はたんぼ」と

生産出荷組合事務局を兼務される。

今回の幹事会で、光岡さんが取り組まれるCSA(コミュニティー サポート

アグリカルチャー)について詳しく説明された。

生産集荷組合の中から少量多品目で出荷が可能な生産者を募り

兵庫近辺の消費者会員に直送するというもの。4か月ごとに前払いで基本2カ

月毎に生産者が入れ替わる。

・今後の幹事会のあり方

次回に持ち越し

農林水産省主催「有機JAS規格に関する意見交換会」

4月23日(於 大阪合同庁舎)出席=橋本慎司

平成12年に制定された有機JAS制度は今年で10年目を向かえ、規格の見直しが予定されている。日本では1970年代から始まった有機農業も、当初は提携運動が中心で生産者と消費者の「顔の見える」関係でけだった。徐々に広がるにつれ、まがいものや不正表示が出回り、市場での混乱を解決する目的で有機JAS制度を制定する必要に迫られた。欧米での有機農業の広がりが各国での認証制度の導入と関係があったため、日本でも有機JAS制度の導入が有機農業の普及に役に立つように考えられたが、一般消費者への有機JASマークの認識は低いのが現状である。農水省の20年度の消費者2000人の対象アンケート調査によれば、「有機JASマーク」知らない人は全体の56.1%、「知っているが内容(意味)は分からない」人が34.8%、「有機JASマークを知っているし、内容も理解している」人はわずか9.3%しかないことが分かった。

 市場、生協、自然食系の通販などでも、「減農薬」、「自然」、「環境保全」などのラベルのついた、いわいる「農薬を減らし、安全で環境にやさしい。」イメージのある農産物が大量に流通しており、有機農産物とそれ以外の減農薬農産物の違い、意味を理解してもらうための有機JASマークであるが、実態としては有機JASマークの理解が10年たっても少しも進んでおらず、コストをかけて認証マークを取得しても、生産者にも効果がうすいのがわかる。その為か、国内を含め、有機JASの認定事業者(生産者、加工業者、小分け)の数が近年、頭打ち状態にある。国内の認定事業者は平成14年には2000件を超え、平成17年頃まで増え続けたが、平成18年頃、4000件を超えたころから、伸び悩み続け、平成21年では4000件を切り、減少している。

 消費者側の有機農産物を購入している人の80%弱、購入しない人の70%強が「有機農産物は高い。」と返答している。また購入している人の40%弱が「購入したいが品ぞろえがない。」、購入していない人の25%が「どこで購入できるかわからない。」と答えている。一方、生産者側ではほぼ半数が今後、有機農業に取り組んでみたいと回答しているが、取り組むためには70%弱が「生産コストに見合う販路の確保」が必要と考えている。また同じく70%弱の生産者が有機農業をするには「収量、品質を確保できる技術の確立」が必要と考えている。
2010年 4月発行

新代表挨拶

この度、私は平成22年度、市島町有機農業研究会の代表に選任されました。

現在、当会は会員が5世帯の小さな組織ですが、結成35年、有機農業界では名の通った西日本一伝統と実績のある由緒正しい研究会です。その会の代表に会の最年少で、女性で、おまけに町外出身者である私が選出されたことには若干の驚きと戸惑いを感じております。しかし、会の諸先輩方から「そういう時代やで」と背中を押され、助けて頂きながら精一杯頑張ろうと決意致しました。

有機農業が市民権を得て、有機農産物が最早手に入り難い物でなくなってから産消提携運動が目に見えて衰退してきました。それに比例してか、最近の市有研と消費者団体の関係はまるで倦怠期の夫婦のような沈滞ムードでぎくしゃくしてきました。ここで手遅れにならないうちに信頼関係を紡ぎ直さねばなりません。

その手段の一つとして野菜の出荷基準を設定致しました。元来、提携で出荷される有機野菜は商品ではなく食べ物であるという概念から、基準は、と言われれば「食べることができる物」であると考えてきました。しかし、各生産者に委ねられた自己基準にはどうしてもばらつきがあります。また、巷に見栄えの良い一見安全っぽい野菜があふれる昨今、消費者の意識も変化してきたことも事実でしょう。もちろん基準を作っただけで守られなければ何にもなりませんから、出荷時に野菜係(中井よねこさん)によって厳しくチェックされます。

そして産消提携の大切なキーワード「顔の見える関係」を再構築すること。これまでは特に意識せずとも「見えて」いると高をくくっていましたが、これからは「顔を見せに行く」ぐらいの事をしなければならないのでは、と考えます。こちらの方も消費者団体窓口を池野信子さんに担って頂き、本年度は交流会に力を注ぎたいと思います。

生産者も消費者も世代交代を上手に成功させたとは言えず、人数もパワーも隆盛期とは比べるべくもありませんが、老舗の意地に懸けて少数気鋭のピリッとした会になるよう一歩一歩努力いたしますますので、各消費者団体の皆さま方、生産者の皆さん、ご協力よろしくお願いいたします。

平成2249日 市島町有機農業研究会代表 橋本慶子

                    

                

野菜出荷状況(4月-5月上旬)

今年は早々と葱が終了しました。青菜(ほうれん草、小松菜、菊菜)はトウ立ちと競争です。キャベツの入るコンテナもあります。菜の花系も早々とトウ立ちしてしまいました。春野菜の状況ですが、2月はわりかし、暖かく畑も乾いて春に向かって順調に作業が進むように思われたのですが、3月に入ると雨また、雨。天気の記録を見ると10日以上は雨が降った日があるので3日に1回ほどは雨が降っていたことになります。こうなると畑が乾かないので作付けも遅れてきています。冬から続いている野菜は続いて出荷されますが、次の野菜の作付けが遅れているので端境期が終わるころに野菜が引き続いて出てくるのかが心配になってきています。

 気象庁の発表によると、今年の3月は降水量がかなり多く、日照時間が短かったそうで、東日本では通年平均の1.59倍、西日本の太平洋側では1.62倍の降水量を記録したそうです。長野県、飯田市では平年の2.09倍、静岡県、熱海市では1.99倍の降水量を記録し過去最多だそうです。北海道でも旭川で178センチの積雪を記録しこれも過去最多だそうです。雪といえば、市島でも3月29日に雪が降りました。この日は、市有研の生産者であった吉見勇二さんのお葬式に参列していました。吉見さんは家の近所の川に転落し

亡くなられたそうです。葬式の途中から雨から激しい雪に変わり、非常に寒く、まるで吉見さんの死を悲しんでいるようでした。享年81歳。ご冥福をお祈りいたします

 

4月の農作業

 4月は農繁期、ピ-マン、トマト、茄子、胡瓜、南瓜など夏野菜の育苗が始まります。豌豆類の除草、春野菜の畝立てに施肥作業。小松菜、ラディシュ、ほうれん草、ビタミン菜、サラダミズナ、青梗菜など青菜の種まきと収穫。田圃の代掻きや苗作りなど忙しい毎日です。

/1 兵庫県有機農業生産者組合総会

4月定例会議事内容

提携で出荷できる有機野菜は生産者が「食べられるもの」を基準に各自が出荷してきたが、これでは各生産者の独自に判断に委ねられるため、市販のものとかけ離れた形状の物まで出てきていたため、新たな消費者には受け入れられなかったため、ある程度の基準を設定することにした。

3月定例会で討議し市有研から提案した野菜の基準・取り決めについて

求める会からさらに一部訂正の上再提示された。

意見の食い違うところ(下記表)については再度市有研で検討する。

 

市有研案

求める会案

青菜B

36cm~50cm

36cm~45cm

胡瓜

100g~250g

100g以下は4

200g前後

200g以下は4

地這えは10月まで

まくわ瓜

隔週

隔週で年3回が限度

 

丹波葱

手間が掛かり無理

作ってほしい

水菜

隔週

 

生産者の声

近ごろは有機農業に対する話題がテレビとかまわりでも良く話されています。2月の末から研修生の太田さんが私達の所に来ています。農業に取りくむ喜びを私達に語る姿に2人も70才が目の前に近づき太田さんの有機農業の厳しさに取りくもうとのしせいに昔を思い出し感動 主人もまだまだこれからだと

新聞で今は世界の食糧問題解決に携わるのが「農業」という職業であるとの主張に私達の視野が大きく広がっていくのを感じました。

今迄数々の失敗と努力を積み重ねて17年目 人は皆人生という原野をゆく開拓者。自分の人生は自分で開き耕していく以外ないと思います。これからもクワを振るい幸福の種を蒔き粘り強く頑張ることです。

池野信子

 

      地域がささえる食と農・神戸大会総括

2月に開催された「地域がささえる食と農・神戸大会」の最終の会議が3月20日に東京で開催され大会実行委員会は終了した。大会は昨年の年明けから主だったメンバーが集まり実行委員会が発足、準備が始まり、1年かけて資金調達に四苦八苦した。大会委員の意見もなかなか合意を見ず、大会の内容もぎりぎりまで決まらず、事前のチラシやポスターの準備も大幅に遅れ、事務的な業務に追われ、大会の参加動員も進んでいなかったので大変不安であったが、多くの参加者に恵まれ、大変、盛況であった。発表によると大会前のオーガニックツアーには海外参加者20名を加え、約110名の参加者があった。ツアーには丹波へは32名。豊岡に23名、神戸西区には35名、その他、地元の関係者が25名、参加した。丹波ツアーでは市島の私の鶏舎、古谷君のブルーベリー農園、山名酒造(チラシには山名酒造が山田酒造と間違われるハプニング)、高木氏の圃場を訪ねた。夜には氷上の宿泊施設「やすら樹」で懇親会があり、丹波市長にも参加いただき挨拶をしていただいた。懇親会のおり、市島の新規就農者も大勢(10数名)参加してくれていて、前に出て自己紹介をしてもらった。市長は地域外から大勢の就農者が市島に集まっていることを初めて知ったようで大変、喜んでいるようであった。何人かの海外ゲストはその晩、若い就農者宅にホームステイして交流もした。

大会には前日20日には800名の参加者があり、後半は立ち見がでるほどの大盛況ぶりで、実行委員長の私も驚いた。翌日にも600名ほどの参加があり、充実した大会になった。夜の懇親会も20日が220名、21日が100名ほどの参加があり、非常に不安であったがどうにか採算も合いほっとした。大会は「提携」がテーマであったので、会員数が減少傾向にある「提携」をテーマに人が集まるのか不安ではあったが、予想以上に「有機農業」とか「コミュニティー」をキーワードに人が集まることがわかった。また海外ゲストからCSA(海外版「提携」運動)について学ぶことができ、今後の提携を進める上で大きな示唆を与えたと思う。     

22日、最終日にはURGENCI(国際提携ネットワーク)の総会が開催され、再度、私が理事に選出された。各国の参加者とも話し合い、各地域でひろがりつつある提携の動きを繋げて行くためにも、地域、地域でまとまってネットワーク化しようという方向で話がまとまり、アジア地域ではURGENCIアジアを設立することにあり、大会での協賛金の残金の一部をこの活動の一部に使うことが実行委員会で後で合意された。 
2010年 3月発行

野菜出荷状況(3月-4月上旬)

 野菜のトウ立ちも始まっていて、畑でも葉っぱの間からニョキニョキと花が咲き始めています。青菜類では小松菜、ほうれん草、菊菜、水菜がでます。菜の花系の野菜では、菜の花、紅菜苔、オータムポエムは春先のトウ立ちの時期が最盛期になります。ただ、温度が上昇してくると徐々に茎が細くなってきます。葱も続きます。ブロッコリー、リーフレタス、葉玉葱が入るコンテナもあります。

3月の農作業

畑の堆肥まき、バレイショウの植え付け。人参、小松菜、菊菜、ほうれん草、大根などの種蒔き。果菜類、(トマト、茄子、ピ-マン、胡瓜、)南瓜などの種播きと苗づくり。

 神戸大会顛末記

昨年から実行委員会を立ち上げ、各団体で適度な緊張関係を保ちながら進んだ神戸大会も無事終了いたしました。お忙しい中大会に参加して下さった皆様、ホームステイを受けて頂いた方々、スタッフ、パネラーとして協力して頂いた皆様、大変ありがとうございました。

今大会は、日本有機農業研究会、AFAS認証センター、大地を守る会、URGENCI,兵庫県有機農業研究会、CDCインターナショナル、自然農法開発センター、港区エコプラザ(アースデイマーケット)、秀明自然農法ネットワーク、ビオマーケット(ポラン広場)、IFOAMジャパン、「農を変えたい」関西地域ネットワーク、コープ自然派、生物多様性農業支援センター、全国有機農業協議会、らでぃっしゅぼーや、自給をすすめる百姓たちと、これまで日本の有機農業を引っ張ってきた各団体が一同に集まり協力しあうという意味では非常に画期的で意義のある大会であったと思います。

ただ、様々な立場の団体が参加するため大会の内容を決定するのに非常に難航し、講師の選定、どの団体からパネラーを出すか、分科会の内容をどうするかで時間がかかり、最終チラシが出来上がるのが大幅に遅れ、大会運営上の準備、大会の宣伝も遅れ、十分情報が行き届かないうちに大会を迎えることになり、実行委員会も参加人数が読めず心配しました。

しかし、豊岡。市島オーガニックツアーには50名、22日の西区のツアーに35名、現地3箇所の地元関係者が25名、ツアー全体で110名の参加。20日に800名。2日目に600名。20日は会場に人があふれ、立ち見がでるほどの盛況ぶりで一安心。夜の懇親会も20日が200名、翌日は日曜日の晩で関東からの参加者が大勢帰られたにも関わらず地元の参加者が予想以上に多く100名ぐらいの方の参加がありました。

また、22日のURGENCIの総会には海外15カ国50名の他、英語のみの議事進行であるにもかかわらず国内からも10名の参加。別の有機農業政策討論会にも35名の参加がありました。

やはり、国際シンポジウムとなると海外からのゲスト、講師に対する交通費(航空チケット代)、通訳など予想以上にコストがかかり、これを全て市民団体でまかなうには大きな不安がありましたが、沢山の方の参加とボランティアの方(通訳ボランティアも含め)の協力によりどうにか無事終了した感じです。

 フランス大会では現地の生産者、消費者の方がホームステイをさせて下さり、日本からの参加者も大変な歓迎を受けていたので、海外の参加者の負担を軽減し、日本の提携団体と海外の提携団体の交流を勧める目的で神戸大会でも是非ホーステイを検討していたのに、あまりの忙しさで手配が後回しになり、ぎりぎりになってホームステイ先を捜すことになりました。もっと早くから呼びかけができればよかったんですが、ご無理をお願いした皆さん本当にありがとうございました。

 

 私は大会2日前の16日火曜日から神戸入り。フランスから来る事務局のジョセリンと通訳のジュディスを三宮のバス停で待つこと2時間。ようやく出会え、一旦、学生青年センターに荷物を運び、お腹がすいたと言うので時間もないし、阪急六甲駅の立ち食いそば屋さんで天ぷらそばを食べる。「日本のそばはスパゲティのように食べない。ずるずると啜るものだ。」と教えたらたら、二人とも上手にお箸を使ってずるずると食べ始めた。フランス人がおいしそうに食べるものだから店の人も喜んでさっそく日仏交流が始まった。

 兵有研の事務所に到着したのが夕方で、アフリカ・リマの理事、ウマールさんのビザがまだ降りてなく大騒ぎに。事務局側はリマの日本領事館に書類を送っているはずなのに先方には届いてないとかで、飛行機チケットは取っているのにこのままでは出発できない。日本側とフランス側でどちらの責任か押し付け合ったってしょうがない。外務省に連絡して、ようやくその日のうちに現地にも連絡がついた。

 同日、到着予定のイタリアのアンドレ氏、米国のベンジャミン夫婦からは飛行機の到着時間を過ぎても連絡がない。心配して待っていたら、ポートピアホテルから「イタリアの方がホテルに来られて、迷っておられる。」と連絡が入る。スタッフが急遽迎えに行く。依然ベンジャミン夫婦は行方不明。阪急電車も終電が近くなり、疲労困憊の我々も捜索をあきらめ、とりあえず学生青年センターに帰ることにした。花隈から電車に乗り、電車が三ノ宮駅に到着する直前、携帯電話に「ベンジャミン夫婦発見。JR三ノ宮駅東口付近にいるらしい。」とスタッフから連絡。「皆、降りろー。」、同行していたフランス人、村山氏と駅を出て東出口に向かったら、ベンジャミン夫婦がニコニコしながら佇んでいた。「君らーどこにいたの?」と聞いたら、連絡先がわからなくとりあえず空港のインフォーメーションで行き先が三ノ宮であることを確認し、バスに乗ってきた。カバンの中を捜していたらスタッフの連絡先が見つかったので電話をしてきたらしい。無事に会えてよかった、よかった。学生青年センターに到着した頃には0時を過ぎていた。

 前日の反省から、2日目からは空港まで迎えに行くことになり、交代で伊丹空港と関西空港に行ってもらう。その間に兵有研では大会の準備、学生青年センターではURGENCIの理事会を開催し、大会の最終準備にとりかかった。  

理事会の途中で求める会の消費者からお茶、リンゴなどの差し入れがあり一同感激。夕方になるにつれ学生青年センターは各国の代表が続々と集まり始めた。

空港まで迎えに行ったにもかかわらず、予定通り降りて来ない方数名。不安を残しながら、18日ツアーの集合場所に行ってみたら、行方不明の米国のジムさん夫婦、イギリスの方、皆、無事集合場所に集まっていた。参加予定者は全員来日確認。ツアーのホームステイ先も決定。ウマールさんのビザもなんとか解決、最終日の総会には日本に着くそうだ。

てんやわんやの中、ようやく市島ツアーのバスが出発したのだった。  
2010年 2月発行

地域を支える食と農・神戸大会」の海外メンバー

 神戸大会までいよいよひと月を切りました。今回の大会のテーマ「地域がささえる食と農」に沿って、世界10数カ国から地域の生産者と消費者を結び、新たな農業のあり方を模索している人々を招いています。地域でユニークな活動を展開している人たちが来るので、今後の提携運動の発展のヒントにつながればいいのではないかと期待しています。是非、参加してください。

 

エリザベス・ハンダーソン( アメリカ/世界のCSAについて21日講演)

エリザベスは36歳の時に大学の講師を辞め、パートナーとともに有機農業を始めた。1989年にCSA農場を開始。野菜セット29口から始まり、現在は160口、270件の消費者が農場を支えている。彼女の農場は基本的に生産者と消費者が話し合いで協力して運営することになっており、消費者会員は年間決められた時間農場での労働と配送に関わることが原則になっている。食糧は家族の収入に関係なく配分すべきであるというのも彼女の信念で、低所得層に対しては低額の代金を設定するシステムも確立している。

 農場以外でもさまざまな分野で活躍していて米国の有機農業の世界では有名な人物だ。彼女が書いた「シャアリング・ザ・ハーベスト」では米国のCSA農場の運営方法、各地のCSA農場を幅広く紹介しており、CSA農家のためのマニュアル書になっている。国際有機農業運動連盟にもたびたび登場し、有機農業の基準の中に農場内の労働者や家族的経営農家の労働条件を含めるよう主張し、有機農産物の基準の中に「社会基準」を取り入れるよう働きかけを行っている。

 

ベンジャミン・シュート(アメリカ/アメリカCSAの若手ホープ)

 32歳のベンジャミンはNKHの番組を通じて日本に紹介された。ニューヨーク生まれの彼は、若いときから貧困と食糧の問題に関心があり、仲間と30件の都市部の住民とでCSA農場を2004年に結成。わずか5年で440口の消費者を持つようになった期待の新人だ。

 日本同様若者が農村を離れ、高齢化が進む状況の解決に向かい活動しており、全国若手農家連合(National Young Farmer Coalition)を結成、全米の若手農家とネットワークを組み、政府に対してロビー活動をするかたわら、自らの農場でも農場研修プログラムを実施している。     

 彼の属している団体ジャストフードはニューヨークを中心として集まったCSA農家と消費者のネットワーク組織だ。1995年に設立し、80余りのCSAの結成を手助けした。提携農家と消費者団体でできている兵庫県有機農業研究会のような存在だ。ジャストフードでは食糧は全ての人に行き届くべきだという考えがあり、近辺の農家の食材を貧しい人々に提供する活動も実施している。

 

ダニエル&デニス・ブィオン夫妻(フランス/AMAP・フランスの闘う農民)

 ダニエルさんはフランス版CSA,AMAPの創始者。南フランス、マルセイユ郊外の代々の農家。1984年に農場を継ぎ、若いときからフランスの農民の生活向上のためさまざまな活動に関わってきた。2000年に娘の住むニューヨークでCSA(ジャストフードの活動)のことを知り、2001年に近辺の消費者を集め、CSA農場を開始した。生産物の全てを210戸、850人の消費者会員に提供している。彼の取り組みはフランス中に広がり、現在1000以上(2000とも言われる。)のCSA農場が存在する。東欧諸国、アフリカも訪れ、CSAの取り組みを支え指導、研修も実施している。

 現行の欧州の種子法では行政に種子登録を行わないと勝手に種子を扱うことができなくなっているが、反発した彼は、農家が自家採取をした自分の種を自由に取り扱うことができないのは不当であるとし、在来種の野菜(トマトでは100種類ぐらいの品種) を農場に植えつけている。闘うフランス農民だ。

 

モヴァン・サリッツ (フランスAMAP/都市農業を守る市民)

 モヴァンさんはパリに住む研究者。パリ郊外の大規模農家と提携し、消費者会員を組織する。パリ市が郊外に向かって開発が進み、肥沃な農地が失われることを防止するため、パリ市民に呼びかけ、農地のトラスト運動を実施し、トラストした農地で生産者を捜し、農産物を消費者会員が支える活動を展開している。彼を中心としたグループの呼びかけで20ヘクタールの農地がパリの1500名の市民によって土地トラストをしている。

 

クリスティン・グレンジィング(イギリス/英国土壌協会CSA担当者)

 英国土壌協会は1946年に設立した世界最古の有機農業団体。ここから有機農業が生まれたといっても過言ではない。あのチャールズ皇太子も英国土壌協会の会員で有機栽培の菜園を実践しているそうだ。協会は近年、地産地消を合言葉に地域の有機農業を育てることに力を入れ始めている。クリスティンさんは英国の生産者と消費者の連帯を求め、協会のCSA担当者として活躍している。自らも生産者で現在50口の消費者会員を持つ。

 

アンドレ・ロイ(オーストラリア/ 国際有機農業運動連盟副理事長)

 1972年にオーストラリアで最初の熱帯果物の有機栽培を始めた生産者。アジア各地を旅し、さまざまな果物や農産物を農場に導入した。現在、国際的有機農業の組織、IFOAM(国際有機農業運動連盟)の副理事長をつとめる。

 

ジョイ・ダニエル(インド/ IRRD総合的地域開発機関)

 IFOAMアジアの事務局長であったアレクサンダー・ダニエル氏の意思を継ぎ、貧困にあえぐ、インドの生産者とために献身的に働いている。父、ダニエル氏は日本を訪れた時、日本の提携運動に感銘を受け、地域の生産者と消費者を結びつけ、オーガニック・バザーが始まった。現在このプログラムには地域の5000人に小規模生産者が参加している。生産者、IRRD,消費者が参加して、参加型の有機認証プログラムを開発し実施している。オーガニック・バザーはインドの他の13地域にも広がりをみせている。

 

アンドレ・カローリ(イタリア/ GAS)

イタリアの共同購入団体GASの活動を推進している。社会に「責任を持つ」消費者(Responsible Consumer)を合言葉に、消費者が何を購入するかで社会の矛盾した問題を解決できると考えている。GASは環境にやさしい農産物を生産する農家、加工業者をネットワーク化し、会員がボランティアで支える仕組みを作り、イタリアに広げつつある。

 

その他、アフリカのマリで生産者と消費者を組織化しCSAを運営しているウマール・ディアベイトさん、韓国で消費者とともに「生き物調査」にかかわっているパク・インジャ氏、ジュウ・ジョンサン氏(生産者)、URGENCI前代表サミュエル・ティロン氏()、事務局長のジョセリン・ペイロット氏、事務局員ジュディス・ヒッチマン氏、他東欧(ルーマニア、ラトビア)、アフリカ諸国(モロッコ)のCSAの人々が参加する予定。

 

生産者の声:一色富士夫

 

 昨年も天候不順に悩まされた年でした。長梅雨で日照不足と低温。その後一転して続く晴天で水不足。一ヶ月後やっと雨が降ったと喜んだのもつかの間、虫が大発生して、植えたばかり、芽がでたばかりの秋冬野菜の苗は大ダメージ。万願寺は早くに枯れてしまい、コカブ、ターサイは全滅でしたし、白菜、キャベツなどの葉はぼろぼろで成長がずいぶん遅れました。

 こういうことが昨年だけではなく、毎年「今年は異常気象で」と言っている気がするこの頃です。有機農業に厳しい条件が続いています。

お正月に見ていたテレビ番組で、まぐろ漁師をとりあげたものがありました。海水温の上昇でまぐろがいつもやってくる時期に来なくなり、漁師の生活を直撃しているというのです。自然環境のバランスが崩れ、農業、漁業はもろにその影響を受けていると実感します。。ということを考える年頭です。

昨年うまくできなかったものはいろいろ工夫や改良を試みて今年こそと今年も仕事はじめです。              

 

2010年 1月発行

野菜出荷状況(1月-2月上旬)

  根菜類は大根、人参、カブ、里芋、葉物は葱、ミズナ、小松菜、ビタミン菜、チンゲン菜、タアサイが順調に出荷されています。菜の花、紅菜苔、オータムポエムなども出始めます。キャベツ、ハクサイが引き続き交互に入ります。その他、ブロッコリー、カリフラワー、菊菜、ほうれん草、などが入るコンテナもあるでしょう。

「地域がささえる食と農・神戸大会」

218日から222日まで、「地域がささえる食と農・神戸大会」と題して、提携運動の国際大会が開催される。これまでの国際会議等の経緯から私(橋本)が大会の実行委員長を務めることになった。

市有研だよりでもたびたび、紹介したが、世界の有機農業では、我々が35年実践してきた生産者と消費者が結びつく提携運動が広がりつつある。欧米では有機農産物は市場を中心に不況前までは20-30%の成長率があり、近年、勢いが落ち着いてきているが、有機農産物市場は拡大傾向にある。特に欧州では公的な機関が有機農業支援政策をとっており、有機農業そのものが環境にやさしい食糧生産の農法として注目されている。有機農産物が広がる中、市場競争は激化し国内外での農産物の貿易も盛んになり、地域の家族型の有機農場がきびしい状況に立たされている。 

そこで有機農業の本来の目的を見直し、地域の有機農家を支えようという運動が米国でCSA(地域を支える農業)として広がり、この動きは北米から南米、欧州、さらにアフリカや東欧諸国にも広がっている。そんな中、フランスの提携団体である、AMAP(家族型農業を守る協会)の呼びかけで南フランスで第一回の国際提携ネットワーク大会が2000年に開催された。

これまでの国際活動の関わりと生産者と消費者の有機農業運動である提携運動に関わってきた経緯から第一回目の大会に参加した私は、各国の強い要請を受け国際提携ネットワークの設立に関わることになり、第2回目のポルトガル大会、第3回目のフランス大会を経て、第4回目大会が日本の神戸で開催されることになった。「提携発祥の地」である日本では、提携運動が衰退しており、その原因は有機農産物(減農薬等の有機農産物モドキ)の流通が発展し提携を通じて有機農産物を広げる必要性が無くなったことにある。提携運動は日本人独特のものであり、近年、日本人の伝統的な考え方が失われ、共同購入が困難になってきたこと、経済的に不安定で夫婦共働きが増え、市民運動に関わる時間がとれなくなったなどさまざまな理由が挙げられてきた。CSAが広がっている国は確かに日本と比較して労働時間は短いが、有機農産物市場は日本以上に発展しており、日本以上に便利で簡単に有機農産物が手に入る状況にある。また、欧米社会は日本以上に個人主義傾向が強いはずなのに近年の欧米でのコミュニティーへの関心の強さには驚かされる。今後の提携運動のあり方を考える上で非常に重要で、参考にする必要があるのではないかと考える。

日本人は歴史的にも社会や組織の構成を異国の文化から学び、発展させることで数々の問題を解決してきた。私自身は生産者の視点でしか理解できないが、消費者の視点からも世界に広がる大きな潮流を感じ、今後の提携運動の発展に繋がる何かをこの大会を通じ感じてほしいと思う。

    韓国・パルダン地域の有機農業

市有研だよりの12月でも報告したが、11月の17日から19日まで韓国で東アジア有機農業大会が開催され参加した。韓国では早くから親環境農業法が制定され、国を上げて、環境保全型農業(減農薬)や有機農業が推進されてきた。1998年に農林長官に就任した、キム・ソンフン氏は元々、韓国の古くからある有機農業団体・正農会の顧問であり、就任後、親環境農業育成政策を発表し、99年には「親環境農業直接支払い」を実現し、韓国の有機農業は今や、日本の有機農業をしのぐ勢いで発展してきている。韓国正農会は日本の有機農業団体とも古い付き合いで、たびたび日本に生産者たちが訪問しており、市島にもよく見学に来られる。三重県に本部がある愛農会の小谷先生の影響で有機農業が始まった経緯があり、日本の生協団体とも深い結びつきを持ってきた。

今回の大会ではこの、元農林長官が最初に挨拶で韓国の有機農業推進政策についての説明があった。話の内容は韓国の有機農業が政策を通じてどう発展してきたかなどの話で、今後の日本の有機農業政策にとっても大変参考になる内容ではあった。キム氏のスピーチが終わる頃、何故かキム氏から、ここからは通訳しないようにとの指示があり、我々外国人は途中からキム氏が興奮して話しをされているにも関わらず意味がわからず終わってしまった。

いつも大会に関わっている韓国の有機農業関係者も初日のプログラムから突如として来なくなり、我々としても何が起こっているのか理解できなかった。日本語が堪能な韓国の人に尋ねたら、来年、国際有機農業運動連盟(IFOAM)の大会が開催される、パルダン地域(韓国有機農業発祥の地であり、正農会の拠点でもある)で政府が進める開発計画が持ちあがり、有機農業生産者が開発問題をめぐって政府とトラブルがあるらしく元長官はスピーチの中でそれに触れ政府を批判したようでこの件に関して外国の代表団には聞いて欲しくない、ということであったあった。

現在、3000人の生産者が親環境農業(減農薬、有機農業)に取り組んでいるパルタン地域はソウル市内を流れるハンガンという川の上流にあり、有機農業が始まったのもソウル市民、2000万人の飲み水を守ろうという目標で広がった。ソウル市と韓国農協中央会は地域の生産者を対象に1995年から2005年まで低利子の融資をしてきた。この地域に新政権であるイミョンバク大統領は新たな河川の開発を計画しており、計画の中に100件以上の有機農家の耕地が引っかかっており、有機圃場81ヘクタールが突如として開発されることとなった。

大会でたまたま出会った正農会の農家に連れられ、同行していた村山氏とパルダン地域を訪れ、現地の直販店で開発に反対する農家が韓国の機動隊によって泣きながら連行されるビデオを見て大変ショックを受けた。イミョンバク大統領は選挙の前に、有機農業で有名なパルダン地域にマスコミを連れて訪れ、農民と手を取って、地域の有機農業の発展に協力していくことを誓ったが農民の期待に反し「4大河川復興計画」を打ち出した。

計画ではパルダン地域も含まれており、農家は政府の計画に従って何年も無農薬で耕してきた農地を捨て移住することを求められた。政府によると韓国の河川を今後予測される旱魃や洪水を防ぐための開発は必要であり、住民は政府に当然協力すべきであると勧告してきた。開発計画は韓国内部でも専門家や環境団体から批判があり、政府の開発計画はまったく意味がないとの批判もある。政府の公聴会に参加し、熱心な説明をしたが聞き入れてもらえず、昨年10月に政府側は現地の測量を1000人に機動隊をともなって決行。反対の有機農家、生協の消費者は座り込んで測量を止めさせようとたが、機動隊によって強制移動させられた。「大統領!貴方は我々の地域を大切にすると誓ったではないか!このことをわが子になんと説明したらいいのか?」と農家が泣きながら言っていた情景が今も頭を離れない。

 

2009年 12月発行

12月定例会議事内容

求める会との意見交換会

 10月30日の求める会との話し合いでは野菜の品質、苦情の処理も含め、さまざまな意見が出た。今後消費者と話し合いをし、各野菜の規格基準を明文化していくことで合意した。さまざまな意見を聞いて生産者としても有機農業の現状をもっと理解してもらうためにも、出来るだけ多くの消費者に市島まで直接来てもらって現状も知ってもらいたい、という意見も出た。

ファーマーズマーケットの開催について

 毎年収穫感謝祭のファーマーズマーケットは大盛況で野菜があっという間に売り切れる。近辺に有機野菜の需要があると思われるので、求める会の会員獲得キャンペーンも兼ねて月に一回程度学生青年センターでファーマーズマーケットを開催してはどうだろうか。今後は求める会にも相談しながらさらに検討することになった。

直接苦情受け付けについて

今までは野菜係りさんを通じて苦情が生産者のもとへ寄せられていたが、よりスピーディに解決したり、再発を減らすのに直接伝えてもらった方が効果的ではないだろうか。手続き上は会を通す必要があるが、受け取った野菜に何か問題があった場合、その野菜の生産者に直接携帯メールで苦情を伝えるシステムがいいのではないか。また、農薬を使用せずに栽培する難しさを消費者にもっと理解をしてもらうためにはコミュニケーションが一番大切。そのためにも直接メールでのやりとりもひとつの手段ではないだろうか。

 

2009年東アジア有機農業大会

 1117日から19日、韓国のソウル市にて東アジア有機農業会議が開催され参加した。日本からは私とIFOAMジャパンの代表、村山氏、IFOAM世界理事の郡山氏(らっでぃっしゅぼーや)、JONA(有機認証団体)遠藤氏が出席した。去年の7月に国際有機農業運動連盟(IFOAM)の世界大会がイタリアで開催されたおり、韓国の有機農業のグループが総会で次回の開催地として名乗りを上げた。候補地はアジアから中国、インドネシア、その他の国々も希望したが最終的に韓国に決定した。IFOAMの世界大会がアジアで開催されるのは始めてでアジア初の大規模な有機農業の大会は2011年に予定されている。今回の東アジア有機農業会議は世界大会を踏まえ、日本、中国を含め、アジアの有機農業団体がどう韓国と協力できるか、話し合いの場も設けられた。

 大会では「地球温暖化における有機農業の役割」、有機種子、有機畜産、オーガニックコットン、有機化粧品などの分科会、IFOAM世界大会準備委員会、東アジアの有機農業団体によるネットワーク会議などがあった。有機農業の盛んなヤンピョン市にも訪れ、出荷場や研修施設なども見学した。アジア各国、インド、バングラディッシュ、ベトナム、マレーシア、インドネシア、台湾、中国、フィリピンから有機農業団体の関係者、大学の研究者が参加した。米国、オーストラリア、ニュージーランド、イギリスからも分科会の講師として招かれ、国際的な有機農業の現状についての報告もあった。

 

地球温暖化の有機農業の果たす役割

 大会の初日に「地球温暖化と有機農業」と題して、分科会があり、参加した。分科会ではIFOAMの副代表、アンドレ・リュウ、オーストラリア有機協会副代表、ティム・マーシャル氏、タイのグリーンネット、ビトゥーン氏からそれぞれ報告があった。中でもIFOAM副代表のアンドレ氏はIFOAMの国際的な活動を通じて集めたデータをもとに地球温暖化対策にいかに有機農業の果たす役割が重要であるかの説明があったので要約する。

 

植物の役割

 皆さんも知ってのとおり、植物は主に炭素(C)、水素(H)、酸素(O)から成り立っている。光合成によって生成される炭水化物はCH2Oで炭素、水素、酸素でできている。これが植物のエネルギーの源である。炭水化物の代表的な物質で植物に大きな役割を果たしているのがC12、ぶどう糖である。ビタミンCはC、これら全部はCとHとO、つまり炭素、水素、酸素からできている。このCHOに窒素Nが結合し、アミノ酸(NCHO)が生成され、植物の細胞ができ、細胞を囲む、細胞壁であるセルロースもCHOからできている。植物にとって最も重要なものはつまり、炭素と水と空気(酸素)なのだ。

 では植物はどうやってこの炭素を吸収するか。植物は動物と異なり、空気中の二酸化炭素COを葉から吸収し、根から水を吸収し炭水化物を生成する。これを炭酸同化作用という。二酸化炭素を吸収し水と化合して炭水化物を作るのに必要なのが光のエネルギーである。植物は光合成することによってエネルギーの源である炭水化物を作るのだ。しかし、光合成しないと炭水化物ができないのであれば、雨が多く、光の量が少ないと植物は体を作れなくなってしまう。ところが土の中に炭素が多いと曇りの多い年でも植物は根を通じて炭素を体内に吸収することができる。この土の中の炭素の塊が有機肥料であり、堆肥である。世界中で有機栽培圃場と化学肥料を使用している慣行農法の圃場の比較実験が行われているが、気候の変化に対して収量の増減が少ないのは慣行農法よりも有機農業で有機農法は気象変動に対する食糧生産に最も適しているといわれている。

コーネル大学の調査によれば、5年間の転換期間を過ぎれば、それなりの技術が伴えば、有機農業の圃場から慣行農法となんらかわらない収量を見込まれると発表した。しかも旱魃の年には慣行農法よりも収量が高くなる結果がでているとしている。堆肥を入れ、ふんだんな腐食に富む土壌には通常の20倍から30倍近い水分を含み、水不足の年でも減収の値は慣行農法のものより少ないようである。

有機農業による温暖化対策

 上記の説明でもわかるように植物体は主に、炭素、酸素、水素、それから細胞生成に必要な窒素から成り立っている。だから植物体を利用して作られた有機肥料にもふんだんに炭素、酸素、水素、窒素が含まれていることがわかる。また、有機肥料に利用される畜糞は、草食動物である牛や豚、鶏であるが、動物は植物を食べて成長するわけだから、当然、糞尿にもふんだんに炭素、酸素、水素の生成物が含まれている。これを堆肥にして土の中に漉き込めば、炭素、酸素、水素の化合物である有機物が土の中に固定化されることになる。化学肥料は主に窒素酸化物NOからできていて、炭素Cは含まれていないため、土の中に炭素を固定化することはできない。そればかりか化学肥料に含まれる溶解性の窒素が土に中にあると土中の炭素と反応し、土の中からさらに空気中に炭素を放出してしまうらしい。最近、ニュースで高度な技術や機械を使って、土の中に二酸化炭素を固定化し、地球温暖化の原因となる二酸化炭素の削減の努力が行われていると聞くがまったくのナンセンスだ。空気中のCO2削減し温暖化を防止するには世界中の畑で有機農業を実践し大量の炭素を堆肥の形で土にすきこみ固定化することだ。データに基づく実験の発表の結果、英国、オランダ、ドイツ、デンマークの4カ国はすでに有機農業を温室効果ガス削減の対策の一つとしており、フランス政府も検討中である。また米国政府は化学肥料と農薬から生み出される温室効果ガスの影響は国内排出量の20%に達しているとしている。

 米国のロデール研究所の調査では、炭素をたっぷり含む堆肥をいれた有機圃場では年間、1ヘクタールあたり、7000キロの炭素を固定化することができ、もし全米の圃場を全部、有機農法に転換すれば、米国が石油消費によって生み出す二酸化炭素の25%を削減させることが可能であるというデータを発表した。そればかりでなく、腐食の富む、畑では温室効果ガスに最も大きな影響のあるメタンガス、窒素酸化物を大量に土中に固定化することも可能である。化学肥料は溶解性の窒素を多く含むので、窒素は固定せず土からそのまま河川に流れ、硝酸態窒素の影響で水質は悪化し、窒素による富栄養化が進んでいる。

有機農業の収量は低いのか?

 地球温暖化対策として、有機農業を推進するのはいいが、実際、有機農業で人類が飢えることなく食糧生産ができるのかという議論がある。しかし、各国の有機農業技術の実践と研究で技術はますます発達してきている。米国の上位25%の有機農場の農産物の収量はすでに慣行農法の平均収量を上回っている。有機農業の効果は特に温帯、亜熱帯地域でめざましい結果を生んでいる。国連組織UNCTADUNEPの調査によるとアフリカ全体のプロジェクトの対象、農場の有機農業による平均収量は同地域の平均収量の116%も高いことがわかった。その他、ブラジル、グアテマラ、ホンジュラス、メキシコでも同様の結果が出ており、有機農菜はもはや「お金に余裕のある人々」の食糧ではなくなりつつある。有機農業の研究の乏しい日本はまた世界から取り残されている。


2009年 11月発行

野菜出荷状況(11月-12月上旬)

青菜類では、小松菜、法連草、ビタミン菜、チンゲン菜、タアサイ、菊菜、サラダ水菜など出揃います。サニーレタス、レタス、甘藷、人参、大根、小カブ、里芋も出てきます。カリフラワー、ヤーコン、キクイモが入るコンテナもあります。インゲンもまだ続きます。霜が降りれば白菜、葱も出始めます。

今年は冷夏で害虫もよく育ったのでしょうか、例年になく被害が多く困っています。今年はうちも、端境期になんとか野菜を出せるようにしようと8月、いつもより早く小松菜、チンゲンサイ、タアサイ、ラディッシュ、サラダ水菜、ビタミン菜、ホウレン草を撒きました。害虫が寄らないように丁寧に虫を通さないサンサンネットの覆いをし、窒素が過剰になると虫が来るので、堆肥を撒き、カキガラ石灰などで土壌を調整、比較的虫の発生が少ない影になる畑を利用しました。すると思惑どおり9月にむかって青菜はすくすくと育ち、わくわくしていた矢先、出荷手前になった頃からサンサンネットの小さな隙間から、ダイコンサルハムシが進入。妻と今年は早くから青菜が出せるぞと喜んでいたのに虫は日に日に増大、きれいに出来ていた青菜はぼろぼろになってきました。ぼろぼろになると野菜は雑草に負けてくるので今度はサンサンネットをはずして除草作業、2-3日かけてきれいに手で草引きをしました。寒くなったら虫も減るかと思いましたが、害虫は一向に減ることはなく、ついには茎だけを残して全滅、しまいには腐って畑から消えていきました。

9月26日、虫の発生時期を外し再度、青菜類(小松菜、菊菜、ホウレン草、ビタミン菜)を撒きました。しっかり土壌を検査し、堆肥を入れ順調に育ちました。ところが10月に入っても暖かいままで順調に育ったのはいいのですが、小松菜はずんずん育ち出荷するころになると出荷制限で、今度はりっぱにできたのに出荷ができず、大きくなりすぎて鶏の餌です。労力をかけても虫で全滅、じょうずにできても出荷できず、無駄なことの繰り返し、本当にいつも大変です。

 堆肥まきから、トラクターで耕し、暑い中で畝たて、種まき、ネットかけ、そして除草作業。キロ数百円の青菜にどれだけ労力をかけるのでしょうか。意味無く穴を掘らされ、掘った穴をまた埋めさせられ、それを繰り返すと人間は精神が病んでいくらしいですが、本当に労力をかけた仕事が全部台無しになると虚しくなります。今年は生産者全員が虫の害にあい、青菜の出荷も大幅に遅れています。中井さんの畑はダイコンサルハムシの被害が拡大しています。池野さんの畑の白菜、カリフラワー、ホウレン草が虫で壊滅。一色さんの畑ではキャベツ、ブロッコリーにヨトウムシ、コナガが大発生しています。大谷さんは大根、人参に被害が出たそうです。


     稲作農家の時給わずか179円

 

 農水省は9月9日、「2007年度の米生産費」の調査結果を発表しました。それによると稲作農家の1日8時間あたりの家族労働報酬は全国平均で1430円、時給にするとわずか179円であることがわかりました。規模別で見ると1-2ヘクタール(市島の有機米農家が最大2ヘクタール)わずか80円2-3ヘクタールで411円、全国で数%しかいない5ヘクタール以上の大規模稲作農家でようやく1500円になるそうです。有機米は高いと言われていますが、これから見たら市場価格の2倍以上しても2ヘクタール以下では労働者の全国平均650円にも満たないのが現状です。ちなみに各産業界別に平均時給を見てみると1位が石油製品・石炭製品製造業で3961円、2位が電気・ガス・熱供給・水道業で3849円、3位が金融・保険業の3764円、4位が教育・学習支援業、5位が化学工業製造業で3217円となります。労働者の平均は650円、派遣平均時給は1555円ですが、中国などから来られ、工場や農場で働いている労働者の平均は300円から400円なので規模拡大に必要な雇用も現在の平均時給では困難なことがわかります。

 低い労働条件は労働への意識の減退、離農、耕作地の放棄に繋がっています。

もともとの農産物価格が労働対価に合わないものなので、有機農産物がたとえ市場価格の倍であってもなかなかこれで生計を立てるのは困難です。現存している農家の多くは長時間労働も余儀なく、休日も皆無です。時間当たりの収益は非常に低いので農業で生計を立てるには休日返上で働き続けるしかありません。市島町は「有機の里」として有名ではありますが、本当に専業でやっている方は1万人の人口でわずか数十軒、農業で生活はできないことが常識になっていて、若い世代で農業を継ぐ人はほとんどいません。大半が兼業で収入は主に外での仕事、農業に従事するのはおじいちゃん、おばあちゃんで農業の高齢化に歯止めがかかりません。最近、市島では新規就農者も少しずつは増えていますが、放棄地は増加する一方です。ちなみ2009年度の日本の耕地面積は前年度から1900ヘクタール減っており、うち9770ヘクタールが耕作放棄地です。何代にもわたって石を手で取り除き、堆肥を入れて肥やしてきた田畑がどんどん放棄地になっています。「橋本さん、もう年取ってできんのでうちの畑をたのめんか?」よく、近所のお年寄りから電話がかかってきますが、うちも手一杯でどうにもならず、断るしかありません。

 

丹波市有機農業研究会主催の有機農業講座

 117日、8日と2日間、丹波市有機農業研究会が主催で有機農業講座を開催した。講師はジャパンバイオファームの小祝政明氏。通常は兵庫県有機農業研究会で開催してきたが、地域の強い要望で丹波の生産者のみで集中的に少人数で小祝氏の講義を聞きたいとの意見が出て実現した。初日はお米の生産者、高木氏、宮垣親子(3名)、地域外から3名、高砂飼料から2名、兵有研の研修生3名、丹波みのり会3名、市有研から橋本、池野さん、大谷さんが参加。10名ぐらいの少人数でやる予定が18名も集まり、丹波太郎の集会場がいっぱいになった。最初にモデル圃場である井上君の畑に行き、小祝氏から畑の野菜の葉を見たり、作物を抜いて根の形も見たりして話を聞いた。参加者からも積極的に質問が出て、菜の花やホウレン草、キャベツ、サトイモ、これから植える玉葱などの話を聞いた。

 小祝氏によると一般的に生産者は窒素系の肥料を中心にやっているが、実は自然界の中では窒素よりもミネラル成分が先行して働いているので森や雑草地では虫や病気の害が少ないのであると力説されていた。有機栽培も自然界の仕組みに従い、ミネラル成分と微生物の働きに注意すべきである。根を広く張らすためには鉄分が大切で長年、堆肥を投入せずに窒素系の肥料をやり続けるとミネラル成分が不足し、病虫害に影響が強くなることも学んだ。鉄分は酸素と結合し土に固定するのでときどき水を入れて酸欠状態にすると植物に吸いやすくなるので畑を水田に転換することが有効ではあるがそれでも長年継続すると鉄分が欠乏するらしい。また水質によってもミネラル分が異なり上流であるほど水に含まれるミネラル分が高いので土へのミネラル供給が進むそうだ。

2009年 10月発行

野菜出荷状況(10月-11月上旬)

 大型で非常に強い台風18号も紀伊半島コースを通ったので、丹波地域は被害も最小限で済み一安心です。台風が近づくと台風情報に聞き入り、祈るような気持ちで作物の無事を願います。鶏舎やハウスの倒壊、大雨による被害、今まで何度も台風に泣かされてきました。自然界の猛威には人間もなすすべがありません。池野さんの奥さんは雨の中、収穫作業をして風邪をこじらせ持病の喘息を悪化させ入院されました。

台風の害の無かったピーマン、万願寺唐辛子、茄子、インゲンも続いて出てきます。人参葉、大根葉などの間引き菜も出ます。リーフレタスが入るコンテナもあります。中井さんは早くからキャベツ、ブロッコリーに虫除けの覆いをして栽培していて、通常よりも早くから出荷しています。一色さんも生姜を出荷されます。

 雨と高温で虫の害が多く青菜類の出荷が心配です。ダイコンサルハムシ、ヨトウムシ、コナガが畑で大発生しています。一色さん、中井さん、大谷さん、橋本の畑では小松菜、ビタミン菜、青梗菜、タアサイ、水菜、大根などに被害がでています。大谷さんの畑の白菜は全滅したそうです。

 

10月の農作業

小松菜、ほうれん草、ビタミン菜、小カブ、大根、水菜、ソラマメの種蒔き。夏野菜、茄子、ピ-マン、オクラのあとかたづけ。春キャベツ苗植え付、玉葱苗の除草などがあります。キャベツ、ブロッコリー、カリフラワーの除草。大根、人参の間引き作業。

 

 

                                        

丹波市有機の里づくり協議会の活動

有機農業推進法が施行され、丹波市が有機農業モデルタウンとして活動が始まってほぼ1年が経過した。現在、協議会には丹波市内の有機農業生産者個人、市島町有機農業研究会、広める会、氷上パスミルク生産者会など古くからの生産者団体、新規就農者で結成された「丹波みのり会」、「丹波ひかみ農協有機米研究会」も参加している。生産者団体以外も地域おこし組織NPO「たんばぐみ」、「田舎元気本舗」、「ビオファーム」、「山名酒造」、丹波太郎も参加し、農業者以外の会員が加わることで幅の広い活動を展開している。

活動は重点的に、「土壌分析に基づく有機農業技術の向上」、「新規就農者の受け入れ」、「地域に有機農業の理解を深め、有機農業生産者を増やすこと」「消費者との交流と都市部でのファーマーズマーケットの開催」を目的としている。毎月第1週の火曜日に定例会を実施しており、会の代表は高木力氏。橋本は副代表として宮垣氏とともに高木氏をバックアップしている。定例会には若い「みのり会」のメンバーを始め、市有研、広める会の生産者が参加し、時には、役場の農政課職員も来て、有機農業を丹波の地に根付かせるための様々な意見が飛び交っている。

 「土壌分析に基づく有機農業技術の向上」のため、兵庫県有機農業研究会をタイアップに小祝氏の有機農業技術講座に会員が参加している。またモデル圃場農家として井上君、谷水君、高木さん、高見くんらが随時、講習会で発表している。1月には三重県の有機農業生産者福広農園の視察。協議会としても独自に小祝氏を呼んで少人数での集中講座を11月上旬に予定している。またモデルタウンの予算を利用して土壌分析機、デジタル測定器、Ph測定器を購入、毎週金曜日8時から、橋本宅の研修生部屋で土壌分析研究会を開催している。研究会には現在、兵有研の農業研修生の渡辺くん、梅内くん、山田君、他にも土を調べたい生産者が集まって自分の畑の土を調べている。

 「新規就農者の受け入れ」として随時、丹波への就農希望者の相談にのっている。兵有研の農業研修生は高木氏(有機米)、高見くん(米)、井上くん(野菜)、橋本(養鶏、野菜)が受け入れ先になっている。9月には丹波太郎を協力して「いちじま有機農業ワークキャンプ」を3泊4日で開催、就農希望者、有機農業に関心ある参加者が17名参加した。また役場とも新規就農者が住むための空き家を探す協議をし、積極的に新規就農者の定住を勧めている。

 「地域に有機農業の理解を深め、有機農業の生産者を増やす」目的で、春には尾崎零氏の講演会を企画、7月には「人参から宇宙へ」の著者で有機農業生産者の赤峰氏の講演会を開催した。また夏には会員内の交流を図るため一泊で懇親会があった。

「消費者の交流と都市部でのファーマーズマーケットの開催」として、月に2回、「丹波みのり会」の愛農人ファーマーズマーケットに協力し交通費を補助しているほか、求める会、G90,つどいの会、広める会等、消費者団体の援農のバス代を補助し、できるだけ丹波の有機農業生産者と消費者の交流が進むように努めている。

 7月19日、霞ヶ関で全国モデルタウンの集まりがあり高木氏と参加し、丹波のモデルタウンでの活動の報告もした。現在、全国では47箇所がモデルタウンとして指定され活動している。ただ、全国での報告書を読む中で果たして全てのモデル地域が有機農業を推進しているのか疑問に感じるところもある。明らかに減農薬を推進しながら「環境保全型農業」と称し、「有機」を語る協議会もあり、参加者からは農水省に対して疑問の声を投げかける人もいた。日本有機農業研究会の全国大会で出会う地域の中では有機農業を推進していながらモデルタウンに指定されてないところもあるようだ。民主党に政権交代し、政府の事業の見直しが始まっているが、これは有機農業推進法も検討されることであろう。丹波はそれなりに活動を進め、新たな有機米のグループの設立に繋げ、今まで有機農業をしてこなかった慣行農家の参加している。新規就農者の増加し市島では現在、17軒に達している。新たな政権はこの動きをみとめてくれるであろうか。

 

2009年 9月発行

野菜出荷状況(9月-10月上旬)

 今年の夏は梅雨が長引き日照不足で野菜の生育もよくありませんでした。お米も収穫量は例年に比べ低いものと予測されます。雨が続いたためピーマンなど根腐れが起こり、各生産者の畑でも何株が枯れています。万願寺の出荷は続きますが、量はいつもより少ないかと思われます。ミニトマトも続きますが、例年と比較して水っぽく糖度ののりもイマイチです。実は野菜の糖も炭水化物から生成されるので日照不足になると野菜の糖度も落ち、味にも影響します。、茄子などの夏野菜は涼しくなると息を吹き返したように実が成ります。モロヘイヤももう少し続きます。冬瓜もあります。遅く植えた胡瓜、インゲンが入るコンテナもあります。

 

9月の農作業

 9月は5月に並んで1年のうちで最も忙しい時期でもあります。稲も黄金色に変わり稲刈りが始まります。 野菜の収穫、秋作の準備で畝立て、堆肥まき、種まき(春キャベツ、ハクサイ、ネギ、小松菜、菊菜、ほうれん草、大根、かぶ、水菜、中国菜、玉葱)、苗の移植(キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー、ハクサイ)など仕事に追われる毎日です。秋冬野菜の作付けは8月下旬頃から俄かに忙しくなってきます。人参、大根、秋馬齢薯、法連草、小松菜、ビタミン菜、水菜、チンゲン菜などの種まきが始まります。通常、7月中に植えつける葱ですが、今年は雨で畑が乾かず、大幅に遅れています。

 9月には毎年恒例の「いちじま有機農業ワークキャンプ」があります。今年は9月19日から21日までの2泊3日で日中は有機農家で農業体験、夜は交流会や有機農業の学習会をします。プログラム最終日には参加者といっしょにうちの鶏を捌いて調理します。鶏の解体は有機農業ワークキャンプに欠かせない行事になっていて、嘗て、学生青年センターが中心になってプログラムをやっていた頃から毎回実施しています。当初は私も鶏の屠殺のやり方がわからず高木さんのおばあちゃんにお世話になっていました。

物の循環を肌で感じてもらい有機農業の本来の意味を理解し、命の大切さを知ってもらう目的で始まったように思います。今はワークキャンプ以外でも教育プログラムの一貫として頼まれればやっています。去年までYMCA高等部の生徒とともに実施しましたし、パーマカルチャー協会のセミナーでも実施しています。今年の夏は大阪のボーイスカウトの小学生、中学生、高校生、大阪ボランティアセンターの福祉関係のボランティア、学生とともにやりました。

 鶏の解体プログラムは農作業体験から始まり、朝、鶏小屋で餌をやり、卵を集め、平飼い養鶏の説明をし、有機肥料がどのようにでき野菜になっていくのかを説明します。畑でも草むしりをしてそれを集め鶏に与えたりします。それから卵を産んでない鶏を選び、かごに入れて移動、木を組んで鶏を紐でくくって吊るします。鶏を羽交い絞めにして動けなくした後、参加者とともに包丁を用意し鶏の首を刎ねていきます。

屠殺の前に参加者に何故、このプログラムをしているか、詳しく説明します。人は皆、何かの犠牲で生かされており、だれにも迷惑をかけずに生きてはいけない、鶏を含め、全ての家畜は人間の血と肉になるために屠殺されます。食べる前にいただきますと感謝するのは、命に対する感謝の表れです。どんなにふざけている子供も真剣な眼差しで聞いてくれます。大人でも屠殺の前は緊張して顔が強張り、ナイフが震えることもあります。ナイフを急所にあて、さっと切ると真っ赤な血が流れて、鶏は身を震わせやがて動かなくなります。参加者はそれをじっと見つめています。ときどき泣いている女子高生もいます。

その後、お湯につけて羽をむしります。鶏が丸裸になったところで足、手羽、内臓など、順番に捌き方を教えます。大人が多い場合はビール片手に焼き鳥にしますし、未成年が多い場合はカレーになります。冬場は白菜や葱をいれて鶏に「つみれ汁」になります。最初は怖がっていた参加者も何かふっきれたように残さず食べてくれます。

         

9月定例会議事内容

お米の収穫について

 夏、雨が多く日照不足で全体的に収量も低いのではないかと予測される。田植えが遅かった人の方が多少ましのようである。

 

野菜当番のあり方について

 野菜の出荷量の多い3名で野菜当番をしてきたが、以前のように当番に休みの月がなく大変であるという不満も上がってきた。また野菜の出荷量が多くても少なくても野菜の出荷条件は皆同じなので、沢山作付けしている生産者ばかりが当番をするのはおかしいのではないかという意見も出たので負担も平等にしようという意見で一致した。結局、以前の方法(1月交代制)にもどすことになった。但し、中井さんは求める会の当番は免除し、その代わり休みは無しで、G90合同コンテナと隔週のつどいの会コンテナの当番をすることになった。

 

アンテナショップへの参加について

 市有研からは一色、池野、橋本、みのり会から井上、古谷が出荷組合に参加することになり、定例会の後話し合いがあった。市島で有機農業研修中の若い研修生に配送を任せる案も出たが、兵有研から出荷体制は長期的ビジョンを持ってやって欲しい、ということと安全面への配慮から氷上酪農のトラックを利用して欲しいと提案があった。しかしアンテナショップも始まったばかりで野菜の注文量も少ないし、今後増える可能性もわからない中、わざわざ少量の野菜を氷上まで持っていくのでは採算があわないという不満の声もでている。

週2回の配送の予定。

 

生産者の声:大谷純治

近頃、異常気象ということで雨や地震がおきています。日本も大変な

ことになり大雨で野菜が値上がりしていたら、流通業者はすぐに

輸入野菜を入れて値段の値下げをしています。またそれをテレビでも

放送していました。「安い野菜が良いです。」と放送内でも放送していました。中には国内野菜を買いたいと言う人もいるのではないかと思います。

テレビ放送はあたかも「輸入野菜は安い。」という買い物行動を誘導

している様に見え、中立の立場の放送がなされてない様に思えます。

結局、国内産の野菜 天災で野菜はできないは 値段も値上げできない

ままの状態です。農業を大事にするのであれば国は価格を保障する様な

ことをしない限り、農家の収入は低いままの状態が続いています。

最近の異常気象とテレビを見て感じたことを書いてみました。

 

本当に危ないの?有機野菜

 最近、有機農産物が市場でも広がるにつれ、有機農業に対する攻撃的な見解もよく聞かれるようになった。有機農業は戦前日本にあった伝統農業に帰る行為であり、昔の寄生虫の問題がまた起こる可能性があるとか、有機農業は非効率で実践性に薄いなど、国内外で新たに生まれつつある有機農業の技術的な動向や研究を無視し、調べもしないで有機農業を批判することに腹立たしさを感ずることがある。先日、書店で「本当は危ない有機野菜」(徳間書店/著者:松下一郎+エコ農業のウソを告発する会)というのを発見し、ムカムカしながら思わず購入して読んだ。以前から有機農業を批判している本があることは聞いていたので知っていたのだが、どんな内容か気にはなっていた。

 どんなウソが書かれているのかと思って読んだら、期待はずれで?至極まともなことが書かれているので驚いた。著者は有機農業そのものを非難しているわけでなく、内容は未熟な堆肥や生の家畜糞を大量に使用している有機農家とそれを野放しにしている有機JAS法やリサイクル法、有機農業推進法に対しての警告であった。日本人は伝統的な食生活から肉食中心の食生活に移行し、大量の飼料を輸入し大型の工場的な畜産を進めてきた。不自然な大型畜舎ではストレスがたまった家畜に多量の薬剤が使用されている。抵抗力のない家畜は鳥インフルエンザを始めさまざまな病気の原因にもなっており、このような化学物質やカビ毒、寄生虫や病原菌を含む家畜糞を生または未完熟のまま畑で使用するのは危険である。また安い家畜糞を大量に畑や田んぼに撒けば、過剰な栄養素が環境中にも放出され、有機農産物であっても窒素過剰になり、安全性が損なわれるばかりか河川や海の富栄養化を進め、環境汚染を広げることになる。食品の輸入は同時に有機物の輸入であり、日本はこのまま食品の輸入を続ければ富栄養化が進み、ますます水を汚染され、新たな病気を生み出す危険性もある。大型畜産の糞尿の堆肥にして畑や田んぼに撒けば解決する問題ではなく、リサイクル法は日本国内の環境問題の根本を理解していない。有機農業であっても土壌のバランスを考え施肥をする必要があり、やみくもに有機物を田畑に投入することは非常に危険であるなど、読めば読むほどうなずける内容である。

 有機農業を勉強する中で、発酵の必要性を感じ、堆肥や有機肥料は必ず発酵したものを使用してきたが、有機農家の中には家畜糞を生または未完熟のまま使用している人も多く疑問に思ってきた。できた農産物の評価は同じなので、労力とお金をかけて発酵技術を進めるのはあほらしく感じることもあった。しかしこの本を読んだら、やはり有機農業の根本はきちっと発酵した肥料を使用する、炭素率の高い植物性の有機物を増やすこと、土壌のバランスを知り適正量の有機肥料を使用することが本当に環境を守ることになることを知り、自分のやってきた方向性も間違いがなかったことを確信した。


                      

2009年 8月発行
休刊
2009年 7月発行

野菜出荷状況(7月-8月上旬)

 人参、胡瓜、インゲン、ズッキーニ、馬齢薯、玉葱、ニラは引き続き出ます。茄子、ピーマン、万願寺、トマト、ミニトマト、茄子、モロヘイヤ、南瓜、

青シソ、スイートコーン、オクラなど夏野菜がどんどん出始めています。

キャベツ、ブロッコリーが入るコンテナもあります。

梅雨はまだ終わりそうにありません。雨はうれしいですが、雨の中の作業は大変です。

池野さんの馬齢薯、茄子に病気が出て元気がないそうです。連作障害ではないかと考えられます。池野さんの水田は工夫して除草機を使い除草してきましたが草が旺盛でおっつかず、苦戦しています。人参はとうだちしてしまったそうです。

大谷さんの畑は鹿の害がひどくトマト、サツマイモ、馬鈴薯は全滅したそうです。

 我が家(橋本農園)には4月から卒業した谷水君に替わって山田くんが研修生として週に3日来ています。東大阪出身でギターが得意なそうです。昨年10月頃から畑を借り、すでに何品か作物を作り始めています。

大阪で不動産の仕事をしていた川北くんも7月中旬から研修生として受け入れる予定になっています。

有機農業ワークキャンプを通じて市島に引っ越してきた岩本君もパスミルク生産者会の婦木さん(春日町)で農業研修を受けています。彼ら以外にも私が知る限り3名~4名市島に就農希望している人がいて、丹波太郎の宿泊施設はいつも満杯状態、君塚さんも対応に追われているようです。

 うちの研修生第1号の井上くんは新規就農者と「丹波みのり会」を設立したり、積極的に都会の消費者と交流するなど市島でも大活躍していますが、彼のところにも研修生の渡邊君が来ました。渡邊君のお母さんは「広める会」の消費者会員で市島の有機野菜を食べて育ったそうです。

渡邊君は農業を志し淡路島の農家で研修を受畑も3町ほど任されていましたが、慣行の農家の使用する農薬の量の多さに疑問を感じ、有機農業をしようと市島にやってきたそうです。市有研広める会班では彼を生産者会員として受け入れるかどうか現在検討中だそうです。

提携先の消費者の息子が市島の有機野菜を食べて育ち、農業を志し近代農業に疑問を感じて、市島にやってくる。これも、長年我々が生産者と消費者の提携を続けていた成果ではないでしょうか。

 

7月の農作業                                                    

水田中干し、除草、追肥。畑の除草、収穫、追肥。干し葱作り。大豆、黒豆、小豆播き。キャベツ、ブロッコリ-、カリフラワ-苗作り。干し葱植え。

「地域をささえる食と農・神戸大会」について

 2010年2月18日から21日まで神戸学院大学ポートアイランド校にて「地域をささえる食と農・神戸大会」が開催される予定です。先月、620日にその実行委員会が東京で開催され、各団体が集まり、大会の内容と実行委員会の組織体制について話し合われ、大会の大枠が決まりました。私は今までの関わりから大会の実行委員長を務めることになりました。

大会は主に米国、フランス、ヨーロッパ、アジアで提携運動を実践されている団体、生産者を呼び、「地域をささえる食と農」と題しての国際大会になる予定です。「有機農業の世界大会が神戸で開催されるらしいですが、どんな大会ですか?」、「世界の提携団体が集まるらしいですが我々とどう関係があるのでしょうか?」、「何故、有機農業の国際大会を日本でする必要があるのでしょうか?大会の趣旨はなんですか?」など数々の質問が最近、私のところにも来ていまして、一度きちんと説明し、大会への協力をお願いしたいと思います。

 

世界の提携運動の動き

 1970年代、高度成長期にあった日本では、水俣病に端を発し環境中にばら撒かれた化学物質がめぐりめぐって人間や食品に入り、人体に害を及ぼすのではないかという危惧から子供や家族を食品公害から守ろうとする、意識ある消費者が中心になって、農薬や不自然な化学物質を使用することを止めようとしていた農家、食品加工業者と結びつき、安全な食品の共同購入運動が始まり、日本で有機農業が始まるきっかけとなりました。有機農業は農薬、化学肥料の使用によって土壌が疲弊し始めていたヨーロッパ、米国ですでに始まっていました。しかし、欧米での有機農業の広がりはあくまでも生産者を中心とした運動で、日本のように生産者と消費者が結びついた「産消提携運動」は大変特異で、1982年にボストンで開催された国際有機農業運動連盟の大会に出席した日本有機農業研究会の代表団が日本の生産者と消費者が結びついた「産消提携運動」について紹介した折、「格別な反響を呼び、休憩時間や閉会後に話しかけてくる者が後をたたなかった。」ぐらい大きなインパクトを世界の有機農業実践者に与えました。

 生産者は消費者と「顔の見える関係」で結びつき、消費者の食卓に責任をもって安全な食材を多品目生産する。消費者は生産者が困難な有機農業で生計が成り立つよう生産物の価格を保障し、再生産可能が値段を生産者と消費者が合意のもとで決めていく。生産者が大変な場合、援農といって除草作業、虫取り作業に消費者が出向く、両者が交流会を開催し、農村と都市の理解を深める。このユニークな活動の取り組みは1970年代から1980年代頃まで日本全国に広がり、日本農業研究会の見解によると約500から1000ぐらいの「提携組織」が存在するとのことです。余談ですが、以前ドラマ化された「夏子の酒」という原作の漫画にも有機農家と消費者、援農の様子が出てきたのでびっくりしました。

 同様の活動が1970年代にスイスでも生産者・消費者協同農場としてはじまっており、日本やスイスを中心に世界に「提携運動」が広がり、米国ではCSA(地域をささえる農業)、フランスではAMAP(農家を守る協会)、その他、カナダ、南米ではブラジル、アルゼンチン、欧州ではイギリス、ドイツ、デンマーク、ロシア、イタリア、ギリシャ、ポルトガル、そして、南アフリカ共和国、インド、マレーシア、フィリピンに同様の活動が始まっています。

2004年にはフランスの団体AMAPが中心となって各国で「提携運動」を実践している団体や生産者が招かれ、始めての国際大会が南フランスのマルセイユ郊外で開催されました。その後3回の大会を経て、各国の提携運動を結びつけ、世界にこのすばらしい運動を広げようという声が高まり、URGENCI(世界提携ネットワーク)を設立することになりました。日本での開催は「提携発祥の地」である日本に行って見たいという各国の声を受け、日本で有機農業を進める多数の団体が大会実現に向かって結束したことが始まりで、日本の有機農業全体にとっても大変有意義な大会です。

 

何故日本で開催するのか?

 有機農業が運動として始まったのは、近代農業が生んださまざまな弊害を解決するためです。高度経済成長に合わせてあらゆるところで工業化が起こってりました。農産物は規格化され、工業製品のように同一品質のものが安定供給できることが求められ、そのために農家は不自然な農薬を使わざるを得ない状況に追い込まれたわけです。農薬の大量使用はそれを食べる消費者に害をもたらすだけでなく、生産者にも健康被害が及び、地域の動植物の生態系の破壊にも繋がりました。また近代化農業の導入にともない、農家はコストダウンを強いられ離農が続き、農村の高齢化、後継者不足、人口流出、放棄田の増加があいついでいます。規格化、標準化が求められる、現行の市場システムの中では、たとえ有機農産物が広がったとしても農業の再生に繋がるとは限らず、有機農業の本来の目的を達しえるとは到底思えません。

農村は各国の国民にとっては、踊りや歌など地域性のあるユニークな文化継承の地であるだけではなく、国民の食糧を提供する場であり、さらにその国の貴重な植物が生息する生命の宝庫であり、農村や農業の問題は農民や田舎の人々のみならず、国民全体の問題であることを認識する必要があります。各国で始まっている「提携」の運動はそれに気づいた都市住民と農家が結びついたことに大きな意義があり、日本でも多くの人に農村の問題は農家だけの問題でないことを知ってもらい、より広範な人々に農村の問題に関わる必要を知ってもらう必要があります。提携運動を中心に、市民団体、生協、有機農産流通団体でも農村と都市を結ぶさまざまな活動が全国で展開されています。農業問題を解決するためには都市の住民はどのような関わりができるか具体的に知り、大会を通じてより広範な市民が農業と農村再生に関わっていただければありがたいと思っています。

2009年 6月発行

野菜出荷状況(6月-7月上旬

 6月に入って、適度に雨が降りながら、夏野菜もぼちぼち育ってきています。実えんどう、スナックえんどう、ソラマメは5月下旬から出荷が始まりピークも過ぎ、葉も少し色が薄く黄色に変色してきているので6月上旬には終了するかと思います。

青菜も順次終了しますがビタミン菜は少し続きます。玉葱は葉っぱが倒伏すると収穫期です。夏大根も出荷が始まります。一色さんの小葱も出ています。     

リーフレタス、玉レタスも続きます。レタスは梅雨に入るとずるけてくるので生産者も注意して収穫しますが出荷の途中で蒸れて痛むこともあるので注意が必要です。

 6月中旬から7月上旬にかけて馬齢薯の収穫も始まります。人参、青シソ、インゲン、ニンニクなどもコンテナに入ってくる予定です。

インゲンは収穫のピークを向かえると一気にできます。ほっておくとどんどん大きくなって硬くなるので大雨の中でもずぶぬれになりながら収穫をすることがあります。インゲンのツルの下部では土について雨で腐って黒ずんでくることもあります。

大谷さんの畑は鹿が入って、馬齢薯の葉っぱを食われ収穫不能になったそうです。中井さんの畑でも鹿にピーマンの苗をかじられたそうです。

 

6月の農作業

 6月は雨が多いので、天候を見ながらの作業です。サツマイモの定植や残った野菜苗も植え付けます。雨が多いと草もどんどん生えてくるので除草作業にも追われます。畑が湿ると機械での除草の困難になるので手で除草しながら作物が草に負けないようにしなければなりません。田んぼでは一旦水をおとし苗を成長させる中干しも始まります。

 

玉葱、ニンニク、馬齢薯の収穫も6月になります。保存しながら継続出荷できるので、各生産者ともに大量に作付けしています。梅雨の晴れ間に収穫するので大変です。収穫が遅れると雨でずるけてしまうこともあります。収穫後も乾燥したところに長期保存しなければならず倉庫が玉葱、ニンニク、馬齢薯でいっぱいになってしまいます。

玉葱は保存状態が悪いと夏の暑さでどんどん腐り、多くのロスがでます。馬齢薯は影になる涼しいところに保存します。保存場所に少しでも光が入ると全体に青くなって食べられなくなります。また倉庫の温度が高いと腐ってしまいます。ニンニクは長期保存のために紐でくくって吊り下げます。玉葱、ニンニク、馬齢薯の保存作業がありますのでこの時期雨が降っても十分作業があります。

品質を保ちながら保存することはとても大変なので、できるだけ早く出荷したいのが農家の本音です。馬齢薯は長期化すると芽が出て出荷できなくなるので秋まで出荷が終わればうれしいです。馬齢薯は芽が出ないように放射線をかけることがあるそうで、そんな芋は恐ろしくて食べられません。

 日本では農産物や加工品に放射線を使用することは基本的に食品衛生法で禁止されています。しかし1974年から放射線をあて芽止めされたジャガイモが例外として認められ市販されてきました。また、2006年には大豆イソブラボン、2007年にパプリカ、2008年にマカ(健康食品)に不当に放射線をかけ販売されていることが発覚した事件も起こってます。また、今年5月の中日新聞には名古屋の中国から輸入された乾燥シイタケが放射能照射されたことが発覚した記事もでています。また、全日本スパイス協会が香辛料等94品に放射線照射を認めるよう、政府に働きかけているようです。

 食品に放射線を当てることで殺菌、殺虫、熟度抑制、発芽阻止を可能にします。しかし食品の成分である物質の分子から電子がはね出され、化学的に不安定になり、「放射線分解性生成物」が作られます。1998年、ドイツ・カールスルーエ連邦栄養研究センターの調査では放射線照射でできる化学物質をラットに与えると、細胞内の遺伝子が傷つき、強い発ガン増強作用があると発表しています。その他、食味の低下、奇形や染色体異常、生殖器異常、死亡率の増加に繋がるなどの研究報告もあるようです。

 ジャガイモは放って置いたら芽が出るもの。青菜もレタスも時間が立つと萎びるもの。食品は長期間経つと腐るもの。餅はカビるもの。食品は生きているので死に向かって劣化するのが当たり前。その常識的なことが我々の周辺から変わってきています。腐らない牛乳は高温殺菌処理がされていて、本来、牛乳の中に住む有効な微生物が無くなり、高温処理することで牛乳が「こげ」により、発がん性が高まると言われています。減塩の漬物には保存料が使用されています。市販のサラダは野菜が劣化しないよう、消毒剤の入っている水に漬けて店舗におかれます。注文通りに卵が出荷されるのは養鶏家同士で転売するのが業界の常識で市販の卵が本当にその養鶏場で生産されたかどうかは疑問です。  

スーパーの青菜やトウモロコシがしゃっきとしているのはオゾンが放出している冷蔵室に置かれているか、塩水処理がされているためです。塩水処理では長めに水に漬けるので栄養分が流れます。腐らないミカンにはワックスがかけてあり、カビがはえない餅には保存料が使用されています。こんなことは挙げていったらきりがないくらいです。

 生産者も製造者も不自然に食品を加工することが当たり前で、それが「プロ」と呼ばれる生産者、製造者です。グルメブームで消費者は「経験」と「感」で不可能を可能にしている職人があたかも存在しているように思わされてないでしょうか。自然の条件や状況を「感」で熟知している昔ながらの職人は食品製造業界からほとんど姿を消し、人間の食べ物を家畜の餌のように製造し人間に食べさせる食べ物工場が当たり前になってきています。

本当は食品が時間がたてば劣化していくことが自然なのに、劣化しないことが常識になってまかり通っていること、注文通りに揃うことに疑問を持たねばなりません。このことは消費者サイドにのみならず製造者、生産者サイドでも利益優先や流通の利便性に重点を置いて不自然な方法で保存期間を延ばすことが常識になってきています。だからこそ生産者と消費者が出会い、本来の食べ物のあり方を求める必要があるのではないでしょうか?

 

2009年 5月発行

野菜出荷状況(5月-6月上旬)

 5月中旬からやっと定期配送に戻ります。春撒きの青菜(ホウレン草、小松菜、サラダ水菜、チンゲン菜)、小カブ、リーフレタス、ニラなど出荷予定です。例年のことですが春は虫が発生しやすので青菜も冬のものに比べ虫喰いが多いですがご了承下さい。早生の玉葱、玉レタスが入るコンテナもあります。実えんどう、スナックえんどう、オランダえんどう、ソラマメなどの豆類も出始め6月にピークを迎えます。筍は天候のせいか生育が悪く、今年はあまり出荷できないようです。

5月の農作業

 5月は農繁期、農家にとって一年の内で最も忙しい時期になります。茄子、トマト、トウモロコシ、ズッキーニ、ニガウリ、ピーマン、万願寺、南瓜、胡瓜、オクラ、モロヘイヤ、シソなど夏野菜の作付け、青菜類の種まき、4月に撒いた、ほうれん草、小松菜、チンゲン菜などの収穫、えんどうなどの収穫、ニンジン、夏大根、馬齢薯の除草作業や追肥。作付け、除草、収穫を同時期に行わなければならないので、てんてこ舞いの毎日です。それに加え、田植えもせねばなりません。

 よく田舎暮らしの話をしていると、「のんびりしていいですね。」と言われますがとんでもない。農村に暮らすということは農作業以外にも沢山の雑事に追われます。特に今年の4月と5月は思いもよらない出来事が農繁期と重なり目が回りそうでした。

 48日でした。畑を耕し、研修生の山田君と夕方、畝をならしていたら、ウーウーウーけたたましいサイレン。火事です。消防団員の私はすぐに駆けつけねばなりません。村では火事の消火は若者の役目です。初期消火が肝心で、遠方にある本署の消防隊が到着するまで待っていたら火は瞬く間に広がります。とにかく研修生に畑の後かたづけを任せて現場へ。山林近くの古い鶏舎が燃えています。近くの集落の消防車はすでに放水を始めていました。私はトビをもって燃え後に入ってトタンをはがし消し残しがないかチェック。火事は収まり、晩方、帰宅。

 翌日は夕方、農作業から帰ったら近所のお宅のおばあちゃんがお亡くなりになったとのこと。私は部落の「組長」なので打ち合わせのため当家に急行。区長さんと家に上がり葬式の段取りを決めます。部落の「組長」は近所で葬式があるとそれを取り仕切る役目を担っています。今年度から2年間私が務めます。

 翌日、午前中の農作業をして午後から近所の人に集まってもらって葬式の役割分担を決め、その夜にあるお通夜と翌日の葬式の準備にかかります。最近は業者がほとんど取り仕切ってくれるのですが楽になってきてますが、訪れる人の接客、お供え物の準備、飲み物の手配、葬式当日の香典の受付や交通整理、全部、近所の人でやらねばならず、組長はこれを総監督でとりしきらねばなりません。以前はお通夜から葬式の間に食事も近所の人たちが作ってましたが、今回は弁当をとってくれることになりました。

 当然、翌日は朝からお葬式の準備です。故人を見送り、お骨が帰るまで皆で待ち、夕方に遺族と近所の人で食事をし、お経を上げて、終わるのが晩方です。     

くたくたになって帰って8時から部落の役員会議、今年の村の年間行事を決めます。

 翌日、朝から鶏舎の周辺で水路の溝さらいの日役の共同作業に参加。春先は田植えが始まるので、地域住民、皆総出で田植え前に水路をきれいにするのが慣例で、あちらこちらで毎週、日役が続きます。

 それから無事に何もなく次の日曜日、419日。朝から畑がある地域の水路の溝さらいの日役があり、それからトラクターを出して畑を耕し、畝たてを夕方に終了。疲れて家で夜8時ごろ、大好きな大河ドラマを横になって見ていたら、またウーウーウーとサイレン。もーまた火事かよ。ドラマが途中なので消防服に着替えながら、のろのろテレビを見ていたら、5年生の息子に「おとうさん、早よー行かな。」と注意された。

しぶしぶ現場に急行、大谷さんの家の裏の放棄田が火事。またトビをもって現場で消火作業。やっと消すことができました。タバコのポイ捨てか突然の火事、迷惑なことだ。地主の木寺さんが「橋本さんご苦労さん。あんたまだ消防団におるんけ。」わたしももう47歳、本当ならとっくに消防団卒業なのであるが、若い人がいないので辞められない。火事が完全に消えているかどうか点検するのも消防団の仕事でこの日は1時間ごとに現場を点検し終了したのが夜中の12時だった。

 そしてやって来た5月の連休。連休といっても農家には休みはありません。ましてや5月の上旬は農繁期で忙しい。それに加えて村の行事が重なります。5月の2日は大原神社の大祭の準備で朝から神社でのぼり立て。皆さん「こいのぼり」を上げたことがあると思いますが、「こいのぼり」で使うような長い木の先に切ってきた竹を付け、「大原神社」と書かれたのぼりを数人で朝から8本立てねばなりません。1本目は気合が入っていて皆が声をかけ一気に大空に向かって立てます。石の杭に柱をしっかりくくりつけ完了です。ところが、3本を過ぎたくらいから皆くたくた。「若手」も高齢化してきているので途中でへったってしまいます。5本目を立てたときは先端がイチョウの木に引っかかるトラブル発生。皆で「せーの」と声をかけて強引に押し切ったら先の竹が折れてしまった。「まー先まで見上げる人はおらんじゃろう。」と年寄りがいうので折れてちんちくりんのまま固定。それでも昼ごろにはなんとか全部立て終わり神社の掃除も済ませ準備完了。

 翌日は朝から神社に集まります。私は太鼓台の運転係り。軽トラの荷台に太鼓を乗せ、若者がそれにのって太鼓を叩いて村中を走ります。10キロぐらいの速度でのんびり村を回ります。荷台では太鼓たたきがドンドコドンドコ、5月晴れの朝、水の入った田んぼに太陽の光が反射してきらきら輝き、太鼓の音が静かな村に響きます。行く先々で家の人が酒をもってやって来るので太鼓叩きも徐々に音が乱れてきます。私は運転手なので酒は禁物。家によっては寿司もでます。おいしい手作りのさば寿司です。子供たちも大喜びでついてきます。それから神社に帰り、お神輿担ぎがあり、祭りはクライマックスを向かえます。今年は青年団が来てビンゴゲームもありました。祭りは昼過ぎに終了。

 そして翌日の5月の4日。今度は水路が壊れているとの報告が常会であり、村の3役、区長、組長2名、農会長を数名で村の水路の点検。もう5月の連休どころではありません。5日、6日も農作業に追われ、子供たちにはかわいそうですがあっという間に連休は終わってしました。毎年のことです。火事に葬式に村の共同作業、それから祭り。あれやこれやのボランティア、村の生活も楽ではありません。

 仕事で忙しいのは「自分」のためでしょう。子供の習い事や家族の行事で忙しいのは「自分の家族」のためでしょう。農村の「忙しい」はコミュニティー全体のためになることも含まれます。もっと大げさに言えば山や水路の手入れは日本の国土のためでもあります。貴方は自分や自分の家族のためでなく、地域や社会のために忙しいことありますか?有機野菜の会に関わることは「自分」がおいしい有機野菜を食べたい、「自分の家族」が安全であればいい、ということだけですか?

 

5月定例会議事内容

フローラルフェスタ参加について

 代表の大谷さんが参加。野菜は完売。神戸西から伊川谷有機農業研究会、加美町の岡野夫婦が参加していた。丹波市からは市有研(大谷さんのみ)、丹波みのり会、山名酒造が参加。シチューをネット販売している「ボングー」(求める会会員)も参加していた。

硝酸態窒素の調査

 丹波市有機農業研究会で購入した硝酸態窒素メーターを市有研で借りて野菜の硝酸値を計る。(514日、出荷作業後に実施予定。)

2009年 4月発行

野菜出荷状況(4月-5月上旬)

 寒くなったり、暖かくなったり、春の天候は不安定です。畑の野菜は温度が上昇するに従ってトウ立ちが始まります。配送も隔週が5月の上旬まで続く予定です。野菜は葱、菜の花が続きます。菜の花も急激な温度変化でトウ立ちしてしまうので予想はできません。

キャベツ、ホウレン草、小松菜、ワケギ、ニラ、玉レタス、リーフレタスが入るコンテナもあります。葱も春になってくると少し硬くなってきます。ブロッコリーのワキ芽も黄色くなって花が咲いて終了します。それでもコンテナに多少の野菜を入れるため、リスクをかけて栽培しているのが現状です。失敗してトウ立ちすれば出荷できないのでそれに費やした労力、エネルギー(畝たて、種まき、除草)が一夜にして無駄になります。一生懸命作ったものが畑で駄目になると精神的にもがっくりきます。自然界の掟に従えば端境期に野菜を作るのは不自然でありますが、待っている消費者のことを思うとどうにかしたいと考えます。

特に市島は山間部なので寒暖の差が激しく、それが野菜の味をよくしているのですが、逆に端境期になるとトウ立ちしやすくなる原因にもなります。

 

4月の農作業

 4月は農繁期、ピ-マン、トマト、茄子、胡瓜、南瓜など夏野菜の育苗が始まっています。ピーマン、トマト、茄子の種は2月―3月中に種まきをします。保温機などで温度をかけて一気に発芽さえある程度、大きくなったものをポットに移植します。有機農業では化学肥料や化学物質は使用しないので、各生産者が工夫して苗用の土を準備し、冬場に苗土をポットに入れていきます。今年はWBCをテレビで観戦しながらこの作業をしました。

苗作りは非常の手間がかかり、途中で枯れたり、リスクも高いので苗屋さんで購入する生産者もいます。我が家では平飼い養鶏の鶏糞、米ぬか、油粕、EM菌で発酵肥料を作り十分寝かしたものと赤土を混ぜて苗土にします。発酵肥料も1年間かけて発酵させたものを使用するときもありますし、何回も切り返して発酵させ2ヶ月程度発酵させた肥料を使う場合もあります。苗土には他に籾殻堆肥(育苗ハウスで1年間おいたもの)、ピートモス(苔類)、腐葉土、バーミュライト、クンタン(籾殻を炭にしたもの)などを加える場合もあります。春は温度変化が激しいので育苗ハウスもちょっと目を離すと温度が異常に上昇し、高温障害で苗が枯れてしまうこともあります。水管理も大切であまり苗に水をやりすぎると甘えた苗になって畑に植えたときによく育たなかったりします。また苗土に混ぜる発酵肥料が十分、発酵していないと根が腐って苗が枯れたりします。疲れて夜、シートをかけ忘れたら春なのに朝方、霜が降りて全滅したこともあります。苗は子供のようなものでほったらかしにしたらとんでもないことになります。ところが育苗期間の2月から3月はこれまた、各有機農業団体のイベントが続き、家を空けることが多いので、帰って育苗ハウスを見たら苗がだめになっていることも今まで何回もあり、大会などに参加して意気揚々を帰ってきてがっくりすることもたびたびありました。

他に豌豆類の除草、春野菜の畝立てに施肥作業。堆肥撒き、小松菜、ラディシュ、ほうれん草、ビタミン菜、サラダミズナ、青梗菜など青菜の種まきと収穫。田圃の代掻きや苗作りなど忙しい毎日です。

 

 

日本有機農業研究会新潟大会

 

3月14日、15日、新潟県の新発田氏月岡温泉で、日本有機農業研究会の全国大会が開催され参加してきた。新潟はさすが農業県で飛行機から見た新潟の大地には一面、田んぼが広がっていて圧倒された。さすが、米どころ。駅からバスで現地に向かう途中にも広大な田んぼが広がっていて、中には一区画が4ヘクタールに及ぶものもあった。(私の圃場面積は合わせて0.7ヘクタール)

大会は13日に幹事会、14日に大会、15日に総会と見学ツアーがあった。実は来年の冬に世界中の提携団体(北米のCSA,フランスのAMAPを含めた数十カ国)の代表を招いて、神戸で国際提携大会をする予定があり、私から幹事会で説明し、日本有機農業研究会として積極的に参加していくことで合意した。関西からは私の他に京都の槌田先生、そして兵庫から兵有研の代表、本野氏が新たに幹事として参加することになった。

大会は新潟での有機農業の集まりらしく、新潟で起こった新潟水俣病のことが大きく取り上げられていた。大会の基調講演は熊本学園大学で水俣学を教えておられる原田正純氏の講演があり、分科会でも新潟大学の野中氏、被害者の会、漁業組会、神田氏の報告があった。また夜には新潟水俣病患者の日常生活を写したドキュメンタリー映画「阿賀に生きる」が上映された。

新潟の水俣病は熊本で水俣病が公式発見された9年後の昭和40年1月、原因不明の疾患として紹介された新潟市下山地区の患者を新潟大学医学部付属病院で診察した椿教授によって有機水銀中毒の疑いがある、との診断が発端だ。

原因は阿賀野川の上流にあった昭和電工鹿瀬工場の廃液で、工場では酢酸や酢酸ビニルの原料なるアセルアルデヒドを製造しており、その製造過程の副産物であるメチル水銀が工場から垂れ流し状態になっていた。当初、工場側は新潟地震によって工場内の農薬が外部に流出し河川の汚染に繋がったのであると説明、故意にやったのではないと主張したが、調査によって生産過程から生まれるメチル水銀が直接の原因であることが判明した。工場から排出していたメチル水銀は微量ではあったが魚の餌である水中昆虫やプランクトンを通じて濃縮し、漁業が盛んで川の魚を重要な蛋白源として食していた地域住民の体を知らず知らずに蝕んでいた。

水銀中毒は脳に影響を与え、被害者は重症者で日常的な躁鬱状態、意識障害、死に至る場合もあった。軽症の場合、外部から健康な人と見分けがつかない患者も多く、日常的に手足のしびれ、疲労感、物忘れ、めまい、転びやすい、こむら返り、脱力感、耳鳴り、失語症、味覚渉外、目が見えにくいなどの症状に悩まされ、職場でも思うような仕事ができず理由もわからず悩む患者も数多くいた。発覚以降は魚の販売額が落ち、多くの漁業関係者が職を失い、収入源を奪われた。裁判で勝訴し漁業関係者や患者にも損害賠償が支払われ、2138件の申請者のうち690名が水俣病認定患者として認定された。

大会で新潟水俣病患者の映画を見て、被害者が病気に侵されながらひたむきに明るく生きようとする姿に感銘を受けた。またあらためて「有機農業」の原則である「身土不二」という言葉を思い起こした。「身土不二」とは人間の身体と土である自然は一体であるという意味だ。人間が土である自然を汚せば人間自身の体も汚される、一切は連携していて不可分である。水俣病がそうであるように人が「合理化」のもとで自然を汚染すればそれはいつか必ず、自分自身に返ってくるのだ。

有機農業は、昆虫を殺傷し河川を汚染する化学物質を一切排除し、大地や自然にやさしい方法で人間に必要な食糧を生産しようとする大切な取り組みだ。経済的な理由で、不自然な生産、製造を容認すれば、環境を破壊することになり、いずれは自分自身に跳ね返ってくることになるのだ。二度と水俣で起こった忌まわしい事件を再発させてはならない。

2009年 3月発行

野菜出荷状況(3月-4月上旬)

 この冬は雪も少なく、雨の日の方が多いようでした。

暖かくなると宿敵のヒヨドリが大量にやって来て畑の野菜を食い荒らします。大谷さんはブロッコリーが、池野さんはキャベツ、菜の花、中井さんの畑でもキャベツや青梗菜、橋本の畑でもキャベツとブロッコリーに被害が出てまさに畑のギャングです。畑をネットで被いをしても間から入ってきます。毎年、市島の春キャベツは無残に食われるので成長が阻害され小ぶりになるのではないかと思います。

 野菜のトウ立ちも始まっていて、畑でも葉っぱの間からニョキニョキと花が咲き始めています。4月には野菜も少なくなり、隔週配送になるでしょう。青菜類では小松菜、ほうれん草、菊菜、水菜がでます。ほうれん草は青菜の中でもトウ立ちが遅い野菜です。菜の花系の野菜、菜の花、紅菜苔、オータムポエムは春先のトウ立ちの時期が最盛期になります。ただ、温度が上昇してくると徐々に茎が細くなってきます。葱も続きます。人参は3月上旬には終了するでしょう。ブロッコリー、リーフレタス、ビタミン菜が入るコンテナもあります。

 よく、市島のブロッコリーは小さいのではないかという質問がでます。ブロッコリーは葉っぱの真ん中にドンとできる大きなものを切って出荷した後、脇からまたワキ芽が出てきます。春先に出荷される袋詰めのブロッコリーはこのワキ芽を摘んだもので、中身は大きいものと違いはありません。ブロッコリーの専業農家のほとんどはワキ芽を出荷せずにすきこんでしまいます。じゅうぶんおいしいのにもったいない話です。

 間引き菜やブロッコリーのワキ芽は一般流通では見られない提携ならではの作物です。何らかの原因で二股になってしまった大根や人参、曲がった胡瓜など規格に合わないものもどんどん廃棄されます。だから農家と消費者の「顔の見える関係」が大切なのではないかと思うのです。

 

3月の農作業

畑の堆肥まき、バレイショウの植え付け。人参、小松菜、菊菜、ほうれん草、大根などの種蒔き。果菜類、(トマト、茄子、ピ-マン、胡瓜、)南瓜などの種播きと苗づくり。

隔週配送について

 そろそろ端境期で野菜の種類が減ってきてトウ立ちも始まっている。現在の予定では3月24日ぐらいから5月の連休あけぐらいまで隔週配送する。

 

市有研の出張手当について

 市有研関連の行事に出席した場合、たとえ、会員全員で行ったとしても

会から出席者に出張手当を支給すること

ミニコンテナの上限について

 求める会からミニコンテナの上限を配送費込みで1800円にして欲しいとの要望がでている。

 

(生産者の意見)

・春、秋、冬であれば1800円も可能であるが、夏野菜はトマト、南瓜などなど単価が高いものが多いので1800円を上限にすればトマトなど入れにくくなる。冬もカリフラワー、ブロッコリーと里芋などの単価が高いものが重なると1800円にするのが困難になる。1800円を越えるコンテナが2週以上続かないぐらいの範囲であれば可能ではないか。

・地域集会では消費者宅も高齢化し子供も家を離れ、昔に比べて野菜の消費量が減ってきているのでコンテナの野菜の量も減ってこないと野菜をとり続けることは困難という意見もでていたので消費者に対する配慮も大切。

 

・出荷量が減ると生産者の収入減に繋がる。作付け会議でも話が出たが、年々、消費者への出荷量が減少してきていて生産者も提携先の出荷のみでは生計を維持することが困難になりつつある。生産者は作付けを減らすか個々人で余剰の農産物を外部に出荷してきた。しかしこのまま出荷量が減少してくれば個人としても対応しきれなくなる可能性がある。今後は真剣に市有研として提携以外への出荷体制を作る必要がある。

 

・提携以外の出荷になると、市場出荷に向けた体制作りをしていく必要がある。流通に出荷するとなるとロットも大きくなるのでグループとして市有研が出荷組合的な機能を果たせるように仕組み作りも大切。出荷用の農産物も品目をしぼる必要がある。

 

・市場出荷と消費者との提携のバランスをどうとるかが今後の課題になる。提携の目的と目標を明確に。提携のあり方も見直し、現状に合う運動をしていくべき。そのためにも消費者との話し合いと交流を深めることが必要。 

 

 

食と農の安全・倫理シンポジウム

「食べ物産業としての農業、生産者からの倫理を考える。」

 2月28日、京都大学医学部百周年記念施設にて、「食べ物産業としての農業、生産者からの倫理を考える。」と題して 食と農の安全・倫理シンポジウムが開催されパネラーとして参加してきた。

シンポジウムは京都大学農学部が中心になって企画されてきて今回が3回目。食べ物をテーマに産業の倫理性について考えてきた。今回はその食べ物の原点である「農業」に焦点をあて、農業の倫理性について考えることをテーマに市島の橋本、金沢の井村辰二郎氏、関西よつば連絡会の渡邊了氏がそれぞれ各自の活動を報告し、意見を発表した。

 

パネラーの1人、農産工房金沢大地の生産者、井村辰二郎氏は有機圃場面積が240ヘクタールもある、日本一の大規模有機農家だ。(事業単位では各地に有機農場を保有するワタミ農場420ヘクタールが最大。)昭和39年生まれの44歳。11年前にお父さんの後を継ぎ、脱サラし就農されたそうだ。金沢県の河北潟の開拓地で有機JAS認証を取得し米、麦、大豆の生産をされている。うちの畑が0.7ヘクタール、240ヘクタールとなるとその300倍以上、、これほどの規模を無農薬、無化学肥料、除草剤も使用せずに実践することは想像を絶するほど大変だろう。

 井村氏のお爺さんは金沢の小さな農家で半農半漁の生活を営んでいたそうだ。父親の代に家族は開拓地に移住したが、農地は湿気が多く粘土質でさまざまな作物の生産を試み、数々の失敗を繰り返しながら、大豆の生産技術を確立してきた。井村氏は小さいときから自然に囲まれ育ったが、ある日、田んぼにミミズが大量に浮いているのを見てからだんだん近代農法のあり方に疑問を感じ始めた。しかし、農業で生計を立てることは困難だと思い、大学を卒業後サラリーマンになり広告の仕事に携わっていたそうだ。仕事関係で知り合った会社の社長さんに将来は親の後をついで農業をしたいと思っている話をしていたら、「人生は一度しかない、農業は大切な仕事だ。やるなら体力のある若いうちからやるべきだ。」と諭され、決意したと話されていた。

 河北潟は本来、湿地地帯で絶滅が危惧されているコミミズク(フクロウの仲間)やシギ・サギが生息しており、ラブサール条約の規定を満たす生態系の宝庫である。しかし、農薬・化学肥料の使用でこれらの生物の個体数は年々、減少しつつある。一方で農業での生計が困難な中、離農も相次ぎ、放棄地が増加する傾向にある。どうせ農業をするなら子供のころにあった自然豊かな農村地帯を復興させようと考え有機農業をすることを決断した。当初、親も農場を有機農業に転換することに反対であったが熱心な説得でやらせてもらえることになった。

 地域の有機農家に相談したら多品目栽培を進められたが、親が保有する30ヘクタールを多品目で管理することは不可能であると考え、大規模有機農業の方法を模索し、すでに大規模有機農業を実践しているヨーロッパからも学び、ドイツの除草機械を輸入して農場に導入した。小祝氏の土壌分析も取り入れながら小品目で畑を回転させ土壌のバランスをとる方法も確立してきた。麦、大豆とも有機栽培といえば輸入品が多数占める中、国産有機大豆の生産に着手し、さらに豆腐や味噌などの加工品作りにも事業を拡大した。麦も麦茶用の大麦からうどんに使用する小麦、パン用の小麦と面積を拡大し、現在240ヘクタールに広げ、わずか11年で日本最大の有機圃場を保有する農家になった。

北陸の気象条件のきびしい中で圃場は重粘土質で最悪の条件、しかも消費地から離れている、2重3重の困難を乗り越えながら頑張っている姿に感銘を受けた。

 

2009年 2月発行

野菜出荷状況(2月-3月上旬)

 野菜もだんだん減って来ています。暖かい日が続くので野菜のトウが立たないか心配です。水菜、葱、チンゲン菜は続きます。法連草、小松菜、タアサイ、人参、リーフレタス、ブロッコリー、里芋、カブ等も入るコンテナもあります。菜の花類、菜の花、紅菜苔、オータムポエムはまだまだあります。

 冬場は鹿の害が増えてきます。稲作の時期は全圃場に稲が植わっているので被害もあちらこちらに分散しますが、冬場はぽつりぽつりと点在している畑に鹿が集中的に襲ってきます。冬場、餌も少なく鹿もよっぽどお腹もすいているのでしょうか?中井さんの圃場は毎日、鹿が来て困っています。大谷さんの圃場もあいかわらず鹿の害が続いています。今度は被害が玉葱にも拡大しているそうです。うちも目を離すと鹿よけ用の網が壊されたり破られたりします。

 

2月の農作業

 2月はトマト、ピーマン、万願寺、茄子等の苗作りが始まります。1年のうちで作業の少ない時期です。

丹波市有機農業研究会の見学会

 1月16日、丹波市有機農業研究会の視察勉強会で三重県名張市の福広農園を訪れた。参加者は氷上の宮垣さん親子、高木氏、市有研から2名(大谷、橋本)、求める会広める会班5名、みのり会5名、でバスをチャーターした。当初は丹有研会員だけで行く予定だったが、島根の有機農家や神戸西区の渋谷さん、それにポラン広場の生産者も参加し大勢での見学会になった。ポラン広場の生産者の中には高知からも駆けつけた人もいて驚いた。

 

福広氏は「らでぃっしゅぼーや」へ出荷していて、圃場面積は1ヘクタール、ハウス13アールに40アールほどの田んぼを耕作されている。有機農業に転換したのは10年ほど前、台風でハウスが倒壊したのがきっかけらしい。夏場はトマトを中心にズッキーニやモロヘイヤ、南瓜、エンサイ、ニガウリ、レタスを作付け、冬場は青菜を中心に法連草、サラダミズナ、小松菜、たべ菜(地域に伝わる伝統野菜)など年間15品目を作付けされているらしい。

 三重の山間の土地ではあるが圃場は丹波地域と比較してよく乾いていて畑地にむいている。ハウスではミズナが育っていて、露地には法連草、小松菜が植わっていた。畑が区切られて、堆肥を撒いたら2週間ぐらいで畝立て、種まき、収穫適期になったら全量を一気に出荷するので、とにかく「雑草が生えるいとまもなく畑が回転している」らしい。 そのため有機栽培なのに露地の畑の雑草が驚くほど少ない。市島では粘土質で水はけが悪い上に雨量も多く、しかも多品目で消費者に少しずつ出荷するためできるだけ長く畑におくので雑草も多く、除草作業も大変だ。福広さんの圃場は、普通であれば青菜の株元が雑草に覆われるのにまったくないのも驚きだ。

 畑の横には堆肥舎が設置されている。地域の鶏糞、オカラ、籾殻をほぼ無料で手に入れ、手作りで堆肥を作られておられる。「らでぃっしゅぼーや」の消費者の協力で台所から出る生ごみも堆肥に利用されている。堆肥は窒素の放出を防ぐため温度管理につとめ、堆肥の切り替えしを頻繁にされているので異臭もなかった。土壌分析にも熱心で少なくても年間70回は実施されていて、どうしても不足している要素がある場合、苦土や微量要素なのどのミネラル肥料を投入する。また硝酸態メーターで常に植物の硝酸濃度を把握し施肥量を考えながら無駄な肥料はやらないようにされているそうだ。青菜では最初に堆肥を入れたらあとは追肥なし、しっかり管理された堆肥を使えば品質も安定するし余分に肥料を与える必要もないそうだ。堆肥には経費がかかっていないので年間数千万の売り上げを上げながら経費はわずか3%程だそうだ。

 福広農園の事は兵庫県有機農業研究会主催の有機農業技術講座で講師の小祝氏に紹介された。有機トマトの品質が良く、慣行農法にも劣らない収量を保持しておられるそうだ。これまでは提携以外の有機農家は「商業主義」だと思いあまり見学には行ったことがなかった。今まで訪ねた農家はたいてい、多品目栽培で消費者と提携し、農場には家畜がいて、自給用の加工品もあった。ところが福広氏の農場では家畜もいないし作付け品目も最低限に減らし、農薬を使わずに作りやすい野菜を選び、虫の害の少ない野菜を虫の少ない適期に植え、適期に全量出荷するというきわめて、効率化された有機農業だ。収益性が高いのもそのへんにあるかもしれない。

 福広氏が出荷する「らでぃっしゅぼーや」は1988年設立された。求める会や広める会のような提携型の消費者団体が唯一、有機農産物を購入できる団体だった頃の話だ。当時、関西で「日本リサイクル市民の会」を立ち上げた高見氏と関東で「大地を守る会」にいた徳江氏は安全な食品を宅配化することで便利に「安全」を手に入れるビジネスチャンスがあると感じ、「らでぃっしゅぼーや」を設立した。その頃は有機農業そのものが技術的にも量的にも商業化することは困難で「らでぃっしゅぼーや」の宅配野菜のメインは減農薬野菜であった。宅配化は従来の産消提携の共同購入システムを崩壊させるのでは、と我々は危機感を持った。便利に「安全な食べ物」が入ることは我々の有機農業運動にとってはマイナスではないか、取り扱っている野菜の基準があいまいで安全の定義がわからない等々、否定的に考えていた頃もあった。しかし「らでぃっしゅぼーや」というお洒落なネーミング、カラー刷り見やすいチラシ、楽しい生産者交流会などの企画、宅配なのでグループに入る必要がなく、直接家に届くこと、わずらわしい人間関係なしで「安全」が買えることなどまさに働く女性が増加する90年代に平行して宅配会員は伸びていった。食の安全に注目が集まっている昨今、ますます増加しているそうだ。

 先日、「らでぃっしゅぼーや」職員の潮田氏が訪ねてきた。IFOAM活動していた頃、度々会議で出会っていたが久し振りだった。福広農園に行ったことを話し、現在「らでぃっしゅぼーや」の生産者の何パーセントぐらいが有機農業(有機JAS基準に適合)を実践しているのか聞いてみたら、すでに半数ぐらいの契約農家が有機JAS基準レベルの農家であるらしい。「ほとんど減農薬」であった時代から考えたら大きな飛躍だ。でも「らでぃっしゅぼーや」には独自の基準があって今や「らでぃっしゅ」ブランドで十分通用するので認証を取得する必要性もないそうだ。

 「らでぃっしゅぼーや」は会社を運営し売り上げを上げるためさまざまな商品開発、営業努力、農産物の品質向上のための農業技術の開発、農家への指導、提言し効率的な運営を行ってきたそうだ。現在、兵有研を通じて指導を受けている小祝氏も「らでぃっしゅ」の技術指導者として全国に広がる「らでぃっしゅ」生産者のデーターを集め有機農業技術論を確立してきた。その成果が今回、見学に行った福広氏の農場にはっきり表れていた。

 最近、脚光を浴びている有機農家はこぞって大きな組織力を持っている。農業法人や事業体、生協を始めとする大きな組織力をもった流通組織に属している農家が多い。我が市島は分業化され、「組織力」とは逆に「個人」農家が集まり、「自己責任」をベースに会を運営してきた。生産会員の農業技術も各自のやり方を尊重し「自己責任」において作付けする方針だ。出荷する野菜も「自己責任」と「自己判断」。生産会員一人ひとりが「自己の責任」を果たし、負担は高齢者であろうが若者であろうが家族が多かろうが少なかろうが平等に負うべきであるという考え方でお互いを尊重し和気藹々と運営してきた。しかし自己責任論はともすれば他人に対しての「無責任」にもなることがあるのではないだろうか。


                       

2009年 1月発行

野菜出荷状況(1月-2月上旬)

 根菜類は大根、人参、カブ、里芋などがでます。葉物は葱、ミズナ、小松菜、ビタミン菜、チンゲン菜、タアサイ、菜の花、紅菜苔、オータムポエム。その他、ブロッコリー、カリフラワー、キャベツ、菊菜、ほうれん草、ハクサイなどが入るコンテナもあるでしょう。

 冬に入って食べ物が少ないのか、鹿がたびたび里に出没し被害が出ています。大谷さんの畑ではまた年末に鹿が入り、大根、キャベツなどが食べられたそうです。見に行ったら、大根が無残に引き抜かれて畑にころがっていました。収穫間近かに残念です。

1月の農作業

  1月は寒さのため野菜の植え付けはできません。朝は10時すぎまで霧がかかり寒々としていて、夕方5時ごろには日も暮れ農作業の時間も短くなります。作業は冬野菜の収穫が中心です。その他堆肥播き、育苗ハウスの清掃など春作の準備、機械の手入れも冬の大切な作業です。

 1月上旬には各部落で新年会が開催されます。部落によっては元旦の朝から近所の人達が集まって新年のあいさつをかねて宴会があります。うちの部落では元旦を外して、第一日曜日に新年会を行います。宴会の前に皆、部落の神社に集まり宮司さんが来て新年のお祈りをします。「かしこみ、かしこみ・・・」と詔が読まれます。寒空の中、皆、真剣な面持ちで儀式は進行します。準備された榊が宮司さんから区長さんに手渡され式は終了します。それから部落の集会場に戻り宴が夕刻まで続きます。

新規就農者

 丹波市有機農業研究会(丹有研)の1月の定例会で、既存の有機農業ワークキャンプが新規就農者誘致に実績を上げていると評価されて、今後はもっと強化しようという意見が出た。丹有研では丹波市に新規就農者を多く迎えることを目標にする方針になりそうだ。

市島有機農業ワークキャンプは都会の人を対象に3泊4日で受け入れ、日中は農作業を手伝ってもらい、夜は生産者が有機農業の話しをすることで体験と学習を通じて有機農業のことを学んでもらうプログラムだ。始まりはかなり古く、一色さんも以前生産会員だった君塚さんもこのプログラムがきっかけで奥さんと知り合いになった。以前は学生青年センターが企画していたが、プログラムもマンネリ化し一時期中断、その後市島に新たに定着した就農者が中心になって3年前から再開することになった。

参加者は少なく7-8名程度であるが、以前に比べて参加者の中から実際に農業者として市島に定着する人が多くなっている。一昨年の参加者では谷水くんの他、土井さんも家族で市島に引っ越してきて就農し、山田くんもついに勤めを辞め丹波太郎の2階に住んで就農の準備にかかっている。去年の参加者、岩本さんは家族で引っ越すべく、これも丹波太郎に住みながら空き家を捜しているそうだ。

 皆、さまざまな経歴を経て市島にたどりついている。うちに農業研修に来ている谷水大祐くんは一昨年9月にあった市島有機農業ワークキャンプの参加者だ。彼は11月にG90のキャンペーンに漬物を持って参加したのだが、その後、消費者が漬物の取り扱いを検討してもらっているそうで大変ありがたい。谷水くんは兵庫区の出身で、筑波大学卒業後コーヒーメーカーに就職し、サラリーマンを数年経験したが、震災をきっかけに自分の生き方に深く考えるところがあり、備前焼の焼き物師をめざした。その後、農業との出会いがあり市島で有機農業をすることを決断し越して来た。日本の伝統的なものが好きなことに加えてもともと漬物とご飯が好きなので、野菜を作るのなら漬物加工もしたいと考え、東大阪の「漬物道場」に通いプロから漬物加工を習った。氷上町の吉家さん(長年大阪で無添加漬物の製造をされていた方)のところへも出入りし現在も指導をうけている。39歳、まだ独身であるがやる気満々。どうにか成功してほしい。

 谷水くんのような若者が農村に引越してくるのはごくまれで、市島に多くの若者が就農してくるのは皆、市島が有機農業の町だからだ。日本の農村の高齢化は平成15年度の調査で65歳以上の高齢者が30.8%を占め、全国平均を19%も大きく上回っている。農業人口では65歳以上の人口が56.1%で農業者の半分以上が高齢者である。後継者不足で毎年、市島でも遊休地が増え、いくら若者が定着してもおっつかないスピードで農地が衰退している。

 2000年の国勢調査では35歳から39歳の農業に従事する男性の未婚率が31.1%でこれは全国平均を大幅に上回っており、農家の嫁不足は深刻である。つまり、農村では高齢化が急激に進み農業者が減少し、しかもわずかに残った農業後継者には収入があっても嫁が来ないという最悪の状況にあるわけだ。

 このきびしい農村の状況中であえて勇気を持って農村にやってくる新規就農者は一筋の光明である。全国調査では新規就農者は平成元年(私が就農した年)では全国でわずか66名であったのに対し平成13年には530名に増加している。しかし、農村の人口が減少するにはさまざまな要因があるわけで、地元に何のつてもない若者が農村に生き抜いていくことは地元に住むもの以上に大変だ。それは私自身の体験からの実感している。

平成13年度農林水産省が行った新規就農者対象の調査によると新規就農者が就農後、困っていることは第1位が「所得が少ない」(59%)、第2位が「栽培技術が未熟」(44.5%)、以下、「労働不足」(35.5%)、「営農資金が少ない」(29.3%)、「販売が思うようにいかない」(29.3%)、「経営規模が小さい」(28.5%)であった。平成14年に行った調査では今後1年間農業によって見込まれる所得が年収200万円未満で66.1%、200万―300万が21.1%で、所得300万円以下が87.1%もあることがわかった。平成13年度の全国新規就農相談センターの調査でも農業所得で生活が成り立っているのがわずか26%。また生活面の悩みでは「思うように休暇がとれない」(29.3%)、「健康上の不安(労働がきつい)」(14.3%)、「就農地に友人が少ない(地元と人と合わない)」(14.3%)、「集落での人間関係」(11.6%)、「村の付き合い等、誘いが多い」(11.4%)、「集落の慣行」(10.8%)、元々、新規就農者は自ら困難であることを覚悟した上で農村に入ってきたわけだが、現況としていかに生活面でも経営面でも苦労しているかが調査からうかがえる。

 市島町有機農業研究会が設立され、有機農業という農業の理想をめざして出発したことは多くの若者を市島に集める大きなきっかけとなった。私自身も20年前新規就農者として引越してきた。それから大谷さんが続いた、今や市有研の代表だ。8年前にうちの研修生だった井上くんはまだ独身であるが宅配の消費者会員が毎週40-50件あり、たくましく生きている。5年前の研修生古谷夫婦はブルーベリー農園を始めJASの認証を受けた。

うちの研修生以外でも平飼い養鶏をやっている越前さん、インドネシアで家具販売をしていた橋本高穂さん、農学部を勉強し、車のセールスマンから一転、就農した宮崎くん。他、実は市島には今や私も名前も顔も知らない就農者が10数人いるようだ。一方で有機農業をめざしたものの別の道を見つけ歩んでいる池内さん、丹波太郎の職員になった君塚さん、とりあえず農業から離れ丹波市内の農業機械会社に勤める寄田くん、警備会社で働く平田くん。体調不良で一旦離農し再度和歌山で就農した石崎夫婦。残念ながら脳溢血で倒れた西村さん。こんなにきびしく、苦しくとも農村での生活にチャレンジする新規就農者、本当に皆希望がかなって幸福になってほしい。


                     
2008年 12月発行

野菜出荷状況(12月-1月上旬)

 丹波もすっかり冬らしくなってきて、朝夕かなり冷え込みます。朝は10時ごろまで霧につつまれる日も多く、野菜も甘味が増してきたようです。青菜類では水菜、小松菜、法連草、ビタミン菜、タアサイ、チンゲン菜、菊菜、オータムポエムなどが出ます。レタス、サニーレタス、カリフラワー、ブロッコリー、キャベツ、ハクサイ、里芋も入ります。大根、人参、小カブ、葱も続きます。

 朝晩は寒いのですが、日中は暖かい日が続いています。ダイコンサルハムシの害が今年は特にハクサイにひどく出ています。前山地区では引き続き、鹿や猪の害が続いており、大谷さんや中井さんも被害にあわれているそうです。大谷さんの地区では獣害防止の柵を山際に建てる方向で話が進んでいるそうで、柵ができれば獣害も多少減るかと思います。中井さんの大根にはスが入っていたとの苦情がありとても気にされていました。切ってみないとわからないのでスの入った大根はその都度言ってもらったら対応させていただきたい、とのことでした。

12月の農作業

 玉葱苗、豌豆の種まきも12月上旬頃までなら間に合います。法連草、小松菜など青菜類もまだ撒けます。夕方は5時ごろになると日が暮れるので作業時間も少なくなります。

年末には消防団の年末警戒が毎年あります。28から毎晩、31日大晦日まで地区別に当番を決め、各部落が交替で夜の8時から深夜1時ごろまで、定期的に村の中を消防車で巡回し「火の用心」を呼びかけます。市島町の時は町長さんが、現在では丹波市長も各地域の消防団を巡回することになっています。消防団には各地区の20代から40代の若手が入っていますので、年末警戒には巡回のため皆、地区の消防詰め所に集まってくるので大賑わいです。最近はお酒を飲んでの運転は厳しく禁止されているのでなくなりましたが、以前は年末警戒も宴会のようなお祭り騒ぎで、詰め所では鍋や寿司が準備され、酒が入ったままで運転するので「火の用心」どころか「酒の用心」をしてもらわなければならない状況でした。

鍋もすき焼きだったり、団員に猟師がいれば、とってきた猪を鍋にした丹波特有の牡丹鍋とかもあったりします。そしてお酒と鍋で体を暖めて、寒い夜の真っ暗な村々を「火の用心」を呼びかけながら巡回していきます。鹿に出会うのもたびたびです。

 消防団の年末警戒が終わったらやっと年を越した気分になります。私は初詣は市島の「石像寺」に除夜の鐘をつきに行きます。田舎なので寺の周りは真っ暗ですが、石像寺に向う石段の両端は、一段、一段に切った竹の中に入ったろうそくがゆらゆらと灯っていて遠くから見ると大変きれいです。石像寺は曹同宗の寺で庭は京都の石庭のように白い小石が波のように広がっていて心があらわれるぐらい美しいです、これが年始にはライトアップされています。除夜の鐘は順番に来た人から鐘がつけます。ぼーん、ぼーんと音が市島の夜空に広がります。石段を降りたら付近の人が木をくべて大きな焚き火をしてくれていてお参りに来た人にお菓子を配ったりしてくれます。小さなお寺ですが、大勢の人でごったがえす有名な神社・仏閣にない感動を与えてくれます。

12月定例会議事内容

野菜の値段の改定についての要望

 *小カブ・中カブと大カブの値段を揃えた方が当番がやりやすいので大カブの値段を小カブ・中カブにあわせたらどうか。

*割れた人参をジュース用として人参Bとは別に特注でとってもらえたらありがたい。今年は天候のせいか、割れた人参が多い、二股人参ではないのでB級品として出荷ができない。

米国の大学生・市島訪問

 11月14日、米国の大学生5名とノースキャロライナ大学のサリバン先生と夫人が市島の提携運動について話を聞きに来られました。米国の大学生はアメリカを出発し、各国を訪問しながら世界を一周する「洋上大学」の参加者です。船には約700名ぐらいの大学生が全米各州から参加していて、米国以外の国々からも参加者がいるそうです。船は北アメリカ大陸から出発し南米、欧州、アフリカ、アジア各地に停泊し、参加者は自分の希望・関心に従って停泊場所から現地の目的の場所に行けるよう現地の旅行会社が協力しアレンジしてくれるそうです。日本では神戸、横浜に停泊、やはり広島の原爆博物館が一番人気で船の出発に間に合うよう日帰りのツアーが組まれているのだそうです。 

洋上大学は毎年、開催されているのですが「提携」がテーマとして取り上げられるのは始めてです。以前、九州の古野氏が合鴨農法をテーマに講師として停泊中の船に講師として呼ばれ、「日本の提携運動」について話をするはずでしたが船が天候不順で遅れ中止になったことがありました。

 参加者は午後に市島到着後、平飼いの鶏舎や多品目栽培されている野菜の畑を見学、市島の有機農業のことや、日本の農業の現状を説明。うちに帰って、市島の提携運動の始まり、生産者と消費者の関係、農産物の生産・集荷・配達の仕組みも説明。援農、ゴルフ場問題、神戸の震災、台風、鳥インフルエンザなどさまざまな問題を消費者とともに考え行動してきたことなどを話しをしました。

最後、丹波太郎の「米っこラーメン」で夕食、荒木さんがわざわざ時間外なのに店を開けてくれました。最後、荒木さんから日本の自給率の低さ、特に普通のラーメンはほとんど輸入品に頼っているのに反し、このラーメンは自給率が90%であることを説明すると参加者から拍手がおこりました。

 翌日、サリバン氏夫妻は収穫感謝祭に参加。消費者側の取り組みを見学されました。初めて座る畳でお茶会に参加し、大変感動されていたようです。当日、子供の小学校の学習発表会に参加せねばならなかったので通訳として行くことができず心配でしたが、求める会の会員の方が熱心に説明してくださったようで助かりました。ご協力大変ありがとうございました。

農こそヒストリー

 11月29日、京都の池坊短期大学で「農こそヒストリー」が開催され出席してきました。「農こそ・・」シリーズは全国有機農業推進協議会が協力し、関西の有機農業団体が集まり、「農を変えたい!全国運動 関西地域ネットワーク」を形成、去年は滋賀県で開催されました。構成団体は使い捨て時代を考える会、愛農会、MOA,秀明会、ポラン広場、都市生活生協、それから各地域の有機農業研究会・京滋有機農業研究会、大阪府有機農業研究会、兵庫県有機農業研究会、和歌山農業者会議など関西一円の有機農業団体が団体の壁を越え結集しています。また今回の大会には農林水産省、滋賀県、京都府、兵庫県、奈良県、和歌山県、JA京都中央会など公的な機関も後援していました。午前中に「有機農業モデルタウンの研修・交流会」、午後からフォークシンガーの演奏や西村先生の話、京都市内の生産者のトークセッションがありました。「有機農業モデルタウン」交流会では本野氏のあいさつ、農林水産者からの有機農業推進法の説明、関西地区7団体のモデルタウンの活動報告があり、京都の槌田先生からモデルタウン推進にともなうコメントをいただきました。丹波市有機の里推進協議会からは私と代表の高木氏、宮垣氏が参加し、私が活動の報告をいたしました。

 有機農業推進法が制定され、法令に従い農水省は地域で有機農業を推進している有機農業モデルタウンを指定。丹波市も申請を出し、モデルタウンとして助成の対象になっています。

今回の大会には関西各地域でモデルタウンに指定された団体が集まり、各団体の活動報告を行いました。滋賀県からは高嶋有機農業推進協議会、京都からは藁葺き集落で有名は美山有機農業推進協議会、奈良県からは宇陀市有機農業推進協議会、和歌山県からは那賀地方有機農業推進協議会、兵庫県からは本野さんたちの神戸市西有機農業推進協議会、豊岡のコウノトリ共生農業推進協議会、そして我が、丹波有機の里づくり推進協議会が参加、報告をしました。 各会とも大変ユニークな取り組みをしており、大変参考になりました。

有機米の生産が中心の滋賀の高島有機農業推進協議会では都市部住民とともに生き物調査を開催、有機水田を拡大することで絶滅危惧種に指定されている希少種ナガヤダルマガエルや琵琶湖水系の固有種スジマドジョウやその他、多くの生物が生息する水田を広げることを目指しています。農水路に亀やカエルが水田と水路を行き来できるように「亀カエルスロープ」を作り、田んぼの水を引いたあと生物が住めるように生き物の「避難用ビオトープ」を設置しています。

美山有機農業推進協議会には地域の普及所や近畿中国四国農業研究センターが協力しカラー写真で害虫の生態が良くわかるマニュアル書やわかりやすい有機農業技術パンフレットを作成、地域の農家の有機農業への参入を促進しています。

神戸市では有機農家の間で被害が多く困っているダイコンサルハムシに対する対策実験を実施。「ダイコンサルハムシ返し」を考案しています。また小学生の有機農業圃場見学会も開催しています。

豊岡はおなじみのコウノトリが住める水田の確立を目指し、地域に環境にやさしい水田が広がるよう活動が進んでいる模様。

奈良県宇陀市有機農業推進協議会では地域で廃物となっていた植林のせん定材を、粉砕機を用いてチップにし地域の資源を活用して堆肥として有機農業に利用する取り組みが始まっています。また親子を対象とした体験学習会や小中学校、福祉施設への有機農産物の給食食材提供が実施されているそうです。

那賀地方有機農業推進協議会では内外の有機農業参入者を増やす目的で技術的な研修を実施、都市部から新たに有機農業を志す人材の受け入れを始めています。

各地域の活動報告を通じ、有機農業推進の取り組みが単に有機農産物の販売促進を目的とした活動だけではなく、教育、学校給食、消費者への啓発、地域の資源の有効利用、地域の環境保全、生物保護など有機農業が地域の中で広範な役割を果たすことができる可能性があることがしめされました、有機農業は今や生産者と消費者の間の小さな活動から地域に広がる幅広い運動に広がりつつあり、丹波市においても同様の活動が広がることを心がける必要があると感じました。 


                  

2008年 11月発行

野菜出荷状況(11月-12月上旬)

暖かい日が続き、野菜も生育しますが虫の害も多く出ます。青菜類では、小松菜、法連草、ビタミン菜、チンゲン菜、タアサイ、菊菜、サラダミズナなど出揃いそうです。サニーレタス、甘藷、人参、大根、小カブ、大カブ、里芋も出てきます。インゲンもまだ続きます。霜が降りれば白菜、葱も出始めます。大根は初期にダイコンサルハムシに食べられ生育が遅れています。虫の害、特に小松菜、サラダ水菜、チンゲン菜、キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー、白菜、大根などのアブラナ科に顕著に見られます。各生産者の畑にはアブラナ科の野菜にヨトウムシやダンコンサルハムシの食害が見られます。大谷さんは猪が入ってサツマイモを9割ほど食べられたそうです。

 

11月の農作業

11月に入ると玉葱苗の植え付け、ソラマメ、豌豆類の種蒔きが始まります。豌豆は莢を食べるキヌサヤ豌豆、大きなオランダ豌豆、実を食べる実えんどう、実と莢の両方を食べるスナック豌豆(スナップ豌豆とも呼ばれる。)が作付けされます。要望のあったキヌサヤ豌豆ですが、小さい上にすぐに大きく硬くなるので栽培もなかなか難しい状況です。実豌豆は最近、市有研では「久留米豊」という品種が人気です。タキイ種苗からでてきている品種ですが、一般的な実豌豆と比較して莢も実も大きいので食べ応えがあります。

豌豆は英語ではグリーピース、世界中で食されています。メソポタミアの古墳からも発見されていて、紀元前7000年から6000年頃にはすでに食されていた形跡があります。一般的には欧州の南部コーカス地方からイラン付近が原産ではないかと考えられています。古代、エジプト、ギリシャでも栽培されていた記録が残っています。9世紀から11世紀にかけて、スウェーデン、英国でもさかんに栽培されていたようです。当時は穀物として乾燥豆が食べられていたようで、莢や青い実を食べ始めたのは16世紀ごろ、フランスから始まったようです。北米に広がったのは18世紀ごろです。日本へはインド、中国を経て、9世紀から10世紀ごろ、遣唐使が日本に持ち込んだのが始まりのようです。日本でも乾燥豆を食べるのが通常で、莢や青い実を食べ始めたのは江戸時代に入ってからで、本格的な栽培が始まったのは明治以降だそうです。そうすると毎年食べている、あのおいしい豆ごはんを食べ始めたのはそれほど古くないようです。一度、栽培したら5-6年は栽培できないので場所を選ぶのも大変です。天候にも左右され採れる年とまったくだめな年をなんとも予測不能な作物です。特に近年は市島でも豌豆の豊作年がなく、今年こそはと思いながら生産者も作付けをしています。

11月定例会議事内容

市有研からの要望

・大コンテナは16品目が上限で白菜、大根、キャベツ、カブ、ニラ、葱以外の葉物制限を5品目→6品目に、大コンテナが12品目以下の場合、水菜を葉物の6品目にカウントしないで欲しい。

・今まで通り、大コンテナ価格は大コンテナ3600円、小コンテナ1800円とする(生産者価格*16+配送量400円込み)、やむをえない理由で超える場合は消費者担当者と相談する。

・同じ種類の野菜が2週間以上連続で2個以上続かないようにする。

・去年合意された野菜のくくりのルール(小松菜/ビタミン菜・チンゲン菜/タアサイ・菊菜/水菜・菜の花/オータムポエム/紅菜苔・法連草)は集荷状況に応じて、端境期など野菜が少ない場合は臨機応変にはずさせてほしい。

・春先、葉物野菜が少なくなったら菜の花系の野菜(菜の花/オータムポエム/紅菜苔)から2束入れさせていただきたい。小コンテナは8品目の場合葉物は3束まで、7品目以下の場合は葉物は4品目にして水菜は隔週入れる。

・野菜が無いとわかったら2週間前くらいに連絡するので、伊川谷から余った野菜をとってもらったらいい。市有研にハウスものがあればそれを優先してほしい。

  

西宮のイベントで開催されたファーマーズマーケット

  ファーマーズマーケットは全国各地で開催されているようだ。2万人の人出があるといわれる東京/渋谷の「アースデイマーケット」には東京近郊を始め、千葉県からも近隣の農家が出展している。北海道、名古屋、高知でも農家が集まって都市部でファーマーズマーケットを開いており、徐々に全国に広がりつつある。

オーガニックレストラン「愛農人」のファーマーズマーケットには市有研のメンバーは出店しないことになったが、市島の若手の有機農業生産者の「丹波みのり会」のメンバーはずっと参加していて、先日は「愛農人」のお客さんを中心に「みのり会」の畑でバーベキューと芋ほりイベントが市島で開催された。また、この取り組みがNHKの番組でも取り上げられ、市島の井上くんがテレビ出演した。北野坂でのファーマーズマーケットも市島からの参加もしばらくは休止状態である。

そんな中、北野坂ファーマーズマーケットを仕切っている菊池氏に、西宮の白鷹酒造から「西宮酒ぐらルネサンスと食フェア」のイベントに有機農産物のファーマーズマーケットを出して欲しいとの話があり、104日に参加してきた。このイベントは西宮の酒造メーカーが中心に開かれているイベントで第12回を迎えるそうである。祭りの中心は西宮神社で、ここでは各酒造メーカーの酒の試飲、酒ワールドカップを始め、西宮近辺のお菓子屋さんや飲食店が出展していた。町にはチンドン屋が練り歩いたり、今津高校ブラスバンドのコンサートも開催されてにぎやかなものだった。西宮伝統のくぐつ座の人形劇や市民人形劇、昭和初期の紙芝居など文化的にもおもしろいイベントも多数開催されていた。

有機農産物ファーマーズマーケットは白鷹酒造内「白鷹禄水苑」で開かれた。メイン会場から離れていて人が来るのか当初心配したが思いのほかの人出で、畑で余って大量に持って行ったピーマンや冬瓜も全部完売した。

  ファーマーズマーケットに関わってここ数年、都市と農村の接点を求め、生産者と消費者の提携運動の再生に繋がらないかと様々なイベントに参加してきた。宝塚の市民祭り、相楽園のアースデイ、神戸外国人倶楽部のグローバルチャリティフェスティバル、そして今回の西宮の酒蔵イベント、それぞれ多くの近隣市民が集まって、「有機農業」や「提携」につなげるよい機会ではないかとたびたび感ずる。有機農業関係者で集まって主催するイベントではいつもプログラムを仕切って運営するので手一杯で、有機農業のことを一般の人に伝えるのが難しいのが現状で、よく外部から「内輪盛り上がり」という批判を受けたりしている。阪神間には般の市民が大勢参加するイベントが数々あり、やりようによってはここに出展することに大きな可能性があるように思える。

2008年 10月発行

野菜出荷状況(10月-11月上旬)

 今年も昨年に続き、どうにか台風はどうにか逸れてくれています。台風が来れば、茄子、ピーマン、万願寺トウガラシ一気に枝が折れ曲がり終わってしまいます。ピーマンは台風の被害がなければ10月いっぱいは出荷できます。

10月に入ると甘藷も出始めます。市島の甘藷はあまり甘くないのではと言われていますが、今年はどうでしょうか?もともと甘藷は水はけのいい砂地が適していると言われていますが、市島はどちらかというと粘土質土壌で栽培も難しい面があります。また窒素分の高い肥えた土だと大きく大味に仕上がります。インゲン、小葱が入るコンテナもあります。青菜類は小松菜、チンゲン菜、ラディッシュ、サラダ水菜などが少しずつ出始めます。ただ今年は雨が多いので虫の害がひどく、せっかく成長しつつある青菜も生育が心配です。2-3日、晴れたかと思うと突然の雨、畑も乾かないので作付けも遅れます。雨や曇りの日が続くと温度不足で野菜の生育も遅れます。冬に出荷予定の大根にもダイコンサルハムシの被害が各生産者の畑で出ています。害獣の柵がない大谷さんの畑には相変わらず鹿の害が続いています。

 

10月の農作業

10月は小松菜、ほうれん草、ビタミン菜、便利菜、小カブ、大根、水菜のソラマメの種蒔き。茄子、ピ-マン、オクラのあとかたづけ。春キャベツ苗植え付、玉葱苗の除草などがあります。

稲刈りはほとんどの家が9月中に終了です。うちの稲刈りは今年9月の20日でした。一色さんと中井さんも早くに終了し、池野さんはまだ残っている田んぼがあるようです。稲刈りが終わって玄米になったお米が家にあると何かほっとします。お米さえあれば来年までどうにか百姓が続けられる気がしてきます。いくらお米の生育がよくても最後の稲刈りが済み、籾摺りが終了するまで気が抜けません。昔はうちでも刈った稲を天日干していました。せっかく無事収穫が終わっても干している間に台風がやってきて吹き飛ばされてしまいます。吹き飛ばされたのを風が去った後、また立て直します。本当に気の滅入る作業です。収穫している時にコンバインが壊れ、直している間に夜になったこともあります。私が海外に行っている時、稲刈りを始めたらコンバインが壊れてしまい、私の妻は来ていた研修生の女の子と2人が手刈りで稲刈りを終わらせたこともありました。稲を鎌で刈っている間に手に豆ができ、夜になって稲刈りが終了した時に研修の女の子は感動して泣いていたそうです。稲が全てこけて雨で水浸しになり半分以上が発芽米になったこともありました。

部落の集まりでも苦労して米作りを続けるより米を買った方が楽なのではという声もあります。特にうちは別に出荷するつもりで米作りをしているわけでもありません。レジャーで米作りをしているのかというと余暇でやるにはしんどい仕事です。どちらかというと「自給」をしているからお米作りが続いているような気がします。近所の人達もほとんどそんな気持ちで米作りが続いています。先祖から受け継いだ田んぼを守り、家で食べる米を作り、食べきれない部分を出荷する、つまり自給の延長で米作りをしているわけです。そのあたりが自給用の作物を作りその余剰分を現金に換える「お百姓さん」と農産物を商品化して専業化し単品を生産する農家では栽培の姿勢が変わってきます。

百姓は元来、百の姓を持つもので百姓百品、いろんなものを栽培しいろんなものを自給します。昔は家も田畑の続く水路を自分達で作ったものです。山岳部では百姓は森林も管理しますし、猟も行います。海岸部では漁業にもかかわります。大工も左官もします。工芸品を作って町に売りに行く者もいます。戦国の世では足軽として戦場にもでます。造り酒屋の杜氏もお百姓さんたちです。近代に入って、農村部からでてきて道路や橋を作り、工場で労働者として働いてきたのも百姓です。日本の高度成長は百姓の持つ本来の真面目でひたむきな労働倫理によって支えられ高品質の工業製品を生み出したのではないでしょうか。

最近よく、ジェネラリストよりスペシャリストになるべしという声を聞きます。でも日本の歴史は「百姓」というジェネラリストによって支えられてきたのではないでしょうか?市島の生産者は他の専業農家と異なり、多品目を栽培しています。それは百姓が自分達の食べ物を作りその自給の延長上に農産物を販売する本来の農業の姿があるからです。換金するための商品としての食品ではなく「食べる」目的で百姓がつくる自給の延長であるから安全で安心な農産物であるわけです。だから市島の有機農産物は大きいのもあれば小さいのもあり不揃いです。でもそれは売るための「商品」ではなく食べるための農産物を生産しているからです。

兵庫県工業会とのコラボレーション

8月29日、ホテルオークラで兵庫県工業会主催のイベントがあり、パネリストとして参加してきた。兵庫県工業会は兵庫県有機農業研究会と事務所が隣接しているご縁もあり、工業会でも日本の農業振興に何か貢献できないか検討されていることから、以前にも市島に来られたことがある。特に有機農業は工業と対極にあるようで、コラボレーションできないように思いがちであるが、有機農業であってもそれなりに農業機械を使用するわけで、まったく化石燃料を使わずにやっているわけではない。有機農業の大規模化が進んでいる欧米では、除草剤を使用しない代わりにさまざまな有機栽培用の除草機械が開発されておりそれが有機農産物の市場での量を増やすのに役に立っている。

日本でも有機農業が始まった当初は、米作りも手取除草から始まり、モーター付きの除草機が開発され、その後、紙マルチ田植え機や水田用の乗用除草機に発展し、有機米作りの年々、量が増えつつある。有機農業を始めた当初、1反弱の田んぼを昔ながらの手押しの除草機と手取で除草していて、延々続く除草作業にうんざりし、一体これで採算のあう米作りができる時代が来るものだろうかと思っていた頃がなつかしい。その頃は除草も問題があったので市有研でも除草剤を栽培期間中に一回使用した減農薬米も認められていて、出荷米の主流であった。

その後、九州の古野さんが合鴨農法を広められ、市島では依田さんが最初に合鴨農法に取り組まれ、次の年以降、橋本、中井さん、高木さん、大谷さん、池野さんが続いた。うちが最初に合鴨農法に取り組んだ年は結婚した時で、除草を鴨に任せて新婚旅行にから帰ったら田んぼの水が抜けていてヒエだらけ、合鴨といっしょに夫婦仲良く除草作業をしたのが妻との最初の農作業だったような気がする。合鴨農法はその後、国内に留まらず、アジア各国、世界に広がり合鴨農法を広めた古野さんはスイスで環境保護の賞も受賞され、有機米の取り組みは飛躍的に広がっている。

有機米の取り組みが全国に広がることで有機米作りに機械メーカーが目をつけ、三菱から紙マルチの田植え機が開発され、有機米の作付面積も飛躍的に上昇した。その後、他の機械メーカーも水田の除草機を開発し、かつて除草剤を使用せずに採算のあう米作りはできないと思われた時代は終わりつつある。

 工業会の人達と話をしていたら、やはり工業に関わる人達にも日本の国土や農業をどうするか責任があるのではないかと考えている人もいるようだ。欧米での有機栽培に対応した機械の状況を説明したら、環境にやさしい農業を推進するのに工業のノウハウが役立つならこの上ないことであると言われていた。今後も何か互いに協力できることがあればと期待している。

 

                      

2008年 9月発行

野菜出荷状況(9月-10月上旬)

 8月下旬から急に涼しくなってきました。何故か、毎日のように雨が降り続きまるで梅雨のようです。地域によっては大雨で多くの被害がでておりますが、市島ではそれほどでも雨もなく、野菜には適当にいい水分を供給しています。ただ、雨が降り続くと、畑の畝立ても遅れますし、秋冬野菜の作付けに影響がでてきます。草もどんどん伸びてくるので除草にも追われます。予報によるとしばらくしたらまた暑さももどってきて、暖かい秋になるそうです。

 9月に入ると次の秋冬野菜が出てくるまで間がありますので、少し端境期になります。8月中に撒いた種が順調に生育すれば、10月に葉物が続きますが、これも気温に左右し、あまり暑い日が続くと虫が大発生し、日焼けで生育不良になり微妙です。ピーマン、万願寺トウガラシ、茄子などの夏野菜は涼しくなると息を吹き返したように実が成ります。モロヘイヤもまだ続きます。冬瓜もあります。南瓜、胡瓜、インゲンが入るコンテナもあります。9月下旬からはサツマイモも少しずつ出荷されます。9月、10月は台風の季節なので、直撃を受けると野菜にも影響がでます。

 

9月の農作業

 9月は5月に並んで1年のうちで最も忙しい時期でもあります。稲も黄金色に変わり稲刈りが始まります。 野菜の収穫、秋作の準備で畝立て、堆肥まき、種まき(春キャベツ、ハクサイ、ネギ、小松菜、菊菜、ほうれん草、大根、かぶ、水菜、中国菜、玉葱)、苗の移植(キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー、ハクサイ)など仕事に追われる毎日です。秋冬野菜の作付けは8月下旬頃から俄かに忙しくなってきます。人参、大根、秋馬齢薯、法連草、小松菜、ビタミン菜、水菜、チンゲン菜などの種まきが始まります。人参などは暑さに負けず、適当に雨さえあれば発芽し生育してくれますが、アブラナ科の植物である、大根、小松菜、ビタミン菜、水菜、チンゲン菜は非常に気温に左右されます。暑さと湿り気が多いと虫の発生を促進し、葉っぱがボロボロに食い荒らされてしまいます。パオパオや防虫布で覆いをしますがそれでも虫の害を抑えられない時があります。涼しくなって種を撒くのが無難ではあるのですが、そうすると収穫時期が遅れ、端境期が伸びてしまいます。ほうれん草は虫の害はないですが、暑さにやられ枯れてしまうこともしばしばです。9月も中旬を過ぎた頃にはだんだん、涼しくなり、朝夕と寒い日もありますので、菜っ葉類は撒きやすくなってきます。

 農家は4月~6月は春・夏野菜の作付けと管理で忙しく、梅雨に入って雨が続くと少し休憩、7月中旬から梅雨があけ、夏野菜の収穫が毎日続き8月の中頃お盆になる頃に落ち着いてきます。お盆前後になると各部落・自治会で夏のお祭りや交流会が開かれます。うちの部落でも「夏の夕べ」と呼ばれるイベントが今年は8月の24日にありました。「夏の夕べ」は、部落の役員総出で朝から夫婦で祭りの準備にかかります。大鍋にカレー、おでんなどを作るのは女性、男性は外の会場で竹を切ったり、テントを設営したりと結構大変です。途中で何回もビールが出るので半分、皆酔っ払ってます。今年はうちの部落では歌手と手品師を呼ぶことになりました。歌手は福知山のカラオケスナックの元歌手志望のママさんです。手品は市島在住の方にお願いしました。ステージも皆で手作り、大きな土台の木をダンプで運んできて、そこに皆で板を貼り付けシーツをかけます。農作業に使うコンテナを裏返して階段にして、ステージのバックには竹を切って、家から持ってきた洗濯ばさみにシーツを挟み込んでできあがり。はオーディオセット、スピーカーを家から会場に持ちこんでくる人もいます。マイクは公民館の備品。カレー材料のジャガイモ、玉葱は皆の持ち寄り、ご飯も大きな炊飯器で炊き上げます。おでんには1袋分ぐらいの鰯を使います。朝から大鍋で大根、ちくわ、すじ肉、「揚げさん」をぐつぐつ煮ます。フランクフルトも準備します、子供に大人気で家からもってきたバーベキューセットの上で炭焼きにします。鉄板も持ち込んで焼きそばも作ります。

 夕方から部落の人達がどんどん集まってきます。おじいさん、おばあさん、夏休みで来ている孫、都会に住んでいる息子夫婦、日ごろ、見かけない若者、子供たち、公民館グランドはさまざまな人でいっぱいです。役員はそれぞれ配置についてカレー、おでん、焼きそば、フランクフルトを売っていきます。売ると言っても採算度外視の100円です。ちなみにカレーは無料。花火も用意されていて子供たちは大はしゃぎ。そのうちステージでは歌手の歌が始まります。オーディオの調子が悪いのか音が割れてなんの歌がわかりません。その後、手品師の手品ですが、これがおもしろい。円筒形のポールからビール瓶をどんどん出すし、鳩まででてきます。子供たちは種をあかしてやろうとステージの裏に回ってじっと見てますがさっぱりわかりません。ビールとおいしいおでんで酔っ払うおじいさん。久しぶりで出会う幼ななじみ。モクモクと炭が立ち上がる中で煙たくて涙を流しながらフランクフルトを焼く私。空には星がいっぱい、宴会は9時まで続きました。

 

     自然農法・福岡正信さんが死去

 四国・愛媛で自然農法を提唱し日本の有機農業の発展に大きな影響力を及ぼした福岡正信氏が亡くなられた。95歳だった。福岡さんは「自然には一切の人間に必要なものがすでに存在し、人間があれやこれや考えずとも自然の理を知り、それに従って生きることが本来の幸せである。」と考えられた。彼の農法は独特なもので、無農薬(農薬は使用しない。)、不耕起(畑を耕さない。)、無肥料(肥料を与えない。)、無除草(草をとらない。)ことを原則とした。田植えもせず、豆科のクローバーなどを乾いた田んぼに撒き、それを肥料分とし、種籾を粘土に包んでじかに田んぼに撒いて、田植え機も使うことなしに稲を育て、稲刈り前に麦を撒いて、稲刈り時に足で踏みつけながら麦を植えつけるという一切無用の農法を考案した。

 福岡さんは1913年、愛媛県・伊予市の生まれ。岐阜高等農林学校を卒業後、横浜税関に勤務した。20代の頃、病気を患い、闘病生活、どうにか回復し健康をとりもどすが、闘病生活の中で生きることのむなしさを感じ、仕事もしないでしばらく放浪生活をする。ある日、公園で寝ている時、朝方、公園の中からさっと、鳥が飛び立つのを見て、「あー一切は無で何も必要ない。」と感じ、全ての重苦しい重いから解放されたという。「人間はあれも必要、これも必要と悩み苦しむが実は世界には人間に必要なものの一切がすでに存在している。」そう感じた福岡さんは突如として、愛媛に帰郷し家の農業を継いで、自分の考えを農業の中で実践することを始める。ところが一切無用の農業を実践するということは、畑や田んぼは放任状態、親から受け継いだミカン園のみかんの木をほとんど枯らしてしまう。彼の一切無用の哲学の言動と行動は近所の人からも笑いものになり、家族も大変苦しんだそうだ。それでも自分の哲学を貫き、「有機農業」という言葉も存在しない時代から「農薬」を否定し、人々に嘲笑されることに耐え、種籾を粘土に包んで「粘土団子」を作り、田んぼを耕さずにじかに撒き稲を育てるという独特のやり方を考え出した。

しばらくして、彼の農法に多くの試験場の農業専門家が関心を持ち、大勢の人々が福岡さんの田んぼの調査に来るようにもなる。1975年に著書「わら一本の革命」を出版。本に書かれている彼の農法と一切無用の哲学は大きな反響を呼び、本は世界各国の言語に訳され出版され、彼の自然農園の山には国内を始め、世界各地の若者が自然農法を学ぼうと訪れるようになる。アフリカ、アジア各地にも呼ばれ、果樹や野菜など約100種類の種を混ぜた「粘土団子」を大地に振りまき、貧困地域に食糧を生み出す活動にも晩年まで活躍する。アジアのノーベル賞といわれるフィリピンのマグサイサイ賞やインド最高栄誉賞を受賞、日本有機農業研究会の設立にも関わり、有機農家にも有機農業技術発展の中で多くの示唆を与えた。

 福岡さんに出会ったのは大学生の時だ。「わら一本の革命」を読んで感銘を受け。福岡さんの連絡先を調べ電話したら、「本を読んだら全てわかるから、出会う必要はない。」と断られた。それでも自然農法ってどんなだろうと思い、本人の承諾なしに勝手に訪ねて行った。近所の人に聞いて、自然農園を見つけた。山には木々の間にミカンやら、梨やらが植わっていて、林の中や道沿いに大根やらハクサイらしき野菜ができていた。今まで見たことない不思議な風景だった。福岡さんは不在だったので、再度、訪ねて話を聞こうと思った。2回目に訪ねた時は夕方で雨がざあざあ降っていた。もしかしたら雨だし、研修部屋に泊めてくれるのではという甘い期待を持ちながら連絡なしで福岡さんを訪ねた。家に行ったら福岡さんが出てきて、話を聞いてくれた。自分の思いのたけを喋った。「人類は環境を破壊して大変なことになっている。自然農法は人類を救う解決の糸口になる。」うんぬんと長々と話をした。福岡さんはじっと正座して私の話を聞き、そして答えた。「貴方の言っていることはもっともかもしれない。でも貴方は肝心なことが解っていない。知ることと解ることは違います。貴方は知っているけど解っていません。出直してきなさい。」その言葉に何かわからず強いショックを受けてシトシト雨が降る真っ暗な田舎道をとぼとぼと歩いて帰ったのは、今でも忘れることはできない体験だ。

有機農業の国際大会でも、外国の方からよく、「フクオカを知っているか?彼は元気か。」と訊ねられるし、「若い頃、フクオカの講演を聴いた、彼の自然農法はすばらしい。」などの声もよく聞く。有機農業の世界ではかなり有名で多くの外国人は「わら一本の革命」を読んでいる。亡くなられた後、国際有機農業連盟からも連絡が来て、日本の有機農業関係者から福岡さんの死去のニュースについてコメントが欲しいとのメールが届いた。それくらい福岡正信氏は日本人の知らないぐらい「世界の福岡」であり、世界の有機農業に大きな影響力を与えた。

ご冥福をお祈りします。


2008年 8月発行

8月の農作業

 8月になると秋作に向けての耕起、堆肥まき、晩生キャベツ、白菜の苗づくりが始まります。また秋じゃが、人参、大根、サラダゴボウ、葉物の種まき、茄子、ピーマンなど果菜類の追肥、除草もします。早い稲は8月下旬には稲刈りが始まります。

 夏の作業は暑さとの闘いです。野菜が傷まないように収穫作業も早朝にすませなければなりません。特に青シソやモロヘイヤなどは早いうちに収穫しないとすぐ萎れてしまいます。太陽と競争しながらの収穫ですが量が多いとなかなか終わりません。トマトなどハウスでの作業も涼しいうちに終わらせないと日中は暑くてできません。時々、夏の暑い日中ハウスで作業していて倒れる農家の方もおられるそうです。よく学生が夏休みに農業体験に来られますが、体育会系の学生でも作業についていくのがやっとです。夕方になると涼しくなるのですが今度は蚊やらブトやらが攻めてきます。家に帰るとバタンキュー、風呂に入ってすぐに寝ます。そして朝が来て、起きて収穫して、昼少し休憩して、また暑い中に出て夕方真っ暗になって終わり、寝て起きてという毎日が続きます。冬と違って、野菜はすぐ大きくなり、毎日、収穫が続きます。

 そんな忙しく暑い毎日の楽しみが夏祭り。市島では毎年7月29日に川裾祭りが開催されます。市島にもこんなに大勢若者がいたかと思うほどの人が集まってきます。市島の商工業者の提供で花火が打ちあがり、たこ焼きや、イカ焼き、かき氷、当てもん屋などの夜店も立ち並びます。小さな町なので祭りに行くとあちらこちらで知り合いに出会います。うちの長男も卒業して離れ離れになった同級生にも多く出会いました。都会の大きな祭りと違い人だかりも適度で押し合いへし合いもなく本当にゆったりしています。周りには大きなネオンも大きなビルもないので花火はどこからも良く見えます。花火は竹田川から上がり皆橋の上から花火をながめて歓声を上げ、橋の真ん中に設けられた小さな社にお賽銭を供える様は微笑ましくもあります。花火が終了すると市島音頭を踊る会が大通りを練り歩き何ともノスタルジーを感じさせる良い時間が流れます。

前回の続き、でもなんで提携団体が国際的に繫がる必要性がある。

「今から世界の提携団体が国際的ネットワークを作ろうとしているのになんてことだ。もっと皆、真剣に話し合わねば。」国際提携ネットワーク会議の総会でギリシャの生産者から発言があった。フランスで2月に開催された国際提携運動ネットワークは紛糾していた。そもそも何故、地域ベースに独自の活動をしている提携団体が国際的にまとまる必要があるのだろうか?提携団体は生産者と消費者の合意の中で独自のルール作りを行ってきたので、それぞれの提携団体がそれぞれのルールを方針があり、まとまることは難しい。市島町有機農業研究会の生産者も考えの違いで会を離反、分裂、脱会がこの30数年の中でたびたび繰り返されてきて、今や生産会員も5名になってしまった。市島に関わっている消費者団体もそれぞれ会独自の考えと方針を持ってやってきた。兵庫県有機農業研究会にもさまざまな提携団体が加盟している。もっと横の繫がりを強化しよう、生産地で余っているものを交換し県内での提携団体同士の「県内流通」を進めようという声は何年も前からあるが一向に動かないのが現状だ。提携団体の全国組織に日本有機農業研究会が存在する。1971年に設立した日本で最初の有機農業全国組織だ。当然、ここも常にさまざまな議論が巻き起こり、紛糾している。特に認証制度が導入される時は認証是認派と反対派できびしい論争が起こった。提携運動のあり方に関しても議論があり、「大地を守る会」(関東の流通団体、消費者会員5万人)が日本有機農業研究会から離脱した。「有機農業推進法」が制定するときにはまた新たな議論が沸きあがり、別の全国組織、全国有機農業協議会が立ち上がった。有機農業運動団体は地域でも、国レベルでも国際レベルでも分裂、離反を繰り返してきた。皆、おいしい有機農産物が食べられて、まじめに有機農業をする生産者が生活していければいいのだという思いは同じなのだがなかなかうまく進まないものである。

 離脱、離反を繰り返すととことん疲れてくる。結ばれること、団結することは充実感を感じるが、別れること、離れること、理解しあえないことは悲しい出来事だ。提携も分裂を繰り返すと、いっそう提携は個人の生産者と個人の消費者が結び合ったらいいのではないかという考えに行き着いていく。一方で世界的には有機農業の世界がグローバル化してきている。ケロッグやジェネラルミルといった大きな国際多国籍企業が有機産業の世界に浸透してきている。「オーガニック」(有機農業)がファッション性のある言葉として商品化し、さまざまなオーガニック商品が流通している。米国では企業の圧力で有機農業の国内基準さえも捻じ曲げられようとしている。多くの資金が有機農業研究所に投入され、欧米では低価格の大規模有機農業が広がっている。食糧不足に直面している第3世界で先進国のお金持ちが食するコーヒー、チョコレートなどのオーガニック栽培が進んでいる。欧米では真面目に有機農業生産者としてやってきた農家がグローバリゼーションに飲み込まれている。次は日本か。

 地域の生産者が多品目で農薬・化学肥料も使わず栽培する、それを地域の消費者が支え、農産物の見栄えではなく本来の食品として消費される、都市の住民が農村に関わり、共に人間が生活して上で重要な食糧や農業について考える。「提携」という形は今、世界が直面しているエネルギー問題、食糧問題、環境問題解決への糸口だ。だから提携運動は世界に広がりつつあるのであろう。しかし地域と地域、生産者同士、消費者同士がばらばらと活動している限りは大きな力になりえないしますます食品業界の産業支配は強まり、我々は食品でないものを知らず知らずにイメージで食べさせられる。食の問題がグローバル化しているからこそ国際的な繋がりが必要であるし、食品が産業化し不明瞭な食品が出回るからこそ生産者も消費者も強く繫がり協力しあう必要がある。

 紛糾した国際提携ネットワーク(URGENCI)の総会はギリシャの生産者の発言とフランス側の提案で、とりあえず前の運営委員とこれから会を運営していく意思のある運営委員候補者で今後のことを話しあうことになった。ニューヨークのCSA団体、カルフォニアのCSA生産者、ベルギー人、フランスAMAPの生産者や消費者、そして私、ロシアでCSAを始めた女性、アフリカマリとカメルーンの活動家、イタリアの共同購入団体、十数人が壇上に上がって今後の運営をどうするか話し合った。会議は会場に参加者を残したまま夜中の10時まで続いた。総会の後にパーティが計画されていたが、夕食はおあずけで、ホットワインは冷たくなってしまった。現状としてはフランスの影響の強いポルトガル、ロシア、アフリカ諸国とアングロサクソン系の米国、英国、カナダを中心に会の運営方法をめぐってまだ意見が対立したままだ。潤沢な資金を持ち、楽天的で強いリーダーシップで引っ張るフランス側、慎重でそれなりの提携運動の歴史と理念がある米国、英国、カナダ、ベルギー、その中間にある日本、さて一体どうなることやら。英語の世界から日本語の世界まで一貫して分裂、離脱騒ぎはどこへ行っても続いている。十数年前、ゴルフ場問題をめぐって、市有研と市有研広める会の分裂の折、話し合いの席で広める会のお年寄りの生産者が「こんな分裂はとんでもない。ワシは国労時代に労働組合の分裂を経験したが分裂は分裂を引き起こすだけじゃ。」 その頃は一色さんと「国労?なんて古臭いことを。。」と笑いとばしたが、言葉が鮮明に頭に残っていて、今は笑い事ではない。歴史は繰り返す。


                    
2008年 7月発行

7月の農作業

水田中干し、除草、追肥。畑の除草、収穫、追肥。干し葱作り。大豆、黒豆、小豆播き。キャベツ、ブロッコリ-、カリフラワ-苗作り。干し葱植え。キャベツ、ブロッコリー、カリフラワーの苗はプラグポットといって通常の苗用ポットより小さいものを使用します。苗土は赤土に堆肥、ぼかし肥料、腐葉土、ピートモス(苔)、ゼオライト、パーライト(JAS認定資材)などを混ぜて作ります。有機JASに対応している物も市販されていてこれも使用できます。

イタリアでのURGENCI運営委員会

 6月14日から23日まで有機農業の国際大会(第16回IFOAM世界大会)と国際提携運動ネットワークの運営委員会が開催されイタリアに行ってきた。

6月も中旬になると、一応作付けは一通り終了するのであるが、梅雨に入るので今度は雑草の管理に追われてしまう。10日もうちを空けたら、草ぼうぼうになるので大変なのだが、今年は4月から研修生の谷水君が来てくれていて留守中お世話をしてもらった。しかも6月上旬のトライやるウイークで5日間中学生が12人も我が農場に来てくれ作業もはかどっていたので助かった。谷水君は神戸の湊川神社の付近の出身で、実家は茶花器のお店だそうだ。筑波大学を卒業後しばらく大学院にいて、就職。退職後、焼き物修行をしたが陶芸で生活するのも大変で、いろいろ考えたあげく有機農業を志し丹波太郎を通じ、「有機農業ワークキャンプ」に参加後市島に入植。現在、うちで研修中である。東大阪の「漬物道場」で漬物も勉強中で将来は野菜を生産しながら漬物加工もしたいそうだ。余談だがうちの残り野菜を持って帰って翌日漬物にして持ってきてくれるのもウレシイ。4月に来たばかりで農業体験わずか2ヶ月で10日間管理を任されて大変だったと思う。

URGENCI運営委員会(国際産消提携運動ネットワーク)

 URGENCIとはUrban Rural Generate New Commitment between Citizens の略で、おおまかに言うと「市民間の都市と農村地域における新たな参加のあり方を生み出す」となり、直訳すると意味不明だが、ようは「国際的な産消提携運動のネットワーク」である。我々、市島と消費者団体が直接に「顔の見える関係」で活動している運動は国内だけにとどまらず世界に広がりを見せていることは何回か報告した。

地球温暖化解決に向けてCO2の削減、省エネルギー、近代農業が進むことで農業の規模拡大が進み、農薬・化学肥料の使用の増大、それにともなう環境破壊、食の安全性への不安、貿易拡大による各国での小規模家族経営農家の減少、都市周辺の農地の減少、大量生産大量消費による食糧輸送距離の増大、化石燃料使用の増大、外食チェーン店が広がることで土地固有の食文化の消失。近代文明は「効率」を重視し、巨大な食糧生産技術と流通経路を作り出したがそれは、逆にさまざまな問題を生み出しており、「有機農業」、「都市と農村の交流」、「家族経営農家の保護」、「農村文化の保護」、「農村の環境保全」、「地産地消」が世界各地で市民の関心ごとになってきていて、生産者と消費者の提携運動が日本にとどまらず世界各地で発生しつつあることは時代の流れから当然のことかもしれない。日本では提携運動は古い有機農業運動の形として捉えられているが、国際社会に出ると逆に有機農業の世界の新しい運動として注目されていて不思議な感じだ。

今年、2月に第3回目の大会がフランスで開催され、私は継続して運営委員の任にあたることになった。IFOAMの大会がイタリアのモデナで開催されることもあり、第1回目運営委員会はイタリアのミラノで開かれることになった。

国際間の亀裂

第一回目の大会がフランスで開催された時、米国、カナダ、日本、フランス、ドイツ、デンマーク、イギリス、ブラジル、ドイツ、ポルトガルなどから代表が集まって来て、文化や国を越えて同じ思いで地域の生産者を支え、「顔の見える」関係を大切にする運動が存在することに感動し、皆別れ際には涙を流して、私も非常に感動したのを覚えている。ところが第2回目から会の運営方法、活動の方向性をめぐって各国とも亀裂が生まれ始めてきている。論理的なアングロサクソン系、直情的なラテン系では会の運営のあり方、考え方が異なり、その中で日本人の私としては間に挟まれ非常にしんどい思いをしてきた。特にフランスでは提携団体が国内で1000を超えまだ成長し続けており、行政からも助成金を補助してもらって国際会議・大会の運営費から各国の代表の交通費まで全てフランス側の資金で成りなっており自信満々だ。2回目の大会以降、亀裂はさらに大きくなり、英語圏とフランス語圏の団体間の折り合いも悪く、私も自分の農場の維持管理も大変だし、もう「提携」を世界に広げる幻想は捨て、大会の直前にイタリアで開催された準備委員会の折、フランス人に運営委員から降りるつもりであることを事前に言っておいた。もちろん、その内情は日本でも誰にも伝えておらず自分の中にしまっていた。そのことが知られ誤解を受け、せっかく各国の人間が集まって何かアクションを起こそうとしているのに日本側が積極性を失うのも怖かったからだ。第3回目の大会は予測どおり資金を出しているフランス側のペースで全て運営されていた。同じ先進国でも米国や日本と異なり、欧州では市民団体の運営に行政から多額の補助金が出ていて欧州のNGOはいつも多くの資金を保有している。第2回大会以降、運営委員として私を含め、アメリカ、イギリス、ベルギーから委員が入っていたがあまり、意見は反映されておらず、皆、非常に憤慨していた。地域を主体として「生産者と消費者」を繋ぐ運動を世界に広げよう!皆の思いは同じなのに意見がかみ合わない悔しさ。ニューヨークから参加していたCSA団体の女性は悔しくて泣き出す始末だ。何故、みんな仲良くできないのか。

思えば、国際間のトラブルは大学時代、空手部の主将をやっていた頃経験した。私が就学した大学は特殊で構内に多くの外国人や海外帰国子女がいて、空手部員の半数は外国人(特にアメリカ人だった。)主将で同時に日本語と英語に通じていた私は両者の間の調節役で文化的な違いで部内にはさまざまなトラブルがあり、その解決に追われ、2度とこんな国際的なことに関わるのはよそうとうんざりしたはずなのにまた、同じ状況に立たされている自分が非常に馬鹿に見える。国際間だけでない、日本国内でも立場や地域が異なると考え方が違い、トラブルは起こる。市島の中でも数々の有機農業生産者間の分裂、脱退が繰り返されてきた。生産者と消費者の間でも意見がかみ合わない事もあった。農村と都市という文化圏の違いでどちらにも属していた自分は、なんとなくどちらの意見もわかるようで悩みは深まる。関西でも提携派、認証派、運動派、マーケット派と団体内外でも常に意見は異なる。日本全体でも有機農業の全国組織が分裂していていつも不安定な状況だ。関西人と関東の有機農業団体でも考え方の違いや運営方法をめぐって意見の対立が生まれる。そういえば結婚前後、私たちの両親も大阪と広島でやり方が違ってお互いに譲歩せず困ったこともあった。生まれた場所や文化が異なれば人間はトラブルが当然おこるものだ。農村に住むものと都市に住むものが理解しあうことはなんて大変なことだろう。でもだから刺激的でおもしろいのかもしれない。ただ有機農産物を食べるだけではこの醍醐味は味あえない。

UNRGENCIの総会は予想どおり紛糾した。組織の運営委員にはフランス語圏から次々、候補が手を挙げたが、英語圏側はしらけて空を向いていた。総会の議長から国際的なバランスがとれない限り、運営はできない。北米、アジアからも出て欲しいとの声がでた。日本人はもちろん誰も候補者に手を上げなかった。私は腹をくくっていたので知らん振りをしてやりすごそうとした。ロシアからも候補がいたので「ロシアもアジア地域ではないか。」という意見もでたが、それもおかしいのではと意見は却下された。それからおもむろにフランス人の議長から、「以前に運営委員をしていた日本のSHINJI(橋本)はこの事態をどう考えるのか。」と指摘がありマイクが回ってきた。カーと来て立ち上がってどうせ辞めるんだから言いたい放題言ってやろうと思い「この団体は民主的に運営されていない、私を含め米国もベルギーも現在の運営委員のメンバーは全て、運営委員を続けることを拒否することにした。」と言った。すーとした、これで全ては終わりだと思ったがそうはいかなかった。そこですかさず、ギリシャの生産者が手を上げたのだ。(次号に続く

2008年 6月発行

6月の農作業

 6月は雨が多いので、天候を見ながらの作業です。サツマイモの定植や残った野菜苗も植え付けます。雨が多いと草もどんどん生えてくるので除草作業にも追われます。畑が湿ると機械での除草の困難になるので手で除草しながら作物が草に負けないようにしなければなりません。田んぼでは一旦水をおとし苗を成長させる中干しも始まります。

6月は「トライやるウイーク」もあります。これは兵庫県下の公立中学校全て(一部私立、国立中学)が独自に行っている生徒の職場体験で、5日間生徒の希望に応じて地域の職場に入って仕事を体験する教育プログラムです。対象は中学校2年生で、「トライやるウイーク」期間中は学校の授業はなく、職場の状況に応じて、中学生が職場体験をします。「トライやるウイーク」は1997年の神戸連続児童殺傷事件を機に兵庫県が児童に学校での学習だけでなく地域の中に入って、地域の人達の中で働くことによって地域との絆を作り、実社会の体験をしてもらおうという趣旨で1998年から実施されています。

 市島では保育園、鉄工所、小学校、食品店、老人ホーム、畜産農家なども受け入れしていますが、やはり農村なので、牧場や農園も受け入れ先になっています。我が農場が5年前、受け入れを頼まれた時は、希望は少なく男子生徒1人、2年目は女子生徒1人のみでしたが、3年目から一挙に6人、4年目も6人、今年は12人もの生徒が農場のお手伝いに来てくれました。1人受け入れの時は気楽にやっていましたし、5-6人は楽しんでできましたが、さすがに10人を越える中学生になるとワイワイガヤガヤ、作業をさせるのも大変でした。朝9時から、午後3時まで、ニンジンの間引き、茄子やピーマンの肥料やり、鶏の餌やり、収卵、果菜類の紐結び、牛蒡の除草作業など、雨が降る中、皆、泥んこになってがんばってくれました。実は地元の前山小学校で毎年、生徒が平飼いの鶏舎の見学に来て、学校へ有機農業の話をしに行っています。「トライやるウイーク」でうちの農園に来る生徒の多くは前山小学校出身者が多く、小学校での有機農業の学習が農場体験の希望者に繫がっているようで今回も12人中4人いました。



「環境と農業を考える国際シンポジウム」

神戸ではG8洞爺湖環境サミットに向けて、環境大臣の会合が開催されており、これに向って提言をしていこうと様々な環境イベントが開催されている。神戸学院大学でも「自然豊かな兵庫と食の祭典」と題して、5月24日、25日の2日間、全国から80以上のNGO/NPO団体が出展してイベントが開かれた。

この祭典のプログラムの一貫として5月25日、神戸学院大学ポートアイランド校で「環境と農業を考える国際シンポジウム」が開催され出席してきた。シンポジウムはパネルディスカッション形式で行われ、パネラーとして、埼玉県の生産者、金子美登氏、フランス・AMAPのダニエル氏、スイスのルーディー氏に私(橋本)が加わった。コーディネーターは国学院大学の古沢氏、シンポジウムの問題提議は三重大学の波多野氏が担当した。

シンポジウムの目的は有機農業と地産地消を勧める産消提携運動こそが環境を保全する上で重要な活動であることを提言していくことで、パネラーは各地で地域の消費者と提携し有機農業を推進している農家が召喚された。

 

有機農業と地球温暖化

 「市島の生産者はいつも、作物ができないのを天候のせいにしていますね。」とよく消費者にお叱りを受ける。30数年来、市島で有機農業の取り組みが始まって以来確かに過去に比べて作物の生産性も品質も向上してきたが、やはり無農薬で栽培することは不安定な要因が多く、天候、病害虫などに左右されやすい。だから有機農業に取り組む生産者も少ないし、日本の有機圃場はわずか0.16%にしかなっていない。(これも言い訳に聞こえます。)

 

人類がさまざまな生産活動で排出する、二酸化炭素、メタンガス、窒素酸化物の影響で19850年代から地球上の大気は0.6度上昇し、このままいくと2100年には1.5~5度地球の温度が上昇するそうだ。温暖化の影響など微々たるもので人類の生産活動は関係ないとする一部の学者の議論もあるが、市島で農業に携わっていると確実に毎年気候が変動していることに気づく。まず雪の量が減った。市島に来たばかりのころは冬に雪が20センチも30センチも積もっていたのに、どうなったんだろう。50センチ以上積もって、家から出られなくなったことも今ではなつかしい。台風が訪れる時期も微妙に変化しているし、春先に急に温度が上昇して、作物に影響しているみたいだ。

温暖化の原因となるCO2、メタン、窒素酸化物の15%が農業活動に起因すると言われている。メタンガスでは3分の2、窒素酸化物のほとんどは農業によって放出される。南米その他では牛肉の生産のための放牧地や大豆生産の耕作地を拡大させるため森林伐採が進行しており、人類が農業を通じて食糧を生産することがC02排出量の3分の1をしめるそうだ。つまり、人類が生きて食糧を生産していくことが同時に地球環境を破壊していくことになる。

人間が死んで人口を減らすしか解決方法はないのか?もっと、温室効果ガスを減少させながら、人間の食料を確保し、自然と共存する方法はないのか?有機農業が国際的に注目されているのは、有機農業がこれらの問題を解決する糸口の1つになっているからだ。FAO(国際食糧機関)は2002年報告書で有機農業は温室効果ガス削減に繫がることを認めている。炭素を多く含む堆肥や有機肥料は土壌中に多くの炭素を保有するので二酸化炭素排出の削減につながる。

米国で有機農業の研究を進めているロデール研究所は1981年から有機農業と化学肥料を使った一般圃場の比較調査をしてきた。土壌中の炭素の保有率を比較したところ、化学肥料のみを使用した畑では炭素保有率にまったく変化がなかったが有機農業圃場では23年間で炭素保有が全体で15-28%増大していることがわかった。この計算で、米国のトウモロコシと大豆の生産を有機農業に転換すると全体で29300万トンのCO2が削減でき、米国が京都で示したCO2削減目標の73%に達する。このCO2削減量は米国の自動車から排出されるCO2の5870万台に匹敵し、国内の自動車の25%のCO2排出量が有機農業に転換することで解決することになるそうだ。

 デンマークの有機農業研究所の調査では大麦の有機栽培のエネルギー使用量を比較し、コストの計算を行ったところ、有機農業に転換することで35%の燃料使用量を削減できることがわかった。農場レベルでは除草剤を使用しない有機農業は機械除草が多いので燃料経費が高いが、農薬、化学肥料を製造するには工場で莫大な燃料が使用されており、農薬・化学肥料に依存する農業はエネルギーの使用を増大させることがわかった。化学肥料はさらに温室効果ガスに要因である窒素酸化物を有機肥料に比べて多く排出するので、農業の食糧生産活動が温暖化をさらに推し進めることになるのだ。

2008年 5月発行

にピークを迎えます。     


5月の農作業

 5月は農家にとって一年の内で最も忙しい時期になります。茄子、トマト、トウモロコシ、ズッキーニ、ニガウリ、ピーマン、万願寺、南瓜、胡瓜、オクラ、モロヘイヤ、シソなど夏野菜の作付け、青菜類の種まき、4月に撒いた、ほうれん草、小松菜、チンゲン菜などの収穫、えんどうなどの収穫、ニンジン、夏大根、馬齢薯の除草作業や追肥。作付け、除草、収穫を同時期に行わなければならないので、てんてこ舞いの毎日です。それに加え、田植えもせねばなりません。

 5月の田植え期には市島の田んぼも人で賑わっています。普段は他の仕事に携わっている兼業農家がほとんどなどで、日ごろはお年寄りの方がちらほらと農作業をする姿が見られる程度ですが、田植えになると家の若者もお父さんもお母さんもおじいちゃんもおばあちゃんも総出で田んぼに集まってきます。どこの家も田植え機を持っていて、直接田んぼに入って植えつけるわけではないのですが、それでも家族にとって田植えは一大イベントです。

 

特に5月のゴーデンウイークには田植えが集中します。いつもネクタイを締めて出勤するお父さんも農作業着に着替え田植え機に乗って田植えをします。家を出て都会に住んでいる息子家族も田植えの手伝いで帰ってきます。日ごろこのあたりで見かけない子供たちが田んぼの畦で遊んでいます。終わった田植え機に乗せてもらって大喜びの子供たち、まるで遊園地の乗り物の気分です。

代替わりして息子が田植え機に乗る家もあり、お父さんが田んぼの畦に立って、機械の使い方をあれやこれやと指導しています。若者はうるさそうな顔をして親父の助言を無視しながら田植えをします。お母さんは田植え用の苗の受け渡し役です。終わった苗箱を洗うのは子供たちの仕事です。小川に流れる水で苗箱を洗う作業ですが、時々沢蟹がいて作業は中断します。田植えが終了するとおじいちゃん、おばあちゃんが出てきて田んぼに入って田植え機で植えられない曲がった所や植え切れなかったところを植え付けします。これを補植といいます。お年寄りが田んぼに入って補植する姿は昔の田植えを思い起させる美しい光景です。田植えが終了した夕方、夕日が落ちていく中でお年寄りが静かに苗を植えていて、ちゃぷ、ちゃぷ、と静かに泥をはねる音が静かな夕日の中に広がります。

 この市島の家族イベントももちろん、毎年だんだん減ってきています。

2008年 4月発行

4月の農作業

 4月は農繁期、ピ-マン、トマト、茄子、胡瓜、南瓜など夏野菜の育苗が始まります。豌豆類の除草、春野菜の畝立てに施肥作業。小松菜、ラディシュ、ほうれん草、ビタミン菜、サラダミズナ、青梗菜など青菜の種まきと収穫。田圃の代掻きや苗作りなど忙しい毎日です。

有機農産物の認定基準では野菜の育苗は有機JAS基準に適応した資材を使わねばならず、種も原則的に有機栽培された種子を使用することになっています。ところが現実的には有機栽培された種子は販売されていないので、生産者は自分で種を自家採取することになるわけですが、自家採取は労力的に大変で品種によっては発芽率を安定させることが難しいものがあります。そこでJAS基準には「有機の種子が入手不可能な場合はやむを得ず一般の種子を購入してもよい。」との記述があるので、ほとんどの有機農家は種苗会社から一般の種子を入手していて、市有研の生産者も例外ではありません。

有機農業が発展している欧米では、すでに無農薬で野菜を栽培するのに適した品種が開発されており、種子会社が有機栽培種子を販売しています。日本でも、どうしても有機種子を手に入れたい場合、品目によっては長野県にある自然農法開発センターで取り扱っています。

苗に関してもJASの基準では「入手が困難な場合、一般の苗を購入することが可能。」なので、生産者の多くは一般の苗を購入する傾向にあります。市有研の内部でも自分で育苗する生産者と苗屋さんで購入する人に分かれます。自分で苗を作る場合、苗土はもちろん、全ての過程を有機農業の基準に適合させる必要があるので技術的にも難しく、病気などで失敗するリスクもあります。会の内部では苦労して有機種苗に取り組む人からは簡単に外から購入できることは不平等なのではないかという意見もしばしば聞かれます。

 

2008年 3月発行

4月の農作業

畑の堆肥まき、バレイショウの植え付け。人参、小松菜、菊菜、ほうれん草、大根などの種蒔き。果菜類、(トマト、茄子、ピ-マン、胡瓜、)南瓜などの種播きと苗づくり。田おこしなど3月に入ると春夏作の準備が始まり、ぼちぼち忙しくなってきます。うちの部落では3月の上旬に初午という行事があります。裏山の中腹に神社がありまして、五穀豊穣を祈って、参拝者には小豆入りのおにぎりが振舞われます。近所のおじいさんに祭りの意味を聞いたら、田んぼの神様は普段は山に住んでいて、初午の行事に神様を里へお迎えし、それから田植えの準備が始まるそうです。秋にお米の収穫が終了したらまた、収穫を感謝しお祭りして山に帰っていただくそうです。雨が降り、山の地下水や山水が豊かなミネラル分を田んぼに運んでくるわけで、山は田んぼにとっては大切な栄養と水を運んでくれる神様だと信じられたのでしょうか。お山は神様が住む大切な場所で守らなければならないという信仰心が農村の自然を守ってきたのかと思うと何か神秘的な感情が沸いてきて思わずお山に手を合わせてしまいます。

 

2008年 2月発行

 第3回URGENCI(国際産消提携ネットワーク)大会に参加して

 1月27日から30日まで南フランスのプロバンス州ウーバニア市にて国際産消提携ネットワークUGENCIの第3回目の大会が開催され参加してきた。2回の大会(第1回フランス大会、第2回ポルトガル大会)と2回の運営委員会フランス、イタリア)で提携の国際組織の「定款」、「規約」案も出来上がり、今回は初の総会がひらかれることになった。第1回目の総会であることから日本からも何人か大会に参加していただくことになり、日本有機農業研究会から代表の佐藤喜作氏、神奈川県の生産者・日有研理事の相原成行氏、IFOAMジャパン代表、村山勝茂氏、兵庫県有機農業研究会から事務局長の赤城節子氏、理事の本野一郎氏、宮城大学講師の谷口葉子氏が参加した。大会開会式ではウーバニア市の市長、行政関係者、フランスの提携運動(AMAP)の創始者ダニエル氏に続き、日本の提携運動を代表して佐藤氏から挨拶をいただいた。また日本の事例発表では兵有研の本野氏から神戸西区の提携団体「菜の花の会」と土緑会の取り組みについて発表していただいた。大会終了後、パリの提携団体に兵有研のメンバーと立ち寄り交流を持つこともできた。

 

世界の提携団体

 会を重ねるごとに参加国が増えてきており、ますます提携の運動が世界に広がっていることを実感する。今回は日本、米国、フランス、カナダなどの提携運動を始めとして15カ国が参加した。大会の開催が急なこともあり、南米勢の参加がなかったが、新たにルーマニア、ロシア、アフリカのマリ、トーゴが加わった。

FAO(世界食糧機関)によると今や世界の人口の55%以上が都市部に住んでおり、都市部への人口移動はますます増加しつつある。一方で農村の人口はますます減り、農家の人口は年々減少し高齢化しつつある。世界各地で山間部の非効率な農村地域はコミュニティーが崩壊しつつある。

ポルトガルでは高齢化した農村地域を守るために提携運動が始まった。フランスでは都市化が広がり近郊農家は農業の維持が困難になってきている、都市部での農園地帯を守るために提携運動が広がっている。効率的な農業生産が可能な地域では農薬・化学肥料による産業化された近代農業が広がり、農村環境は単作によって単純化し、河川は化学物質による汚染が広がりつつある。

ロシアでは消費者が生産者に呼びかけて提携運動始まった。資本主義路線の弊害として食費が高騰し、また食品の安全性にも疑問があった。農家との関係ができ新鮮な野菜が届くことになってうれしいがロシアでは野菜は6ヶ月しか栽培できない。大規模化で豊かな自然を守り、伝統的な農村の共同体を守ってきた家族経営農家は「非効率」で「無能」よばわりされ農業をしていくことさえ難しくなっている。何故もっと長期的なビジョンにたって農村の人々は将来を考えられないのかという都市住民からの疑問はよく聞かれるが、日々、農村の共同体が崩壊を目の辺りにし、将来に対する希望が見えない農村にどんな長期的ビジョンを持てるというのだろう。農村の問題はもはや農村の農家の力ではどうにもならないとことにいきついている。

日本で始まった「提携運動」が世界に広がるのは、もちろん「顔の見える」生産者からいただく農産物は安心であるとか、複雑な市場の仕組みにあわせた、不自然な栽培方法による農産物より新鮮で味もいい農家の生産物を頂くことの方が得であるなどの理由とともに、世界的に農村が崩壊していくことに危機感を感じ、都市部の住民が自ら立ち上がり、本来の食糧の生産方法を守ってきた家族経営農家を皆で守っていこうと言う意思のあらわれであると思う。


                     
2008年 1月発行

野菜出荷状況(1月-2月上旬)

 根菜類は大根、人参、カブ、里芋などがでます。葉物は葱、ハクサイ、ミズナ、小松菜、チンゲン菜、タアサイ、菜の花、紅菜苔。その他、ブロッコリー、カリフラワー、キャベツ、菊菜、ほうれん草、ハクサイ、玉レタスなどが入るコンテナもあるでしょう。

 冬に入って食べ物が少ないのか、鹿がたびたび里に出没し被害が出ています。大谷さんの畑では玉葱の植え付けした後を鹿に苗を踏みつけられていて、困っているそうです。

1月の農作業

  1月は寒さのため、野菜の植え付けはできません。朝は10時すぎまで霧がかかり寒々としていて、夕方5時ごろには日も暮れ農作業の時間も短くなります。作業は冬野菜の収穫が中心です。その他堆肥播き、育苗ハウスの清掃など春作の準備、機械の手入れも冬の大切な作業です。

 

11月23日、豊岡で開催された「オーガニック食サミット」のパネリストとして参加してきた。パネリストには中貝市長を始め、料理研究家、和歌山の林業家、「あまから手帖」編集長も参加し、今後の豊岡の今後の農業のあり方について討論する目的でサミットが開催された。コウノトリの放鳥についてはニュースなどで知ってはいたがコウノトリの郷公園を訪ねたのは始めてで、やはり実際見ると、また見方が変わった。シンポジウムの前に郷公園の一般非公開ゾーンに連れて行っていただき、職員からコウノトリの飼育施設も見せていただいた。施設にはまだ放鳥されていないコウノトリが飼育されていて、今では170羽ぐらい育っている。飼料には鯵の冷凍したものを解凍して与え、生きたマスなども与えられていた。各飼育場にはカメラが設置してあり、センターでは常にコウノトリの生育状況を観察できるようになっていた。職員の方は皆、熱心にコウノトリの飼育状況について説明してくれて、その熱意が伝わり、コウノトリを育て、放鳥することがどんなに大変なことかがわかった。コウノトリの郷公園、まだ行ったことのない人は是非一度訪ねて下さい。

かつてコウノトリは日本のあちらこちらで見られ、人間と共存して生きてきた。もともと湿潤地帯に生息するコウノトリにとって、水田は絶好の生息地でまさに人間が人工的に作った水田を餌場として行き、人間が手を入れていた里山に巣を作って生息していた。ところが戦後の里山の伐採、害鳥として狩猟の対象になるなどして徐々に個体数が減ってきていた。

郷公園に行くと、放鳥されたコウノトリが飛んでいて、空を悠々と飛ぶ姿はうっとりするほど美しい。豊岡では昔からコウノトリは「鶴」と呼ばれ、縁起のいい鳥として遠方から里山の生息地に観光客もきていたらしく、生息場には御茶屋もあったらしい。害鳥といっても、田植えが終了した後、餌を求めてやってきて苗を踏み荒らすことぐらいで、豊岡では「ツルボイ」と言って、田植え後にやってきたコウノトリを石や音で追っ払うことがしばしば行われていたらしい。その頃の子供にとって「ツルボイ」は遊びの一つでもあったようだ。それ以外に特にコウノトリは稲の生育に害を及ぼすことはなかったらしい。

里山の崩壊とともに減少していたコウノトリに最後の打撃を与えたのが、農薬、除草剤の使用であった。24D(除草剤)、PCP(除草剤)、BHC(殺虫剤)、ホリドール(殺虫剤)、パラチオン(殺虫剤)などが昭和30年代ころから使用され始め、50年―60年には使用量がピークに達した。農薬により、コウノトリの餌であったドジョウやフナ、タニシなのどの水生生物は死滅したまた農薬に犯されて死んでいったコウノトリもいた。1971年に保護された野生最後のコウノトリは農薬中毒で弱り野犬に襲われて怪我をしているところを救出されたが、介抱の甲斐なく死亡してしまう。農薬中毒の問題はコウノトリだけではなく人間にも影響に多くの中毒患者を出し、それが今日の有機農業運動や減農薬運動にも繋がった。

コウノトリの保護運動は昭和30年頃から始まった。昭和37年には兵庫県の特別天然記念物に指定され、昭和38年から人口飼育が開始された。しかし官民一体の努力むなしく昭和46年には野外に残った最後のコウノトリが死亡、昭和61年には捕獲され飼育されていたコウノトリも死亡、日本のコウノトリは全て、絶滅してしまった。その後、平成元年にハバロスク地方から来たコウノトリに初の雛が誕生する。平成14年には飼育コウノトリが100羽を越え、平成18年に始めて放鳥拠点から2羽、飛び立った。もともと害鳥であったコウノトリを保護し放鳥することを快く思っていなかった、地域の農家も放鳥後のコウノトリが暮らしていける田んぼを作っていくことの必要性を徐々に理解し、保護地区の近くではアイガモによる無農薬栽培に取り組む農家も現れ始めた。2002年には郷公園周辺・祥雲地区の農家が中心になり「コウノトリの郷営農組合」が設立され、無農薬・減農薬栽培が開始され、2006年には総面積が720アールに達した。交流会のとき、生協の若い消費者が「私たちは単に安全だからコウノトリ米をたべているのではなく、コウノトリを救いたいからお米を食べています。」という声を聞いたとき、有機農業には自然界の生命を守る、もう一つの役割があるんだなと実感した。以前はあまり気にしていなかったが、最近、畑にいるといろんな小鳥が飛んできているのを意識するようになった。畑も田んぼも生命が住む場で人間と共存している、

2007年 12月発行

野菜出荷状況(12月-1月上旬)

 だんだん寒さも厳しくなり冬らしくなってきました。早朝は霜が降りて、青菜類は特に甘味がでておいしくなってきます。青菜類では小松菜、ビタミン菜、タアサイ、チンゲン菜、ミズナなどが入ります。オタームポエム、法連草、レタス、サニーレタス、菊菜が入るコンテナもあります。根菜類では大根、カブ、人参、里芋が行きます。結球野菜ではキャベツ、ハクサイ、ブロッコリー、カリフラワーなどが入るコンテナもあるでしょう。ネギも続きます。年末には池野さんのクワイも出ます。

12月定例会議事内容

「農こそプランニング/有機農業推進法の方向・YMCAにて」大谷さん報告

 全国で有機農業の振興の礎となるモデルタウンを育成予定。各県において推進法の進展状況の報告があり、徳島県及び、愛媛県今治市の進行状況が良いのではないかと思われる。そのどちらかも行政マンがまとめ役になってやっているのではないかと思われます。農民だけではこのような書類を書き提出するのはむずかしいと思います。

 それより、意欲ある自治体を中心に推進協議会をつくり、人材と金、アイデアを出し合い未来型の有機農業の地域を作り、本当のモデルタウンを作ったらと思います。農業資材、農業機械、土作り、米作り、野菜作り、地域の廃物のリサイクル、土壌分析、消費者との教育及び交流を各ブロックごとに作っていく話し合いが必要でないかと思いました。

 

      イタリアでの大会・報告

 1127日から124日まで国際提携運動ネットワークURGENCIの運営委員会とさまざまなEUの市民団体が作る市民団体ネットワークIRIS(欧州の社会正義と社会責任を実現する市民ネットワーク)の大会がイタリアのトレント市で開催され、運営委員として参加してきました。

運営委員会の開催が決まったのが10月下旬で航空券の手配など時間が迫った中で農作業の段取りと運営委員会用の提案書の作成で11月一杯は大わらわでした。時間が間に合わず、妻にも手伝ってもらってえんどう豆の作付けと春キャベツの定植は済ませましたが、玉葱の定植までは終わらすことができず出発することになりました。

イタリアまでは飛行機で約11時間、ミラノ空港に到着したのが夕方でそこから空港バスにのってミラノ駅へ切符の買い方やどこにどうしていいのやら英語も通じないので右往左往、一本、電車に乗り遅れ、ロミオとジュリエットで有名なベロナ市に到着、電車に乗り換えでトレント市に到着したのが夜中の12時ごろでした。

美しいお城がある街。イタリア・トレント市

 大会が開催されたトレント市はイタリアの北部にある人口11万ぐらいの小さな都市です。オーストリアなどドイツ語圏に近いドイツとイタリアの文化が混ざり合った美しい街です。自治区として政治的にもイタリアから自立した政治が認められ、行政も市民運動に協力的で、今回の大会の開催地になったのもその辺の影響があるようです。街中は昼間、規制があって車の通れないところもあり、しかも昔ながらの街並みが残っていて大変、静かで美しい町です。北部とあって、山には雪がかかり、欧州の町並みにマッチしてゆったりしています。町には古いお城があり、中世からのさまざまな絵や工芸品などが残されています。食べ物はイタリア料理もありますし、ドイツ系の料理も楽しむことができます。

今回の目的:国際「提携運動」ネットワークURGENCI運営委員会

 日本で始まった産消提携運動(生産者と消費者の運動)は世界に広がり、米国ではCSA(共同体が支える農業)、フランスではAMAP(家族農業を支えるための協会)ポルトガルではRECIPROCO,他にもドイツ、スイス、デンマーク、ブラジル、カナダなどに同様の団体が立ち上がっています。フランスの第1回の大会を経て、第2回の大会がポルトガルで開催され、第3回の大会が再び1月の下旬(1/27-30日)に南フランスのウーバニア市で開催される予定で今回は大会の内容について運営委員で協議するためイタリアでの大会と合わせて参加することになりました。

 

市民団体を繋げるため市民運動ネットワークIRIS

 提携運動の運営委員会と平行してヨーロッパの市民運動ネットワーク組織IRISの大会も開催されました。ヨーロッパでは異なる分野の市民運動団体が社会的弱者(貧困層、失業者、高額債務者、被差別層、家族型農業)の救済を目指して横断的なネットワーク作りが始まっています。IRISは「社会的な責任と倫理観を守るヨーロッパのネットワーク」、異なる分野の国際的な市民団体が欧州連合とトレント市行政の協力を得て設立された組織です。目的は社会的弱者と呼ばれる人々を異なる分野の団体が協力し合うことで問題の解決のあたることです。競争社会では生まれもった出身、経済状況、国、言葉の壁、人種、身体的な障害や精神的な問題があり、非常に不利な状況の中で社会的な弱者として厳しい生活を強いられている人々が存在します。同じ人間として社会的に弱い人々に手を差し伸べ助け合って行こう、もしくは力のない弱い者同士が協働することで新たな未来を築こうという目的で市民団体は結成されました。 しかし各団体が取り組む問題、例えば農業問題、貧困の問題、人種差別、障害者、高齢者などが抱える問題は互いに微妙に関係があり社会問題は複雑です。神戸の震災の時、緊急時にはさまざまな市民団体が団結して各団体の得意分野を生かしながら神戸の復興に協力しましたがヨーロッパで始まっている市民団体はまさに神戸で緊急時に結成された市民団体ネットワークを日常的に組織化して社会問題を総合的に解決しようという取り組みです。家族的な農民を支える提携団体、欧州の緑の消費者運動団体、国際フェアートレード協会、社会的弱者やNGOに対して優先的に投資する投資会社や銀行の国際組織、社会福祉団体の欧州連合などが結合してIRISは結成されました。

 

トレント市で見たフェアートレードショップ

欧州では11%の人がフェアートレード商品を購入しており、74%の人は店でフェアートレードバナナを見つかれた購入します。37%の人は市場価格より10%の範囲高いぐらいなら購入するそうで、英国ではあるブランドのフェアートレードコーヒーの売り上げがコーヒー市場の中で全国7位になっています。フェアートレードバナナは欧州の20%の一般量販店で扱われており、スイスでは8割から9割の食品店でフェアートレードバナナが購入できます。2002年のフェアートレード商品の欧州での総売り上げは33000万ユーロ(約544億円)あり、この仕事に関わる人は約1000人、それに加え10万人くらいのボランティアが運動の推進に協力しています。欧州全体でフェアートレード商品を売る店が5万件ぐらいあり、ベルギー、イタリアにはフェアートレード専門店が500店存在します。ドイツには同様の専門店が700店あり、内344店舗が「ワールドショップ」と言われる同じ組織の店でこの団体には5万人のボランティアが協力しており欧州随一のボランティア団体に成長しています。

 大会が開催されたトレント市にもフェアートレードの専門店があり訪ねました。第三世界からの手編みの衣料品、伝統的な民芸品、有機栽培のコーヒーや紅茶、オーガニックコットンの衣料、有機栽培のオレンジジュースなど途上国でフェアートレードの精神に従い、現地の生産者にフェアーな価格で購入するさまざまな商品が並んでいました。店内には沢山のイタリア人のお客さんでにぎわっていて、本当にフェアートレード商品が人気なのだと実感しました。大会会期中にも提携の生産者とフェアーフェアートレード団体とのパネルディスカッションがあり、生産者として参加しました。地域の有機農産物vs途上国の貧困を解決するためのフェアートレード有機農産物かという討論の場でフランスの有機農家は自国の農民の現状を無視してなにがフェアーだと憤慨しフェアートレード団体のリーダーと議論をしていました。大会の趣旨からしてお互いの妥協点を見出すための討論会ではあったのですが、議論が平行線でなかなか結論もだしにくく難しい問題であると感じました。


                

     

2007年 11月発行

 

野菜出荷状況(11月-12月上旬)

暦のうえではもう立冬だというのに暖かい日が続き、野菜も生育しますが虫の害もひどく、野菜の出荷も大幅に遅れています。やっと青菜類、小松菜、法連草、ビタミン菜、チンゲン菜、タアサイ、菊菜など出揃いそうです。人参、大根、小カブ、大カブ、里芋も出てきます。インゲンもまだ続きます。霜が降りれば白菜、葱も出始めます。大根は初期にダイコンサルハムシに食べられ生育が遅れています。虫の害は特に小松菜、サラダ水菜、チンゲン菜、キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー、白菜、大根などのアブラナ科に顕著に見られます。池野さんの畑では小松菜が虫くいの害、一色さんの畑でもアブラナ科の野菜にヨトウムシの食害が見られます。大谷さんは法連草、小松菜、サラダ水菜に被害がでました。中井さんもいつまでも虫の害が出て困っています。うちの畑でもキャベツ、小松菜、青菜類に被害がでました。我々を困らす、虫たちは:

ダイコンサルハムシ:黒い小さい虫で、大根や白菜が小さいころにやってきて苗の芯まで食い尽くします。春と秋に2-3世代発生します。夏の間は畦に隠れていて、9月ごろ気温が下がると大根めがけてやってきます。成虫でも越冬します。成虫は4ミリ程度で小さくてとりにくく大変です。

ナノクロムシ:幼虫は真っ黒です。小松菜とかによく見られます。葉っぱを触るとすぐに落ちていきます。幼虫は蛾ではなくカブラハバチという蜂になるそうです。25度くらいで孵化します。幼虫は2週間くらい土の中で脱皮し成虫になります。

コナガ:幼虫は緑色の小さな幼虫で体長10ミリ程度です。キャベツなどによく見られます。アブラナ科野菜のみに害を与えるそうです。結球野菜でも果敢に食し、内部まで浸透して食っていきます。発育が早く春から秋までで10世代も生まれるそうです。農薬に対する抵抗性も生まれやすいし、気温が5度くらいでも生育するのでやっかいです。

ハスモンヨトウ:緑と黄色の縞が入った毒々しい幼虫です。体長は40ミリもあります。成虫は蛾になります。青菜類、キャベツなどのアブラナ科だけでなく、イモ類、茄子、ピーマン類にも被害が及びます。防虫ネットをしてもネットの上に卵を産みつけ小さな幼虫はネット内に侵入することもあり、集団で野菜をボロボロにしてくれます。

ヨトウムシ:夜盗虫、つまりよる人間が寝静まった頃、畑を荒らすずるいやつです。幼虫は体長50ミリ、背中は毒々しい茶色に黒の縞、お腹は緑です。アブラナ科以外の作物も食べます。小さい時は集団で集中的に食べますが大きくなると分散してさらに作物を食い荒らします。30日の幼虫期間をへてヨウトウガという成虫になります。

アオムシ:30ミリくらいの幼虫です。大きくなると綺麗なモンシロチョウに生育しますが、農家にとっては大敵。キャベツが大好きでよってくるのでキャベツ畑はモンシロチョウだらけになります。モンシロチョウが畑に飛んでいるのは綺麗ですが困りもんです。

この辺が代表的な虫ですが、他にキスジノミハムシやヤサイゾウムシ、アブラムシ、ナガメ、苗を切ってしまうネキリムシ、タマナギヌワバ、ハイマダラメイガ、ナモグリバエ、ウリキンウワバ、キクキンウワバ、シロシタヨトウ、ナノメイガなど数知れない虫たちがアブラナ科野菜めがけてやってきています。

 

11月の農作業

11月に入ると玉葱苗の植え付け、豌豆類の種蒔きが始まります。玉葱苗は、何千本も植えるので根気のいる仕事です。9月中旬に種を撒き、11月に入って育った苗を畑に移植します。苗のできが悪い場合は苗屋さんで購入します。豌豆類はオランダ豌豆、スナック豌豆、実豌豆などです。5月から6月頃に収穫します。一度植えると78年同じところに植えられないそうで、場所を選ぶのも大変です。

 

2007年 10月発行

野菜出荷状況(10月-11月上旬)

 天気は良好で温かい日が続いています。大根などにはダンコンサルハムシの被害もでています。高温で青菜類には虫が大発生、皆、大苦戦で半分以上は廃棄処分になりそうです。茄子、インゲン、椎茸、ピーマンなど引き続いてでます。オクラ、万願寺唐辛子もでますが例年ほどのできではありません。大根菜、人参菜、カブ菜などの間引き菜、サラダ水菜、甘藷などは出ます。今のところ台風の被害もないので一安心です。
 
      

柿木村を訪ねて

 106日、柿木村を訪ねました。現在、柿木村は周辺の町と合併し吉賀町柿木村になっています。新しい吉賀町も引き続き有機農業を推進していく方針で、何回か勉強会を重ね、吉賀町有機農業塾というのができました。今回は第一回目の学習会で保田先生と私(橋本)が講師として呼ばれました。吉賀町役場の職員が6日の朝、広島駅に迎えに来てくれることになったので、私は前日の晩から広島の実家に泊まり、久しぶりに両親とも話ができ一石二鳥でした。

農業塾では保田先生が「いま、有機農業の求められる理由と地域農業の未来」と題して有機農業が日本で発展してきた経緯や農薬の食品への残留の問題、現在の日本の農業衰退の問題について話をされました。私からは世界の有機農業の現状や有機農業推進法の話、今後の有機農業の未来について話しました。

保田先生は翌日また別の所で学習会があるそうで講演終了後急いで帰られましたが、私は柿木の若手の生産者との交流会があるというので、農繁期で忙しいのですがせっかくなので残って現地の農家と交流することにしました。交流会の前に2軒の農家を訪ね、話を聞かせてもらいました。柿木村には複数の有機農産物の出荷グループがあり有機農産物流通センターを通して色々なルートで農産物が流通しています。

 市島のような提携グループもあり、周辺の岩国市、徳山市、益田市に消費者グループに週に一回、野菜セットを届けているそうです。求める会も牛肉で柿木村と提携しています。他にはグリーンコープ、生協しまね、広島、岩国の自然食品転、自然食レストラン、学校給食、広島、山口のスーパー、兵庫県のイカリスーパーにも農産物が行くそうです。広島の廿日市にはアンテナショップもあり、役場の福原氏が直接、有機農業の話をしに行くこともあるそうです。  

今回、訪ねた農家はグリーコープに出荷している農家で最初に訪ねた農家は白菜を、次に訪ねた農家は小松菜と水菜を作付けしていました。平飼いで鶏を600羽飼っていて、2人とも年齢も私と同じぐらいで鳥インフルエンザの話や堆肥や肥料の話、農業技術の話で日が暮れるまで圃場で話が弾みました。小松菜の農家はハウスで栽培されていましたが、不耕起でこれがみごとにできていて、耕さなくてもできるならウチでも試しにやって見ようかと思い、いい勉強になりました。

 晩の交流会は若手の農家が56人、役場の職員も集まり、地元の手打ち蕎麦屋さんでありました。なんと農家の一人は私と出身の町に住んでいた人で奥さんが吉賀町の出身でこちらに来て農業を始めたそうで、その他の皆さんとも、広島の話や有機農業の話で盛り上がり、私は「デカンショ節」を歌い、本当に楽しいひと時でした。12月には柿木の生産者が市島と求める会をたずねて来るそうで、柿木と市島の農民の交流が盛んになればいいなと思いました。

また交流会には大好物の鮎が食べ放題、昔、食べた川ガニ(モズクガ二)、地元の農産物の天ぷら、手打ちそばと採りたてのわさび、地元の酒、本当に楽しくおいしい交流会でした。

 翌日は旅館から歩いて柿木の道の駅を訪ねた帰りにエコベレッジというのも見かけました。後で福原氏に聞いたら、小学校の跡地を利用して宿泊ができる環境教育施設であることがわかりました。関西からも学生がこの施設を利用して訪ねてくるようで、本当に柿の木村にはさまざまな工夫があり市島も負けてはおられんなと思いました。



200  9月発行

野菜出荷状況(9月-10月上旬)

 9月に入り、朝夕涼しくなってきました。7月の梅雨明けの遅れで野菜の生育が悪く、早いうちに隔週配送になりました。涼しくなると、暑さで弱っていた茄子、ピーマン、万願寺などが息を吹き返したように実をつけ始めます。青シソ、モロヘイヤはしばらく続きますが、温度が下がると花が咲いて出荷は終了します。胡瓜・インゲンが入るコンテナもあります。ニガウリ、マクワ瓜もまだまだあります。9月下旬頃からは甘藷も出荷が始まります。早撒きしたタアサイ、チンゲン菜も出そうです。夏から初秋にかけての定番の南瓜ですが、残念ながら今年は長雨後の強烈な暑さで病気になったところが多く、もうありません。雨で低温と湿度の高い気温が続き、突然、暑くなるとそれに対応ができない作物は「立ち枯れ」といって苗が急に枯れることがあります。今年はどこの生産者の畑にも「立ち枯れ」病が出たようです。

 

9月の農作業

9月は5月に並んで1年のうちで最も忙しい時期でもあります。稲も黄金色に変わり稲刈りが始まります。 野菜の収穫、秋作の準備で畝立て、堆肥まき、種まき(春キャベツ、ハクサイ、ネギ、小松菜、菊菜、ほうれん草、大根、かぶ、水菜、中国菜、玉葱)、苗の移植など仕事に追われる毎日です。今年は台風の被害もなく稲も順調に育っていて収穫もまずまずのようです。

生産者の声: 大谷純治さん

  今年も暑い夏になりました。最近の夏は昼間の温度異常で暑い。小さい時の夏はカラッとした暑さでしたが、最近はネットリ暑いです。3年前、夏に水を飲んで仕事を続けていたら、朝起きたら腰が抜けたようで立ち上がれないようなので、すぐ薬局に行きました。店員の方が漢方をやっていた人でしたので、朝鮮人参の粉をもらって飲んだら1日でなおりました。何かのミネラルが汗とともになくなってしまったのでしょうか?野菜作りをしていても同様に最近、出来が悪くなっていましたが、小祝先生の土のミネラルが不足しているのではという教えに苦土不足に陥っていました。特に生育期間の長い果菜類は後半、不足ぎみになりましたが苦土(マグネシウム)を入れることにより葉の色艶がよくなりました。でも野菜がよくできる事はまた土の中から他のミネラルをとっていることで土壌分析をして土をもとの状態にしなければなりません。「野菜作りは土作り」で土作りの難しさを思いつつ仕事をしています。

 今年の夏は暑すぎ花が受粉しません。夏場から野菜の隔週配送になり迷惑をかけ申し訳ありません。夏場の昼の仕事はしないようにしています。みなさんも夏場は無理のないようにしてください。次回は「圧力鍋料理をしよう」をテーマにします。                    

農水省が有機農業推進に向けて予算案を発表

 全国有機農業協議会からの情報によると、農水省が有機農業推進に向って予算案をうちだす予定であるようである。「有機農業をはじめとする環境保全型農業の推進」と題する政策案には有機農業総合支援対策として5億円、土作り対策事業として2.5億円が予定されている。対策の目的には農業生産活動に伴う環境への負荷を低減するために有機農業を推進し、「全国の有機農業振興の核となるモデルタウンを育成する。」とあり、従来の「有機農業は付加価値農業(お金持ちが購買する特殊な農産物)」という国の有機農産物に対する位置づけは大幅に変更された。政策目標には「平成23年までに有機農業の推進を目的とする体制が整備されている市長村の割合が50%以上にする。」とかなり具体的な数値が目標に掲げられている。予算は有機農業モデルタウンの育成、新規参入希望者に対する研修先の紹介、シンポジウム、メディアを通じた有機農業の広報キャンペーン、有機農業推進に貢献した人への顕彰、技術的な実証試験の実施、新規参入者に対する技術指導、販路開拓のためのマーケティング、消費者との交流、技術指導、種苗の供給、土壌分析のための施設の整備、全国の行政や農業団体に対象とした研修、堆肥製造施設に対する補助など多岐にわたる。昨年12月に有機農業推進法が国会に通過してゆっくりであるが国の有機農業推進政策が動き始めている。各地域での動きは報告によるとなかなか前に進まない現状であるが、具体的な予算が発表されることは大きな前進でもある。有機農業推進は農水省の生産局農産振興課環境保全型農業対策室が中心になって実施されていく。


                      

200  8月発行

野菜出荷状況(8月-9月上旬)

 8月に入ってますます暑くなってきました。畑で、日中仕事をしていたら頭がクラクラしそうな暑さです。長い梅雨もやっと7月下旬に終わりました。

台風も無事、丹波地域を回避してくれたので大きな被害はありませんでした。しかし進路によっては大きな被害をもたらします。トマト、胡瓜、ピーマン、茄子など「てい」(野菜を支えるために立てる支柱など)はちょっとした台風でもめちゃめちゃになってしまい、果実が傷ついて出荷ができなくなります。強烈な台風の場合、根っこごと引き抜かれて回復不能になります。うちの胡瓜は前回の台風は回避したものの強風にあおられたため葉っぱがぼろぼろになってしばらく出荷できなくなりました。風の方向によってはハウスが倒壊したり、鶏舎が倒れたりします。一晩の台風でハウスが倒壊すると何百万円もの被害になります。数ヶ月分の野菜の収入が一晩でなくなるわけです。鶏舎のトタン屋根は毎回台風で飛ぶので、過ぎた後は数日間補修で大変です。

また台風が直撃する予報が出ると、地域の消防団員として我々も夜中に見回りにも行かねばなりません。あまりにも危険な場合はプロの消防署員に任せますが、少々のことは村の青年(おじさんも多いですが)で手分けして事にあたります。雨が侵水して困っている家には消防団員で手分けして、雨の中砂袋をかかえて救助に行きます。あちらこちら出動して終わったら、明け方になっていることもよくあります。そしてくたくたになって家に帰ると、ハウスが倒壊していたり倉庫が水に浸かっていたり、人助けをしている間に自分のところが大変な状況になっていることもあります。

 農家にとって台風の進路は死活問題です。風が強まると祈るような気持ちで夜を明かします。うちではインターネットの在米軍の台風情報のページで詳細な進路を1~2時間ごとにチェックします。市有研でも台風が来る前は台風進路についての話題で持ちきりです。台風が過ぎていくと、なにごともなかったように夏の空がもどってきます。無事に終わると何か大きなことが終わったかのような安心感が生まれます。自然災害は人間に己の小ささを教えてくれているような気がします。どんな立派な人間でも自然の猛威の前ではちっぽけなものなのです。

 野菜は長い梅雨の影響でしょうか、例年ほどの収量がなく、どこも不作です。トマト、茄子、ミニトマト、青シソ、万願寺唐辛子、モロヘイヤ、オクラなどがコンテナに入ります。ゴーヤも出始めます。馬齢薯、玉葱も続きます。トマトはいつもに比べて、あまり出来がよくないようです。うちは、夫婦喧嘩をしながら雨よけトマトハウスを建てたのですが収量はさっぱりです。中井さんの露地トマトはカメムシの影響でぼろぼろ、茄子にはテントウムシダマシがでて十分に収穫できないそうです。ここ数週間まったく降らない状況なのでそろそろ雨が欲しいところです。馬齢薯B、玉葱Bは9月の第1週目から出荷予定。お米の生育は順調です。高木さんの稲刈りは9月20日以降になるそうです。

8月の農作業

8月になると秋作に向けての耕起、堆肥まき、晩生キャベツ、白菜の苗づくりが始まります。また秋じゃが、人参、サラダゴボウの種まき、草挽き、茄子など果菜類の追肥もあります。

 雨が降らないと、田んぼの水は取り合いになります。ちゃんと約束事ができている部落では少ない水も少しずつ時間を区切って分け合いますが。多くの場合、暗黙の了解で田んぼの水の争奪戦が夏の夜に行われます。田んぼを見ていると夜中に軽トラの明かりがついて懐中電灯が田んぼのあたりに光ります。自分の田んぼに水をこっそり入れているのです。その軽トラが帰ったらまた別の軽トラの光が田んぼに近づいてきます。相手が帰るのを見計らって水路を開けに行くわけです。しばらくするとまた別に軽トラが別方向から近づいて水路を開けます。昼間でも自分の田んぼに水を入れるために水路を開けて1時間ほどして見に行ったらもう水路が閉まって別のところに水が流されています。こちらも負けていられませんのでまた開けます。いい米を育てるには、水は大切な資源です。水の奪い合いは農家にとっては死活問題。争奪戦は夏の終わりまで続きます。

 

兵庫県有機農業推進協議会の設立について 7月18日に兵庫県有機農業研究会に所属する消費者団体と加工・流通業者で結成された兵庫県有機農業消費者懇話会と県下の各地域を代表する生産者で結成された兵庫県生産者懇話会が合同で兵庫県有機農業推進協議会が設立された。協議会には生産者側事務局として市有研から橋本、求める会から岩本さんが幹事として参加する。午後から県の農政局との話し合いがあり、今後も互いに協力しあい、兵庫県独自の有機農業推進計画を作成し国に提出する方向で合意した。会議では有機農業の技術を革新するにはどうしたらいいか、生産者を育成するにはどんな方法があるか、有機農産物を学校給食に取り入れる可能性などが話し合われ、県の職員と有意義な意見交換の場を持つことができた。 

        
200  7月発行

野菜出荷状況(7月-8月上旬)

 うっとうしい日が続きます。たまに雨が止んで晴れ間が出たかと思ったら、また雨。いつになったら梅雨が終わるのでしょう。雨の中での収穫は泥がぬかるんで大変です。雨のために人参は畑で腐りが目立ちます。ぬいても、ぬいても腐った人参が出てくると嫌になってしまいます。夏野菜はどんどん出揃って来ています。茄子、ピーマン、万願寺とうがらし、トマト、ミニトマト、モロヘイヤ、南瓜、青シソなどが出始めます。ズッキーニ、胡瓜、スイートコーン、人参、馬齢薯、玉葱、ニンニクも続きます。大谷さんの畑には鹿が侵入しサツマイモ、トマト、胡瓜、茄子などの苗をかじられ、夏野菜の出荷が心配されます。一色さんの畑には再々、アライグマが出没し胡瓜をあらされているそうです。

    
  
 (今月の生産者の声):一色愛子さん

「有機農業見習生活三ヶ月が過ぎて」

 結婚以来十八年間の外へのお勤めの生活に終止符をうち、四月から有機農業の見習を始めています。まず驚いたのは春の忙しさ。各種種まき、苗の植え付け、マルチはり、玉ねぎの収穫、つるもののネットはり、トマトやなすのわき芽かき、、、。毎週決まった曜日の出荷にしいたけの作業。そしてもちろん草ひき、草ひき。旬の有機野菜を年間五,六十種も次々と作っていくためには次から次へとやらねばならぬ作業が山ほど。それでも作業の合間に、腰をのばしてふと周辺の山々をみるときのそう快感。職場での人間関係に悩むことも理不尽な上司に腹を立てることもない、自然の中での労働はなかなかいいものです。今、春植えたズッキーニやきゅうり、トマトなどの収穫期を迎えささやかな達成感も味わっています。見習生活で一番苦しいのは自分の時間の管理ができないこと。定休日がなく、お天気次第、畑の作物のでき次第でいろいろ仕事ができてくるのでスケジュールをたてることが不可能な生活になってしまいます。今は、「今日は○○と○○をして、、、。」といわれることをこなし。年間の作業の流れがつかめるようにどっぷりと見習生活につかろうと思っています。楽しみは旬の野菜でいろいろ手作りの料理を工夫し、保存食など試してみることです。自然の恵みをしっかり活用していきたいと思います。これから、マイ畑でごまや小豆、大豆なども作ってみたいと見習の夢はふくらんでいるきょうこの頃です。

有機農業推進法の最近