NEWSトーク(フィギュアスケート)
私が日々感じていることを書き綴っています
カタリナ・ヴィット
<1994年リレハンメル冬季オリンピックフィギュアスケート女子シングルフリー>

更新 2006/6/22 1:43

思い出のカタリナ・ヴィット選手

カタリナ・ヴィットの♪花はどこへ行ったに涙した'94リレハンメル冬季オリンピック。


冬季オリンピック'94リレハンメル大会フィギュアスケート女子シングルフリー ♪花はどこへ行ったの カタリナ・ビット
(1994.7.20近代オリンピック100年の歩み ベースボール・マガジン社より)

 '94リレハンメル冬季オリンピックにカタリナ・ヴィット(旧東ドイツ)(カタリナ・ビット、カタリーナ・ビットの表記も)が戻ってきて♪花はどこへ行ったをフリーで滑ったのが思い出される。

 かつて、冬季オリンピックで'84サラエボ大会(18才)と、'88カルガリー大会(22才)で表現力と美しいスケートで魅了し連覇したヴィットはオリンピックの翌月('88.3)世界選手権(ハンガリー、ブタベスト)を有終の美で飾りアマチュアの世界から惜しまれながら去っていった。

 その後、女子フィギュアスケートは美しい滑りなどの魅せる芸術よりも高度のジャンプなどの技術重視へと急速に変わっていった。

 その流れを心配したヴィットは、元金メダリストのブライアン・ボイタノたちとプロになった選手が一度だけオリンピックへ復帰できるようにできないかと活動した。

 それと言うのも、ヴィットやボイタノが金メダルを取った'88カルガリー大会はレベルが高い選手が揃っていた。
 ペアの金のエカテリーナ・ゴルデーワ&セルゲイ・グリンコフ組(旧ソビエト)(オリンピック198894世界選手権198687888990世界ジュニア選手権85)


冬季オリンピック'88カルガリー大会フィギュアスケートペアフリー ゴルデーワ&グリンコフ組
(1988.4.11CALGARY'88 ベースボール・マガジン社より)

男子シングルのブライアン対決と言われた金のボイタノ(アメリカ)(オリンピック1988世界選手権1985868788)と、


冬季オリンピック'88カルガリー大会フィギュアスケート男子シングルフリー ブライアン・ボイタノ
(1988.4.11CALGARY'88 ベースボール・マガジン社より)

銀のオーサー(カナダ)(オリンピック198488世界選手権19838485868788)(現在、金妍兒(キム・ヨナ)コーチ)


冬季オリンピック'88カルガリー大会フィギュアスケート男子シングルフリー ブライアン・オーサー

それにアレクサンドル・フェデエフ(旧ソビエト)(世界選手権1984858687)や、


冬季オリンピック'88カルガリー大会フィギュアスケート男子シングルフリー アレクサンドル・フェデエフ
(1988.4.11CALGARY'88 ベースボール・マガジン社より)

銅のビクトール・ペトレンコ(旧ソビエト)(オリンピック198892世界選手権1988909192)


冬季オリンピック'88カルガリー大会フィギュアスケート男子シングルフリー ビクトール・ペトレンコ

アイスダンスの金のナタリア・ベステミアノワ&アンドレイ・ブキン組(旧ソビエト)(オリンピック198488世界選手権82838485868788世界ジュニア選手権81)


冬季オリンピック'88カルガリー大会フィギュアスケートアイスダンスフリー ナタリア・ベステミアノワ&アンドレイ・ブキン組
(1988.4.11CALGARY'88 ベースボール・マガジン社より)

銀のマリナ・クリモア&セルゲイ・ポノマレンコ組(旧ソビエト)(オリンピック19848892世界選手権198586878889909192)


冬季オリンピック'88カルガリー大会フィギュアスケートアイスダンスエキシビション マリナ・クリモア&セルゲイ・ポノマレンコ組
(1988.4.11CALGARY'88 ベースボール・マガジン社より)

たちだ。

 その中の、ゴルデーワ&グリンコフ組(ロシア)、ブライアン・ボイタノ、ビクトール・ペトレンコ(ウクライナ)と、'84サラエボ大会で芸術点で当時の満点(6.0)を全審査員からつけられたと言う伝説のジェーン・トービル&クリストファー・ディーン組(イギリス)(オリンピック198494世界選手権1981828384)らと一緒にヴィット(オリンピック198488世界選手権19828485868788)


冬季オリンピック'88カルガリー大会フィギュアスケート女子シングルSP カタリナ・ビット
(1988.4.11CALGARY'88 ベースボール・マガジン社より)


冬季オリンピック'88カルガリー大会フィギュアスケート女子シングルSP カタリナ・ビット
(1988.4.11CALGARY'88 ベースボール・マガジン社より)


冬季オリンピック'88カルガリー大会フィギュアスケート女子シングルSP カタリナ・ビット


冬季オリンピック'88カルガリー大会フィギュアスケート女子シングルフリー ♪カルメン カタリナ・ビット


冬季オリンピック'88カルガリー大会フィギュアスケート女子シングルフリー ♪カルメン カタリナ・ビット

 がオリンピックに戻ってくると言うのだ。

 ヴィットは冬季オリンピック'女子フィギュアスケートで2大会連続金メダル('84サラエボ'88カルガリー)を獲得したのは52年ぶりの快挙('28'32'36のノルウェーのソニア・ヘニー以来)だということと、世界選手権でも4個金メダルを獲得し銀盤の女王として一時代をつくってフィギュアスケートを広めた功績で、国際スケート連盟から大変名誉あるジャック・ハバール賞(4人目)を贈られていた。

 プロになった'90には『氷上のカルメン』でエミー賞も受賞している。

 ヴィットの滑りを一度観た人は虜になってしまうと言われるように、カルガリー大会のフリーで滑った♪カルメンは悲劇的なストーリーを氷上で見事に演じ、その美しい滑りは伝説になっていた。


冬季オリンピック'88カルガリー大会フィギュアスケート女子シングルフリー ♪カルメン カタリナ・ビット
(1994.7.20近代オリンピック100年の歩み ベースボール・マガジン社より)

 氷上のグレース・ケリーと言われるほど、美しくて、スタイルがよく、セクシーで、チャーミングな彼女はカリスマ的な存在であった。

 そのヴィットがオリンピックに戻ってくると言うので話題になり、特別番組(NHKBS「リレハンメル'94 雪と氷のヒーローたち」など)を放送していた。
 その特別番組で、
 ヴィット…「五輪は世界中の民族にとって 模範であるべきスポーツ大会です
   私にとっての五輪とは“平和な村”という意味です
   肌の色、宗教、思想の違いに関係なく ともに競い合う場のはずです
   私は夢の実現のため この1年間努力してきました
   その夢とは“28才”での五輪を果たし 今の私の想いを伝えることです」
 とインタビューに応えていた。

 ヴィットはアマチュアの世界から去った後、プロとなってアメリカでアイスショーなどに出演していた。
 当時、社会主義体制だった旧東ドイツから自由の国アメリカへ行くことは祖国を捨てることでもあり危険だったそうだ。
 その時のことを、
 ヴィット…「当時 アメリカに渡ることは 大変危険でした
   家族に2度と会えない可能性があったからです でも私は決断しました
   私にはスケートが人生のすべてであり プロの選手になりたかったからです」
 とコメントしている。

 ヴィットがアメリカへ渡ってから2年後、祖国ドイツは統一された。
 この頃から、統一ドイツの代表として、再びオリンピックに出たいという思いが芽生えていた。

 そんなヴィットにチャンスが訪れた。
 2年前のアマチュア規程だった。
 プロの選手も申請すれば、もう一度アマチュアの世界に戻ることが出来るとなったのだ。
 ヴィットたちの願いが叶ったのだ。
 それで、オリンピックへの道が開けた。
 ヴィット…「技術が ますます高度になっていく
   傾向を止めることはできないでしょう
   より高く より多くジャンプできることは
   確かに 素晴らしいことだと思います
   しかし フィギュアスケートはスポーツであると同時に
   氷上の“芸術”なのです
   観衆が ただジャンプを見るだけでなく
   スケートの美に感動してほしいのです」
 という思いをインタビューに語る。

 1993年4月よりオリンピックを目指す戦いが始まった。
 暫く厳しい練習から遠ざかっていたヴィットの体重はベストより10キロ以上オーバーになっていた。
 体が重いとジャンプの着地の時に足への負担が大きくなるから、減らさなければならなかった。
 だが、筋力を落とさず、しかも体の美しさを保ちながら体重を落とさなければならないのだ。
 走り込みや屈伸運動などで体を絞っていった。
 
 ヴィットはアマチュアの時のコーチ、ユッタ・ミュラーにコーチを頼む。
 厳しい指導で有名なミュラーはヴィットの年齢では無理と考えていた。
 それを何度も説得し、引き受けてもらったそうだ。

 猛練習が始まる。
 28才になっていたヴィットには3回転ジャンプを複数の種類で4回以上も要求されるオリンピックは厳しい世界であった。


カタリナ・ビット(1999.4.30「Sports Graphic Number PLUS April 1999文藝春秋」より)

 3回転ジャンプのコンビネーションや難易度の高い3回転ジャンプにトライするが6年のブランクが重く伸し掛かり、何度も何度も失敗し尻餅をつく。
 ヴィット…「悔しい うまくいかないわ どうしてなの
   ジャンプよ ジャンプなのよ」
 疲れ果て呆然と体を椅子にもたれかけている。
 再び3回転ジャンプのコンビネーションにトライする。
 ミュラー…「ジャンプのコンビネーションを もう1回やりなさい
   今のじゃ駄目よ」
 ミュラーコーチの厳しい声が響く。
 再び3回転ジャンプのコンビネーションにトライする。
 ヘトヘトになり、その場にしゃがみ込み這う。

 一番輝いていた青春時代のサラエボの金メダルから10年。
 フリーの曲を一つの想いからヴィットは選んだ。
 女優マレーネ・ディートリッヒが歌った反戦の歌♪花はどこへ行った(WHERE HAVE ALL THE FLOWERS GONE)だ。
 ヴィット…「マレーネ・ディートリッヒの曲が 私に力を与えてくれました
   ジャンプは 苦しみと痛みを 伴います
   しかし あの曲の平和へのメッセージが
   苦しみに耐える力を与えてくれました
   私のスケートで あのメッセージを伝えたいのです」
 戦争で変わり果てた祖国を想い平和を願う♪花はどこへ行ったに、想い出の地サラエボに想いを重ねていた。
 サラエボは内戦が続き、競技場も瓦礫の山になっていた。

 オリンピックへの第一関門の国内選考会まで、後2週間。
 ミュラー…「何やってるの まったく!
   体の開きを考えながら 跳ばないと駄目じゃない」
 また、トライする。
 転倒への恐怖心からジャンプへ入る時のタイミングが狂ってしまっていた。
 練習はジャンプを中心に5時間続けられた。

 インタビューにミュラーコーチは、
 ミュラー…「現在 まだ 3回転ジャンプは 不安定です
   新しいジャンプにも挑戦していますが 成功の確率は高くありません
   練習期間が不足です 良いジャンプと悪いジャンプの差が大きすぎます」
 と語る。

 12月18日にヘルネで行われる国内選考会では3位以内、最終的には欧州選手権でドイツ代表枠の2位以内でなければ、オリンピックに出場できない。

 その国内選考会だ。
 かつて、銀盤で女王として君臨し観客を魅了し続けてきたヴィットは、15〜20才の選手が殆どの中で、
 ヴィット…「彼女たちの演技を見て 私は自分にこう言い聞かせました
   “私はあのカタリーナ・ビットよ
   もっと自信とプライドを持ちなさい”」
 と自分を奮い立たせて競技に挑んだそうだ。

 SPで2位のヴィットのフリーが始まる。
 初めて金メダルを取ったサラエボが、戦火に包まれているのを悲しみ、反戦の意を込めての♪花はどこへ行ったのメロディーが流れる。
 固唾を呑んで見詰めている観客。
 ミュラーコーチ。
 コンビネーション・ジャンプが成功し、華麗な舞を魅せるヴィットに会場の拍手が鳴り止まない。
 かつて、国の威信で優勝を義務づけられていたヴィットが平和を願い舞った。
 後半、ジャンプでミスするが2位になる。

 ヴィットは競技後、
 ヴィット…「初めての経験ですが会場の拍手に鳥肌がたちましたー
   その大きな拍手が私の演技を さらに盛り上げてくれたのです」
 と興奮して涙を浮かべた。

 その後の欧州選手権でドイツ代表枠の2位に入り、ヴィットが執念で、やっとオリンピックの切符を手にした。
 ヴィット…「私は五輪で メダルを取りたいとは 思っていません
   観客が熱狂して 私のメッセージを 感じ取ってほしいのです
   ジャンプが成功したわ と 一緒に 喜んでもらいたいのです」

 統一ドイツの代表としてリレハンメルオリンピックの舞台に立ったヴィットを観客は温かい拍手で迎える。

 そして、フリー競技の日。
 リレハンメルで芸術の世界を取り戻させたい思いと、平和を願ってフリーに選んだ♪花はどこへ行ったのメロディーが流れる。
 “蝶が花畑を飛んでいる。
 戦争が始まり、子を抱き悲しむ母親の姿が…


冬季オリンピック'94リレハンメル大会フィギュアスケート女子シングルフリー♪花はどこへ行った カタリナ・ビット

 戦争への怒りが表現される。
 兵士が行進している模様が演じられる。
 爆撃される。
 悲しみに包まれる。
 そして、泣いていた両手が天高く掲げられ「希望を持て!」と舞う。”


冬季オリンピック'94リレハンメル大会フィギュアスケート女子シングルフリー♪花はどこへ行った カタリナ・ビット

 その舞に涙が溢れて止まらなかった。
 ヴィットの舞だ!
 惹きつけてやまない、表現力、美しく流れるような滑り、舞台を観ているような感動に包ませてくれる。
 ヴィットの舞だ。
 “ヴィットありがとう!ヴィットありがとう!戻ってきてくれてありがとう!”と心の中で叫んで泣き続けた。
 アナウンサーが「勇気ある挑戦」と言う声を耳にしながら…

 歓声が沸き起こる。
 低い採点に、この日一番のブーイングだ。

 競技後、
 ヴィット…「オリンピックに出るという 私の目的は達成できました
   今夜の演技は100%のものでは なかったけど満足しています
   何よりも これほど多くの皆さんに 応援され 本当にうれしいです」
 と感極まっていた。

 結局、ジャンプのミスでSPより1つ順位を落とし7位に終わったが、ヴィットは新しいジャンプにも挑戦した。
 旧東ドイツの代表として連覇した女王の時以上に拍手が沸き起こった。
 それは、心に響く演技で、勇気ある挑戦をした彼女への賞賛の拍手だった。
 彼女が発したメッセージは世界中に届き、彼女の滑りを称えた。
 ずっと、応援してきた私もこの日、最高の喜びを手にした。
 大好きな♪花はどこへ行ったのメロディーにヴィットの映像が追加されたからだ。

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 ※主な成績[オリンピック2連覇(1984・88)世界選手権4度優勝(1984・85・87・88)欧州選手権6連覇(1983-88)東ドイツ選手権8連覇(1981-1988)]
 ※カタリナ・ヴィット(カタリナ・ビット、カタリーナ・ビットの表記も)

 ※(NHKBS「リレハンメル'94 雪と氷のヒーローたち」 参考)(1988.4.11CALGARY'88 ベースボール・マガジン社 参考)(1994.7.20「近代オリンピック100年の歩み」ベースボール・マガジン社 参考)

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