ネロ    ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス ★★★★★

 37.12.15−68.6.9        

アウグストゥスからティベリウスに引き継がれたローマは、二人の氏族名にちなみユリウス・クラウディウス朝とよばれますが、この章に書くネロの死によりアウグストゥスの血統は断絶することになります。

ネロは名前を知られているローマ皇帝の中でもいちばん有名な人物ではないでしょうか。暴君ネロというと残虐非道、贅沢三昧淫乱放蕩と悪名にこと欠かない皇帝で、その実その通りです。
しかし後にトラヤヌスも誉めているように、ネロの治世の始め5年間は「稀に見る善政」 時代といわれているのです。母親のアグリッピナがクラウディウス帝の喉の奥に毒を塗った鳥の羽を突っ込み殺した日にネロは即位しました。16歳の皇帝の誕生です。

皇帝ネロの治世のスタートは順調でした。アグリッピナがネロに家庭教師としてつけたストア派の哲学者セネカが草稿を書いた即位の演説で、ネロは謙虚な態度で元老院に歩み寄りの姿勢を見せ好感を得ています。この時のスローガンは「寛容」。師のセネカと近衛隊長のブルスは若いネロの暴走を制御し,うまく指導していたといえるでしょう。
ネロにどこまで伝わっていたか疑問ですが、セネカがネロに教えた帝王学は現代の指導者にも参考にしていただきたいような珠玉の言葉がちりばめられていました。

しかし…やがて10代のネロは夜遊びに目覚めます。悪友と一緒に飲み屋で騒ぎ、夜の町で恐喝、暴行、窃盗とやりたい放題の末、顔にアザを作って朝帰り、という生活を送るようになりました。2代後の皇帝になるオトはこの頃の悪友です。
当時ネロは解放奴隷のアクテという女に夢中になっています。クラウディウスの娘オクタウィアと結婚しているネロですが、二人の仲は良くないうえに身分の低い女解放奴隷とのスキャンダラスな関係が噂になり、プライドの高いアグリッピナは怒りました。

自分の血統に誇りを持っているアグリッピナは激しくネロを非難しますが、アクテに夢中のネロはもはや母親の言いなりになる子供ではなく、逆にアグリッピナの腹心の部下を解任してしまいます。
そこでアグリッピナは腹いせに前帝クラウディウスとメッサリナの息子ブリタニクスこそ正式な皇帝の継承者であるべきであった、といいだします。
母親とブリタニクスの連携に危機感を抱いたネロは、かつてアグリッピナがクラウディウスを殺したのと同じ方法、つまり宴会の席でブリタニクスに毒を盛り殺してしまい、アグリッピナを宮殿の外へと追い出したのです。

その後ネロはある人妻に夢中になります。悪友オトの妻ポッパエアは才色兼備でオト自慢の女性でした。ネロはオトをルシタニア(スペイン)へ左遷しポッパエアを愛人にします。しかしポッパエアは静かに愛人で納まっているような女性ではありませんでした。
彼女もまた自分が正妻になる為になら手段を選ばないタイプの女性だったのです。オクタウィアは不倫をした嫌疑を欠けられ幽閉され、その後殺されてしまいました。オクタウィアの死体検分を嫌がったネロの代わりにポッパエアが喜んで首実検をしたといわれています。

ポッパエアを考える時、ただ唯々諾々と男性の言うままに夫を変えていったとは思えない節があります。彼女はオトと結婚する前に騎士階級の男性と結婚していましたが、貴族階級のオトへ、そして皇帝のネロへと自らの意志で乗り換えていったとも考えられます。
ネロは気が強く激しい性格の母親を疎ましく思い殺していますが、彼が好きになるのも母親タイプの権力志向が強く気も強い女性が多いようでした。

ポッパエアはネロとケンカをした時に、怒ったネロに妊娠中の腹を蹴られ、それが原因で死んでいます。後日、ネロはポッパエアにそっくりの少年スポルスを去勢させ、ポッパエアの衣装を着せ側に置きます。しかし顔は似ていてもおとなしい性格のスポルスには飽きたのか間もなく他の女性と結婚しました。
スポルスに対してネロは夫として結婚していますが、一方自分が花嫁としてピュタゴラスという奴隷の男と結婚もしています。これは正式な結婚手続きまでしていて周囲の大ひんしゅくをかっています。

ネロによる母親殺しは59年に行われました。アグリッピナを乗せた船を沈没させて殺そうとした計画が失敗したあと、ネロは刺客を送って殺しています。アグリッピナは刺客に向かい「ここを刺しなさい。ネロを生んだここを」 と腹を差し出しました。

その昔占い師に「あなたの息子はやがて皇帝になり、その息子に殺されるだろう」 と予言された時、アグリッピナは「皇帝にするためなら殺されてやるわ」 と答えていましたが、そのとおりになった訳です。ネロとアグリッピナは母子の相姦関係もあり、母親殺しのあとネロは一時錯乱します。しかしうるさい母親を始末したネロの暴走はこの後ますます激しくなっていきます。

さて、ネロの趣味は自らを芸術家というように詩作、竪琴、歌、そして戦車の騎手と幅広い才能(?)を披露しています。ただ実際は皇帝という特権を利用し人々に被害を及ぼしていた様子があります。ネロの竪琴に拍手をしない観客を鞭打つ係の兵士がいたり、ギリシャでの体育祭では
「帝が歌っている間どんな理由があろうと席を立つことは許されなかった。結果、出入り口がふさがれていた為客席で出産した女性、壁を乗り越え飛び降りて逃げる疲れきった人々、死んだふりをして棺に入って運び出された人までいた」 (スエトニウス)

という光景がありました。この場にいた人達には拷問のような時間だったでしょうが、これを始めて読んだ時、情景を想像して笑ってしまいました。ネロがギリシャに長期滞在した後ローマに戻ると、娯楽に飢えていた民衆がネロを大歓迎しています。元老院議員の忍耐力が限界にきていた頃も民衆には人気があったのです。

ネロの悪行のトップに必ずでてくるキリスト教徒の迫害は64年のローマ大火災が引き金でした。ネロが宮殿用の土地を確保する為に火をつけたという噂が人々の間に広まり、その噂を否定する為にキリスト教徒に罪を着せて処刑したのです。あるものは十字架の磔で、あるものは犬に噛み殺され、そしてある者は夕闇が迫る頃、体に油を塗られ火をつけられ、人間ランプとして燃やされたのです。このためにネロはキリスト教徒の敵としての悪名を確定されました。

この刑が執行された場所が、かつてカリグラが戦車を直線距離で思いっきり走れるようにと造った巨大な競技場であり、現在のサンピエトロ大寺院です。 たしかに残酷な処刑法ではありますが「キリスト教徒への」 という条件を外してみれば他の皇帝も多くの人をより残酷な方法で処刑しています。

68年、軍隊と元老院を敵に回したネロは、「国家の敵」として追いつめられ自殺します。この時ヒスパニア総督ガルバとポッパエアの前夫でネロの悪友だったオトが呼応し、掲げられたネロへの反旗のスローガンは「人類救済」でした。

ネロの変人★は満点に近い5つ。 立派な変人でしょう。 アウグストゥスは悪を内包しながら善を演出し通した知恵者、ネロは悪意不在の極悪人、という印象をもちます。 

僅か30年の人生、14年間の在位中の前半と後半でここまで別人のようにハジケられたのは芸術的、といえるように思います。元老院と軍隊には憎まれましたが、ネロの墓には何年もの間、庶民からの花が供えられていたそうです。

back

 




Copyright (C)2003‐2006 YumeututuYakata. All Rights Reserved.