エラガバルス  203−222.3.11 ★★★★★
インペラトル・マルクス・アウレリウス・アントニヌス・ピウス・フェリクス・アウグストゥス・プロコンスル

エラガバルスもしくはヘリオガバルス、またはサルダナパルスという名で呼ばれるこのローマ皇帝が一般的にどの程度知られているのか定かではありませんが、知ってる人は知っている、歴代ローマ皇帝中一番の色物的存在といっていいでしょう。
エラガバルスは14歳で皇帝になり、様々な猟奇的ともいえる逸話を残してわずか18歳で周囲から見放され、体を切り刻まれてテヴェレ河に捨てられました。

彼は世襲の役職であるエメサ(シリア)の神官をしている時に、祖母のユリア・マエサに担ぎ出され皇帝の座に着きました。
祖母ユリア・マエサはカラカラの母ユリア・ドムナの妹にあたります。彼女はカラカラを殺して皇帝になったマクリヌスを追う為に、エラガバルスはじつはカラカラの庶子であったという噂を流し、軍人に人気があったカラカラの威光を利用し、軍を掌握してマクリヌス追討に成功しました。
カラカラ→エラガバルス→アレクサンデル・セウェルスとシリア系の母を持つ皇帝が繋がったことになります。

こうしてシリア人のエラガバルス、本名ウィリウス・アウィトゥス・バシアヌスは「無敵の太陽神エラガバルス」の司祭長でありながらローマ皇帝となったのです。
皇帝即位の約一年後、初めてローマ入りしたエラガバルスをローマ市民は驚愕をもって迎えました。金糸銀糸で織ったきらびやかなシリア風の長い服と輝く宝石類に身を飾り立てたエラガバルスと共に、エメサの神殿から運んできたご神体の「黒い石」がローマ入りしたのです。

天から降ってきたと信じられていた「黒い石」は底が丸みを持ち、てっぺんは尖った円錐形の、さしずめ巨大なおにぎりのような形で、表面に線やでこぼこがあったといいます。まもなくこのご神体はパラティヌスの丘に建てられた太陽神信仰の神殿「エラガバルス神殿」に恭しく祀られ、毎朝牛や羊の生贄が捧げられることになりました。
神殿への毎朝の巡行では、エラガバルスは脱毛した全身に香料をすり込み、顔には白粉、アイシャドー、頬紅、口紅で厚塗りの化粧をし、豪華なシルクの衣装と宝石に身を包んで、楽隊の演奏と共に大勢の女とダンスを踊りながらの一団で向かったのです。

これが年に一度の太陽神祭典ともなると行列の規模もさらに大きくなり、別の太陽神殿へ向かう「黒い石」は宝石で飾られた6頭立ての馬車に乗せられて、砂金が敷かれた道を運ばれたといいます。
その際、石の前を行くエラバルスは石に尻を向けないよう馬車の席に後ろ向きに座るという奇妙な姿だったそうです。古代ローマは多神教で、異教に対してそれほど排他的ではなかったものの、この太陽神を最高神にしようとするエラガバルスに元老院は当惑と反感を隠せませんでした。

古代の史書も、ギボンのような後世のローマ史研究家も、また現代の(主に)男性の書く古代ローマ史の記述も彼については一貫して変態扱いをしているようです。
同性愛自体は古代ローマではことさら問題視されてはいませんでしたが、彼は皇帝の身でありながら少年の役割であるはずの女性的受け身を好んだ為、当時のローマでもそれは慣習として許されない性癖でした。
エラガバルスは男と結婚したばかりではなく、皇帝になった直後から死ぬまでに3人の女性とも結婚しています。その他男女問わず片っ端から数え切れない肉体関係がありましたが、本来の彼は限りなく同性愛者だったようです。
エラガバルスについては異常で堕落の極みのような逸話ばかりが目立ち、古代ローマの中でも代表的な退廃皇帝といわれています。

現代の倫理観をもってすると、彼に女装癖があったり、また女の体になるため性器を切り落とそうとしたというような(性同一性障害だった可能性がある)記述をもって彼を非難したり貶めることはできません。
ただし、それらのことを抜きにしてもエラガバルスは皇帝として何一つ有益な事はしていないといっていいばかりか猟奇的で変態人間だったのは事実で、たとえ性向がどうであろうとローマ皇帝として、それ以前の一人の人間として愚かだったといわれても仕方がありません。

彼のエピソードをいくつか挙げてみると…
・神殿内に飼っている猛獣に切り落とした男性器をエサとして与えたり、生贄として少年を与えていた。
・町の娼館で女に客を取らせ商売し、また自ら娼婦として男性客の相手をした。
・公共浴場では女風呂に入り、痴態の参考にする為に女性を観察した。
・部下に命じ、公共浴場や波止場で屈強な男を探させ、宮殿内に連れ込んでは相手をさせた。 …etc…
史書はエラガバルの行状があまりにも露悪的なので、これでも詳しく書くことは控えているのだと記述しています。

「ヘリオガバルスの薔薇」 1888.アルマ・タデマ

この絵はエラガバルスが宴会に招待した客を薔薇の花で殺したという逸話から描かれたものです。
客の頭の上に張った回転する幕の上に大量の薔薇の花を乗せておき、その幕を切って花を一気に落とし客を窒息させて殺したというのですが…
カリグラの船の橋などを思い出しても、遊びとはいえやることが想像を絶する規模であったローマ皇帝のことですから何トンもの薔薇の花を用意させたのでしょう。
想像ではありますが花だけではなく幕の重みや支柱が倒れた為に下敷きになったということがあったのかもしれません。 いずれにしても、とても美しい絵ですが、この絵の花のような状態で人が埋まって死ぬとは考えられないので、果たしてどんな分量の花だったのかと考えてしまいます。

エラガバルスは4年に渡り皇帝の座にいましたが、その間司祭長として太陽神信仰を広めようとした以外は、豪華な宴会と怪しげな遊びと男漁りばかりの日々を送り、皇帝としての公務は祖母と母親が取り仕切っていました。
その実力者の祖母がエラガバルスの狂態を見かねて、もう一人の娘ユリア・ママエアの息子アレクシアヌス(アレクサンデル・セウェルス)を後継者に据えたのは彼が即位した3年後の221年でした。

アレクシアヌスはエラガバルスの1歳年下の従兄弟で、エラガバルスと正反対の真面目で実直な性格の少年でした。 そんなアレクシアヌスの人気が上がるにつけ、危機感を覚えたエラガバルスはアレクシアヌスの抹殺を企て親衛隊に襲撃を命じます。しかし、すでにエラガバルスに呆れ果て見放していた親衛隊はアレクシアヌスの殺害に向かうどころか逆にエラガバルスに襲い掛かったのです。
こうして母親と共に殺害されたエラガバルスの遺体は首を落とされ、市内を引き回された後テヴェレ河へ投げ捨てられたのです。
エラガバルスの彫像  リンク.
http://de.wikipedia.org/wiki/Elagabalus

というわけでエラガバルスの変人度は★5つ
賢帝や愚帝、残虐な皇帝は様々な名前が挙がると思いますが、このエラガバルスのような皇帝はなんと形容したらよいのか……
彼がエメサの神官として、または一人の普通の少年として生きられたら、女装をして男を愛そうがゲテ物喰いだろうが人生をまっとうできたかもしれません。
また祖母ユリア・マエサの傀儡として従順にしていれば、もう少し長く生きることも出来たでしょう。
巨大な力を持つローマ皇帝として存在するにはあまりにも短絡的であったエラガバルスは、己の欲望を満たすことのみに生きてしまった結果、元老院、軍、市民、そして肉親からも見放され18年の生涯を終えたのです。
そして、たった4年の在位中にこれだけの逸話を残したエラガバルスは他の誰も及ばないほどの色情狂皇帝として名前が残ってしまったのです。 しかし好きなように振る舞い、やりたいことだけをやって死んでいったエラガバルス自身は楽しい一生だったのかもしれません。

back

エラガバルスについて(ブログ)

 




Copyright (C)2003‐2006 YumeututuYakata. All Rights Reserved.