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信玄の死は信玄の遺言によって3年間隠されていました。(実際にはすぐに広く知られましたが…) 信玄の死から3年後に甲斐の恵林寺でとりおこなわれた葬儀に、高坂昌信は「とりわけ往年の因み浅からず」 として「しきりに悃望し(ひたすら願って)」 髪を切り、墨染めの出家姿で信玄の遺骸を納めた棺の壷を開く役目をしています。 当サイト内 「世界史を彩る美男美女・日本史編」 高坂昌信 も合わせてご覧ください。 |
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お屋形さまからの愛の手紙! 訳文 一、弥七郎を伽に寝させたことはありません。以前にもありませんでした。ましてや昼夜続けて弥七郎とそのようなことはいたしておりません。特に今夜はそのようなことはできません。 この条々に偽りがありましたら当国の一二三大明神、富士、白山、特に八幡大菩薩、諏訪上下大明神の罰を蒙ります。このようなわけで以上の通りです。本来ならば牛王宝印を押した起請紙に書くべきところですが、庚申待ち※の為に人が多いので白紙に書いておき、明日(牛王宝印を押した起請紙)に重ねて書いて差し上げましょう。 つまり 「弥七郎に夜伽させたくて言い寄ったんだけどね…。 でもやってないんだってば! 信じて〜」 ってことですね……。
晴信のこの文を始めてみた時、誰でも「アレッ? 源助、強い!」 と思うのではないでしょうか。大勢いる女性に比べて男は源助一人か、いても数は少ないな、と…。 |
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武田信玄ってお方は他の武将に比べても側室が多いようです。 |
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春日虎綱の名乗りについては、春日源助、源五郎、元服して春日虎綱となり、最後まで殆どこの名前で通しているようです。
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この人はダレって…?
ついでに春日虎綱の肖像画も。
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もし、わずか6年後に自分自身が亡くなると知っていたら義信を追い詰めて殺すようなことをしただろうか、次代の武田家のことを考えて義信を生かし、もっと違う布石をしたのではないだろうか、それとも義信が亡くなるときにはすでに己の死期も悟っていたのだろうか? などなど、考えると様々なケースが頭をよぎります。 |
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以前中古でたまたま手に入れたかなり古い本(1988年発行)で、作者は経済関係の小説なども書いている男性作家です。 そんなことで男性作家の描くところのお堅い時代小説かと思いながら読み始めたら、これが意外にも主人公は信玄ではなく高坂弾正昌信(春日源助)。 しかもこの本の源助はかなりやりたい放題、愛されてる強みでお屋形様を振り回しています。 しかしいざという時の源助は武田家の為、お屋形様のため冷血人間にもなり、苦い感情を抑えクールに事を行う戦国の武将でもあります。 源助は山本勘助とはここでも仲良しさん。 そして後日『甲陽軍鑑』 として世に出ることになる日記を虚実織り交ぜて書いています。 マイナーな絶版本で手に入れにくいと思いますので、以下、ネタばれ を書いてみます。 ネタばらしがおいやな方はご覧にならないようご注意ください。
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参考にした書籍と高坂弾正が登場する小説など |
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