夏祭り


-scene 3-

「花火」


 神社の上、丘陵の頂きへと上がる道を登っていくと、やがて目の前が開けてくる。
 眼下に広がる街の向こうに、海を見渡せる展望台。
 そろそろ人が集まり始めていた。
 その、勝手知ったる広場の端の、小さなベンチと、その前にある平たい大きな石。
 幼い頃から毎年ここが、彼女達の特等席だ。

 アリサが用意の手拭をベンチと石の上にそれぞれ広げて、ヴィヴィオを呼んだ。
「ヴィヴィオ、いらっしゃい」
 はぁい、とヴィヴィオは駆け寄って、ベンチの真中にちょこんと腰を下ろす。
 隣りになのは、反対側にははやてが座って。
 フェイトはなのはとヴィヴィオの後ろに立った。
 アリサとすずかは石の方に横座りする。

 夕焼けに染まる空は晴れ渡って、雲一つ無く。
 絶好の、花火日和。
 他愛の無いおしゃべりをしながら、焼きそばやら、たこ焼きやらを皆でつついて待つうちに、辺りは夕闇に包まれて。
 閃光と共に、どんどん、という音が響き渡る。
「あれぇ? 今のが花火?」
 ヴィヴィオが少し不思議そうに顔を上げた。
「そっか、ヴィヴィオちゃんは初めて見るんだもんね」
 すずかが笑って。
「今の花火は雷(らい)って言ってね。これから花火を上げます、って合図なの」
 そうなんだ、と首を傾げて。
「今のも花火なの? あんまり、きれいじゃなかったね?」
「そうだね。これから、綺麗なのが、たくさん上がるからね」
 フェイトの言葉に、ヴィヴィオは安堵したように笑う。

「うちの末っ子に、見せてやりたかったなぁ」
 はやてがぽつりと呟く。
 微苦笑を浮かべたその顔を、フェイトが覗き込んだ。
「アギト?」
「うん」
 なのはがくすりと笑って。
「アギト、花火好きだもんね」
「ときどき、ヴィヴィオにも、見せてくれるよ」
「そうなんよ。だから、こっちの大っきな花火、見せてやりたかってんけどなぁ。あの子はまだ、こっちの世界に連れてきた事ないし」

 毎年この時期には、なのはとフェイトは里帰りしているが、はやてが同行したのは久しぶりだ。
 例年はやてが海鳴市を訪れるのは、冬。
 守護騎士達もみな休暇を取って、揃って海鳴市に立ち寄った後、その足でグレアム氏を訪れるのが常だった。
 みな、自分達の実家に泊まればいいと毎年誘っているのだが、いつもはやては断っている。
 そうそう何べんも長期休暇を取るわけにはいかんよ、というのが、はやての言い分。
 いくら親友とはいえ、実家に大人数で押しかけるのは申し訳ない、というのが本音だろう。
 そんなに気を使わなくていいのにと、幼馴染達は少し歯がゆい思いでいる。
 それが今年に限って、はやての方から同行したいと申し出てきた。
 どうやら『末っ子』に花火を見せてやりたいが為だったらしい。

 けれど。
 守護騎士達も融合騎達も不在の今夜、夜天の主は珍しく、一人だ。
「ざっふぃーはギンガさんのトコ?」
 ヴィヴィオが少し寂しそうに尋ねる。
「そうや。例によって、108部隊の応援に行ってるよ」
「シャマル先生は医学会だっけ」
「そうやけど、なのはちゃん、よう知ってるね?」
「休暇前にヴィヴィオと、少し早めに定期検診、行ってきたんだけど」
 そういえば何か、ばたばたしてたね、となのはが言うと、はやては頷いて。
「今回はミッドで開催なんやて。えらい忙しいみたいやよ」

「ヴィータは出張教導だっけ」
 フェイトの言葉に、なのははちょっと困ったような顔をした。
「それは私も、ちょっと責任感じてるんだよね……」
 出張教導の打診があった時、なのはは既に休暇を申請した後で。
 どうしようかと考えていたら、あたしが行く、とヴィータが申し出てくれたのだった。
 リィンはヴィータの支援で同行している。
「お仕事やからね。なのはちゃんのせいやあらへんよ」
「まぁ、そうなんだけど……シグナムさんも、お休み取れなかったの?」
「けっこう前から言うてたんやけどなぁ。シグナムも、かなり頑張って調整してくれてたんやけど」
「そっか……航空隊はいっつも人手不足もんね……」
「シグナムが仕事で、副官のアギトだけお休みってわけにはいかないよね」
 そうなんよ、とはやては肩を落とす。
「来年は一緒に来ようよ。アギトと、リィンも守護騎士のみんなも、一緒に来よう」
 フェイトが言うと、そうやね、とはやては笑った。


 やがて、打ち上げ開始のアナウンスが遠く響く。
 最初は早打ちだ。
 打ち上げ場所は、海岸沿いの公園。
 なのは達が居る広場からは、打ち上げ場所は見えないが、上がってくる花火をほとんど真正面に見ることが出来る。
 待ち構えるように身を乗り出したヴィヴィオの耳に、大きな爆発音が響いた。
 立て続けに轟く音の大きさに驚く間もなく、次々と咲いていく火の華。
 ヴィヴィオは目を丸くして。
「うわあ! すごいね!」
 嬉しそうに笑ってなのはの顔を振り仰ぎ、花火の音に負けないように叫ぶ。
「うん、すごいね」
 笑いかけるなのはに、笑い返して。
 すぐにまた、目の前に繰り広げられる火の祭典に、見入る。

 目の前で輝く光は、色も形も様々だ。
 華やかな赤、荘厳な青。
 初夏に萌える木々の葉の緑。
 夕焼けに染まる空の、紫。
 大きく開く菊はもちろん、二重に開いて、中と外とで色の違うもの。
 光の尾を引いて打ち上がり、大きな音と共に四散するもの。
 散った光の一つ一つが、思い思いの方角へ、螺旋を描いて駆けて行くもの。
 開いた花が消える前に、次の花が花弁を広げ、夜空を埋め尽くしていく。

「久しぶりに見るとまた、一段とすごいなあ!」
 はやてが歓声を上げる。
 晴れやかなその表情を見て、なのはは安堵して。
「来れて良かったね!」
 叫び返した。


 それから型物と呼ばれる、変わり花火。
 夜空に描かれる、サングラスや猫の顔、螺旋の形に、歓声が上がる。
 すごいすごい、とベンチの上で、ヴィヴィオは身体を跳ねさせて。
 パイナップルやイチゴの形に開く花火に、なのは達も感嘆の声を上げる。
「面白い形! 最近の花火はすごいね!」
「あれ、今のってイカ?」
「バカね、タコでしょ! 赤かったじゃない」
 振り返ったアリサが言うと、フェイトは怪訝な顔をして。
「え、でも足がたくさんあったよ?」
 すずかが笑って。
「こっちのがイカじゃない? 頭が三角だし、さっきより足、多いよ」
 そっか、とフェイトが言うと。
 なのはが見上げて。
「イカって、足八本だっけ?」
 アリサがまた振り返って。
「十本でしょ! 八本はタコ!」
「あー、そっか」
「二人とも、理数系得意やのに、生物は弱いんやなぁ」
 それって生物なの、とすずかが首を傾げた。


 変わり花火が終了すると、競い打ちだ。
 ドン、と腹に響く音がして。
 晴れ渡る夜空に、火の玉が、大輪に開く。
 星のように流れる芯は、広がりながら色が変わっていく。
 鮮やかな赤から、朱色、オレンジ。
 あるいは鋭く輝く青。
 次に開いた花は、銀の花弁が大きく広がり。
 きらきらといつまでも瞬きながら、流れて。

「たまやー!」
「かぎやー!」
 アリサとすずかが、定番の掛け声を上げた。
 ヴィヴィオが怪訝な顔をする。
「たまや? かぎやって、なぁに、ママ?」
 なのはは苦笑した。
「えっと……有名な花火屋さんの名前、だっけ? すずかちゃん!」
「え? ごめん、聞こえなかった! なあに、なのはちゃん!」
 すずかが振り返って叫び返す。
「たまや、かぎやって何だっけ!」
 尋ねると、すずかは笑って。
「江戸時代から続いてる花火屋さんの、屋号よ」
「やごう? えどじだいー?」
 ヴィヴィオは要領を得ない様子で繰り返す。
 アリサが振り向いて。
「昔ね。鍵屋さんと玉屋さんて花火屋さんがあったのよ。毎年の花火大会の時に、その二軒が川の上流と下流にそれぞれ場所を構えてね、腕比べをしたのよ。それで、見物してた人達が、それぞれの花火屋さんの名前を呼んで、応援したわけね」
 ヴィヴィオはまだ、分かったような、分からないような顔をしている。
 けれど次に上がった大輪に向かって、思い切り叫んだ。
「かぎやー!」
 大きな声に、広場に集まっていった観衆から、笑いと拍手が起きた。
 ヴィヴィオは少しはにかんで、嬉しそうに笑った。


 海に浮かんだ二艘の船の間では、仕掛花火が始まっていた。
 青い火の粉が、輝きながら豪快に流れ落ちる。
「お、ナイアガラやな」
「ないあがら?」
 尋ねるヴィヴィオは、はやては笑う。
「大っきな滝の名前やよ。あの仕掛け、滝みたいやろ?」
 たきって、とヴィヴィオはフェイトを見上げる。
 フェイトは少し考えて。
「今度、滝の写真、見せてあげるね」

《ヴィヴィオ、滝、見たことないんだっけ》
《ないかもね。あんまり旅行とか、連れてってないもんなあ》
《そうだね。なのはも忙しいし、なかなか時間取れないから、仕方ないけど》
《今度、連れてってあげなきゃね》

 こっそり交わすママ達の会話をよそに、ヴィヴィオは伸び上がるようにして。
 嬉しそうに仕掛けを見つめて、きれいー、すごいー、と大はしゃぎだ。
 二人は顔を見合わせて、幸せそうに微笑み合う。
《今回お休み取れて、連れてきてあげられて、良かった》
《うん》
《やっぱりもっと、一緒に過ごす時間、作らなきゃね》
 フェイトはそうだね、と笑った。



 少し間があって。
 咲き始めたのは、赤い華。
 それまでの鮮やかな色とは違って、少し暗い感じだ。
「あれ……ちょっと、珍しい花火だね?」
 フェイトの声に、はやてが応える。
「和火、いうヤツやね。最初の頃の花火は、こんな色やったそうや」
 形も、昔ながらのものばかり。
 古典的な菊。火の粉が舞い落ちるような、牡丹。
 しだれ柳。
 埋み火の赤一色で、夜空を彩っていく。
「これが侘び寂びっていうものなのかしら」
「日本の情緒よね」
 アリサとすずかが交わす言葉が聞こえる。
 気付けば、音も今までのものより幾分大人しい。
「なんだかちょっと、さみしいね?」
 ヴィヴィオの言葉に、はやては苦笑した。
「そうやな。ちょお、寂しい色やなぁ」

 黙ったままの様子に気づいて、フェイトはなのはを覗き込んだ。
 静かに光を見つめる、蒼い瞳。
 その蒼に、埋み火の赤がはぜて輝き。
 亜麻色の髪が、紅に染まる。
 頬に、そっと手を添わせて。
「……どうしたの?」
 尋ねると、なのはの手が上がり、その手を握った。
 蒼い瞳がフェイトに向けられて。
 小さく笑う。
「…………なんか、ね。……寂しいっていうか。ちょっと哀しい色だなって、思って」
 呟きは、どこか儚くて。
 それから、はにかんで。
「一緒に見に来られて、良かった」
 そう言って微笑む。
 フェイトは少し、切ない気持ちになって。
「……これからもずっと、一緒に見に来よう、ね?」
 フェイトの言葉に、なのはは微笑みを浮かべて、頷いた。


 集まった観客で、広場はいっぱいになり。
 やがて、遠いアナウンスが終幕を告げる。
 有終の美を飾るのは、連射花火、スターマイン。

 船の上からは、高く立ち上がった火柱が、海面を照らしている。
 最高潮の賑わいの中で、最後の打ち上げが始まった。

 低く開く小さな花火と。
 高く目の前で開く大輪と。
 尾を引いて上がっていく光は、もう数えきれない。
 重なり合うように花弁が広がり。
 立ち上がる火柱と、きらきらと舞い落ちる火の粉が地上との間を繋いで。
 夜空を埋め尽くしていく。

 なのはの肩に手が置かれて。
 振り仰ぐと、深紅の瞳に花火が映り、きらきらと輝いていた。
 金色の髪にも、花火の色が映えて、薄闇の中に光を放つ。

 ふと胸をつく想い。
 それは、微かな痛みに似ていて。
 どうしてなのか、その姿が遠く感じられて―――まるで、夢の中の景色のようで。

 肩に置かれた手の温もりだけが、確かなものに思えて。
 なのははその手に、自分の手を重ねた。
「……フェイトちゃん」
 途切れなく響く花火の音に紛れて、聞こえないかと思ったけれど。
 フェイトの視線は、すぐになのはに向けられた。
 微笑んで。
 輝く瞳がなぁに、と見つめて。
 身を屈めて、顔を寄せてくる。
 間近に覗き込む瞳は、確かになのはを映していて。

 そうしている間にも、白く端正な頬に映る光は、その色を変える。
「……綺麗だね」
 花火と、愛しい人と。
 賞賛の言葉を向けたのは、どちらに対してだったのか。
 耳元に唇が寄せられて。
「……綺麗だよ」
 囁かれた言葉に。
 なのはの頬が、花火のせいではない色に染まった。

 視線を彷徨わせて。
 俯いた顔を、ヴィヴィオが覗きこんだ。
「なのはママ、ちゃんと見ないと終わっちゃうよ?」
「ええんよ、ヴィヴィオ。放っといたり」
 なのはの膝に乗りあがるようにしていたヴィヴィオを、はやてがひょいと抱き上げて、自分の膝に乗せた。
 そうして、ちらりとなのはを見て、ウィンクを一つ。

 今のウィンクは、どういう意味かと考えていると。
 フェイトの腕がふわりと回された。
 なのはの頬が、よりいっそう色を濃くして。
 はやての膝に収まったヴィヴィオは、花火に夢中で、気付かない―――なのはの頬が赤いことも、フェイトの少し困ったような表情も。


 終りの近付いた火の饗宴は、いよいよその勢いを増していた。
 取り取りに色を変える、光の乱舞。
 畳み掛けるような音の中、一際身体に響く轟音が鳴り渡り。
 なのは達の居る高台よりも、更に上空に、大きな華。
 一つ、また一つと咲き誇る。


 フェイトが、肩越しに頬を合わせてきた。
 その温もりに、なのはは苦笑して。
《フェイトちゃん》
《うん?》
《……ここじゃ、ダメだよ?》
 耳元でくすりと笑う声。
《みんな花火見てるから、大丈夫だよ》
 返される響きは、甘くて。
 身を離そうとするよりも早く、なのはの頬に、口付けが落ちる。
 慌てて振り向こうとしたら、唇の端に一瞬だけ、柔らかな唇が触れた。
《……もうっ》
《今はこれで、我慢するよ?》
 悪戯っぽい光を躍らせた深紅の瞳。
 力を込めて抱きしめてくる腕に、手をかけて。
《うん……あとで、ね》
 途端にフェイトの頬が、赤く染まる。
 なのはは微笑んで、その頬に唇でそっと、触れた。



 やがて轟音がやみ。
 視界を埋め尽くした火の華が、ゆっくりと消えていく。


 静寂を取り戻した夜空に、祭典の終りを告げる花火が上がり。
 軽い音を二つ、立てた。


Fin.



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