科学基礎論研究(2002), no.98, pp23-28に掲載(ここでは図版は省略)。
なお引用は、ここではなく上記の雑誌からお願いします。

                   

E・マイヤーの生物学的種概念

                                    網谷祐一

 

1.はじめに

 

 生物の世界に見られる多様性は長らく離散的な存在から構成されていると考えられてきた。たとえば昆虫の世界をとっても、ミツバチ、モンシロチョウ、クロヤマアリといった生物が見つかるが、そうした生物たちはそれぞれ独自の形質を持っていて、互いに混ざりあってはいないように見える。そうした離散的に見える生物を分類学者はリンネに由来する形式に基づいて分類し、その中で、そうした離散的な存在は種(species)として分類体系の基本単位とみなされてきた。また進化論の提唱後は、そうした種、あるいは多様性は進化の産物とも考えられるようになった。さらに、ネオ・ダーウィニズムの理論の中では種は人間的な時間のスケールで観察できる小進化(microevolution)とそうしたスケールを超えた現象のため化石によって推論するしかない大進化(macroevolution)をつなぐものともみなされてきた。このように、種は分類(特に生物の命名・同定)および進化の十全な理解にとって重要だと考えられてきた。しかし、種がどういうものであるかという種の定義に関して、全生物学者が同意するようなものはこれまで得られなかった。それゆえ適切に種を定義することは、生物学の中でもっとも大きな課題の一つとみなされてきた。

 その種問題(species problem)にかかわる様々なトピックの中で、本稿は生物学的種概念(Biological Species Concept)を議論の対象に選び、その有効性と限界について検討する。その理由は、まず生物学的種概念は近年ではもっとも多くの生物学者に受け入れられてきた種概念だからであり、また、提唱後から現在にいたるまで様々な批判を受けてきてもおり、現在でももっとも議論されている種概念の一つでもあるからである。それゆえ生物学的種概念の妥当性を考察することは、種に関する議論を行うために是非とも必要なのである。ただし、本論文では生物学的種概念の支持者としてはエルンスト・マイヤー(Ernst Mayr)だけを取りあげる。マイヤーは生物学的種概念の支持者の中でもっとも中心的な人物であり、生物学的種概念を擁護する論文を最近まで精力的に発表している。さらに、生物学的種概念への批判者も、主にマイヤーの見解を批判の対象にしてきたからである。

 

2.生物学的種概念(マイヤー説)

 

 本節では、生物学的種概念にかかわるマイヤーの主な主張を再構成して、以下の議論の基礎とする。

 マイヤーによる種の定義のうち、以下のものがもっとも知られていると思われる。

 

種は実際にあるいは潜在的に相互交配する自然集団のグループであり、他の同様の集団から生殖的に隔離されている[1]。(Mayr 1942[1999]:120)

 

この定義では、種は基本的に、それに属する個体同士が相互交配(interbreeding)することによって互いの遺伝子を組み替える場(遺伝子プール)であり、他の同様の集団とは相互交配を通じた遺伝子の交換が生じない集団と考えられている。この遺伝子プール内では個々の生物は両性生殖を通じて遺伝子の流動(gene flow)がある(流動といっても、個々の生物個体が直接遺伝子を交換するわけではない。子孫を通じて遺伝的なつながりを持つということである)。

 またこの定義のもとでは、集団の間に観察される様々な差異の中で、集団間の生殖隔離の有無が、ある集団が種のランクに達しているかを判断する際の特権的な(唯一の)基準として用いられていると考えられる。ここで我々は「特権的」という形容詞を用いたが、これは、対象となる諸集団が生殖隔離以外の(形態的・生態的・系統的といった)側面でどのような形質をもっていたとしても、それが生殖隔離の有無の判定に用いられない限りは、その集団が種であるかというランクづけには少なくとも原理的には無関係だということである。

 

 この定義の根拠、つまり種の定義において生殖隔離がなぜ特権的な重要性をもつのかということの理由として、マイヤーは遺伝子流動が、それが生じている(遺伝子組換えの場となる)集団に属している個体間に見られる形質の一様性の原因となるという点を挙げている。すなわち、こうした集団内で自由に交配が行われている場合、生殖による遺伝子の組み換えが頻繁に起こるので、充分長い時間が経つと集団内の遺伝子頻度はどこでも一様に保たれることが期待される。たとえば、他の同様の集団から生殖的に隔離された集団Aがあるとする。そしてA内のある個体のある遺伝子座に新たに有利な形質aをもたらす突然変異遺伝子が生じたとしよう。このとき、この遺伝子座においては、この集団Aは必ずしも一様ではない。しかし、もしこの集団を構成する個体が相互に交配しているとすれば、この突然変異遺伝子をもつ個体の数は(有利だと仮定しているから、多くの場合)世代を経るごとに増加し、充分な時間が経てばすべての個体がその遺伝子をもつことになり、この遺伝子座に関しては集団Aは一様になる。そしてA内の個体はこの遺伝子の影響によって形質aを持つことになる。

 こうして、生物学的種概念の支持者たちは、今までの本質主義的な考え方では諸個体の「本質」の共有によるものと説明されてきた表現型の類似を、集団内の遺伝子の構成の一様性から由来したものとして理解する。

 そして、その裏返しの主張として、遺伝子流動がなんらかの理由で生じなくなった集団のグループでは、次第に集団間に形質の分化が生じるとされる。この主張をマイヤーは明示的に述べているわけではない。しかし、前述の定義を提唱した後に、実際の遺伝子流動が生じなくなった集団間に交配が不可能になるほどの形質分化が生じていない事例(後述)に生物学的種概念の解決すべき課題として取り組んだ(Mayr 1992.また4節参照)ことから、このことを想定していたことがわかる。そして彼はこうした考え方を、少なくとも1963年(4節参照)に一部修正するまでは保持していたと思われる。

 

3.生物学的種概念への批判

 

 生物学的種概念に対しては、様々な批判が提出されてきた。本稿では、こうした批判のすべてを扱うことはできないので、その中から1つの種類の批判についてだけ言及する。

 前節で述べたように、マイヤーの考えによれば、かつて同一の遺伝子プールを共有していた集団が、実際の交配ができなくなると、(生殖隔離を含めた)形質の分化が生じるとされる。しかし、地理的障壁の結果、非常に長い間実際の交配が不可能であるにもかかわらず交配が可能な集団の事例、さらに形態的にも生殖的にも未分岐の集団の事例が報告されている(フツイマ 1991)。たとえば、アメリカとヨーロッパにあるプラタヌス Platanus occidentalisP.orientalisはおそらく2000万年にわたって地理的に隔離されているにもかかわらず、交配実験を行うと雑種が生まれる(Stebbins 1950)。またスナホリガニ科のカニEmerita analogaは南北半球にわたって非常に不連続な分布をしているが、にもかかわらず南北2つの集団の間に差異は見られないという(Ehrlich and Raven 1969[1992])。こうした事例はマイヤーのシナリオに反するものとして、生物学的種概念を批判する際に取りあげられてきた。

 

4.マイヤーの反論:遺伝子間相互作用の導入(Mayr 1963以後)

 

 マイヤーはこうした批判の一部(彼自身はStebbins 1950, Ehrlich and Holm 1962に言及している)をうけて、種内の相互交配を種の表現型の一様性の唯一の原因とはしなくなった。こうして1963年以降マイヤーは、ドブジャンスキーらの「致死遺伝子」などに関する様々な実験結果を根拠にして、遺伝子間相互作用(genic interaction)、遺伝的ホメオスタシス(genetic homeostasis)、共適応(coadaptation)などと呼ばれるはたらきを種概念の議論に導入し、批判に答えようとした[2]。彼によれば、同じ種に属する個体は、同じ遺伝子間相互作用のシステムを共有している。このシステムのもとでは個体の中のある遺伝子座の遺伝子は他の遺伝子座の遺伝子と相互に助け合っているので、そのシステムに属していない(たとえばシステムを共有していない集団からの)要素が混入するとシステムの機能が著しく損なわれ、それを担う個体の適応度が低下してしまう。彼は次のように述べる。

 

表現型は全遺伝子の調和的相互作用の産物である。[...]一つの遺伝子座の対立遺伝子の間だけでなく、遺伝子座の間にも広範な相互作用が存在する。調和して共働する遺伝子が遺伝子プールに蓄積される過程は「統合」や「共適応」と呼ばれる。[...]それぞれの遺伝子は適応度に最大限寄与できるような遺伝的背景が選択されることを好む。

[...]共適応への選択の結果として調和的に統合された遺伝子複合体が生じる。(Mayr 1963:295, なおMayr 1970:184もほとんど同じことを述べている)

 

[...]表現型は長い選択の歴史の副産物であり、それゆえによく適応している。[...]このよく統合された表現型は適応度に最大の寄与をなすように適応しているので、新しい選択圧に直面したとき変化を拒む(慣性、遺伝的ホメオスタシス)。

[...]遺伝子プールにおける全遺伝子の堅い相互依存の結果として緊密な結合が生じる。遺伝子型全体に影響を与えずに、したがって間接的に他の遺伝子の選択値に影響を与えずに、遺伝子頻度は変わることはできないし、またどんな遺伝子も遺伝子プールに加わることはできない。(Mayr 1963:296, 1970:184-5に再出)

 

そして、次のように述べて、彼は遺伝子間相互作用の共有が種の統合性を維持する一要因だする。

 

遺伝子流動はこうした種を[分布域の]どこでも任意交配に近い状態にさせるほど強くはない。遺伝的・表現型的な変化に厳しい制限をかけるような限られた数の非常に有効な後生的な(epigenetic)[3]システムやホメオスタティックな装置を[種の]全集団が共有している可能性の方がずっと高い。(Mayr 1963:523, cf.Mayr 1970:300)

 

マイヤーによれば、この遺伝子間相互作用のシステムは、個体や集団が新しい選択圧にさらされたとき、また新しい遺伝子が導入されたときに起こる遺伝子型・表現型の変化の枠組を決めている。種や地域集団に属する個体の表現型に見られる類似性はそうした相互作用の結果でもあり、そうした枠組が表現型の変化の限界と対応している。その枠組が変わらない限り、今述べたような変化が起こったとしても遺伝子型・表現型の変化はある範囲内に収まり、表現型の大規模な変化は起こらないというのである。

 こうして、マイヤーによれば、生物学的種概念を批判するために持ち出された事例のいくつかは、遺伝子流動と遺伝子間相互作用を組み合わせることによって説明できることになる。例えばマイヤーは、3節で取りあげたような例の原因を遺伝子間相互作用だとする。遺伝子間相互作用のシステムによって表現型の変異の幅が決められているために、そのシステムに変化がない限り、遺伝子流動がなくても表現型は分化しないとマイヤーは考えるのである(Mayr 1970:320, 1986[1988], 1992)。

 ここでマイヤーは、遺伝子間相互作用を導入することによって先の反例と思われた例の説明を試みている。つまりマイヤーは遺伝子間相互作用を導入することによって、当初の想定を補完しようとしたのである。

 

5.マイヤーの生物学的種概念の問題点

 

 しかし、こうした反論が成功しているのかという点には、以下のような疑問が残る。

 まず何よりも、遺伝子間相互作用は(その存在については広く認められているものの)、まだそのメカニズムはほとんど分かっていない。マイヤーもこう述べている。「なぜすべての遺伝子は組換えのときに完全に独立していないのか。遺伝子を組換えの遠心力に逆らってまとめているのは何か。正直いって、これらの質問に対するわれわれの解答はいまだ不完全である」。(Mayr 1975[1988]:427[訳書411頁])。そしてそれがわからなくては、上記の例に相互作用の概念が適用できるかは不確かなままである。

 次に、上で仮定したような相互作用が生物学的種のレベルに固有なものかについても議論できる。実際マイヤーは生物学的種よりも下のレベルである地域集団(local population)についてもそれを統合された遺伝的システムであると述べているし、加えて進化的停滞といった大進化の現象も遺伝子間相互作用で説明しようとしている(Mayr 1963, 1970, 1975[1988], 1988[1988]:471)。もし生物学的種とされている集団より上(あるいは下)のレベルで遺伝子間相互作用が存在するなら(すなわち、遺伝子流動が生じている集団と遺伝子間相互作用がはたらく集団が一致しない場合)、問題となっている(諸)集団の地位を決める時にどのレベルの相互作用を用いるべきか、マイヤーの議論だけでは決定が恣意的になってしまうのではないかという疑念が生じるのである。

 さらに、もともとこの概念にはやや危険な側面がある。確かにこの概念を使うと、今まで生物学的種概念の反例とされてきた事例に一応の説明を与えることができる。しかし、経験的な裏付けを欠いたままこの概念を濫用すると、この概念が実際は何も説明していない単なるその場しのぎの議論に堕してしまうおそれがある(これはマイヤー自身も認めている。Mayr 1975[1988]:427[訳書411頁])。つまり、任意の研究者が問題となっている任意の集団に遺伝子間相互作用を仮定して、その種の地位を認めるやり方をとることができるのである。

 したがって、もしこうした点を解決しないままに、生物学的種概念を擁護するために遺伝子間相互作用を用い、しかもその場しのぎの議論としないとすると、この試みは最終的にマイヤーの次のような言明に至る。

 

しかし、もし2つの種がその[遺伝子間相互作用などによる]本質的統合性(essential integrity)を継続させているなら、隔離機構が少々有効でなくとも、それらは[亜種等でなく別々の]種として扱われるだろう。(Mayr 1996: 265)

 

マイヤーのこの言葉に対しては次々と疑問が浮かんでくる。本質的統合性とはいったいどういうものだろうか。また、逆に本質的でない統合性とはどういうものだろうか。本質的な統合性と非本質的な統合性を区別する基準とはどのようなものだろうか。それは分類学者の直観の追認とは違うのだろうか。結局のところ彼のこの言明は、生物学的種概念をそれが生まれた際の批判対象であった本質主義(2節)に舞い戻らせるものである。したがって、マイヤーが常にこうしたあからさまな言明をしているわけではないが、遺伝子間相互作用への言及がこの引用文の議論に最終的に行き着かざるを得ないならば、生物学的種概念は提起当時の目標を達成できなかったという結論に至ることになる。

 そして最後に、たとえ詳細な経験的な裏付けを遺伝子間相互作用が手に入れたとしても、生物学的種概念において生殖隔離の成立という基準は特権的な基準とは言えなくなる。

 

 さらに、もともとのマイヤーの説明枠組の根本についても疑問がある。複数の集団間に遺伝子流動があっても形質のギャップが広がることを示唆する実験などが示されているのである。

 ジョン・エンドラーはマイケル・ルースによって「すでに古典的」(Ruse 1987)と評された著書などの中で(Endler 1973,1977)、遺伝子流動の量や環境勾配とそこから生じるクライン(cline)[4]の関係を研究した。その結果、彼は生物学的種を構成する集団間で一定の遺伝子流動が生じていても、環境勾配の影響によってそうした集団間にクラインが生じうることを明らかにした。

 彼の実験には以下のようなものがある。15デーム(1デーム=50つがい)を横一列に並べた野生型のキイロショウジョウバエ(Drosophila melanogaster)の集団を5組作り(A-Eとする)、それに人工的にBarという突然変異遺伝子を導入して多型にし、人為選択と遺伝子流動を通して人工的にこの遺伝子座についてクラインを作る。対照のためにBとDでは遺伝子流動が、Eでは人為選択が行われなかった。20-35世代における遺伝子頻度のクラインの平均、世代ごとの各組の各デームにおける遺伝子頻度のいずれにおいても、40%の遺伝子流動を行った組(A,C)と行わなかった組(B,D)には有意な差は見られず、遺伝子流動の効果は検出できなかった(図)。彼はこの実験、また類似の実験や理論・シミュレーションから、環境勾配に沿って傾きの大きなクラインが生じる際に必ずしも遺伝子流動は影響しないという結論を引き出した。

 このようにエンドラーの実験は、環境勾配に沿った強い選択圧がかかると、遺伝子流動の作用に反して形質の分化が生じうることを示している。先に述べたように、マイヤーは遺伝子流動により生物学的種の形質の一様性が生じると考えていたが、遺伝子流動だけではそうした一様性が生じないことがあるのである。

 

6.結論

 

 前節の批判は、遺伝子流動および遺伝子間相互作用で、「種」の形質の一様性を説明するというマイヤーの一連の方針には困難があることを示している。マイヤーによる遺伝子間相互作用の導入には経験的・概念的困難がある。加えて、環境に対する自然選択の力も集団内の形質分布を形作るのに寄与していると考えられるのである。もちろん、マイヤーもこのことを全く否定するわけではない。しかし彼は、遺伝子流動が種の遺伝的統一の主原因であり、他の要因による効果を上回っていると考えており(Mayr 1963:522)、またこうした諸要因がはたらく範囲は一致し、生物学的種が様々なはたらきの統一的な対象であると考えていた(Mayr 1970など)。ところが前節の批判は、そうした考えが常に成り立つわけではないことを明らかにした。

 種問題は、長い間種に対する本質主義の文脈で論じられてきた一方、異種間の生殖の失敗に基づいて種を定義するという生物学的種概念に類似の考えも断続的に提起されてきた。2節でみた議論によって、マイヤーはそうしたアイデアに一定の根拠があることを示し、同時に本質主義を批判した。そして、彼などの批判によって本質主義は現在ではほとんどとられなくなった。また、マイヤーが提示した遺伝子間相互作用も、その存在自体に関しては根拠のないものではない。こうした点で、マイヤーの考えには種問題の解決に向けた取り組みとして一定の評価を与えることができる。しかし、ここまでみてきたように、彼には形質分布を決める要因として遺伝子流動を過大に重視するという行き過ぎがあり、また自らへの批判に対して導入した遺伝子間相互作用の考え方も自らの種概念を擁護するには不十分なものであったのである。

 

文献表

 

※リプリント版を記している文献のページ付けは、特に断らない限りリプリント版からのものである。

 

Ehrlich,P. and Holm,R.W.(1962): Patterns and populations. Science,137,652-57.

Ehrlich,P. and Raven,P.(1969[1992]): Differentiation of populations. Science, 165,1228-32. [In: The Units of Evolution: Essays on the Nature of Species. Ereshefsky, M.(ed.) MIT Press, Cambridge,Mass.,1992.]

Endler, J.A.(1973): Gene flow and population differentiation. Science,179,243-50.

--(1977): Geographic Variation, Speciation, and Clines. Princeton University Press, Princeton.

フツイマ[岸由二編訳](1991):『進化生物学(原著第2版)』蒼樹書房。

Mayr, E. (1942[1999]): Systematics and the origin of species from the viewpoint of a zoologist. Columbia Univ.Press, New York.[Reprint version: Harvard University Press, 1999]

--(1963): Animal Species and Evolution, Harvard University Press, Cambridge.

--(1970): Populations, Species and Evolution: an abridgement of Aminal Species and Evolution. Harvard University Press, Cambridge, Massachusetts.

--(1975[1988]): The unity of genotype. Biol.Zentralblatt,94,377-388.[Reprinted in: Mayr 1988]

--(1982): The Growth of Biological Thought, Belknap, Cambridge.

--(1986[1988]): The species as category, taxon and population. In: Histoire du concept d'espece dans les sciences de la vie. Atran,S. (ed.), Editions de la Fondation Singer-Polignac, Paris.[Reprinted in: Mayr 1988]

--(1988[1988]): Speciational evolution or punctuated equibria. Journal of the biology of social structure I.[Reprinted in: Mayr 1988]

--(1988): Toward a new Philosophy of Biology. Harvard University Press, Cambridge. [新妻・八杉訳『進化論と生物哲学』東京化学同人、1994年]

--(1992): A local flora and the biological species concept. Amer. J.Botany,79,228-38.

--(1996): What is a species and what is not? Philosophy of Science, 63,262-277.

--(2000): A defence of the biological species concept. In: Species concepts and phylogenetic theory: A debate. Wheeler,Q.D. and Meier,R.(eds.) Columbia University Press, New York.

Ruse, M.(1987): Biological species: Natural Kinds, individuals, or what? The British Journal for the Philosophy of Science,38,225-42.

Stebbins,G.L.(1950): Variation and evolution in plants. Columbia University Press, New York.

 



[1]後にマイヤーはこの定義から「実際にあるいは潜在的に」(actually or potentially)という語句を削除する。しかしその理由は「生殖的に隔離されている」という語句によって示唆されている生殖隔離機構(reproductive isolating mechanism)の存在は、当該(諸)集団の(実際の)相互交配の有無に関わりなくあてはまるので、わざわざ「実際的/潜在的」ということを示す必要はない(Mayr 1982:273, 1992:229, 2000b:95f.)というものであり、この定義に基づいても以下の議論には影響がない。また1982年(Mayr 1982)には生態的側面を取り入れたやや異なる定義をしているが、後の論文等ではこれと同様の定義を行っているので、本稿では考察の対象としない。

[2]マイヤー自身はこの見解の変化を1970年(Mayr 1970)に生じたものとしている(Mayr 1992,2000)。しかし、Mayr 1963もMayr 1970と個別事例への見解は異なるものの類似の議論をしており、加えてMayr 1970はMayr 1963の縮約版であるので、彼の言明は必ずしも正確ではない。

[3]発生学上の用語で、特に、一次的な遺伝子活動より上のレベルの発生プロセス間で生じる相互作用(フツイマ 1991)。

[4]地理的分布に沿って生じる対立遺伝子の頻度やある形質の平均値の漸進的変化(フツイマ 1991)

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Last updated: 2003/05/23

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