南大沢地区
ここでは南大沢1丁目〜5丁目の施設、地名、について研究、解説していきます。
・南大沢
市の東南端、大田川の上流部に位置する。1964年由木村の八王子市への合併により、同村内の旧大字南大沢が
八王子市南大沢となった。江戸期の大沢村。明治前期に神奈川県南多摩郡に所属した際、同郡内の同名村と区別するため
「南」を付した。全域が多摩ニュータウンの新住宅市街地開発事業区域となり、住宅建設の進行に合わせて新しい町区画が
編成され、82年には南大沢2〜4丁目、88年には同5丁目、90年には同1丁目が誕生した。残余の地域も、事業の事業の進行
によって96年6月に1.2丁目に編入された。
・南大沢1丁目
市の当南端 大田川流域にあり、多摩ニュータウンの八王子地区の中心に位置す
る。1990年9月に下柚木・上柚木・南大沢・松木のそれぞれ一部を合わせて誕生。
大部分は
東京都立大学(現首都大学東京)の敷地で、91年4月に移転してきた。
・南大沢2〜5丁目
市の東南端 大田川の上流部に位置する。全域が多摩ニュータウン計画地域で、
住宅建設の進行にともない 1982年に2〜4丁目 88年に5丁目が誕生した。
江戸期の大沢村。中央部を京王相模原線が横断、2丁目に南大沢駅がある。南大沢
から先は91年3月開通、銅線の北側に平行して多摩ニュータウンが走る。
2丁目に中郷公園、3丁目に柏木小学校 南大沢中学校、南大沢郵便局、大平公園
、4丁目に南大沢小学校、広妙寺、5丁目に宮上小学校・中学校がある。
・
南大沢駅
南大沢2丁目 1988年5月21日 京王相模原線の京王多摩センター南大沢間暫定
開通にあわせて開業、橋上駅方式で中央の半月型屋根がこの駅の特徴。
コンコースからホームへはエレベーターが設置されている。
・南大沢の粉屋踊
粉屋踊とは、幕末から昭和10年代ころまで関東地方を中心として分布した農民の
娯楽のための芸能のことで、神奈川県では飴屋踊、千葉県では手踊りとか
中山節、茨城県の一部では小念仏などと呼ばれていた。青年男子が行い、手踊り
と段物に分かれて、演目には「白桝粉屋」「いざり勝五郎」「笠松峠」
「細田の奴」「伊勢音頭」などがあり、代表的演目の「白桝粉屋」から粉屋踊と
いう。南大沢では明治中ごろに行われていたとの記録がある。
明治の中ごろには町田市忠生から再び伝えられ、神社の祭礼などで演じられた。
東京都でも数箇所しか今日に伝えられていない芸能である。
・南大沢ニュータウン
多摩ニュータウン西部地域内の新住宅地域。南大沢1−5丁目の地域で、東京都と
住宅・都市整備公団によって整備された。
・八幡神社(南大沢)
多摩ニュータウンの一角
祭神応神天皇 例祭日は8月26日。創建年代は不明だが古くから南大沢の鎮守神としてまつられてきた。
1890年 社殿再建、現在のい社殿は1975年に昭和天皇即位50周年を記念して再造
営されたもの。境内社は八坂神社、天照皇大神宮、大六天社の3社
本像の神像1体
社前の右手前 崖際に大枝を茂らせるオオツクバネガシの巨木は、樹齢推定六百年。
明治十三年、神社が失火に焼けた時、火を受けて枯死したものと思われたが、芽を吹いて再生した
もので、地元では「不死のアカガシ」と呼び大切にしている。
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