「スマイス報告」をめぐる「議論」


 「スマイス報告」は、南京事件の民間人犠牲者数を推定する上での、ほとんど唯一の「統計資料」です。しかし「統計資料」である以上、サンプルの偏り、質問内容の限界など、いろいろな問題点が存在するのはやむを得ないところです。

 その問題点から、「スマイス報告」が掲げる「犠牲者数」については、以前から「過少説」「過大説」が存在し、論壇を賑わせています。ここでは、「過少説」と「過大説」を、それぞれ紹介します。掲示板などでの議論の参考になれば幸いです。



 まず、「スマイス報告」が掲げる「民間人犠牲者数」の統計推定値を確認しておきましょう。

市部調査   死者 2,400人  
行方不明者 4,200人  
合計 6,600人 南京城内およびその周辺
農村調査 死者   26,870人 「南京特別市」6県のうち4県半
  うち江寧県 9,160人 「南京市」が属する県
合計 死者・行方不明者    33,470人  


 「南京事件」の範囲をどうとるか(後述)、という問題はありますが、これが「スマイス報告」の基礎数値になります。




 スマイス自身は、この数字を「過少」と考えていました。以下、「市部調査」についてのスマイスのコメントを紹介します。

南京地区における戦争被害  1937年12月―1938年3月 都市および農村調査

一、市部調査

 2 戦争行為による死傷

    死傷者数および原因

 ここに報告されている数字は一般市民についてのもので、敗残兵がまぎれこんでいる可能性はほとんどないといってよい。調査によってえた報告によれば、死者三二五〇人は、情況のあきらかな軍事行為によって死亡したものである。これらの死者のうち二四〇〇人(七四パーセント)は軍事行動(1)とは別に〔日本軍〕兵士の暴行によって殺されたものである。

 占領軍の報復を恐れて日本軍による死傷の報告が実際より少ないと考えられる理由がある。実際に、報告された数が少ないことは、暴行による幼児の死亡が少なからずあったことが知られているのに、それが一例も記録されていないことによっても強調される。
(1)ここで「軍事行動」による死者というのは、戦闘中、砲弾・爆弾あるいは銃弾をうけて死亡したものをいう。

 負傷を受けた状況がはっきりしている三一〇〇人のうち、三〇五〇人(九八パーセント)は、戦争以外に日本兵の暴行によって負傷したものである。負傷しても何らかの形で回復したもの(1)は、負傷を無視するという傾向がはっきりと見られる。
(1)当復興委員会に救済をもとめてやってきた一万三五三〇家族が委員会に報告した負傷者のうち、三月中の調査によれば、強姦による傷害は十六歳から五十歳に到る婦人の八パーセントを占めていた。この数はきわめて実際を下まわるものである。というのは、大ていの婦人はこのような扱いをうけても、進んで通報しようとはせず、男子の親近者も通報したがらないからである。十二月・一月のように強姦がありふれたことになっていた間は、住民はその他の状況からも、かなりそうした事実を遠慮なく認めたのである。しかし、三月になると、家族たちは家族の中の婦人が強姦されても、その事実をもみ消そうとしていた。ここでこのことに触れたのは、市の社会・経済生活がどれほどはげしく不安定なものであったかを説明するためである。

 日本兵の暴行による死者の八九パーセントおよび負傷者の九○パーセント十二月十三日以後、すなわち市の占領の完了後におきている。以上に報告された死傷者に加えて、四二○○人が日本軍に拉致された。臨時の荷役あるいはその他の日本軍の労役のために徴発されたものについては、ほとんどの事実を報告していない。六月にいたるまでこのようにして拉致されたものについては、消息のあったものはほとんどない。これらの人びとの運命については、大半がこの時期の初期に穀されたものと考えられる理由がある。(1)
(1)「拉致」がいかに深刻なものであるかということは、拉致された者としてリストされた全員が、男子だったということからもはっざりしている。実際には、多くの婦人が短期または長期の給仕婦・洗濯婦・売春婦として連行された。しかし、彼女らのうちだれ一人としてリストされてはいない。

 拉致された者の数字が不完全なものであることは疑いない。実際に、最初の調査表には、これらの人びとは死傷者のうちの一項目「事情により」というところに書きこまれており、調査の計画過程では必要とされもせず、予想もされなかったのである。こうして、これらの人びとは並なみならぬ重要性をもつものとなり、単にその数字が示す以上に重要なものとなっている。こうして、拉致された四二○○人は、日本兵によって殺された者の数をかなり増加させるに違いないのである(1)
(1)市内および城郭附近の地域における埋葬者の入念な集計によれば、一万二○○○人の一般市民が暴行によって死亡した。これらのなかには、武器をもたないか武装解除された何万人もの中国兵は合まれていない。三月中に国際委員会の復興委員会によって調査をうけた一万三五三○家族のうち、拉致された男子は、十六歳から五十歳にいたる男子全部の二○パーセントにも達するものであった。これは全市人口からすれば一万八六○人となる。救済をもとめてやってきた家族の言によるのであるから、誇張されているところもあろう。しかし、この数字と当調査で報告された四二○○人という数字の差の大部分は、おそらく男子が拉致されても、拘留あるいは強制労働をさせられて、生存した場合を含むことによるものであろう。

 多くの些細な事件を無視すれば、軍事行動による死傷者、日本兵の暴行による死傷者、および拉致された著は、二三人につき一人、つまり五家族につき一人である。

 このような死亡の重大な社会的・経済的結果は、われわれの調査記録から直接計算しても、その一部を示すことができる。夫が殺害・負傷、または拉致された婦人の数は四四○○人である(1)。父親が殺害・負傷、あるいは拉致された子供の数は三二五○人である。
1)救済を希望した一万三五○○家族を当復興委員会が三月中に調査した結果によれば、十六歳以上の婦人全体の一四パーセントが未亡人であった。

(「南京大残虐事件資料集供廝丕横横押腺丕横横)


 笠原氏の見解も、スマイス調査の数字は「過少」とするものです。

[南京事件資料集」 笠原十九司氏による「解説」

 本来、調査にはそれを通して明らかにすべき目的があって、そのための課題に沿って調査方法や項目が設定される。本資料集の第喫埖茖款呂房録した南京国際救済委員会(南京国際安全区委員会が改称されたもの)関係の資料に、スマイス、ベイツらが現に生き残って南京に居住している人々の生命と生活をどう救済するか、そのためにはどれほどの物質的援助が必要か、という切実な課題に基づいて戦争被害の調査をおこなった経緯が記録されている。

 彼らの関心は、現に生存している人たちがどのような被害を受けたかを調査し、生活と生産活動を再開させるには何をどれだけ援助すればよいのかを算定し、南京の「自治政府委員会」や日本当局にそれらの支給を要請することにあった。
したがって、調査は一九三八年三月段階で南京市内の家屋に入居中の家族にたいしておこなわれている。

 しかも、調査は五○戸に一軒を抽出して調査し、平均の数値を五○倍して全体の犠牲者数を算出している。当時、南京には南京戦前の人口の三割程度しかいなかった。それに、離散してまだ戻っていない家族、家が焼失してしまって戻れない家族、家族全員が犠牲になったもの、家族に犠牲があったゆえに恐ろしくて戻れない家族等々、犠牲者を出した家族ほど原住地に入居していない可能性が高かった。もしも民間人の死者数をあるていど正確に調べるには、別の調査方法が考えられたはずである(救済を目的としない、そのような調査を日本当局が許可ないし黙認したかどうかを問わなければ)。

 本資料集で明らかにされているように、スマイス、ベイツらの戦争被害調査が南京市民の救済活動と、そのためのデータ作成を目的としておこなわれたことを考慮すれば、調査の本来の目的ではなかった南京市民全体の死者数にのみ同調査結果を利用するのは、調査の趣旨からは外れている。

(「南京事件資料集1 アメリカ関係資料編)

*「ゆう」注 「南京事件資料集」には「スマイス報告」そのものは掲載されておりませんので、お間違えのないようご注意下さい。


 「スマイス調査」が対象としたのは、調査時点で南京に居住している人だけでした。

 しかし、南京に戻っていない家族の方が、被害は大きかったはずだ。従って、南京に居住している人だけを対象とすれば、調査結果は過少なものになる。笠原氏の見解を要約すれば、そのようなことになるでしょう。




 逆に、「スマイス調査」の数字を「過大」とみなす見解も存在します。

「南京戦史」より

スマイス調査書の特徴と問題点 

 (略)

 この調査の特徴は「戦争被害調査」であって、その加害者が日・中いずれであるかを問題にしていない点である。ただ「前書き」において、ベーツ氏は簡単に被害の原因を要約して次のように述べている。

 城壁に接する市街部と東南部郊外の焼き払いは中国軍、城内と近郊農村の焼き払いの多くは日本軍、略奪と暴行は日本軍、一月下旬以降中国人による略奪と強盗、後に建物の破壊、農村部での深刻な強盗の増加(日本軍に匹敵、時にこれを凌ぐ)。

 また農業調査附属の調査地図における被害分布と、本戦史(本書)で解明した日本軍の作戦行動とは必ずしも一致せず、中国軍による堅壁清野戦術や敗残兵の逃走時の行為と推察されるものもかなり多い。おそらく人的被害についても同様であると思われるが、表はその点で正確さに欠ける。

 例えば市部調査第四表において「十二月十二日以前における軍事行動の死者六〇〇、連行(拉致)0」というデータを見ると、前述の強制的民兵、徴用軍夫の存在、また退却中国兵の暴行などを考えれば日本軍入城以前の死者や拉致はもっと多いはずである。中国軍とともに退却したため調査時点では「行方不明」の者もいるはずである。

 第二十五表では、病死者の割合が不自然に少ない。下段注にあるように、J・ロッシング・バック教授(金陵大学農学部教授、パール・バック女史の前夫)のデータに比べ江寧県ではほぼ半分である。実際には平時においても十二月から二月にかけては死亡率がその他の月に比べて高いはずであるのに、家を焼かれ、食糧も乏しい農民の病死が減るとは考えられない。かなりの数の病死者が、調査に際し被殺者と回答されたものかと思われる。程度の差こそあれ、およそこの種の調査において回答に作為が入るのは避けられないことであろう。

 以上、この調査報告書の問題点について考察したが、一応この表の数字を使用することにして、第四表(「ゆう」注 市部調査)からの南京市部における暴行による死者二、四○○、拉致四、ニ○○、計六、六○○を、第二十五表(「ゆう」注 農業調査)から江寧県の被殺者九、一六○を採り、合計一五、七六○を一般市民の被害とする。


我が軍の作戦行動とスマイス調査結果関連部分についての考察

 (略)

 次に一般市民の戦争被害者数について考察すると、スマイス調査では累計一五、七六○人という数字があげられているが、この中には前述したように、戦闘員としての戦闘死、戦闘行為の巻き添えによる不可避的なもの、中国軍による不法行為や、また堅壁清野戦術による犠牲などが含まれ、さらにスマイス調査実施の際の手違いや作為も絶無とはいえない。また第四表の拉致四、ニ○○人のうちには調査の時点では行方不明でも、後日無事帰還した者や、たとえ帰還できなくても生命を完うした者もあるかもしれない。

 (略)

 以上のように我が軍の作戦行動との関連において戦争被害の実態を検討してみると、一般市民の被害者数は、スマイス調査の一五、七六○人よりもさらに少ないものと考える。 

(「南京戦史」P371〜P374)

*「ゆう」注 公平を期するためにあえて批判的コメントなしで紹介しましたが、この見解は、必ずしも私の見解とは一致しません。議論に援用される方は十分にご注意ください。



 板倉由明氏は、この「南京戦史」の見解に沿って、「不法」を「死者一万六千の三分の一から二分の一」としています。秦郁彦氏も、これにならい、「二分の一から三分の二」を「不法殺害」と考えています。
 
 なお、板倉氏と笠原氏では、「南京事件の範囲」が異なることにご注意下さい。板倉氏は「南京市」を事件の範囲として考え、「市部調査」プラス「農業調査のうち江寧県」(厳密には「南京市」よりも広くなります)の数字を採用していますが、笠原氏は「南京特別市」を範囲としてとらえ、「農業調査」の数字をひとつの参考に考えています。

 秦氏についてはやや微妙ながら、笠原氏と同じく「南京特別市」を範囲としているように思われます。

 

(参考) 
 「スマイス調査」をめぐり、北村稔氏が「農業調査」の方法に対して批判を試みています。これに対して、「岡田」さんが『「南京事件の探求」はトンデモだ』の中で北村氏の勘違いを指摘していますので、ご参照ください。(2013.8.30現在リンク切れ)

 また、同じく北村氏は、「曾虚白自伝」の記述を元に、国民党宣伝部が「金を使ってティンパーリー本人とティンパーリー経由でスマイスに依頼」して「スマイス報告」を作成させた、とする記述を行っています。これについても、「渡辺」さんが「『曾虚白自伝』引用の問題点」の中でその問題点を指摘していますので、合わせてご参照下さい。 

 (2003.10.26)


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