
| 旧『思考錯誤』投稿集 −2005年 |
旧「思考錯誤」板、及び「画像検証掲示板」への過去投稿を集めたものです。
<参考>
『思考錯誤』投稿集 2008年−2009年
<目次>
写真26 十六歳の少女 2005/04/16 03:42
鉄砲担いで幾山河 2005/03/06 09:04:00
Re: 鉄砲担いで幾山河
2005/03/12 08:30:56
Re: チベットの虐殺
2005/02/19 06:02:51
「ラーベ日記」(平野訳)の誤訳について 2005/02/05 16:16:18
本日発売・東中野修道氏「南京事件 証拠写真を検証する」 2005/02/03 20:40:09
Re: 本日発売・東中野修道氏「南京事件 証拠写真を検証する」 2005/02/11 13:10:04
小ネタでもう一つ 2005/02/13 15:09:02
赤尾純蔵氏の記述の変遷 2004/12/04 06:26:21
落合信彦『目覚めぬ羊たち』 2004/05/29 06:45:28
石井清太郎氏(荻洲部隊) 「いのちの戦記」 2003/11/26 22:00:55
いいかげんな「ラーベ日記」翻訳 2003/10/25 11:33:13
セオドア・ホワイト「歴史の探究」 2003/10/12 08:09:41
東中野氏「南京攻略戦の真実」 2003/08/09 08:56:08
Re: 東中野氏「南京攻略戦の真実」
2003/08/14 18:45:46
Re: 「どろんこの兵」より
2003/08/18 22:00:48
Re: 東中野氏「南京攻略戦の真実」 2003/08/15 09:29:50
新聞記事コレクション 2003/12/27 09:12:08
- 05/4/16(土) 3:42 -
|
|
鉄砲担いで幾山河
|
|
Re: 鉄砲担いで幾山河
まず、井上源吉氏の「戦地憲兵」。1937年11月頃、北京の捕虜収容所での話です。
井上源吉氏は、1937年3月応召、北支那駐屯軍歩兵第一連隊に入営。1938年5月東京陸軍憲兵学校を卒業後、中国各地を転任、終戦時陸軍憲兵曹長。憲兵としてのさまざまな体験談が語られており、興味深く読める一冊です。なお上は、憲兵になる以前の兵隊生活でのエピソードです。 次は、「歩一〇四物語」。上海戦の頃の記述です。
この本、「第十三師団歩兵第一〇四連隊」のいわば「公式戦史」なのですが、無味乾燥に戦闘の叙述を並べるにとどまらず、いろいろと面白い記事が掲載されています。これまた、読んで損のない一冊です。 さて、「鉄砲担いで幾山河」を含めた3冊のうち、「歩一〇四物語」は、病院での噂話であるに過ぎません。しかし、あとの2冊を読むと、この「噂話」は十分ありうることではないか、という気がしてきます。 「鉄砲担いで幾山河」では、筆者は、「脳を食った」伍長の話を、自分の直接の目撃談として語っています。しかも、自分も相手も実名です 「戦地憲兵」は、筆者がその現場を見かけ、くっていけ、と勧められた話。「それが捕虜の脳であることをどのようにして知ったのか」という細かい話は省略されていますが、井上氏自身が「それは脳だった」と認識していたことは事実です。 念のためですが、紹介した三冊は、別に「日本軍告発の書」ではありません。いずれも、よく見かける「戦場体験追憶物」です。「鉄砲担いで幾山河」にも、しっかりと当時の上官の推薦文が載っています。 以上は、たまたま、自分の手持ち資料の中で、私が気がついたものであるに過ぎません。本気で捜せば、この種の話はまだまだ見つかるかもしれません。 まあ私も、ある程度信頼できる資料の中にこんな話が出てくるとは、ちょっと意外でした。中国側資料には、我々の感覚ではちょっと信じがたい「猟奇的事件」がいろいろと出てきますが、ひょっとすると、そのうちの一部は、日本軍の異常者によるこの種の話が拡大されて伝わった、という可能性もあるのかもしれませんね。
|
|
Re: チベットの虐殺
|
|
「ラーベ日記」(平野訳)の誤訳について 「月曜評論」というのは、「月曜評論社」が出している、月刊新聞。右派系のようですね。同社のサイトを見ると、「購讀料 年間9,000圓」なんて調子の旧漢字に、ちょっとぎょっとさせられます。 http://www.matsubaratadashi.com/getsuyou.html さて、当論稿、新聞紙のまるまる3面分を使った、大作です。桑原氏の右派に偏したコメントが鼻につきますが、「誤訳」指摘自体は非常に面白いものです。以下、桑原氏が指摘する事例のうち、いくつかを紹介していくことにしましょう。
文庫版では、P53です。わかりにくいので、平野氏訳を、もう少し長く引用します。 >それにしても新たに徴集された新兵、かれらはなんというひどい恰好をしているのだろう。程度の差こそあれ、みな、ぼろをまとって、荷物を背負い、さびついた猟銃をかついでいる。 「ぼろをまとって」は「ボロボロになつた平服をまとい」が正しい、とのことです。なるほど、徴集されたばかりで、これから軍服を支給されるんだろうな、と私など素直に思ってしまうのですが、ここ、桑原氏の解説はちょっとトンでいます。 >南京には、逃亡・潜伏に際して、急ぎ平服に着替へた便衣兵の他に、初めから平服のまま組織された便衣兵もゐたことが、これではつきり分かる。 (注 桑原氏は「旧かな遣い」を使用していますが、無理して使っている印象は免れません。素直に、「いた」とか「はっきり」とか書けばいいのにね) 「初めから平服のまま組織された便衣兵」が「南京」で戦闘を行った、という信頼できる記録は存在しません。これは「常識」のレベルだと思うのですが、桑原氏、「南京」についての知識は、ちょっと頼りないようです。 私が以下のアドレスで投稿した「誤訳」についても、しっかりと指摘がありました。これは嬉しい。 http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/7/pdpqrf/pdpqrf.html *「ゆう」注 現在はリンク切れ.。本投稿集の「いいかげんな「ラーベ日記」翻訳」がそれに該当します。
どちらも、ひどい誤訳です。
「城門のちかく」と「城門の外」「郊外」では、全く違ってきます。この誤訳も、罪が重い。
何で中国が「報道規制」をするんだろう、と私も引っかかっていた場所です。別に「報道規制」されていたわけではなかったようですね。 次は、誰もが引っかかっていたであろう部分。やっぱり誤訳でした。
そうでしょ。「十三日の夜」のわけ、ないじゃん。 次もまた、ひどい。
意味が全然違ってきます。 以前話題になった、「ささやかな暴動」も登場します。
実際には「死刑」にはならなかったようです。 きりがないので、このくらいにします。「ラーベ日記」の平野氏訳、このままでは到底まともに議論に使える代物ではない、ということを再認識させられますね。「超訳」と思えば、腹も立たないのでしょうが。
|
|
本日発売・東中野修道氏「南京事件 証拠写真を検証する」
|
|
Re: 本日発売・東中野修道氏「南京事件 証拠写真を検証する」 東中野氏のこの本は、最初の2ページほどが前置き的部分。そこを通過した最初の文章に、早くもおかしな記述が見られます。
ここで私も引っかかりました。埋葬完了は3月15日とのことですが、ラーベは2月中にはもう南京を離れていたはずです。 そこで、「ラーベ日記」を確認してみると・・・。
やはり、「二月十五日」の話でした。丸山氏は「三月十五日」の時点で「三万体の死体はそのころはもうなかったはずだ」と言っているようですので、これはラーベの記述が間違いであると決め付ける根拠にはなりません。 「三万」という数自体はおそらくは目分量によるもので正確ではないでしょうが、「紅卍字会」の埋葬記録を見ても、「二月十五日」以降に下関方面で相当数の死体を収容しています。(二月二十一日5000体、三月六日1772体、など) これはおそらく、丸山氏が「ラーベ日記」を十分に読まなかったための単純な勘違いでしょう。しかし、これをそのまま紹介してしまった東中野氏の罪は、重いと言わざるをえません。
|
| 小ネタでもう一つ
2005/02/13 15:09:02 (一部略) 東中野氏は、P65で、おなじみの「チャイナプレス」記事を引用して、「反日撹乱工作隊」説を復活させてしまいました。その「引用」に続けて、こんな文章が見られます。
「大阪朝日新聞」記事が、「反日撹乱工作隊」説の裏付けになっているように読めますね。ところが実際には、この記事は、「中国兵」ならぬ「洋服仕立」屋さんたちが、「皇軍入城後日本人を装ひわが通訳(注 「日本兵」ではない)の腕章を偽造してこれをつけ」て強盗を働いていた、というものに過ぎませんでした。 http://t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/8/ivhqrf/urwqrf.html#urwqrf *「ゆう」注 現在はリンク切れ。本投稿集の「新聞記事コレクション」がこれに該当します。 ちなみに、私のこの記事の紹介は、一昨年の12月27日のことですから、小林氏の紹介よりも早い(^^) この時の、私のコメント。 >南京における「種々の暴行」を、ひとつの強盗団の仕業にしてしまおうという、苦心の発表です。そもそも「通訳の腕章」しかつけていないわけですから、「将兵」の「数々の暴行」を彼らのせいにしてしまうのは、無理があります。 >「一味を日本人と信じきつてゐたため発覚が遅れた」という部分が、問わず語りで、なかなか笑えます。つまり、「日本人と信じきつてゐた」ら、中国人たちは日本側に「通報」することはしなかったようです。 これを「反日撹乱工作隊」説の裏付けに使うのは、いくら何でも無理でしょう。 |
|
赤尾純蔵氏の記述の変遷
|
|
落合信彦『目覚めぬ羊たち』 私でもこうですし、またこの本の話をネットの「南京」論議で見かけたことも全くありませんので、ご存じない方も多数いらっしゃるのではないかと思い、ここに紹介してみます。 この本は、1995年、落合氏が、上海から武漢までの間で、何人かの中国人から「日中戦争」被害の聞き取り取材を行った記録です。いちいち紹介すると大変な分量になりますので、最初の「証言」のさわりだけを書いておきますと、
こんな感じの「証言」が、上海、蘇州、南京、武漢、と続きます。おなじみの夏淑琴さんも登場します。本多氏の『南京への旅』を思わせる、構成と内容です。 面白いのは、「敗残兵狩り」における「民間人誤認殺害」の割合を推定させる証言があることです。
これ、私の準備中のコンテンツ、「敗残兵狩りの実相」に使える(^^) (さらに言えば、この「百二十体」は「紅卍字会」等の埋葬組織の関与しないところで埋葬されたものと思われ、「埋葬団体の埋葬数」を「死者の上限」とみなす議論への反証ともなりそうです) 他にも、『南京大屠殺』を著した徐志耕氏へのインタビューなど、結構読みどころがあり、お勧めの一冊です。 落合氏といえば、「UFOナチス起源説」というトンデモを言い出したり、ちょっと怪しいジャーナリスト、という印象を持っているのですが、こんな仕事もしていたとは、(私にとっては)驚きでした。「証言」や「中国側資料」を結構批判的に見ている部分も多くありますが、例えば「南京裁判」へのこんな評価が、氏のスタンスを物語ります。
私にも、納得のしやすいスタンスです。 ただし、(やむをえないことでしょうが)落合氏の「南京」に関する知識は、豊かとは言えない。中国側から提供された「特務機関資料」や「大田供述書」を「新資料」であるかのように紹介していますが、1995年時点では確かもうかなり知られた資料だったのではないかと思います。(今、手元に資料がない場所で書いていますので、正確ではないかもしれません)
|
|
石井清太郎氏(荻洲部隊) 「いのちの戦記」 氏は、荻洲部隊のうち「幕府山事件」に関係しなかった方の旅団の所属だったようで、「南京」についての直接体験はありません。しかし、戦場で出会った兵士から、「南京」について、いくつかの話を耳にしたようです。 内容は特に目新しいものではありませんが、「民間人殺害命令」に触れていることが注目されます。早速、私のページに追加しました。 http://www.geocities.jp/yu77799/minkanjin.html 実はこの本、ネット古書店から入手したのですが、私も過去この本の存在を知りませんでしたし、ネットで検索しても出てこない。また、国会図書館の蔵書目録にもないようです。結構掘り出し物かもしれません。 参考までに、下関での捕虜殺害についての記述も紹介します。十二月二十五日昼過ぎ、氏が負傷して南京の病院に向かった時のものです。
その後、氏は、下関から船に乗り、「江岸に積み重ねられた青衣の死体が累累とどこまでも続いて」いる光景を目撃しています。村瀬守保氏の写真を思い出しますね。 この本の出版は平成3年。事件から50年以上後の回想ですから、細部は間違っているかもしれません。しかし、内容は他にもあちこちで見る記述であり、大筋では信頼できるものだと考えます。
|
|
いいかげんな「ラーベ日記」翻訳 ところが、材料のひとつに使おうと考えている「ラーベ日記」の翻訳が、あまりにもひどい。この部分で手間どって、難航しているところです。 しかし、これはこれで面白いテーマですので、翻訳がどれだけひどいのか、少し解説してみましょう。 事例1 12月1日 (「南京の真実」の翻訳文) 九時半に、クレーガー、シュペアリング両人と平倉巷で開かれる委員会へ行く。いろいろな役目をわりふって、名簿を作る。馬市長が部下を連れて現れ、米三万袋と小麦粉一万袋を提供すると約束。残念ながらそれを難民地域まで運ぶトラックがない。米と小麦粉は売ればいい。できるだけ高値で。難民用の給食所をつくる予定だ。 (文庫版P85) このうち、「米と小麦粉は売ればいい。できるだけ高値で。」の部分。 (英訳文) We can sell the rice and flour, but we have to fix the price. (「ゆう」試訳) 我々は米と小麦粉を売ることができる。しかし価格を決めなければならない。 (解説) 「できるだけ高値で」なんて、どこにも書いていません。これでは、「国際委員会」が利益をあげるために米の販売を行おうとしていたかのような「誤解」が生じます。 事例2 12月2日 (「南京の真実」の翻訳文) 米と小麦粉を運ぼうにも車が手にはいらない。せっかくもらったのに、一部、安全区からうんと離れたところで野ざらしになっている。どうやら軍部にかなり米をもって行かれたらしい。三万袋のうち、わずかその半分しか残っていないという。 (文庫版 P90) (英訳文) We're having great difficulty finding vehicles to transport the rice and flour placed at our disposal, some of which is stored outside the Safety Zone without anyone guarding it. We're told that large quantities have already been removed by military authorities. Allegedly only 15,000 sacks of rice are still left of the 30,000 given us. (「ゆう」試訳) 我々は、自分たちが自由に処分できる米と小麦粉を運ぶための車輌をみつけるのに、大きな困難に直面している。そのうちいくらかは誰も警護する者がいないままに安全区の外に備蓄されているのだ。我々は、既に大きな分量が軍当局によって持ち運び去られていると聞かされた。噂では、我々に与えられた三万袋のうち、わずか一万五千袋しか残されていないという。 (解説) 「安全区からうんと離れたところ」なんて表現は、見当たりません。またallegedlyは「事実かどうかはわからないが、聞くところによると」というニュアンスの単語であり、翻訳ではこのニュアンスがうまく伝わりません(板倉氏など、これを「事実」ととらえてラーベ批判を行っています)。"15,000"を「半分」と訳すのも、間違いではないにしても、乱暴です。全体の意味がそう変わるものではないものの、いいかげんな翻訳です。 事例3 12月7日 (「南京の真実」の翻訳文) これから文字通りの無一文の連中がやってくる。そういう人たちのために、学校や大学を開放しなければならない。みな共同宿舎で寝泊まりし、大きな公営給食所で食べ物をもらうことになるだろう。受けとるはずの食糧のうち、ここに運び入れることができたのはたった四分の一だ。なにしろ車がなかったので、いいように軍隊に徴発されてしまった。 (文庫版P98) このうち、「なにしろ車がなかったので、いいように軍隊に徴発されてしまった」の部分。 (英訳版) We've been able at best to get a quarter of the food promised us into the Zone, because we don't have enough vehicles, which are constantly being commandeered by the military. (「ゆう」試訳) 我々は約束された食糧のうち、せいぜい四分の一を安全区に運ぶことができたにすぎない。というのは、我々は十分な車輌を持っていないからだ。車輌は常時軍の徴発にあっている。 (解説) 明白な誤訳。軍に徴発されたのは、「食糧」ではなく「車輌」です。「中国軍」が国際委員会の食糧を奪ったのかどうかはちょっと微妙なところですので、この誤訳は罪が重い。 事例4 12月9日 (「南京の真実」の翻訳文) いまだに米を運びこむ作業が終わらない。そのうえ、作業中のトラックが一台やられてしまった。苦力がひとり、片目をなくして病院へ運ばれた。委員会が面倒を見るだろう。残っていたアメリカ人たちといっしょに、ドイツ大使館のシャルヘンベルク、ヒュルター、ローゼンの三人も船に乗っているが、もし状況が落ち着けば、今晩会議のために上陸するつもりでいる。 さっきとは別のトラックで米を取りに行っていた連中がおいおい泣きながら戻ってきた。中華門が爆撃されたらしい。泣きながらいうところによると、はじめ歩哨はだめだといったが、結局通してくれた。ところが米を積んで戻ってみると、およそ四十人いた歩哨のうちだれ一人生きてはいなかったという。 (文庫版 P103) このうち、「いまだに米を運びこむ作業が終わらない」の部分です。 (英訳版) We are still busy transporting rice from outside the city. (「ゆう」試訳) 我々は、市外から米を運びこむのになお忙しい。 (解説) 元の文では、「今現在忙しい」という「状態」を述べているだけなのに、「南京の真実」ではまだまだ運んでいない分が大量に存在する、ということになってしまいます。「事実関係」としては一応間違いないのかもしれませんが、これまたいいかげんな訳です。 なお、もう面倒なので「英訳紹介」は省きますが、後半の文でも、「米を取りに行っていた」「米を積んで戻ってみると」とのフレーズは英訳版には存在しません。 以上、私が取り上げようとしていた4つのフレーズが、英訳版を確認したところ、すべて「誤訳」あるいは「いいかげんな訳」でした。しかしこれ、東中野氏や田中氏の「いいかげんさ」に匹敵しますね。こんなものを信じて「議論」を行ったら、大変なことになります(^^) 渡辺さん、翻訳者に抗議されるご意向でしたら、私もおつきあいします。(笑) |
|
セオドア・ホワイト「歴史の探究」
ホワイトのこの部分は、宣伝というのはこういうものだ、という一般論を述べているだけで、別にティンパーリ『戦争とは何か』が「嘘」だと言っているわけではありません。この後に出てくる「実例」も、こんな具合です。(ダーディンが出てくる部分が興味深いので、ちょっと長めに引用します)
このあとに、「中国抵抗戦士団の巴御前」である「ミス・ゴールデン・フラワー」の話(「ダーディン以外」の通信員はみなこれに飛びついたそうです)、「十四カ月間に・・・難民キャンプに二千五百万食ほど配った」のが「二千五百万人の難民」の話に化けてしまった話、が出てきます。 「宣伝に使われた」ことイコール「事実ではない」ということにならないのは、この掲示板を見ている方にはもう説明の要もないでしょうから、省略します。 最後に、ホワイト氏の、「日本軍の暴行」についての認識を書いておきます。「誇張」を一切抜きにしても、この程度の認識を持っていたことに注目してください。「戦争とは何か」に示される日本軍の暴行ぶりが、中国戦線においてはありふれた話であったことがわかると思います。
|
|
東中野氏「南京攻略戦の真実」
|
|
Re: 東中野氏「南京攻略戦の真実」
|
|
Re: 「どろんこの兵」より
|
|
Re: 東中野氏「南京攻略戦の真実」 まずは東中野氏の、「徹底検証」の文章から。私のページの「上海路の死体」をご参照下さい。
実際には、おそらくは日本軍の銃撃により、この「上海路」で南京市民に「いくつか」あるいは「二十体」の死者が出たとの記録が複数残っている(フィッチ、ラーベ、スマイス)ことは、上記私のページで紹介した通りです。 さて、東中野氏の新刊には、上の東中野氏の記述とは裏腹に、「十三日」に「安全地帯」に入ってしまった兵士の話が、ちゃんと掲載されていました。
「上海路の死体」事件は、この部隊が引き起こしたものである可能性もありそうです。 しかし、上の文章の表現では、「侵入」が実際に「十三日」であるのか、微妙です。「十三日」は「南京陥落」にかかっているようにも読めないことはありません。 実はこの文章、東中野氏が気がついていたかどうかわかりませんが、既に「都城歩兵第二十三聯隊戦記」に掲載されていました。
句読点の位置、一部の形容詞の相違、漢字か「かな」かの区別を除けば、全く同一の文章であることがわかると思います。 はっきり違うのが、最初の一文です。東中野氏の紹介する「転戦実話」と、「聯隊戦記」のものを、もう一度並べてみましょう。 (東中野氏) 昭和十二年十二月十三日、南京はついに陥落いたしましたが、いまだその一角では盛んに戦闘をしています。第六中隊は我々第二中隊を先発にして、西南の破壊口より城内に入り、城内の掃討をやることになりました。 (二十三聯隊戦記) 昭和十二年十二月十三日、南京は遂に陥落し第六中隊は我々第二中隊を先頭にして西南の破壊口より城内に入り、城内の掃討をやることになりました。 後者の文章では、明らかに「掃討」は「十三日」の出来事として書かれています。ちなみに前者の文章には、「いまだその一角では盛んに戦闘しています」という、東中野氏にとって都合のいい文章が、付け加わっています。 書かれた順番としては、「転戦実話」が昭和15年、「聯隊戦記」は戦後のものですから、あとの文ではなぜかこの部分だけ削除されたことになります。 ・・・まあ、とりあえずは、「相違」を指摘するだけにとどめましょう。 ついでに、最初の投稿で紹介した、東中野氏の「アホなコメント」を再掲します。「印象操作」ぶりを、改めて味わって下さい。
どうやら、この「最後まで」というのは、「日本軍の占領下において最後まで」ではなくて、「南京攻略戦の最後まで」の意味だったようです(笑)。 しかしこの手記から、「掠奪、煽動、強姦に携わっていたという新聞記事」に話をつなげてしまうのは、強引以外の何物でもありません。
|
|
新聞記事コレクション
南京における「種々の暴行」を、ひとつの強盗団の仕業にしてしまおうという、苦心の発表です。そもそも「通訳の腕章」しかつけていないわけですから、「将兵」の「数々の暴行」を彼らのせいにしてしまうのは、無理があります。 「一味を日本人と信じきつてゐたため発覚が遅れた」という部分が、問わず語りで、なかなか笑えます。つまり、「日本人と信じきつてゐた」ら、中国人たちは日本側に「通報」することはしなかったようです。
外国からの抗議を、何の批判的コメントもなしに報道した、珍しい記事です。この記事は、例の、「チャイナプレス」や「アベンド記事」で知られている「1月24日記者会見」の直後であり、この「記者会見」が日本の報道陣向けには行われていなかったことを伺わせます。
「否定派」が飛びつきそうな記事です(笑)。 続報は全くなく、「飯沼日記」等当時の軍幹部の記録にも全く登場しないことから、当時の状況から推して、ある程度の「デッチ上げ」がある疑いが濃厚です。この逮捕を材料に過去の「怪火」まですべて「支那敗残兵の所為」にすることも、ちょっと無理でしょう。
|
(2009.11.29)
| HOME |