東中野氏の徹底検証1
ラーベ日記は「三等史料」か?


 以下、「番外編」として、「南京虐殺の徹底検証」以外の東中野氏の記述を取り上げてみたいと思います。

 まず、しばしばネットで取り上げられる、東中野氏の「史料等級」論からです。「正論」論文『やはり「ラーベ日記」は三等史料』の中で、東中野氏は、まさに標題の通り「ラーベ日記」を「三等史料」と貶める記述を行いました。

 氏が論拠としているのは、内藤智秀氏「史学概論」です。


東中野修道氏『やはり「ラーベ日記」は三等史料―板倉由明氏の批判に答える』より

 内藤智秀『史学概論』に、坪井九馬三博士の提唱せる、時間と場所を基準にした史料分類法が出ている。

 それによれば事件発生当時、発生場所で、関係者の記した記録一等史料に当る。時間的に遅れて同じ場所で書かれたか、別の場所で同じ時に書かれた記録二等史料となる。以上の史料を基に作成されたもの三等史料である。

 ラーベ日記は南京事件から四年後に加筆補正されて作成された。従って三等史料となる。

(「正論」平成10年7月号)


 そもそもこの「史料等級」論は、「坪井九馬三博士」という昭和初期の学者が提唱し、内藤氏が戦前発行の本で紹介した、という、大変な時代物です。

 現代では、東中野氏の文以外ではまず目にする機会はなく、また、以下に見るようにこの「定義」自体が「近現代史」にはそぐわないものであることから、わざわざ「復活」させる意味も薄いように思います。
*私の手元にある『史学概論』は一九五四年版ですが、これは「一九三二年から一九四一年にわたり、三回に及んで稿を改め」出版されたもののリライト版であるとのことですので、実際にこの文が書かれたのは、おそらく一九四一年以前と思われます。


 さてこれだけ読むと、東中野氏は、「ラーベ日記」は内藤氏言うところの「三等資料」であるから全く信頼できない、と言っているように読めます。しかし実は、これは内藤氏の記述を、ひどくトリミングしたものでした。以下、内藤氏の記述に沿って見ていきます。


 


内藤氏の記述は、このように始まっています。

内藤智秀「史学概論」より 

ニ 史料の等級別

 史料は便宜主義から、又、その価値からして等級別に分類することができる。これは坪井九馬三博士の始められたことで、普通わが国においては多くの人びとの口にされるところであるから、これを紹介する。これは史料を価値判断の対象として一等から六等まで分類するのである。

 その中の一等から三等までが「根本史料」で、四等以下五等までは「参考資料」となり、六等が「等外史料」となるのである。

(P111)


 内藤氏の説明では、「一等から三等まで」は「根本史料」ということになります。

 東中野氏は、「三等史料」という言葉を何やら悪口であるかのように使っていますが、内藤氏は「三等」までは「史料」として価値のあるものと考えているわけで、東中野氏の取り上げ方は明らかに内藤氏の意図とは異なります。

*後述する「南京事件の真相」を見ると、実際には、氏はこの点に関しては正しい認識を持っていたようです。ただし上の文で氏は明らかに「三等史料」を悪口と誤認させるような書き方をしていますし、またネットの世界でもこれを「悪口」と認識する方が多いようです。


 しかも以下見るように、東中野氏は、内藤氏の文のうち自説に都合の悪いところはすべてカットして、無理やりに「ラーベ日記」を「三等史料」のカテゴリーに押し込めているのがわかります。


内藤智秀「史学概論」より

(一)根本史料

 一等史料は、史実の発生当時、同所において責任者が自ら作成した文書類で、例えば当該責任者の日記・書簡・覚書の類の如きはこの中に入るのである。

 二等史料は、史実発生当時の同所に、最も近き場所、最も近き時、又は同じ場所で時間が幾分異なるもの、 又は時が同じで、場所が幾分異なる所で、責任者が自ら作り上げた報告とか、日記・遺言・覚書・追記類の如きもの、ないしは後日に作り上げた日記とか、 随筆類の如きがこの中に入るのである。例えば当事者が後日、暇を得て作成した文書類などがそれである。

 三等史料は、前の一、二等史料を材料として作成した伝記とか、家譜の如きがその中に入るのである。もちろん、この場合人物も年代も場所も違っているのであるが、編纂の方法が正確である限り、これは三等史料というべきであろう。

(P111〜P113)


 東中野氏の思い切りトリミングした解説文とは、だいぶイメージが違います。

 「当事者が後日、暇を得て作成した文書類」は「二等資料」に属します。「三等資料」とは、「伝記とか、家譜の如き」であり、内藤氏はここでは「当事者」以外の者が作成したものをイメージしている、と考えて差し支えないでしょう。 

 従って、「時間または場所の一致」に必要以上に拘らない限り、この定義を素直に読めば、「ラーベ日記」は「二等史料」以上と考えてもいいと思われます。「ラーベ日記」は、 そのベースとなった「日記」が存在しており、ラーベはそれを自身で「加筆補正」したわけですから、「一等史料に近い二等史料」ということになるのかもしれません。

*なお、一見してわかる通り、内藤氏の「定義」を素直に見ると、「二等資料」と「三等資料」の間に明らかな隙間が存在します。例えば、「場所」「時間」とも異なるところで書かれた当事者の日記は何等資料になるのか、これだけでは不明です。 東中野氏の解説は、その「隙間」を強引にカットして、自分の都合のいい「解釈」を作り上げたものである、と言えるでしょう。

**また、「時が同じ」でも「場所が幾分異なる」と「二等資料」になってしまう、という内藤氏の考えには、今日の目で見ると違和感を感じざるを得ません。 「南京事件」研究者の渡辺久士さんによれば、この論は江戸時代以前の歴史を対象としたものであるため、対象時代当時の交通事情から、「場所」の違いが大きな意味を持ってくる、とのことです。(渡辺さんの「思考錯誤」版への投稿による。現在はリンク切れ)



 この東中野氏の「定義」を文字通り素直に受け止めてそれを押し進めるとどんなことになるか。その好例として、氏自身が示す、「ザ・レイプ・オブ・南京の研究」の巻末の<参考文献>を見てみましょう。

「ザ・レイプ・オブ・南京の研究」より

<参考文献>
 

☆一等史料(事件発生当時、発生場所で、関係者の記したもの)

 日本軍将兵の陣中日記
    南京戦史編集委員会編 『南京戦史資料集記供戞{鷙埃辧∧神五年に収録

  (以下略)


☆二等史料(事件発生から暫く時間が経過したのち南京で関係者が記したもの)

 日本軍戦闘詳報
 スマイス編「南京地区の戦争被害」


☆三等史料(一等史料二等史料を元に作成されたもの)

 (略)

 石射猪太郎「外交官の一生」
 板倉由明「徹底検証 南京事件の真実」
 板倉由明「本当はこうだった南京事件」
 市来義道編「南京」
 畝本正己「真相・南京事件―ラーベ日記を検証して」
 郭沫若/岡崎俊夫訳「抗日戦回想録」
 笠原十九司「南京事件」
 木村久邇典「個性派将軍 中島今朝吾」
 黄文雄「捏造された日本史」
 佐々木元勝「野戦郵便旗」

 (略)

 東中野修道「南京虐殺の徹底検証」

 (略)

 本多勝一「南京への道」
 山本七平「私の中の日本軍」
 ラーベ/平野郷子訳「南京の真実」


☆四等史料(作者、作成年代、作成場所が判明しないもの)

 「日寇暴行実録」


(「ゆう」注 「四等史料」として挙げられているのはこの一件のみ。「五等史料」以下の例は記載されていません)

(P277〜P283)


 「三等史料」が、事件当事者による記述も「概説書」も一緒になって、実に雑然としたものになっています。

 呆れるのは、「ラーベ日記」「野戦郵便旗」などの当事者の記録と、それらを「二次利用」した自分の著作が同じ「等級」になってしまっていることです。これでは、そもそも「分類」を行う意味がないでしょう。





 なお、ネットでは「四等史料」という言葉もしばしば使われますが、その使われ方は、少なくとも内藤氏の分類から見る限り、正確ではないものが多いようです。参考までに、その部分も紹介しましょう。


内藤智秀「史学概論」より

(ニ)参考史料

 四等史料は、作者も製作年代も、又製作場所も判明しない場合、又はその一部が判明しても写本などによって幾度か転写されて欠けた点のある場合、又は脱落などもある場合である。

 普通に書簡といわれるもの、ないし史料としての地名・建築物などがその中に入るのである

 。この四等史料の中には立派なものもあるが、総じていえば原形とまぎれこみの部分とに分けることは困難であって、 いずれを採用し、いずれを捨つべきかに迷わされる。それ故、実際問題としては、最もよきこの種類のものは三等史料と判然区別することが困難であるが、これに反し煩雑なものは五等に入れられる。

 五等史料は、撰者又は著者がいかなる史料を手にしたか、いかなる方針で調査、又は審査したか不明なものである。

 又は政治上経済上など、 あるいはその他のために何らかためにするところあってものした場合、特に一部の考えに偏し、そのために史実の材料の取捨選択を幾分左右されている種類のものをいうのである。

 これらを詳細に考究すると編纂物の作者が偏狭な意見にとらわれず、又、審査方法も科学的で、 材料も主として根本史料を使用した場合、これは上乗の編纂物というべきものであろう。それ故に、実際の場合はこの種の史料はきわめて少なく、多くは三、四等、又は六等史料に入るのである。


(三)等外史料

 六等史料は、一等から五等までの史料以外のもの全部をいうのであるが、これは等外史料ともいうのである。その中には、あらゆる編纂物・書画・美文・詩劇・歌劇などがことごとく入るのである。

 以上、史料の等級別は実際問題になると主題の差異によって、史料としての価値が異なってくるので、ある一つの史料が常に六等史料であるというようなことは考えられない。思想方面とか、特殊史の研究にでもなると、小説とか、歌謡とか、発句・短歌・狂言・演劇などが、案外に上乗の史料となることさえある。

 要するに一つの史料を活用し、これを価値づけることは前に述べたように、研究者自身の手腕によることであって、史料はこれを扱う人びとの如何によって活殺されるのである。それ故に、絶対に一つの史料の総括的な等級別を判断することは困難なことでもあるのである。

(P111〜P113)


 実際の話、内藤氏の真意は、むしろ最後の一文にあるのでしょう。「史料等級」はあくまで便宜的なものであり、これを材料に「ラーベ日記」の史料価値を否定しようとする東中野氏の手法は、少なくとも内藤氏の意図からは離れたものであると言えます。



*本稿に当たっては、「思考錯誤」掲示板上で、渡辺さん、タラリさんなどから貴重なアドバイス・資料呈示をいただきました。ありがとうございました。

**東中野氏は、「南京事件の真相」という文の中で、「資料等級」論をさらに詳しく展開しているようです。しかし、私はこの文を入手しておらず原文を確認できないこと、また、この文を考慮に入れても本稿の修正の必要は全く生じないこと、から、ここでは省略します。

***本稿での私の「史学概論」の引用は、「1954年版」に基づきます。東中野氏と同じ「1961年版」をお持ちの渡辺さんに確認していただいたところ、上記引用文は同一だったとのことでしたので、引用はそのまま「1954年版」を使用しました。





2009.12.12追記

『国史大辞典』第七巻、「史料」の項の記述で、現代の歴史学が坪井氏の「史料等級論」をどのように見ているかを確認することができました。


『国史大辞典』第七巻より

〔史料 しりょう〕

(略)

内的批判とはその史料の可信性の批判である、遺物についてはこうした批判は不要であるか、陳述史料の場合は可信性が問題になる。

同一事実に関する直接の証人の陳述が矛盾する場合は、しばしばある。一方が正しいとすれば他方は誤謬または虚偽である。また両方ともに誤謬または虚偽の場合もある。

可信性の吟味によって史料に等級をつけることが坪井九馬三によって行われた。

一等史料は事実生起の当時、その場所で当事者がみずから作ったもの、当事者の日記・文書・覚書など。二等史料は事実生起の当時および当地に最も近い場所および時代に当事者の作った覚書の類、三等史料は一等と二等とを繋ぎ合わせ、連絡をつけたもので家譜・伝記の類。 四等史料は年代・場所・製作人物みな確かには判明しないが、大体から推して採用してよいもの、三者が判明しているが、時代を経てざん入・脱漏・変化のあるもの、建築物・地理などがこれにあたる。

以上四種が根本史料と見てよいが、五等史料として編纂書の上乗なもの、等外史料として信用程度のさらに落ちた編纂物・伝説・美文などがあり、これらは参考史料となる。

これは当時・当地・当事者を重んじた考え方で当該主義といってもよいが、確かに史料の価値を判定する一応の目安となる。しかし、これを絶対とすることもできない。史料は死物であるから生かして使うのは研究者の伎倆にまつ。 等級は研究者の頭脳に存するのであって、以上の分類は史料の性質の分類であり、価値の区別とはいえない。

当該主義にも欠陥がある。史実に最も接近した年代・場所・人物は該事件を最もよく見ることができるが、近すぎるため、事件の一部にだけ詳細で他の部分に通じない憾みがある。また関係が深いだけそれだけその関係に支配されて、かえって事実の真相を伝えることのできぬ場合も生ずる。

こういう欠点があるため、等級主義は今日ほとんど学問的には使われていない。あくまで研究者が自己の識見によって、史料の外的内的の批判を行い、その結果によって史料のいうところを綜観し、史実の認識に到達すべきであろう。

(坂本太郎)

(同書 P754)


(2003.9.23記)


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