盧溝橋事件 一周年座談会10
盧溝橋事件 一周年回顧座談会

ー昭和十三年 東京朝日新聞ー



出席者

陸軍少将    牟田口廉也氏(紙上参加)
陸軍歩兵中佐 桜井徳太郎氏
陸軍歩兵中佐 一木清直氏
陸軍歩兵中佐 川本芳太郎氏
陸軍歩兵少佐 岩崎春茂氏
陸軍歩兵大尉 寺平忠輔氏
当時本社北京支局長、現東亜部支局
          園田次郎氏


本社側 緒方主筆、美土路編集局長、野村編集局次長、北野整理部長、細川政治部長■

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●東京朝日新聞 昭和十三年七月八日

盧溝橋事件一周年回顧座談会



 変移する世界史    今後の措置こそ重大


一木中佐 私は城外から攻撃することになつて夜中の二時半まで雨の中を待つて居た、これが今生のお別れと思つてね

寺平大尉 広安門の晩は実に気持ちが悪かつたですね

桜井中佐 僕は自分の墓を北京と福岡の陸軍墓地と、自分の家と三つ造れと遺言を書いて置いたよ

寺平大尉 当時あの状況において北京城内にあれだけの支那兵が充満して居た際に抛て居いたら北京を兵火の巷に化して居ることは明瞭です、よくあれだけ際どい所まで行つて北京城内に火がつかなかつたものと思ひますね

桜井中佐 非常に日本軍が我慢をしてくれた

寺平大尉 今にして考へるとあの頃死んで居つたら本当に死に場所としてはよかつたと思ひますな

園田氏 広安門事件のときは愈愈戦火が北京に及んだナと思ひました、雷鳴の凄い晩でした、 あのとき私の方は写真班の繁田君と映画班の田畑君といふ二人の同僚が豊台から廣部部隊のトラツクに同乗して戦争の中に巻込まれたので居ても立つても居られないくらゐ心配しました、 どうなつてゐるのかサツパリ判らないし連絡も全然取れないのです、あんなに心配したことはない、

 すると夜中の二時頃に突然兵営の中から繁田君が電話をかけて来て「無事に北京に帰つて来た」といふ、あのときは涙の出るほど愉しかつた、そこで早速両君の遭難手記を打電してゐると何時の間にか夜が明けて来まして、 そこに大使館から電話で引揚げ命令が来ました、そこで一切の後始末をつけて正午頃公使館区域に引揚げたのです

緒方主筆 当時から新聞班にゐられる岩崎さんから何うぞ

岩崎少佐 盧溝橋事件勃発当時における支那軍の不信挑戦行為について只今まで色々と詳しい話がありましたが、当時の天津の空気の一端を申上げます、

 第一線において支那軍に対して極度に憤慨して居つたといふことは軍司令部においても十分承知して居りましたが、何分不拡大現地解決の中央の方針に従はなければならないので当事者としては中々苦心されたやうでありました、

 内地の与論は逐次硬化してくる、天津における新聞記者諸君の中でも当局の遣方に関して彼是言ふ者が少くなく 従つて愈第二十九軍膺懲戦を開始する迄の約ニ旬の天津の空気は実に不明朗極まるものでありました

 当時我々の方でもいかに不拡大主義を持しても当時の南京政府及び支那軍隊の実情では結局全面的日支衝突となり彼に一撃を加へなければ真の日支提携は出来ないのではないか、 又仮令現地解決をするためにも国内の強硬な与論が事態解決上極めて緊要であると考へ、我々報道業務を観る者としては支那側の不法挑戦行為を有りのままに報道することに努力した次第であります

 内地の与論は日に日に硬化して参りまして之が為我々は報道指導上手心を加へるやう屡々注意を受けた程であります、但し内地与論の硬化は敢て我々が煽つた訳でもなく報道機関が 克く時局を認識して与論指導に任じた結果であると信じて疑はない所であります

 但或人が「現下内地与論が一致結束国民精神が昂揚してきたといふことは現地に在る者としては心強く感ぜられ国家のため誠に慶賀に耐へないが、 斯の如き与論の結束が事変勃発以前我が国において一貫して居たならば恐らくは今次事変も起らなかつたであらう」と嘆じて語られたが国民等しく反省すべき点ではないでせうか

一木中佐 最後に一言申上たい事があります、それは事変当時の第一線高級指揮官の心労卒苦と当時の豊台居留民の熱烈なる銃後の後援とであります、 第一線の高級指揮官即ち事件の衝に当られし河辺少将及び牟田口部隊長の御心労は傍で見る目にも御同情の涙が出ました、

 河辺閣下には七月八日南大寺の野営地(秦皇島の南)から飛行機及び汽車で急遽出発せられて其日の夕方豊台に来られ直に第一線たる一文字山に出発、 爾後戦闘指揮に、外交折衝に任ぜられその間豪雨の一文字山や南京虫の「ユーヤ」の土間に夜を徹せられましたのみならず一ヶ月有余豊台兵営 ― とは申せ急造バラツク ― の 旧大隊長室に頑張られ日夜事務に鞅掌せられたのであります、

 閣下は着のみ着のままで来られ一枚の御着換へ等もなく、食事も亦兵と同様にて一汁一菜でありました、従つて御入浴も碌々出来ぬと云ふ有様でガンガンゴウゴウ焼けつく本部にトウトウ御頑張通されました、

 それがために遂に閣下は胃腸等を損はれてグングン日に日に御やせになられました事は私共当時を偲び感慨殊に無量で御座います、

 之等を見聞する我々は丁度日露戦争当時の乃木将軍の様な気がすると御噂致し、偽らぬ処を申上げますとああ頑張られては閣下は勿論我々下のものもやり切れぬぞ何とかして下さらねばと年少気鋭なるべき我我が悲鳴を挙げ閉口して了ひました、

 牟田口部隊長も亦手狭な豊台駐屯隊将校集会所 ― と申しても畑の中のバラツク ― の一室に陣取られて本部事務室兼連隊長室兼本部付左尉官室兼副官室と云ふ具合にて、 部隊本部の総員が一室にスシヅメの盛況にて酷暑灼熱の時に芋を洗ふ様でありまして、時々白いシヤツ一枚で部隊長以下が頭大の西瓜に武者振りついて居られましたのが今でも 尚瞼にチラチラと浮びます、

 又一円銃後の豊台居留民は寺田、三橋両憲兵、吉田領事館警察署長、工藤及び中島両民会役員、久住義勇隊長等の指揮と全員の協力一致にて事変勃発するや、 豊台直接警備の山田隊長の指導を受けて豊台の直接警戒に任ずると共に斥候及び間諜としての活動は勿論真に老若男女総動員と云ふ具合にて豊台兵営に馳せ参じ小畑主計大尉、原曹長の指揮にて急造炊夫となり所謂炊出しといふ事になり握り飯を出してくれました

 あとで聞きましたが女の人は皆掌の皮がむけ火傷の様になつたさうであります、此件は特に一周年の今日此紙上を通じて御礼を申上度いのであります

 尚忘れて居ましたから一寸申上げますが支那の宣伝殊に某新聞のウソ八百の一、二を御参考までに申上ますと、例の事変突発に方りまして支那の某新聞には次の様なのが出ました、

 それは支那の火薬庫だか弾薬庫だかの処で子供が二人火弄びをして居る処を書き註に曰く「危険!」としてありましたが、どうです其子供二人は河辺閣下と牟田口部隊長との似顔が書いてあるのではありませんか、

 又私の負傷に関しても得たりとばかりに世界晩報の如きは豊台駐屯隊長一木少佐陣没と大々的の見出にて天誅を受けたりと記載して大喜びになつて居ました

 特に甚しいのは軍の○○将軍は責任を負うて自殺せりとか、又は○○高級幕僚亦責を負うて自殺せりとか又はそれが為めに内地還送を命ぜられたりと云ふ如くその虚構捏造振りは実に天下の誇大妄想狂も跣足と云ふ処でありました

川本中佐 今迄の現地の詳細なる説明を拝聴しますと大体次の様な所見が致します、盧溝橋事件に対する帝国の態度は中央といはず出先といはず完全に不拡大方針に徹底して居る、 殊に出先軍においてはあらゆる手段を尽し而も積極的に不拡大の目的達成に努力したとは明白でありましてその間忍ぶべからざるが如きことも随分忍んで来たのであります、

 然るに支那軍の態度は如何であつたでせうか、冀察及び第二十九軍の上層部はよしんば口頭禅的に不拡大方針に追随して居つたかもわからぬが其誠意は実行方面に於て少しも現れては居りませぬ、

 十九日の和平交渉成分後に於ける協定条件の不実行の如きは特に然りであります、又第二十九軍の中下層部に於ては挑戦意識が熾烈なことは驚くばかりで各方面に於ける彼等の不法挑戦行為は枚挙に暇がないほどであつたことは御承知の通りであります、 我軍の不拡大主義に即応した慎重なる態度に反して彼等が事件を拡大したといふことは事実がよく証明してゐるのであります

 此の如き支那側の大局に動くの明に欠けて居たことが遂に小事を大事に至らしめたのでありまして実に支那側の自業自得と言へるのであります

 翻つて考へますと盧溝橋事件はその事件自体は些事ではありますがその依つて来る所以のものは深く且大であります、如何となれば盧溝橋事件は支那の 澎湃たる抗日思潮の所産であつてこの一大抗日工作が盧溝橋の猫額大の地方で勃発したからです、

 この意味に於て帝国の真摯なる不拡大方針が支那軍の不信暴戻の為に蹂躙せられ遂に帝国をして膺懲の師を起さざるを得なかつた当然性が明瞭になると存じます

 つぎに盧溝橋事件の日支の将来に及ぼす影響を考へますに盧溝橋事件は極東の歴史を改変し延いて世界歴史をも改めんとして居ります、

 善く変るか悪く変るかは一に今後に於る帝国の措置如何に懸つてをります、勿論盧溝橋畔の禍を変じて福となし得る確信もあり又さうなくてはなりませんが今後に於る事変処理の如何が盧溝橋事件の真使命達成を左右するものと考へられます、

 盧溝橋事件一周年に当り右事件を回想して特に右の感を深くし挙国一如事変の解決に善処せねばならぬと考へて居ります

緒方主筆 御忙しい所を遅くまで有益な話をお聞かせ下さいまして大変有難う御座いました、おの座談会の記事を通じて国民に事変勃発の事情を明かならしめると共に長期戦に対する国民の発奮を促す事多大なるものがあると存じます、 ではこれで閉会致します

【完】 

 

(2004.11.21)

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