
| 田中正明氏と蒋介石 |
「蒋介石が「南京大虐殺などない」と言った」。ネットでときおり見かける記述ですが、これがもし本当であれば、世界的な大ニュースです。なにしろ、当時の中国側指導者が、はっきりと「南京大虐殺」を否定しているわけですから。
しかし、この情報の発信源があの田中正明氏であれば、十分に吟味してかかる必要があるでしょう。まずは、その「ソース」からです。なおこの「会報」は一般に知られているものではなく、私も手元に所有しておりませんので、「興亜観音を守る会」ホームページからそのまま紹介していることをお断りしておきます。
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「興亜観音を守る会」会報15号より
約1週間の後、台北の旧総督府で蒋介石その他の要人とのお別れの宴が開かれました。 私ども同士1人1人が、蒋総統の前に進み出てお礼を述べて蒋介石と握手をするのです。 |
一見して、怪しげです。
「中国は知らなかったか」にも書いた通り、蒋介石・何応欽とも、「南京虐殺」をはっきりと認める記述を残しています。「何応欽軍事報告」が「南京には大虐殺などありはしない」ということを「記録している」、という「事実」もありません。そもそもここに、田中氏の否定ネタ、「何応欽軍事報告」が出てくること自体、何とも不自然です。国民党系の「大公報」が繰り返し「南京虐殺」のニュースを掲載していたのに、蒋介石はそれを読んでいなかったのでしょうか。
何よりも、この話は「昭和四十一年」(1966年)の出来事とのことです。この話が真実であるならば、田中氏は大いにこれを宣伝するはずです。しかし、その間に田中氏は、「南京虐殺の虚構」「南京事件の総括」という「否定本」をモノにしていますが、そこにはこのエピソードは全く登場しません。
「南京事件の総括」には「虐殺否定十五の論拠」なるものが掲載されていますが、「何応欽軍事報告にもない」「国際連盟も議題にせず」といった「小ネタ」はあっても、「蒋介石自身が否定している」という、インパクトの強い、まさに目玉になりそうな話は出てきません。田中氏は、35年も経って、突然記憶がよみがえったのでしょうか。
さて、実際にはどういう話であったのか。氏の遺作、『朝日が明かす中国の嘘』が、その手掛かりとなります。
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田中正明氏『朝日が明かす中国の嘘』より
あれほど支那を愛し、孫文の革命を助け、孫文の大アジア主義の思想を遵奉したばかりか、留学生当時から自分(蒋)を庇護し、面倒を見て下さった松井閣下に対して何ら酬いることも出来ず、ありもせぬ「南京虐殺」の冤罪で刑死せしめた。悔恨の情が、いちどに吹きあげたものと思われる。 蒋介石は私の手を二度、三度強く握って離さず、目を真赤にして面を伏せた。 (同書 P16-P17 2003年5月刊) |
ここでは、蒋介石は「南京大虐殺」について一言も語っていません。「ありもせぬ「南京虐殺」の冤罪で刑死せしめた」というのは、田中氏の全くの「想像」であるに過ぎません。このエピソードがもし事実だとしても、蒋介石は、若い頃の個人的親交を思い出して涙ぐんだ、と見るのが自然でしょう。むしろ蒋介石の本意は、「申訳ないことを致しました」というより、むしろ「気の毒なことを致しました」ということであったのかもしれません。
先にも述べた通り、「興亜観音を守る会」会報は、ほとんど知られていないメディアです。そして田中氏の文は、「講演録」であるに過ぎません。田中氏は、松井将軍シンパを目の前にして、「蒋介石が松井大将のために涙を流した」というエピソードをついつい自分の「想像」に添った形で脚色してしまった、と見るのが最も自然でしょう。
なお、こんな田中氏の記述を、素直に信じている方もいらっしゃいます。ネットで検索すると、この深田匠氏は、「田中正明氏の門下生」であるとのことです。
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深田匠氏『日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』より
(同書 P72) |
ご覧の通り、上の二つの話を適当につなぎあわせて、「当事者が認めた貴重な証言」などという、びっくりするような評価を下しています。
さて、深田氏の「南京事件」に関する知識はどの程度のものであるのか。田中氏の著作をここまで熱心に持ち上げる時点で大体見当はついてしまいますが、一応、その直前のページの文章を紹介しておきます。
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深田匠氏『日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略』より
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この方には、ぜひとも、私のサイトの「日本軍の暴行記録 「49人」か」 「国際委員会文書の告発」あたりを読んでいただきたいものです。
(2007.5.26)
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