
| なぜ「証言」しないのか ―「加害証言」を拒む土壌― |
「南京事件」の実態を調べる時大きな壁になるのが、「加害証言」を世に出す困難さです。この点は、多くの研究者が共通して語る「常識」なのですが、掲示板等ではこれを理解せず、明らかに事実に反する「タテマエ証言」だけをタテに「日本軍の軍紀は正しかった」と主張する方が存在します。
このコンテンツでは、「加害証言を拒む土壌」をテーマに、各研究者の調査体験、また実名証言を行った方々に対する圧力について見ていきます。
まずは、各研究者の記述から、「聞き取り調査」の困難さに触れた部分を紹介します。
| 笠原十九司氏 『南京虐殺の記憶と歴史学』より
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| 秦郁彦氏 『南京事件(増補版)』より
秦の経験では、将校は概して口が堅く、報道、外交関係者は現場に立ち会う例は稀で、クロの状況を語ったり日記やメモを提供したりするのは、応召の兵士が多かった。その兵士たちも郷土の戦友会組織に属し、口止め指令が行きわたっている場合は、言いよどむ傾向があった。 (同書 P281) |
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板倉由明氏『南京事件 虐殺の責任論』より 南京戦には限らないが、参戦者から情報を集める際に厚い壁を感じる「部隊」がある。その多くが、将校会や戦友会が「厚いカーテン」を下ろして情報を秘匿し、会員に圧力を加え、甚だしきは「妨害」をする。歩六五の場合がそうだという訳ではないが、筆者もその堅いガードには全く歯が立たず、平林貞治氏のように旧聯隊のスポークスマン的存在の人か、箝口令を憚りながら漏出する情報の断片を分析・総合せねばならなかった。 (『日中戦争の諸相』所収 P190) |
そして、実際に実名で「加害証言」を行うとどういうことになるのか。二つの事例を紹介します。
*念のためですが、あくまで、「実名証言」を阻害する社会風土の存在を説明することが目的ですので、個々の証言内容の「信憑性」についてはここでは問題にしません。
1987年7月6日、京都府峰山町にて、元二十聯隊兵士3名(増田六助氏、東史郎氏、上羽武一郎氏)が共同記者会見を行い、それぞれ自分の陣中資料を提出しました。それに対する反応です。
| 「隠された聯隊史」より
元二十聯隊関係兵士による記者会見は、大きな反響をまき起こした。 (中略) と同時に、記者会見にのぞんだ元兵士宅めがけて、奔流のようにいやがらせ電話、脅迫状が殺到した。電話番号はNTTに問い合わせたものだろう。脅迫状のあて先は「京都府丹後町」とだけあり、番地のないものが多かった。あらかじめ予想されてはいたが、それはすさまじいものであった。 リ、リーン。受話器を取ると「おんどれら、軍人恩給もろてるやろ。国に仇をなすようなことを、しくさって・・・恩給を国に返せ!」。耳元にがんがんひびく大声で怒声をあびせ、五〜十分間をしゃべり続け、悪口雑言のかぎりをつくして一方的にがちゃんと電話を切る。名前をたずねても名乗らない。 増田、東、上羽三氏宅の電話は、深夜まで鳴りっぱなしとなった。なかでも、膨大な手記・手紙類を公開した東史郎宅へ、 増田六助氏宅には「地元の報国同志社やけどな・・・全国の同志からようけ問い合わせが来とる。いったいどんな考えで記者会見なんかしたんや。聞かせてもらおか」とドスの利いた声で右翼団体らしき団体名を名乗ってのいやがらせ。「お前らみたいな兵隊ばっかしやから、日本は負けたんや・・・このアホめが」。「七月二十八日(「平和のための京都の戦争展」開幕日)まで、身辺によう気ィつけておれ」のおどしもあった。 そしていやがらせ、脅迫の手紙。― 「あんた方は日本人ですか。それとも支那人(中共人)ですか・・・寝言をいっては極楽へ行ケマセンヨ。あんた方、日本人を売る売国奴の犬ですよ」(奈良・香芝町、大坪春香名)。「としの70歳にもなって、もっと考えて死にぎわを迎えよ!! バカヤロウ!! それでもお前は日本人か!! ・・・日本中の笑い者で、死にやがれ!!」「英霊を冒?した罪は万死にあたいする。死ね!」など、その数はざっと五十通。「お前の家に放火してやる」「見知らぬ者が近寄れば注意肝要、家族も皆同じ」等々、直接行動をにおわせる通信も、あいついだ。ここにはとうてい紹介できない、下劣ひわいな文言を書きつけた投書もあった。 東史郎氏は、その一々に返事を書き、投かんした。返書の多くは、一週間後に戻ってきた。脅迫状差出人のほとんどは、偽名であり、その住所はニセだったのである。 (「隠された聯隊史」P161〜P162) |
次は、「幕府山事件」についての体験を語った、栗原伍長への中傷です。
| 毎日新聞1984年9月27日 『記者の目』より
歴史の発掘報道に思う 福永平和(社会部)
発端は八月の末。社会部の電話が鳴った。電話の主は八月七日付朝刊二社面(東京本社発行最終版、以下本紙掲載日は同)で掲載した「元陸軍伍長、スケッチで証言 南京捕虜一万余人虐殺」の記事で取材し、紙面にも名前の載った東京都小平市の退職警察官(七三)だった。 だが、電話の向こうの声は最初からひどく震えていた。 「まったくひどい。何とかしてもらえないだろうか」 記事に載った証言は、鈴木明氏の「南京大虐殺のまぼろし」や防衛庁防衛研修所戦史室の「支那事変陸軍作戦<1>」などの「釈放途中に起きた捕虜の暴動に対する自衛的集団射殺」という定説を覆すものだった。電話の主は、この記事が出て以来、次々と「読者」からの封書、はがきが届いたが、これらの多くは中傷で、脅迫まがいのものもあるという。証言者の自宅へ出向いた。 「恥知らずめ、おぼえておけ。軍人恩給と警察官の恩給を返して死ね」「貴様は日本人のクズだ!!」「思慮の浅い目立ちたがり屋か老人ボケ」 思いつく限りの悪罵を投げつけていた。 もちろん、証言者を勇気づける手紙も何通かあった。「事実を述べられたこと(教えて下さったこと)の勇気をすばらしいと思います」(三十六歳の主婦)。勇気ある証言は次の証言につながってもいく。八月十五日付朝刊の「南京大虐殺、私も加わった」という神戸市の元上等兵(七五)の証言である。そして、この第二の証言者のところへも「お前はバカか、平和を乱すようなことはするな」という手紙や電話がきていた。 こういった非難、中傷、脅迫の手紙は、新聞社にもよく来る。八月十五、十六日付朝刊の七三一部隊関連記事でも「資料はデッチ上げ」という投書があった。共通しているのは匿名ということ。 「子孫にウソを伝えぬために」 元警察官が証言を思い立ったきっかけは、七月二十二日付朝刊社会面の「南京大虐殺、中国側が”立証” 犠牲者は三十余万人」の記事。「殺したのには殺した。それは事実だけど、中国側が言う三十万人、四十万人なんて数じゃない。どんなに多くても十万人以下だ。中国側の根拠や資料をうのみにするわけにはいかない。事実をはっきりさせるには、日本の側も、やったことははっきりと認めなきゃいけない。いつまでも”殺していない”とか”自衛のためだ”なんて言っているのはおかしい。ウソを子孫に伝えるわけにはいかない。あれにかかわったものは、私も含め、もう年だ。今のうちに本当のことを言っておかねば」(以下略) (『毎日新聞』1984年9月27日朝刊第5面) *この「栗原証言」の内容については、K-Kさんのページで詳しく紹介されています。栗原氏の息子さんである「核心」さんによれば、「結論から言うと、父の証言に関しては、毎日新聞の記者の方へのインタビューと本多勝一氏へのインタビューだけが任意でなされたものです。 両記事のあとは脅迫手紙や脅迫電話が相次ぎ、また戦友や上官の方からも証言を取り消すようにとか、矮小化するようにとかの干渉が長い間なされています。ですから、それ以降の父の証言と称する内容に関しては、全く任意性はなく、信憑性に欠けるものです」とのことです。
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中傷者たちは、証言者の語ることが事実かどうかなどには全く関心を持たず、ただ、「日本の過去の悪行について発言した」というだけで、証言者たちを攻撃対象にしています。
普通の生活を営む市民の方であれば、このような攻撃により生活が破壊されることを覚悟してまで「実名証言」を行なおうという気には、とてもなれないでしょう。「実名証言でない」ことを批判する心無い方々には、ぜひ、以上のような状況を認識していただきたいものです。
次は、「証言しない人々」の「ホンネ」をかいま見れる事例です。「圧力」を怖れて公式の場では「証言」を拒む人々も、実際にはかなりの「加害」事例を知っていることをうかがわせます。
| 下里正樹氏「続・隠された聯隊史」より
こんなこともあった。 とたんに、受話器の向こうから猛烈な勢いで返事がかえってきた。 (P49-P51) |
| 高崎隆治氏『戦争と戦争文学と』より
とはいえ、あの戦争下にそれが風聞として一部の国民の耳に入らなかったということはあり得ないわけで、当時中学生であり生活範囲の狭かった私でさえも、横須賀に住む友人の口から友人の家に下宿している海軍の下士官の話として強姦について聞かれたことがある。もっともそれは、二、三人の下士官が酒を飲みながら話しているのを立聞きしたということで、友人の憶測も入っているようであったが、しかしそれはまぎれもなく上海戦線での強姦―というよりは海軍の下士官・兵による輪姦であった。
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| 「「東京裁判」を読む」より 保阪(正康) くどいかもしれませんが、残虐行為があったのは事実だけれど、日本軍の全部じゃないということです。日本軍全体にすり替えちゃいけないと思うんです。「私はやっていません。私たちの部隊はそういうことをしていない」という人にたくさん会ってきました。 一方、やった人の中でも「やってない」という人の言葉に依拠して脆弁を使っている人がいるんですね。ある部隊の隊長をやっていた人に取材したことがあるんですが、「君、絶対言うなよ、書くなら俺が死んでから何年か後に書け。名前は出さんでくれ。子供や孫がいるから」と言って、「やっぱりやった」と言っていました。 やった事実を知っている人も表面上は「やってない」と言ってるんです。そのことが客観的な史実の検証を間違わせていると思うんです。それだけに本当にやっていない人たちのこともきちんと調べて書き残さなければならないと思います。(P306) |
(2007.11.17記。コンテンツ「実名で証言すると」増補版。2010.10.24『「東京裁判」を読む』追加)
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