
| 「南京の実相」を読む (3) |
| 国際連盟と中国 なぜ「提訴」しなかったのか |
以上、戸井田議員の「顧維鈞演説」の曲解ぶりを見てきました。ここではもう一歩進んで、「中国はなぜ国際連盟に「提訴」を行わなかったのか」という問題を検討してみましょう。
一部では、提訴しなかったことを、「南京虐殺」が存在しなかった証拠だ、と言わんばかりの暴論を目にします。戸井田議員も、「国際連盟は、一九三七年十月六日の南京・広東に対する「日本軍の空爆を非難する案」のように採択しなかった」と、これこそ「なかった」証拠だ、と示唆してみせます。
しかしまず大前提の話ですが、「南京における大規模な虐殺」は間違いなく存在しました。「南京事件 初歩の初歩」で説明した通り、大量の捕虜殺害、民間人殺害の事実は、否定しようもないでしょう。
従って問題の立て方は、「南京において大規模な虐殺が行われたにもかかわらず、なぜ中国はそのことを国際連盟に提訴しなかったのか」とするのが妥当でしょう。
< 目 次 >
| 1 | 世界の「常識」、南京事件 |
まず当時において、「南京事件」が世界からどのように受け止められていたのかを確認しておきましょう。
「南京」で、日本軍による大規模な暴虐が行われたことは、世界が一致して認めるところでした。
当時南京には5人の記者・カメラマンがいました。第一報として大きく伝えられたのは、ダーディン、スティールの長大な記事。マクドナルド、スミスもレポートを残しています。
ここでは、あまり知られていない、カメラマン・メンケンの報告を紹介しましょう。
| 日本、南京入城式典 <ワシントン・ポスト> 1937年12月17日 アメリカの砲艦オアフから、日本の南京占領についての目撃者の第一報が届いた。パラマウント・ニュース映画のカメラマン、アーサー・メンケンは、かつての繁栄の都は、残虐な日本軍の陸・空からの攻撃による兵士・市民の死体が散乱する流血の巷と化していた、と無線で報告してきた。 少しでも軍隊に勤務していたものと見える中国人男子はすべて集められ、処刑された、とメンケンは言った。だが、日本側報道が南京城東の中華民国の父孫文の大陵墓は無傷のままだとするのは、そのとおりだと認めた。 (『南京事件資料集 1アメリカ関係資料編』P516) |
この5人が12月16日までに南京を離れた後、南京は事実上外部との通信不能の状況となり、しばらく情報は途絶えます。しかし各国外交官の南京復帰(1938年1月6日)をきっかけに、南京に残留して救済活動を行っていた外国人たちから、それ以降、大量の情報が発信されます。
| 松井辞任へ <ワシントン・ポスト> 1938年1月12日 日本軍による占領後に南京で起きたことは、十二月十四日まで市内に残っていた少数の報道人によって部分的に伝えられたにすぎない。だが、それよりもより大規模の虐殺の報告が、その後二週間にわたってこの見捨てられた首都から漏れ伝わってきた。 連日、中国人兵士とそれに市民までもが同様に針金で縛られ、三〇−五〇人ずつの一団にされて長江岸の下関に連れて行かれ、機関銃で殺戮された。日本兵が銃剣に中国人の首を突き刺して、市街を行進するのが、外国人によって目撃された。このほかにも首が切り落とされ、口に煙草の吸い差しが、鼻に薬莢が詰められているのが見受けられた。 南京の家という家が捜索され、略奪された。外国人およびその財産もこの一般的運命を免れなかった。 見栄えのよい婦人はすべていずれかに拉致され、帰ってくる者はなかった。ある宣教師は、姑娘を差し出せという日本兵の要求を拒むとき、その外交戦術の限りを尽くさなければならなかった。 上海−南京間のあちこちの町や村から、娘や若い婦人が日本兵に連れ去られて以後消息がない、という同様の報告が届いた。 (『南京事件資料集 1アメリカ関係資料編』P519-520) |
『南京事件資料集 1アメリカ関係資料編』では、約170ページにわたり、当時の膨大な新聞記事群を確認することができます。
また、このような状況は、南京の外交官から本国へも伝えられました。アメリカ大使館・エスピー副領事の報告が、よく知られています。
これらの膨大な情報群により、「南京における日本軍の暴虐」は、世界中によく知られるところとなりました。例えば、当時の駐日大使、グルーの日記を見ましょう。
| ジョセフ・C・グルー 『滞日十年』
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当時アメリカ国内に滞在していた日本人も、アメリカで「南京虐殺」が大きく取り上げられたことを語っています。
| 石垣綾子氏からの聞き取り 「自分にはイギリスの新聞記者だと思うが(アメリカ人かもしれないとも言い、今はどちらか分からないと言った)、写真を見せて、南京事件の話をしてくれました。アメリカではすぐに南京虐殺写真のパンフレットが広く出回り、ライフ誌などにも残虐写真が掲載され、後にはニュース映画でも南京事件が報道されました。南京虐殺で日本軍が生きている人を穴埋めにしている写真が出回ったのは、ショックだったので今でも覚えています。中国婦人への凌辱の話も広く知られ、年寄であろうが子供であろうがひっぱり出して強姦してしまうという話でした。 南京で暴虐を働いた兵士だちと、自分は同じ血を分けあい、同じ祖先であることが辛く、自分の手にも汚れた血が流れているとさえ思ったものです。パナイ号事件はアメリカの支配層に痛手でしたが、一般の人は南京アトロシティーズにびっくりしました。南京虐殺は日本軍と日本人の評判を落としました。アメリカ国民は、日本軍は野蛮だから南京虐殺をし、そしてパナイ号を撃沈したのだ、と認識したのです。 私がマツイ・ハルの名前で自伝『憩いなき波−私の二つの世界』(佐藤共子訳、未来杜、一九九〇年出版)を書いたきっかけは、南京大虐殺にありました。というのは、市民団体、婦人団体、教会、学校などに招かれて講演に行くと"日本人はなぜ野蛮で残虐なのか"ときまって質問されたからです。そうではない日本人も沢山いることをアメリカ国民に知らせたかったからです。」
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| 森恭三『私の朝日新聞社史』より
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森恭三が書く通り日本国内の「検閲」は厳しいものでしたが、それでも、「南京虐殺」の情報に接した日本人は大勢存在しました。
例えば当時、日中和平工作または汪兆銘工作に携わった、西義顕、犬養健、神尾茂、田尻愛義らの日記などの中に、それぞれ、「南京事件」に衝撃を受けた事実を発見することができます。(拙コンテンツ「「ピース・フィーラー」たちが聞いた南京事件」参照)
顧維鈞が演説の中で「よく知られている通り」と枕言葉をつけたとおり、 日本が南京で大規模な暴虐事件を起した、というのは、この時期、国際的には「常識」でした。
中国でも、「中国は知らなかったか?」で紹介した蒋介石の日記や宋美齢の手紙に見られるように、「南京暴虐事件」の存在は、しっかりと認識されていました。
*本コンテンツの趣旨とは直接関係ないので詳述はしませんが、当時流布していた「情報」の中には、後日の目で見直すと不正確なものも混入していたことは事実です。しかし「日本軍による大規模な暴虐」が行われたこと自体は、否定しようもありません。
以上、少なくとも、中国が提訴を行わなかった理由は、「世界が「南京虐殺」を信じておらず、提訴しても国際連盟に拒絶されると考えたから」ではありえません。
| 2 | 存亡の危機に立つ中国 |
次に、当時の中国が置かれていた状況を確認しておきましょう。
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黄仁宇 「蒋介石−マクロヒストリー史観から読む蒋介石日記」より |
軍事的にはあと「六ヶ月」しか戦えない、と言われるまでの劣勢に立ち、国際世論も思うように反応してくれない。まさに中国国民党政府は、国家存亡の危機にあったわけです。
中国にとっての望みは、国際世論を味方につけ、中国に対する物資援助、日本に対する経済制裁を引き出すことでした。その訴えは、1937年ブリュッセル会議、1938年2月国際連盟第百回理事会、同年5月第百一回理事会、同年9月第百二回理事会に至るまで、一貫して粘り強く行われることになります。
そんな中にあって、「南京事件」、あるいは「空爆問題」「毒ガス問題」といった個別問題は、中国にとっては副次的なものに過ぎなかった、という事情を理解しておく必要があるでしょう。
この点については、笠原氏が、適切な解説を行っています。
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笠原十九司『リアルタイムで世界から非難を浴びていた南京事件』より |
中国は別に、「南京暴虐」問題なり、「空爆」問題なりを、最大の優先課題として考えていたわけではありませんでした。個別問題について中国が提訴するかどうかは、その時々の事情による、ということになるでしょう。
| 3 | 中国の「南京事件」認識 |
ご覧のとおり、中国にとって「個別問題」は、別に喫緊の課題ではありませんでした。
しかし一方、中国が空爆や毒ガスについては国際連盟に提訴したのは事実です。では、なぜ南京問題は提訴されなかったのか。
これはおそらく、中国が「南京暴虐」について「独自情報」をほとんど持っていなかったこと、そして、この時期中国は、数多い日本軍の暴虐事件のうち「南京事件」のみを問題にする、という発想が薄かったこと、この2点が原因であると推察されます。
順番に、見ていきましょう。
顧維鈞演説が行われた1938年2月初旬には、中国における「南京」認識は、こんな感じでした。
| 『大公報』1938年1月31日社説 より
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顧維鈞演説の「南京」非難も、ほとんど「外国紙の情報」をベースにしていました。独自情報をほとんど持たずに、外国紙でこんな報道がされましたから日本非難決議をしてください、とやることにはやはり抵抗があったのでしょう。
「生き残り」の話にしても、この時点ではほとんど出てきていませんでした。
例えば、「南京事件資料集2 中国関係資料編」の国民党系新聞「大公報」を見ても、2月初旬までの報道はすべて「外国筋」をソースとしており、「南京を脱出した中国人」からの情報はほとんどありません。また同書には、中国人の体験者の手記が12本収められていますが、「1938年2月顧維鈞演説」の時点で発表済みだったものはありません。
「国際連盟第百回理事会」において、中国が「独自情報」に基づく提訴を行うことはほとんど不可能であった。そのように判断していいと思います。
また中国にとって、「南京事件」は、別に「初めて聞いた日本軍の蛮行」というわけではありませんでした。「南京」は多くの外国人が残留していたことから世界の耳目を集めましたが、それ以前、中国の新聞には、数限りない「日本軍の蛮行」が報道されていました。
「「南京」以前−「出版警察報」より」に掲載した多数の記事から、サンプルとして最初の3つを再掲します。
| 申報 | 第二三〇七三号 | 上海発行 | 八月一日発行 九月一日禁止 |
| 「天津避難民惨殺に遭ふ」と題する記事は、皇軍が支那良民を妄りに惨殺せる如く曲説し、其の威信を失態せしむるに因り禁止。
又河北の鉄道沿線にも多数の避難民が居たが、日本は之等の地方へ来ると至る処に火を放ち避難民に対しては一斉射撃を加ひ、其の家族は東西に四散するの余儀なかつた。そして彼らの中には、妻子が銃殺されたので進んで行つて之を救はふとして又々日本軍の毒手に斃れたものがあつた。 (「出版警察報 第109号」P146) |
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| 天光報 | 第一七二二号 | 香港発行 | 八月一日発行 九月二日禁止 |
| 「日本池宗墨をして偽職を継がしむ以々」と題する記事 同前理由
日本軍の住民銃殺に至つては更に惨酷非人道を極めて居る。北平中立方面の報告に拠れば、其が北平近郊に於て発見せる屍体七は、全部手を反縛せられ、其の中の二名は頭を切り取られて居た。之は明らかに日本人の虐殺せる所で其の他の残酷行為は更に枚挙に堪えず即ち老若婦女子と雖も免れざる所である。 (「出版警察報 第109号」P146〜P147) |
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| 大公報 | 第一二二四八号 | 上海発行 | 八月一日発行 九月九日禁止 |
| 「天津全く灰燼に化さんとする勢にあり」と題する記事は皇軍が天津に於て放火姦淫虐殺を行ひ居るが如く曲説し皇軍の威信失墜に渉るに因り禁止。
(天津三十一日午后二時発専電)三十一日午后に至るも天津は無政府無警察状態を続けて居る。三十一日朝日本軍は東馬路太胡同建築物を爆撃日本軍及浪人多数は河北に赴き自由行動を採り放火姦淫殺人を行つてゐる。 (「出版警察報 第109号」P147〜P148) |
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今日では事実確認は困難ですが、ともかくも、これに類する報道が、「南京事件」以前に、山のようになされていました。
さて、「中国は知らなかったか?」で紹介した、蒋介石の『日本国民に告ぐ』をもう一度読み直してみましょう。
| 『日本国民に告ぐ』より
(1938年7月7日 蒋介石) また日本軍が占領したどの地区においても掠奪、暴行火附けを行つた余勢で、わが方の遠くに避難出来なかつた無辜の人民および負傷兵士に対しても大規模な屠殺が行はれた。
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どこまで「南京」の出来事を指すのか特定はできませんが、「どの地区」においても「掠奪、暴行火附け」が行われた、との認識を示しています。
また1938年2月「第百回理事会」の「顧維鈞演説」でも、「日本兵が南京と抗州でおこなった残虐行為」と、「南京」と「抗州」が併記されています。
あるいは、その後1938年5月には、中国は国際連盟に対し、このような「通告」を行っています。
| 赤松祐之『昭和十三年の国際情勢』より 五月五日附通告は、客年十月二十七日附通報以後に発生せる日本軍の非戦闘員に対する無差別爆撃、殺傷其の他暴行に付通報するものなりとて、客年十月二十八日より本年四月二十九日に至る四十数件を羅列して、之を総会、理事会及諮問委員会に送付方を求めたものである。 |
今度は、「山西及び山東に於ける虐殺」まで登場してきました。
こうして中国の訴えぶりを並べてみると、どうも、「南京」だけを特別視する発想は薄かったように思われます。
「南京」は、日本軍が引き起こした数々の暴行事件の一つ。仮に非難を行うのであれば、「南京」だけではなく、「日本軍の非戦闘員虐殺一般」を問題にすべきである。
おそらく、それが当時の中国の発想だったのでしょう。
ちなみに中国共産党については、そのような傾向が、よりはっきりしていました。例えば当時の中国共産党系「延安時事問題研究会」の出版物では、「南京」はこんな扱いです。
| 延安時事問題研究会『日本帝国主義在中中国淪陥区』 目次 第一章 東北における日本車の暴行 第二章 華北における日本車の暴行 (一) 回想するに堪えない北平・天津 (二) 鉄蹄下の『蒙古国』 (三) 群魔乱舞の済南 第三章 華中における日本侵略者の暴行 (一) 南京にて (二) 武漢にて (三) 長江下流にて (四) 浙江省西部にて (五) 徐州にて (六) 杭州にて (七) 蘇州にて (八) 揚州にて 第四章 広州における暴行 (井上久士『南京事件と中国共産党』=『南京事件を考える』所収 P178-P179) |
中国共産党にとって、「南京」は、文字通り、「全国各地で行われた多数の暴行事件のひとつ」であるに過ぎなかったようです。むしろ中国共産党の関心は、「日本の中国侵略が必然的に、そして至るところで中国人への敵視と非人道的行為をともないながら進められている」(井上、前掲書、P176)ことを示すことにありました。
井上久士氏は、こんな「解説」を行っています。
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井上久士『南京事件と中国共産党』より |
まずは適切なものである、と言えるでしょう。
中国は事件当時、世界に訴えるだけの材料を持ち合わせなかった。また「南京事件」のみを特別視することもなかったし、中国にとって「最優先課題」でもなかった。そして結果として、「提訴」のタイミングを逃がしてしまった。そんなところが、実態であったと思われます。
中国が世界に「南京における日本軍の残虐行為」を訴えることができたのは、中国側独自の調査が可能となる、「戦後」を待たなければなりませんでした。
| 4 | 「毒ガス」に関する提訴 |
こちらは、余談になります。
田中正明氏は、こんなことを書きます。
| 田中正明氏『南京事件の総括』より この年の5月9日から第101回国際連盟理事会が開かれるが、支那はこの理事会で、日本軍の空爆と、山東戦線における毒ガス使用を非難する提案を行い、これが満場一致可決されている。 すなわち、日本軍の南京空爆の非難や、山東における毒ガス使用の非難決議はあっても、“南京虐殺”の非難提訴はなかったのである。議題にさえのぼっていないのである。 |
どうも田中氏は、「101回国際連盟理事会」の記録を入手できなかったか、あるいは適当なことを書いているようです。
まず単純な事実誤認ですが、「101回国際連盟理事会」では、「空爆」に関する決議は行われていません。また、「毒ガス使用」についても、中国側の意図する「日本非難」ではなく、一般的な「使用禁止の確認」の決議しかなされていません。そして、「山東戦線における毒ガス使用」は、決議文に折り込まれていません。
この時点では、中国にとって「毒ガス問題」が喫緊の課題として浮上していました。また、中国の「南京に関する情報不足」「南京のみを問題とするという発想の薄さ」という状況は、基本的には変わっていません。
*「100回理事会」の2月時点に比較すると、「南京脱出者からの情報」は増えていたかもしれません。政府部内に「南京問題調査班」でもつくって本格的な調査を行えば、あるいは「提訴」に足る情報も集まったのかもしれません。しかし先に述べた通り、中国の関心は、一義的には「抗日戦争勝利のために、国際社会の支援を求める」ことにあり、個別問題についてのそこまでの本格調査は、ついぞ行われることはありませんでした。
また実際問題として、「1938年5月」では、「南京」問題を提訴しようにも、タイミングを逸してしまった感は免れないでしょう。
| 赤松祐之『昭和十三年の国際情勢』より 五月五日附通告は、客年十月二十七日附通報以後に発生せる日本軍の非戦闘員に対する無差別爆撃、殺傷其の他暴行に付通報するものなりとて、客年十月二十八日より本年四月二十九日に至る四十数件を羅列して、之を総会、理事会及諮問委員会に送付方を求めたものである。 |
この間、5月10日理事会では、顧維鈞は
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と演説し、前理事会に引続いて、連盟の「行動」を要求しています。
さて、上の通告文では、従来の「空爆問題」「南京などの暴行」に加えて、「毒ガス」問題が加わったことが目を引きます。
中国から見ると、「毒ガス」は、大きな軍事的脅威だったのでしょう。その後の武漢攻略戦では、日本軍は「375回」の毒ガス使用を行い、中国軍に大きな打撃を与えています。
中国は、大規模な化学部隊が中国の戦場に向かっている、という情報を得ていたようです。この情報の真偽は不明ですが、中国にとっては、緊急に対応しなければならない課題であったことは間違いありません。
そこで中国は、日本軍の毒ガス使用を防止すべく、上の通り「注意を喚起」することを求めました。しかしこの情報は、中国側独自のもので、他の諸国は事実確認のしようがありません。日本はこれに対して、「明白なる虚偽宣伝」とのコメントを出しています。
結果として5月14日の理事会決議内容は、このようなものになりました。
| 1938年5月14日 国際連盟第101回理事会決議 第一部 連盟国が総会理事会決議勧告を実効的ならしめるため最善を尽し、且右決議に基く支那の要請には真剣な同情的考慮を払ふように要請する。支那が日本の侵略行為に対し独立、領土保全に努力しつつあること並びに支那国民の困窮に対し同情の意を表する。 第二部 毒瓦斯の使用は国際法により禁止されて居り、その使用は世界文明の反対を受くべきものである。各国政府にして事件に関し情報を入手したる場合は連盟に対し通報すべき旨要請する。 (同上、P128-P129) |
(2009.7.19)
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