中国は「合同調査」を拒否したか?



  まず最初に結論を書きますが、私の知る限りでは、日本政府、もしくはそれに準じる機関が、日本政府の意思を代表した形で正式に「合同調査」の提案を行い、 その上で「中国側」がそれを拒んだ、という事実は存在しません。

 にもかかわらず、掲示板では、「中国側が合同調査を拒否している」という表現が、しばしば見られます。この表現は、どうやら田中正明氏の次の文から来ているようです。

田中正明氏『「平和甦る南京」の写真特集』より

 しかも、日中友好協会の孫平化会長いわく、「30万虐殺は政治的に決まっている事実だ。そのために記念館を建ててある。 日中共同調査のプロジェクトなど受け入れる余地など無い」と、日本側の提案を峻拒したという。(丹波春喜・京都産業大教授著「孫平化氏との激論3時間」−「正論」昭和63年7月号)。

*「ゆう」注 この資料は私も持ち合わせておりませんので、こちらから引用しています。



 日本側のある程度公的な機関が、日本政府の意を受けて正式な「合同調査」の申し入れを行ったが、中国側はこの真摯な提案を「政治的に決まっている」という無茶な言い方で拒絶した・・・ この文章を読んだ方は、そんな印象を受けると思います。

 しかし、田中氏がつくりだすこの印象と実際の経緯との間には、大きな落差があるようです。 丹羽氏の論稿「孫平化氏との激論3時間」をもとに、その経緯を確認しておきましょう。




 論稿は、まず、こう始まります。

丹羽春喜氏『孫平化氏との激論3時間』より

 わたしは、本年(ゆう注.1988年)6月下旬、ある訪中団に参加して、中国におもむく機会を持った。

(略)

 この訪中団のなかには、わたしのほかに、村松剛(筑波大教授)、笠原正明氏(神戸外大教授)、花井等(筑波大教授)、加瀬英明(外交評論家)などの諸氏が加わっていたのであるが、 こういったわれわれ学者グループは、はからずも、今後の日中両国関係にとってきわめて重要であると思われる諸問題について、 中国側の要人たちと相当につっこんだ討論を行う機会を持った。




 メンバーから、この「訪中団」の性格が伺えます。どちらかと言えば、右派・反中として知られる人々。これだけの面々が揃ったら、さすがに中国側も警戒するかもしれません。

 それはともかく、これは日本政府の意を受けた訪問ではなく、単なる私的な訪問である、ということにご注意ください。 また訪問目的も、別に「南京事件」について話し合いを持つことではなく、「はからずも」討論になってしまったようです。



 孫平化氏への「表敬訪問」は6月13日に予定されていましたが、それに先立つ6月11日の「中国人民外交学会」主催の「歓迎会」席上、早くも「訪中団」と孫氏は衝突してしまいます。

 きっかけとなったのは、訪中の直前に行われた「奥野発言」をめぐる論議です。到着時の中国側の歓迎あいさつの中に、「最近、不愉快なこともありましたが・・・」という「奥野発言」を意識した発言があり、 続く夜の歓迎会で、訪中団側がこれに対して「説明」を試みたようです。

 しかしこの「説明」に、孫氏は反発してしまいました。

丹羽春喜氏『孫平化氏との激論3時間』より

 ここで孫平化氏は、「それだけ日本の人たちに言われては中国側も黙っているわけにはいかない」と前置きして、奥野発言については、光華寮問題についても、 従来からの中国側の主張をそのままくり返して強調し、「要するに、日本は中国に強盗に入ったのだ」と決めつけた。




 丹羽氏の記述によれば、訪中団側は、「おだやかで礼儀ただしい表現」で「中国側の理解を得よう」とする発言を行ったとのことで、孫氏がなぜか突然一方的に怒り出したよう な表現となっています。そのあたりの経緯はよくわかりませんが、ともかくも、訪中団側の発言が、孫氏をいたく刺激してしまったようです。

 「強盗」発言に、今度は訪中団側が反発しました。

 
丹羽春喜氏『孫平化氏との激論3時間』より

 そして翌々日の六月十三日には、孫平化氏が会長をつとめる「中日友好協会」への表敬訪問が予定されていた。

*「ゆう」注 訪問の目的が、「南京事件」等について話し合いを持つことではなく、 単なる「表敬訪問」であったことにご注意ください。

 しかし、ちょっと考えてみればすぐわかるように、「君たちの国は強盗だ」とののしられたうえで「敬意を表しに行く」というのは、いかにもナンセンスである。




 さて、もはや「表敬訪問」では済まない雰囲気になってきました。6月13日、いよいよ「中日友好協会」への訪問が行われますが・・・。

 
丹羽春喜氏『孫平化氏との激論3時間』より

 着席と同時に、まずはじめに、村松剛氏が日本側の学者・評論家グループの総意を代表する形で、孫平化氏に、 十一日の宴席での孫平化発言のうちの日本に対する「強盗呼ばわり」の部分のとり消しを求めたのである (村松氏は、このとき、きわめて穏やかに、そして、きわめて礼儀ただしくこのことを求めた)。




 「訪中団」は、単なる「表敬訪問」となるはずだった席で、いきなり喧嘩を仕掛けました。 一応文中には、「きわめて穏やかに、そして、きわめて礼儀ただしくこのことを求めた」という、とってつけたような表現がありますが、発言内容は要するに「喧嘩」です。

 
丹羽春喜氏『孫平化氏との激論3時間』より

 しかし孫平氏は、言を左右して「強盗発言」のとり消しにはけっして応じようとはしなかった。

(中略)

 中国側(とくに王効賢女史)は、このわたしの指摘に対して、「決して裁こうなどとは思っているわけではありません。・・・悪いのは日本の軍閥だったのです」と、例のごとく、 従来からくり返されてきたところの、いわば「公式的」な中国の立場を述べた。



 こんな調子で、両者の溝が埋まる気配は一向にありません。その後、「表敬訪問が意味をなさなくなったため、われわれは退席しかけた」という場面もあったようです。 結局は「ひき続き議論をたたかわすことに」なったのですが、雰囲気はとても「友好」どころではありません。




 こんな中で、丹羽氏は、突然中国側に「要請」を行いました。

丹羽春喜氏『孫平化氏との激論3時間』より

 そこで、まず、わたしは、次の三点を中国側に対して要請した。

 すなわち、日中両国の永続的な友好を念願するのならば、第一に、日本の首相が靖国神社に参拝することに対して中国が批難し抗議するようなことはやめていただきたいということ(略)、 第二に、日本が日本国民の教育のために教科内容を定めたり教科書を編さんしたりするとき、その内容について中国が干渉するようなことは厳につつしんでいただきたいこと、




次が、いよいよ「合同調査」です。

丹羽春喜氏『孫平化氏との激論3時間』より

 そして第三に、たとえば「盧溝橋事件」やいわゆる「南京大虐殺事件」については、日本の多くの歴史学者の厳密かつ客観的な研究の結果として、 中国がこれまで主張してきたようなこととはまったく異なった歴史的事実が明らかになってきているのであるから、中国側の見解を無理に押しつけるような態度をあらため、むしろ、 日中両国の歴史学者たちの協力によって「真実の歴史的事実」が明らかにされるように中国も努力していただきたいこと、の三点である。




 いずれも、もし万一日本政府が「公式」に行ったら、たちまち大変な外交問題になりそうな「要請」です。当然、中国側がこれを受け入れるわけがありません。

丹羽春喜氏『孫平化氏との激論3時間』より

 わたしが、盧溝橋事件を日本側から仕掛けたという形跡はまったく認められず、また南京で日本軍が三十万人もの一般市民を虐殺したとされていることについても、 そのことを示す証拠が皆無であるという日本の多くの歴史家たちの研究結果に言及しつつ、「日中戦争」(支那事変)に関連した本当の歴史的真実を厳密かつ客観的に調査するための、 両国協同の研究プロジェクトを発足させたらどうかと提案したことに対しては、孫平化氏は、「中国では盧溝橋や南京にそのための歴史博物館まで建てて、 日本軍の非を示す展示をしているほどであるから、そのような協同調査プロジェクト案を受けいれる余地はない」とにべもなく拒絶した。




 「中国側の主張はでたらめだから再調査しろ」「いや、そんな必要はない」というレベルの、ほとんど「売り言葉に買い言葉」の世界です。 氏が本当に「合同調査」を実現させたいのでしたら、もう少し交渉のしようもあったのではないか、と思います。 


 要するに、丹羽氏は、「私人」としての立場で、それも単なる「表敬訪問」の場で、中国側から見れば唐突に、しかも中国側を批判する形で「合同調査」の提案を行ったに過ぎません。

 そもそも丹羽氏は、具体的にどのようなメンバーでのどのような内容の「合同プロジェクト」をイメージしていたのでしょうか。 実際のところ、東中野氏や田中氏あたりと(「歴史学者」ではありませんが)、中国側の「歴史学者」が「合同」して、何か有意義なものが生まれるとはとても思えません。 私には、初めから「拒絶」を予定した、為にする提案のように思われるのですが・・・。




  さて、この時の会談については、田中氏以外にも、次の記述があります。

 
『「ザ・レイプ・オブ南京」の研究』より

ここで、ぜひ紹介しておきたいエピソードがある。日中友好協会の集まりで、日本側の出席者の一人である村松剛氏が中国の孫平化会長に向かって、 「南京虐殺というけど、・・・・人口は二〇万しかいないのに、どうやって三〇万人殺せるんですか。 ・・・・ひじょうにおかしいと思うから・・・・国際調査委員会を作る、その上で話を決定しようじゃありませんか」と語りかけたところ、 「その必要はない。三〇万という数字は、中国共産党の決定として、もう決まっているんだ」と答えたという。

(P223)



 丹羽氏の論考とも異なる表現で、かつソースが示されていません。次の論稿を見ると、どうやらこちらは、丹羽氏と共に訪中した村松剛氏の「講演テープ」に基くものであったようです。

東中野修道『南京「虐殺」―第二次国共合作下の戦争プロパガンダ』より

一九八八年五月、北京で、故村松剛教授が「南京虐殺というけど、三十万人殺されたというが、あの時南京には二十万人しかいないのに、どうやって三〇万人殺せるんだ。 国際(調査)委員会を作れ」と迫ったのにたいして、日中友好協会会長の孫平化は「その必要はない。三〇万という数字は、もう決まっているんだ」と答えた。 国民党中央宣伝部が共産党とともに作りあげた戦争プロパガンダが、今や中国共産党にも取り入れられ、南京「虐殺」は政治的に決定された事実となっている。

*平成四年五月十六日、東京のサンケイ会館における故村松教授の「天皇陛下ご訪中を考える」という演題の講演テープに基づく。

(『南京「虐殺」研究の最前線 平成十五年度版』 P307)
 



 ここに紹介される孫発言は「中国共産党の決定でもう決まっているんだ」といういかにも一方的な発言となっており、丹羽氏の紹介とはややニュアンスが異なります。

 この「村松講演」が実際の会談から4年もあとのことであることを考えると、丹羽氏の紹介の方が正確なのではないか、という気はしますが・・・。

 例えこの発言が事実だったとしても、あのように険悪な雰囲気の中での発言ですので、これは割り引いて考えるべきでしょう。 東中野氏は、これに続けて「南京「虐殺」は政治的に決定された事実となっている」との記述を行い、 あたかも孫発言が中国政府の公式見解の一環をなすかのような印象操作を行っていますが、これはちょっと行き過ぎであると考えます。




 念のためですが、田中氏が紹介する「孫発言」を、あらためて振り返ってみます。

田中正明氏『「平和甦る南京」の写真特集』より

 しかも、日中友好協会の孫平化会長いわく、「30万虐殺は政治的に決まっている事実だ。そのために記念館を建ててある。 日中共同調査のプロジェクトなど受け入れる余地など無い」と、日本側の提案を峻拒したという。(丹波春喜・京都産業大教授著「孫平化氏との激論3時間」−「正論」昭和63年7月号)。



 田中氏は、ソースとして丹羽氏の論稿を明記しました。丹羽氏による孫発言の紹介は、 「中国では盧溝橋や南京にそのための歴史博物館まで建てて、日本軍の非を示す展示をしているほどであるから、 そのような協同調査プロジェクト案を受けいれる余地はない」ですから、田中氏の紹介は全く正確さを欠きます。

 実際のところ、田中氏の紹介する孫発言は、「丹羽論稿」と「村松講演」を微妙にミックスしたものになっています。いずれにしても、「政治的」という単語は、田中氏の創作であると思われます。

(2005.3.13)


HOME 次へ