資料:「犠牲者数」をめぐる諸論


 「犠牲者数」をめぐる議論は、「南京事件」論議のハイライトですが、同時に大変むずかしいところでもあります。 掲示板では、2、3冊の「南京本」を読んだ程度の知識で、「私は犠牲者数は何人だと思う」、あるいは極端なものになると「南京虐殺はなかった」といきなり断定してしまう方をよく見かけますが、これはいささか無茶というものでしょう。

 「民間人」「中国兵」それぞれ、「死者」が何人いたのか。そのうち「日本軍」による「不法殺害」は何人なのか。 全体を見渡した「統計資料」が存在しない以上、この数字は、あちこちに分散している資料を組み合わせて推定するしかありません。

 その作業は、途方もない根気を要するものであり、 秦氏の「今となっては南京アトローシティによる正確な被害統計を得ることは、理論的にも実際上も不可能に近く、あえていえば”神のみが知る”であろう」(後述)との発言も、 大いに頷けるところです。

 このコンテンツでは、各論者が、「南京事件」の犠牲者数についてどのように考えているのか、それぞれ紹介します。なるべく引用を長文として、各論者の見解と根拠を正確に紹介するように努めましたが、もちろんこのスペースで正確に紹介しきれるものではありません。 厳密な議論を行うのであれば、必ず直接原典に当たっていただくよう、お願いします。

 とりあえずは、掲示板への引用頻度が高い、板倉氏、秦氏、笠原氏の見解を、ここに揚げます。さらに参考として、「証言に見る南京戦史」最終回の加登川氏、「南京戦史」グループの中心である畝本氏、 「南京大虐殺のまぼろし」の鈴木氏の見解を、あわせて紹介しましょう。

 なお最後に、「人数」に関するものではありませんが、外務省の公式見解を紹介してあります。


2012.4.8 同じく「人数」に関するものではありませんが、「日中歴史共同研究」の座長、北岡伸一氏の見解につき、追記しました。



*なお、東中野修道氏・田中正明氏については、「人数」についての「自説」を持たないこと、また、以下の各コンテンツで詳しく触れる通り私には到底真面目な議論であるとは思えないこと、から、紹介を割愛しました。また洞富雄氏については、部分紹介が困難な文章であることから、こちらも紹介を割愛しました。

**結果として、6人のうち笠原氏を除く5人が、「保守・右派」の論者ということになっています。その意味で、「偏った」紹介となっていることはご了解ください。

***言うまでもありませんが、以下は、「資料」としての紹介に過ぎません。私自身の見解と大きくかけ離れた記述もありますが、読者の参考とすべく、あえて批判的コメントなしで紹介しています。

****各論者の氏名の横に、引用した本の初版の年を記載しました。従ってこの「年」は、かならずしも各論者がこの文章を発表した年とは一致していません。

 

<目次>

1.板倉由明氏

2.秦郁彦氏

3.笠原十九司氏

4.加登川幸太郎氏

5.畝本正己氏

6.鈴木明氏





●板倉由明氏

板倉由明氏 1999年

 ここでは「支那事変は「侵略」であるが故に、死んだ中国人すべてを「虐殺」とする」考え方は採らない。戦闘中敵を殺すことは合法である。戦争法規は民間人殺害を不法とするが、ゲリラ戦法の普遍化はこの境界を極めて曖昧にしつつある。また、戦意を失い、武器を放棄して逃げる敵を殺すのは「虐殺」という主張もあるが、投降とは違って、逃げるのは再起を期しているからで、武器を補給し、戦意を回復すればまた攻めて来るのは必然であるから、逃げる敵を殺すのは合法である。

 以上によって「虐殺」を不法殺害と定義すれば、捕虜・投降兵と民間人の殺害になるが、当然不可抗力や緊急避難的例外もある。

 南京事件での捕虜・投降兵の不法殺害は、表11(省略)の『南京戦史』の数字中、処断一万六千の中に含まれる。

  民間人に対するものは以上の資料では判らないが、『南京戦史』では第六章第五節では「スマイス調査」により、一般市民の死者、行方不明者一万五千七百六十の数を出している。



 『南京戦史』第六章の検討はここまでになっている。それは、以上両者の合計約三万二千の中に不法殺害がどの程度含まれているか判らないからである。しかし、私としてはもう少し踏み込んで数字を絞りたいと思う。

 前述のように、投降兵・捕虜の殺害は原則として不法だが、状況を勘案すると例外が当然ある。それを考慮して不法を一万六千の二分の一から三分の二とすれば、八千から一万一千となる。

 一般市民については、そもそもスマイス調査が、原因が日中いずれであるかを問わぬ「戦争被害調査」であるから、死者には戦闘の巻添え、中国軍によるもの、日本軍によるものが混合しているものと見て、不法を死者一万六千の三分の一から二分の一とすれば、五千から八千になる。

 以上軍民の合計は一万三千から一万九千である。

  ここで、こういう推計は粗いものの方がむしろ正確という見地から、次のようにランク分けをする。

  0級は0ないし極めて少数。亀蕕楼賈以下(数千)。教蕕楼賈から二万。卦蕕脇麕から五万。元蕕聾泙ら十万。控蕕禄祝から二十万。叉蕕脇鷭祝以上。

  私の数字は教蕕箸覆蝓南京事件における最大の争点、虐殺即ち不法殺害の数は、およそ一万から二万であった、と結論する。

(「本当はこうだった南京事件」P199〜P200)





●秦郁彦氏

秦郁彦氏 1986年

 今となっては南京アトローシティによる正確な被害統計を得ることは、理論的にも実際上も不可能に近く、あえていえば”神のみが知る”であろう。

(中公新書「南京事件」(旧版)P207)


  板倉氏は結論として、「南京で死んだ人の数は一般人(城内+江寧県)一・五万人、兵士三・二万人」で計約五万、うち日本軍による不法殺害は、兵士○・八万、一般人〇・五万、計およそ一・三万人と推定、幅を持たせて一万〜二万人としておけばよい、と述べている。

  筆者としては、スマイス調査(修正)による一般人の死者二・三万、捕らわれてから殺害された兵士三・○万を基数としたい。しかし不法殺害としての割引は、一般人に対してのみ適用(二分の一から三分の二)すべきだと考える。つまり三・○万+一・二万(八千)=三・八〜四・二万という数字なら、中国側も理解するのではないか、と思うのである。

 (同 P214)


 南京事件の解明はなお途上にあり、将来の研究に待つ点が少なくない。思いもよらぬところから、新資料が飛び出してくる可能性は残っている。筆者が約四万人と概算した被害者数も、積み上げ推計に基づいているだけに、新資料の出現で動くことになるかもしれず、あくまで中間的な数字にすぎない。

 (同 P243〜P244)

*ゆう注 「スマイス調査(修正)による一般人の死者二・三万」との語句が見えますが、その「修正」の具体的内容は、この本には見当たりません。この「修正」の根拠、及びこの数字が秦氏の「勘違い」である可能性につき、思考錯誤板に投稿した内容をこちらにまとめておりますので、関心のある方はご参照ください。



 なお秦氏は、その後近著「現代史の光と影」の中で、次のような記述を行っています。大変微妙な表現ですが、「約四万人」から「四〜六万人」に「上方修正」を行っている、とも読めるかもしれません。

秦郁彦氏 1997年

「南京虐殺事件―数の考察」より 

 南京守備軍の兵力については、私は十万(台湾公式戦史、上海派遣軍参謀長の飯沼守少将日記)を採用、うち五万が戦死、三万が捕虜になったあと殺害された(生存捕虜は一万)と推定している。南京戦に従軍した佐々木元勝(上海派遣軍郵便長)が、十二月十五日の日記に「俘虜はおよそ四万二千と私は聞かされている」と書いていることにほぼ符合する。しかし、最近になって、孫宅巍(江蘇省現代史学会)と笠原教授は総兵力を十五万と見つもり、うち八万〜十万が殺害されたと主張している。

 かりに兵士の死亡を十万とし、うち五万が戦死、五万を「不法殺害」として、中国の公式被害数である三十万から十万を差し引くと民間人二十万人が「不法殺害」されたことになり、いかにも不自然である。また民間人二十万人が殺害されたことになると、南京安全区の避難民がほぼ消滅してしまうことになり、これまた不自然であろう。

 三十万を二十万に置きかえても、不自然さはあまり変わらない。兵士の「不法殺害」五万に対し、やはり二倍に当る民間人十万人が殺されたことになるからだ。

 犠牲者数を四〜六万とすれば、この種の矛盾は起きず、むりのない説明が可能である。情報源は明確でないが、中国共産軍の機関誌だった「抗敵報」(付表No.1)も、安全区国際委員会のベーツ博士も、ほぼ同じ数字を計上しているし、すでに述べたように委員会のラーベもヒトラーにあてた報告書で、やや多い五万〜六万(民間人)と推定している。

 東京裁判の判決は、中国検察官が提出した「四十三万」人を採用せず、「二十万以上」としたが、内訳で認めたのは兵士の五万と民間人一万二千、計六万二千人で、差数の十四万人については説明がない。法廷は、証拠力がありそうな上限を六万二千人と判断したのではないか。

 東京裁判でも、松井大将に対する判決のほうは犠牲者数を十万としている。二十万人との食い違いが気になるが、法廷は十万人でも松井を死刑にするためには充分なので、数をつめる必要を認めなかったのかもしれない。

 (「現代史の光と影」P26〜P27)



 さらにその後2007年、秦氏は中公新書『南京事件 増補版』で、今度は「四万の概数は最高限」である、との記述を行いました。

秦郁彦氏 2007年

 南京事件における日本軍の不法行為による犠牲者数は、今となっては「神のみぞ知る」としか言いようがない。とくにスマイス報告以外には手がかりのない民間人(一般人)の計数は、今後も新たな展開は期待できない。秦は本書の初版が出た一九八六年の時点で〇.八万〜一.二万人と試算し、軍人捕虜の不法殺害三.○万に足して、全数を三.八万〜四.二万と推計した。

 それから約二○年後の時点で再推計を試み表10-1のように、戦死者と脱出成功者の計数を入れ替えたが、民間人の不法殺害〇.八万〜一.二万の中間値をとって一.〇万とし、総数を四.○万とした程度のとどまった(表10-2参照)。なお旧版では特記しなかったが、この計数は新史料の出現などを予期し、余裕を持たせたいわば最高限の数字であった。

 この二○年、事情変更をもたらすような新史料は出現せず、今後もなさそうだと見きわめがついたので、あらためて四万の概数は最高限であること、実数はそれをかなり下回るであろうことを付言しておきたい。

 (「南京事件 増補版」P317〜P318)





●笠原十九司氏

笠原十九司氏  1997年

 現在公刊されている日本軍側の資料から、南京攻略戦に参加した各師団がどのくらい中国兵および中国兵とみなされた民間人を、捕虜・投降兵・敗残兵・「便衣兵」として殺戮・処刑したかの累計をこころみたのが表1である。第九師団・第一一四師団・第六師団の各部隊の戦闘詳報や戦中日記の公開がとくに遅れているが、もしも日本軍側の全連隊の戦闘詳報がそろえば、捕虜、敗残兵の被虐殺数(ここには民間人の男子も含まれている)の総数がかなりあきらかになることがわかるだろう。

 もっとも、戦闘詳報の記録はいっぱんに戦果を多く報告する傾向があるから、この数字はあくまで概数として扱うほかはない。それでも、( )をつけなかった虐殺者数は八万人以上となろう。可能性のあった捕虜のほぼ全員殺害を想定すれば、一○万人以上となる。

 わたしは、総数一五万人の防衛軍のうち、約四万人が南京を脱出して再集結し、約二万人が戦闘中に死傷、約一万人が撤退中に逃亡ないし行方不明となり、残り八万余人が捕虜・投降兵・敗残兵の状態で虐殺されたと推定する(「南京防衛戦と中国軍」)。


[概数の資料]中国兵の犠牲者数については、日本と中国の資料から概数は推定できたが、きわめて困難なのが民間人の犠牲者数の推定である。総数を推定する参考になる当時の三つの資料を紹介する。

(1)ラーベの「ヒトラーへの上申書」

  「中国側の申し立てによりますと、十万人の民間人が殺されたとのことですが、これはいくらか多すぎるのではないでしょうか。我々外国人はおよそ五万から六万人とみています」(ラーベ『南京の真実』)。三八年二月二三日にラーベが南京を離れた段階での推定数である。南京城内にいたラーベら外国人には、城外・郊外の広い地域でおこなわれた集団虐殺の多くをまだ知っていない。それでも、難民区国際委員たちが当時の情報を総合して推測した数として参考になろう。

(2)埋葬諸団体の埋葬記録(『中国関係資料編』の第景圈岼簑遼篩魑録」に収録)

 南京の埋葬諸団体が埋葬した遺体記録の合計は一八万八六七四体になる。これは戦死した中国兵の遺体も含まれているし、遺体の埋めなおしなど埋葬作業のダブリの問題もある。しかし、長江に流された死体の数が膨大であったことを考えると、南京攻略戦によってこうむった中国軍民の犠牲の大きさを判断する資料となる。

(3)スマイスの「南京地区における戦争被害 ― 一九三七年十二月〜一九三八年三月 ―都市および「農村調査」

 同調査では、市部(南京城区)では民間人の殺害三二五〇人、拉致されて殺害された可能性の大きい四二〇〇人を算出、さらに城内と城壁周辺の入念な埋葬資料調査から一万二〇〇〇人の民間人が殺害されたとしている。近郊区では四県半の県城をのぞいた農村における被害者数は二万六八七〇人と算出している。

 この調査は、三八年三月段階で自分の家にもどった家族を市部で五〇軒に一軒、農村で一〇軒に一軒の割合でサンプリング調査したものであるから、犠牲の大きかった全滅家族や離散家族は抜けている。それでも、同調査は当時おこなわれた唯一の被害調査であり、犠牲者はまちがいなくこれ以上であったこと、および民間人の犠牲は城区よりも近郊農村の方が多かったという判断材料になる。

以上の犠牲者数についての資料状況と本書で叙述してきた南京事件の全体状況とを総合すれば、南京事件において十数万以上、それも二○万人近いかあるいは それ以上の中国軍民が犠牲になったことが推測される。

 日本側の資料の発掘・公開がさらに進み、中国側において近郊農村部の犠牲者数の記録調査がもっと進展すれば、より実数に迫る数字を推定することが可能となろう。

(岩波新書「南京事件」 P223〜P228)


 なお笠原氏は、「三十万人説」に対して、次のような見解をとっています。

笠原十九司氏 2002年

 中国人の国民的・民族的ファンタジーとしての「三○万人虐殺」という言い方を聞いたならば、中国人は不快になり、あるいは怒るかもしれない。「笠原という、日本の南京大虐殺研究者は中国人の感情の記憶を理解していない」という非難がおそらく起こるであろう。国民的・民族的ファンタジーとは日本語にすると国民的民族的幻想ということになるが、私は三○万人虐殺説はまだ歴史学的には証明できず、幻想に近いと思っている。

(「南京事件と日本人」P214) 


 

●加登川幸太郎氏

 次に紹介するのは、雑誌「偕行」の「証言による南京戦史」最終回に掲載された、加登川氏の見解です。

『偕行』編集部(執筆責任者 加登川幸太郎) 1985年


 結局、不法処理の被害者の数はいくらか

 これは大難題である。この戦史(ゆう注.「証言による南京戦史」)の最後のところで最も難しい問題にぶつかったの感がある。

 この戦史が採用してきた諸資料にはそれぞれの数字がある。だがこれらはもともとが根拠の不明確な、いわば疑わしい数で、その真否の考証も不可能である。その数字をあれこれ操作してみたところで、「ほんとうか」と問いただされても明確に返答し得ない数字になるだけである。

 史料の確からしさの判定は読む人にもよろう。畝本君や従軍将兵の諸氏には、あの南京戦場を走りまわった体験から、そこに起こりうる事象の大きさについての個人的感触を持っている。巷間喧伝される数字がいかに大きくとも、そんな膨大な数があの狭い場所でと、納得できないところがあるのである。ここにこの推定集計の難しさある。だがなにがしかの答えは出さざるを得まい。

 まず、畝本君の判決である。

<参戦者の証言資料によれば不法に殺害したとされる事案に多くの疑問があるが、今日においてその真偽を究明することは不可能である。況んや広い戦場において「虐殺か否か」を一々分別し、虐殺数を集計することなど今においては不可能事である。

 人はよく質問する。「虐殺の真数はいくらか」と。

 「ある程度は推定し得るが、真相はわからない。強いていえば、不確定要素はあるが、虐殺の疑いのあるものは三千乃六千内外ではあるまいか」、と私は答えるしかない。

 三千はもとより六千とは途方もない数字である。

 何処で何時不法処理が行われたろうかの事例は前号までの戦史で述べた。第十三師団の幕府山付近、第十六師団の下関付近、第九師団の城内掃蕩、第十六師団関係城内敗残兵摘出、その他各師団の掃蕩など、事例は、判明している限りを明記した。読者諸君それぞれに推定し、そして集計することが可能なはずである。

 そしてこの同じ史料を使用して推測した別の集計がわれわれ編集部の手許にある。板倉由明氏の集計されたものである。

 同氏は、捕虜になってから殺害された者の数を全師団正面で一万六千と算定し、その内半数の八千を不法に殺害されたものと推定する。そして一般人の戦争による死亡を城内、城外で約一万五千(スミス調査である)として、その内不法に殺害された数を三分の一の五千と算定した(これらの算定を畝本君は過大ではなかろうかとするところに両者の違いが出てくるわけである)。

 従って南京の不法殺害は計一万三千人である。板倉氏はこれが「現時点での」推定概数であるとする。これまた、途方もなく大きな数字である。

 畝本君の三千乃六千、板倉氏の一万三千、共に両氏それぞれの推定概数であって、当編集部としてこれに異論を立てる余地は何もない。これを併記して本稿の結論とする。


 中国国民に深く詫びる

 重ねて言う。一万三千人はもちろん、少なくとも三千人とは途方もなく大きな数である。

 日本軍が「シロ」ではないのだと覚悟しつつも、この戦史の修史作業を始めてきたわれわれだが、この膨大な数字を前にしては暗然たらざるを得ない。戦場の実相がいかようであれ、戦場心理がどうであろうが、この大量の不法処理には弁解の言葉はない。

 旧日本軍の縁につながる者として、中国人民に深く詫びるしかない。まことに相すまぬ、むごいことであった。

(「証言による南京戦史」(最終回) <その総括的考察> = 「偕行」1985年3月号 P17〜P18) 
 

*この加登川氏の「お詫び」に対して、田中正明氏は、「「偕行」編集部は「詫びたのは加登川個人である」と言いのがれた」との「暴論」を述べています。 詳しくは、コンテンツ「偕行」の「お詫び」をご覧下さい。




●畝本正己氏

 ここに言う畝本氏の「三千乃六千」の根拠は、「偕行」1985年5月号に掲載されています。

 私見ではこの数は、「証言による南京戦史」で証言が得られたものについてのみしかカウントしていない、「スマイス調査」の結果に触れていない等、明らかに過少であると思われますが、氏が「どこまでを含めてどこからを除いているのか」を見る上で大変興味深いものですので、そのまま紹介します。

畝本正己氏 1985年

 私の結論は3月号記述のとおり、「ホントウの数は解らない。強いて言えば、不確定要素はあるが、不法処理の疑いのあるものは三千〜六千」と推定した。その根拠を述べる。


(1)歩兵第七聯隊が15、16日、難民区掃蕩の際、潜んでいた敗残兵約千名を下関で銃殺したという証言(便衣兵であれば不法殺害とは断定できないが)。

(2)佐々木元勝氏、住谷盤根氏の証言。

  ―12月16日、下関埠頭で約二千名銃殺。これは泰山弘道氏(第三艦隊軍医大佐)が17日朝、下関の江岸一帯で目撃した中国兵の死体と同じものと推定される。この(1)、(2)は重複したものかも知れないし、収容した正式の捕虜の殺害か、敗残兵・便衣兵の殺害か、判別できない。虐殺とは断定できないが、不法処理の疑いが濃い。

(3)石松政敏氏、松川晴策氏の証言。

 下関埠頭で15〜16日、便衣兵(捕虜)の処分。―便衣兵の処分か、捕虜の殺害か判別できないが、昼間と推定されるので(1)、(2)とは別のものであろう。昼間の処分であるから、便衣兵処分の公算が大きいが、その数は不明であるが、処分方法からみて、数百と推定される。

 以上を集計すれば、不法処理の疑いのあるもの約三千となるが、虐殺と断定はできない。

(4)歩三三戦闘詳報にある「14日、捕虜三〇九六の処断」。これは記述のとおり、平井氏、堤氏は強く否定された。しかし、捕虜と記しているので、正式に収容したものと考えざるを得ない。その数は、当時の戦果報告が誇大であったことは確実であるから、約三分の一と推定すれば、約千名内外が殺害されたのではあるまいか。

(5)各師団の個別的処分数の推定。

 第六、第百十四、第九、第十六師団、各五百名として約二千名。

 これは根拠はなく、まったくの推定に過ぎない。第一線部隊とすれば、戦闘行為の継続と考えていたのかも知れないが。

(6)その他、城内、城外敗残兵の掃蕩

 下関を含む各所で処分しているが、これは、不法行為とは断定できない。

(「偕行」1985年5月号 P8)

 


 本題から離れますが、この畝本氏の文に続けて、「編集部から」の文が掲載されています。興味深い記述ですので、あわせて紹介します。

「証言の重さ」について

編集委員 細木重辰


(略)

 初陣であられた畝本氏が南京戦における国軍の潔白を信じ、それを証明したいと念じられたのは、私自身の乏しい戦場体験に照らしても当然です。その立論の根拠はまずご自身の実戦体験であり、その動機は戦後数十年を閲して突然にして報道されたかの莫々大な「数字」です。

 ところが私どもにとって最も衝撃であったのは探索のすえ歩兵第三十三聯隊の戦闘詳報のちぎれ残った紙片の中から初めて「俘虜ハ処断ス」の文字を見出したときで、その時に畝本氏が洩らされた苦渋に満ちた「困った」の一言はよく覚えております。これは一面、氏の誠実さを物語るものでありますが、私どもも一次資料のその重さ、怖さを身にしみて感じました。

 その後、お読みのように甚だ遺憾な証言・書証が多く発掘されてきたのですが、「南京で何が行われたか」を明らかにするという自らに課した編集態度は、どんなにつらくてもくずすわけにはまいりません。

(以下略)

(「偕行」1985年5月号 P8〜P9)
 


 


●鈴木明氏

  「まぼろし派」の語源ともなった鈴木明氏の見解も、ここに紹介します。実際に氏の著作を読むと、氏は、必ずしも「南京虐殺は存在しない」という立場をとっていないことがわかります。

鈴木明氏 1973年

 そしていま、もし請われて、僕がどうしても「南京事件」について記述しなければならないとしたら、僕はおそらく、次の数行だけを書いて筆を止めるだろう。

「[南京事件] 昭和十二年十二月、日本軍が国民政府の首都南京を攻め落とした時に起きた。この時、中国側に、軍民合わせて数万人の犠牲者が出たと推定されるが、その伝えられ方が当初からあまりに政治的であったため、真実が埋もれ、今日に至るもまだ、事件の真相はだれにも知らされていない・・・」

(「「南京大虐殺」のまぼろし」P268) 

鈴木明氏 1999年

王氏は

「それでは、貴方は”南京大虐殺”はなかった、と思っているのか」

と、すぐに聞き返した。

これは、予期していたことだったので、一字一字ゆっくりとわかるように、こう答えた。

「”幻”という字が、中国では”虚”という字につながっていることは、僕も知っています。(中略)”まぼろし”という日本語は、日本の古語にある ”真秀ろば” (まほろば)という意味もあり、これは”すぐれた国土”という意味です。現在日本人が使っている ”まぼろし” には、 ”虚” ”実” ”秀” などのさまざまな漢字のほかに、つかもう、と思ってもつかむことの出来ない憧れのような意味もあり、この極めて日本的、また情緒的な題名を正確に中国語に訳すのは、多分不可能であると思います。

だから、いま王先生が質問した”あったか、なかったか?”という答えに、僕の本は何も答えてはいません

(「新「南京大虐殺」のまぼろし」P30〜P31) 



 最後に、外務省のホームページより、日本の外務省がどのような「公式見解」を持っているか、を確認しておきます。

歴史問題Q&A

問6 「南京大虐殺」に対して、日本政府はどのように考えていますか。

1日本政府としては、日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています。しかしながら、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難であると考えています。

2先の大戦における行いに対する、痛切な反省と共に、心からのお詫びの気持ちは、戦後の歴代内閣が、一貫して持ち続けてきたものです。そうした気持ちが、戦後50年に当たり、村山談話で表明され、さらに、戦後60年を機に出された小泉談話においても、そのお詫びの気持ちは、引き継がれてきました。

3こうした歴代内閣が表明した気持ちを、揺るぎないものとして、引き継いでいきます。そのことを、2015年8月14日の内閣総理大臣談話の中で明確にしました。

(2015.9.21更新)




2012.4.8 追記

 これも「人数」に関するものではありませんが、「日中歴史共同研究」の座長、北岡伸一氏の見解を紹介します。氏の見解は、「歴史学会」の標準的なものである、と考えられるかもしれません。


北岡伸一『「日中歴史共同研究」を振り返る』より


南京事件をめぐって

 南京事件について、日本軍の虐殺を認めたのはけしからんという批判がある。

 先述した通り、共同研究では南京事件にとくに時間をさいて議論してはいない。よく報告書を読んでもらえればわかるが、日本側は、日本側には犠牲音数について諸説あるということを紹介しているだけである。

 ただ、虐殺がなかったという説は受け入れられない

 日本の近代史の研究者の中で、南京で相当数の不法な殺人・暴行があったということを認めない人はほとんどいない。それは、戦前から日本の内部でも不祥事として割合知られていた。中国国民党が宣伝に利用したことは確かだが、だから虐殺がなかったということにはならない。

 実際、多くの部隊の記録に、捕虜の「処分」に関する記述がある。「処分」のすべてではないにせよ、相当部分は処刑である。捕虜に対しては人道的な対応をするのが国際法の義務であって、軽微な不服従程度で殺してよいなどということはありえない

 便衣隊についても、本来は兵士は軍服を着たまま降伏すべきであるが、軍服を脱いで民衆に紛れようとしたから殺してもよいというのは、とんでもない論理の飛躍である

 どの国でも最も愛国主義的な団体は、在郷軍人会など元軍人の組織である。日本陸軍では偕行社がそれであるが、偕行社は南京で調査を行ない、周囲からの強烈な批判にもかかわらず、虐殺があったと認定している(『南京戦史』)。(P235-P236)

 こうした不快な事実を直視する知的勇気こそが、日本の誇りなのであって、過去の非行を認めないのは、恥ずかしいことだと思う。

 また、われわれは報告書において、南京事件は主として日本に責任はあるが、中国側の対応にも問題があったことを指摘している。

 蒋介石は勝てるはずがないと知りながら南京防衛を決意し、かつ、南京戦の前に南京を脱出している。唐生智という南京防衛を担当した将軍も直前に脱出している。

 ふつう軍隊は勝てなくなったら降伏する。そうすると指揮官は軍法会議で死刑になるかもしれないが、兵士は助かる。それが戦闘のマナーなのであって、そういうことをしないで指揮官が脱出するという無責任な行動をとったことが大きな虐殺を引き起こした一因であることを明記した。中国側がよく受け入れたと思う。

 全体として中国側の出席者にはあまり柔軟な姿勢はみられなかったが、それでもこの点などは変化の兆しなのかもしれない。歴史家の秦郁彦氏が新聞紙上で同様に中国側の柔軟化について言及しているが(「産経新聞」二〇一〇年二月一日)、さすがは昭和史研究の第一人者だと感じた次第である。(P236)

(『戦争を知らない国民のための日中歴史認識』所収)


(2003.3.8記。 2003.6.29 秦氏の見解につき追記。 2003.8.24 畝本氏の見解につき追記。2005.8.14外務省の見解につき追記。2007.7.29 秦氏の見解につき追記。2012.4.8 北岡氏の見解につき追記)


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