昭和12年12月17日(第11面)
戦火に割かれて三月 夫君の消息に”奇遇”
◇本社の南京特電に感謝するベーツ博士夫人
既報、本社の若梅、村上両特派員が十五日朝南京鼓楼にある金陵大学を訪れた際会見した同大学教授M・S・ベーツ博士(四○)はその談話中に「妻子は東京に在る」といふことであつたが、その夫人と愛息は友人の世田谷区上北沢ニの四七五米国宣教師ミス・トラウト方に寄寓し、戦線の南京に留まって避難民の救助に献身的な努力を続けてゐる夫君の身を案じてゐたところ、博士と本社特派員の会見記の出たのを見て非常に喜んでゐる。十六日午後同夫人を寄寓先に訪ふとベーツ夫人(三六)は満面に喜びと安堵の色を浮べて次男ロバート君(九ツ)と共に記者の手をとらんばかりに応接間に招じ喜びの言葉を矢つぎ早に語るのだった。
ほんとうに安心しました。御社の若梅、村上両特派員のお蔭で三ヶ月ぶりに元気な様子を知り今までの心配が一度にスーッと消し飛んでしまひました。去る六月下旬夫とロバートと三人で仕事の用務をかねて野尻湖に避暑に参りましたが、今度の事変のため、夫だけ九月中旬南京に帰り、私共はトラウトさん方に御世話になつてゐます、その後戦線が拡大し正義日本軍の勝利は一歩一歩確実になつて行きましたが、これと同時に夫からの便りは全然絶え私からいくら手紙を出しても何の返事もなく、それこそどんなに心配したことでせう、殊に数日前米艦パネー号事件が伝へられた時は「もしや夫が乗り込んではゐなかつたらうか」とここ数日間は食物も喉を通りませんでした。米国大使館に調査を頼みましたが詳細がわからずスツカリあきらめてゐた時、御社の特電で非常に元気に活躍してゐることを知りました。私ども母子の喜びを御想像下さい・・・・ほんとうに有りがとう御座いました、若梅、村上両氏にくれぐれもよくお礼を申上げて下さい。早速私も夫に通知し厚くお礼を申させます
と嬉し涙を浮べて語ると、ロバート君も上手な日本語で『ドウモ、アリガトウゴザイマシタ』と可愛い金髪の頭を下げて記者の手をしつかり握つた
ベーツ博士は北米オハイオ州ハイラム大学を卒業、ロード・スカラーシップを得て英国オツクスフオードに学び更に帰米後エール、ハーヴアド両大学を卒業、支那に渡り爾来十七年間金陵大学で歴史と国際事情を教授する傍ら日支親善のため活躍を続けてゐる親日家で今回の南京陥落の際には避難民のため安全地帯設置委員として身の危険を忘れて活動した在南京外人の恩人である。しかも親日家の同博士は数年前から長男モルトン君(一ニ)を神戸のカナデイアン・アカデミーに遊学させ真の日本の姿を学ばせてゐる。
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