続・「安全区外」の残留住民
「マギー牧師の解説書」より ー 続・安全区外の残留住民


 「マギー牧師の解説書」には、いわゆる「マギーフィルム」に撮影された被害者の証言が収録されています。

 その中には、「安全区」の外である、「城内南部」の被害証言も、いくつか存在します。安全区外に残留住民が存在していたことの傍証ともなると思いますので、ここに紹介します。
*「ゆう」注 本コンテンツの内容は、「安全区外の残留住民」の補足ですが、長文となりますので、今回追加分は別コンテンツとしました。


2005.4.17 「マギー牧師の解説書」全文につき、こちらにアップしました。

 


 まず、「安全区外」の被害状況についての、マギー牧師の認識からです。

「マギー牧師の解説書」より(1)

 

(中略)

 忘れてはならぬことだが、何千人の負傷者のうち、病院に運ばれたり、連絡がついたものは、ほんの数パーセントにすぎない。地方の田舎町や小都市では、何千、何万の人々が暴行され殺されたが、 そこには外国人の目が届いていない。もっとも、真実を語る彼らの言葉がときおり寄せられてはいるのだが。

(「ドイツ外交官の見た南京事件」 P167)


 以下の事例は、いずれも安全地帯の外である「城内南部」での事件です。この地区が「無人」どころか、相当数の「被害者」を出した現場であったことを伺わせます。

「マギー牧師の解説書」より(2)

 フィルム三

(七)この男性の家は南門の内側にあった。日本兵が一二月一三日にやってきたとき、かれらはこの男性の二人の兄弟を殺害し、かれの胸を銃剣で刺した。かれは一二月一七日になってようやく病院に運ばれた。 この映像は診療所で撮影されたものである。かれは胸をゴロゴロ鳴らしていたが、おそらくもう亡くなっているであろう。

(「ドイツ外交官の見た南京事件」 P171)


「マギー牧師の解説書」より(3)

 フィルム三

(八)この女性は光華門の内側に、夫と年老いた父親、そして幼い五歳の子どもといっしょに住んでいた。日本兵が城内に入ったとき、かれらはこの家に押し入り、食べ物を要求した。 かれらはこの女性と夫に出てくるように怒鳴った。夫がそうすると、かれらは夫を銃剣で刺した。彼女が怖がって出ないでいると、一人の兵士が部屋に入り、彼女の腕を撃ち抜き、その銃弾が偶然にも幼子の命を奪った。

(「ドイツ外交官の見た南京事件」 P172)


「マギー牧師の解説書」より(4)

 フィルム四

(ニと三)仏教徒の尼僧と幼い修行尼僧(八、九歳)の事件

 この少女は事件後、数週間熱を出していたにもかかわらず、背中を銃剣で刺された。おとなの尼僧は、銃弾の傷が原因で腰の左側を複雑骨折し、傷は拡大性の感染症に発展した。回復は疑わしい。 もし回復しても、歩けるようになるにはきわめて特殊な手術が必要となろう。

 彼女と他の何人かの尼僧は、城内南部のある寺院の裏の建物に住んでいた。日本軍は城内に侵入して、この付近の住民を大量に殺した。彼女を病院へ運んだ仕立屋の推定によると、およそ二五名の死者が出た。

 そのなかには六五歳になるこの尼僧院の「マザー院長」と六、七歳の幼い修行尼僧の姿もあった。日本兵は、このフィルムが映し出すように、尼僧と幼い修行尼僧に傷を負わせた。

 彼女たちは待避壕のなかに避難し、五、六日間、飲まず食わずで過ごした。待避壕には多数の死体があり、六八歳の老尼僧が死体の重さで圧死、あるいは窒息死した。

 五日後、この負傷した尼僧は、ある(日本の)兵士が中国語で「何とかわいそうに」と言う声を聞いた。彼女は即座に目を開けて、その男に助命を請うた。 かれは彼女を待避壕から引きずり出し、何人かの中国人に、彼女を軍の仮手当所へ運ばせ、そこで軍医が手当てを行った。

 最終的に彼女は近所の人の手で鼓楼病院へ運ばれた。

(「ドイツ外交官の見た南京事件」 P174)


 
「マギー牧師の解説書」より(5)

 フィルム四

(九) 一二月一三日、約三〇人の兵士が、南京の南東部にある新路口五番地の中国人の家にやってきて、なかに入れろと要求した。 戸は馬というイスラム教徒の家主によって開けられた。兵士はただちにかれを拳銃で撃ち殺し、馬が死んだ後、兵士の前に跪いて他の者を殺さないように懇願した夏氏も撃ち殺した。 馬夫人がどうして夫を殺したのか問うと、かれらは彼女も撃ち殺した

 夏夫人は、一歳になる自分の赤ん坊と客広間のテーブルの下に隠れていたが、そこから引きずり出された。彼女は、一人か、あるいは複数の男によって着衣を剥がされ強姦された後、胸を銃剣で刺され、膣に瓶を押し込まれた。 赤ん坊は銃剣で刺殺された。

 何人かの兵士が隣の部屋に踏み込むと、そこには夏夫人の七六歳と七四歳になる両親と、一六歳と一四歳になる二人の娘がいた。かれらが少女を強姦しようとしたので、祖母は彼女たちを守ろうとした。 兵士は祖母を拳銃で撃ち殺した。妻の死体にしがみついた祖父も殺された。二人の少女は服を脱がされ、年上の方がニ、三人に、年下の方が三人に強姦された。その後、 年上の少女は刺殺され膣に杖が押し込まれた。年下の少女も銃剣で突かれたが、姉と母に加えられたようなひどい仕打ちは免れた。

 さらに兵士たちは、部屋にいたもう一人の七、八歳になる妹を銃剣で刺した。この家で最後の殺人の犠牲者は、四歳と二歳になる馬氏の二人の子どもであった。年上の方は銃剣で刺され、年下の方は刀で頭を切り裂かれた。

 傷を負った八歳の少女は、母の死体が横たわる隣の部屋まで這って行った。彼女は、逃げて無事だった四歳の妹と一四日間そこに居続けた。二人の子どもは、ふやけた米と、米を炊いたとき鍋についたコゲを食べて暮らした。

 撮影者は、この八歳の子から話の部分部分を聞き出し、いくつか細かな点で近所の人や親戚の話と照合し、修正した。この子が言うには、兵士たちは毎日やってきて、家から物を持って行ったが、二人の子どもは古シーツの下に隠れていたので発見されなかった。

 このような恐ろしいことが起こり始めると、近所の人はみな、難民区に避難した。一四日後、フィルムに映った老女が近所に戻り、二人の子どもを見つけた。 彼女が撮影者[の私]を、死体が後に持ち去られた広々とした場所へ案内してくれた。

 彼女と夏氏の兄、さらには八歳の少女に問いただすことによって、この惨劇に関する明確な知識が得られた。このフィルムは、同じころに殺害された人の屍の群に横たわる一六歳と一四歳の少女の死体を映し出している。夏夫人と彼女の赤ん坊は最後に映し出される。

(訳注)当時八歳で奇跡的に生き残った夏姓の少女は、夏淑琴といい、七一歳(二〇〇一年一月現在)で南京に存命中である。 二〇〇一年一一月、彼女を「ニセ証人」と記述した、東中野修道『「南京虐殺」の徹底検証』(展転社)と松村俊夫『「南京虐殺」への大疑問』(同前)にたいして名誉毀損の訴訟を中国でおこした。

 
(「ドイツ外交官の見た南京事件」 P177-P178)

 (2003.8.2)


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