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安全区は天国? |
| 「第五の論拠 難民区は安泰、感謝の書簡」より
日本を憎悪していたマギー牧師でさえ「安全区は難民たちの“天国”だったかも知れない」(秦郁彦著『南京事件』84ページ)といい、スミス博士も調査報告書の中で「難民区内には火災もなく平穏であった」「住民のほとんどはここに集まっていた」と述べている。 (「南京事件の総括」P177) |
このソースを調べてみましょう。その直接の引用元である、秦氏「南京事件」の記述です。
さて、この「マギー発言」のソースは、実は次の文章でした。
秦郁彦氏「南京事件」(中公新書)より 水道は十二月十日、電気は十一日、電話は陥落の当日まで稼動していたので、マギー牧師が言うように、安全区は難民たちの「天国」だったかも知れない。そのせいか、戦火を避けて流入してくる難民の数は激増した。
(秦郁彦氏「南京事件」P84)
| ティンパーリ「戦争とは何か」
・・・それで、十二日の日曜日に日本軍が入城を開始する直前までは、称賛すべきほどの秩序が維持されていました。食料を求める兵士たちのちょっとした例外を除いて略奪はありませんでした。全市の外国人の財産は尊重されていました。水道は十日まで、電気はその翌日まできていたし、電話は事実上、日本軍の南京入城当日まで通じていました。われわれはいちども、深刻な危機感は感じませんでした。というのは、日本軍は安全区への爆弾投下や砲撃を避けているように思われたからです。日本軍が来てからの地獄にくらべれば、南京は秩序と安全の天国でした。 (「南京大残虐事件資料集」第2巻 P28) |
日本軍が来たら、「地獄」になってしまいました。秦氏の引用は正確ですが、田中氏の文章とは、正反対の意味になります。「一次資料」に当たらず、他人の引用文だけで議論を組み立てるとこういうことが起きる、という見本です。
なお、「資料集」の編者である洞氏は、当初これを「書簡の筆者をマギー師と推定」しましたが、板倉由明氏が、その後これは「フィッチ師」の筆になるものだ、という指摘を行いました(「資料集」P25訳註)。秦氏のこの本では、筆者名は未修正のままです。
(以上、渡辺さんのご教授によりました)
さらに、「スマイス報告」には、田中氏が引用する文言は見当たりません。最も近い文言は、これでしょうか。
| 南京地区における戦争被害
調査の記述によれば建物総数のわずか四パーセントがあるだけであり、また城内総面積のおよそ八分の一にすぎなかった地域に、市の陥落以来、一四週もたった後でも、住民の四三パーセントが住んでいたのである。こうした事実は、ある種の群衆心理と、多少でも安全性があれば喜んで代償を払うという気持を示している。安全区内では事実上焼失が一軒もなかったことはさらに有利なことで、安全区は、日本軍当局によって公認されなかったとしても、外部の破壊と暴行に比べれば、全体として優遇措置がとられていたことを示している。 (「南京大残虐事件資料集」第2巻 P219〜P220) |
引用の不正確さはさておくとしても、田中氏は、スマイス報告に言う「外部の破壊と暴行」を、無視しています。詳しくは、「南京の「治安」は回復したか?」をご覧下さい。
2003.8.11 追記
余談ですが、東中野修道氏の引用文献は、「引用」が歪められていることがあるにしても、すべて指定の資料から「引用元」が発見できます。しかし田中氏の場合、「引用元」が発見できないことが非常に多いのです。田中氏の引用文献を議論に使う方は、ぜひともご注意すべきところでしょう。
なお、これは私だけの「感想」ではないようで、洞富雄氏「南京大虐殺の証明」でも、田中氏の「引用元」が発見できなかった事例が、多数報告されています。
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