
| コミンテルンは「戦争」を指示したか? コミンテルン第六回大会決議をめぐって |
さて、三田村武夫『大東亜戦争とスターリンの謀略』では、尾崎秀美を中心とするグループが、「戦争を煽れ」とのコミンテルンの意を受けて、「日中和平交渉」を潰したことになっています。しかしその一方、戦前、現実の日本共産党が、一貫して「戦争反対」の立場をとっていたことは、あまりにも有名です。
この矛盾を一体どう捉えたらいいのか。本コンテンツでは、三田村の記述を確認しながら、一体コミンテルンが、実際にはどのような方針を持っていたのか、ということを見ていきたいと思います。
まずは、三田村の記述を確認しましょう。三田村は、コミンテルン第六回大会の決議を要約し、これをコミンテルンの「戦争奨励」方針の根拠としてみせます。
| 三田村武夫『大東亜戦争とスターリンの謀略』より
コミンテルン第六回大会の決議 |
この種の文章の類に洩れず、やや生硬で読みにくいものになっていますが、三田村はこの文章をこのように「解説」します。
| 三田村武夫『大東亜戦争とスターリンの謀略』より
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コミンテルンが「戦争」を「奨励し推進」する立場をとっている。しかし現実の戦前日本共産党は、「戦争反対」の立場を貫いていた。― 読者の方も、どうなっているのか、と首を捻ってしまうかもしれません。
しかしよく読み返すと、三田村が要約した「コミンテルン決議」の文章の中には、「奨励し推進し」との文字は見えません。この部分は、三田村の「作文」であったのかどうか。大月書店刊『コミンテルン資料集』第4巻により、決議録を確認してみましょう。
*決議録の全文は、こちらに掲載しました。
コミンテルン第六回大会決議 帝国主義戦争に反対する闘争と共産主義者の任務(テーゼ)
ただしものすごい大長文ですので、ご注意ください。
さて、一見して気がつくのは、そもそも題名からして三田村の紹介とは違うということです。上の三田村による要約をもう一度ご覧いただきましょう。
| 三田村武夫『大東亜戦争とスターリンの謀略』より
コミンテルン第六回大会の決議 |
ところが、『コミンテルン資料集』に掲載されている題名は、こうです。
| 大月書店『コミンテルン資料集』第4巻 目次
共産主義インタナショナル第六回大会(1928.7.17〜9.1) <資料51〜57> |
なぜか三田村の紹介では、「(帝国主義戦争に)反対する」の語句が、すっぽりと抜け落ちています。つまり実際の題名では、コミンテルンは戦争を「奨励し推進」するどころか、明確に「反対する」ことを指示しているわけです。
原文がわかりませんので三田村が意図的に落としたものであるかどうかの断定は避けますが、もし意図的だとすれば、かなり悪質なトリミングです。
実際に「決議」文を見ていきましょう。すると、こんな一節に突き当ります。
| 帝国主義戦争に反対する闘争と共産主義者の任務 A プロレタリアートは帝国主義戦争に反対してたたかう 1 帝国主義戦争の勃発前における帝国主義戦争反対の闘争 (一一) 帝国主義戦争に反対する共産主義者の闘争は、あらゆる色合いの平和主義者の「戦争反対の闘争」とは根本的に異なっている。(P379-P380) 共産主義者は、戦争に反対する闘争を、階級闘争から切り離して考えることをせず、それを、ブルジョアジーの打倒をめざすプロレタリアートの一般的階級闘争の一部分とみなしている。 共産主義者は、ブルジョアジーが支配しているかぎり、帝国主義戦争は避けられないことを、知っている。 この客観的な発展傾向の確認から、ある者は、そうだとすれは、ことさらに戦争に反対する闘争をおこなっても無意味だ、という結論を引きだすことだろう。そればかりか、社会民主主義者は、共産主義者が革命の到来を早める目的で帝国主義戦争をあおっていると言って、非難することさえやっている。 前者は誤りであり、後者はばかげた中傷である。共産主義者は、帝国主義戦争が避けられないことを確信しているとはいえ、この戦争のために苛酷きわまる犠牲を強いられる労働者大衆とすべての勤労者との利益のために、全力をあげて帝国主義戦争に反対し、プロレタリア革命によって戦争を予防するために、ねばりづよくたたかうのである。 この闘争においては、共産主義者は、戦争の勃発そのものを防止できなかった場合には、すでに開始された戦争をブルジョアジー打倒のための内乱に転化することができるように、大衆を自己の周囲に結集するのである。(P380) |
明確に、「帝国主義戦争」に反対する旨が指示されています。戦前の日本共産党の「戦争反対」方針も、この指示に沿ったものである、と言えるでしょう。
ただしコミンテルンの方針は、必ずしもわかりやすいものではありません。「戦争反対」を唱える一方で、「帝国主義戦争」は資本主義社会の必然であると認識し、「戦争」が起ったら、「帝国主義戦争の内乱への転化」のスローガンのもと、その機に乗じて「自国政府の敗北を助成」し、一気に「暴力革命」を成し遂げよう、というのですから。
また、「帝国主義戦争」に反対しながら、同時に、「社会民主主義者」などの「二度と戦争を起こさせるな」「戦争のボイコット」というような「大言壮語」と戦え(上の引用に続く(一三)部分)、という指示に至っては、一体どうすればいいのか。現場でも少なからず混乱があったのではないでしょうか。
だいたい、共産主義者たちの「戦争反対」運動の結果、いつまでも「帝国主義戦争」が起きなかったらどうするのか。「戦争反対運動が革命を阻害する」という、おかしなことになってしまいかねません。
まあそのあたりの矛盾は、当時の「共産主義者」たちに悩んでもらえばいい話であり、今日の我々の関知するところではないのかもしれませんが。
このあたりの「わかりにくさ」を逆手にとって、コミンテルンの方針を自己流に解釈し、むりやり「コミンテルンは帝国主義戦争を奨励し推進している」ということにしてしまったのが、三田村の論だ、と言えるのかもしれません。
実際にコミンテルンが「帝国主義戦争」にどのようなスタンスをとっていたのか、についての断定は、ここでは避けます。ひょっとすると、ソ連の利益になることでしたら、「帝国主義国同士の戦争を歓迎する」ムードは、あったのかもしれません。
しかし、少なくとも「第六回大会決議」を、コミンテルンが戦争を煽る陰謀を行っていたことの根拠とすることは、到底できない、ということは言えるでしょう。
(2010.8.28)
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