731部隊(Ⅰ)  人体実験、これだけの根拠(1)
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<731部隊 目次>

1.人体実験、これだけの根拠(1) 米国側資料 .侫Д襦Ε譽檗璽・・・本稿
2.人体実験、これだけの根拠(2) 米国側資料◆.劵襦Ε譽檗璽函▲瀬哀ΕДな現
3.人体実験、これだけの根拠(3) 部隊関係者の論文群
4.人体実験、これだけの根拠(4) 陸軍幹部らの証言
5.人体実験、これだけの根拠(5)「擁護」側からの証言
6.細菌戦 これだけの根拠 二つの公的資料 金子論文、井本日誌
7.「細菌戦」の諸相・・・未定稿
8.吉村班 「凍傷」の研究
9.731部隊と「戦犯免責」
10.安達(アンダー)野外実験場にて・・・未定稿
11.終戦時、マルタの処理・・・未定稿
12.中川八洋氏の論稿をめぐって(1)

13.中川八洋氏の論稿をめぐって(2)


<731部隊 ネットで見かけたトンデモ議論>

1.ネットで見かけたトンデモ議論(1)「マルタ」は日本人?  −「Qレポート」をめぐって−
2.ネットで見かけたトンデモ議論(2)「破傷風毒素並芽胞接種時に於ける筋『クロナキシー』に就て」
3.ネットで見かけたトンデモ議論(3)「少年隊」は存在しない?
4.ネットで見かけたトンデモ議論(4)「きい弾(マスタードガス)」の実験
5.ネットで見かけたトンデモ議論(5)「井本熊男業務日誌」をめぐって
(6〜9は今後執筆予定)
10. ネットで見かけたトンデモ議論(10) 2007年、米国立公文書館の文書公開




 「731部隊」をめぐる研究は、1980年代以降、多くの新資料や新証言などを得て、飛躍的に発展してきました。少なくとも「人体実験」「細菌戦実施」の二大テーマに関しては、「南京」などと異なり、論壇で「否定論」が聞かれることはほとんど皆無、と言っていいでしょう。
※数少ない例外の一つが、中川八洋氏の論稿『「悪魔の飽食」は旧ソ連のプロパガンダだった』(『正論』2002年11月号掲載)です。その「希少価値」のためか、ネット右派からは一定の人気を集めていますが、中川氏自身「731」に関する知識は乏しいものでしかなく、その内容は「ハチャメチャ」としか評価のしようがないものです。中川論稿については、別途独立した記事で取り上げています。(中川八洋氏の論稿をめぐって(1)
 しかしネットの世界では、素人の思い付きレベルの「否定論」が流布され、それを鵜呑みにする向きも根強く残っています。ちょっと調べれば、重層的に積み上げられた資料群の中に「否定論」の余地など存在しないことはすぐにわかるのですが。

 以下、「人体実験」「細菌戦」についての「根拠」を、解説していきたいと思います。



 ネットでは、「731部隊に関する10万ページの米国公文書館文書の公開により、731部隊の「人体実験」「細菌戦」は全くのウソであることがわかった」なる、明らかに事実に反する書き込みをよく見かけます。そこであえて、ここでは最初に米国側資料を取り上げましょう。



 戦後まもない1945年から47年にかけて、米軍の細菌戦調査官が、四次にわたって日本に派遣されました。その結果は、それぞれの調査官の名をとった、「サンダースレポート」「トンプソンレポート」「フェルレポート」「ヒルレポート」と呼ばれる4本のレポート群にまとめられています。

 いずれも作成当時は「極秘」扱いで、これらのレポートの存在が知られるのは、情報公開法により「公開」扱いとなった、1980年代のことでした。

 そのうち「人体実験」に言及しているのは、第三次のノーバート・H・フェル、及び第四次のエドウィン・ヒルです。それぞれ、731部隊及び周辺部隊に関係した研究者から多量の情報を得て、部隊の「研究」の実態を浮き彫りにしています。

 まず、「フェル・レポート」から見ていきましょう。




 よくある誤解 フェルはソ連のスパイ?

 ノーバート・フェル博士は1947年4月に来日。2ヶ月間の調査を経て、同年6月に報告書をまとめました。その内容を見る前に、「よくある誤解」について触れておきましょう。

 ネットではよく、フェルを「ソ連のスパイ」とする書き込みを見かけます。どうやら、ソ連がフェルを使って「731」の「戦争犯罪」をでっち上げた、と言いたいようです。
※この珍論は、冒頭の但し書きで言及した、中川八洋氏『「悪魔の飽食」は旧ソ連のプロパガンダだった』(『正論』2002年11月号掲載)をベースとしてます。念のためですが、「フェル・レポート」の史料価値を否定する論稿はこの中川論稿がほとんど唯一のものであり、右派論壇からさえ、これに追随する動きはありません。なおこの論稿でも、フェルを「スパイ」とする具体的根拠は全く示されておらず、この中川氏ですら「事実」とは断言できず、「仮説」扱いにとどめています。詳しくは、「中川八洋氏の論稿をめぐって(1)」をご覧ください。

 この「珍説」を唱える方は、間違いなく、「フェル・レポート」が「戦争犯罪告発の書」である、という誤解をしています。

 実際にはフェルの任務は、「731部隊」が「人体実験」というダーティーな手段で得た科学的データを、米軍の細菌戦研究に役立てるべく、密室での裏取引によって吐き出させ、奪い取ってしまうことにありました。

 フェル・レポートは、「戦争犯罪告発」どころか、「我々は人体実験なんぞできない。731部隊のおかげで、貴重な実験データが手に入ったのは喜ばしい」という、いわば「731部隊」と共犯関係にあるものです。

フェル・レポート

 しかしながら人体実験のデータは、我々がそれを我々や連合国の動物実験のデータと関連させるならば、非常に価値があることがわかるだろう。病理学的研究と人間の病気についての他の情報は、炭疽、ペスト、馬鼻疽の真に効果的なワクチンを開発させるという試みにたいへん役立つかもしれない。

 今や我々は日本の細菌研究について完全に知ることができるので、化学戦、殺人光線、海軍の研究の分野におけるかれらの実際の成果についても有益な情報が得られる可能性は大きいようである。(P298-P299)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収)


 当然ながら、フェルの調査は「極秘」であり、外部には非公開の扱いです。中川氏は、ソ連の目的は「日本の戦争犯罪でっち上げ=世論喚起」にあった、と主張しているようですが、そうであれば、こんな極秘レポートに「工作」して、何の意味があるのでしょうか。



 さらに言えば、「フェル・レポート」が「情報公開法」に基づき公開されたのは、調査後30年以上も経った、1980年代に入ってからのことです。たまたま「731」研究者の目に留まったことから「人体実験を示す資料」として活用されることになりましたが、当時の「ソ連の工作員」が、こんな先のことを見越して「工作」を行ったはずもありません

 「フェル=ソ連のスパイ」説は、何の根拠もない「妄想」です。




 人体実験による「致死量」の決定


 フェル・レポートは、6月20日に米国の「化学戦部隊部隊長」宛てに提出された第一レポート、6月24日に占領軍の「参謀2部 参謀副長」宛てに提出された第二レポートから成ります。(第一レポート、第二レポートの「総論」部分については、こちらに掲載しました)

 「第一レポート」は、部隊関係者から提出された「60ページの英文レポート」の要約を主要コンテンツとします。一方「第二レポート」には、簡単な前書き(総論)、第一レポートの内容に加え、調査の過程で行った部隊関係者への「尋問記録」が添付されています。
※「60ページの英文レポート」は、現在では行方不明になっています。ネットでも「存在が疑わしい」とする書き込みを見かけることがありますが、1950年4月8日の石井四郎尋問で石井自身が、「報告書はフェル博士とマックェール中佐によって直接石井に届けられた。石井隊長の報告は亀井を飛び越してGHQのドレーク少佐に手渡された」(近藤昭二編『731部隊・細菌戦資料集成(CD-ROM版)』27002=邦訳:青木冨貴子『731』P324)とレポートの具体的な受け渡しに言及していますので、その存在自体を疑うことはできないでしょう。

 まずは、レポート全体の「概説」です。


フェル・レポート

A 細菌戦計画における重要人物のなかの一九人(重要な地位に就いていた数人は死亡している)が集まり、人間に対してなされた細菌戦活動について六〇ページの英文レポートをほぼ一ヵ月かけて作成した。このレポートは主として記憶にもとづいて作成されたが、若干の記録はなお入手可能であり、これがそのグループには役立った。このレポートの多岐にわたる詳細な記述の概要は後述する。

B 穀物絶滅も大規模な実験が行われていたことが判明した。この研究に携わっていたグループは小規模で、植物学者と植物生理学者が各一名と少数の助手たちから成っていた。しかし研究は九年間にわたり活発に行われた。その植物学者は非常に協力的であり、結局、植物の病気に関する研究について一〇ページの英文レポートを提出した。(P283-P284)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収)



 「人体実験」については、次のように概説されます。

フェル・レポート

 人間の実験材料は他の実験動物とまったく同じ方法で使用された。すなわち、彼らを使って各種病原体の、感染最小量及び致死量が決定された。また、彼らは予防接種を受けてから、生きた病原体の感染実験を受けた。さらに彼らは爆弾や噴霧で細菌を散布する野外試験の実験材料にさせられた。これらの実験材料はまた、ペストという広範な研究で使われたことはほぼ確実である。(P287)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収)

 繰り返しますが、ここには、「残虐行為」を非難するニュアンスは全くありません。「731」の人体実験を、貴重な研究データを得る手段として捉えているだけです。


 さていよいよ、レポートのハイライト、「60ページの英文レポート」の要約に入ります。例えば「炭疽」については、このように記述されています。

フェル・レポート

(1) 炭疽

(a) 感染量あるいは致死量

 MID50(使用した動物の五〇パーセントに感染をひき起こす最小量)は、皮下注射のばあいは人間も馬も一〇ミリグラムと決定された。経口的には人間ではそれは五〇ミリグラムだった

(日本人研究者は細菌の数を数えることはほとんどなく、濃度をすべて固形培地上にできた培養菌から得た食塩性溶液からとった、多湿の病原体をミリグラム単位で表していた。しかし、彼らは炭疽についての変換式、すなわち1mgm=10×8乗の病原体、を得ていた。)

 他の通常の実験動物についてのMID50は、わが国における数値とほぼ同一であった。しかし、日本が使った菌株は、経口感染においてかなり有毒であるようである。もっとも、わが国においては経口感染に関する研究はほとんどなされていないが。

 感染した人間の死亡率は、皮下注射による感染では六六パーセント、経口感染では九〇パーセント、経口および吸入感染では一〇〇パーセントであった。興味深い所見は、弱毒化された胞子ワクチンの接種を受けた馬は、皮下注射による感染に高い抵抗力を示すが、しかし経口感染にはわずかしか抵抗力を示さない、という点である。

(略)

(d) 爆弾試験

 野外試験の完全な細部の記述と図表がある。ほとんどのばあい人間は杭に縛りつけられ、ヘルメットとよろいで保護されていた。地上で固定で爆発するものあるいは飛行機から投下された時限起爆装置のついたものなど、各種の爆弾が実験された。

 雲状の濃度や粒子のサイズについては測定がなされず、気象のデータについてもかなり雑である。日本は炭疽の野外試験に不満足だった。

 しかし、ある試験では一五人の実験材料のうち、六人が爆発の傷が原因で死亡し、四人が爆弾の破片で感染した(四人のうち三人が死亡した)

 より動力の大きい爆弾(「宇治」)を使った別の実験では、一〇人のうち六人の血液中に菌の存在が確認され、このうちの四人は呼吸器からの感染と考えられた。この四人全員が死亡した。だが、これら四人は、いっせいに爆発した九個の爆弾との至近距離はわずか二五メートルであった。

(略)

(f) 噴霧実験

 典型的な実験では、一〇立方メートルのガラス室に四人の人間の実験材料をいれ、1mgm/cc溶液三〇〇CCを、ふつうの消毒用の噴霧器で噴霧した。粒子のサイズの測定はしなかったが、四人のうち二人が皮膚に病巣ができ、そのためついに拡がって炭疽病になった

(松村高夫編『<論争>731部隊』P288-P290)

 ここに登場するのは、炭疽菌を「経口的」に投与したり、爆弾や噴霧で炭疽菌を撒いて感染させたり、という、紛れもない「残虐行為」です。しかしフェルは、科学者の冷静な目で、「事実」を語るのみです。

 以下、各種病原体についての同様の実験記録が続きます。そして、結論です。


フェル・レポート

 一般的に、日本が研究した細菌戦用病原体のうち二種類だけが有効で、炭疽菌(主に家畜に対して有効と考えられた)とペストノミだけだったと結論できる。日本はこれらの病原体で満足していたわけではない。それは彼らはそれらに対する免疫を作るのはかなり容易であろう、と考えていたからである。(P298)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収)


 細菌戦用病原体としては「炭疽菌」と「ペストノミ」が有効だった ― この「研究成果」が、米軍の細菌戦研究にとって大いに参考になったことは、十分に推察できるところです。常石敬一氏も、次のように総括しています。

常石敬一『標的・イシイ』

 「六〇ページのレポート」の具体的価値は、当時キャンプ・デトリックがだしていた「月例報告」と照合してみるとはっきりする。それらは秘密レポートで、なおかつ病原体は「エージェント勝廚箸「エージェントY」と表わされているが、毎月のレポートをみていくと、炭疽とペストが重視されていたことがわかる。

 そしてその中で重要な課題が、それぞれの感染量の決定やワクチンの開発であった。「六〇ページのレポート」はまさにそれらについて、人間を実験に使って得られたデータを提供したことになる。これは旧日本軍の生物戦部隊の情報が、アメリカの生物戦研究に寄与したうちの一例にすぎない。「六〇ページのレポート」はアメリカにとって二度と得がたい情報であった。(P379)

(常石敬一編訳『標的・イシイ』所収)




 さてフェルの関心は、基本的には「人体実験で得られた実験データ」にありました。日本軍の「細菌戦実施」にはあまり関心を持たないようでしたが、それでも、いくつかの記録を垣間見ることができます。


フェル・レポート

 細菌戦の野外実験では通常の戦術は、鉄道線路沿いの互いに一マイルほど離れた二地点にいる中国軍に対して、一大隊あるいはそれ以上をさし向けるというものだった。

 中国軍が後退すると、日本軍は鉄道線路一マイルを遮断し、予定の細菌戦用病原体を噴霧か他のなんらかの方法で散布し、ついで「戦略的後退」を行った。中国軍はその地域に二四時間以内に急拠戻ってきて、数日後には中国兵のあいだでペストあるいはコレラが流行するというものだった。(P298)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収)

 明らかに、1942年浙かん作戦における細菌戦を語っています。また、こんな一節も見られます。


フェル・レポート

 いずれの場合も、日本はその結果の報告を受けるため汚染地域の背後にスパイを残そうとした。しかし彼らも認めているのだが、これはしばしば不成功に終わり、結果は不明であった。しかしー二回分については報告が得られており、このうち成果があがったのは三回だけだったといわれている。

 高度約二〇〇メートルの飛行機からペストノミを散布した二回の試験において特定の地域に流行が起きた。このうちのひとつでは、患者九六人がでて、そのうち九〇パーセントが死亡した。(P298)

(松村高夫編『<論争>731部隊』所収)

 病原体を撒いたという「一二回分」が具体的にどの事例を示すのかは明らかではありませんが、「ペストノミを撒布した二回の試験」というのは、1940年の寧波における細菌撒布であろうと推察されます。



<本コンテンツの関連資料>

『フェルレポート』(総論)

『石井四郎尋問調書』  (『フェル第二レポート』附属)

常石敬一編訳『標的・イシイ』第九章 人体実験の暴露  (アメリカ国立公文書館文書のうち、占領軍と米国政府との電報のやりとり) 

※「ゆう」注 『フェルレポート』『フェル第二レポート』の全文(英文)は、近藤昭二編『731部隊・細菌戦資料集成(CD-ROM版)』に収録されています。このうち第二レポートに付属する「尋問調書」集については全文の邦訳はありませんが、『七三一部隊の生物兵器とアメリカ』、青木冨貴子『731』 、常石敬一『医学者たちの組織犯罪』などで、フェルの訊問の大まかな流れを追うことができます。なお前に触れた通り、『フェルレポート』の元となった「60ページの英文レポート」は、今日では行方不明になっています。

(2016.10.2)


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