無教会・駒込キリスト聖書集会リンク集

 

単純なる福音

 

 「神にありてもっとも深いものは愛である。人にありてもっとも深いものは信である。神は愛をもって人に臨みたまい、人は信をもってこれに応えまつる」

(内村鑑三『一日一生』11月19日より)

 

 無教会の精神とは、これであります。ここには洗礼、聖餐などのサクラメントは一切介在の余地はありません。神と我のみであります。もっとも本質的なことは、実に単純であり、とっつきにくく見えるものであります。
 しかしそのようなものこそ、人が一生をかけて証しすべきことではありませんか。その証しは、生涯の歩みを通しての神讃美へとなり行くのであります。

 

伝道者 荒井克浩

 


<今月の言葉―伝道所の掲示板より―
  自由と憐みの人

 

 わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。・・・
                 (コリント信徒への手紙一  9章19‐20節)


        *           *           *

 キリスト者は自由です。特に自分から自由です。人の問題は自分を捨てることが出来ない事です。自分にこだわり、他を傷つける。自分にこだわり閉じこもる。しかしキリストを信じる者は、自分を捨てて、自由になり得ます。
 パウロは自分を捨てて、すべての人の奴隷になったと言います。それはキリストの自由と憐みの故です。
 キリスト者はキリストの神のみを仰ぎ、信じ、神以外には跪(ひざまづ)きません。
 しかしそれがゆえにキリストのように自由と憐みの人になります。ユダヤ人に対してはユダヤ人のようになり、仏教徒に対しては仏教徒のようになり、隣人のためには隣人のようになります。
 キリストの自由と憐みに生きて頂きたいのです。
 そこに争いはあり得ないのです。

                                   (2018年9月1日 )

 

 

 

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★「無教会の概要」(2012年4月30日に駒込キリスト聖書集会伝道所で行われた「福音の前進と無教会」講演会の新聞記事より; キリスト新聞7月7日付号・14日付号)

 

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