無教会・駒込キリスト聖書集会リンク集

 

単純なる福音

 

 「神にありてもっとも深いものは愛である。人にありてもっとも深いものは信である。神は愛をもって人に臨みたまい、人は信をもってこれに応えまつる」

(内村鑑三『一日一生』11月19日より)

 

 無教会の精神とは、これであります。ここには洗礼、聖餐などのサクラメントは一切介在の余地はありません。神と我のみであります。もっとも本質的なことは、実に単純であり、とっつきにくく見えるものであります。
 しかしそのようなものこそ、人が一生をかけて証しすべきことではありませんか。その証しは、生涯の歩みを通しての神讃美へとなり行くのであります。

 

伝道者 荒井克浩

 


■年末年始聖日礼拝日程
  クリスマス礼拝(年内最終聖日礼拝)  2018年12月23日(日)
  年始聖日礼拝             2019年1月6日(日)
   ※早天祈祷会  年内最終:12月22日(土)  年始開始:1月8日(火)

 

<今月の言葉―伝道所の掲示板より―
  絶望している自分を捨てて

 

 三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。・・・しかし、イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。 (マタイによる福音書  27章46、50節)

         *           *           *

 これはイエスが十字架刑で死する場面です。十字架上でイエスは、絶望して死なれました。父なる神に従い歩んだ彼の最後は十字架刑の死だったのです。
 しかしイエスはその絶望の只中で天を見上げて「わが神、わが神」と叫ばれました。絶望の只中で父なる神を求めたのです。ここに救いがあります。
 私たちの絶望の只中で、神を見上げること。
 自分に絶望して、神を見上げること。
 どうしようもない自分を離れて、神を見ること。
 絶望している自分を捨てて、神を見る。
 そこに救いがあります。

 イエスは十字架の3日の後、復活されました。
 絶望の果てに、父なる神を仰ぎ、新たなる命を与えられたのです。
 絶望しても、絶望している自分を捨てて主を仰ぐ。
 そこに救いがあります。
                                (2018年11月1日 )

 

 

★伝道雑誌『十字架の祈り』(主筆・荒井克浩〔駒込キリスト聖書集会主宰〕)をご購読ください。

 

★「無教会の概要」(2012年4月30日に駒込キリスト聖書集会伝道所で行われた「福音の前進と無教会」講演会の新聞記事より; キリスト新聞7月7日付号・14日付号)

 

★『「福音の前進と無教会」講演会記録集』刊行のお知らせ(注文書あり)