無教会・駒込キリスト聖書集会リンク集

 

単純なる福音

 

 「神にありてもっとも深いものは愛である。人にありてもっとも深いものは信である。神は愛をもって人に臨みたまい、人は信をもってこれに応えまつる」

(内村鑑三『一日一生』11月19日より)

 

 無教会の精神とは、これであります。ここには洗礼、聖餐などのサクラメントは一切介在の余地はありません。神と我のみであります。もっとも本質的なことは、実に単純であり、とっつきにくく見えるものであります。
 しかしそのようなものこそ、人が一生をかけて証しすべきことではありませんか。その証しは、生涯の歩みを通しての神讃美へとなり行くのであります。

 

伝道者 荒井克浩

 


<今月の言葉―伝道所の掲示板より―
  今がその時

 しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。
                         (ヨハネによる福音書4章23節)

        *           *           *

 これはイエスの言葉ですが、少しおかしいのです。「父を礼拝する時が来る」は未来形なのですが、「今がその時である」は現在形なのです。いずれ来る、しかし今がその時である、とイエスは言われるのです。
 キリスト者にとって、未来のことは今のことなのであります。まことの礼拝の時とは、すべての者たちが神の愛で一つになる時のことです。
 本当の愛などはあり得ないと人々は言います。そうです、あり得ません。人には作り得ないからです。愛は私たちに作り得るものではありません。
 愛は神から一方的に与えられるものです。私たちは作ることはできませんが、頂くことは出来るのです。頂くものこそ、本物であり、完全なるものです。
 イエスは、私を信じることで、未来のみにではなく、今、本当の愛を与えよう、と明言してくださっています。今、ここに来て信じなさい、と。
 愛に生きるものとさせて頂きましょう。
                              (2018年5月1日 )

 

 

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★「無教会の概要」(2012年4月30日に駒込キリスト聖書集会伝道所で行われた「福音の前進と無教会」講演会の新聞記事より; キリスト新聞7月7日付号・14日付号)

 

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