無教会・駒込キリスト聖書集会リンク集

 

単純なる福音

 

 「神にありてもっとも深いものは愛である。人にありてもっとも深いものは信である。神は愛をもって人に臨みたまい、人は信をもってこれに応えまつる」

(内村鑑三『一日一生』11月19日より)

 

 無教会の精神とは、これであります。ここには洗礼、聖餐などのサクラメントは一切介在の余地はありません。神と我のみであります。もっとも本質的なことは、実に単純であり、とっつきにくく見えるものであります。
 しかしそのようなものこそ、人が一生をかけて証しすべきことではありませんか。その証しは、生涯の歩みを通しての神讃美へとなり行くのであります。

 

伝道者 荒井克浩

 


<今月の言葉―伝道所の掲示板より―
見通し給う神


 というのは、神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです。更に、神の御前では隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。この神に対して、わたしたちは自分のことを申し述べねばなりません。
                       (ヘブライ人への手紙 4章12‐13節)

          *         *         *

 神の前には私の心も思いもすべては裸でありさらけだされています。人の目を隠しおおせても、神の目をだますことはできません。
 逆に言えば、神は私の心の底までご存知であります。人が自分を理解してくれないという呻き、自分で自分が理解できないという悩み、あるいは自分が隣人を理解できないという悲しみを、現代の人々は持つものですが、実は人間は本来、隣人を、そして自分さえも理解できない存在です。唯一隣人を、自分を本当に理解して下さる御方は、神、御一人であります。
 自分の為に、隣人の為に、本当の理解者である神に祈り救いを求めることが、特に孤独の末に絶望に陥る現代人にとって極めて大切です。
 是非とも生ける神に出会って頂きたいのです。
                               (2017年11月1日)


 

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★「無教会の概要」(2012年4月30日に駒込キリスト聖書集会伝道所で行われた「福音の前進と無教会」講演会の新聞記事より; キリスト新聞7月7日付号・14日付号)

 

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