白鳥省吾の愛した栗駒山 

  酢川(須川)温泉  (すかわおんせん)

 

 白鳥省吾の書き残した随筆集『世間への触角』(昭和十一年六月五日・東宛書房発行)に収録された「東北の温泉を語る」中の「三、吹上げと轟き−栗駒五sukawa2.jpg (27213 バイト)湯−酢川」の中より、酢川(須川)温泉を紹介する。省吾は旧制築館中学校五年生の頃、明治三十九年に当時の第七代栗原郡長、辰野宗治氏の三男、正男氏と共に須川温泉経由で栗駒登山をしている。

<駒ノ湯から山道三里で酢川温泉にゆける。酢川は栗駒山の頂上に近い九合目あたりで、同じ山を岩手の方では酢川嶽と呼ぶのでさういふ名がある。私が酢川に行ったのは、裏の方面から、即ち中尊寺や五串瀧の勝を見て、更に三里、酢川嶽の麓の瑞山からのぼったのであった。

 酢川は「旅行と文藝」の温泉号には「本邦無比の一大秘境で、少数の識者や外人の他に知るもの少ない、その湯はあまり効き過ぎるので三週間以上入湯は出来ない」と紹介されていたし、田山花袋氏も栗駒山の険阻なことをその山水めぐりの中で驚嘆されているが、その麓の人々は普通のこととして毎年の夏には、「お山がけ」というて隊をつくって登山し、酢川などにも入湯して帰ってくるのである。>

 * 写真は須川温泉と湯口付近の鳥居、この付近より温泉が川の水の如くわき流れている。

<私の行ったのは中学五年の時で一人の学友と一緒であった。案内もなしに絶頂を極めようとしたのは可なりの無理なことであった。五串瀧のほとりの旅館に一泊して朝早く出て瑞山からのぼったのであるが、行きには或る岐路で一里ほど道を踏み間違ひて、運よく向こふから人が来たのでひきかへしたが、それでなければ、またもとの瑞山のはづれに下りてしまふところであった。帰りには山形の方の道に踏み込んで虫が知らせたか一丁ほどで引き返した。登る時には森林帯を抜け出ると偃松や雑草の地帯となって、風が麓から吹き上げてくる。松の影から兎が飛び出す。賽の河原などいふ地獄めいた名の小石が重なっている路傍がある。底の赤い血の池といふ小さい池がある。麓から三里ものぼった処に酢川温泉があるのだ。>

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* 写真左より、頂上付近の自然観察路より望む瑞山コース(笊森コース)。現在笊森の避難小屋が工事中の様子が見えていた。省吾はこのコースを登ったと思われる、

* 写真左より二枚目、剣岳付近の賽の河原を遠方より望む。

* 写真左より三枚目、死出山で活躍する牛頭(ごず)、馬頭(めず)石付近を望む。

 省吾が栗駒山に登った明治時代の後半頃には未だ、栗駒山という山名は固まっていなかったと思われる。書き残されているものは大正時代以降のものが多い。次に紹介する昭和湖は、昭和十九年頃に出来たものである。現在の須川温泉より栗駒山に登る、須川コースは当時はなかった、まして昭和湖も、地獄沢もなかったものと思われる。当時の地獄谷は上写真の賽の河原付近に現存する。

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* 写真左より、地獄沢(ゼッタ沢)付近より望む栗駒山塊、ここを登り詰めると、昭和十九年の噴火で出来た、中写真の昭和湖にたどりつく。写真右は地獄沢上流より秋田焼石岳方面を望む。

 この噴気溢れる沢の中で一つがいのカラスが餌を探していた光景は、まさに地獄の様を思わせた。省吾はこの地獄沢下流の花苔台付近を通り、名残が原手前より賽の河原を通って、須川に至っているものと思われる。岐路も同じコースを辿ったものと思われる。

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* 写真は名残が原より望む栗駒山塊。

 

 

 

<温泉では鉄索か人かによって食料その他を運ぶのであるから、物資は安くない。旅館はなく、多くは湯銭木賃で、然らざるものは一品いくらとして供給を受ける制度であった。

 湯は瀧のように豊富であった。月は下界から黄色に大きくのぼった片隅で肌白く光らして髪を洗ふ女があった。高山のやはり原始的に見たそれらの光景は、実際この世のものとも思へぬ追憶である。>

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 * 写真は須川温泉湯口付近、温泉が川の水の如く湧き流れている。

 

 

 

 

<翌朝はよく晴れていた。山県の鳥海山が遙かに見えた。出羽三山の羽黒山、月山、湯殿山も見えた。この大観とこの清澄きはまる空気の中に、高山の岩石の間から透明な湯が滾々として浴槽から溢れるのであった。・・・後略。>

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* 写真は頂上付近の自然観察路より望む龍泉ヶ原、秣岳、鳥海山と、頂上での記念写真。

 

 

 

 今回の栗駒登山で残念だったのは、『深野稔生の宮城山遊び山語り・栗駒船形』:深野稔生著(1999年10月10日・無明舎出版)を持参しなかったことだ。この本が有れば、もっと面白く須川の巌塊を楽しみながら、散策できたものと思った。

 省吾は瑞山コース(笊森コース)を登って、現在の産沼付近にたどり着き、三途の川を渡って、名残が原手前から、賽の河原、地獄谷、八幡平を経由して、須川温泉に至ったものと思われる。詳しくは須川高原温泉登山案内図須川温泉のホームページを参照頂きたい。須川温泉では「ホームページを見てくれたお客様にお得な割引券プレゼント」もしている。

 

 参考・引用資料

* 白鳥省吾著・随筆集『世間への触角』(昭和十一年六月五日・東宛書房発行)。

* 『山岳・栗駒山紀行とその解題』:柴崎徹著(129号・1976年12月20日・日本山岳会発行)。

* 『深野稔生の宮城の山ガイド』:深野稔生著(1992年3月1日・歴史春秋出版株式会社出版)。

* 『宮城の名山』:柴崎徹著(平成10年4月23日4刷・河北新報社出版)

* 『深野稔生の宮城山遊び山語り・栗駒船形』:深野稔生著(1999年10月10日・無明舎出版)。

* 『白鳥省吾のふるさと逍遙』(平成12年1月10日・ 白鳥ナヲエ発行)  

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