「漁川(いざりがわ)にて」誕生記  (第10回 白鳥省吾賞 受賞者「大澤 榮」氏の紹介)

 詩集『漁川茫々』   詩集『汽笛茫々として鳴り止まず』  『べてるの家の先駆者たち』 『ただ只管陰徳を積むなり』


 大澤 榮氏(本名 大澤栄 53歳)は第10回白鳥省吾賞最優秀賞「漁川にて」誕生秘話を以下のように話された。

 北海道文教大学に赴任して恵庭市に住むことになり、52年間過ごした埼玉県を離れた。これまでは車社会の恩恵を受けて精神医療現場へ車で通勤していたが、恵庭に住んでからはほとんど歩く生活になった。

 歩いてみて、歩く手段しかなくなれば、歩いて過ごす生活に不自由はなく、むしろ往生することで、歩くこと、歩く時間を考えて生きてゆくことに適応できたような気がしている。歩く生活も3か月して慣れ始めたころ、5月の下旬、桜もほかの花々も一斉に咲き揃って街が芳しくなった休日、川の臭いが好きな性分が湧き出して、発作的に恵庭市役所裏にある、恵庭開拓記念碑から漁川まで歩いた。記念碑は木立ちの中で苔生したように、それでいながら脈々と老練な眼を凝らしている形相をしていた。その碑の前に立ち引き寄せられるように裏側に回り、碑文に入るともう金縛りが始まっていた。  

* 上写真は白鳥省吾賞表彰式にて受賞の喜びをお話しされている、大澤 榮氏

 碑文にはこう書かれている。「山口県人 岸信介書 恵庭開拓記念碑 原始の森に暗くアイヌの住家、漁川の清流をはさんで点在するだけだったろう。この地に明治十九年四月山口県岩国地方団体六十五戸、次いで翌二十年山口県長門国萩藩士四十五戸開拓の雄図を抱き、正則死別の悲壮な決意のもとに海路波濤と戦い死線を越えて入植し開拓に着く、然しその業の困難が如何に言語に絶したものであったかは、古老の昔語りに忍ばれる、食うに食なく住むに家なく衣にも事を欠き、特に食に至っては粟蕎麦薯粥をすするにさえ不足勝であったと言う、けれども苦節死闘幾十年、今開村六十周年を明年に迎える、思うにその基を築いた先人の労苦業績は大きく称えられてよく、其の偉業を忍び我等集い碑を建立永く伝えようとも思う。昭和三十一年十月 発起人一同」

恵庭市役所裏 恵庭開拓記念碑 昭和3110月建立  恵庭岳に端を発し、茂漁川は漁川に合流する清流。

川岸には蕗が自生し、川面には絶滅が心配される梅花藻が棚引いている。

 その金縛り体験の悶絶から逃れるように、さらに足を進めて漁川の河川敷まで足を延ばした。折からの好天で河川敷はソフトボールに興じる小学生たちの歓声が響き、親子が犬を連れてのんびりと散歩を楽しむ光景が広がり、草叢に座り込み世間話らしき話をしながら煙草をくねらせる人びとなど、各々が冬の間に抑制されていた足腰や肺胞をいっぱいに広げるように、春の表情を獲得していたように見えた。

  そんな中に混じって川辺に自生する太い野生の蕗をナイフで切り取り、外皮を剥いて籠いっぱい収穫している老女に出会うことになる。伺うと夕食の膳に蕗を煮て出すのだそうで、「柔らかくて御馳走ですよ」という言葉が返ってきた。不思議な感覚だった。そこでわたしはエレベーターで降りる感覚に襲われていたのである。この川は元々アイヌが住んでいて、鮭を漁り、蕗を収穫して食していただろうし、入植した開拓団の慣れない雪国での生活苦がいかばかりだったかと過去の重さを回想すればするほど、それに比べていま繰り広げられているのどかな風景との寒暖の落差は歴然となり、その圧縮空気の重圧の過大さに失神するように、のどの渇きが増して重苦しい胃液が口腔に競り上がり、躰全身を突き上げる圧力があることを自覚せずにはいられなかった。

  まもなく老女は夕餉の膳の為に川辺を去り、歓声も犬の散歩もたばこを吸う人びとも去って、漁川には左右を走る漁川橋の自動車の往来の音だけが、喧騒な顔でわたしに迫って来ているように感じられた。そうこうしているうちに夕暮れが迫り眠りに就こうとする漁川に、迷い続ける迷魂の気配が犇めいて急に突風が吹き始め、わたしは鉛の荷車を押しているような錯覚に陥ってしまった。 漁川で背後から押される気配を感じながら、追い立てられるように市街の新緑の中にわたしは同化して、逃げ帰ってきたのである。

  その日の事である。頭と手が同時に動いて誰かに書かされている思いに駆られながら、「漁川にて」は瞬間の雫のように造形物になっていたのである。


 札幌狸小路でのジャズ&詩朗読ライブに出演し、アウシュヴィッツ作品や受賞作「漁川にて」などを朗読した。

 ライブ出演2009118

 大澤教授は反戦詩人である。自らもアウシュビッツを訪れ、詩集『ビルケナウの烏』(上写真・2007年12月20日初版、2008年3月5日初版2刷 ・「蓮の華ぶんか舎発行)を発刊している。私はこの詩集を読んで背筋が寒くなった。彼は現代日本を代表する反戦詩人だと確信した。プロフィールを紹介する。

プロフィール

大澤榮・筆名(おおさわ さかえ)大澤栄(本名)1956年生まれ 53歳

 詩集 『利根川炎上の朝』解説矢口守宏・七月堂発行。『蝶のように』解説坂井信夫・白地社発行(第19回小熊秀雄賞最終候補作品)。『報復の杭』解説石川逸子・津坂治男・七月堂発行。『丹頂夜曲』解説木島始・ゆにおん出版。『ビルケナウの烏』解説石川逸子・蓮の花ぶんか舎発行。

 大学時代に神宮外苑で開かれていた「無限アカデミー」で、鮎川信夫や石垣りんなどから詩作を学ぶ。精神医療に携わりながら、福岡正信の影響を受け、自然農業を実践し、環境文学誌「生きもののうた」 第九集まで編集・発行。1994夏、ポーランドのアウシュヴィッツ絶滅収容所跡(現アウシュヴィッツ国立博物館)を訪問。 2009年札幌ジャズ&詩朗読ライブデビュー。

 2009年北海道詩人協会詩人の広場に、連詩「叫び」制作者として出演。2009年2月22日「漁川(イザリガワ)にて」 栗原市制定第十回『白鳥省吾賞最優秀賞』受賞、日本現代詩人会会員、北海道詩人協会会員

現在 東京家政大学看護学部看護学科 精神看護学教授 

      〶350−1398 埼玉県狭山市稲荷山2−15−1

  大澤 栄 研究室 п@04−2955−6912

  E‐mail oosawa-s@tokyo-kasei.ac.jp

 

以下に最優秀賞受賞作「漁川にて」を紹介する。


       「漁川にて」   

川岸の湿地でニョキニョキと

体毛のように自生する

蕗を夕餉の膳に乗せるとして

ナイフで切り取っている老女に出逢った

 

漁川はアイヌの住んでいた故郷で

そこに山口県などから多くの入植者を

受け入れた

佇む恵庭開拓記念碑(山口県人会)には

明治十九年四月入植六十五戸の

衣食住全てを欠いた茫々たる生業が

血液の色で刻まれていた

 

桜も柳も白蓮の花も

北海道の毛根から噴き出た魂は

イザリガワ(石狩川の支流として)を流れて

豊かな乳房を蓄えるように

ソフトボールに興ずる歓声の間隙を縫って

老女に穏やかな夕餉を用意させ

川藻が棚引くような

穏やかな春の風物の風に乗って

そこにアイヌの人影も

開拓のひもじさと病魔の中で

逝ったであろう人びとの陰さえ映さず

犬の散歩に付き添う人びと

煙草の煙をゆったりとくねらせる人びと

それらをパイ皮で包み込んだように

国道を自家用車が行き交っている

ひっきりなしに行き交う

その光景には

何も知らない他人の顔が感じられ

史実から乖離した世の中でも

時系列で生かされている命の

真価や価値を思わずにはいられなかった

 

見渡す限りの雪原の原野で

開拓団の人びとはそしてアイヌ民族はと

想像してもしきれない鉛の荷車を

押しているような感覚に襲われて

思わず私は漁川橋から後ろを振り返っていた

背後から魂に突かれた者の強迫にも似て

 

* 詩はホームページの都合上縦書きのものを横書きにしております。

*  本文は大澤榮氏からのEメール「第10回白鳥省吾賞表彰式記念パーテイ」時の口述筆記を元に作成しました。

 * 本人の申し出により、本文中の敬称は省略してあります。


 

 

* 左写真は小中学校の部審査委員で江戸川乱歩賞作家三浦明博氏と談笑する大澤榮氏。

* 右写真は審査委員長の石原武氏と談笑する大澤榮氏。

* 文責は「白鳥省吾を研究する会」事務局にあります。

* 表彰式の様子はここ をクリックしてください。

 


 

◎ 大澤榮 新詩集の紹介 詩集『漁川茫々』

 第10回「白鳥省吾賞」最優秀賞を受賞した詩「漁川にて」を収めた6冊目の詩集である。この詩集は「漁川にて」、「ホロコーストをわすれないために」、「雪明かりのパウル・ツェラン」、「べてるにもらった言霊集」、「白鳥省吾の白道を尋ねて」の5つの詩束と、嘆息「舞い戻らない詩人」からなっている。この詩集に寄せた、詩人石川逸子氏の跋文を紹介する。

< 自由を、男女平等を、デモクラシーを謳歌しつづけた米国の詩人、ワルト・ホイットマンを敬慕して、彼の詩集『草の葉』を翻訳、「詩は人々の日常生活における心の表現を言葉にするものであり、それ自体社会性を持つものでなければならない」と主張した白鳥省吾の詩精神にちなみ「自然・人間愛」をテーマにした同賞の受賞は、いかにも大澤さんにふさわしく思われる。詩、「一筋の白い道で」は、その大澤さんの先達の詩人、白鳥省吾に寄せる賛歌であろう。

 震災復興にかけるくりこま高原の集落に/家々の軒先に人知れず/提灯を垂らして/蝋燭に明かりを灯して回っている/原稿用紙の前では/風雪に舞う蝶のような/人としての生業から出現する言葉を重んじた/イデオロギーを超越した/白い人筋の道/きみはそこを目指していたに違いない ー「一筋の白い道で」部分ー>

 大澤さんもまた、その一筋の道を目指して歩いてゆくのだろう。>

* 写真 詩集『漁川茫々』 2009年5月20日「蓮の華ぶんか舎」発行。

 


 

◎ 大澤榮 新詩集の紹介

詩集『汽笛茫々として鳴り止まず』 ーヒトノイッショウハ汽笛トトモニアルー

この詩集は 「汽笛茫々」、「漁川の友さんの消息」、「日常という隠ぺい工作の罠」、「白鳥省吾の陰影」「今は亡き木島始めに捧ぐ」、「べてるにもらった言霊弐」、「対雁茫々」の7つの詩束から成り立っている。この詩集の解説を元日本詩人クラブ会長で第2代「白鳥省吾賞」選考委員長石原武氏が書いている。抜粋して紹介する。

<風土を抒情の表層でとらえる所謂抒情詩の自閉を蹴って、白鳥省吾はかつて民衆詩の凍土に立った。今、大澤榮はアイヌ民族や開拓民の記憶の闇から泥だらけの言葉の音楽を汲み上げようとする。地平に生きる人間の相貌に触れようとする。/川岸の湿地に体毛のように自生する蕗を切り取る老女を、圧倒的な民衆の暗喩として、大澤榮の風土への想像力は現代詩なるもののお行儀いい円周を飛び越えて、世界の状況に関わろうとする。悪しき時代に立ちはだかる歌になろうとする。ときに彼の歌の衝動は、アウシュヴィツの悲しい人間の呻きに彼を駆り立てる。こうして、彼はひたすらに地底の人間の相貌を歌い続ける。

 

新詩集『汽笛茫々として鳴り止まず』のダイナミックな律動を口にしながら、北の大地を彷徨い、深い闇の記憶を汲み上げている大澤榮の、ボヘミアンの詩の宿命を思う。>

* 写真 詩集『漁川茫々』 2010年5月20日「蓮の華ぶんか舎」発行。


 

◎ 『べてるの家の先駆者たち』

 北海道文教大学人間科学部看護学科精神看護学領域教授大澤榮氏が編集した、世にも希なる「精神科病棟」に入院したことのある、或いは現在通院している方々が企業して成功している事例を紹介した本である。 

 

<浦河赤十字病院の精神科病棟を退院した仲間が、旧会堂(旧浦河教会、現在グループホームべてるの家)に集まって来て、「回復者クラブ ドングリの会」を創ったのね。>

 ここから介護用品や福祉機器の販売を手がける「有限会社福祉ショップべてるの家」、「就労継続支援B型作業所 ニューべてる」へと発展していった。

 詳しくは同書をご覧いただきたい。

* 写真 『べてるの家の先駆者達』 2010年11月1日「いのちのことば社 出版事業部」発行。

 

 


 

◎ 『ただ只管陰徳を積むなり』 人間研究成果論文集

 平成29年5月20日 東京家政大学 看護学部 看護学科 精神看護学 大澤 榮 研究室発行

 知足守分 

 陰徳を積むとは、弥陀の光を有難く頂いて、陰日なたなく精進することをさしております。

 かつて学んだ浄土眞宗本願寺派の学舎である東京仏教学院(築地本願寺)では、親鸞聖人の説かれた教えに触れて、大きな心の核を授かりました。

 なかでも現生正定聚(げんしょうしょうじょうじゅ)という言葉は現生不退(げんしょうふたい)とも言い、阿弥陀如来より回向された信心を受容すれば、浄土に

往生することが定まった身となり、悟り(覚り)を開いて佛(ぶつ)と成ることが定まること、もしくは佛の覚りと等しい位に定まることを言います。

 幸いは足元に咲くとも言います。足元に気づかず天ばかり伺っても、知足守分は齎(もたら)されないものです。

 これからの道筋も、だだ管(ただ)陰徳を積むことに尽きるでしょう

陰日なたに咲く、野瀬の草木のごとく、それをこころに落として修業三昧を過ごして参ります。

 

 埼玉県の東京家政大学 大澤 榮 教授の論文集が出ましたので紹介しました。

 


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