「象の分骨」誕生記  (第6回 白鳥省吾賞 受賞者「おぎ ぜんた」氏の紹介)

 『アフリカの日本難民』


 

 おぎ ぜんた氏(本名 荻ノ迫 善六 53歳)は鹿児島県に3人兄弟の末っ子に生まれている。彼は自身を「蝉」に喩えて以下のように話した。

<日本の「蝉」は大衆の中の「個」に埋没している、だから日本の「蝉」は飛び立つことでしか存在(自己主張)できないのです。ある意味では、地域社会に安住できない者にとって、日本は地獄です。つまり飛び立つこと、逃げることでしか、存在できないわけです。

 そして、私自身、アフリカは自己解放するには絶好の場所でした。どこにも逃げなくて良いのです。逃げると云うことはしがらみから去るという行為です。異国にいると、異邦人のままでいられるのです。それが僕には拠り所となっている気がします。そうやって異境の地から日本を振り返ると、日本という国がよく見えます。いわく高度な文明社会、おびただしい情報量、失われた「個」の存在。自我の喪失、神経症患者達など々、もし自分がこの中にいたらどうなるか明らかです。「つまり僕はこの日本から離れてしか存在できないと云うことではないか、逆に言えば外に居ることが、望郷の念と共に僕自身の詩作のエネルギーとなっているのではないかと思います。ある意味では、日本を離れてはじめて冷静に事物を観察できるようになった、比較的自由にものが書けるようになった。」と・・・・・。>

 おぎ氏が詩を書き始めたのはつい最近「2003年12月」のことと云う。以下に、おぎ氏のプロフィールを紹介する。

 若い頃、文学にあこがれて早稲田大学国文科に進学し、同人雑誌に参加したが、中途で挫折し、文学の世界から完全に足を洗い、農業者になるべく北海道に渡り、農業専門学校に入学。卒業後、北海道庁の農業改良普及員をしていたが、1981年に「日本青年海外協力隊員」としてアフリカ・ザンビア共和国へ派遣される。「アフリカの水を飲んだものは、またアフリカに戻るという言葉通りに」、1985年から1988年まで「日本国際ボランティアセンター」(JVC)の一員として、ソマリア共和国にて、エチオピア難民のための支援活動に参加。特に農業定住促進チームのリーダーとして難民たちの農業開発と定住促進を支援する。
 その後帰国し、農学を基礎から学ぶ必要を感じて鳥取大学農学部に入学。静岡大学農学部修士課程に飛び級で進学。修士課程修了後、岐阜大学連合大学院農学研究科博士課程を修了し、農学博士となっている。1997年から1998年まで、日本学術振興会(JSPS)現地駐在員兼研究員としてナイロビに滞在。1998年から現在まで、World Agroforestry Centre (ICRAF・国際アグロフォレストリーセンター:国際農業研究機関メンバー)の植物生態学研究員としてアフリカの農業と林業の発展のための研究活動を継続している。


 受賞作「象の分骨」誕生について、

 「ある日ナイロビの自宅でテレビを見ていた時に、象の親子が骨を運んでいるのが映っていた。その時、それが象の分骨であることを知った。」(ケニアでは「アニマルプラネット」と云う日本の「生き物地球紀行」に似たテレビ番組がある。それを楽しんで見ている。)2002年の10月に母を亡くしたおぎ氏は、母の分骨を望んだが叶えられなかった。そんな時期に、「テレビで見た象の親子の行動と実母の幻影がオーバーラップしてこの詩のモチーフが出来た。」と話している。おぎ氏の母親は生まれてから死ぬまで「お百姓」だった、農学へ向かったのはその母と同じみちを歩みたかったからだと話す。

 おぎ氏は2004年「日本海文学大賞」詩の部門にて本選にノミネートされて居る。また、私家本詩集「アカシアとライオン」にて2004年度の「第22回新風社出版賞優秀賞」を受賞して居る。「アフリカのナイロビのスラム街に住む子供たちには、詩は何の幸福ももたらさない。彼らにとって、今日の食べものを得ることが、最大の課題である。そんな彼らには詩は何の意味も持たない。しかし、私はそんな彼らに生き甲斐を与える詩を、いつか書きたい。」と今後の抱負を話している。
 

* 上写真は白鳥省吾賞表彰式にて受賞の喜びをお話しされている、おぎ ぜんた氏。

* 本人の申し出により、本文中の敬称は省略してあります。

 以下に最優秀賞受賞作「象の分骨」を紹介する。


     「象の分骨」

   それは象の分骨の儀式だった

   象の母子は 亡骸を鼻先で隈無く撫でた後

   母親は 砂にまみれた頭蓋を牙の先に乗せ

   子どもは 肋骨の一本を玩具の刀のように

   鼻で突き出し歩き始めた

   自分の意志で骨を運んでいるとは思えない

   母親が命じたのだろう

 

    −去年 母が死んだ時 田舎からアフリカへ

     分骨を強く望んだが 遺影があるからいい

     だろうと父は僕をなだめた

     一年後 墓地の草取りをしながら 去年

     あれほど望んだ 母の分骨のことを忘れて

     いる自分に気づいた 父も改めて訊くこと

     はなかった

 

   象の母子は長い間 骨を持って歩いた

   ところがある場所へ来た時 母親は無造作に

   骨を捨てた 子象も玩具をポイと放り出した

   しばらくして僕は理解した

   象の母親は 祖母の匂いを子の頭に染みこま

   せ 同時にその遺骨の場所が泉への道しるべ

   になると教えたのだ(ここまで辿り着けば生

   き延びられるからね)

 

    −晩年の母は屡々足をさすりながら歪めた顔

     を僕に向けた その母の前で 所在なく佇

     った僕は 昔 母に背負われていたときの

     その母の背中の温もりを思い出そうとした

     がかなうはずがなかった 母は幼い僕の匂

     いを一生覚えていたのだろうか

 

  象は生きている限り 先祖の匂いを忘れない

  と云う ところが人間の記憶ときたら一年と

  持たない 母の乳房の匂いは 本能で憶えて

     いても その本能を忘れたのちはもう記憶す

  る手立てもなく 今では母の折々の表情すら

  消えようとしている

  サバンナの果ての 陽炎の中へ消え去る 母

  子象を眺めながら 僕は 突然の

  胸の痛みにうろたえていた  

 

* 詩はホームページの都合上縦書きのものを横書きにしております。


* 左写真は今回で審査委員長を辞される鎗田清太郎氏と審査委員の今入惇氏。

* 中写真は一般の部に入賞した吉田薫女史(中)、後藤順氏(左)と一緒に表彰式に臨むおぎぜんた氏。

* 右写真はおぎぜんた氏との記念写真。

* 表彰式の様子はここをクリックしてください。

* 本文はおぎぜんた様からのEメール、「第6回白鳥省吾賞表彰式記念パーテイ」時の口述筆記を元に作成しました。

* 文責は「白鳥省吾を研究する会」事務局にあります。

* 3月13日に、賞状を授与されました築館町長 千葉徳穂氏が急逝されました。

  生前のご威徳に敬意を表し、謹んでご冥福をお祈りいたします。


 『アフリカの日本難民』(2010年11月1日発行)

 

おぎぜんた氏の3冊目の詩集である。「あとがき」を紹介する。

 「アフリカの河の水」を飲んでから四半世紀が経った。最初はへんに勢い込んで、「アフリカのために働くんだ」と意味の無い虚勢を張っていた男は、いつのまにかすっかりアフリカに洗脳され、アフリカに教わり、そして今ではアフリカに感謝の祈りすら捧げている。アフリカに住むということは、人間が原点に返ることなのだろうと今では思っている。もちろんアフリカは欠陥だらけ、矛盾だらけだ。アフリカに住むこと、そしてそこで詩を書くことは僕にとってどんな意味があるのか?

 それは生の時間を遅らせて、僕自身の歩調をこの国のスピードに合わせること。僕自身がゆったり息の出来るスピードに持ってゆくことで、自分を問い直すことだと今は思っている。そしてもう一つが、日本では常に感じている「存在の罪悪感」や「離人感覚」をここでは解放し、自己を飛翔させることが出来るからだと考えている。でもいつまで僕は「日本難民でいられるのか」と自問の日々だ。

 現在ケニアに在住する、これまで農業技術者としてザンビア、ソマリア、ウガンダ、スリランカなどで農業開発事業に従事してきた。

 

 


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